「何も彼も織田弾正めがかけたる罠と気がっかぬか」 まするゆえ、やむない時には家老の平野久蔵どのが、面を 「罠も生命に別条ない罠ならば」 つつんで訪れまする」 「黙れ ! 」 「なに、久松のおとな ( 家老 ) どもが : 広忠はきびしく抑えて、じっと庭先の落花を見つめた。 広忠にとってはそれは全く思いもよらないことであっ 戦いに次ぐ戦い。病身の広忠には苛酷にすぎた明けくれた。家老がわざわざ使いに立つのでは、於大ひとりの分別 く、陽やけの裏にくつきりと疲労のかげをきざみだしていではない。久松佐渡守自身がすでに於大の陰にいる。於大 る。 がそれほど二度目の良人を動かし得る力をもったと考える 年齢は二十四歳。武将としてはいよいよ分別と落着きと と、カ 1 ーツとあやしく胸が燃えだし、久松自身の指図とす が重厚味を加えてゆく年齢だったが、広忠の場合は逆であればいよいよ油断はできなくなる。 つ、 ) 0 しばらくじっと刺すように地面をにらんで考えて、やが て広忠は小さく頭を振りだした。 「雅楽助」 「斬らねばならぬな。生かしておけぬ」 「は : : : 何と申されました ? 」 「そちはただいま、於大の温かい手がうしろから仲びてい 「斬らねばならぬと申したのじゃ」 ると申したな」 はい。これなる細作の探り出したるところによれば、時「たれを : : : どなたを ? 」 「むろん於大じゃ」 折り阿古居城から、ひそかに、下着類やら菓子のたぐい 「えっ ? あの・ : ・ : お屋敷さまを」 。、、届けられているげにござりまする」 雅楽助が思わず奇声を発したとき、主客に背を向け、縁 「その使者の名は分っているか」 に坐っていた片目八彌の肩がびくりッと一つ波打った。 「はい。探りましてござりまする」 こんどは細作がわきから答えた。 四 「大抵は久松の家士、竹之内久六と申すが使いに相立ちま するが、この者は阿古居谷の取税その他に重用されており わな 「殿 ! 」 374
「ウーム」 広忠は癇性に腕をふるわせ、 「八彌、手綱ーー , ・こ 「よッ 一度取った手綱をまた渡すと、広忠の馬はおどりあがっ て丘の向うへ駆けだした。 織田信秀は、この時すでに久松彌九郎の背後まで旗をま 「殿 ! 」と、大蔵の声がそれを送った。 いてすすんでいた。 「軽挙は : : : 軽挙はなりませぬそ殿 ! 」 八彌は一眼を光らせてサッと馬より先になった。 彼は鞍壺をたたいて大笑した。 ポ ーツ、ポーツと敵の貝がまたひびく 「岡崎の小せがれめが、気が狂うたわ。ワッハッハッ、。 たしかにそれは無謀であった。いや、先頭の旗が、於大それ、貝を鳴らせ貝を鳴らせ」 の良人、久松彌九郎俊勝だと知った瞬間に広忠の血は逆流「殿、旗は ? 」 したのだ。 「まだ立てるな。まだ早い。城兵が撃って出てからいきな 「うぬツ、彌九郎めが : り小せがれめの鼻のさきへ立ててやれ」 於大がまだ岡崎の城にあるころ広忠は俊勝の父定益と大 この時すでに八彌は槍をかまえて久松勢の先鋒へとびこ んだ。 野の城主上野為貞の争いを和解せしめた恩がある。 その恩も思わず、於大の良人として自分に立ち向って来突くというよりそれはあたりをなぐり立てて広忠の進路 を作ろうとするかに見える。 る俊勝に、広忠の憎悪は爆発した。 援軍をます一挙にけちらさなければ、味方は腹背に敵を「岩松八彌だ。道をひらけ」 と、その考えもあるに 受ける。城兵の撃って出る前に ハラバラと左右に散る人の中から、 かくど はあったが、 それよりも人間的な赫怒が更に大きかった。 「竹之内久六。参れ ! 」 一人の足軽がすすんで出た。 丘をかけ下った瞬間に、広忠めざして数条の矢が切って 放たれた。 その矢の中で、広忠は太ガをぬいた。あざやかに左右へ それを振りおとすと、兜の前立にびたりと斜めに太刀をつ け、そのまままっすぐに久松佐渡の旗下に切りこんだ。 五 280
