前田 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻
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1. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

片桐且元、続いて前田利家、足利左兵衛督義代、宇喜多中 をうばい、それからはじめて前警固であった。 この露払いといわれる前警固は、右に浅野左京大夫幸納言秀家、江戸中納言秀忠の順で続いていた。 上杉景勝は代理人として直江山城守を参列させ、政所は 長、左に黒田甲斐守長政の双方が、それぞれ五百人宛の家 臣をしたがえて立ち、つぎに寺沢志摩と毛利河内守が並その山城守のつぎに侍女百五十人を従えて見る人々の悲し みを誘った。 び、続いて長曾我部土佐守と島津兵庫守の順であった。 政所のつぎが淀の君 : : : これは侍女の数を百にとどめ とにかく、棺前の大名七十五名、棺後が七十八名で、そ れぞれ三百から五百の家臣を従えて付き従っているのだか 行列が大仏殿に着くと勅使が待っていた。勅使は菊亭右 らその人数だけでも偉観をきわめた。 おそらく総数は六万を超えていたに違いない。 大臣、副使は広橋大納言であった。 がんどう 中央をすすむ五大老では毛利輝元が先頭で、つぎに織田 こうして、金銀珠玉をちりばめた龕堂八方造りの豪華を 家のあと取りの岐阜中納言秀信だった。 きわめた棺が、一握りの秀吉の遺骨をのせて、大仏殿の東 徳川家康は秀信のあと、導師木食上人のすぐ前に五百人に建てた引導の場に安置されたのは、もうあたりが白みか の旗本と四人の大名を従えて続き、木食上人と六十人の僧 けた朝であった。 侶のつぎに、堀尾吉晴が、故太閤の太刀持ちとして棺に先 この大葬儀の奉行は、まっ先にここへ到着した黒田甲斐 立った。 守長政と片桐主膳、飯尾豊後守の三人で、三人が案じてい 右に白虎旗、左に青龍旗を立てた八方造りの棺の豪華さ た天候はまず心配なさそうであった。 は、見送る人々に生前の秀吉の生活をほうふっさせた。 棺を乗せた八方輿をかつぐ人数が二百十六人。 これを照らす両側の高張りが二百挺。 前田利家は、行列の後尾が着き終って、木食上人の引導 すじゃく 棺のうしろの朱雀旗には、肥後守となった加藤清正が付がはじまるころから、しきりに胸苦しさを覚え、涙がこば れてならなかった。 き従い、日月旗には金吾中納言秀秋が付き添った。 かって、秀吉は、これに劣らぬ盛大さで、信長の葬儀を 続いて中央を幼い嗣子の秀頼がすすみ、秀頼のそばには こ 0 かみ 201

2. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

それにしても、この西の丸に家康を人れることに、三つ の執念が付きまとったという述懐は、何という緻密で、謙 澄で悲しさを押えた説き方であったろう。 ( なるほど、これで家康も反省させられ、治部も眼が覚め るかも知れぬ ) 治部の眼を覚すためには、長政も真剣に働かねばならぬ という気になった。 ここは近江国大上郡佐和山城を北にのぞむ正法寺の本堂 あらが ) っ一」 0 ( 家康には抗い得ない : 隠居せよといわれたら、そのまま引退していって、前田 境内の銀杏の葉の黄ばみだしたこの寺に、今日、何の前 利長にも、それとなく高台院の意のあるところを説いてお ぶれもなく馬を乗りつけた石田三成と、石田家の筆頭家老 島左近勝猛とは、挨拶に出てきた住持も、あわてて茶を運 なっしょ ここで治部に騒動を大きくされると、高台院のいうとおんで来た納所も遠ざけて、無心にあたりの秋色に見入って いる。 り、太閤子飼いの人々が、四分五裂のうえ血で血を洗うが 「構うて呉れるな。あまりに天気がよいのでな、遠乗りに おちであり、その結果はいよいよ豊家の力を弱める : 出てきたまでじゃ。ここで暫く、そっと休ましておいて呉 長政は、しばらくわれを忘れた自間自答のあとで、 れ」 「夜が明けました ! 」 三成のいうあとから左近もまた言葉を添えて、住持を引 いってしまってびつくりした。まだ日は皆れ落ちたばか りではなかったか : 退らせた。 「このひろい境内に人気のないのが殊によい。みな退って 呉れてよいぞ」 供はわずかに七騎であったが、 それも山門の西側に開け た杉林の中に馬を繋いで、主従のそばには誰もいなかっ 309

3. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

れましたか」 「お袖さまは : ・・ : そ・・・・ : そ・・・・ : それでも、高台院さまは敵 作左衛門はドキリとした。 ではないとお思いで : : : ? 」 ( これは言葉に気をつけねば : : : ) 「安宅さま、こなた様は、何か迷うておいでのようす 「お袖さま、殿のお考えより先に、この作左の考えを申上じゃ」 げまするが、お許し下されましようか」 「その方が、よいとお考えならば : : : 」 「思うことを別につつんで、思わぬことを口にする。それ 「この作左の見たところ、高台院さまは、すでに殿の敵にではご自分もお疲れなさろうが、私も困るばかりです」 「な : お廻りなされたと思いまする」 : なるほど」 「その理由は ? 」 「あれこれと思い迷わず、思うことをゆうて下され。私も 「加賀のご後室まで動かして、前田さまご兄弟に殿のお味気楽にお答え致しますゆえ」 方をせぬようにお取計らいなされた、その証拠を見たから ( もう完全に手の内を見られている : : : ) でござりまする」 そう思うと、安宅作左衛門も居直るよりほかになかっ 3 お袖は格別それにさからわなかった。こくりと静かに頷た。 「これは心外なお言葉、私よ、、 をしまあなた様に、高台院を いて、つぎの作左の言葉を待っ姿勢であった。 敵と思うか、味方と思うか、それをお訊ね申しているので 十三 ござりまする」 作左衛門は腋の下からタラタラと汗が滴りだした。高台「それならばこうお答え申しましよう。私は高台院さまは 院は殿の敵 : : : そういえば、当然相手はその言葉につられ知りませぬ。が、殿のことならば存じています。もう少し て何かいい出すものと予期していた。 殿のお役に立とうと思うて、高台院さまのお側へと、申出 たのでござりまする」 ところが、その通り : : という意味であろう、軽く頷い ただけで何もいわない。そうなると、作左の思考も口を塞「といわっしやると、お側にあって、いろいろ殿のために 情報を取ろうといわっしやる」 がれ、何をいってよいのかわからなくなって来る。

4. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

瞽を臂みきって、またタラダラと辺に証っ糸を引きだし「何い : : : 扣が、崩れたのでござりまするに」 「く : : : 崩さぬと申すのじゃ ! 崩してよいものかッ ている : 力すでに窓はほの白 まだ夜は明けきっていなかった。 ; 、 くなっている。そのため却って燈台の灯は冷く沈んで、あ「まあ : : : 」 ようき いや、死 : 利家は、死ぬまで武人じゃー たりは殺気というより身の毛のよだっ妖気の漂いであっ ・ : 死んでも武人じゃ」 ようぜん ( これは、わらわの方が、夢を見ているのではあるまいか阿松は疑然として息をのんだ。利家が何をいおうとして いるのか、四十年近く連れそってきた阿松の胸へ、はじめ そう錯覚させるに十分なほど、鬼気迫る利家の形相だってピーンと通って来た。 恐らく神にも仏にも屈するものかというのであろう。人 にも弥陀にも縋るものかと、最後の気力をふりしばって、 「南無阿弥陀仏 : : : 南無 : : : 」 夢では無いと確かめて、阿松がもう一度唱名しながら利執念の鬼になって死に対しているのであろう。 「あ ! 」 家の肩に手をかけると、こんども利家は狂ったようにその と、阿松はまた一膝あとずさった。 手を引きはずした。 利家の手が、ついに新藤五国光の柄にかかっていたのだ もう張り裂けそうな凝視は阿松の上にはなくて、焦点の わからない虚空に凍りついている。 ( 抜く気らし い ! 刀を ) 「もし、何となされたのじゃ。そのような怖いお顔をなさ そう思うと、さすがに阿松もすぐには言葉が出なかっ れて : : : 」 けんこう 利家はそれが聞こえているのかいないのか、瘠せた肩胛 腎をぐっと右に下げて何かに謡め寄る形になった。 「ま : : : 前田、と : ・リ家ほどの男が・ : し : : : 死に面し て、おのれの姿勢を崩すとは : ) 0 結局人間は、何ものかに縋ってみても、縋りきれない不 233

5. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

っ ( これで、家康はうまうまと、わしの才覚の罠にかか ( これで安心して都があけられる : : : ) 秀頼と淀の君と、前田利家 : : : これをしつかりと味方のた。博多で、自分が先に引きあげてくる諸将に会えるとい 陣営に結びつけておかなければ、三成の豊家に対する忠誠うのは何という仕合わせであろうか。そこでひと足先に諸 将の胸に暗示の杭を打ち込んでおきさえすれば、その杭は 心の目標はあとかたも無くなるのだ。 この三つをしばりつけておくためには、淀の君の妬心の後々までも利くであろう ) 三成は評議が終わると、活々とした表情で大奥へ淀の方 敵である北政所が、幾分家康に接近したとてやむを得ない をたずねていった。 ことであった。 いや却って、それを口実にして、淀の君を一層強く牽制 七 しておくことさえ出来る。 話はそれから、引揚戦に要する馬糧のことになり、食糧淀の方は、何か憑きものがしたようにはしゃいでいた。 調達のことになった。 自分でもおかしい気がする。 葬儀は二月末、それまでに三成は、三成に反感を抱く諸 ( 今日は太閤の初七日ではないか : 将の懐柔に全力をそそげばよい。 しかし、喪にあるような悲しみを見せてはならないとい 何といっても秀吉子飼いの人々なのだ。遺孤秀頼をふりわれている。それでわざとはしゃいでいるのだろうか ? かざし、家康の野心をあばいてゆけば豊家にそむけるやか そう自分に間いかけてみると、あわてて顔をそむけて、 らではない。 ペろりと舌を出すもう一人の別の女が自分の中に棲んでい る。 「これで、すっかり腑におちました」 その女は、今日阿弥陀ケ峰で、太閤の遺骸が一片の灰に 三成は評議の終わる頃には、人が変わったように圭角を 無くしていた。 なるのをよく知っていた。 ( もうあの痩せほうけて、異臭を放っていたみすばらしい 「これで初七日も済みましたれば、ご遺骸を火葬に附し、 若君さまにお目にかかって、すぐさま博多へ出発致します老人は、これですっかりこの世から消えうせる )

6. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

登城するとすでに前田利家が先着していた。 五大老のうち、上杉景勝は領国の会津にあって居会わさ 「治部少輔の意見では、太閤の命を受けて、われ等大老ど ず、宇喜多秀家、毛利輝元の両人はまだ来合わせていなか もが連署の召還状を認め、それによって現地へ使者を派遣 った。或は三成は、秀家や輝元は問題ではないと考えてい したいといわれるが : るのかも知れない。 先着していた利家は、これもあまり健康がすぐれず、ひ 万事に控え目な利家は、用語のすみずみにまで人柄をに どく冴えない顔いろで、眼の下に幾分むくみが来ている感じませて、 じであった。 「この事は、ご遺託もあれば、まず内府にご相談致すのが 順 ~ 斤と心得ましての、つ」 「内府、とうとう、太閤に先立たれましたわ」 家康は大きくうなずいて、三成に向き直った。 利家はそういうと、そっと指で眼頭をおさえながら、 「わしに代われるものならばのう」 「五人のおとなのうち、上杉どのは不在、さすれば四人の と、震える声で微かに笑った。 連署となろうが、・それでよかろうかの」 「ま」とこ、、、 こ寿命とは申せ、痛ましい限りでござる」 「仰せの通り、内府と大納言のお取り決めとあれば、われ 「ただいま奉行衆から話がござったが、高麗での戦の始等より、毛利どの、宇喜多どのにはその旨通じてご承認を 末、いちばん、いにかかっておわしたと見え、わが死をかく 得る所存」 して、早々に召し返せとご遺言があったそうな」 「それでよかろう」 家康は大きくうなすいて、 何時もはなかなか自説を口にしない家康が、今日は意外 「ご遺言とあれば違背はならぬ。早速に取計らわねばなり なほどにハキハキしている感じであった。 ( すまい」 三成はそれを汕断出来ないことに思う。この前、ひそか 同座している三成は、生前太閤が永徳に描かせた牡丹の に訪れたおりには、三成の方寸と殆んど同じことをいって 天井絵をさり気なく見上げている : , だったが、果たして今日もそれを曲げすにいるの か何、つ、か

