: んりゅう 青巌寺の建立はとにかくとして、伏見の築城は、折りが十四人の人夫を徴し、総勢三万五千人を集めて城普請にと りかからせた。 折りだけに人々を驚かせた。 ( やはり太閤は太閤じゃ : この人数も後には諸大名の頭痛の種になるほど殖やされ 戦費のかさむうえに秀吉流の大建築なの しかし玄以は、それが秀吉の最後の虚勢、最後の背伸びていったのだが、 だから、、いある人々の眼には、これも苦しい意地に見えた。 のような気がして淋しかった。 朝鮮ではいよいよ明軍と日本軍との衝突が切迫し、八月 四 末には平壌で、沈惟敬と小西行長の休戦交渉が始まってい 秀吉はどの人間でも、人間そのものの背負わされているたし、朝廷ではまた菊亭晴季を勅使として、秀吉に名護屋 へ下向しないようにすすめて来ていた。 宿命からはのがれられないのかも知れない。 しかし秀吉は十月に至って、無理にもう一度名護屋へ下 大政所を亡くして青巌寺の建立から伏見の築城にとりか った。明将の李如松、李如相、張世爵、揚元などの大軍 かった頃の秀吉には、何か憑きものがしているような感じ であった。 が、山海関を発して朝鮮に向ったという情報が届いたの : そのひけ目を秘匿しょで、じっとしてはいられなかったのだ。 朝鮮での戦が思うに任せない : しかもそうして内憂外患の中に投出されている秀吉の上 うとして、次々に無理を重ねる結果になる : 、更に決定的な一つの大きな出来事が持上った。 恐らく秀吉は、この頃から朝鮮や明との講和の舞台を秘 再び名護屋城にあって、戦局をいかに好転させようかと かに考えだしていたのに違いない。 。しったん秀次に遣わそうと約東し苦慮している秀吉のもとへ一度淀の城へ送り返した茶々 講和を計るとすれま、、 じゅらくだい た聚楽第ではまずかった。そこで、先方からやって来る使が妊娠しているという知らせが届いたのた。 その知らせは、北政所からの書面で陣中へもたらされた 臣たちを迎える場所が必要になって来る。 しかし、それをそう感じのだが、それを見た時には、さすがの秀吉も茫然としてし そのための伏見築城なのだが、 させては面子にかかわるわけであった。 戦局の不利。 秀吉は、朝鮮へ出兵していない大名に、一万石につき一一 104
さした。 ものと田 5 っているらしい こなたは関白じゃ。関白には関白にふさわしい供揃 上人が退ってゆくと、一座へはまた茶を装った幾分かの 酒が運ばれ、人々は、なるべくさし迫った各自の運命に触えが必要じゃ。それ、寺の外はこなたを迎えに来た家臣た : 乗物は輿にするかの馬にするかの」 れることを避けながら雑談して、寝に就いたのは亥の刻ちでいつばい 秀次はまだ若い。馬に致しまする」 ( 十時 ) すぎであった。 「。ーーそうか。それがよい。では、家臣たちの曳いて来た 依然として雨は止まない。秀次は幾度か寝返りを打ちな 馬を呼んで進ぜよう」 がら、木食応其の言葉を胸のうちで味い直した。 秀次は何故かポロポロ涙が出て来てたまらなかった。こ 秀次に武人の心掛けがあれば、応其にも僧侶の、い掛けが の優しい祖母と孫の間には、あやしい権謀術数や、くどく 無ければならぬと言った。 僧侶の心掛けとは、言うまでもなく人命救助を指すのでどと釈明を要する煩雑な掛けひきなどは何もなかった。 ただ肉親の溶けるような愛と労りがあるだけなのだ あろう。 ( とすれば : : : 上人もまた太閤はわが身を助けたいと考えそう思うと、泣いても泣いても涙は尽きない。 さ、馬が来たそえ。