生きものじゃ。また、まるまる疑うて、愛憎も黒白も〈 一一一成の方でも、どうやらそうした家康の心の動きは感受い しているらしい。或いはここで一度家康を怒らしてみたら ッキリと割切って生きたい生きものじゃ。 ; 、 力さて : ・ : ・人 : そんな事を考えているのかも知れない。年齢の相違もの世はそのように信じきれる人、憎みきれる人 : : : など あって、太閤の生前から「律義な大納言 , ーー・」「律義な内と、明白にわかれてあるものではない」 「では半信半疑が人の世の姿 : : : 三成に対する内府のお心 府ーーー」で通り、日増しに人望をあつめつつある家康が、 三成にはたまらなく不潔で狡猾な古狸に見えてならないらもそうだと仰せられまするか」 「それはお許自身の心に訊くがよい」 きびしくいって、家康はちょっとホロ苦い悔いを覚え ( いまに見よ、その化けの皮をひんむいて見せてやる た。まだ、そこまでわかる相手かどうか 今も家康の顔いろが変わりかけたのを見ると、三成の唇 辺には却って冷たい微笑がたたよいだしている。 しかがでござろう、北政所さまは、内府をお信じなされ ( 口に毒を持った男だ : : : ) ておわすのであろうか、それとも警戒なされてのことであ それが才気に任せて不遜な探りを人れて来る。といっ て、ここで怒ってどうなろう。それでは自分もまた三成と ろ、つか」 おなじ未熟さになり下る : : : 家康は辛うじて怒りを押えて 家康はそっと左拇指の爪を噛んオ まず唇を噛み、それから爪を噛むことが、近ごろの家康説得にかかった。 「治部どの、世の中にはの、まっ白な人もなければまっ黒 の怒りの表現の最大なものであった。 な人もないもの。したが、 女子供は無理にそれを決めてか 「治部どの、これは双方の意味があろうのう」 三成はニャリとしかけて、またきびしく眼を据えた。 かりたいものじゃ。北政所が、もしハッキリと家康は敵と 「すると、北政所さまは、内府を半ば信じ、半ば疑うておか、味方とか仰せ無かったとすれば、それは女性として群 わすので」 を抜かれた分別のあるお方 : : : 半信半疑でよい。半信半疑 「いかにも。人間はのう治部どの、まるまる信じてゆきた なれば、あとの備えも抜かりもなく、もし間違っても誤り 」 0
でば、おのいうとおり、ここで勝を度外視した無謀「お袖には、ぞれも見えるというのじゃな」 の戦いに突入してゆくべきときであろうか 「仰せの通り : : : 殿は、寄ってたかって、指を切られ、脚 を切られ、膝を断たれたそのあとで、太閤のご恩を忘れ、 と、またお袖はひと膝すすめた。 秀頼さまの幼いのをよいことに、天下を盗もうと企てた奸 1 一くいん 「まだ迷うておわしまするなあ」 悪むざんな謀叛人 : : : そう極印打たれて、誰かの手にかか かひ それは、小児を揶揄する意地わるい下婢のような語調でるであろう」 あったが、三成はそれすら反撥を感じなかった。 お袖はまるで他人ごとのように淡々といってのけた。 「いかにも迷うているらし、。 しこなたも田 5 、フままを口にす るゆえ、わしも偽らずに答えよう」 おかん 「殿、このお袖は、この世でいちばん戦を呪い、戦を憎ん 三成はプルッと全身へ悪寒が走った。 で生きてきた女子じゃ」 またしてもお袖は鮮烈な太刀を振って、三成の住む天地 「それはわかって居る。こなたの悲運は戦のせいであったを断ったー いや、すでにこれは息の根をとめる刺刀の一 と思い込んでいるのじゃ」 刀なのかも知れない。 「そのお袖が、殿のためには戦もやむを得まいという : 「すると : : : お袖は、わしに謀叛人の悪名を取らせたくは おわかりなされませぬか」 ないというのか」 三成は人が変わったような従順さで、 お袖は歌うような声で答えた。 「わからぬ。思うたままをゆうてみよ」 「少しはおわかりなされてか ? 」 「わかりかけた : 「戦はいやじゃ。戦は憎い ! でき得ることなら国許で、 : こなたの眼に映った、 一人の性急な人 静かに風月の友とおなりなされ : : : そういいたいところな間の運命が : れど、ゆうて聞くお人ではないー とゆうて、このまま大「そのようなことではない。殿はまだまだ迷いの中から抜 坂にとどまっているうちには、殿はどのような末路に近づけきれぬ」 くかご ~ 行知か」 「というわけは ? わしは今、生まれたおりの嬰児のまま とどめ 197
