こなた - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 10
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1. 徳川家康 10

ましよう。切支丹は太閤殿下のこの上なくお嫌いなされて 「おじ様、それは本気で言うのですか」 「そうじゃ。若し先方から、そうさせよと言われぬうちにおわすところ : : : それゆえ、そのような女子は、大納言の おそばにおけぬと申したら : : : 」 の」 「なるほど : : しかし、そのために、蕉庵どのがお調べを 「すると、するとおじ様は、そう言い出しそうに感じなさ 受けるようになるかも知れぬが」 「なぜでござりまする。父はそのような : 「それよりも言い出されたら断り得るかどうか : 「と言うても、堺衆がこの戦に反対している。その背後に 小首を傾げて、 は切支丹の手が及んでいるかも知れぬ : : : そのような疑い 「しかし、何としても嫌たと言うのであれば、徳川どのが こなたと、断る口実を打合せてを太閤は、はじめからお持ちなのじゃ」 此処へお戻りなさる迄に、 「では : ・・ : では : ・・ : 何とすれば宜しいのでござりまする。 おかねばなるまい」 如何に太閤の仰せとは言え、木の実は売女ではござりませ 「いやらしいー・」 ぬ」 と、木の実は、わが身をくねらせて宗室に甘えた。しか 木の実は強く言い放った。 し、その甘えはこの場合何の意味も持ち得ない。それがよ くわかっているたけに木の実はすぐ真剣な顔になった。 九 「おじ様、お断り申上げる口実を、お考え下されませ。木 「そのように、たやすく怒るものではない」 の実は嫌でござりまする」 宗室は何時になく暗い表情でさえぎった。 「そうか。ではひと思案せねばならぬの」 「こなたももう子供ではないのだからの。影響するところ 「大納言は、たしかにそのようなこと、言い出しましよう は冷静に考えてみねばならぬ」 「言い出さいでも、太閤のお言葉どおりに二人でここへ戻「と、おっしやると、断っては父にわるい影響があろうゆ え、自分を殺して大納言に仕えよと一一「ロうように聞えまする って来た。何ともならぬではないか」 「もしおじ様、わらわが切支丹たと言うたら如何でござり 2

2. 徳川家康 10

行長がしどろもどろで承兌の救いにすがりかけると、家 康は、はじめて前田玄以を手招いてきびしく命じた。 「急いで明使をさがらせよ。そうじゃ、城におくことは罷 行長をほんとうに手討ちにしかねないと見てとって、さ すがの沈惟敬も蒼ざめた。恐らく彼は小西行長や石田三成りならぬ。堺へくだして謹慎させよ」 「かしこまって、こざりまする。両使、いさ : 、充分にあとの収拾をするものとたかをくくっていたらし そのあとから秀吉はもう一度叩きつけるように浴せかけ そう言えば、追い出されるようにして堺の彼等の宿舎、た。 「よいか、和議は破れた。秀吉は直ちに高麗へ出陣する 旭蓬社に引きあげて行ってからも、彼はまだ秀吉の再征な どは言葉たけのことと思っている節があった。 そ」 「太刀を持てと申すのだ。予をたばかって国威を傷つけた 「それならば尚更でござりまする」 不都合者。手討ちにせずにおけるものかツ」 と、承兌は真剣たった。 : し : : : 暫くお待ちを」 「小西どのこ、、 しま一度、今日の不面目を取り返す機会を認 承兌があわてて秀吉の袖にすがった。 おみ賜わりたく : : : 」 「これは小西どのの存じ寄らぬ儀かと心得まする。何とそ 瞬間秀吉は、複雑な表情で、家康と利家に眼くばせし お心を静め給うて : : : 」 た。二人は無言でこれに応えた。若し秀吉が、あらかじめ 「なにツ、 ~ 行〕長が知 . らぬことじゃと」 この事あるを知っていなければ、小西行長は、明使の前で 「はい。何分にも明王の殿下にあてた書状のことゆえ、そほんとうに斬られていたかも知れない。 しかし秀吉はすでにこうなることを予期していた。 恐ら の内容は小西どのもうかがい知る筈はござりませぬ。偽ら く始めから行長を斬る気は無かったのに違いない。若し行 れたのは小西どのとて同じであろうと存じまする。なあ小 西どの」 長を手討ちにしたら、石田三成も、大谷吉隆も増田長盛も そのままには捨ておけないことになってゆく : いかにも、このような無礼なものであろうとは、 田いもよらす : : : 」 「うぬツ、運のいい奴めが。まだ許すとは決めておらん

