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検索対象: 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻
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1. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

し」 戸を開くと、風音がぐっと冷たく、星の光りが荒んだキ ラメキを投げてくる。 「そなた、悔いては居らぬか。これから探索はいっそう厳 しくなると田つが」 ( やはり賤ケ嶽の近く : : : ) 間もなくこの地方を訪れる冬の香がすでに身近に歩み寄「何の悔いなど致しましよう。私はお殿さまには : っている感じであった。 「大恩受けたと、真実、いまでも思うて居るか」 「よ : 「ではご大切に」 「いったいわしに何の恩を受けたのじゃ」 「体をいとうて長生き致せよ」 「これはしたり、私と隣郷の太十郎が柴山の境界で訴訟を そうはいったが三成はもう善説を振り返ろうとはしなか 致しましたおり、お殿さまはわざわざ私のために太十をこ 闇の中で小さく動く、与次郎太夫の踵と、足半の動きに らしめて下さりました」 「それが大恩か ? 」 全神経を集めて歩いた。 「はい。あのおりの正しいお裁きがなければ、わが家は、 山林のすべてを失うて五反百姓になり下っていたのでござ 岩屋へたどりつくまでに、三成は二度路傍へしやがんでりまする」 用を達した。もう以前ほど腹はしぶりはしなかったが、足「そうか。正しい裁きが、それほどの大きな恩なのか : の疲れと便意とが断ちがたいものになって、暫く歩くと休 話しながら山裾をめぐって岩屋の前にたどり着いたと ますにいられなかったのだ : き、与次郎太夫は、何を見たのか、 そのたびに与次郎太夫はすこし離れてじっとあたりを警 戒していた。 と、三成をその場にしやがませ、急いで二、三十歩桐畠 「野良大でも出て来まして、吠え立てますると困りますの中に駈け込んだ。 「どうしたのだ。誰か居ったのか ? 」 る」 いいえ、ゴソリと音が致しましたが、何も見えませぬ」 「与次郎太夫」 つ ) 0 あしなか 298

2. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

( 何という大きな自信 ! ) 「ーー・・大谷刑部少輔吉継が、垂井宿で病いを発し出征を見 石田治部少輔三成は、兵を率いて大坂 そうは思っても、まだ家康のはんとうの覚忸までは覗き 合わせました。レ ] 、一 日寸よ、つこ。 へ出陣して来る標子 : : : その後の事は追ってご通知を」 それがはっきりと呑み込めることが、やがて起った : 文面はそれだけだったが、何よりも奇怪なのは三成にと って、最も忠実な味方であるはすの増田長盛が、まっ先に 十 こうした手紙を届けて来たということだった。 家康が、江戸城に入って十七日目の七月十九日の夕方、 「又々お叱りを受けるかも知れませぬが、この手紙は治部 永井直勝宛に、大坂の増田長盛から飛脚が届いた。差出しの知恵ではござりますまいか。わざとこのような手紙で内 た日付けは十二日になっている。これが家康の手許へ届い応を装わせ、それで上様のお考えを探ろうとし、又出て来 た西からの最初の手紙であった。 ている諸将を動揺させようという : 直勝はそれを見ると、すぐさま本多佐渡のもとに持参 本多佐渡が側からそっと口をはさんだが、家康はそれに し、二人揃って家康の前へ出た。 答えようとはしなかった。 もうその頃には殆んど到着すべき西方諸大名の軍勢は到 「直勝、早速祐筆どもを呼び集めて、この手紙を諸将の数 着して会津をめざしていたし、未到着のものは大坂で差止はど写させて呉れ」 められたと見るべきだった。 「かしこまり - きした」 「増田右衛門大夫から書状が到着致しましたが」 直勝は答えたが、本多佐渡は急き込んだ。 直勝が家康にそれを渡すと、家康は眼がねを取寄せさせ 「すると上様は、この手紙を写させて、豊家子飼いの人々 て、ゆっくりとそれを読み下した。 にまで、配布なさるご所存で」 わずか五行足らすの短文たったが、それは、家康の会津「そうじゃ。そうしてはわるいと思うか」 出征が図にあたり、西日本の人心が否応なしに右か左かの 「上様 ! それでは先方の罠にすすんでかかることには相 決定を迫られて動揺していることをまざまざと語ってい成りますまいか。何と申しても、諸将は、みな大坂屋嗷に 妻子を残して来て居りまする。そこへ、そのような手紙を

3. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

「はい。むろんご内室が、お方さまや、江戸中納言さまのは、どこまでも治部が描いた不都合な夢 : : : 若君のお味方 は決して減っては居りませぬ」 奥方とご姉妹という点もご考慮なされてでござりましょ う。大津から、こんどは若狭の小浜へ転封、以前の六万石「もうよい。そのような気休めは : まこともう止しましよう。悪夢は忘れ去った 九万二千石に決る由にござりまする」 がよろしゅ、つごギ、りまする。実は今日内府とも、ちらりと 「まあ、では三万二千石ものご加増 : : : 」 話が出ましたが : 「むろんご舎弟さまや藤堂どののおロ添えでござりましょ う。そうそうご舎弟の高知どのは、別に信州飯田の八万石「話が出た。それを聞きましよう。どのような話が出まし から丹後の宮津十二万石 : : : これもご出世でござりますた」 淀の君が身を乗り出すと、且元は眼を細めて秀頼の方を 見やった。 且元がそういうと、淀の君は眉根を寄せて、 「若君さまと、お千姫さまのことでござりまする」 「片桐どのも、わらわを怨んでいるであろうな」 「まあ : : : お千がこと : 「これはしたり、何で私がお方さまを : : : 」 「こなたとて、わらわの側に居らなんだら、三十か五十の はい。このご縁談にお心変りがあってはと、そっと話し てみましたところ、内府さまは眼を細められて、お千も江 大身にはなれたであろうに」 且元は苦笑しながら首を振った。 戸で大きゅう、愛らしゅうなっていたそと仰せられまし 「且元には、禄に代えられぬ若君がおわしまする」 た。この縁談も正式に世間に発表したがよい。その方が人 「その若君やわらわに近づいた者どもはみな消えた : 心の定まることにもなろう。何れ汝、骨を折れよと申され つきもしみじみと思うたのじゃ。太閤の後家と子供は二人ました」 だけになったとなあ」 「まあ : : : 」 「ご冗談にも、そのようなことは仰せられまするな。加藤「内府は若君をわが子のように思うておわす : : : ご母堂さ まと若君とたった二人になったどころか、真実はこれで、 どのにせよ、福島、黒田さまにせよ、みな若君やお方さま の行末を思うて内府へお味方なされたもの。今度のこと徳川家もその一族もみな若君のお味方に同化なされた : 361

4. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

翌十七日は、終日人馬を伏見城で休養させ、家康自身は 飼いの者の中に喧嘩の種を残して逝んでこの有様 : : : この 事を決してお忘れなきように : 十八日の早焼に駕籠でここを発した。 元忠はじめ家長、家忠、近正の四人は大手の外に並んで くどくそれを繰り返した。個人の器量がいかに卓抜した ものであっても、人間の命には限りがある。それを悟らすこれを見送ったが、その時には、見送る元忠も、見送られ に立てた計画は、淡雪よりも儚ないものと、述懐にことよる家康も、もはや感傷の名残りなど、みじんも見せないき びしい武将の顔と顔であった。 せて意見するのだ。 近ごろ元忠は、家康が元佶に命じて刊行させた「貞観政伏見を去ればもはや途中は戦場といってよい。 まして、つぎに通らねばならない近江路は石田三成の勢 要」を誰かに読ませて聞いている様子だった。 以前には本多作左衛門に劣らぬ頑固一徹な武骨さを誇るカ圏に近いのだ。 ところがあったが、今では、 家康は昼にはもう大津に着いて京極宰相高次の饗応を受 学問は大切な宝でござりまする」 けていた。 そんなことをいったり、 高次の妻は、秀頼の生母淀の君の妹で、秀忠の妻の阿伊 「ーー・結局その人の事業の存続するか否かは、かかって徳与の方の姉にあたっている。 にある。太閤さまは器量あって徳が足らなんだので」 家康は、高次を先々の見える味方と信じてはいたが、ま などともいった。そうかと思うと、面を強めて、 だ、めざす敵が三成とは、高次にうかがい知らせてよい時 どうかっ ではなかった。 たとえ、何十万の大敵が押し寄せて恫喝しようと、 生憎なことに、この元忠は怖いということを知らぬ男 : 敵はどこまでも会津の上杉景勝であり、家康はいま、そ いつでも戦うだけ戦うて、城に火を点け、われとわが身をの景勝討伐に熱中していると見せかけておかなければなら 荼毘に附しまする」 ない時なのだ。 などと豪語もした。 大津で昼の饗応を受けると、その日のうちに、家康はわ 家康にとってはその夜の語らいは何も彼もがしみじみとずかな近臣と共に石部へ着いた。 、いに残るものだった。 石部に着くと、おどろいたことに、三成と深い連繋を持 じようかん 2

5. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

ハ乂にはき、から、つ十、 : というのは、若しさからって家 代になったぞと、そのあかしのお花見をさせてやるのでご ざりまする」 督のことでも云々されてはという保身の偽装に通じそうな 正信は孫でも説くような口調でいって眼を細めた。 気がするのだ。 「いま、日本中では、まだ戦のあとの殺伐の気が納まって「一応 : : : 忠吉うけたまわった。では、忠吉の存念を申し は居りませぬ。よく考えれば、誰もご当家に敵し得るもの上げよう」 : と、わかっていながら、まだこの先何が起るか 「ほ、つ、まだ、ご異見が′ざりまづるか」 とソワソワしています。そこへお千姫さまと、秀頼君を並「無くて何としようぞ。昔、平清盛は、その母池ノ禅尼の べて見せてやる : : : 何れもまだこの世のけがれを身につけ乞いを容れ、頼朝が亡弟の面ざしに似ているからとて、こ た人ではない。雛壇に飾られた美しいお伽話の中のお方れを助け、その頼朝のために滅亡の憂き目を見たのをご存 じゃ。二人並べてご覧じろ。そのまま生きた花でござりま知か」 「承知いたしてござりまする」 「ふーび」 「世間でこの故事を何と見るかは問うところではない。忠 3 「その花を見て、はじめて諸大名はホッとする。御両家が吉はこのおりの清盛入道は慢心してあったと思うのじゃ。 一緒ならば、争う種はもう無いのだと、改めて世の中を見もはや勝った ! 誰も平家に歯の立つ者は居らぬ : : : その 回しまする。 : ・改めて世間を見直すと、 いよいよも慢心が仏ごころに姿を変えて頼朝を助命させたと : ってご当家の実力が身にしみる。泰平とは、そのようにし そこまでいうと、こんどはビシリと強い秀忠の言葉であ て招くもので、血ばかり流すものではない : ・と、かよ、つ にお父上さまはご判断なされてのお指図にござりましょ 「下野どの、あとはいうまい。不饉慎じゃ」 う。なあ中納言さま : 四 秀忠は、きちんと坐ったままで、かくべっ頷きもしなか たが、異議もさしはさまなかった。それがまた忠吉には 「ほう、清盛と頼朝の例が不謹慎 : : : 」 許せない偽の装いに見えて来る。 忠吉の頬は蒼白だった。声はいよいよ刺すような静かな

6. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

と、小声で命じた。 新太郎はすぐさま駕籠丁を呼ぶように命じたが、すで , 鳥居新太郎は心得て正家のあとを追った。 石部泊りを申渡されて、駕籠丁たちはその場にいなかっ 正家は宿外れの白知川の川原まできて、そこに七、八十 人、家臣が待ち受けていて合流するのを見て戻った。 「急げ。人足どもが居らぬでも、誰か、かっげる者が居る 「そうか、供を川原に待たせてあったか ? 」 であろうが」 「はい。なぜ宿所の前まで連れて来なんだか、妙なことを まるで火のついたような急き立て方で、家康はさっさと 駕籠に乗ってしまった。そうなると人足などは待っていら する人で」 きやはん れなかった。供してきていた渡辺忠右衛門が、草鞋に脚絆 家康はそれには直接答えずに、 ーナで 「もうどれほど正家は行ったであろうかの」 「されば、かれこれ一里半ほどは」 「御免 ! 」 「一里半ではまだ早い : いきなり後棒をかつぎ、前棒は鉄砲組の足軽がかっ じっと虚空を睨むようにして考えて、戌の刻 ( 午後八 時 ) になると、不意に立ち上がって、今夜このまま石部を従う者はわずかに近習二十余人 : : : 少し遅れて到着して いた女房たちゃ、水野正重、酒井重勝、成瀬正成、本多忠 発っといしたた 勝などの軍勢はおき去りにされてしまった。 「急な用を思い出した。駕籠を急げ」 ここは何の備えもない旅の宿舎だった。こんなところ「新太郎、わしはひと足先に発ったと、内々でみなに知ら で、もし襲われたらと、不安になったのに違いない。それせ。汕断するなツ」 の仮橋をわたった頃になってようや そして、駕籠が砂川 にしても、何のゆえに襲われそうだと判断したのか、新太 郎にはわからなかった。 く遅月の外を、すかしみながら忠右衛門に声をかけた。 「後をかついでいるのは誰じゃ」 「急げ。遅月が出るはずじゃ。遅れては一大事じゃそ ! 」 「はい。渡辺忠右衛門にござりまする」 十二 「そうか。道理で、息づかいも振り方も手際がよいと思う よ 0 っ ) 0

7. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

ものではあるまい」 で、その名をハッキリ肝に銘じておかねばならぬ」 淀の君は、いってしまって自分でもびつくりした。自分「しかしそれは治部たちの : : : 」 「いいえ、治部の名で起った人々ではない。みな若君さま で制御しきれない、もう一人の女性が、またしても頭をも ご大切と思えばこそ : たげて来たようたった。 且元は狼狽して手で制した。 「では申上げまする。上杉家のご処置はまだハッキリ致し 「それはご口外なされてはなりませぬ。折角そうではない ませぬが、これは近く降伏して来るらしく、そうなれば、 と、内府さまが仰せられているのでござりまする」 毛利同様、家名だけは残るのではござりますまいかと : 「家の残る者を訊いているのではない。お取潰しになる者「片桐どの」 「十、ツ の、名をハッキリと確めておきたいのじゃ」 片桐且元はちょっと小首を傾げて、又チラッと秀頼を見「そういえば、伏見からこの本丸に運んで来た、黄金はど れほどあったそ」 やった。秀頼は相変らず、双紙をひろげて何か楽書してい 且元は再び小首を傾げた。 る。飛び跳ねている馬の絵のようであった。 「それは、三百六十駄、約一万八千貫がほどにござります 「それならば、先ず備前の宇喜多秀家、岐阜の織田秀信、 宇土の小西行長、土佐の長曾我部盛親、筑後柳川の立花宗るが、しかし : : : それが何と致しましたので ? 」 茂、加賀小松の丹羽長重、若州小浜の木下俊勝 : : : 」 と、指を繰りながら名を挙げて来て、 引、こ答える気で、またしても、全く逆 「ご母公さま、いったいお方さまは、これを訊かれて、何淀の君は且元のし なことをいった。 となさるご所存でござりまする」 「では、その一万八千貫は、無いものと思うてよい余分の この質問は更に淀の君の昻ぶりかけた感情に鋭く触った 黄金じゃ。そうであろうな」 ・ものらしかった。 且元は、こんどはすぐには答えなかった。 「何で聞くとは知れたこと : : : それ等の人々はみな若君の 淀の君のいちばん悪い一面が、むき出されて来ているの ためと思うてすべてを捧げた犠牲ではないか。忘れてよい 3

8. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

袖の心が安らぎそうな気はしなかった。 お袖は三玄院に和尚を訪ね、三成の影塔を建てて呉れる ( あの人の決意の蔭で、その父も、兄弟も、妻子も、みな ように頼んで、寺内の片すみで、自分も三成の後を追う気 この世から去っていった : : : ) であった。 いや、肉親たけではない。前後の戦を通じて何万という 三成はそれを叱るかも知れない。いや、無視してさっさ じゅそ 人が、或いは泣き、或いは怨み、或いは呪咀しながら、 と一人で歩いてゆくかも知れない。それでもよいとお袖は とにかくこの世から姿を消していったのだ 思った。お袖も又、黙ってツンととり澄して、あとをつい それなのに、お袖は、その事実から眼をそらし、耳を蔽て歩いてみせなければ意地が立たないのだ。 って、平気で生きてゆける女だったのだろうか : どこをど、フ通ったか ? 若し淡々と悟りすまして、みんなの菩提を弔うといい出 とにかくもうお袖の目から三成は消えないものになって したら、もう一人のお袖がこれを許しておくであろうか。 いる。彼女の前をいまも現に胸をそらして歩いている。お お袖が起ちあがったのは、空の星が美しく北風に洗い出袖はそのあとをどこまでもついてゆく : ・ : ・ されて来てからだった。時刻は考えてもみなかったし、も 大徳寺のある大宮村に来たときにはもう道の草に露がお 3 う頭の中に、自分の帰りを案じていて呉れるであろう高台りていた。山門の金毛閣の扉はきびしく閉されて、あちこ 院の姿もなかった。 ちに棟を並べた子院も堂塔も墓も草木も眠っている。その あるのは、胸を張って首の座に近づく三成の顔と、その 閉した門の中へすーっと三成は煙のように吸い込まれた。 三成が、案外おとなしく教えを聞いていた、大徳寺三玄院と、お袖は急に考えを変えた。もはや三玄院の長老に会 の宗園和尚 ( 後の国鑑国師 ) の顔であった。 う必要はない気がした。そんな小さなことよりも、自分は 和尚の顔を何うして一緒に思い出したのか ? 思い出し三成を追わねばならぬ : : : そう思 0 て、急いでの前に坐 た時に、しかしお袖は起ちあがっていた。 って、懐剣の紐をといた。 覚悟が決った : : というよりも、それは当然そうしなけ そして、それを豊かな乳房の下に突き立ててから、これ れば、お袖の中に棲まうもう一人のお袖の意地が許さない が「愛。ーー」なのではあるまいかとかすかに思った : からであったが :

9. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

◆、つ ) 0 を刀 / る。それを改めて返還させ、何も論功行賞を行なわずに、 「上様 ! それで、そのような小理屈で、天下のお仕置がそれで味方した人々が納得してゆくと思うか。それこそ日 なると思召されまするか」 本中は不平の渦にまき込まれ、蜂の巣をこわしたような私 闘の巷に変ってゆこうぞ」 十 家康はそういってから、こんどは本多忠勝をかえりみ て、 井伊直政に喰ってかかられると、はじめて家康はニャリ とした。 「ここでは、一応日本中を白紙に還えす。そして、信長、 始めからこうなることを予期していたらしい 秀吉、家康と、三代を通じての悲願であった日本国統一と 「今の申しようはお許が正しい。 しかし兵部、ここで輝元泰平招来の鏡に映し直し、器量と働きに応じて所領の分配 の所領をそのままにしておいて、天下の人心が改められるを仕直すのだ。この鏡に誰がどのように映 0 てゆくか。誰 と田 5 、ってか」 : これ がどれだけ熱、いに、三代の悲願に献身して来たか : とっ癶、 井伊直政は気勢をそがれて咄嗟に返事が出来なかった。 を決めるのは家康では無うて、その鏡なのだと思うがよい」 家康はただの憎悪や感情だけでものをいっているのではな 忠勝は頷いて直政を見やった。 いらしい。それが薄ら笑いの奥には 0 きりと読みとれるか楙原康政だけははじめから感情のうごきは見せずにい らであった。 る。彼は関ヶ原の戦に加わらず、秀忠と共に中山道をすす 「輝元をこのまま許したら、景勝も許さねば相成るまい。 んで来ているので、直政や忠勝ほど、毛利方の者と密接な 輝元・景勝を許したうえは、秀家も行長も義弘も罰せるも交渉を持たすに済んでいるからだ 0 た。 のではない。筋が通らぬからの、さすれば、罰し得るもの 「わかったの、兵部どのも」 は三成と恵瓊だけか : 家康はこんどは直政にどのをつけて、若い者を説くとき 「さあ、それは : の口調になった。 「この二人だけの所領で、・ とう献身して来た人々の功を賞「以前のわれ等は、わが家の足許を固めてかからなければ してゆくのだ。すでにあちこちと現地で地図は変 0 て ならなんだ。わが家が無うては、理想も悲願もあり得ない 334

10. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

で輝元の所領安堵を信じて交渉しているものゆえ、顔の立て居るのじゃ。何も考えず、うつかり、安国寺や治部少の つようにというのだから、本多忠勝のいい分とはひらきが手に乗せられたなどと申して済むことと思うてか。その段 存じ詰め : : : とは、思案の限りを尽したという意味であろ あった。 うが。それに堂々と秀家と連署して、日本中に配布したの 「直政、お身はこの家康が、両人のことを考えて居らぬと だ。その責任を取らねば輝元自身の武士が立つまい。それ 田、フか」 が労わらねばならぬほどの兄弟か。どうじゃ直政」 「それは、上様の御ことゆえ : : : 」 直政ははげしい家康の怒声にあって、ロを噤んだものの 「そうじゃ。充分に、あれこれと思いめぐらした結果なの だ。よいか、輝元へは上杉征伐に大坂を発するおり、何事まだ承服は出来なかった。 によらず兄弟のごとく致すべき旨、この家康から誓書を与誓書など、今の世では誰もさして重要視していない。問 題は、あの関ヶ原で毛利勢が敢えて反抗しなかった : えた。それをお許も知っていよう」 「されば、ここでその兄弟のごときご度量をもちましてや、させないようにあっせんした黒田や福島の功績を認め 3 3 よと、直政はいっているのだ。 「直政、腑におちぬな」 「默らっしゃい」 「よッ 「はい。輝元の不都合は相わかりまするが、それがしのお 「わしの方で兄弟のごとくと誓書を書き与えて出発したの願いは : に、すぐそのあとで『内府ちがいの条々ーーー』につけて、 「聞くに及ばぬ。では両人にこう申せ。輝元は天下に向っ 輝元は日本国中へ何を宣言し、何を布令たと思うのじゃ。 て許しがたき檄をとばし、わざわざ地上に乱を招いた不届 わしはその文章までハッキリと覚えて居る。去年来内府お者、それゆえ、その所領は、これを召上げて、吉川と黒 おきめ ん置目にそむかれ、上巻誓紙にたがわるるほしいままの働田、福島の三名に加増するつもりであった。だが、輝元の き、奉行年寄一人ずつ相果て候ては、秀頼さまいかで取立本領を安堵せねばみなの顔が立たぬと申すなら、加増を遠 慮してみなで輝元をかばうか、どうじゃと申せ」 てらるべく候ゃ。その段に存じ詰め、今度合戦に及び候。 お手前もご同然たるべく候 : : : と熱、いに西軍加担を勧誘し いわれて、井伊直政の額には、ムクムクと癇筋が浮きあ