見抜いていなければの相談にはあずかれず、見抜き言致すほどの自信はない。し ' : 、、 すぎると、絶えすどこかで疑われる。信長は、竹中半兵衛しよう」 の戦略家としての能力を高く評価していながら、ついに彼「この事とは ? 」 を生涯大名にもしなかった : : というような例はざらにあ「つまり、わかってお味方するにせよ、わからぬままに戦 つつ」 0 う肚づもりにせよ、これで、会津百二十万石は無事には済 まぬ。内心はとにかく、上様が秀頼さまご名代として上坂 「さきほど上様は、景勝には抱ききれぬほどの器か、さも せよと請じた命令を拒んだ罪は免がれ得ない」 なくば : : と、申されましたの」 「なるほど : 「いかにも仰せられました」 「仮りに直江山城が上様のご腹中を読みとり、日本国の安「その意味では、長老の手紙に書いて遣わされた、これが 泰のためには、ここらでそれとなく上様をお助け申すべき上杉家存亡のわかれみち : : : という一語は、きびしく生き だと思案し、その果てに、上杉征伐の口実を与えようとてて来る。たとえ一戦を交えすとも、秀頼さまの命により、 6 またもの あの手紙を認めたものならば、まさに、これは陪臣にある上様の軍勢を出させたということで、まず軽くて百万石は 3 フィになろう。してみれば、この手紙は百万石の代償を払 まじき大器量人 : : : したが、そうばかりとは決められぬ。 たんか まことに腹を立てて書いたのかも知れず、あるいは、お味わせられる証文といってもよし、百万石の啖呵とゆうても 方のごとく匂わせて、わざわざ奥州まで兵を出させ、そこよい。主家に百万石の迷惑をかけて一時の快をむさばった で散々に叩 こうという肚かも知れず、そうなると、俄かに 男 : : : となれば、直江山城守はまずもって忠臣とはいわれ は決められませぬ」 : 上様、このあたりまでより、私には説明がなりか 「なるほど、その手も十分にござりまするなあ」 ねまする」 「それゆえ、上様は、山城め、わしの肚を読んだと思うが 正信は巧みに話を脱線させて、ペコリと頭を下げていっ どうじゃと、先刻仰せられた 十五 「それがしは分っては居らぬと見まするが、むろんそう断 く オカこの事だけは申せま
「かしこまってござりまする。では尼どの、これで」 縁談まで取り決めなされてお眼を瞑られたのだ : そのいきさつが整然と腑におちると、なるはどこれは筋清正が一礼して立ちあがると、入側に睡っているかに見 道の上からも、家康と事を構えてはならないことがよくわえた孝蔵主が、音もなくあとに続いて見送った。 寧々は一人になると、もう一度ホーツと大きく吐息をし かる : 「われ等のなすべきことがはっきりと分かり、眼の覚めたて眼をつむった。 これでよ ( よくそ大納言はそこまで決心して呉れた よ、フな清々しさでござりまする」 と、正はいっこ 0 寧々には、家康の気宇の大きさはよくわかっている。利 「今後われ等に出来得ることは、どうして若君を、日本一 家が、病をおかして往訪すれば、家康もまたそのまま礼を の器量人に育てあげるか : 「その事じゃ。そのために、ここでは家康どのに、秀頼ど返さずにおく人ではなかった。いや、そうさせてこそ、秀 ののもり役でもある利家どのへ、ゼヒとも答礼しておいて頼は諸侯の眼に、両者に尊重される豊家の主に映じてゆく のだ : ・ 欲しいのじゃ」 「よくわかってござりまする。若し内府が、身の危険を思 うて逡巡なさるようであったら、そのおりには、大納言を 寧々は、孝蔵主がまた音もなく引き返して来るまで、静 送って参ったわれ等三名、内府のご守護も引き受けます かに珠数をつまぐりながら動かなかった。 「おお、それがよい。そうしてたもれば、家康どのも、安清正の去った居間の空気のさびしさで、急に寒さが肌に 返った感じであった。 心なされてきっとお引き受け下さろう。それがよい」 「では、これでお暇申し、早速、浅野、細川の両氏にこの秀頼が大坂城の主として、伏見からやって来ると聞く 旨告げておきまする」 と、さっさとこの西の丸に移って、本丸の大奥は、あっさ りと淀の君に明け渡した寧々であった。 「よくよく事をわけて話してたもれ。誤解のないようにな 決してご生母としての淀の君に遠慮したのではない。 あ」 175