3. 徳川家康 10

「そ、つじゃ」 のではない。しかし、その前に大事なことを見落していた のじゃ。こなたは : 「こなたの、このコケ脅しの別荘が、上を怖れぬ僣上沙汰 「フン、小利巧そうに、何を見落していたというのじゃ」 「太閤の心が乱れたら、そなたの言ううつけばかりの側近の証拠になろう。そして、こなたははじめから関白秀次と が、どのように動きだすかを見おとしていたであろうが」通じていた謀叛人の一味にされよう。石川五右衛門のよう になあ : : : 大海原を泳ぐ気で、釜うでにされるとしたら何 「なに、、つつけ・の側 - 近ど , もが【」 「そうじゃ。そのうつけにとっては、高麗や明国との交渉とするぞえ」 助左衛門はもう一度低くうなって舌打ちした。 の、裏の裏まで見抜いている、こなたは大きな邪魔もの 四 たしかに助左衛門は抜かっていた。どこまでも戦後の日 と助左衛門は息をのんだ。 本の役に立とうとし、太閤を、話せばわかって呉れる相手 「すると、うつけ共は、又何か企んだな」 と信じきって、その周囲の者に煙たがられている点を考え 「それ、そこに大きな隙があったであろうが : : : 幼ななじ みのなじみ甲斐に、それをそっと聞かせに来てやったのおとしていた。 側近の者は太閤が彼を近づけている限り、露骨に彼に反 感を示す筈はなかったのだ。しかし、太閤が再起不能と決 「フーム」 「太閤はな、こなたを利休居士や曾呂利の無いあと、眼を定すれば間題は別になって来る。 かけて智恵袋にする気でいたのじゃ。ところが、それも病呂宋から運んで来た ~ 亞などでは、助左衛門はかなりあら : となると、太閤の命じゃと言うて、側近は思わに側近の者たちを揶揄して来た。 み呆けた : 「 , ーー如何でございます。広い世界には、さまざまな金蔓 、フままに振舞える」 「すると : : : すると、もう出たのじゃな、その企みの命令がころがっているものでござりましよう」 そして、太閤自身が助左衛門の代りに販売人の役まで勤 力」 365

4. 徳川家康 10

ハッキリ一一一口わっしゃい」 は、世を騒がそう下心 : : : そなた真偽をたしかめて参れと 「一一ⅱうてわかって呉れればよいがの。海ポケしていてわか の仰せで来たのじゃ」 「その返事ならばしたであろうが。われらが家業は船主だらぬかも知れぬ」 けではない。太閤殿下の公許を受けて米穀も商う身じゃ。 「掻ゆいぞ。早く言わっしゃい」 それが大坂第一の淀屋と組んで、家業に励むに、何の不都「私はこなたに詫び状書かせて戻りたいのじゃ」 ・ : : ? おれが、なにを詫びねばならぬのじゃ」 「詫び状・ ヘロがあるとい、つのじゃ」 「関白秀次どのに金貸したはわが身のあやまり、向後は貸 「助左どの、するとこなたは、その家業で動かす黄金が、 天下を騒がす原因になっても苦しゅうないと考えて居られさぬと私宛でよい」 るのじゃな」 「お前あてに、このおれが : 「そんなものだの」 「いやなら頼まぬ。頼まねば、北政所は太閤へ : : : 太閤は 「宜しい。それを伺えばそれでよいのじゃ」 こなたへ不届きな商人めがと仕置があろう。なあ、そうな 3 「なんだと」 る筈じゃの助左どの」 「私はその通り、北政所へ申し上げる。北政所が、それを助左衛門は忌々しげなうわ目になって、しばらくじっと どう受取られて、どのように太閤さまへ申し上げようと、 木の実を見詰めた。 げんち それは私の知ったことではない」 ( この女め、もう一一「ロ質を取りおった : 「フーム。気になることを言う女子じゃ。こなた、何か考商人じゃとて、天下を騒がすもとと知って金を貸してよ い道理はない。 えがあって、遠廻しに言葉を弄んでいるのじゃな」 「あつばれ ! さすがは助左どの ! それにお気がっかれ「おれがこなたに詫び状書くとどうなるのじゃ」 助左衛門がそう言ったときには、木の実は、眼を細めて てか」 庭を見ていた。 「おけと言うのだ ! 」 助左衛門はもう一度舌打ちして、 「薄気味のわるい女子め、今日来た目的は何なのじゃ。

