大坂城 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻
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1. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

うよりも、やはりそれは、太閤の治世をなっかしむ人々と 「すると、あの手狭な木工頭のお屋敷へ ? 」 いった方がよいかも知れない。これらの人々は、理性では 「それが、預けられた天下に忠実な所以とわかれば是非も 家康の実力を十分に認めていながら、感情ではこれを嫌っ あるまい」 「では : : : では : : : 前田さま、浅野さまなどのお噂はそのた。 まま歯牙にもかけさせられぬと、仰せられまするか」 「ーーー太閤さまがお亡くなりなさるのを待ち構えて、よう 茶屋が急き込んでたすねると、 まあ天下をわが物顔に : : : 」 「四郎次郎」 こうした庶民たちが、わずか半年ほどの間に、向島へ移 と、家康は昔の名で呼んで、声をおとした。 り、三成を追い、伏見城へ入った家康が、さらに大坂城へ 「たとえそれが、根も葉もない噂であるにもせよ、歯に移ると知って黙っているはずはなかった。 むろんその間の空気は家康もよく見抜いていよう。見抜 もかけぬなどというのは匹夫の勇 : : : 十分に用心してゆか いていながらあえて移らねばならぬ理山は、おばろげなが 6 ねば、これも預りものの天下に対し、わが身に対して不忠 2 実のそしりは免がれまい。その辺に天下人の兵法があるとら茶屋にもわかった。 知ったわ」 大坂城内の風紀のみだれは、これも市井の噂になりつつ そういうと、またゆったりと笑ってみせた。 ある。秀頼の生母淀の君が、まだ三十を幾らも出ない若さ のせいもあって、側近の誰彼を、ご寵愛なさるとか、なさ らぬとかいう有りがちな噂であったが、もしそれが事実と 家康は、大坂城へ乗り込む肚をもう 、ハッキリと決めてなり、その寵を得たものが、政治にまでロ出しするように いるらしい なっては、それこそ取拾できない大混乱の原因にもなりか もし乗り込んだら、またひとしきりさまざまな噂が巷をねまい。 そういえば、家康はさっき、大坂入城をすすめたのは、 賑わすことであろう。 近ごろ京・大坂の市井人の間にも、明らかに三成巓屓と増田長盛と長東正家の二奉行だといっていた。 ( すると、すでに、淀の第のご側五と、奉行たちの間にま 家康蝨屓の二つの流れは生れている。いや、三成竝屓とい

2. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

これでぐっと心を柔らげてくるものと、傾城時代に体で知て内府と手の握れるお方ではない。途中にどのような経緯 った慣わしだった。 はあっても、きっと戦はなさるお方と : : : それゆえ、この 三成は軽くお袖を突き離した。 お屋敷を出る日は万々ござりますまい」 「お袖、こなたは男の心の見抜ける女子だ」 三成は、再び裂けるような眼をしてお袖を睨みはじめ ) 0 「いいえ、そのような : 「早まるな。たった一つの、大きな見誤りを除けばのう」 ( 何うしてこの女に、これほどハッキリと自分の心を見抜 「大きな見誤りとは : かれてしまったのか : 「三成も舌しこ、 言オし ! 誰かにこの苦しさを打ち明けたいー 正直にいって、三成は、博多にあるうちから家康と妥協 : よいかお袖、もし打ち明けたら、その相手は斬らねする気はみじんもなかった。 ばならぬ。それゆえこなたももう訊くな」 いや、その心は博多に発つ前にも秀吉の生存中にも少し 「何も訊いては居りませぬ」 もなかった。 お袖は澄ましていい返した。 それゆえ、すでに帰洛してからも、二度家康を亡き者にノ 「でも何も聞き出さずとも、お袖はもう生きて、このお屋と企て、二度ともみじめに失敗してしまっている。 敷を出ることは、こざりますまい」 その一度は秀頼が大坂城へ移って来る時であった。供を 「なにわしがこなたを生きては出さぬと申すのか」 して来た家康の帰途を襲うつもりだったが、家康はそれを ひらかた 「はい。私が宗湛さまに何を頼まれたかよくご存知の殿で察したのか、城を出ると、そのまま枚方まで、誰の屋嗷に ござりまする」 も立ち寄らずに馬で急行してしまった : 「フーム」 川筋ならば三成の勢力範囲と、こまかく知っての計算ら 「宗湛さま、宗室さまは、殿が内府と手を握る気か、それしかった。 とも一戦なさる気か、これを探れと仰せられました」 そこで、二度目は四大老と五奉行の名で難詰した例の十 ひと お袖はまるで他人ごとのよ、フに、 九日の承兌と生駒親正の派遣であった。 三成の考えでは、そうすれば、必す家康は申し開きのた 「そして、それはもう探ったのでござりまする。殿は決し けいせ、

3. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

順で律義であった。 う。さすれば元も子もないわ」 家康がはじめて大坂城へやって来たのは天正十四年、そ 「それはしかし : 又いいかける長盛を、三成ははげしい気魄でおさえつけれから十二年間太閤の身辺は実に多事多難であった。 いまだに続いている高麗での戦いは別にしても、利休事 「お許の考え方は、深慮に似て夢想にすぎぬ。どちらへ転件、関白秀次事件、中途の和議事件、その和議の破れ去っ ひょりみ : しかし、、 んでも豊家は存続するように : : : そのような日和見の許さたあとの、三成や小西行長の処分事件など : ここではどこまでも天下と豊家は一つのの何れにも、家康はつねに補佐を誤っていなかった。 れる時ではない。 もの ! 政権は若君成人のあかっきに謹しんで豊家にお返事件のたびに生命乞いをして、助か 0 た人々の数は側近 し申すべきもの : : : その決定の上に立たずに、どうして諸のうちでも十指を越えている。和議の破れたおりの三成も また同じ恩義を受けている筈。 侯を押え得ようそ。敵の罠にかかられな」 そうした家康だけに、どこまでも敵意を捨て親近感をも って近づくべきだと、長盛は考えている。 ( かっては、猛々しい虎であったかも知れぬが : 増田長盛はムッとした表情でロを噤んオ どうやら彼と三成とでは、根本的に「家康観ーー・」が違今では、秀吉の遺言によって政務を執り行なう人であ めあ 、つらし、。 り、若君秀頼に孫の千姫を娶合わす約東の縁類の長者でも 長盛の考え方によれば、家康は、敵対する者にとってはあった。 こちらが垣を払って近づけば、若君はとにかく、その若 どこまでも強い、薄気味わるい存在よー、、 オカしったん納得し たおりには、 君と千姫の間に出来た子たちの時代になれば、家康の血筋 ふしぎな順応性を示して来ている。 小牧、長久手の戦いのおりの家康 : : : そして、その後大がそのまま豊家の主になってゆくのではないか : ( 警戒するより、近づいて一つになること : : : ) 坂城へやって来るまでの家康 : そう考えていたのだが、しかし三成は、全然それを受け さすがの太閤にホトホト手を焼かせた頑固一徹な家康だ ったが、それ等の感情を解いてからの家康は羊のように従付ける様子はない。 つ」 0 よ ) 0 3

4. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

しうえっ ぢのう 頭、豊光寺の承兌とが、家康詰間のため代見へ向かったの は正月十九日であった。 その前日の午後ーー・家康は、井伊直政と明るい陽射しに 白々と窓を光らせた書院のうちで談笑していた。 「堀尾吉晴が見えたとか申していたが、帰られたか」 「はい。本日は上様にはお目にかからぬと申し、内々でそ 秀頼の大坂人城は、予定のとおりに慶長四年の正月始めれがしと対談したまま帰られました」 「例の、私婚詰問とかの使いが来るのじゃな」 に実行された。 「はい。明日やって来ますそうで」 今まで城内本丸の奥にあった北政所は暮れのうちに西の 丸に移転をすませ、数え年七歳の秀頼が、その生母の淀の「誰々を寄こす気かのう」 「生駒雅楽頭と僧の承兌が参りまする」 君とともに、本丸の奥に入って名実ともに大坂城のあるじ 」よっこ 0 「そうか。到頭加賀どのも、三成にのせられたか」 前田利家は当然もり役として大坂に移り、政務を見る家「上様 ! これをこのまま捨ておいて宜しゅうござりま 康は、いったん大坂に秀頼を送り込んでから伏見に戻っしようか」 学 ) 0 「捨ておくなと申しても、向こうがやって来るのでは致し 表面はどこまでも平穏な移転完了だったが、完了すると方があるまいが」 「いいえ、使者ではござりませぬ。加賀の軍勢も参り、秀 急に世間へはただならぬ噂が流れだした。 家康に心を寄せる人々と、三成はじめ五奉行たちに心を頼さま親衛の七組の番頭どもなども、それそれ兵を大坂城 へ入れてある山にござりまする」 寄せる人々とが、劃然と二派にわかれて往来をしげくしだ げんばのかみ したからであった。 「その事ならば案するな。淀の城へは有馬玄蕃頭 ( 豊氏 ) そして、それ等の噂を裏書きするように、大老、中老、 が入って居るし、すでに楙原康政も手兵を連れて上洛の途 しよう - 一くド ) たっ うたのかみちかまさ 五奉行の特使として、中老の生駒雅楽頭親正と、相国寺塔中にあろう。ひどく均衡さえ崩さなければ、わしと加賀ど 江戸の覚悟 133

5. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

「されば、誰が袖にふれて割れましたものやら、陶物とは に移した。 : とでも名つけようかと存じ いえ不運なもの : ・・ : 誰が袖 : ・ お袖はさすがに身体を固くして畳に両手をついている。 まする」 「光悦どの」 : よい名じゃのうお袖」 「誰が袖 : し」 「それは茶碗に聞くがよい。茶碗が何とこなたに囁くやら」 お袖はごくりと息をのんだ。光悦のいい方も突飛なほど「名がよい ! わらわも、もの数奇な太閤が後家じゃ。名 。、気に入ったゆえ、光院には代りの品を取らせ、わらわが 単刀直人だったが、茶碗に訊けという高台院の答えもま 持っていたい気もする。お袖、こんどはこなた茶碗にきい た、余りに思いがけない答えであった。 て見やれ。わらわのものでありたいか、それとも光悦に下 「恐れながら、この茶碗め、不吉なことを囁きまする」 げ渡されたいか」 「ほう、何とゆうたぞ」 「上さまを、失うように命じられて近づいたなどと : 「それはわらわも察していました。しこ。 : オカこう二つに割れ てしもうては、思案も変ろう。太閤殿下がご遺愛の井戸茶碗お袖の眼はあわただしく瞬いた。 高台院の問いはいよいよお袖の意表を衝いたものらし の例もある。繕うて使えるものと思、つか、ど、つであろう ? 」 さすがの才女も答えに窮してしどろもどろの表情たっ 光悦はチカリと鋭くお袖を見やって、すぐとばけた表情 になって割れた茶碗をとりあげた。 「これは、上さまがわざわざ繕うてお持ち遊ばさるるよう 高台院はそれを眼を細めるようにして見やっている。た な品とも覚えませぬが」 しかに大坂城にある時とは人が違った感じであった。 「なるほどの、つ」 もともと並みの女性ではない。諸侯の前で平然と夫婦喧 「さりとて、このまま捨てるもふびん、光悦が頂戴致し、嘩をしてのけるほどの気性なのだ。しかし、その高台院も 継ぎ合せたうえで所持致すが : 秀吉の死後は、どこか重荷に打ちひしがれた堅苦しさが目 「その折には、何と命名なさるかの」 立っていた。 っ ) 0 すえもっ 375

6. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

もう、また、所在なげに母を見上げている。 どうやら膝のあたりに置いてあるのは、折紙の人形らし それを取り上げようか、それとも姿勢を正していよう かと、母の気色をうかがっている様子なのだ。 らでん コトリと淀の君が、磨きあげられた螺鈿の脇息の端をた 威厳を示して、しゃんとして居れという合図に違いな い。御所雛から宝冠だけを取ったような金襴の衣裳が、哀 しく胸をそらしてゆく 浅野長政は、いっか鳴咽をかみころしていた。 ( ついに家康を起たしてしもうた : 出家 を、ハッキリ朝日姫の養子にしたりしておきながら、秀頼 は正式に寧々の養子にしなかった。 はじめはそれを、淋しがったり、怨んだりもした寧々だ ったが、今はもう、そうした小さな人間の執心などは、遠 く淡い夢であったと悟れた高台院であった。 いま高台院ののぞみといえば、 露と落ち露と消えぬるわが身かな なにわ 浪花のことは夢の又夢 太閤の辞世にしみついている人間の生の儚なさを、自分 だけでも、しみじみと味い尽してゆきたいことであった。 この辞世を噛みしめると、今住んでいる巨大な大坂城も またその夢の端につながる幻に思えて来る。 淀の君も、秀頼も、そして、自分も含めた大ぜいの家臣 やその家族たちも : : : みなその幻によりかかり、幻に執着 して、やがて、露と落ち、露と消えゆく我が身の姿におど ろくのではなかろうか : 時々都から招いて聞く、曹洞禅の弓箴禅師の法話で、今 西の丸の奥にひっそりと暮している北政所、今は高台院は高台院も、釈尊が、なぜ出家したのかその意味たけはハ ねね ッキリめた気になった。 と呼ばれている寧々の許へも、家康来坂のことは知らされ げん てあった。 人間が、何かを所有しようとして執着する限り、苦患は 秀頼が彼女の実子であったら、家康もまっ先に自分のと無限に続いてゆく ころへ挨拶に来たであろう。が、秀吉は、家康の子の秀忠 その執着の目標が、城であろうと、金銀であろうと、領 きゅうしん 298

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三日は市民一般の参拝供養を許すはずであった。 紫野大徳寺で執行した。 それがすんで七日目の法要。 その秀吉が、今は、迷わずに成仏せよと叱られて、秀吉 恐らく三日間では供養というより見物しきれなかった 自身さして信じてもいなかった彼岸とやらへ追いやられて 人々に、そのあと一両日の延長を許し、それで秀吉という人 いるような気がするのだ。 間はしだいに生きている人々の脳裏から遠ざかってゆくの 「ーーわしはいやだ。行きたくない ! 」 さんらんと輝く金色の棺の中で、秀吉は駄々ッ児のようであろう : : : そうした想念がいよいよ呼吸を詰らせて、と もすれば利家は眼先が暗くなりそうだった。 に足を踏み鳴らしているのではなかろうか。 ( ここで倒れてはならぬ ! ) かっての伏見の大地震のおり、ここに安置された大仏が 。もり・や′、 首をおとしたというのでわざわざ伏見城から血相変えて大秀頼の傅役として来ているのだ。とにかく秀頼を大坂城 へ送りとどけるまでは頑張らなければ : : : その癖、利家 仏を叱りに駈けつけてきた秀吉だった。 うぬは ! 諸民を守れと申付けてあったこの秀吉のは、すぐ右どなりの秀頼を見るのが怖かった。見たら息苦 しさは一層募るとハッキリわかっているからだった。 命を忘れて、まっ先に首をおとすとは何たることかツ」 「大納言どの、ご気分は」 秀吉はカンカンになって、携えて来た弓に矢をつがえ、 左隣りの家康が声をかけたのは、もうすっかりあたりが 不都合な大仏の腹を射たということだったが : その秀吉が、今は木食上人を通じて仏どもにくどくどと明るくなってからであった。 「間もなくご焼香になろうが、お苦しくば : 詫びを入れているような気分がする。 利家ははげしく首を振った。 それがひとしく人間の落ちゅく先だとすれば、なんとま 家康はそれなり黙って、またゆっくりと眼を閉じた。家 た人間とは儚なく滑稽な生きものなのであろうか : いや、利家とて、その例外ではあり得なかった。すでに康にとって、読経の長さはさして苦にはならなかった。健 ごんぎよう 彼こよこの僧侶たちの勤行が、き 康だからでもあったが、冖 病は彼を、秀吉のそばに手招いている。 びしい天地の戒律を、静かにさとす母や、祖母の声のよう 夜はあけた。しかし読経はえんえんとして続いてゆく。 に受取れるからであった。 きようから三日、ねんごろな供養を続けたあとで、あとの 202