「お血筋ゆえ似ているのでござろう。さ、ずっとおすすみう少年はサッと手にした扇をひらいて 死のうは一定 なされ。吉法師さまお杯を下さるそうな」 忍び草には 年寄った武士はいかにも気軽に於大を手招いて、 何をしようそ 「お信どのと申されたな」 一定の、語り起す夜の : そろそろ声変りのしかけた声で朗々と謡いだしてゆくで 「拙者はこれなる織田吉法師さま家来、平手政秀、これな るは阿古居の久松彌九郎どのと申される」 「おやめなされ、お信がびつくりしてござる」 於大はハッとして少年を見直し、それから久松彌九郎を 政秀が笑いながら手をあげると、 見やって両手をついた。 「じじいはきらいであったな」 ( これが音に聞えた織田弾正信秀が秘蔵の御曹司か : : : ) 少年はまたけろりと足をひっこめ、 もう一人がいま於大の縁談の相手として名のあがってい る久松佐渡であることよりも、いきなり吉法師に引きあわ「そなたは何ができる ? 」と於大にきいた。 ふつつか 「不東にて、何の心得もござりませぬ」 された驚きの方が大きかった。 「吉法師さまお杯をーー . 」と、平手政秀が言葉を添える答えながら於大は不意に、胸の中で活き活きと眼をあけ てゆく感情にぶつかった。 ( これが織田の御曹司 : : : ) 「杯を取らせえ」と、少年はらいらくに侍女へあごをしゃ これはやがて、岡崎へ残して来たわが子竹千代と、寸土 くって、 を争って戦場に見える宿命の子ではなかろうか。 「そなたは何が好きじゃ。於国は幸若も巧みであったが、 於大は思わず、かがやくわが眼を、いにいましめながら、 小、ったもよくした」 「若殿には小うたがお好きでいらせられまするか」 そういうと、坐っていた片足をいきなりとんと於大の前 静かな声できくのであった。 へ投げ出した。 於大はびつくりして身をすさらせた。と、その時にはも 、、 0 2
示 徳川氏 ( ーは直系或は直系編入の別の明らかでないもの。 = は同族・異族よりの編入 ) ( 新田氏より ) 新田義重ー義季ー頼氏ー教氏ー家時ー満義ー政義ー親季ー有親ー親氏ーーー広親 ー泰親ー 守家 ( 竹谷松平 ) ー親忠 , 興嗣 ( 形原松平 ) ー光重 ( 大草松平 ) ー元芳 ー親則 ( 長沢松平 ) ー光親 ( 能見松平 ) 信重 ( 長沢松平 ) ー家康 リ康元 ( 久松松平 ) Ⅱ康俊 ( 久松松平 ) ー定勝 ( 久松松平 ) ー親長 ( 岩津松平 ) ー乗一兀 ( 大給松平 ) ー親盛 ( 福釜松平 ) ー長親 ー信定 ( 桜井松平 ) ー親忠 ( 西福釜松平 ) 元心 ( 御油松平 ) ー乗清 ( 滝脇松平 ) ー義春 ( 東条松平 ) ー利長 ( 藤井松平 ) ー忠景 ( 深溝松平 ) ー信康 ー女子 ( 亀姫 ) ー女子 ー秀康 ( 幼名於義丸、結城氏、越前松平家へ ) ー秀忠 ( 幼名長松丸、台徳院 ) ー忠吉 ( 東条氏 ) ー信吉 ( 武田氏 ) ー女子 ー忠輝 ( 越後家 ) ー義直 ( 幼名五郎太丸、尾張家 ) ! 頼宣 ( 幼名長福丸、紀州家 ) ー頼房 ( 幼名鶴千代、水戸家 ) ー女子 ー家光 ( 大猷院 ) ー忠長 ー女子 ( 和子 ) ( 後水尾中宮、明正母 ) ! ・正之 ( 保科氏へ ) 清康 1 信孝 ( 三木松平 ) ー康孝 ( 鵜殿松平 ) ー言広 ・ー信光 広忠
