前田 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻
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1. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

崎まで参られた例もある。それが天下泰平のためとあら せると、今度は、前田征伐の噂を流して暗に利長兄弟の。 ば、わらわも忍んで質になりましよう」 頭を求めた。 浅野事件まではよいとして、前田兄弟はまさか家康に尾 この難題に似た申し出にあって、騒然たる前田家では家 は振るまいというのが世評であったが、 その前田家からも中の空気を押えるため、江戸行きのことはひた隠しにかく 家老の横山山城守長和が、利長に代って釈明に上って来るし、ひとまず大坂へ質に : : ということで、村井豊後と山 と、事情はがらりと一変した。 崎安房を附して芳春院を大坂へ差し出し、そこからさらに 家康は、横山長和に、」 不長兄弟の母、芳春院を江戸へ人江戸へ送ることになった。 質に差し出すようにと命じたのだ。 利長よりも弟の利政などは、 これには前田兄弟以上に増田や長東らの奉行たちが驚愕「 今さらこの母を江戸へ質に出すほどならば、家も国 した。いままで大坂に人質を取った例はあっても、諸侯がも不要であった : 個人で、自分の領地に他の大名の人質を納めた例は全くな ハラハラと涙を流して口惜しがったとい、つ。 この芳春院の覚悟の裏に、秀吉の理想を「ーー天下の泰 これでは家康個人に利長兄弟が屈服したことになる。こ平」にあったと、きびしく彫り起して吟味してゆく高台院 のような難題を出されては前田兄弟も納まるはずはなく、 の働きかけのあったことは、ついに世間の噂にはならな 家康自身もまた成立しないことを見越して、あえて挑戦しかった。 たものに違いない : : : そんな推測が刻々に昻まってゆく中 もともと前田家に叛心のないことを知っていて、この難 で、前田家の人質承諾のことが、さらに事情を知る人々を題をいい出した家康は、事が決ると、秀忠の第二女を、利 おどろかせた。 長の幼弟で、利長の後を継いだ利常に婚約した。 当の芳春院が、 秀忠の二女は秀頼の婚約者千姫の妹である。従って、天 せいひっ 前例のないことではない。浅野どのはもうそのお伜下が静謐のまま次代へ移行するものとすれば、秀頼と利常 を江戸へ質に差し出している。また、小牧、長久手の戦のは義兄弟となり、豊家も徳川家も前田家も、切りはなし得 あとでは、太閤さまのご生母、大政所さまも、わざわざ岡ない血の繋りで結ばれてゆくことになる。 343

2. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

る : : : などという甘い誌算ではなかった 0 「加賀が動き出したと車したな。その細を」 前田どのまで起たれた : 「はい。もはや、京大坂では、加賀伐の噂がもつばら ということは家康の野心に発した決意が、もはや、かっ ・ : それで、その噂に動かされて、同じ加賀の小松を領し ての朋輩、五大老の存在を許さぬものになっている : : : そ て居りまする丹羽加賀守長重がわざわざ内府の許へ参り、 う判断させて、自衛のためにも蹶起せざるを得なくなるで 前田征伐の先陣を願い出ました」 「フン、それでよいのじゃ。そうなれば、或いは火は点くあろうという見方であった。 それだけに、もし前田家の使者が見事家康の前で陳謝 かも知れぬ。して、前田家では ? 」 「はい。細川どのなど、この噂をひどくご心痛なされ、飛し、両者の間に和解が成立したとなっては取り返しのつか ない気がするのだ。 脚を金沢へ飛ばしてござりまする。むろんこれは、早々に : と、い、つ一」とで」 「甘いー・」 内府へ頭を下げて出よ : と、とっぜん左近はいった。 「それも三成の思案どおりじゃ。して、前田家からは誰が いったい殿は、加賀に攻め人る気のない内府と、 内府の許へ使いするそ。肥前どのご自身か。よもや利政ど 陳謝に出向く前田家との間に、握手のおそれがないと、何 のではあるまい」 「はい。家老上席の横山山城守どのが、郷国をご出発なさを根拠にご判断なされまする」 三成は三度び、鉄壁の自信を見せて苦矢した。 れてござりまする」 : 」とい、フよ 三成は大きくうなすいて、「わかったか : 四 うに島左近を見やった。 「左近、お身は大切な人間の感情や意地の量を見落として 島左近はまだ首を傾げたままジーツと眸を据えて考えこ んでいる。 居るよ、フじゃ」 三成は笑いを納めると、そのまま刃物のような表情にな 島左近の思案では、ここで前田家を味方に引き入れ得る って鋭い視線を射返した。 か否かによって、勝敗は決まりそうな気がするのだ。 前田家が起てば、毛利も、上杉も安心して三成に味方す「総じて戦に、両者ともどもの勝利はないものそ」 313

3. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

にする戦以上の準備がいるのじゃ。よいか、一前田家の去 「仰せまでもないこと ! それゆえ、必勝を期してどこど こまでも手落ちのないよう用意の上の用意が必要なのでご就によって、戦いそのものが悔いになったり、ならなんだ りでは小児の戯れ : : : わしの戦はそのように底の浅いもの ぎりまする」 「いや、わしがいうのはその事ではない。どのように用意ではない」 に用意を重ねてみても、所詮必勝の答えは出ぬ。出たらば 島左近はハッとしたように肩を波打たせて三成を見返し それは合戦では無うて、赤児の手をねじることじゃと申し ているのだ」 三成が刃物の表情でニコリと柔いだ表情を見せたのはそ の瞬間だった。 「お言葉、合点が参りませぬ」 「フン : : 」と、三成は軽くいなして、 「武士の意地 : : : は、そのまま人間の叛骨かも知れぬ。そ とも 「わしは、家康と供に天を戴かぬ : : : よいかの、この決意れでもよい。わしはその叛骨のために殉じて悔いはない。 を前提にしてものを申して居る。お許は、それと違うた立よいかの左近、これはもはや動かぬことじゃ。お許に納得 4 3 できぬとあれば袂を別つも止むを得まい。わしは前田兄弟 場のようじゃ。負ける戦はしてならぬ。せぬというのでは 立場が違う」 の力を目当てにして戦うのではなく、わし自身の力を信じ 「では、殿は、負けてもこの戦をおやりなさると申されまて戦うのじゃ」 するか」 「なるほど : : : 」 ろうらく : 白くなければ黒と気早に決めてかかるな。勝「前田兄弟が家康に籠絡されたとなれば、その事実をひっ っ気で戦はする。が、敗れても悔いのない戦をの : : : 」 さげて戦い、前田兄弟が味方したとなればその力を合わせ 「フーム」 て戦う。戦うことにはもはや千に一つも狂いはないのだ」 「悔のない戦をするためにも、勝っためにする戦以上の用「では、念のためにお伺い申しまする」 「おお、腑に落ちぬ事あらば、何なりと : 意は必要 : : : そうは思わぬか」 「家康が前田征伐に出向きましたら何となさるご所存で」 「それは、理窟でござりまする」 「そうではない。梅いのない戦をするためには、勝っため「それこそ好機、直ちに兵を率いて大坂へ出て、秀頼君を ) 0

4. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

はわが身ゆえ、ケチな量見で可愛いわが身を辱かしめるな 本多正純が、父の佐渡をはじめ井伊直政、本多忠勝、楙 と申すのじゃ。といって、浅野や前田に全く罪がないと申原康政などの重臣を呼んで来ると、正純にも遠慮を命じ すのではない」 て、約一刻半ほど密談を重ねた。 「では : : : やはり、あれも、事実と思われまするか」 何をどう決めたのか正純にはわからなかったが、話が済 ゅうげ 「それそれ、それが早合点じゃ。前田や浅野に叛心はなんで、タ餉の膳が出たときには、もう室内はまっ暗だっ い。が、長盛や正家に、あのような夢を描かせる : : : つま り讒言されるというのは、される側にも、それだけ未熟な タ餉には、重臣たちの他に、正純、伊奈図書、鳥居新太 隙があるからじゃ。隙は即ち大事な自己への不忠実、もっ 郎の三人も陪食を許されたが、むろん酒ひとつ出ず、各自 と毅然としていたら、正家も長盛もあのようなことは申すの屋敷の食事よりも、遙かに粗略な二汁五菜の膳であっ 「なるほど、そうでござりました」 翌日、家康は約東どおり増田長盛を訪ねて、昨日の来訪 「と、すぐに合点をするな正純 : : : もうよい。何れわかろの礼を鄭重に述べていった。 このときは正純と新太郎が供して通ったので、両人とも う。そちはこれから、みなをここへ呼び集めよ。明後日の 登城の手はずはこれで決った」 笑いをこらえるのが辛かった。 すでに長盛や正家の思案を見透していながら、 正純はもう一度首を傾げて起ち上った。 「さてさて、昨日は懇ろなご忠告、浅からぬ御心底のほど いわれる通り、わかったようで、わからない部分の多い 家康の言葉であった。 まことに嬉しく存じ申した。さりながら、まずお心やすく 前田や浅野に叛心はなくとも、土方河内や大野修理にそ思召せ。いかほど、前田、浅野の徒が企むとも、われらに れがないとは決めかねる。いったい家康は何を考え、どのおいては物の数とも存じ申さぬ」 真顔になってそういった。 ような用意で登城しようというのか : 前田、浅野と、わざわざ名を挙げていわれたときに、増 田長盛の表情には、してやったりといった表情のうごきが 291

5. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

「その事でござりまする。このまま捨ておくと、三成に担下に野心をのべる隙はない。いかなる者も爪をかくして引 : ところが、世間には、時おり理解の及ばぬ事 がれて、前田家へも傷がっこうと、細川家の家老、松井佐退ろうと : 渡がやって来て案じて居りました」 も起こり得まする : ・・ : 」 「そうであろうな」 高虎は家康のおく茶碗を取って、 「どうやら細川越中守も動きだしますようで。隠居の幽斎「いまいつぶくいかが ? 」 どののおロ添えもあったのでござりましよう」 と、たずね、 高虎は家康の前に茶を差し出して、 「充分でござる」 「これで前田大納言がどう出られるか。あのお方も一概な そう聞くと、静かに茶碗を拭きながら、 ところはおありなさるが : : しかし、大納一言の方が片付き 「まだまだ当分天下簒奪は野心家どもの胸をはなれぬ夢で ましても、後に、三成と武将方の私憤は残る : : : 」 ござれば : 家康は、聞いているのかいないのか無造作に茶碗をとっ と、一大した。 て音をたてて茶をすすった。 「もともと前田どのは三成が好きではござりませぬ。それ ゆえ、説きようによっては充分に説き伏せられまする : ところが、そうなって、大納言と内府が和合せられると三 成の行場が無くなりまする。そこで、若しそのまま引きさ 「大納言と内府が直接ご会談下されば、話はさらりと解け てゆく がる男ならばそれでよろしゅうござりまするが、さもない : と、細川家の松井などは見ているようで : : : 」 を一ゅうそ : このあたりに理解の外のこと 家康の茶をのんでいる間に、又高虎は言葉を続ける。静と窮鼠が何をしでかすか : が起こりそうな匂いが残りまする」 、な釜鳴りの音を破るまいとするかのように落ち着いた、 「なるほどの、フ」 とぎれ、とぎれの話ぶりであった。 「この高虎も、はじめはそう思うて居りました」 「それに五大老と申しますると、大納言と内府で二大老、 あとにまだ三大老が残りまする。数の上から申すと、その 「内府と前田どのが一つに融けムロうたとなれば、もはや天方が優勢と鉗覚も起こしかねない。つねに事を誤るものの 248

