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検索対象: 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻
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1. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

ぎしようもん 「いや、用はないツ」 上巻の起請文のおん罰、おのおの深厚にまかり蒙るべき 相手が挑みかかるような態度を変えないので、三成は盃 ものなり、よって前書くだんの如し。 をおいて、膝元の書類をとってひらいた。利家の家康訪問 慶長四年二月五日。 に続いて、生駒、堀尾、中村の三中老のあっせんで、双方 から取り交わした誓書の写しであった。 そう認められたあとに、前田 ( 玄以 ) 、浅野、増田、石 これで家康の私婚間題は、三成の意志に反して水に流さ田、長東の五奉行のほかに、前田利家、宇喜多秀家、上杉 れることに決ってしまったのだ。 景勝、毛利輝元の順で四大老の署名がなされてある。むろ んこれは九人から家康に差し入れた誓書だったが、その最 この度の縁辺の儀について、おことわり申入れ候とこ初の一条からして、三成は腹が立ってならなかった。 ろ、早速同心恐れ入り候。しかれば、向後ご遺感ござな : 縁辺の儀についておことわり申人れ候ところ、 きの旨、おのおのかたじけなく、前かどに相変らず、じ早速ご同心恐れ入り候」とは何という妙な書出しであろう っこんに仕るべく候こと。 か。これでは、九人が連署して家康に詫び状を入れている 1 一、太閤さま御置目、十人連判誓詞の筋目、いよいよ相違かに見える腰の弱さではなかったか : あるべからず。若し失念し候て、誰々身上においても、 といって、それが利家の同意を得た三成を除く八人の意 相違これ有らば、十人の内、聞きつけ次第、一人に二人見であれば、三成にはどうする術もない。三成は、ジロリ にても、互いに異見申すべく候。その上同心これなきに とお袖を見やって、もう一枚の書類をとった。家康から九 おいては、残りの衆一同にて異見申すべきこと。 人に当てた方がある。 このたび双方じっこんの通り、申す仁これありとて、 「こなた、この第一カ条の文字が読めるか」 その者に対し遺恨をふくみ、存分これ有るべからず候こ 「読めませぬ」 と。但し御法度御置目にそむき申すにおいては、十人と と、お袖は答えた。 してせんさくを遂げ、罪科に処せらるべきこと。 「どうせ斬る女子じゃ。読んでやろう。よいか : : このた 右の条々もし相そむくに於ては、かたじけなくも北霊社び縁辺の儀についておことわりの通り、承り届け候 : : : と おんおきめ ひと

2. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

「まだお口をはさまれるな。ものの順を追って申している国の毛利、九州の島津にしても、みな天下人としての殿下 のじゃ。おのおの方は、豊家のご当主が天下人であり、そのご処置に従うたまでであって、格別ご恩を受けたとは の天下人がお亡くなりなされたものゆえ、豊家のあと継ぎ 「今しばらく三成の申すことをお聞き下され」 が当然天下人 : : : これは二つにして一つ、その間に一点の 疑義をさしはさむ余地も無い : : : と、こうお考えであろう 三成はもう一度きびしくさえぎって、膝の白扇を立て直 が、それはどこまでも豊家側 : : : つまりわれわれの考え方した。 「わしの申すことも、浅野どのの申されたことと同じなの 「なるほど : : : 」 じゃ。豊家のご恩を思わぬ者は、決して内府ひとりではな と、長盛が呟きながらうなずいた。 い。そこに間題がござるのじゃ。若しこの人々が、天下を 刎なものと考え出したらど 「豊家の御恩を思わぬ者には、二つにわけて考える考え方握る者と、豊家の後継ぎとは、」 もあり得るわけじゃ」 うなろうか。ハッキリいって、若君秀頼さまは、豊家はお 継ぎなさるが天下とは無縁の人という答えが出る。そうし 三成は微笑をうかべてうなずいた。 「おわかりであろう。江戸の内府などは、小牧以来の近づた答えを出され、ご尤もと引き退っていてわれ等は殿下に きにて、決して太閤殿下のご恩を受けたとは思わぬ側顔向けが相成ろうか : 三成は言葉を切ると、沈痛な表情で次々に三人を見てい っ一」 0 「それはしかし : 「おわかりであろうな。ここでは、天下と豊家を二つに考 と、浅野長政が眉根を寄せて、 える : : : その考え方の根を断っておかねばならぬ大事な時 「そうハッキリと人の名まで挙げては : 「いや、今日の場合ゆえ、敢て歯に衣きせずに申すのじゃということが」 三人はもう一度顔を見合って姿勢を正した。 「しかし : : : そういわるれば、豊家のご恩を思わぬ人々は 四 決してそれたけではござるまい。奥州の枅達にしても、中 2

3. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

「そなた、浅野幸長を在じて居るか ? 」 ( その柤手を、私ではないがと疑ってみたらしい ・いい ' え」 お袖はそれでほんとうに船着場へ出てみる気になった。 と、お袖はあいまいに首を振った。浅野長政の伜の幸長今では柳町の小女郎ではない。博多ではもう小女郎のお袖 は、同じ柳町の恵比須屋の客であった。したがって二、三は、名島城の奉公人と知れわたっている。そこで留守居に 度同席したことはあったが、ただそれだけで、この場合の女乗り物を仕立てて貰い、加賀小袖にかつぎといういで立 お袖の返事には何の嘘もかざりもなかった : ちで、二人の小者と、二人の女中に付きそわれて城を出 た。四ッ半 ( 午前十一時 ) ごろであった。 いわしぐも その日は高い鰯雲が空にひろがり、妙にあたたかい西北 の風が吹いていた。 「浅野の伜は戦も強いが女子にも強い : : : 」 三成は吐き捨てるように、 街へ入ると、さすがに今日は活気付いている。もう近村 「あるいは今夜にも、柳の遊里へ忍び遊びに出るやも知れからまで、ゾロゾロと町をぬけて浜手に出てゆく人が多 ぬ。顔を見られて苦しくなくば行くがよい」 そういい捨てると、そのまま後も振り返らずに出て行っ 各藩の侍たちばかりでなく、迎えの引揚船三百艘に狩り 出された水夫や人足の身よりであろう。まだ船影も見えな お袖は一人になると急におかしさがこみあげた。はじて いうちから、いそいそとした表情で浜へつめかける。 三成という男の心をのぞいたような気がしたのだ。 お袖は、時にふっと涙が出そうになって困った。 浅野幸長はたしかにまだ二十三であったし、それが父に これで、七年間続いた戦が終るのだ : 代わって出陣していて、こんど引き揚げて帰って来る。 、カ 敵味方では何万人もの人が死んだ無意味な戦が ( 妬いているのかも知れない : も、それ等の人々にはみなそれそれ妻子があり親があった そういえば幸長には恵比須屋へ馴染みがあって、戦が終ろう。いや、戦に狩り出されなかった人々まで、裏でどれ わったら紀州の和歌山城へ連れてゆくとかゆかぬとかいう だけ大きな悲劇の網にかかっていることか : 話であった。 船着場の左右の浜は、もういつばいの人であった。お袖 101

4. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

生きものじゃ。また、まるまる疑うて、愛憎も黒白も〈 一一一成の方でも、どうやらそうした家康の心の動きは感受い しているらしい。或いはここで一度家康を怒らしてみたら ッキリと割切って生きたい生きものじゃ。 ; 、 力さて : ・ : ・人 : そんな事を考えているのかも知れない。年齢の相違もの世はそのように信じきれる人、憎みきれる人 : : : など あって、太閤の生前から「律義な大納言 , ーー・」「律義な内と、明白にわかれてあるものではない」 「では半信半疑が人の世の姿 : : : 三成に対する内府のお心 府ーーー」で通り、日増しに人望をあつめつつある家康が、 三成にはたまらなく不潔で狡猾な古狸に見えてならないらもそうだと仰せられまするか」 「それはお許自身の心に訊くがよい」 きびしくいって、家康はちょっとホロ苦い悔いを覚え ( いまに見よ、その化けの皮をひんむいて見せてやる た。まだ、そこまでわかる相手かどうか 今も家康の顔いろが変わりかけたのを見ると、三成の唇 辺には却って冷たい微笑がたたよいだしている。 しかがでござろう、北政所さまは、内府をお信じなされ ( 口に毒を持った男だ : : : ) ておわすのであろうか、それとも警戒なされてのことであ それが才気に任せて不遜な探りを人れて来る。といっ て、ここで怒ってどうなろう。それでは自分もまた三成と ろ、つか」 おなじ未熟さになり下る : : : 家康は辛うじて怒りを押えて 家康はそっと左拇指の爪を噛んオ まず唇を噛み、それから爪を噛むことが、近ごろの家康説得にかかった。 「治部どの、世の中にはの、まっ白な人もなければまっ黒 の怒りの表現の最大なものであった。 な人もないもの。したが、 女子供は無理にそれを決めてか 「治部どの、これは双方の意味があろうのう」 三成はニャリとしかけて、またきびしく眼を据えた。 かりたいものじゃ。北政所が、もしハッキリと家康は敵と 「すると、北政所さまは、内府を半ば信じ、半ば疑うておか、味方とか仰せ無かったとすれば、それは女性として群 わすので」 を抜かれた分別のあるお方 : : : 半信半疑でよい。半信半疑 「いかにも。人間はのう治部どの、まるまる信じてゆきた なれば、あとの備えも抜かりもなく、もし間違っても誤り 」 0

5. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

家康にもし人間とし、武将として許せない欠陥を感じと こんどは利家は笑えなかった。 ったら、笑ってやればそれでよいのだ : 三人の医者は利家の病気の万一に備えたものとよくわか 「ーーーお許は、そんな詰らぬ男たったのか : ったし、警固の三人を次の間で接待するというのは、い 利家にそうした侮蔑感を抱かせるほどの相手ならば、さ して問題にする要はない。い ずれ時に裁かれて、みじめなさかも敵意はないという証拠であった。 豪華好みの秀吉の身辺を見なれて来ている利家の眼に、 老残の手に掴みとられるだけなのだ : 何故、何時、そう変ったのかわからなかったが、利家は調度の粗末さは、内府という地位と不似合いなほどであっ たが、それだけかえって、何かきびしい清潔さがただよっ それでひどく心身が軽くなった。 : などとい、フことより : も、もっともっとているよ、つでもあった。 人が人を裁く 「ご来訪は明朝かと思うていたゆえ、諸事心に任せませぬ 大きな裁きが人の一生を待っている。 ( そうだ。思うことはずけずけといってのけよう。そしてがお許し召されよ」 「いや、ご造作に相成りまする」 おかしかったら笑うてやるだけのこと : : : ) 大書院の前に来ると、ここでも家康は出迎えていた。 二人の視線が宙で会うと、いずれからともなく微笑にな いや、それよりも利家をおどろかせたのは、襖を取り払 った。すぐさっき、船着場での最初の出会いは、決してこ った次の間と、三の間の風景だった。 うではなかったのだが : 三の間には、ひと目で医者とわかる風態の者が三人、薬 ( さすがに、内府は並みの男ではない ) 箱をそばにおいて平伏していたし、次の間には、大坂から 利家はすわるとすぐに目礼して脇息を引寄せた。 供して来た加藤、浅野、細川三氏のための用意とわかる膳 「さて内府どの、先達て以来の口論は、天下のため、若君 部がすでに並べられている。 のために、さらりと水に流されたい」 「これは申しおくれた : そして、その次の間から襖を払ってハッキリと見通せる 位置に、大納言のしとねと家康の席が脇息と手あぶりを添家康は明るく笑って、 えて設けてあった。 「縁談のことでわれらも念が足りませなんだ。今日はこう 183

6. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

「たわけたことを ! では、それぞれの間の襖を開けて改 理、片桐且元、真野頼包、速水甲斐など、秀頼側近の人々 められよ。あの人数が消えるということがあるものか」 そのときには、家康の一行は、二百畳嗷きほどある板張 「これは何としたことじゃ」 」りの上台所に現われて、のどかな表情でほんとうに名物の 「もしや、一気に若君を失い参らせんとするのでは : 「そのようなことはあるまい。誰ぞ内府を狙う者があると大行燈を見上げていた。 信じての用意であろう」 「どうじゃ、大きなものであろう」 「なるほど太閤さま好みでござりまするな。しかしこれで 「何の内府など、今日の芽出度い節句に狙う者があろう ぞ。これは汕断なりませぬそ」 は所用の油が大変じゃ」 「そうさ。一万石や二万石では油代に喰われてしもうわ」 人の心の動きは気の動きとなり、気のうごきは、そのま ままた人を動かす結果になる。 「ふーん。無用の長物の見本のようなものじゃなあこれ ↓よ 「何と、みな太刀を持ったままというではないか」 「なんで武器を預らなんだ。これではわれらも持たねばな 思い思いに感嘆したり、悪口を並べたりしているところ るきい」 へ、浅野長政と、増田長盛、長東正家、片桐且元の四人が せいぜい四、五人の登城と思い込んでいるところへ、六あわただしく駈けつけた。 十 ( 、時に」 「内府、これにおわしましたか。みながどこへ参られたか 十人の人数が現われたというだけで、人間の常識。 と、びつくりしてお探し申して居りました」 全くその機能を失ってしまうのた。 もともと家康の味方をもって自任している浅野長政が、 廊下を走る者。 ホッとした表情でいいかけると、 刀を取りに行く者。 様子をうかがいに玄関へ走る者 : 「弾正は、これで力を落されたか」 しかも玄関にはもう徳川家の者の姿は一人もないという家康は険しい声で皮肉った。 ので、さらに城内は殺気を加えた。 「お許は、わしの手を取って、よいところへ案内するそう であったの」 「方々、いずれかに内府は姿を消されましたそ」 ) つつ ) 0 293

7. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

でば、おのいうとおり、ここで勝を度外視した無謀「お袖には、ぞれも見えるというのじゃな」 の戦いに突入してゆくべきときであろうか 「仰せの通り : : : 殿は、寄ってたかって、指を切られ、脚 を切られ、膝を断たれたそのあとで、太閤のご恩を忘れ、 と、またお袖はひと膝すすめた。 秀頼さまの幼いのをよいことに、天下を盗もうと企てた奸 1 一くいん 「まだ迷うておわしまするなあ」 悪むざんな謀叛人 : : : そう極印打たれて、誰かの手にかか かひ それは、小児を揶揄する意地わるい下婢のような語調でるであろう」 あったが、三成はそれすら反撥を感じなかった。 お袖はまるで他人ごとのように淡々といってのけた。 「いかにも迷うているらし、。 しこなたも田 5 、フままを口にす るゆえ、わしも偽らずに答えよう」 おかん 「殿、このお袖は、この世でいちばん戦を呪い、戦を憎ん 三成はプルッと全身へ悪寒が走った。 で生きてきた女子じゃ」 またしてもお袖は鮮烈な太刀を振って、三成の住む天地 「それはわかって居る。こなたの悲運は戦のせいであったを断ったー いや、すでにこれは息の根をとめる刺刀の一 と思い込んでいるのじゃ」 刀なのかも知れない。 「そのお袖が、殿のためには戦もやむを得まいという : 「すると : : : お袖は、わしに謀叛人の悪名を取らせたくは おわかりなされませぬか」 ないというのか」 三成は人が変わったような従順さで、 お袖は歌うような声で答えた。 「わからぬ。思うたままをゆうてみよ」 「少しはおわかりなされてか ? 」 「わかりかけた : 「戦はいやじゃ。戦は憎い ! でき得ることなら国許で、 : こなたの眼に映った、 一人の性急な人 静かに風月の友とおなりなされ : : : そういいたいところな間の運命が : れど、ゆうて聞くお人ではないー とゆうて、このまま大「そのようなことではない。殿はまだまだ迷いの中から抜 坂にとどまっているうちには、殿はどのような末路に近づけきれぬ」 くかご ~ 行知か」 「というわけは ? わしは今、生まれたおりの嬰児のまま とどめ 197