5. 徳川家康 10

「わかる筈じゃ。わしは秀勝を労った。こなたは太閤を労 「これこれ、冷たい麦湯を持って参れ」 ろうとした。それで太閤は腹を立てて二人に難題を褒美に 家康は言うだけ言うと、もう、そう決定し、そう実行さ した : : : そうであろうが」 れるものと信じきった態度で手を鳴らした。 「そう仰せあれば、確かにそのような : 「新太郎、この美しい女子はの、太閤殿下から今日あしか 「それゆえ、ここではこなたを有難く貰うておく。有難く売りの褒美に頂いて米た女子じゃ。これから陣中にあるゆ 貰うた態にしてお礼に参上、その上で大政所ご病気の旨をえ労って取らすがよい」 お告げする。それで素直にご帰遠願うより他に道はあるま 鳥居新太郎はびつくりしたように木の実を見て、すぐま し力」 た麦湯を取りに退っていった。 家康はそう言って、又かすかに苦笑した。 四 「それに、われ等がどうして太閤をお帰ししようかと、苦 心している話をこなたに打明けた。万一これが洩れてみ 冷した麦湯は二つはこばれ、一つは家康の前に、 よ、それこそご帰還を承知なされるものではない。 言わ木の実の前におかれた。 ば、こなたは人質じゃの。太閤がこの地を離れて帰途につ 木の実は冷静を装おおうとして、 かれるまでの : : : これはこなた自身の招いたことゆえやむ「頂きまする」と、それをふくんだ。決して美味いとは言 を得まい 日が暮れおちたら、わしからその旨宗室には届 麦の煎り方が足りず、妙に生ぐさい感じであっ けておこ、つ」 た。やはり男ばかりの陣中のせいであろう。 木の実は突嗟に返事が出来なかった。 家康はしかしそれを美味そうに飲みながら、じっと何か 皮膚の表を虫が這いまわるような悪感がする。と言って思案している。何うして秀吉を京へ帰そうかと、それを考 家康に言われたことには隙がなかった。 えているらしい。 ここで木の実が秀吉の命に従わなかったとわかったら、 家康は秀吉にこのままこの地に居られると日本中が「船 戯れにもせよ秀吉はまた、何を言い出してくるか知れない饑饉ーーこになると言った。何か情報があるたびに兵を出 気がした。 せと言うからに違いない。むろんいま、日本中の船大工は、

6. 徳川家康 10

「言いました。確かに認めているほどに」 い。きばかりではなくて、不自然に異性を遠ざけて生き 木の実が言い放つのと、助左衛門の手が再び木の実の柔て来た老嬢の生理の反逆らしかった。 くくびれたおと力し冫イ ; 、こ中びるのとが一緒であった。 「ほ、フ、き ) からわないのか」 し」 「さ、認めた証拠を寄こさっしや、 と、びつくりしたように助左衛門はつぶやいた。 「えなんと言われる」 「さからわないとすれば、躰であやまるという意味だ」 「男の大きさを、認めた証拠が欲しいのじゃ」 そして、次にはいきなり木の実の首へ腕を巻いた。生温 「認めた証拠とは : い唇が、えり足で、頬で、おとがいで、額で : : : 到頭唇の 「男の大きさを見誤っていたゆえ、以前にわしを笑いとば上で、まるで狂ったように音を立てて吸いっき、離れた。 した。いま大きさがわかったとあれば、こなたもわしに詫 そうだ。狂ったように・ : と言うのはしかし、助左衛門 びねばなるまい」 の方ではなくて、この思いがけない奇襲にあった木の実の 「では、この木の実にも、詫び状書けと言われるのか ? 」方の感覚かも知れなかった。 「いいや、わしの欲しいのはこなたの操じゃ ! 一度でよ木の実は眼をつむってしまった。 い。それを受取って、こっちも詫び状渡してやろう。どう 以前にも、こんな愕きは一度経験したことがあった。嫌 じゃ、誤ったと気がついたら順を追うて片付けよう。一言らしいとは思っても、夢の中の出来ごとのように、躰はす でよい。この愛くるしい口で返事をしゃれ」 くみ、思考はしびれて意志のままにはならなかった。 そう言うと、助左衛門は、助左衛門の掌の上でポカンと している木の実の顔を引寄せた。 とっぜん助左衛門は笑いだした。 まだ両手はしつかりと木の実の首を捲いたままである。 十 : 木の実が、おれの女になったぞ、こりやおかし 木の実は、とっさに全身がしびれたような気がして来 傍若無人というのは、このような男を指して言うのであ 遁れようにも足は立たず、頬を張ろうにも手は動かなろう。チュッー と、またえり足で唇が鳴った。 209