あのように家臣たちが喜んでこ ている : : : そう思っているのであろうか ) 思いがけない絶望のふちに立って、ただ一点の光明を見なたの帰りを待っている。をへ出よや」 言われて秀次はハッキリと小田原谷を埋めている人馬の つけると、却って人間は狼狽するものらしい。今夜の秀次 声を耳にした。 がそれであった。 気がつくと窓は白んで、雨はやみ、枕はぐっしよりと濡 秀次は眠るとこんどは祖母、大政所の夢を見た。 : いや、それよりも更に秀次を愕かせたのは、 夢の中の大政所は死んでいなかった。木食応其と並んでれている : 夢の中の人馬がほんとうに寺院の周囲へあふれていること 柳の間に入って来て、 さ、こなたを迎えに来てやったぞえ。早々に帰洛のであった。 ( しまった ) 支度をな」 今までの出来事など、何も知らぬような笑顔で戸外を指秀次は飛び起きた。聚楽第を出たまま戻らぬ秀次を案じ
ゆがめて眼玉を剥いた じゃ。これをどう捌くかで世のありようは違うて来るそ。 「まずお前は、世の争いの原因は何であるかを見きわめた彼等が浪人して、貧しく街にあふれてあれば、誰が天下を 事があるのか」 握ろうといっこう騒ぎは絶えやせぬ。彼等の立身出世の機 「争いの因は慾じゃ。慾は際限のないものじゃ。それゆえ会は、天下大乱、戦国乱世大歓迎じゃ。ところが彼等に、 いったん争い出すと、収拾っかない乱世になる。こなた 侍などよりぐっと折合う、よい仕事と世界を見つけてやっ じゃとて、それをしみじみ見て来た筈じゃ」 たら事情はすっかり変って来ようそ」 「それが小さいと一言うて居るのじゃ。よいか、こなたのそ「よい仕事と、よい世界を : : : ? 」 の見方は改めねばならぬ。人間の慾の対象にするにはな、 「知れたことだ。このおれが考えて、すでに打ち出してい 日本国がちっとばかり小さすぎる。欲しいものが手に入らる手はそれなのた。世界は広いぞ ! 高麗や呂宋ばかりが ぬゆえ争うのじゃ」 国ではない。 マカオやニーポばかりが津ではない。アンナ 「大した違いはないではないか。私じゃとて、慾の大きさ ンもあれば、カンポジャもあり、シャムもあれば天竺もあ に比べて得るところが小さいゆえ争いが絶えぬと言ったのる。みな気候は暖かく、穀物などは年に二度三度と稔る楽 天地じゃ。そこへ続々と出ていって、日本人町を作ってゆ 「違う違う。お前の思案と、おれの思案はまるきり違う。 く。斬るの斬られるのと騒がずとも、大きな船を造って彼 わしはな、もう戦の無くなったおりの先の先まで見透しの地この地と交易し合ってあれば貧乏は知らずに過せるの て、でつけえ事を考えているのだ」 だ。どうだ。そうなっても、太閤が老いたの、徳川が死ん 「どんなことじゃ。一一一口うてご覧なされ」 だのと侍どもが血眼になって騒ぐと思うか。人間の慾はた 「そもそも日本国が誰かのカで統一する。平和が来ればい しかに際限はないものだが、これをころりと別の入口へ向 らぬ人間がたんと出る」 け変えてやる手もなくはない : : とわかればお前も大した 「いらぬ人間 ? 7 ものじゃが」 「そうじゃ。そこまでも考えたことが無いのかおぬしは。 そ、フ一一一口、つと、わかるま、 とでも一一「ロ、つよ、つに、助亠左 ~ 幇 世の中がおたやかになってゆけば、不要な人間は侍ども 門はわざわざ右手をのばして木の実のふくよかなおとがい 207