がそう申すのならばそれに相違はないであろう。ご苦労だ せつかく った。下れ」 同族松平三左衛門のもとへ刺客を送って倒した広忠。 かんげん 雅楽助は、きりりと一度歯をかんだが、 しかし田い ~ 旦し そうした広忠が、雅楽助の諫言だけで於大の方の暗殺を て一礼した。なんと持ってまわった言葉であろう。が、 於思いとどまるはずはないーーー・そう思っていたところへ、案 大の方を斬ろうなどという、無謀を思いとどまったとあれのごとく前より一層ねばった広忠の言葉であった。 ば、あえてさからう必要はなかった。 ( やつばり・・・・ : ) 「では : 片目八彌はゆっくりと広忠にむき直ると、 細作をうながして雅楽助がさがってゆくと、広忠はまた 「で : : : どうしてお斬りなされまする ? 」 しばらく脇息にもたれたまま、じっと落花を見つめだし広忠はまたしばらく間をおいて、 「久松彌九郎めはお人好しじゃ」 急にあたりは静かになって、花びらの地につく音まで聞 自分で自分に言い聞かせる内部へ向けた声であった。 えそうだった。 「お人好し : ・・ : と仰せられると ? 」 「八彌ーーー」 「於大に近づき得る者一人、阿古居の城内へ送りこんで仕 し」 えさせる。お人好しゆえ手だてはあろう。八彌 ! 」 「よッ 「わしは斬るー・於大を斬るぞ」 それを聞くと、片目八彌はゆっくりと広忠に向き直っ 「植村新六郎にこれへと申せ」 「ルス : 「なんじゃ ? 」 「その手たてでは、久松佐渡守さまは知らす、お屋嗷さま 八彌には広忠の言葉は意外ではなかった。 お春を殺して涙一滴見せなかった広忠。 「無理と申すか」 竹千代を武士の意地のかげにかくれて見殺しに出来る広「よ、。、 し松平三左衛門さまのこともございますれば」 376
しオこの家老はまた自分の手「内儀の輿は ? 」 と、小さな声で於大こ、つこ。 で育てて来た「大うつけ者ーー」の心をびたりと見通して「むろん用意いたさせました」 「むろんは余計じゃ。馬より先に到着するよう駆けろとい いると見え、久松佐渡の手紙を受取って読みながら、 え」 「ご助命はわざわざなされぬがよい」 と、独一一「ロのように注意した。 大千代が心得て駆け出すあとから、信長、於大、政秀の 「ご気性がご気性ゆえ、人に指図されると必ずつむじを曲順で玄関へ出ていった。 れんぜんあしげ こんどの馬はざれ馬ではなかった。連銭葦毛のたくまし げてござる。お委せするゆえ、よろしくとな」 於大はこの主従がうらやましかった。うつけ者と見せか い馬格。それが午後の陽ざしの下でしきりに足がきをつづ けてどこかに非凡なひらめく気禀をかくした信長。真昼のけている。 たんけい 短檠のようにあえて光らす、そのくせ分別に一分のすきと玄関へかかると、信長はまた子供のように走り出して、 その馬にまたがった。 5 てない政秀。 6 「あっ ! 」という暇もない。乗るのと駆け出すのとが一緒 3 「竹千代にもこのような師傅があったら : : : 」 だった。大千代は政秀に眼くばせされて、これもひらりと 思わすそれを考えたとき、信長はもうつかっかと居間へ 栗毛の駒にまたがった。 入って来た。 二条の突風ー だが、たれもおどろかない。信長は一切の習慣、礼儀を 「お身は久松佐渡とはじっこんだったな。内儀は今日、お無視しているというよりも、それら一切に反逆して、自我 のありかを確認しようとしているようであったし、それを 身のもとへ泊めてやれ」 許しておく信秀の考え方もいぶかしかった。 「、い日寸ま从した」 「いギスこれへ」 「出かけよう。遅くなる。大千代 ! 馬をひかせたか」 信長たちがどんなに気ままに行動しても、政秀は落着き 犬千代は、いつもすねているような面構えで、いうまで もないことと、こくりとした。 はらったものであった。彼は於大を輿に請じ入れると、自