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「かしこまってござりまする。では尼どの、これで」 縁談まで取り決めなされてお眼を瞑られたのだ : そのいきさつが整然と腑におちると、なるはどこれは筋清正が一礼して立ちあがると、入側に睡っているかに見 道の上からも、家康と事を構えてはならないことがよくわえた孝蔵主が、音もなくあとに続いて見送った。 寧々は一人になると、もう一度ホーツと大きく吐息をし かる : 「われ等のなすべきことがはっきりと分かり、眼の覚めたて眼をつむった。 これでよ ( よくそ大納言はそこまで決心して呉れた よ、フな清々しさでござりまする」 と、正はいっこ 0 寧々には、家康の気宇の大きさはよくわかっている。利 「今後われ等に出来得ることは、どうして若君を、日本一 家が、病をおかして往訪すれば、家康もまたそのまま礼を の器量人に育てあげるか : 「その事じゃ。そのために、ここでは家康どのに、秀頼ど返さずにおく人ではなかった。いや、そうさせてこそ、秀 ののもり役でもある利家どのへ、ゼヒとも答礼しておいて頼は諸侯の眼に、両者に尊重される豊家の主に映じてゆく のだ : ・ 欲しいのじゃ」 「よくわかってござりまする。若し内府が、身の危険を思 うて逡巡なさるようであったら、そのおりには、大納言を 寧々は、孝蔵主がまた音もなく引き返して来るまで、静 送って参ったわれ等三名、内府のご守護も引き受けます かに珠数をつまぐりながら動かなかった。 「おお、それがよい。そうしてたもれば、家康どのも、安清正の去った居間の空気のさびしさで、急に寒さが肌に 返った感じであった。 心なされてきっとお引き受け下さろう。それがよい」 「では、これでお暇申し、早速、浅野、細川の両氏にこの秀頼が大坂城の主として、伏見からやって来ると聞く 旨告げておきまする」 と、さっさとこの西の丸に移って、本丸の大奥は、あっさ りと淀の君に明け渡した寧々であった。 「よくよく事をわけて話してたもれ。誤解のないようにな 決してご生母としての淀の君に遠慮したのではない。 あ」 175