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は済して、なまぐさものの謄が供えられまするか」 三成の声には他の三奉行を、否応いわさぬひびきがあっ 「この三成には、それだけは出来申さぬ。むろん考えなか ったのではない。考えて : : : 考えて : : : ただ一つ、若君以 「豊家の栄枯を分っほどの意味 : : : 」 下のご心情を思うてご遠慮致したことでござる」 浅野長政は小首を傾げて増田長盛と顔を見合わせ、 一座はシーンと水を打ったように静かになった。弁巧で はとても長盛は三成の敵ではないと思ったのか、いぜん眼「それは大した鯉じゃ。承ろう」 「由・し上げよ、フ」 のふちを赤くしたまま中庭を睨んでいる。 「これは、まだそう容易にご納得はゆくまい。では、ここ 三成はひびきのものに応ずる気魄で、 で三成が心情、くわしくおのおのに申し述べよう。われ等「それがしが改めて申し上ぐるまでもなく、太閤殿下の御 がこの鯉の振る舞いを、おのおの方は小細工と思われよ薨去は、これを受け取る意味に二つござる」 「受け取る意味に : 「そうは思わぬ。そうは思わぬが、現に、お届け申した鯉「いかにも。その一つは天下人の薨去としてであり、もう 一つは豊家のご当主の死としてでござる」 を、徳川どのなどは、生命を助けつかわすほどに殿下のご 三成はそういうと、果たして他の三人にそのこころが通 平癒を祈れよといいきかせて、泉水へ放たれたとあるでは ずるや否やを探り出そうとするかのように間をおいて、 ござらぬか」 浅野長政がいうと、三成ははげしく舌打ちしてそれを押「天下人の死と受け取れば、当然、次の天下は誰が握るか ということとなり、豊家ご当主の死とすれば、豊家を継ぐ えた。 「困ったことじゃ。それゆえ。この三成はわざわざ鯉をお者は誰かとなる」 のおのにまですすめるのじゃ。この鯉こそは、豊家の栄枯「お言葉中ながら、その分け方はちと : を分っほどの、大きな意味を持っ鯉なのじゃ」 前田玄以が口を出すと、三成ははげしく首を振ってさえ ぎった。 2

8. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

「今にして佐渡は、上様のご先見に改めておどろき入 0 て「はい。誰が考えても実力で上様に及ぶ者はない」その の道理が、石田治部少輔にはわからぬのかと歯痒ゆい気が いるところで、こざりまする」 するのでござりまする」 「今にしてとは : : : 何のことじゃな」 「佐渡よ」 「関八州ご移封のおりのことでござりまする」 「十、ツ し」 正信は縁に立った家康のわきに片膝ついて、 「そなたの感慨は的はずれじゃ。それよりものう、浅野長 「あのおりには、さすがの上様も太閤にカ負けなされたの ではあるまいかと存じました。何しろ営々と経営に励んで政が、鯉を携えて参ったら、この居間で、会うとしよう」 「このお居間で : : : で、ござりまするか」 来られた駿・遠・三の旧領を召上げられ、荒地にひとしい 関東に移されたのでござりまするゆえ」 「折角隣屋敷の庭木の梢から見張っていて呉れる。ここへ 通して、ただ鯉の礼だけゅうて浅野を帰そう。さすれば、 家康は、黙って小鳥の声に聞き入っている。 「ところが今日では、あのご移封が大きくものをいうこと浅野がわしに追従すまいかと気にゃんでいる治部の妄念が になりました。少しく気を静めて考えれば誰にもわかるこ薄らごうでな」 「上様 ! では上様は、今後もずっと三成にそのようなお とでござりまする。上様のご実収はすでに二百五十万石 : ・ : その上様を押えさせようとして配置した上杉は百三十一一気がねを : : : 」 正信が語気を強めて家康を見上げると、家康は黙って室 万石といいながら実収はその半ばにも及びませぬ。上杉の 次の毛利はせいぜい百十万石 : : : あとは前田の七十七万内へ引っ返し、鳥居新太郎の直したしとねに坐っていっ 石、島津の六十三万石、伊達の六十一万石と : : : 上様に比 肩出来るほどの者は一人も居りませぬ。大したものでござ 十 りよする」 「佐渡」 「佐渡、そなたはわしが、治部の機嫌を取っていると思う のか」 「そなたは、何をいおうとしているのじゃ」 家康は、坐ると同時に、新太郎の差出す茶を受け取って

