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検索対象: 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻
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1. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

「まだお口をはさまれるな。ものの順を追って申している国の毛利、九州の島津にしても、みな天下人としての殿下 のじゃ。おのおの方は、豊家のご当主が天下人であり、そのご処置に従うたまでであって、格別ご恩を受けたとは の天下人がお亡くなりなされたものゆえ、豊家のあと継ぎ 「今しばらく三成の申すことをお聞き下され」 が当然天下人 : : : これは二つにして一つ、その間に一点の 疑義をさしはさむ余地も無い : : : と、こうお考えであろう 三成はもう一度きびしくさえぎって、膝の白扇を立て直 が、それはどこまでも豊家側 : : : つまりわれわれの考え方した。 「わしの申すことも、浅野どのの申されたことと同じなの 「なるほど : : : 」 じゃ。豊家のご恩を思わぬ者は、決して内府ひとりではな と、長盛が呟きながらうなずいた。 い。そこに間題がござるのじゃ。若しこの人々が、天下を 刎なものと考え出したらど 「豊家の御恩を思わぬ者には、二つにわけて考える考え方握る者と、豊家の後継ぎとは、」 もあり得るわけじゃ」 うなろうか。ハッキリいって、若君秀頼さまは、豊家はお 継ぎなさるが天下とは無縁の人という答えが出る。そうし 三成は微笑をうかべてうなずいた。 「おわかりであろう。江戸の内府などは、小牧以来の近づた答えを出され、ご尤もと引き退っていてわれ等は殿下に きにて、決して太閤殿下のご恩を受けたとは思わぬ側顔向けが相成ろうか : 三成は言葉を切ると、沈痛な表情で次々に三人を見てい っ一」 0 「それはしかし : 「おわかりであろうな。ここでは、天下と豊家を二つに考 と、浅野長政が眉根を寄せて、 える : : : その考え方の根を断っておかねばならぬ大事な時 「そうハッキリと人の名まで挙げては : 「いや、今日の場合ゆえ、敢て歯に衣きせずに申すのじゃということが」 三人はもう一度顔を見合って姿勢を正した。 「しかし : : : そういわるれば、豊家のご恩を思わぬ人々は 四 決してそれたけではござるまい。奥州の枅達にしても、中 2

2. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

味に気づいたらしく、 「たしかに。天下を失うた時には、平家も共になかった : 「歯痒ゆいことじゃ ! 」 : と、いわれるのじゃな」 三成はもう一度吐き捨てるようにいって、 いかにも」 「よいかの右衛門、お許のいうとおり、天下と豊家とは別 増田長盛は重々しく頷すいて、こんどは視線を三成に据なもの : : : そう考えたら、考えた瞬間から次の天下人は決 え直した。 まってゆこうが : : : それがお許にはわからぬのか」 「天下と豊家は別々のもの : : : と考えれば、政権の移動は 「すると、天下はそのまま徳川どのの手に移る : : : といわ あっても豊家存続の道はあろうが、天下と豊家は離れ得なれるのであろう」 いもの、一つのものと決めてかかれば、政権を失うた時が 「いうまでもないこと ! 実力第一と自負しているうえ 即ち豊家滅亡の時となろう。この辺によくよく考えておか に、殿下が、当分政務は家康に : : : そういわれた言葉を楯 ねば済まぬカナメがある : : : そんな気がするのだが如何でにとり、家康が諸侯の慰撫に成功したら何となるのじゃ」 あろう」 「お言葉ながら、では、政権を徳川どのに渡さすに済む方 三成はギクッと息をのんで、又癇性らしく白扇を立て直策が、別にあると仰せられるか」 「言葉をそらされな。ここでは政務は内府である家康が執 0 、、 り行なう 「増田どの、お身はそうしたお身の考え方をはずかしいと カそれはどこまでも、若君ご幼少のおりの便 は思われぬか」 法にて、若君ご成人のあかっきには、謹んでお返し申すべ 「これは意外なこと まだ若君は頑是ない。万一の場合きものとしておかぬで何うするのじゃ」 をあれこれと考えて、どのような場合にも善処出来るよう 三成はもう同僚に対するというよりも、歯がゆい下僚を 備えてゆくのが、われ等のご奉公と思えばこそ申したの叱りつける口調であった。 「仮りにお許たちが、はじめから豊家と天下は別のもの 「いや、それが、すでに敵方の思う壺じゃ ! 」 : などと考えて出発したら、家康はカで天下を掌握した 「何といわるる。ちと、お言葉が過ぎはせぬかな治部少と錯覚し、掌握した瞬間に豊家の取り潰しにかかるであろ

3. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

は済して、なまぐさものの謄が供えられまするか」 三成の声には他の三奉行を、否応いわさぬひびきがあっ 「この三成には、それだけは出来申さぬ。むろん考えなか ったのではない。考えて : : : 考えて : : : ただ一つ、若君以 「豊家の栄枯を分っほどの意味 : : : 」 下のご心情を思うてご遠慮致したことでござる」 浅野長政は小首を傾げて増田長盛と顔を見合わせ、 一座はシーンと水を打ったように静かになった。弁巧で はとても長盛は三成の敵ではないと思ったのか、いぜん眼「それは大した鯉じゃ。承ろう」 「由・し上げよ、フ」 のふちを赤くしたまま中庭を睨んでいる。 「これは、まだそう容易にご納得はゆくまい。では、ここ 三成はひびきのものに応ずる気魄で、 で三成が心情、くわしくおのおのに申し述べよう。われ等「それがしが改めて申し上ぐるまでもなく、太閤殿下の御 がこの鯉の振る舞いを、おのおの方は小細工と思われよ薨去は、これを受け取る意味に二つござる」 「受け取る意味に : 「そうは思わぬ。そうは思わぬが、現に、お届け申した鯉「いかにも。その一つは天下人の薨去としてであり、もう 一つは豊家のご当主の死としてでござる」 を、徳川どのなどは、生命を助けつかわすほどに殿下のご 三成はそういうと、果たして他の三人にそのこころが通 平癒を祈れよといいきかせて、泉水へ放たれたとあるでは ずるや否やを探り出そうとするかのように間をおいて、 ござらぬか」 浅野長政がいうと、三成ははげしく舌打ちしてそれを押「天下人の死と受け取れば、当然、次の天下は誰が握るか ということとなり、豊家ご当主の死とすれば、豊家を継ぐ えた。 「困ったことじゃ。それゆえ。この三成はわざわざ鯉をお者は誰かとなる」 のおのにまですすめるのじゃ。この鯉こそは、豊家の栄枯「お言葉中ながら、その分け方はちと : を分っほどの、大きな意味を持っ鯉なのじゃ」 前田玄以が口を出すと、三成ははげしく首を振ってさえ ぎった。 2

4. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

「増田どのは、だいぶ家康を買いかぶって居られるよう じゃな」 三成はまるで長盛の心の奥まで見とおしているかのよう ~ 鋭い薄眼でニャッと笑った。 「お許も家康を律義な内府と見ているようじゃが、なかな かもってそのような他愛のない人物ではない」 「これはお許ばかりに申すのでは無いが、はじめから殿下長盛が口を噤むと、こんどは浅野長政が三成に向き直っ の年齢、健康、血筋の少なさ : : : みな冷たく計算して、こた。 れが次の天下を手に入れる道と決めて化けて来たのじゃ。 「わしもやはり右衛門大夫の申し分には一理あると思う。 問題は、その化け物にどうして本性あらわす機会を与えぬここで殊更内府を敵視するは、毛を吹いて傷を求めるたぐ か ? この一事にかかっている。よくご思案あればおわか い。太閤ご生前のご遺言ですでに事は決まって居る。なる りにならぬ筈はない ! 」 べくおだやかに願いたいものじゃ」 三成は威圧の間に時おり冷たい嘲笑をはさんで、 三成はこれもまた冷たい嘲笑で迎えとった。 「相手は劫を経て神通力を身につけた大狸というところ「仰せの通りじゃ。太閤のご遺言ですでに事は決まってい じゃ。化かされまいそ、おのおの。いや、化かされぬ唯一る : : : われ等の方から申せばのう。天下と豊家は一つのも の護符が、 の、さりながら秀頼君いまだご幼少なれば、ご成人のあか 豊家と天下は一つのものというこの呪文じゃ。 つきまで、政権を家康に預くると : この護符を手離すと、すぐさま諸侯の結東をズタズタに引 : しかし、そう受け取 裂かれ、その上で豊家取り潰しに向かって来る。つまり豊らぬものには少しも決まって居らぬのじゃ」 家の存続を計る道は、おのおのがみな護符を額に張りつけ「決まって居らぬとは、どの点に疑義がござるのじゃ」 て、若君の代理として以外には決して家康を認めぬこと 「されば、太閤のご遺言は、すでに病み呆けた者の老いの 繰り言だった : : : そう考える者が現われたら何となさる ここまでいわれると、長盛ももうロは出せなかった。う かつに口を出すと、家康に内通してでもいるかのように誤 を、つける。 むろんそれを、よく知っていて威圧してくる三成たった 2

5. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

順で律義であった。 う。さすれば元も子もないわ」 家康がはじめて大坂城へやって来たのは天正十四年、そ 「それはしかし : 又いいかける長盛を、三成ははげしい気魄でおさえつけれから十二年間太閤の身辺は実に多事多難であった。 いまだに続いている高麗での戦いは別にしても、利休事 「お許の考え方は、深慮に似て夢想にすぎぬ。どちらへ転件、関白秀次事件、中途の和議事件、その和議の破れ去っ ひょりみ : しかし、、 んでも豊家は存続するように : : : そのような日和見の許さたあとの、三成や小西行長の処分事件など : ここではどこまでも天下と豊家は一つのの何れにも、家康はつねに補佐を誤っていなかった。 れる時ではない。 もの ! 政権は若君成人のあかっきに謹しんで豊家にお返事件のたびに生命乞いをして、助か 0 た人々の数は側近 し申すべきもの : : : その決定の上に立たずに、どうして諸のうちでも十指を越えている。和議の破れたおりの三成も また同じ恩義を受けている筈。 侯を押え得ようそ。敵の罠にかかられな」 そうした家康だけに、どこまでも敵意を捨て親近感をも って近づくべきだと、長盛は考えている。 ( かっては、猛々しい虎であったかも知れぬが : 増田長盛はムッとした表情でロを噤んオ どうやら彼と三成とでは、根本的に「家康観ーー・」が違今では、秀吉の遺言によって政務を執り行なう人であ めあ 、つらし、。 り、若君秀頼に孫の千姫を娶合わす約東の縁類の長者でも 長盛の考え方によれば、家康は、敵対する者にとってはあった。 こちらが垣を払って近づけば、若君はとにかく、その若 どこまでも強い、薄気味わるい存在よー、、 オカしったん納得し たおりには、 君と千姫の間に出来た子たちの時代になれば、家康の血筋 ふしぎな順応性を示して来ている。 小牧、長久手の戦いのおりの家康 : : : そして、その後大がそのまま豊家の主になってゆくのではないか : ( 警戒するより、近づいて一つになること : : : ) 坂城へやって来るまでの家康 : そう考えていたのだが、しかし三成は、全然それを受け さすがの太閤にホトホト手を焼かせた頑固一徹な家康だ ったが、それ等の感情を解いてからの家康は羊のように従付ける様子はない。 つ」 0 よ ) 0 3

6. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

はばかるように孝蔵主は寧々のそばへ螺鈿の手あぶりを 緒に住まう秀頼に、少しでも威厳を添えてやりたいためで あった。 押してやりながら、 数え年でようやく七ツになったばかりの秀頼はまだ、海「本丸の大奥から、前田さまお屋嗷へご使者が立たれたげ のものとも山のものともわからなかった。時々やって来にござりまする」 かつもと 寧々は答える代わりに眼を開いて、小首を傾げた。 る片桐且元の話では、とりわけ愚かな生まれつきではなさ そうであったが、さりとて生まれながらに眼をみはるほど 「いいえ、大納言の伏見行きをお止めなさるご使者でござ りんしつ りませぬ」 の凛質も享けてはいないようであった。 むつ 「ほう : : : では、何のための使者であろうな」 「そうなれば、一層徳川家とは深い睦みを持ち続けておか ねばならぬ。仮りにそれが、家康の眼がねに叶うほどの器「若君さまのため、病驅をおしておいでなさる。そのおね 量人にはなれずとも、豊家の当主であり、最も血の濃い徳ぎらいの使者なそうにござりまする」 川家の縁者となれば、秀吉が、信長の孫に与えていた岐阜「おお、それはよかった ! 」 寧々は思わず声に出して、 の城主としての地位ぐらいは保証されよう。 「さすがに淀どの ! そうなくては叶わぬところじゃ。こ ( 時代は移ったのだ : ・ それ以上の無理をのぞんで妄動すると、天下の乱を招くなた誰にそれを聞きやったそ」 「はい。そっと旦那さまのお耳に入れておくようにと、片 ばかりか、実力のない者の哀れな最期が豊家を見舞うにち 桐どのからのお言づてにござりました」 寧々は何度も大きくうなずいた。 ( 治部や淀の君が、冷静にそれに気付いて呉れますように ( まだまだ豊家には人がある : : : ) それは今の寧々にとって、しみじみと心の晴れる知らせ 寧々は孝蔵主が戻って来て、ひっそりと前にすわるまで であった。 じっとその事を考えつづけた。 「そうか、淀どのが、ねぎらいの使者をやって下された ( 西の丸へ移ったら、もう何もいわぬ決心だったが : : : ) か。それはそれは 「旦那さま」 らでん

7. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

その反感から若し大事が引き起こされたら、それこそ太閤身で伏見へお出向き下さる。その大納言に、豊家としての のご遺志にそむく結果になろうそ」 レーただ一つ : : : 内府に答礼させることだけなのじゃ」 寧々はそこで、たまりかねたように唇を噛んで言葉をと 「主計頭どの、わらわとても、太閤亡きあとの豊家に、内ぎらせた。 府と戦って、勝てるだけの実力があるのだったらこのよう清正の眼からまた、ポトリ、 ポトリと涙がおちている。 なことはいわぬそえ。何の十人衆の手を待とう。わらわか 「それゆえお許、内府にこう告げては下さらぬか。豊家と ら、私婚のことなどビシビシ責めていったであろう : 徳川家とは、太閤のご遺志によって末々までもご親類 : が、よく考えてみるがよい」 いや、天下の泰平を祈り出そうとして固く結ばれた一心同 をし」 体 : : : それゆえ寧々がひたすら頼んでいたと。内府が大納 言に答礼して下されば、両家の和合を天下に示し、無用の 「あの豪気な太閤が、日の出の勢いのおりにさえ、ついに 騒ぎはなくなりましよう。それゆえ、強ってお願い申した 討ち得なかった内府なのじゃ」 「ああ、その事はもう : いと告げて下され」 「相わかってござりまする ! 」 「いや、この一点に眼をつむってはなりませぬ。ここがい 清正はいきなりその場へ両手を突いた。 ちばん大事な扇のカナメなのじゃ。太閤さえ討てなかった 「たしかに腑におちました : : : それが、それが太閤さまの 内府 : : : しかもその内府は、関東へ国替えとなって、以前 に数倍する実力に仲びている。このように相手を大きく仲 ほんとうのご遺志であったと : : : 清正はじめて、悟り得ま ばしておいて、太閤も亡く、身内は高麗で疲れ切っているしてござりまする」 いまになって、何ができるというのであろう。咲きさかっ 寧々はそれを聞くと、不意に両手で顔を蔽った。はげし た桜に駒はつながぬものじゃ。この動かし難い事実に眼をく全身をふるわしながら : つむってはすべてを誤る : : : わかって下さるのう」 「いや、大納言とて、それがようおわかりなさるゆえ、自 「のう主計頭」 172

8. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

「よいかの、利家どのが病驅をおかして訪間なされたの 「内府に、何を頼むのでござりまする」 に、内府がこれに答礼しない : : : そうなっては利家どのが 「内府と利家どのとは、いわば伏見と大坂の両巨頭」 内府に屈したと世間で見よう。これは後々、豊家のために 「仰せの通り」 「その一方が訪間すれば、一方からも答訪あるが至当のこも由々しいことじゃ」 とではあるまいか。いいえ、これは互いに感情の尖り合う 五 ている今すぐにというのではない。何れ、内府も答礼に大 坂へやって来る : : : となれば、利家どのに対してわらわの清正は姿勢を正して眼を閉じた。 豊家のための由々しい大事 : : : そういわれるとひとりで 心もむのじゃが」 に身内のひき緊ってくる清正だった。 「さあ、それは、しかし : 「なるほど : : : 大納言がわざわざ伏見を訪れなさるのに、 「徳川家の家臣どもが承知すまいというのであろう」 内府がそのまま聞きおくでは、大納言は、内府に屈したこ 「はい。何分にも世間の騒ぎが : 「それゆえ頼むのじゃ。太閤のお志は、どこまでも天下のとになる : : : 」 「そのことじゃ」 安泰にあった筈。それゆえ、二人が心の底から打ち解け合 うたと世間に証拠を見せてやりたい : : : わらわが、そう願寧々はまたひと膝すすめて、 うていたと頼んでみてはたもらぬか」 「誠実律義な利家どのは、世評など何とあろうとただまこ とを尽すのみじゃと仰せられよう。しかし、世間ではそう 清正は答えなかった。 寧々の気持ちはよくわかる。しかし、それは却って騒動は見まい。利家どのもついに内府に屈したと見てゆこう。 なだれ を誘発しそうな気がするのだ。三成一派が若し伏見を離れそうなれば、人心は雪崩をうって内府に傾き、豊家の影は た家康に、刺客をさしむけたらそれがロ火になり、口実と見るまに薄れる : : : 」 なって却って戦にもなりかねまい。 「ふーむ」 「治部どのは、それ見たことかというであろうし、若君の 清正が黙っているのを見ると、寧々はまた言葉を続け お側衆の中からも、内府への反感は昻まろう : : : そして、 6 ) 0 171

9. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

一催し得るかの計算だけは、戦国に育って来た秀吉の妻とし て絶えず胸裡をはなれなかった。 三百万石という数字は、一万石に二百五十人宛の割と見 ても、七万五千という数字が出る。 「はじめは、大納言もなかなかご承引の様子はなく、細川 しかもこれは秀吉と違って、家康と一心同体、父祖代々 どのも一応自説を引込めました」 の譜代の数ではなかったか : と、生月正はいっこ 0 したがって、こ・れは、時によって三百の動員も可能なら 寧々の視線はい . ぜんとして庭に向かっている。が、それ ば、三百五十の無理も出来よう。 は正面から自分を見据えている以上に、聴覚をすましてい ( 旗本だけで八万騎を擁している : : : ) 寧々はその数字の恐ろしさを、秀吉との十四歳からの生るのだと清正にはよくわかった。 「細川どのは一応大納言の前を引退って、こんどは利長ど 活で知りすぎるほどに知っていた。 いや、寧々にわかるこの数字が、諸侯にわからぬ筈はなのを以て説かせた様子でござりまする。ここで前田、徳川 かんか い。したがって「ーーー・家康起ッ ! 」と聞くだけで、諸侯のの両家が干戈を交えるようなことがあっては、ハッキリ天 大半は家康の側につこう。 下は二分する。不快ではあろうが徳川どのと和解ありた その反対に、豊家の子飼いの人たちはどうであろうか。 さなくば、前田家ばかりか豊家にも大きな禍いが及び ひへいこんばい 主力はみな高麗に動員されて、疲弊困憊の極にあり、到底ましようと : 太刀打ち出来る状態にはない : / \ 0 . いつ、 寧々は時々小さく頷いては又耳をすましてゆ それだけに、寧々の、いちばん恐れているのは、家康ち意見をさしはさむと、律義な清正のロを封ずるおそれが に、若し信長死去のおりの秀吉のような覇気を持たれるこある。ここでは寧々は、何の粉飾もない、真実の声と空気 とであった。 をキッチリと肚に入れておきたかった。 家康に秀吉とおなじ覇気を持たれたら、あっという間 「それに、いちばん大切なは太閤さまが、ご臨終前に何故 豊家はどこかへ消えうせよう : あわただしく、徳川どのの孫姫と若君のご婚約をお取決め それを案じて、わざわざ清正に、伏見へ赴いて家康の身 辺を守護するようにと、秘かに頼んだ寧々であった。 167

10. 徳川家康 11 日蝕月蝕の巻軍荼利の巻

っ ( これで、家康はうまうまと、わしの才覚の罠にかか ( これで安心して都があけられる : : : ) 秀頼と淀の君と、前田利家 : : : これをしつかりと味方のた。博多で、自分が先に引きあげてくる諸将に会えるとい 陣営に結びつけておかなければ、三成の豊家に対する忠誠うのは何という仕合わせであろうか。そこでひと足先に諸 将の胸に暗示の杭を打ち込んでおきさえすれば、その杭は 心の目標はあとかたも無くなるのだ。 この三つをしばりつけておくためには、淀の君の妬心の後々までも利くであろう ) 三成は評議が終わると、活々とした表情で大奥へ淀の方 敵である北政所が、幾分家康に接近したとてやむを得ない をたずねていった。 ことであった。 いや却って、それを口実にして、淀の君を一層強く牽制 七 しておくことさえ出来る。 話はそれから、引揚戦に要する馬糧のことになり、食糧淀の方は、何か憑きものがしたようにはしゃいでいた。 調達のことになった。 自分でもおかしい気がする。 葬儀は二月末、それまでに三成は、三成に反感を抱く諸 ( 今日は太閤の初七日ではないか : 将の懐柔に全力をそそげばよい。 しかし、喪にあるような悲しみを見せてはならないとい 何といっても秀吉子飼いの人々なのだ。遺孤秀頼をふりわれている。それでわざとはしゃいでいるのだろうか ? かざし、家康の野心をあばいてゆけば豊家にそむけるやか そう自分に間いかけてみると、あわてて顔をそむけて、 らではない。 ペろりと舌を出すもう一人の別の女が自分の中に棲んでい る。 「これで、すっかり腑におちました」 その女は、今日阿弥陀ケ峰で、太閤の遺骸が一片の灰に 三成は評議の終わる頃には、人が変わったように圭角を 無くしていた。 なるのをよく知っていた。 ( もうあの痩せほうけて、異臭を放っていたみすばらしい 「これで初七日も済みましたれば、ご遺骸を火葬に附し、 若君さまにお目にかかって、すぐさま博多へ出発致します老人は、これですっかりこの世から消えうせる )