「いやはや、誰も彼も、何ともおかしな、ご苦労さまのもて控えていた隆西堂が、ゆ 0 くりと顔をあげた。 半俗半僧の隆西堂は、 のじゃて、人間という奴は」 それは彼の一切の感情と感懐を託した皮肉であり、嘲笑「亡きがらの始末、この隆西堂にお任せ下さりましよう であり、自分へのねぎらいでもあった。 彼は、太刀をその場に投出して一尺三寸平作の脇差をゆ誰にともなく言って返事を待った。 三人の検死は、その意味がわからなかったと見えて、暫 つくりと抜き放った。 く誰も答えなかった。 そして、摺粉木で草餅でもつぶす時のように、二度大き 「おんなきがらの始末を、やつがれに : く自分の腹へ脇差を叩き込んだ。 また隆西堂が言いかけると、池田伊予守があわてて叱咜 二度目には力が余って切っ尖五寸ほど背へぬけた。 彼は、殺生好きな悪童が、昆虫の足でももぎ取るような 「たわけた事を申すな。ここは寺院じゃ。その上われ等三 表情で、背へ突き出た刀をもう一度引きぬいた。 そして、刀をうしろから首をあて、ぶらさがるように両人、命を受けてこの場に臨んでいることを忘れたのか」 なきがら 「すると、やはりおん亡骸は、罪人としてお扱いなされま 手をかけてニャリと笑った。笑うと同時に「えっ ! 」と小 するので」 さく気合が洩れ、コロリと首は膝へ落ちた。 「あっ ! 」と、人々は息をのんだ。自分で截った自分の首「それを、その方が訊いて、何とするのじゃ」 「これはしたり、やつがれも、これより関白のおあとを追 何と、これ見よがしに、自分の膝へちょこなんと載っ おうとする者、たとえ瞬時たりとも後に残りました者に てみんなの方を見ているのだ。 これを見た人々の中に、その夜から発熱した者が数人あは、その後のことをご報告申し上ぐる責任がござります つつ ) 0 る」 そう言うと、隆西堂ははっきりと伊予守に向き直った。 伊予守は舌打ちして福島正則をふり返る。正則はあわて 雀部淡路守の風変りな自害が済むと、それまて頭を垂れてまた眼をしばたたいた。 296
めているらしい。が 、人間は誰でも死ぬと同時に何時の時 長い無明の旅じゃ」 代にも誰かがずっと生き続けてもいる。その生の半面を忘 家康はハッとして秀吉を見つめていった。 却しては、その人の生き方、見方、考え方は片輪になる。 今までこのような言葉を秀吉の口から聞いたことはなか っ , ) 0 「なあ内府、実は、わしが今日お許をここへ誘ったのは、 かすかな花の下で佗びを楽しむためではない」 いつももっと、元気いつばいに、のしかかって来るよう な物の言い方で、その裏に却って淋しさを大きく感じさせ「なるほど、では、どんなご趣向が ? 」 「わしはわしの身につけた業に徹してみたいのだ。いま世 る秀吉だった。 間では太閤が、大明征伐に失敗してやむなく又兵は出した ・ : この鉛いろに曇った空を、花曇 「どうじゃ、この天気・ が、内心では困り果てて悄然としている : : : そんな風に見 りなどと風流そうに・ ているようじゃ。いや、見て居るのがよくわかる」 「しかしこの風情もまた、捨てがたいかと」 「内府はまだ嘘つき数寄者じゃ。わしはのう、今日は内府家康は黙って肩を並べていた。まさにその通りなのだ が、それをあらわにロに出してはならなかった。 に相談がある」 「それでの、わしは、高野の木食がおだてに乗って見よう 「承りましよ、フ。どのよ、つなことで」 と思うのじゃ。その下検分よ今日は」 「お許は、おごる平家は久しからすという諺をまことと思 「木食上人の、おだてに乗ると、仰せられまするか」 、つかの」 「そうじゃ。木食は高野山の中興と仰がれるだけでは満足 「さあそれは : 「あれは嘘じゃ。奢るもおごらぬも人間はみな久しからずせず、この醍醐にも、わしに大寄進をさせたいのじゃ。あ 。それそれ出て来た れも、何処までも業の深い坊主よ : わ。神妙な顔をして義演と並んでの」 秀吉はそう言うと、自分でも急に表請を飄々としたもの に変えて出迎えた二人の方へ歩みをすすめた。 「なるほどこれは、思うた以上の荒れ方じゃ」 家康は敢えて秀吉にさからわなかった。 人間は誰もが死ぬ : : : 秀吉はいま、その死の半面を見詰 329