7. 徳川家康 10

「お気がっかれたら、いよいよしく悠られようも知れぬ その間、秀次はまた杲然とした表情になって肘を支えら そ」 れたまま立っている。 「そうじゃ。仮りにも主君のお躰に : : : 」 あたふたと側室たちは立上った。狂風に吹き散らされる 三十郎が言いかけるのを伴作はさえぎった。 : しかも、これは、今宵たけのことではなく、 哀れな花 : ・ かいしやく 「わしは考えたのだ。もはや、われ等が、上様の、ご介錯 近ごろ毎夜のように繰返される酒宴の終点だったのだ。 みなが居なくなると、御殿のうちは広く見えた。立て連する時が来たのではなかろうかと」 まだ、太閤のお心が解け ねた燭台と、取り残された杯盤とが、火事場のあとを連想「何を言うのじゃ阿伴どのは 石田治部 させる。 ぬものと決めるのは早計じゃ。去る二十六日に、一 「よしツ、みな居なくなった。さあ来い。勝負じゃ阿伴」や、長東正家、増田長盛の三人が詰問に来られたおり、上 気がついたようにわめき出した秀次の脇腹へ、 様は誓詞を七枚書いてお出しなされた : : : それが効を奏し たのであろう、その後、伏見からは何もご苦情はないでは 「ご免 ! 」 / し、刀」 と、伴作の当て身であった。 三十郎が意気込んで反撥するのを、伴作はまた手を挙げ 秀次は声もなく、くたりとその場へくず折れた。 て制した。伴作だけが、二人と違って、深い愁いを双眸に やどしている。 「今更 : : : 誓詞など無駄なことじゃ」 伴作は、くず忻れた秀次のそばへそっと坐った。女たち 「誓詞が無駄とは何故じゃ ? を退かせた雑賀阿虎と山田三十郎の二人が戻って来て眼を 「手順にすぎぬ。ご成敗なさるまでの : : : 」 丸 / 、した。 「それが、それが、どうして阿什どのにわかるのじゃ」 ー、一一て身を 秀次の酒乱にはなれている小姓たちも、主人こレー 「重役たちが、もはや上様とご相談さえしなくなった。今 喰わして事を納めてよいとは思っていなかった。 宵も早々に取りつくろうて座を外す : : : みな見限られた証 「阿伴どの、よいのかこれて ? 」 拠とは思わぬのか」 不安そうに阿虎が言った。 259

8. 徳川家康 10

: 私も、吉野のお供に加えられましたゆ 「何の偽りなど : を画策していると思い込んでいるのだろうか : 「さ、順を追 0 て申し立てよ。こなたは何用あ 0 て北政所え、その旨言上し、いろいろ旅の心得などお指図賜りたい と思って参上致しましたので」 に召されたのじゃ」 「召されたのではありませぬ。私から、ご機嫌伺いに出向「フーム。では、最初の模様からくわしく述べて見よ。 政所には、関白とのご対面もあれば、並の用てはご拝謁も いたのでござりまする」 不気味さは加わ 0 たが、まだそのために悪戯心は萎縮しお許しない筈じゃ」 「それそれ、その事は、たしかにそう申されました。なれ きってはいなかった。それだけに木の実のからかうような ど蕉庵が娘と、申したれば : 口調はいぜんとして消えてはいない。 「会おうと仰せられたのじゃな」 「黙れッ ! 」 「はい。そして、私が吉野行きのことを話しますると、淋 と、三成は一喝した。 「こなたは、徳川どの ~ ご奉公したとは申せ、たかが町人しそうに、わらわは行かぬ気じゃと仰せられました」 の娘ではないか。それが、自分から北政所の御許へ、出向「木の実」 「よ、 し」 いたなどと馴々しゅ、つ・甲してよいと思、つかツ」 「こなた、あいまいに言葉を濁すと、吉野へは行けなくな 「これは恐れ人りました。お吟どのや、細川さま奥方など と、茶を習うていたおりから、北政所さまにはかくべつごるぞ。わかっているかの」 「吉野へ行けぬとは : 懇情を頂いて居りましたゆえ、つい軽率な口がすべりまし 「ここから出さぬ。ここには、白洲も牢もあるのを存じて た。お許し下さりませ」 居ろ、つ」 「では、やはり、お召を頂いて伺候したと申すのじゃな」 : と、申しては失礼ながら、私の方木の実は、はじめてゾーツと背筋が寒くなった。三成の いえ、出向いた : 言葉は再び柔くなっていたが、その柔さの裏には、充分怖 からお訪ね申し上げましたのに違いござりませぬ」 「何か、徳川どのの内命を受けて参ったのか。偽りは許さろしい意志が匂っている。 「治部さま、それは、何のことでござりまする。私が、北 ぬそ」 226