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: さがって居れツ」 と利家は苦しい息づかいで家臣を叱って、 「病中ゆえ、それにて床几を : : : 」 前田利家は川風に吹かれて、上気いろの頬をして渡し板許されたい : : と、いったようだったが、それは声には をわたって来た。まっ先に加藤清正が立ち、うしろに浅野ならなかった。 幸長と細川忠興が続いている。 家康はうなすいて、切石を敷いた土堤下のみぎわに床几 かたぎぬ 三人だけは肩衣姿であったが、あとの従者はいずれも具を据えさせた。 足をつけている。どの顔も緊張しきった殺気をはらんで、 「ご病中わざわざおいでと承って、お出迎えに参ってござ 誰か一人、火を点じる者があったらたちまちそれは乱闘のる。春とは申せまた川風は冷えてあれば、いったんご貴殿 爆風に化けそうな空気であった。 のお屋敷に入られ、ゆるゆるご休息あってお越し下され」 家康は、利家の顔いろを見た瞬間にチクリと鋭く胸が痛「かたじけのうござる」 んだ。 床几にかけると、利家の頬にはようやく血の気がさしだ 1 病気は決して軽くはない。 「かたじけのうはござるが、わが屋敷には何の用もござら ( これで、わざわざやって来たのか : ぬゆえ、これからこのままご貴殿のお屋敷へ参じとうござ そう思うと、自分でも渡し板の端まで歩み寄らずにはい る」 られなかった。 「でも、お疲れのご様子ゆえ : : : 」 「これは、ようこそ見えられた」 ハラ・ハラと二人の間 家康が、手をさしのべて近づくと、 に人が立った。前田家の、村井豊後、奥村伊予、徳山五兵 利家は気負って笑った。 衛の三人だった。 「お案じ下さるな。われらも根っからの武人、いざとなれ ば、まだまだ無理の通しようは存じている躰でござる。い その三人を、細川忠興が苦笑してさえぎった。 や、いまも船の中で語り合うたことでござるが、太物がお 「われらがお供してあれに、お案じなく」 で猫柳の芽が銀いろに光っていた。 しようぎ