ら、あとは家康の思いのまま : : : その巧みにしつらえた罠三成はわなわなと全身を震わしている。もしここで彼 の中へ、太閤子飼いのバカ者どもが、到頭三成を追い込んに、彼自身の「覚悟ーー」が、何であったかを想起できな かったら、恐らく家康に擱みかかっていったであろう。 でしまったのだ : : : そう思うと、家康の鈍重な猪首にのつ ( そうか。すでに勝敗は超えていたはすだった : た顔が、そのまま神の像に見えた。 その想いが危く狂暴な血の逆流を支えている。 素手でもよい、みかかって引きむしり、唾を吐き、啖 「もはや、これ以上は申しますまい」 をかけてやりたいような衝動にかられた。 「しかし、他に何そよい思案があれば、それでもよい。遠家康は相変らずじっと三成を見詰めたままで、 「ただお身が佐和山へ参るとならばこの家康、道中では誓 慮はいらぬ。思うままを申されてみるがよい」 勝ち誇 0 て居る。もはやわしに、それより他 0 て七人の衆に手は出させぬ。相当の人数をつけてご領内 ( うぬッ ! までお送り申そう。とにかく暫く休息なされて、何れなり に道はないと見くびって : : : ) とお決めなさるがよい。そうじゃ : : : 佐渡、別室へご案内 申せ」 「かしこまりました。では治部どの」 三成の形相は誰の眼にもあらわに殺気を見せた憤怒相で 促されてはじめて三成は面を垂れた。 あった。 「ご厚意、骨身にしみてござる。しからば、お言葉に甘え 、。こ、もかか、わ、ら むろん家康もそれに気付かぬはすはなし てしよら / 、 : : : ず、家康はかくべっ相手を労ろうとはしなかった。 それは今の三成にいい得る社交辞令のすべてであった。 「治部どの、進むを知って退くを知らねば躓くのは戦場ば いまに見よー これでこのまま三成が屈服する ( 見よー かりではござらぬぞ。時に人間は堪忍が第一じゃ。お身は いまその大事な試練の前に立ってござる。よくお心を静めような男かどうか : : : ) 三成は、面を垂れると、ほんとうにハラハラと涙が落ち られてこ思案なされ。この家康なども、いま、お身の味お うてござるような立場に幾度立たされたかわからぬ故にこた。そして、その涙をわざとかくそうとはしなかった。 本多佐渡がもう一度三成を促して立ってゆくと、家康は そ申すのじゃ」 260
清正はきびしい声でそういってから、 「味方牽制の : 「それについてお願いがござりまする」 「はい。敢て名は申しませぬ。若君ご側近の中には、ここ 「わらわに出来ることならば で遮二無二大納言に事を起こさせ、それによって否応なし 「大納言のお供の儀、われ等と浅野幸長、細川忠興の三名に太閤さまのご恩をいい立て、日本中の大名を語らって戦 に、政所さまからお命じ下されとう存じまする」 にしようと考えて居る徒輩がござりまする」 「なに、お許までお供の中に : 「それは薄々わかっているが : 「はい。前田家の家臣に供させては、われ等の心が済みま 「その徒輩が、大納言のお供の衆は、前田家の家臣だけと せぬ。それにわれ等三人供してあれば、如何に昻ぶってあ 知りますると、何を企むかわかりませぬ。が、 政所さまの る徳川家の家臣どもとて、よもや手出しは致しますまい。 お指図で、われ等三人がお供をする : : : と、なれば彼等も いや、その他に、もう一つ大きなわけがござりまする」 手出しはなりますまい。それゆえ、これは、われ等三人の 清正はそういって、そっとあたりを見廻した。 存念でお供するのではなく、豊家のための大事ゆえ、わざ わざ政所さまが仰せつけられた態に願いたいのでござりま 四 する」 むろんこの部屋から女中たちは遠ざけられていた。 近くに居るものは半ば睡っているような表情で、ちんま 「わかりました。それでなければ三人の志まで徒党のため い・ ) かわ りと人側に坐っている老尼の孝蔵主だけであった。 に誤解を受けよう。腑におちました。わらわから、改めて 「もう一つの大きなわけとは ? 」 三人の衆にお願い申すと致しましよう。利家どのの厚い信 寧々は小首をかしげてから、 義にそむかぬよう、しつかりと供して来て呉れますように」 「十 5 亠よッ 「わらわには、わかるようで、ようわからぬが」 「むろん第一の目的は、大納言の身辺守護と、この往訪に 「それからのう主計頭どの」 重みをつけるため : : : が、実は、その他に味方牽制の意味「はツ もござりまする」 「お許から特に内府に頼んでみてはたもらぬか」 こうぞうす 170