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三成は、やはり自分の意志で家康に接近しようとして来 言にそむいて、太閤の薨去をわしに知らせ、浅野や前田を たのではなかった。それにしても北政所の言葉はまた何と 裏切って、わしにまえもって鯉の秘密を打明けた : い、つはげしさであろ、フか。 相」灰るよ、つじゃの」 恐らく息をひき取る場に呼び出されなかった怒りも加わ 言葉は柔らかかったが、これ以上に痛烈な皮肉はなかっ ってのことであろうが、それ以上に、良人の密葬当日、城 た。案のごとく、三成の額はサッと一度に蒼白んだ。 内で大鯉を煮て食わせるなどという小細工が、たまらなく 「それには、 ~ 爭住Ⅲが、こざる」 「ほう、いかなる事情か、うけたまわっておきたいものいとわしかったからに違いない。 「そうであったか。それならば家康も、いよいよ虚心にお カ添えをせねばなるまい。して : : : その他に太閤のご遺言 「申し上げまする。これは北政所さまのお指図でござる」 「なに、北政所が、太閤のご遺言にそむけといわっしやっ そういった時には、家康も、何か全身の力が抜けてゆく たカ」 ような気がした。 「北政所さまは、ご終焉の場に居合せなんだので、それが このよ、つに、本井平さ ( 太閤は、自分の死後を、この男に、 し、ご報告かたがたお願いに罷り出ました」 れると思っていたであろうか : 「北政所にお願い : : : とは ? 」 「城内で、わざわざ鯉の賞味で喪を秘している折りに、政 五 所さまに髪でもおろされましてはみなの心労も水の泡 : それでお願いにまかり出ましたところ、この儀は、奉行ど 「ーー、 - ・死人にロなし」の俗語が、これほど露骨に利用され もの計らいたけでは心もとない、早速内府に打明けて、ご 息をひ たのでは、北政所ならずとも怒りだすに違いない 協力を仰ぐよう : : さもなければ、この場で髪をおろすと きとるおりの太閤に、ロの利けよう筈もなく、もし三成に 申されました」 どこまでも故人の意志を尊重してゆく心があったら、淀の 家康は思わず固く思をのんオ 大鯉どころか、ます虚、いに、五大老、中老、五奉行などに ( これでわかった ! ) その死を告げて善後策を協議するのが順当であり礼儀であ ) 0 2

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、こまころび けるになっていたのだ。しかし、家康はその不審な言葉家康に間い返されて、三成の唇はまた微力を のかざりを責める気にはなれなかった。 「大往生とうけたまわって、せめて、心が軽うなる。し 「いかにも。そこで奉行どもは相談のうえ、洛東阿弥陀ケ て、死後のことは、あれこれお指図があったであろうな」峰の密葬場へは、木食応基と前田玄以の両人だけでお供す むろん指図などあろうとは思われず、あったといえば、 ることになりました」 それは三成の意志と、知っていながら訊ねていった。 「ほう、世間はそれで怪しむまいかの」 三成はさすがにホッと吐自 5 した。 「むろんそれへの用意も致す所存 : : : 世間へは、大仏の修 「いかにもござりました」 築とふれさせて、ささやかな社殿と墳墓を作らせておきま する」 「それを承ろうかの」 「申し上げましよう。喪は、全軍が、高麗から本国へ引き 「なるほど、それで淀川の大鯉となったわけか」 あげ終了まで秘めること」 「仰せの通り、浅野長政、その申合せに従うて、内府のも 「、こもっともじゃ」 とへも大鯉を持参致しますれば、密葬の相済みまするま もくじきしようにん 「遺骸の儀は、高野山の木食上人を導師として、洛東阿弥で、何事もご存知なかった態にしてご賞味おき願いたい」 家康の眼は再びギロリと大きく光った。 陀ケ峰に密葬のこと」 ( 何という小細工 : ・・ : ) 三成はそこまでいって又声を低めた。 「但しこの儀は、五奉行以外には洩すなとのご遺言にござ その非難はしかし口にすると、少々の間答では収拾っか 、り・寺した」 なくなりそうだった。相手はこれを意識の無かった瀕死の 家康の眼がはじめてギロリと光っていった。 人の遺言 : : : と言い出しているのだから : 「すると、お許たちもご城内で、みなみなその鯉を食膳に 四 のばすわけか」 「治部どの、するとお許はご遺言にそむいて、この家康「大事の前でござれば」 「詒部どの、それはよいとして、するとお許は、ますご遺 に岬刻薨去を知らせにられたといわれるのか」 っ ) 0