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利長も、家康に反抗は成し得ないものと見きわめて、あえ : と、ご覧なされまするか」 高台院はおだやかに頷いた。 て、増田や長東の讒言を楯に取り、二人を問責して来るだ 「増田や長東の策動を、そのまま巧みにご利用なさる。よろうと見ているのだ。 いかの長政どの、彼等の言葉を信じた体にして、お前さま そうなれば成程長政は、領地へ隠退して謹慎でもするよ や前田どのに釈明をお求めなさる。開戦のご決意ならば、 り他に手はあるまい。 これは大事な第一歩であるまいか」 高台院は、長政がその気ならば、自分の出家と結びつ 「して、もしわれらが、釈明も屈服もせぬ場合は ? 」 け、浅野家安泰のため、家康に取り成そうといっている : 「むろん、すぐさま踏み潰しましよう。江戸の実力を持っ 「この城も、秀頼どのも、太閤も、一度きれいにお前さま てすれば、甲府の二十一万石など、ものの数ではござりまの胸のうちから拭い去ってご覧なさるとよい」 す・亠よい」 高台院は、再び遠くを見る眸になってしみじみと呟い 」 0 長政は眉をしかめて舌打ちした。まさにその通り・ 「いちどおのれをむなしゅうしてみると、際限もなく青く と、長政自身にもハッキリわかっているからだった。 「では、もし前田どのとわれらと、呼応して起ったとした透きとおった虚空たけが眼に残る」 ら何としましよう家康は」 「前田家は立ちますまい」 「いいえ、それは虚空では無うて、磨きぬかれた心の鏡な のかも知れない : : : その鏡に新しく何ものが映って来る 高台院の答えは、寸秒もおかない冷たいものだった。 「金沢には、阿松どの・ : いいえ、阿松どのも今は芳春院か ? 」 しやが : : : その芳春院がござるゆえ、勝てぬ戦など肥前ど長政はじっと襖の朱房を見つめたままで答えなかった。 の兄弟にはさせますまい」 高台院は恐らく時の流れと、時代の推移をいおうとして いるのであろう。太閤の死によって、生前の太閤時代はも 長政は、もう一度ジロリと上目で高台院を見上げて押し 黙った。 はや虚空の彼方へ消え去った。それゆえ新しく時代の鏡に もはや何も訊ねることは無かった。家康は、自分も前田己れの姿を映し直して生きよという程の意味に違いない。 304

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し、三成もまた、此処へ戻って、天下へ号令する日を夢にあるまい。五奉行筆頭のこなたも、五大老随一の前田の嫡 子も、みな内府の仕置にはおとなしゅう従うた : : : そう見 描いて画策しているに違いないのだ。 : とその辺に、清洲会議の ( その意味からすれば正にこれは野心の徒の争点に変わっせねば、あとの戦がやり難い : おりの太閤と、よう似た肚づもりがあると見た。いや、お ている : : : ) 「おわかりなされてか長政どの、わらわはその争いに加わ前さまや、前田肥前にまで、信じても居らぬ難題をいいか りとうはない。いや、加わっては太閤のお志にそむくと思 くる : : : それゆえ、戦の肚をハッキリ決めたと判じたの うゆえ、あっさりこの城は捨てまする」 「それゆえ、お前さまも、幸長どのに後を任せて、甲斐へ 「おわかりであろうなあ長政どの。戦になればわらわもこ ご謹慎なさるがよい。さすれば浅野の家は、まずまず安泰の城には居らぬがよい。野心の渦に巻き込まれ、良人の遺 で済も、フと思うがいかがであろ、フ」 志を汚そうより、渦中を避けて菩提を念ずる : : : それが、 長政は、あわてて視線を高台院に戻して、不審そうに瞬わらわの希いなのじゃ。止めてたもるな、のう長政どの 「さすれば、内府が、お疑いを解く : : : と、ご覧なされま 五 するか高台院さまは」 高台院は、わざと冷たく脇を向いた。 浅野長政は、高台院の言葉の意味をはじめてかっきりと 「幸長どのは、わが身にとっても可愛い甥御 : : : わらわ受止め得た。 、家康どのの住もう西の丸を明け渡して、出家するとい 高台院は、家康が、長政や前田利長を、敵視してはいな いと見ている。それと今日の難題とは全く違った、別な思 い繕ろうたら、その行為に免じても、これ以上お前さま父 子に難題は申されまい」 案に出発しているという意見らしい そういってから高台院は、呟くように独語した。 「すると、内府は、三成と一戦の決意を固めた : : : その証 「もともと、お前さまや前田肥前を、敵にする気は内府に拠に、開戦に備えて、ます、われらに難題をいい力た 303