とうなずいた れぬ」 「よろしい。その事ならば、実はお袖どのからも頼まれて「そのようなことまで、あのおさまい : : : 」 : これはおどのの言葉ではない。淀屋のあて勘 いたところじゃ」 宀疋じゃ 0 ; 、 力とにかくお仙どのは、冶部さまが大切な高台 十 院の存在を無視してござらっしやるが、それを正面からご 注意申上げてもお聞き人れはあるまいゆえ、私を高台院さ 「なに、お袖さまが、淀屋どのに」 : と、」、フい まのお側へご奉公に出しては下さるまいか : 作左衛門はびつくりしてききかえした。 われているのじゃ」 「それは、まことのことでござりまするか」 「ほ、フ、これはおどろきました ! 」 「これはしたり、淀屋常安がなんでこなたを担いだりする 「いや、わしもびつくりした。どうやらお袖どのは、治部 ものか。お袖どのはな、以前から治部さまに足りないもの さまに抱かれているうちに、母の、いになったような」 があるとゆうて案じて居られた」 「母の、いに・ 「なるほど」 「そうじゃ、はじめは小児とうてあしろうていたのであ 「事にあたって鋭すぎるほど鋭い癖に、どうも人情の一占 で見落しが多すぎる。女子は感情に強い厄介なものと決めろう。それが、あれこれと足りぬところを見出すと、じっ として居れぬようになって来る。色恋と見える男女の交り てかかって、その力がどのように大きく働いているものか のうちにはのう、こうした母の心というがだいぶんにある を考えてみようとしない」 ものじゃ。この母の心は、相手の男が足りないと思えば思 「お袖さまが、そのように殿をご批判なされましたので」 うほど愛おしさを増してゆく。神仏は女子をそのように作 淀屋は笑いながら頷いた。 「女子でも、とりわけ愚かでは話にならぬがの、まずまずってあるのじゃな」 普通の女子ならば、 かき抱かれて、内側から見てゆくと男淀屋は話好きの老人にあり勝ちな話そのものを楽しむ様 の値打ちはすっかりわかるものらしい。少し賢い女子な子で、ゆっくりと語り続ける。 、日しこ見えるかも知「そこで、わしはその事を、治部さま直々にではなく、ご ら、男などというものは他愛のない、ノ冫 334
どん わが身の立っ瀬を計ろうとする、生きている人々の貪らん 叩きつけるようにいい返されて、こんどはお袖はあっさ さだけではなかろうか : , 0 ・と、つ . な亠 9 いた。 四 「ならば、それでも、よ、フごギ、りまする」 「なに、それでもよいとは、何のことじゃ ? 三成は、もう一度そっと刀架をふり返った。 「ご恩返しに内府を倒す : : : それならそれでもうお心をお もしその刀に手がかかったら、眼の前のお袖を真二つに 決めなされまし」 するに違いない。それほどはげしい衝動が、三成を捕えて 「わしの心は決まっているわ ! うぬの指図など受くるも いる のか」 憎い : といって、さ 引っ千切ってやりたいほどに : 「ならば未練なお方じゃなあ。お心を決めてあったら、ど すがに刀は取れなかった。 のような書きつけに、何が書かれてあろうとそれは遊女の 憎いがしかし、この女の言葉も観察も誤ってはいないの からきしよう 3 9 空起誓 : : : なにもこだわることはござりますまい」 だ : : : むしろ、世のつねの男どもが、もったいぶって被っノ 「遊女の空起誓・ : ・ : 」 ている常識の鎧をかなぐり捨てて、裸でいどみかかって来 「はい。お袖も四、五十通は書きました。書かねば相手がている真実の貴重さはよくわかる。 納得せぬ。嘘も方便とはこのあたりのことばでござりま 「お袖 ! 」 しよう。書いたものがそのまま通る : : : そのような甘い世 たまりかねて、三成はいきなり手をのばしてお袖の黒髪 間がどこにあろうそ」 を引っつかんだ。つかむと同時に、膝を立ててあらあらし 三成はまた、グサッと胸へ白刃を突きたてられたような く女の躰を引きまわした。 気がした。 「うぬは、なんという小賢しい : なんという : : 、フぬは まさにお袖のいうとおりであった。太閤が死に瀕してや : わしが、なぜ、こうするかわかるであろう」 たらに書かせた誓書の類は、いま一片の力もない : : : ある いいながらまた一ふり大きく女をふりまわした。お袖は おきめ のは、たた、その誓書や、遺言や置目や法度を楯にして、 悲鳴をあげなかった。千切れるように歯を喰いしばって、