てぐるぐるあたりを歩きまわっている。 が、その矢先に落馬のきっかけを作ってしまった。 八彌は自分ても泣きたくなった。 当殿ーーー」と、八彌は哀願するように、 「もうひとせめ、せめられませぬか」 ようやく近ごろきげんがなおり、この分ではと田 5 ってい 広忠は歩みをとめてきっと八彌を振返った。 るとき、また気色を損じる風評が流れて来た。 「八彌ー・」 それは刈谷へ帰ったお屋嗷さま、於大の方が、織田方随 身の家に再縁するといううわさであった。 相手は阿古居の久松彌九郎俊勝。そのうわさを老女の須「そちは人が信じられるか」 「はい。人と人とで作った世間、信じねば生きられませぬ」 賀が広忠の耳に入れたとき、広忠は狂ったように笑いだし 「ウーム。人生は石火電光、いのちは如露如電、信じねば なるまいな」 「もうひとせめせめておもどりなされては」 「八彌」 「ハッハッハ、於大が、久松風情の女房になるのか。こ り・や」わかしい その笑い、ただごとでないと思っていると、やがて手に 「桜の花をゆり落せ」 した湯のみを庭石めがけて投げつけた。 それ以来、たれも於大の方の話はしなかった。むろん広「それに駒をつないでな、わしがたたくわ。そちはその花 忠も口にはしない。が、その夜からひどくふきげんになっぴらを集めるのだ。着物をぬいでその中に入るがよい」 てゆき、お部屋の一つを与えられたお春のもとへも行かな「着物をぬいで : : : 」 くなった。 「そうじゃ。わしは負けぬそ。ぬげ ! 」 老臣たちは須賀をしかった。そのために戸田弾正の娘と の縁談も早められた気配がある。そして、きようはいよい 八彌がきよとんとした表情で着物をぬぐ間に、広忠は手 よ、お輿入れの日とあって、八彌もホッとしていたのだ 綱をとってまた若い一本の桜の幹に馬をつないだ。 244
しょ一つみよ・フ わが子竹千代を救う手だてを、唱名のうちからくもうと 「地のつよいお方ゆえ」と、自分で自分にいいきかせ その根に永劫不変の母の心が音を立 する、静かたったが、 てて燃えている。 「奥方さま」 しばらくして、こんどは久六の方から、 強い母。不撓の母 「このまま燈ておいてよろしゆっ、こギ、ろ、フか」 四 「 . 何を ? 」 久松佐渡守俊勝は、竹之内久六に留守を訪わせてから三 「竹千代さまを」 「癶、れば : : といって、わが身は久松佐渡守が妻、良人の日目に城へもどった。 考えをますたださねばなりませぬし 今川勢は、戸田康光父子の田原城を占領すると、そこへ その言い方があまりに静かだったので、 , 〈六は返す言葉城代をおいたままひとまず駿府へ引きあげて、尾張強襲の がなかった。 憂いは一応解消したのである。 はんのう 「ご苦労であった。具足を解いてな、今日は妻子を喜ばせ すでに岡崎への煩悩を断ちきって、、竹弋の連命を冷た く見つめるつもりであろうか、それとも他に何か思、つこと があってのことか ? 持参の武具を一々改めて蔵におさめ、馬にかいばをあて 久六が於大の方のもとを辞したのはそれから間もなくだ がうと、彼自身も早々にして於大の待っ本丸へ引取った。 っ一」 0 於大はそれをいつもの、廊下一重の奥の入口まで出迎え 再び馬を駆って良人のもとへ赴く久六を、やぐら下まで 見送ってその姿が見えなくなると引返して仏壇の間にこも 「つつがなきご帰城、おめでとう存じまする」 つ」 0 あいさっして太刀を受取り、座敷へとおるとすぐに、俊 暮れやすい秋の日はすでにあたりへ冷たい暗さをひろげ勝のために茶をくんだ。 以前には女中まかせの一碗の茶が、いっからか於大自身 ている。燈明をそなえ、香を焚いて、於大はその前に合掌 の手で出される。俊勝にはそれがひどく満足だった。 、 6 レ′ : っ 356