「淀の方は、お変りないか」 果して人間の胎児は、世間で言うとおり、きちんと十月 十日で生れるものなのかどうか。予定日の遅れる場合もあと、微かに笑 0 た。さまざまな噂は寧々の耳にも入ってい るかも計られず、そんな場合に噂はそのまま生れて来る子るらしい。それがわかっているだけに、局には寧々の微 が皮肉にとれた。 の前途を闇に塗りつぶす : 「お変りござりませぬ。順調にわたらせられまする。が 側室のことだけではなかった。 すでに豊家の後取りは関白秀次と決定している。若しま た男子でも生れて来れば、当然これは秀次側にとっても歓「何ぞあったかの」 「はい、殿下が都におわしませぬゆえ、胎のお子が哀れに 迎せぬ子になる筈だった。 茶々は日々の振舞いでは傲岸になった。しかし、側室たござりまする。殿下がおわしましたら、ご着帯の祝儀やら ちゃ、関白家には、それとなく礼を尽すことも忘れなかっ何やらと : 「大蔵の局よ」 北政所のもとから、秀吉の便りがあったゆえ、大蔵の局「はい」 を聚楽に寄こすように : : : そう言った知らせが淀へやって「それは、そなた、言わぬがよいぞ」 「これはしたり、北政所さまのお言葉とも覚えませぬ。太 来たのは五月の三十日。 名護屋では明使の謝用梓、徐一貫等を迎えて、徳川家閤殿下が、あのように欲しがっておわしたお子、それが、 康、前田利家等がその接持役にあたり、秀吉は、どうしてさながら待たぬお子でもあるかのように : わが面目を傷つけずに講和をすすめようかと心を砕いてい 「お控えなされ。そのご不満が、淀の方にはあっても、こ なたまでがいら立って口にしてはなりませぬ。殿下はご出 る最中たった。 陣中なのじゃ」 茶々はすぐさま、大蔵の局を北政所の許へ急がせた。 「と、申しても、あまりにお指図が遅うござりまするゆえ 「それそれ、その事じゃ。出陣中の出来ごとは、何によら っ】 0 北政所は大蔵の局を迎え入れると、 とっき 113
中将さまには直接お力はござりませぬ。しかしそ「お察し申し上げまする」 の背後には父君がござりまする。中将さまを通じて、大納 「わしの出家で家督が立っと決ってゆけば、家臣たちのう 言からもおロ添え賜りたい : : : そう念達をされれば、きっ ち、幾分は牢人せすに済む道理じゃ。なんで早うそれに心 とお力に・ づかなんだか : 伴作の声はいよいよ低く聞きとり悪くなってゆく 雑賀阿虎の眼からも、何時からかポトボトと涙がおち出 雑賀阿虎は、わがことのように大きく頷いて、聞こえな していた。 いところは自分の思考で補った。 決して芽出度い解決ではない。 しかし、行くも退くも出 たしかにこれは名案らしい と言うのは、秀吉が家康に米なくなった息詰るような無目的の世界から、とにかくこ 一目おいているのは世間周知のことであり、家康の子の秀れで動けそうな気がして来る。 忠が、この京の屋嗷にあって秀次と接近しているのも事実 ( それにしても淋しかろう。関白という空位を与えられた であった。 お方だけに : その秀忠を呼んでこまかく事情を打明け、父家康の助カ寝所の中では、またひとしきりポソボソと二人の話が続 2 を乞、つ : : と、なれば、これは朝廷のロ添えとならんで、 いていった。 