石田三成 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻
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1. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

を睨んでゆく尉風の眼になった。 それ等の人質が、家康の到着を知って武士以上に狼狽し たのはいうまでもないに ~ 「よし、これでよかろう。あとはおれの知ったことではな いっそ死ぬならばこの城 い。どちらが、どのような戦をするか、愚かな大将は黙っ に火をかけて : : : などといい出す者さえあるほどで、 てじっと見てゆくまでじゃ。、、・ : さ、冖郷って休も、つ とにかく、敵状を探りながら、出来得れば一泡吹か ぞ」 せて、味方の士気を盛上げておかねばならぬ」 その頃から 、いったん雲が切れて星影をのぞかせていた 三成が、戦巧の老臣、島左近に前哨戦を命じなければな 空は、また、暗く細雨を含んで来た。どうやら明日は霧のらないほどの事態であった。 深い夜明けになりそうな関ヶ原近辺の天候たった : 島左近は、三成が、こうした日のために二万石という大 禄を給して抱えてあった筒井家の浪人で、当時兵法日本一 と称された柳生石舟斎宗厳などとも親交があり、野戦の駈 石田草 引では達人の噂が高かった。 その島左近が、同じ石田家の老臣蒲生備中と共に東軍の 中村隊に誘いかけ、前哨戦では互角以上の戦をして引揚げ て来たのであったが、城内の不安は去らなかった。 「ーー・ー全滅させて来ると豪語して出てゆきながら、あんな 大谷吉継が、ひそかに小早川秀秋を説きに松尾山をめざ に負傷者を出して戻って来たではないか」 している頃 このありさまでは籠城になろうぞ」 大垣城内では、敵の手応えを探りにいった前哨部隊が、 「ーー・・・町を焼かれたうえ、ここで蒸し殺されるのか。島左 相当の手傷を負うて薄暮の中を帰って来たのでごったがえ していた。 近、蒲生備中といえば、石田家の両翼といわれるほどの侍 この城の主は伊藤盛正。盛正は東軍の諸将が赤坂へ布陣大将、それがあの有様では : した時から、敵との通謀をおそれて、城下の主だった町人「 これは巧々と内府の謀略に乗せられたのじゃ」 「ーーーそうらしい。みな、内府はいま、奥州で上杉勢と戦 達からまで人質を徴して城へ入れていた。 197

2. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

主力で、三成自身もそれに同行しなければなるまい もう一手、伊勢路への大将は毛利秀元 : : : 秀元は、輝元 に実子の秀就が出来るまで世継ぎにあげられていた輝元の 従弟だった。彼は毛利家の世子として二度目の高麗攻めに は、若手ながら総帥として渡韓した経験を持っている。 伊勢路はこの毛利秀元に、吉川広家、安国寺恵瓊、長東 正家、毛利勝永、山崎定勝、中江直澄、松浦久信等をつけ て進ませ、美濃路を行く主力が岐阜城に進出した頃に、こ の秀元に尾張を衝かせる気であった。 「決戦場は、美濃と清洲の間 : : : 」 かって、秀吉と家康が小牧山をはさんで雌雄を争ったそ の近くで、こんどこそ天下わけ目の決戦を : : : そう思う うず と、三成の胸は軽く疼いた。その会戦の総大将は、毛利輝 元と徳川家康。しかし、歴史の主軸を握っているのはどこ までも石田三成自身なのだ : 三成はまたそっと扇の先を清洲で止めて、眼を閉じて静 かに息を吐きだした。 3

3. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

いばら かどうか。今ごろは、岩につまずき、荊に傷つきながら、 うていたわ」 家康はそうした私語を聞流して、ゆっくりと床几へ戻る草の葉で饑えをしのいで闇の底をさまよっているのではあ る亠よいカ・ と、はじめて采配をおいて、 そう思うと、敵としての憎しみよりも、人間としての未 「雨は止みそうじゃの。方々もご食事なさるがよい」 熟さに舌打ちしたいほどの歯痒ゆさを覚えて来る。 そういって土間を区切った野営の膳所に入っていった。 機会は家康の方から幾度となく与えてやった。 膳所から少し離れた地点に、細い竹を渡し、渋紙を張っ 高麗から全軍引き揚げのおりには、わざわざ諸将を博多 て屋根にした家康の食事の支度所が出来ている。鍋二つに 水桶三つ、湯沸しの薬罐が一個そこにはあり、先刻から庖まで出迎えさせてやってあったし、前田利家との気詰りな 丁人二人と下僕五人が一町ほど下の谷からせっせと水を運交渉中にも反省の機会は幾度もあった。 それを敢えてもうとはせす、ついに七将に追われて大 んで用意にかかっていた。 せいぜい三千石ほどの知行取りの野陣でも、これより立坂を捨てなければならなくなった。 そして、七将が伏見へ追って来たときにも、家康は懐中 派な支度所がある。弁当箱はせいぜい三人前しか入るま の窮鳥を責めはしなかったのだ : しかし、それが摂れるというのも、勝ったればこそ、家 ( それなのに三成は一度も振り返ろうとはしなかった : 康は合掌して弁当の蓋をとった。 自分でまっしぐらに悲劇の淵へ歩行をゆるめず、大切〈 , 味方すべてを抱いたままでその淵に飛び込んでしまったの ( 雨脚は細っている。この分では間もなくあがるであろう どこに彼の計算違いの原因がひそんでいたの 箸をうごかしながら家康は、又しても山中に遁れた石田 三成の身を思い出さずにはいられなかった。 勝ったので、味方の諸将は小早川秀秋を気軽く嘲笑っ 三成は果たして、今日の戦がこうなることを予測し得た た。しかし、彼のような立場にあったら、誰が昻然と胸を 277

4. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

お袖は頷くより也によ、つこ 0 それだけにお袖は一層切なかった 6 この屋嗷に来た頃はまだお袖は、自分が三成を愛してい 装われた男の強さの裏の裏まで来ている。三成は人一倍 こまかい神経を持った男なのだ。 たとは気付かなかった。 よみ それゆえ本阿弥光に、 ( その三成をひとりで黄泉の旅に立たせてやる : : : ) 私の好きな殿御はあなたのような : そう思うだけでお袖はたまらなくなって来るのだ。 戯れではなく、そんなこともいい得たのだ。 「お袖・・」 ところが、三成が大垣へ出陣したと知ったころから、お 高台院は、また呼びかけて、 袖の、いはぐいぐい三成に手繰り寄せられた。 「こなたは、まだ危い地獄をのぞいていやる。そこから眼 ( 三成の刺せといった高台院は刺しもせず、このまま石田をそらすことじゃ」 一族を滅亡させていったとしたら : : : ) し」 その怖れは的中した。い まこの世にただ一人生き残った「治部に抱くこなたの情は美しい。それはの、女子だけに 三成が、明日はいよいよ旅に立っ : 恵まれた母の心じゃ。しかし、同じ母、同じ妻女の心の中 じようばんげばん にも上品・下品の差はあろう。こなたはその心を上品の座 五 に据え直し、治部の菩提を弔うこころになりなされ」 三成をこの悲劇の中へ立たせた原因は、無数にあった。 決してお袖ひとりの責めではない。 「そうじゃ。明日処刑と決ったならば、そなたの目で処刑 しかし、お袖が三成のそばにあって、その決心を煽ったのさまを見て来ることじゃ。さすれば治部が、何をのそ ことは事実であった。 み、どのような心根で旅立ったか、それがこなたに分かる いや、三成はそのようなことに依って、微塵も動かされであろう」 はしなかったと信じているに違いない。今でもきっと、何「 「そのうえで、治部の墓を建てておやりなさるがよい。治 を婦女子の知ったことかと、例の気性で胸をそらしている であろ、つ。 部はたしか、東福寺とはかくべっ深いゆかりを持っ筈 : 345

5. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

どのようなことがあっても、わしのそばから離れて 島勝猛は家康が兵法の師範としている柳生石舟斎宗厳と は相成らぬ。わしの身辺にあって、わしの指導に従うの交りの深い知友であり、蒲生郷舎は以前に蒲生氏郷に仕え てその勇名をうたわれ、氏郷に蒲生の姓を許された剛の そして、彼は、今暁開戦までじっと石田の陣を睨み続け者。戦場の駈引きでは彼等は、三成の両腕というよりはむ しろその師であったといってよい。 それだけに、彼等は最初の寄せ手などはさして間題にし 石田の陣は前面に柵を二重に構えさせただけではなく、 右手の北国街道には、吉継の子の大谷大学と、秀頼の旗本ていなかった。 きほろ おそらく田中吉政父子も、生駒も金森も、軽くあしらい で大坂城から連れて来ている弓銃隊、黄母衣隊をおき、北 ながら二重柵に引きつけて、そこで鉄砲のつるべ打ちを喰 方は相川山というどこまでも厳しい備えであった。 その秀頼の旗本を身辺におくのも、長政にとっては片腹わせて全滅させるつもりだったに違いない。 黒田長政はそうした彼等の意図を充分に察知していた。 痛い僣上に想えた。 それなればこそ遠く石手を迂回して、いきなり青塚にある 2 ( 万一のおりには北国街道を遁げる気らしい : 遁がすものか、きっと首はこの手で挙げてみせてやるぞ島勢の左脇腹を衝こうとしたのである。 「まだ撃つな。そして離れるな。わしの側を離れて、敵将 : そんな気負いで待っていた長政は、前面で両軍の間に 撃ち合いが始まると、相川の北からそっと行動を起して石の首を挙げたとて手柄とは認めぬそ」 相川の向うから、充分に島勢に接近して、引添えてあっ 田勢の側面にまわっていった : た十五人の中から鉄砲頭の白石庄兵衛と菅六之助を呼んで 命じた。 石田勢の先鋒、島左近勝猛と蒲生郷舎とは共に今日の戦「鉄砲は、いま何程 ? 」 「はツ。百五十挺はござりまする」 のために三成が高禄を惜しまず抱えてあった猛将だといっ 「よし、そのうち五十挺を選りすぐって島の本隊を狙え。 てよい。 一弾必ず一人を倒すつもりでかかれ」 島勝猛には二万石、蒲生郷舎には一万石。

6. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

はじめ、淀屋、本阿弥、納屋、今井などの京、大坂、堺の方だけ二度もみ、他の者には一度もその例がなか 0 た。 商人から茶道衆まで、何かにことよせて立ち寄るのだ 0 た。そのような奇績はあり得るものではない。鶴松君と秀頼と みなそれぞれ「お見舞い 」という名で何程かの情報まことの父親は一人であろうか。一人とすれば、大野治長 をもたらして来るのだが、高台院はっとめてそれ等の人々であり、二人だ 0 たとすれば、大野治長と石田三成ではな に会わなかった。 かろうか : : : そんな噂が、高台院を慰め得るかのように囁 こうぞうす 鄭重な挨拶は孝蔵主に受けさせ、軽い相手には慶順尼に かれる空気は、勝気な高台院にとってはたまらなくやりき 代理をさせた。 れない不快さだった。 したがって九月十五日の決戦以後の出来事は手にとるよ それにもう一つ、次々にやって来る訪問客の目的があら うにわかっていった。 わに見えだした。 わかればわかるほど、高台院は人々に会うのがうとまし それは高台院のロ添えによって、家康の天下に生き残ろ つ」 0 ー刀 / うとする、私心の見え透いた日和見の旧臣たちであった。 よくよく高台院の心を知る者でない限り、人々は高台院 ( このままでは、豊家を売 0 たは高台院 : : : ) が、三成を憎み、淀君を憎み、したがって淀君の子の秀頼そんな答えさえ出されそうであった。 をも憎んで、家康に加担したものと解しているようすであ その日も安国寺の知己たったという東福寺の僧侶が訪ね つ」 0 て来たと取り次がれて、 中には露骨に、 「慶順尼に会うように」 「ーーー・お芽出度う存じまする」 取り次ぎに来たお袖に命じた。 そ、フいう者さえある。 九月三十日の朝で、もうその訪客の用件はわかり過ぎる そして、その頃から、一度下火になっていた、悪性の噂ほどにわかっている。 がまた邸内に立ちだしていた。 二十六日に大津を発した安国寺恵瓊と、小西行長、石田 「ー・ー秀頼君の、ほんとうの父親は誰であろうか ? 」 三成の三人は、大坂から堺を引きまわされた後、京都に引 ともと秀吉には子種がなかったのた。それなのに淀の立てられて所司代のもとで処刑の日を待っているのた。 340