まぶた あまりに思いがけない広忠の言葉に、雅楽助はぐっとひほどに澄んでいる眼。その瞼に赤く一筋血が走っている。 「すると : : : 於大は婦徳のかぎりを尽してあの弥九郎めに とひざ、つめ寄るように乗出して、 「それをご本心で申されまするか。ご本心ならばそのわけ仕えていると申すのだな」 「仰せまでもないこと。それでのうて、なんで家中一統心 : き ( 9 「小りエ工しよ、フ」 広忠はその時静かに眼を閉じていた。陽やけした額にあ服いたしましようや」 けいれん かんすじ 「雅楽助」 やしい癇筋がうきあがり、眉はビグビク痙攣しだしてい 「よ、 し」 る。 「雅楽助、これはな、於大ひとりの考えではない。久松佐「では、そちは、この於大の差出た行為の裏に何もないと 申すのか」 渡が奸計じゃ」 「あるは、この世ながらの親子の情 : : : なんとしても竹千 「何を証拠にそのようなことを」 「家老どもまで使いに出せる : : : それが何よりの証拠であ代さまを助けたいと、血の出るようなご苦心を感じます ろ、つが」 「そうか。では予の考えは取越し苦ガか。予は織田弾正め ノハ」雅楽助は笑いとばした。 が、あれこれと予の心をひいたうえ竹千代を手なずけ、 「それはお屋嗷さまのお人柄がさせることとはお気づきな されませぬかお屋敷さま当城にあるときも、家中一統み於大を手なずけ、いっかはこの岡崎城をわがものにと意地 になっての奸計と思うたが、それは予の思いすごしか」 ごとに、い服、阿古居の小城では、恐らく思いのままになり 「恐れながら」 ましよ、フ梦、」 「するとそちは、於大が良人彌九郎まであやつりおると申「わかった。わかったゆえ下れ。予は竹千代を見捨てたむ ごい父。於大はそれを救うたどこまでもやさしい立派な すのか」 「殿 ! お言葉が違いまする。あやつるのではのうて、婦母。そしてその母の心をくんで竹千代を斬らずにおいた織 かがみ 田弾正や久松彌九郎は花も実もある武将の鑑。竹千代はじ 徳は自然に及ぶものとお考えなされませ」 広思はふたたびカーツと眼を開いた。いつも澄みすぎるめみなにそう思わせようとする奸計かと思うたが、そち き、カ J75
「於大、実はの : ・・ : 」 を忘れて動く宿命じみた一線ももっている。 俊勝は掌の茶碗の温かみに眼を細めながら、 「のう於大」 「よ、 「岡崎どのは、とうとう、わが子を見殺しと決めてその旨 し」 返答に及んだ山じゃ。むごい人そ」 「わしはな、おの心を想うとたまらぬものがある。が いいながらそっと於大を、つかがった これは聞かせすにおいてよいことではない。竹千代は、父 に見捨てられ : : : 斬られてさらされることになったわ」 於大はべつに顔いろも変えなかった。黙って良人の前 「やつばい : ・ に、近ごろ覚えた手作りのまんじゅうを差出すのだった。 「例の熊の若宮、竹之内波太郎どのが裏からお許の兄御水「そうじゃ」と俊勝は眼を赤くして、 「わしは出来ぬ。わしならば、子のために節を屈する。於 野信元どのヘ働きかけ、水野どのがひどくお骨を折られた 大、わしはその首を、後でわしに下さるように、平手政秀 が、とんと利き目はなかったよ、つじゃ」 どのに頼んで来たわ。お許の手で弔うてやってくりやれ」 於大は静かに良人を見上げたまま無言であった。 5 於大はそっと畳に両手をついた。さすがに泣くまいとし 3 「表向きの使者としては、山口惣十郎が岡崎へ出向いてい しずく った。惣十郎をそちは知るまい。これは熱田の祠官が子供ても涙は雫になってゆく。しかし声はみだれてしなかっ っ ) 0 でな、人を説くには少を得た男じゃ。その惣十郎が、条理 「皿 5 れながら、その儀は田むいとどまって頂きと、つ、こざりま を尽してすすめてみたが、広忠どのの返事は一つであった そ、つな」 する」 「よに、田 5 いとど寺 ( 、れと ? ・」 「と仰せられると、どのような ? 」 「はい。万一織田信秀さまの疑いをうけては、久松一族の 「われはまことの武人なり。節は変えず。竹千代は思いの 一大事、思いとどまって頂きと、つござりまする」 ままになすべしと。お許はそれを立派だと思うかな ? 」 於大はうなずきもしなかったが、否定もしなかった。広 五 忠の性格ではそうであろうとすでに前から思っていた。 間はつねに利害に追いまわされているくせに、いつもそれ久松俊勝はわが耳を疑った。そのことならば彼も考えな