充分力になりそうだった。 「秀忠を招けというのじゃな : また中から秀次の声であった。 考えてみれば、秀次の生涯ほど自主性のない、浮草のよ 「近ごろは、秀忠も顔を見せぬ。が、囲恭の相手と言う うな生涯も珍らしかった。 て、昼間のうちに招いたら否とは言うまい」 叔父に秀吉という不世出の英雄を持ったばかりに、彼の 「ご酒宴と、仰せあれば参られますまいが、昼の囲碁にお一生のすべてがその余波を蒙って、右する自山も左する凵 招きとあればよろこんで参られようかと存じまする」 由も許されなかったのだ : くぐっし 「ではそ、つしよ、つ。わしはも、つ ~ 及っ ) こ . ・一時も早う、こ 傀儡師の糸に踊らされている人形には元来意志がないの の苦しさから遁れたい」 秀次は、意志をもった人間に生れていながら、秀吉
そんな連想を伴うほど、それは僅かだったが、人生の深 れを柔く包んでいった。 淵をのそかす無限の暗示に富んでいた。 太閤は楽しそうに独りごちた。 家康は、息をのんで秀吉を見まもり続けた。 「これがそのかみ、太閤の花見した醍でおざるわ」 ( まだまだ秀吉は、自分には解しきれない別の一面を持っ 「ほんに大した佻め、まこと吉野以上でおじゃるの」 えん 「知れたこと。吉野の桜は役の行者小角の植えたがはじまているのだろうか : ところが、その疑間は、やり山の上まで登って、二人た り、こっちは太閤が植えたがはじまりじゃ。役の行者と太 けの帰途になると、がらりと様相を変えてしまった。 閤とでは大きさが違うわい」 しゅげんどう 「内府、心配したようじゃの」 「これはいかなこと。役の行者は修験道の開祖、さまざま と秀吉は、わざわざ家康の耳許ヘロを寄せて囁いた。 と衆生を救うてござる。太閤より小さいとは、い得がたいこ 「案することはない。ああせぬと、木食にしろ義演にしろ : その修験道もよしと、ここに吉野を移された密教の坊主どもというものは感動せぬものじゃ。わしか、 ・誰があのよう 3 が太閤、やつばり太閤は行者を助けておわすゆえ一段上それとも役の行者か ? な工事など直ぐに起すものか。今年中は戦と市街の復興で 手いつばいじゃ。やっても来年のことよ。案じなさるな」 狂言気取りでそこまで言って、ふっと秀吉はロを噤んだ 口を噤んだというよりも、自分の脳裏にわき返る夢想の中家康は完全に背負い投げを喰わされて、言うべき言葉を 知らなかった。 へ溶け込んでしまった感じであった。 うっとりして、そのまま春の薄陽に同化したのかも知れ ない。その頭上へハラハラと桜がこばれた。人々は、秀吉 のあまりに静かな姿を見て、却って不安を掻き立てられ 考えようによれば、秀吉は、家康を揶揄する気で、三宝 」 0 院へ花見に伴ったのだとも言えた。いや、揶揄する気では ( 偉大な足跡を残して一人の人間が、ここでこのまま大往なく、それは、やはりどこかで家康を圧倒しなければ居ら 生を遂げるのではあるまいか : れない秀吉らしい気性の現われと見る方が正しいのかも知
来る伏見城へ移って、太閤と共に住まうからで、やがて関はない 白の住まう聚楽第の方も、この二人のためにこわされるこ の前でも倣然とそううそぶいた とになるであろう : : : そんな噂がたった七月末に、家康は わしは家康に偬れたのよ。男はのう、惚れた男のた 聚楽第内にある徳川家の屋敷で、わが子の秀忠と、茶屋四めに、」 不害を忘れて働くものだ」 郎次郎、それに木の実の堺の局の四人で、さっきから夏の そして今でも太閤の名が出ると口をきわめて罵るのだっ 茶を喫していた。 