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っている。それに佐竹、真田が兵を挙げて攻めかかって行彼は、篝火の間を縫って大玄関に馳せつけると、 「島津豊久、治部少輔どのに御意得たい ! 」 ったゆえ、こちらへなど来れるものではないと、たかをく 赤鬼のような表情で呼ばわった。 くっていたからの」 これは、飛んだことになったぞ」 ざっとう そうした雑閙の中を、あわただしく宇喜多秀家や小西行 島津勢は、街道の北側に、大谷、宇喜多、小西と横に並 長などが眼を血走らせて出人りするのだから、町人たちの んだ天満山の北に陣を割当てられている。そこから豊久が 不安と狼狽はそのまま下士に伝染する。 よどう決ったのであろう。籠城か、そ駈けつけたと聞いて、三成はすぐさま、広間に案内させ いったい評議ー れとも城を出でて戦うのか」 広間ではいま、前哨戦をやって来た島左近、蒲生備中な 「ーーー、騒ぐな。わし等が騒いでみたとて何うなるものぞ。 どを囲んで、石田勢の移動の打合せ最中であった。 とにかく軍勢の数では味方がずっと多いのだ」 籠城が不可能となれば、石田勢もまた、今夜のうちに城 「ーーーすると案外明日は戦にならぬかも知れぬな。まだ、 を出て、野陣を張らなければならない。 江戸中納言秀忠の旗は立ってはいまい」 ′関の方向へ出 その場所は関ヶ原から北国街道を小池、ト そうした混乱の中で、とにかく西軍の軍評議は 外れた、島津勢の更に北側になる筈だった。 「野戦ーー・」に決った。 「おお、島津どのか。すっとこれへ」 籠城といってみても、これははじめから無理であった。 あやし 今更何の用談かと、審んで向き直ると、三十歳の豊久 第一松尾山にのばった小早川秀秋が、山を下って城に入 は、草すりの音をたてて三成の前に坐った。 る様子はなく、長東正家も安国寺恵瓊も、南宮山の南に陣 「明日を期して野戦に勝負を賭けると承りましたが、これ 取って、明らかに日和見を決めこみそうな気配なのだ。 はもはや動かぬ事でござろうか」 と、その雑鬧の中へ馬を飛ばして、島津義弘の代理とし しかに , も」 て、甥の島津豊久がやって来たのは、もうすっかり夜にな ってからであった。 三成は、まだ豊久が何をいいに来たのか察しがっかず、 198

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ものになるのは避けられまい : : むろんこれは石田三成としておわすようじゃ。さ、手を曳いて早く行け」 いう、一人の偏屈者の性根にきざした挙兵ながら、大きな意 湯浅五助はびつくりして立上り、あわてて吉継の手を取 つ ) 0 味ではただの無駄とは相成るまい。考えようによっては、 これこそ太閤亡き後の最も自然な地固めともいい得よう」 そこまでいって、相変らす、シーンと眼の前に坐ってい る吉継の繃帯の顔を見ると、三成は弱々しく微笑した。 三成はあわてて立って、もう一度、 「いや、このようなことは、あえてお身の前で述べる必要「刑部どの ! 」 はなかった : : : お身はとうに三成の心の裡などは見抜いて と、鋭く背後から呼びすがった。それは湯浅五助がギョ がしゅう 居られる : : : これはやはり三成の小さな我執と受取られてッとするほどはげしい殺気をふくんでいたが、吉継は振返 それでよい。ただ : : : 三成が、この事を運ぶには、お身のろうとはしなかった。却って五助よりも先に立つほどの素 協力が絶対に無ければならぬのだ : : : 三成だけでは諸侯は早さで、廊下を歩き、すぐあとから三浦喜太夫と平塚因幡 信じぬ。お身のいうとおり三成は、不遜で傲岸で人望のな守が追いすがった。 い男 : : : しかしお身にはその三成に足りぬものがみな充分「五助、追う者は ? 」 に備わってある : : : 」 玄関で乗物に移るとき、吉継はそっと五助の耳に囁いた。 三成は言葉を切るとまたしばらく鳴咽した。 「ござりませぬ。治部さまもおいでなされ、郎重にお見送 「 : : : それゆえ、三成に協力出来ぬと考えられたら : : こりなされておわしまする」 の場で : : : このまま刺して下され。刺されぬうちはこの執「そうか。向うから手出しはせぬか」 念から離れ得ない三成じゃ。刺して下され : : : 」 正直なところ湯浅五助には、吉継のそのつぶやきは解せ 「ならぬ ! なりませぬ」 なかった。恐らく吉継には、きびしく申出を拒んで逆に三 不意に吉継は、凛とした声でさえぎると、そのまますっ成からの手出しを待っ気があったのではあるまいか。若し と立上った。 そうだったら、或いは自分も刺され、相手も刺す気だった 「五助 ! 垂井へ戻るそ。本日は、治部少輔どの少々取乱のかも知れない。