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片桐且元、続いて前田利家、足利左兵衛督義代、宇喜多中 をうばい、それからはじめて前警固であった。 この露払いといわれる前警固は、右に浅野左京大夫幸納言秀家、江戸中納言秀忠の順で続いていた。 上杉景勝は代理人として直江山城守を参列させ、政所は 長、左に黒田甲斐守長政の双方が、それぞれ五百人宛の家 臣をしたがえて立ち、つぎに寺沢志摩と毛利河内守が並その山城守のつぎに侍女百五十人を従えて見る人々の悲し みを誘った。 び、続いて長曾我部土佐守と島津兵庫守の順であった。 政所のつぎが淀の君 : : : これは侍女の数を百にとどめ とにかく、棺前の大名七十五名、棺後が七十八名で、そ れぞれ三百から五百の家臣を従えて付き従っているのだか 行列が大仏殿に着くと勅使が待っていた。勅使は菊亭右 らその人数だけでも偉観をきわめた。 おそらく総数は六万を超えていたに違いない。 大臣、副使は広橋大納言であった。 がんどう 中央をすすむ五大老では毛利輝元が先頭で、つぎに織田 こうして、金銀珠玉をちりばめた龕堂八方造りの豪華を 家のあと取りの岐阜中納言秀信だった。 きわめた棺が、一握りの秀吉の遺骨をのせて、大仏殿の東 徳川家康は秀信のあと、導師木食上人のすぐ前に五百人に建てた引導の場に安置されたのは、もうあたりが白みか の旗本と四人の大名を従えて続き、木食上人と六十人の僧 けた朝であった。 侶のつぎに、堀尾吉晴が、故太閤の太刀持ちとして棺に先 この大葬儀の奉行は、まっ先にここへ到着した黒田甲斐 立った。 守長政と片桐主膳、飯尾豊後守の三人で、三人が案じてい 右に白虎旗、左に青龍旗を立てた八方造りの棺の豪華さ た天候はまず心配なさそうであった。 は、見送る人々に生前の秀吉の生活をほうふっさせた。 棺を乗せた八方輿をかつぐ人数が二百十六人。 これを照らす両側の高張りが二百挺。 前田利家は、行列の後尾が着き終って、木食上人の引導 すじゃく 棺のうしろの朱雀旗には、肥後守となった加藤清正が付がはじまるころから、しきりに胸苦しさを覚え、涙がこば れてならなかった。 き従い、日月旗には金吾中納言秀秋が付き添った。 かって、秀吉は、これに劣らぬ盛大さで、信長の葬儀を 続いて中央を幼い嗣子の秀頼がすすみ、秀頼のそばには こ 0 かみ 201

10. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

清正はきびしい声でそういってから、 「味方牽制の : 「それについてお願いがござりまする」 「はい。敢て名は申しませぬ。若君ご側近の中には、ここ 「わらわに出来ることならば で遮二無二大納言に事を起こさせ、それによって否応なし 「大納言のお供の儀、われ等と浅野幸長、細川忠興の三名に太閤さまのご恩をいい立て、日本中の大名を語らって戦 に、政所さまからお命じ下されとう存じまする」 にしようと考えて居る徒輩がござりまする」 「なに、お許までお供の中に : 「それは薄々わかっているが : 「はい。前田家の家臣に供させては、われ等の心が済みま 「その徒輩が、大納言のお供の衆は、前田家の家臣だけと せぬ。それにわれ等三人供してあれば、如何に昻ぶってあ 知りますると、何を企むかわかりませぬ。が、 政所さまの る徳川家の家臣どもとて、よもや手出しは致しますまい。 お指図で、われ等三人がお供をする : : : と、なれば彼等も いや、その他に、もう一つ大きなわけがござりまする」 手出しはなりますまい。それゆえ、これは、われ等三人の 清正はそういって、そっとあたりを見廻した。 存念でお供するのではなく、豊家のための大事ゆえ、わざ わざ政所さまが仰せつけられた態に願いたいのでござりま 四 する」 むろんこの部屋から女中たちは遠ざけられていた。 近くに居るものは半ば睡っているような表情で、ちんま 「わかりました。それでなければ三人の志まで徒党のため い・ ) かわ りと人側に坐っている老尼の孝蔵主だけであった。 に誤解を受けよう。腑におちました。わらわから、改めて 「もう一つの大きなわけとは ? 」 三人の衆にお願い申すと致しましよう。利家どのの厚い信 寧々は小首をかしげてから、 義にそむかぬよう、しつかりと供して来て呉れますように」 「十 5 亠よッ 「わらわには、わかるようで、ようわからぬが」 「むろん第一の目的は、大納言の身辺守護と、この往訪に 「それからのう主計頭どの」 重みをつけるため : : : が、実は、その他に味方牽制の意味「はツ もござりまする」 「お許から特に内府に頼んでみてはたもらぬか」 こうぞうす 170