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: その他は、上方河内どの、大野修理どのなどの由なれ「はい。何かご不審があったら、どのようにでもお間いた だし一され」 ば、これは、あるいは事実やも知れませぬ。が前田さ ま、浅野さまなどが、そう易々と内府謀殺などの事をお考「お許のお話が、ことごとく真実だったとして、その内府 えなさるはすはない : : と、すれば、これは何者かが、内と前田、浅野のご両家の間を裂こうとしている陰謀人は誰 府の身辺に疑惑の雲を湧き立たせ、両者を引離すばかりででござろうな」 なく何か騒動を誘発させようと企んでいるもの・ : これ「それはいわすと知れた石田治部少輔で」 は、決して光悦の架空に描いた想像ではござりませぬ。そ光悦はキッパリといってのけた。 「その証拠が、他にも一つでござりまする。というのは、 う無ければそうした噂が奉行衆から淀屋、淀屋からわれら の耳などに伝わって来る道理はない : : : それで、光悦、あ博多の柳町から同道され、厳重に監禁されていた遊女があ がりの側女が、つい最近、いずれかへ連れ去られて行方が わててお願いに出たのでござりまする」 「フーム。お許のお話を伺うと、なるほどそのようなとこ知れませぬ」 ろかも知れぬ。して、われらに願いとは : 四 「この事、早速内府のお耳に人れさせられ、もし前田さま 、ハッキリと物事を割切って、断定 にご疑念が残るとあれば、この光悦を、内々で肥前守さま何のような場合にも の許までお遣わし下さるよう、茶屋どのからお願い申してしてゆくのが光悦のであった。それだけに、年長の茶屋 四郎次郎は、一層用心ぶかくなっている。 頂きたいので : : : 」 「ほう、博多から連れ戻られた女子がのう」 茶屋四郎次郎は、始めて光悦の昻奮しきっているわけを 「いかにも。あの女子は、島屋と神屋で旨をふくめて寄こ 探りあててホッとした。 したもの : : : その女子をいずれかへ連れ去ったということ 光悦はこの噂によって前田家が内府からあらぬ疑いを招 は、役宅明渡しの必要からやむを得ぬ処置 : : : と、考えれ くことを恐れているのだ。 「ようわかりました。なるほどこれはお耳に入れねばならば考えられぬこともござりませぬ。が、そのおりにも行先 けは必すこの光悦に知らせる約東 : : : その約東を女子の ぬ : : : したが光悦どの」 266