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れて死ぬのと、鳥居成次に父の仇を註たれて死ぬのとで な反援を口にしてしまったのだ 改めて考えてみるまでもなく、この言葉は大きな嘘であは、三成にとってはその価値に雲泥の差があった。 らぎよ、つ った。その扱いに不満があったら、それが家康であろう ( 三成 ! これがそちの裸形なのだ。この小さな反撥心の と、毛利輝元であろうと、大声で叱りつけようというのがおかげで、いつも却って自分の意志をはずかしめる : ・ : ・こ 最期を前にした三成の意地であり意志であったのだ。 れがこなたの、ついに脱しきれなかった生涯の欠点だった それを何ぞや「ご存分に それで、その言葉が洩れるや否や、すかさず、 そして、いまその欠点を見つめながら、家康の前から曳 「ーーーそれはかたじけない」 きさげられる三成たった : あざやかに家康に斬り返されて、さっさと身柄を鳥居元 忠の遺児にさげ渡されることに決まってしまったのだ : 「では、お疲れでもござろうゆえ、すぐさま鳥居久五郎が 鳥居久五郎成次はまだ若い。 陣屋へ参られまするよう」 恐らく伏見城で憤死した父元忠の仇敵を、なぶってなぶ 本多正純に促されて、三成は床几を立った。 って、なぶり殺しにしてやりたい気持なのに違いない 自分からいい出したのだから、素直に立つより他にな 本多正純が三成を引立てると、彼はもう一度家康に無言 で頭を下げて、三成のうしろからついて来る。 といって、これほど心外なことがあろうか。少なくとも 三成はもう何も考えまいと思った。 家康を相手に天下分け目の戦をした一方の主謀者として、 それはささやかな言葉の反撥だったが、取り返しのつか 堂々処刑されるつもりの石田三成が、つまらぬ対抗意識のぬほど大きな失言であり失策であったことも事実なのだ。 しようレう 失一「ロから 、いっぺんに、鳥居久五郎成次の「父の仇ーーー」 事態がこうなってしまった以上、わが身の処置は従容と の地位にまで蹴落されてしまったのだ。 して鳥居成次に任せてゆくより他になかった。 、 . をししオしことが山ほどあったに・ 死にはかくべっ変りはない。 しかし、あれが豊家のため ( 家康こ、、、こ、 それにしても、家康のあの、有無をいわさぬ言葉尻の捕 に最後の抵抗を試みた西軍の事実上の総大将 : : : そういわ 313

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「えっではあの山へでも : る 0 舟は無事に、向う岸へ着くものとうて漕ぎとうござ 三成は相手の手を執ったまま、明るく笑った。 りまする一 「庄屋のもとへ連れて参れ」 「それは、そうであろうなあ」 「そ : : : そ : : : それでは話が違いまする : : : 」 「そして、私はそのまま柴をおろして帰って来る。庄屋さ 「そうでは無い。そなたが、わしを捕えて庄屋に渡す : まも舅も妻子も何も知らぬ : : : さすれば、それで、四方八 庄屋は田兵の居る井ノロへ訴え出る。それでよいのじゃ。 方みな無事ではござりませぬか」 わかったの婿どの」 「そうなれば、確にそなたの申すとおりじゃ」 一瞬相手は、狂ったように手を引いて、 三成はそう答えると、そっと相手の手を探した。 「それはなりませぬ ! そのようなことはなりませぬ」 昻奮しているせいであろう。その手は節くれ立ってひど 喰いつくような声で身もだえした。 しかし温い手であった。 「そ : ・・ : そ : ・・ : それでは、わしが離縁になりまする ! 」 : こなた、舅におとらぬ善人じゃ」 「与次郎が婿どの : 「ありがと、つ ~ 仔じまする」 十五 「わしは : : : 石田治部少輔三成は : : : そなたに比べて何と 「聞きわけよ婿どの」 恥しい生涯を送って来たことか。わしは、こなたにない智 三成も声をはげました。 にたよって、こなたのような律義な温さを探りあてずに 生きて来た : ・ : ・有難う、これでわしは、わしに足らなん「これが、こなたの真情に答え得るたった一つの三成が好 意なのじゃ」 だ、もう一つの大きなものを身につけたそ」 「じゃと申して、舅どのの匿もうたお殿さまを、伜のわし 「では、お出下されまするか」 が訴え出る : : : そんなことが、出 : : : 出来るものではござ 「おお行かいでか」 : この通りでござりませぬ」 「ありがと、つ ~ 仔じまする。ありがと、フ : 「では、三成はこのままここを動かぬそ」 り・まする」 「それは : ・・ : 困りまする。それでは : : : 明日になれば、庄 「したが、行先は浜ではないそ」 でんべい 303