いや、それは三成の持って生まれた性根と、彼自身の意 電光のように胸を叩いて、パッとあたりを七彩の虹で包志でも曲げ得ぬ「宿縁ーー」が決定する んだものがある : 三成はお袖の肩をしつかり掴んだままで、暫くまじろぎ 「お : : : お : ・ : ・お袖」 もしなかった。 恐らく彼は、お袖の言葉の、そのまた先へ、思案の矢を 向けているのだろう。 こんどはお袖は、三成の手を振り払わなかった。お袖も 「お袖・・」 また三成の眼の中に、お袖の心を撮みとったとわかる大き しばらくして、押しころした声で呼びかけたときには、 な輝きを見たからだった。 三成の眼はいよいよギラギラと燐光を加えていた。 ( この人はようやくわかってくれた : お袖はそっと眼を閉じた。もう三成が何をいおうとして そう思うと、お袖は急に全身へ抜けるような疲労を覚えいるかが、お袖にはよくわかった。三成はお袖の言葉で自 たど 9 分のおかれている位置を見直し、そこから一つの決心に辿 正直に言ってお袖は決して三成に戦を強いる気ではなか りついたのに違いなかった : った。むしろその反対だった。出来得ればはげしい権力争「お袖 : : : 許してくれ ! わしはこなたを、小悧巧な遊女 いの渦中から隠退させたい。それだけが三成の後半生へ平としか思うていなかった : 和をもたらす道なのだ : 「いいえ、それ以上の何ものでもござりませぬ」 だが、きようの三成は、そういったら一層依怙地に 「そうでは無い ! そなたは、神仏が、三成のためにわざ なって、自分で自分を追い詰める。そこで逆に、負ける戦わざ遣わしてくれた女子であった ! 」 を負ける気でする勇気があるかと間い詰めていったのだ 「まあ・・ : : そのようなことは : 「いやそうじゃ ! そなたがもしわしの前に現われてくれ 問い詰めるまでが、お袖にできることの限界だ 0 た。あなんだら、三成はこなたのいう通り、思いも寄らぬ悪名の とは三成が袂定する。 淵の底で窮死したであろう」 っ ) 0 、 ) 0
人間は困惑の底にあって時おりひとり言を洩らすもの しかしそれが独言である限り、自分の思索の屋内からな かなか外へは踏み出せない。ところがそこに聞き手があっ て、時に応じて合槌を打ち返すと 、。、ツと大きく窓の開け うて、もう車は坂道を : : : 」 る場合がある。 光は、また改めて坐り直した。 こんどのお袖と光悦の会話は、その役割を果したらし 男の彼すら、そこまではまだ考えていなかった。しかし い。結局お袖は光悦の返すこだまによって、自分を批判 いわれてみれば、それは今度の戦の勝敗をわかつほどの大し、自分の智恵をひき出してきたものらしい 事になろう。 「光悦さまー こなた様には、このお袖の心などお見通し じゃ。どうそ高台院さまに、お袖は役に立っ茶碗 : ・・ : そう 「光悦さま、ようお袖の相手をしてくれました。お前さま にここまで聞いていただいて、お袖は自分を探りあててごお答え下されませ」 ざりまする」 光悦は、ぐっと丹田に力をこめたまま頷いた。彼の目に 「なに、自分を探りあてたといわれるか」 も、たしかにお袖は、焼きも深みも、すぐれた一個の名器 に見える。 はい。これでわかった ! わが身が何を訴えようとして 迷っていたかが : : : そうじゃー これであった : : この事「お袖はもう、身の程知らぬお願いは慎しみまする。お袖。 3 をこのまま高台院さまのお側において、二つの希いを果さ お袖の眼にはじめて一点の光りが宿ってきらめき出しせて下さりませ」 「二つの希いといわっしやると ? 」 光悦はホッと一つ大きく息を吐いた。 「はい。さっきまでは二つの糸巻がもつれにもつれて無数 に見え、死ぬより他にない気がしました」 「わかっています。こなたの顔が人が違うように青々しゅ う晴れてきた」 「お袖は、まず高台院さまにお願いして、この戦の大きゅ うならぬよう、万一人質のことがあっても、非嘆の淵は深 くせぬよう一心不乱につとめまする」 「それが第一の、お前さまの希いじゃな」 っ ) 0 ねが