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うて、その帰りに、淀屋へ立寄りました。実は、その淀屋 た。そういえば眼も少し血走っている 彼は、茶屋の邸に着くと、店脇の土間から憑かれたようで、聞き捨てならぬことを耳にして参りましたので」 に内玄関へ通っていって、出てきた手代にどもった口調で「ほう、してそれは ? 」 主人の在否をただしていった。 「近々内府が大坂城へお移りなさる : : : この噂は、実は私 「ご在宅ならば、お : : : お教え願いたい儀があって参ったも耳に致して居りました」 「なるほど」 ゆえ、二人だけでお会い下されと」 手代は光悦の気性を知っているので、心得てすぐさま奥「これはお移りなさるが本筋 : : : 今は内府のお力で危くた もたれて居る泰平ゆえ、当然なこと : : と、実は前田家で へ入ってゆくと、 肥前守 ( 利長 ) さまとお話して別れたばかり。それが、淀 「お通り下されませ。お居間でござりまする」 屋でまことに奇怪な噂をなあ」 もう案内に立とうとはしなかった。 「光悦どの、もう少し順序を立てて、話して下さらぬか。 光悦は大きく頷くと、それでも履物だけはキチンと脱い だ。日蓮信者でどこまでも折目正しい光悦の一面が、わずつまりお許は、前田家へ先にお伺いなされたのじゃな」 「その通りで。そして、前田さまと、いろいろ内府のお話 かにここだけに残っている などして、その足で淀屋へまわりましたので」 「おお、これは本阿弥どのか。しばらくお顔を見せなんだ 「うむうむ。そして淀屋で、どんな噂を ? 」 「内府が大坂へ赴くは危いこと ? つまり内府の登城を待 まずお変り無うて : : : と、ご挨拶申すところでご ざりまするが、今日は行儀も草書にさせて頂きまして、ちって討果す : : : その相談がご城内で細かくできて居るとい 、つ噂でござりまする」 と、内密にお願いがござりまする」 「えっそれは、まことか光悦どの : : : 」 茶屋はちょっと小首を傾げた。光悦の態度と言葉に、 : いや、それより 「何で、私が茶屋どのに嘘をいおうや : ・ ) と、思わすものが十分だった。 ( 何かあった もこの光悦がびつくりしたのはその張本人が、何と、前田 「いずれかへ、お回りの帰途のようでござるな」 肥前守さまじゃという噂なので」 「おっしやる通り : : : 久々に大坂表で、前川さまお邸へ伺 おりめ 6 2

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ずることにないを・いらも内府にその旨よく言上致しま なおは」 しよう。光どのが、太鼓判を押してござるとゆうてな」 「その通りで : : : い や、そのような者があるとすれば・ 「茶屋どの ! 光悦は冗談を申して居るのではござりませ これは一大事たとは思われませぬか茶屋どのは」 ぬ宜しゅうござるかな。このような根も葉もない噂が立 「一大事、であろうな」 っということは、誰ぞその噂によって、内府と前田さまと 「一大事も一大事、その根に秘んであるものは、天下大乱 の間を裂こうと考えている人物がある証拠 : : : とはお考え の陰謀でござりまするそ」 光悦は胸をそらしてそういうと、自分自身がひとかどのなされませぬか」 茶屋四郎次郎はもう一度おだやかに笑った。 謀将でもあるかのように眼を光らしてあたりを睨んた。 「すると光悦どのは、噂を流布した張本人もご存知といわ 茶屋四郎次郎は、ゆっくりと首を傾げて考えこんた。 っしやるのか」 こんな場合に、うつかり光悦のはげしい気性に巻き込ま しかに 7 」 れてはならなかった。 光悦は重々しくうなずいた。 どこまでも冷静に、噂と世間の動きとを細かく比較し、 「その噂は、長束正家、増田長盛などというお奉行衆から 分忻してみる必要があると思った。 出てござる。淀屋はご両人の口から聞いたと明かされまし しばらくして茶屋は、おだやかに笑い出した。 、別に案ずるがほどのことはござるまい」 わざと軽く茶屋はいい放ってキセルを取った。 「ほう、ご奉行がそのようなことを」 「お驚きなされましたな。いや驚くが道理、しかもご両人 は、張本人は前田さまで、真先にご同心なされたのが浅野 : と、おっしやりまするか。 「案ずるがほどの事はない : 弾正少輔長政どのと・ : この奇怪な噂の流布が : 「なるほど、これは容易ならぬ噂のようでござるなあ」 光悦は呆れた様子で茶屋四郎次郎を見返した。 「このご両人が、内府とは格別うち解けてあられること 「いかにも、前田さまにそのようなお心がないとすれば案は、この光悦ばかりか茶屋どのも、よく知ってござるはす ながっか 265