少なくとも、家康までが、秀吉を立てて行っている今の 世で、秀吉を罵倒しつづけているのでは、お目見得以上の 茶屋四郎次郎は、家康の留守中も、京にとどまっている大名に取り立てられる筈はなかった。 秀忠こ、、。 しせんとしてさまざまな情報提供者であり、各「ーー・・石川数正めは、信州松本で城持ちの大名になり下が 家、各層の間のとりなし役をつとめていた。 った。ほんとうの男というのは、暁の星よりも少ないもの その茶屋四郎次郎が、今日は、上総の小磯にあって老後よ」 を養っていた本多作左衛門の死を知らせて来たのである。 その述懐の意味は、茶屋自身にはよくわかると四郎次郎 作左衛門は、あれから、下総結城の城主にあげられてい は一一「ロった 0 る家康の次男で秀吉の養子になった中納言秀康附きを命じ 「心の中では、ずっと、石川どのと意地比べを続けて居り られて、わずかに三千石を給せられていたのである。 、よしたよ、つで」 世間では、この老人の頑固さが、家康にうとんじられ、 家康は、大きくうなずきながら、そのことには、それ以 上にふれないようにと、眼顔で合図をした。 到頭大名にもなれなかったのだと噂されている。 秀忠には、数正と家康の間の黙契も、作左と数正の心の しかし内実は全く逆であった。 竸いも知らせてないことなのだ。 「ーー、大名になりたいためのご奉公であった」 そして、それ等は改めて知らせる必要のない、或る時代 そう言われることを何よりも作左は嫌っていた。 「ー - ーわしは、自分の出世や封禄のために働いて来たのでの地殼の裏に秘められた哀しい人間の意地にすぎない。 っ ) 0 234
があるそうじゃが、聞かなんだかの」 「さあ、そのような儀は : 「よしよし、聞いて 7 わよい」 と、秀吉は一軍からの編成表を家康の前にひろげさせな 御とまり掟 この、っちがら、 一、御膳は本膳に五品、二の膳三品、御汁三品、 精進一品。右たかもり、金銀の器具かたく停止候也。 「わしとても満更のたわけでは無い。こんどの事が、どの 一、御はなし衆三十人。茶五品。 この内汁二品、汁の内一ような難事かは心に刻んで居る。それなればこそ、堺の者 ロは姚相進のこと。 共は言うに及ばず、パテレンどもの意見も数百人にわたっ 一、女房衆三十人、右におなじ。右掟より結構 ( ぜいたて聞いて居る。いま、大明国をわれ等の手中に納めておか く ) 仕候わば亭主曲事たるべし。又人数書立てのほかにぬとの、ヨーロッパの諸国がこれをわけ取りして、大明 どれいせん 給り候ものも曲事たるべく候也 も高麗も日本も、南蛮人どもに鞭打たれて奴隷船に乗せら 天正二十年正月五日 れる時がきっと来る。その先の先を見越しての催しなの 太閤朱印 すでにこの時、秀吉は関白を秀次に譲って太閤と称して「 : 「大納言にはわかるであろう。人間にも運命の消長はあ 「どうじや大納一言、これだけ節倹を命じておけばよいであり、天地にも昼夜はある。それと同じように民族にも春と ろう。わしはお身と違うてみなに贅沢じゃと思われてい 冬との区別はある筈じゃ。言わばいまは日本人の春、この る。わしの機嫌を取るつもりで、大切な向後の軍費を無駄春のうちに先々のことを考えて、よい種を蒔きよい根を張 きようおう らせておかねばならぬ。いずれわかろう、この秀吉の思案 使いさせては成らぬ。みなが饗応を竸うようなことになっ がの」 ては無意味じやからの」 家康は目を編成書の上へおとしたままで、ふと笑いたく そう言うと秀吉は眼を細めて笑った。 「世間には、わしの今度の催しを太閤の大早計と申すものなる自分を警めた。 にしていった。 2