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うて、その帰りに、淀屋へ立寄りました。実は、その淀屋 た。そういえば眼も少し血走っている 彼は、茶屋の邸に着くと、店脇の土間から憑かれたようで、聞き捨てならぬことを耳にして参りましたので」 に内玄関へ通っていって、出てきた手代にどもった口調で「ほう、してそれは ? 」 主人の在否をただしていった。 「近々内府が大坂城へお移りなさる : : : この噂は、実は私 「ご在宅ならば、お : : : お教え願いたい儀があって参ったも耳に致して居りました」 「なるほど」 ゆえ、二人だけでお会い下されと」 手代は光悦の気性を知っているので、心得てすぐさま奥「これはお移りなさるが本筋 : : : 今は内府のお力で危くた もたれて居る泰平ゆえ、当然なこと : : と、実は前田家で へ入ってゆくと、 肥前守 ( 利長 ) さまとお話して別れたばかり。それが、淀 「お通り下されませ。お居間でござりまする」 屋でまことに奇怪な噂をなあ」 もう案内に立とうとはしなかった。 「光悦どの、もう少し順序を立てて、話して下さらぬか。 光悦は大きく頷くと、それでも履物だけはキチンと脱い だ。日蓮信者でどこまでも折目正しい光悦の一面が、わずつまりお許は、前田家へ先にお伺いなされたのじゃな」 「その通りで。そして、前田さまと、いろいろ内府のお話 かにここだけに残っている などして、その足で淀屋へまわりましたので」 「おお、これは本阿弥どのか。しばらくお顔を見せなんだ 「うむうむ。そして淀屋で、どんな噂を ? 」 「内府が大坂へ赴くは危いこと ? つまり内府の登城を待 まずお変り無うて : : : と、ご挨拶申すところでご ざりまするが、今日は行儀も草書にさせて頂きまして、ちって討果す : : : その相談がご城内で細かくできて居るとい 、つ噂でござりまする」 と、内密にお願いがござりまする」 「えっそれは、まことか光悦どの : : : 」 茶屋はちょっと小首を傾げた。光悦の態度と言葉に、 : いや、それより 「何で、私が茶屋どのに嘘をいおうや : ・ ) と、思わすものが十分だった。 ( 何かあった もこの光悦がびつくりしたのはその張本人が、何と、前田 「いずれかへ、お回りの帰途のようでござるな」 肥前守さまじゃという噂なので」 「おっしやる通り : : : 久々に大坂表で、前川さまお邸へ伺 おりめ 6 2

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家康は相変らず半ばは笑い、 半ばは怒っているような表「お許は、わしがどのような用心深さで、今日まで敗れを 情で、 取らすに来たか、その苦心をまだまた知らぬ。いま、お許 「佐渡めが、ぬけぬけと放言しくさったわ」 の言葉を聞いているうちに、度々わしは総毛立ったそ」 ばつりといって、こんどはじっと細めた凝視を承兌から「恐れ入りました」 伊奈図書に移していった。 「恐れ入るには及ばぬが、ここは灰重の上にも重に事を 正直なところ、本多正信の言葉は、家康の腹中をあます運ばねば相成らぬ」 ところなく言い当てていた。 きびしい表情でそういってから、家康は承兌に聞かせる その意味では途中から家康は、正信に口を開かせたこと ための小声になった。 を悔いていた。 「このような無礼な手紙を受けてそのまま捨ておいては天 伊奈図書はとにかく、豊国寺の承兌は、いまでは家康の下の仕置きはなり立ちがたい。それゆえ、上杉は討たねば ならぬ ! わしが申したのはここのことじゃ。もう上坂を なくてはならない腹心の協力者になっている。とはいえ、 承知せねば、わしが起たねばならぬと山城めは知 0 てい その交際範囲には三成の知己が多い。 た。知っていてあえて挑戦してきたということじゃ」 ( ここから洩れるようなことがあっては一大事 : : : ) そう思うと、とにかく正信の観点のある個所だけは、否「仰せの通りと存じまする」 定しておかねばならなかった。 「と、ゆうて、軽々しく戦をあちこちで起しては相成ら 「佐渡、そちの思案はやはり机上の論にすぎるそ」 ぬ。豊国寺どのも、佐渡も、上杉攻めが先になったゆえ、 「さよ、フで、一」ギり・ユよしよ、つか」 治部と事を起こさぬよう、呉々も配慮に配慮を重ねられた いという事じゃ。よいかの、わざわざ会津まで出向いてゆ 「実戦を知らぬゆえ、そのようなことを申す。戦というは 生きものじゃ。五千の軍勢が、千か千五百に敗れた例は無き、上杉勢と決戦の最中に、治部に大坂城を落されでも致 数にある。仮りにわしが秀頼さまのご命令を受けて軍勢をしたら何となるそ。退くに退かれす、進むに進めす、わし 発したとて、必す勝っと決ったものではないわ」 の生涯はかたなしであろうが」 「なるにど、それはそうで : : : 」 正信はどうやらもう家康が、何を考えてこのようなこと