9. 徳川家康 10

「そう簡単に割切れるものではない。それよりも、太閤殿かった。 言い出したのが秀吉で、来ているところは家康の陣屋な 下が、こなたに難題をいいかけた、その原因から考えてみ るものじゃ」 のだ。家康に何か言い出されてしまっては、双方の話に角 「太閤殿下の難題・ : が立つ。 「そうじゃ、こなたは、秀吉の失敗を見に来たかと仰せら 「もしおじ様 : ・・ : 」 れた。むろんそれは太閤さまのひがみじゃ。しかしそのひ「よい思案があったかの」 「私は男嫌いなのだと言うても、大納言は笑うて許しては がみの裏には、今度の戦に反対だった堺衆への憎しみがか くされている」 一さるまいか」 「それはそうでござりましようとも。でも、そのために木「そうさの。女子の事となると、男は戦の時以上にこだわ るものでの」 の実が犠牲にならねばならぬいわれはござりますまい」 「犠牲になるならぬは、もっと先の話じゃ。よいかの、堺「では、きまった婿があると言ったら : : : 」 衆やわれ等に、太閤はひがみを持っておわす : : : それはわ「決った婿 : : : で済まして下さるほどなら、男嫌いでも済 むであろうが」 かったの」 「では、いっそおじ様の伜さまのところへ嫁に来たのだと 「わかりました。案外腹の小さなお方じや太閤さまは」 言うてみては 「後の言葉はいらぬことじゃ。わかればよい。わかれば、 「それは拙い。わしの伜は、こなた同様、娘に貰うた婿養 そのひがみや、憎しみに触れぬよう、どう巧みに断わるか じゃ。断わり方が巧みならば双方ともに傷はつかぬ。こな子じゃ。婿養子がまた他に嫁を取るなどとは世間に通ら しよいよもって怒らずに、断わぬ」 たが怒るほど嫌いならば、、 そう言われているので木の 怒って済むことではない る手だてをとっくりと考えねばならぬと申しているのだ。 実は泣きそうな気持で笑っていった。 腑に落ちたかの」 「ではいっそ、男嫌いで通しましよう。男に何か言い出さ 丁寧に説かれて木の実は返す言葉がなかった。たしかに 宗室の言うとおり、感情だけを昻ぶらして済むことではなれると、てんかんを起す癖がある。男でんかん : : : そう

10. 徳川家康 10

がよい絜、」 茶々や大蔵の局と同列の人間ではありたくなかった。 「かしこまりました」 秀吉の正室という名で、秀吉を母のように柔く抱き取っ てゆく 寧々のひらいて渡した手紙を、局はうやうやしく押頂い : それが、以前からすっと、いに決めている寧々の て読みだした。 生き方ではなかったか : まぎれもない秀吉の筆跡。読みにくい当て字と仮名の人 「孝蔵主、その誓書棚から、殿下のお文を取ってたもれ。 りまじったなぐり書きで、大蔵の局もまた、茶々に宛てた それを局に見せてやることに致しましよう」 寧々は、おだやかに言って、三度やわらかく笑ってみせものを何度か読まされたことのあるものだった。 ) 0 しかし、読んでゆくうちに、局の肩から指までわなわな と震えだした。 五 そこには茶々の懐妊を喜ぶ言葉も、生れ出て来る子への 大蔵の局は、まだ敵意を秘めた眼でじっと寧々を見つめ愛情も書き付けられてはいなかった。 「ーー・淀の者がまたはらんだと聞かされたが、それは秀吉 ている。 どこまでも茶々一人の 孝蔵主の尼は、音もなく立って誓書棚の上の文箱を取っの子ではない。秀吉には児はない。 て来た。彼女だけは、寧々がなぜ秀吉からの手紙を、局に子ゆえ、そう考えて処置せよ」 と、書いてある。 見せると言い出したのかわかる気がした。 いや、そればかりではなくて、次の一節は更に大きく大 今日、寧々が手紙を見せずに、手紙の意味だけを局に伝 蔵の局を驚かせた。 えたのでは、局が虚心に聞きとれまいと思えたからだ。 かえすがえすも、子の名は、ひろいと申し候べく 「局、実はの、これはこなたに見せてよいものではない」 寧々が手紙を取出していうと、大蔵の局は堅くなって、 候。したしたまで、決しておの字をつけ申すまじく、ひろ 「はいツ」と、応えた。 ひろいと呼びすて申すべく候。やがてがいせん申すべ く候。、いやすく候べく候。めでたかしこ。 「しかし、こなたの言うような噂が立っているとすれば見 せねばなるまい話はそれからじゃ。ますこれを拝見する 大こ、つ 116