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検索対象: 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻
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1. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

そういうと首につらせたままの繃帯をとらせ、みずから睨んだ。 「お召しでござりまするか」 薬を塗ってやった。 「痛むか」 小栗大六忠政は、、 しくぶん頬を硬直させて家康の前に片 膝ついた。 いいえ、一向に : 「そうか、股の傷も大事に致せよ」 「横田甚右衛門の報告によると、そなた、下野守が敵に組 伏せられているを見て、手を下すなと申したそうじゃの」 また誰か鼻をすすりだした者がある。 「はい。たしかに申してござりまする」 しかし家康は、必ずしも井伊直政の傷だけを案じている のではなかった。 「その所存を、ここでみなに聞かせてやれ」 「かしこ亠より・きした」 初陣の忠吉に、この戦勝の宵の空気を滅茶々々にされま 小栗忠政は一礼してから、 いとしてひそかに心で祈っていた。 「下野守さまは本日が初陣にござりまする。その初陣で単 「おお、下野も手傷を負うたか」 はじめて家康は、わが子の前に立って声をかけた。 騎先駈けなされ、島津勢の剛の者松井三郎兵衛なる者と先 思いなしかその眼はきびしい凝視に変っているようであす馬上ではげしくわたり合い、それから組んで馬の間に落 つ」 0 ちました」 「なあに、ほんの薄傷でござりまする」 「なるほど、単騎で先駈けしたか」 忠吉は口惜しそうに、直政の口調を真似た。 しュよ一」とに一男亠ましい限り : ・ : さりながら松井三郎兵 「そうか、それはよかった」 衛の力がまさりましたか、才 且丁ちの最中に下になり、泥に 家康はそのままさっと床几に戻って、 鎧の袖をとられてはね返そうと必死のご様子 : : : 」 「小栗忠政」 「そちはそれをつぶさに見て居たのじゃな」 「仰せの通り、それを見兼ねて横田甚右衛門が助勢致そう と、自分のうしろに控えている使番の中へあごをしやく つつ」 0 と致しましたるゆえ、下なるは下野さまじゃ。手出しは無 忠士ロはギクリとし 、かけかけた床几の前に立って小栗を用と止めてござりまする」 272

2. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

「ーーお案じなさりまするな。それがしも内府と共に戦し て来ています。決してご生母さまや若君さまに他意はない 「もし、上様、何と遊ばしたのでござりまする ? 」 と見きわめました」 大蔵の局に又声をかけられて、 「え、何といわれたのじゃ ? 」 そう告げられたときに、ワーツと声をあげて泣き伏し た。そして、それからすぐに片桐且元を呼び出して、使者 ふり返った淀の君の眼のいろは妙にとまどった放心ぶり を選ばせ、家康の許へ治長と共にお礼の使者をさし向けたであった。 のだ。 「ご処刑なされた治部さまは、何も彼も投出され、無一物 そして、家康が城に入って来るまで、淀の君は気性に任に近かった : : : それなのに、長東さまのお城には、金銀が せて、あれこれと表のことにロ出したり、主戦論の侍たち山のように蓄えてあったと申し上げたのでござりまする」 を呼びつけてたしなめたりしていた。 淀の君は気まずそうに頷いた。 それが、家康が西の丸に人り、秀忠が二の丸に入って来「死ぬほどならば金銀も不要であったろうに」 ると、急にがっかりして何をする気もなくなった。 「その事でござりまする。これから、戦後のご処分がはじ 大蔵の局が、三成たちの処刑のことを話しだしたのも、 まり・ますると、さまぎ、まなことが聞 , んて参一りましよ、つ」 こうして無事に納まったことの裏では治長の骨折があった 「ほんに、聞かずに済ませたらよいものを」 のだと、それを話題にしたいらしい : とわかっている。 そ、フいってから、ふと田い出したよ、つに、 が、淀の君はロを利くのがもの憂かった。視線では、こ 「そういえば、十五日まで大津の城に籠って、内府のため れもばんやりひとり遊びをしている秀頼を追っているのだ に働いてあった京極宰相はどうなさったことやら」 が、いま、秀頼のことを考えているのでもなかった。 大蔵の局は、ちょっとがっかりした顔になった。ここら 誰かが、何ものかが、淀の君の躰から何かをごっそりとで伜の大野治長の話を出して貰いたかったのであろう。 抜きとっていった感じであった : が、京極高次の話が出たのではやむをえなかった。 高次は淀の君の次の妹を娶っている。したがって淀の君 355

3. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

ついた。捕えてあるのでは無くて、捕えてあるといって脅 ーそうであろう。尋常の事では応じはすまい。彼等もすで迫してみる気に違いない。 に死は決しているのだ」 五兵衛は、ちらりと三成と眼まぜして藤助に向き直っ 「その事でござりまする。何しろ : : : 」 あわてて何かいいかけようとする伴五兵衛に、 「郷士の衆が内応すれば、むろん事は違うて来ると仰せら 「わしはの、この城中に籠っている甲賀者の妻子親兄弟、れる。その方矢文でその旨射込んでみよ。籠城の面々は、 みな調べて引っ捕えさせた。明日この壕外に連れて来て、 このままではみな妻子家族を失うことに相成るのだ」 は・つけ 見せしめのためにそれ等をみな磔に致す。その事を鵜飼「心得ました。聞き入れるや否やは別のこととして、家族 の矢文で知らしてやるがよい」 一同の生死にかかわることとなれば、知らせておくのが同 三成は静かな声でそういった。 郷の友への信義かと心得まするゆえ」 「それがよい」 四 三成は生まじめな表情で、 「若し同意ならば、松の丸に放火したうえ、城壁に攻めロ 「えっではあの甲賀衆の家族を : : : 」 伴五兵衛より先に、同じ甲賀出身の郷士である鵜飼藤助を作れと申せ。さすれば、明日の処刑は取りやめ、何れ恩 がおどろきの声をあげた。 賞の沙汰をしよう。いやならば強ってとはすすめぬ。何れ 三成はその藤助の眸をじっと見つめて、 落城は知れてあることゆえなあ : : : 」 「いかにも」 「では、すぐさま矢文を認めまする」 と、鷹揚にうなずいた 「それがよい。その方だけの書面では相手も迷おう。伴五 「では、あの、山口宗助や、堀十内などの妻子もお手許兵衛、お身は長東どのの陣代として、その矢文に責任を持 っ旨一筆書き添えられよ」 「その通りじゃ。山口宗助も堀十内もな」 「心得てござりまする」 伴五兵衛は、その三成のいい方で、凡その事情は察しが早速伴五兵衛は鵜飼藤助を伴って、突出している壕ぎわ っ ) 0

4. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

いわれてはなるほど恥辱じゃ。よし、突破する気で本陣へ れる : : : それゆえ、その前に、甲胄をお取替えおき願いと 斬込もう。島津は逃げもかくれもせぬ。如何なる大敵の中 へも堂々と斬込むのだ : : : それだけでよい。ワッハッハッ 「なに、何のために、わしとお許が甲冑を変えるのじゃ」 : 中書めが、面憎いことをほざいたわ。よし、その気 豊久は、その間も紐を解く手をゆるめず、 「さ、すぐにお取替え願わしゅう : : : 殿が討死の覚悟で斬で参る。しかし甲胄の取替えはまかりならぬ。急いで着直 込みを敢行なさるに、われ等が、万一にも殿を落させ申すせ ! 」 用意も怠り、のめのめ斬られてあったといわれては末代ま で、もの笑いになりましよう」 案外おとなしく鎧を 「豊久、お身は、わしにさからうのか」 豊久はギロリと義弘を見上げたが、 「さからいませぬ ! 万一敵が道を開いたおりの用意にご着け出した。 ざりまする」 いったん言い出すと聞き人れない義弘の気性のはげしさ 豊久は薄笑いをうかべて草の上に鎧をおいた。 をよく知っているからであろう。 「遮二無二斬込んで、万一敵が道を開いたおり、わざわざ さっさと鎧を着直すと、 討死する要はない。そのおりには、豊久、その甲胄を頂戴「では、お約東のその羽織を」 してしんがりをつとめまする。それをせずに戦うては、島 こんどは澄して義弘の前へ両手を出した。 「なに、約東じゃと」 津は、は、じめから負ける気であったといわれまする」 「はい。その羽織たけは下さる。鎧は着直せと仰せられま 「ふーむ。ほざき居ったぞ。中書めが」 「ごムロ点が参りましたら、少しも早よう」 した」 「中書 ! 」 「よっ 義弘はとっぜん顔をうわ向けて、腹の底から雨空へ笑い を放った。 「この場におよんで小惲巧なことを申すと許さんそ」 い、さ : ? これはおどろきました。豊久にもし些か 「小悧 ) ・ 、。はじめから負ける気で斬込んだ : ・・と 259

5. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

ものではあるまい」 で、その名をハッキリ肝に銘じておかねばならぬ」 淀の君は、いってしまって自分でもびつくりした。自分「しかしそれは治部たちの : : : 」 「いいえ、治部の名で起った人々ではない。みな若君さま で制御しきれない、もう一人の女性が、またしても頭をも ご大切と思えばこそ : たげて来たようたった。 且元は狼狽して手で制した。 「では申上げまする。上杉家のご処置はまだハッキリ致し 「それはご口外なされてはなりませぬ。折角そうではない ませぬが、これは近く降伏して来るらしく、そうなれば、 と、内府さまが仰せられているのでござりまする」 毛利同様、家名だけは残るのではござりますまいかと : 「家の残る者を訊いているのではない。お取潰しになる者「片桐どの」 「十、ツ の、名をハッキリと確めておきたいのじゃ」 片桐且元はちょっと小首を傾げて、又チラッと秀頼を見「そういえば、伏見からこの本丸に運んで来た、黄金はど れほどあったそ」 やった。秀頼は相変らず、双紙をひろげて何か楽書してい 且元は再び小首を傾げた。 る。飛び跳ねている馬の絵のようであった。 「それは、三百六十駄、約一万八千貫がほどにござります 「それならば、先ず備前の宇喜多秀家、岐阜の織田秀信、 宇土の小西行長、土佐の長曾我部盛親、筑後柳川の立花宗るが、しかし : : : それが何と致しましたので ? 」 茂、加賀小松の丹羽長重、若州小浜の木下俊勝 : : : 」 と、指を繰りながら名を挙げて来て、 引、こ答える気で、またしても、全く逆 「ご母公さま、いったいお方さまは、これを訊かれて、何淀の君は且元のし なことをいった。 となさるご所存でござりまする」 「では、その一万八千貫は、無いものと思うてよい余分の この質問は更に淀の君の昻ぶりかけた感情に鋭く触った 黄金じゃ。そうであろうな」 ・ものらしかった。 且元は、こんどはすぐには答えなかった。 「何で聞くとは知れたこと : : : それ等の人々はみな若君の 淀の君のいちばん悪い一面が、むき出されて来ているの ためと思うてすべてを捧げた犠牲ではないか。忘れてよい 3

6. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

という噂であったし、細川忠興も、十一万石から四十万石 「もう見えますまい。父の中納言に従うて城から去ってい 近い出世をするだろうという風評だった。 ったゆえ」 そうした噂が、このように大きな打撃を自分に与えよう 「負けたのでござりまするなあ、藤七郎も」 と、淀の君は考えても見なかった。 しいえ、藤七郎は負けても、若君は負けたのではござり ませぬ。江戸の爺が、そうご挨拶なされたではありませぬ秀吉の生前は、むろん彼女の方が北政所よりも優位にあ った。表面はとにかく、内実では北政所より淀の君の申出 力」 の方が、ずっと秀吉を動かす力で立ちまさっていた。 「ウン、それはわかっている。でも : いいかけて、秀頼もすぐに口を噤んだ。どこか母の様子淀の君が、小西行長の肩を持ったり、必要以上に三成に 接近したりしたのも、自分の勢力を張ろうとか、小西や石 が異様に見えたからであった。 田に格別見込みがあると見たからでもなかった。 淀の君は又ホッと大きく吐息をした。 あの勝気な淀の君が、急に元気を失くしたのは、三成や いわば北政所を軽く揶揄してみたいいたすら心で、秀吉 いわゆる がどちらを採るかと試した程度のものであった。 行長の処刑と反対に、加藤清正や、福島、黒田など、所謂 ところが世間はそれを、秀吉の閨房に北政所派と、淀の 北政所派の人々が、大きく加増されるという噂を耳にした 君の派とがあり、その二つの暗闘は当然あるべき筈のもの 時からだった。 そうした事情は、彼等と同輩だった片桐且元が、逐一彼として、ついにあらしめてしまったのだ。 そしてその結果はどうなったであろうか : 女に報らせて来た。 淀の君派といわれる人々は、みな三成に担がれて処刑さ それによると、高麗で散々淀の君の押した小西行長と、 功を争って秀吉に叱られた加藤清正は、肥後の熊本で、二れたり、家を滅したり : : : そして、その反対に、北政所派 しまや、すべて国持の大大名にのし上 といわれた人々は、、 十四万石増しの五十四万石の大身になるということだった し、福島正則は、清洲から安芸の広島に移されて、四十九つてゆくのではなかったか : これだけで対比されると、愚かな女と賢しい女の差が、 万八千二百石の大大名になるということだった。 はっきりと亡国と興国興家の差をつけてしまったことにな 黒田長政も十三万石から一躍福岡で五十余万石になろう 358

7. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

し」 戸を開くと、風音がぐっと冷たく、星の光りが荒んだキ ラメキを投げてくる。 「そなた、悔いては居らぬか。これから探索はいっそう厳 しくなると田つが」 ( やはり賤ケ嶽の近く : : : ) 間もなくこの地方を訪れる冬の香がすでに身近に歩み寄「何の悔いなど致しましよう。私はお殿さまには : っている感じであった。 「大恩受けたと、真実、いまでも思うて居るか」 「よ : 「ではご大切に」 「いったいわしに何の恩を受けたのじゃ」 「体をいとうて長生き致せよ」 「これはしたり、私と隣郷の太十郎が柴山の境界で訴訟を そうはいったが三成はもう善説を振り返ろうとはしなか 致しましたおり、お殿さまはわざわざ私のために太十をこ 闇の中で小さく動く、与次郎太夫の踵と、足半の動きに らしめて下さりました」 「それが大恩か ? 」 全神経を集めて歩いた。 「はい。あのおりの正しいお裁きがなければ、わが家は、 山林のすべてを失うて五反百姓になり下っていたのでござ 岩屋へたどりつくまでに、三成は二度路傍へしやがんでりまする」 用を達した。もう以前ほど腹はしぶりはしなかったが、足「そうか。正しい裁きが、それほどの大きな恩なのか : の疲れと便意とが断ちがたいものになって、暫く歩くと休 話しながら山裾をめぐって岩屋の前にたどり着いたと ますにいられなかったのだ : き、与次郎太夫は、何を見たのか、 そのたびに与次郎太夫はすこし離れてじっとあたりを警 戒していた。 と、三成をその場にしやがませ、急いで二、三十歩桐畠 「野良大でも出て来まして、吠え立てますると困りますの中に駈け込んだ。 「どうしたのだ。誰か居ったのか ? 」 る」 いいえ、ゴソリと音が致しましたが、何も見えませぬ」 「与次郎太夫」 つ ) 0 あしなか 298

8. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

おもしカわ しつ上ナ そ 0 廃城に、」、い急の修理を施し、家康は、田 5 川に背面しくらわせて、味方に引き入れようと執拗に苦心しているカ た本丸あとの一劃に人っている。 の証拠なのじゃ。それに真田父子は微禄すぎたからの」 そして、その反対側の追手寄りに、今日の軍評定を開く 「何れ、それがしから、必ず : : : 」 ため、榊原康政の手で四間四方の仮屋が建てられていた。 「こだわるな。それが真実だということじゃ。よいか、そ もうその仮屋には秀忠、秀康をはじめとして、続々諸将れゆえ今日は、わしは評定の場には出ぬつもりじゃ」 が馬で到着しだしている。 いわれて井伊直政も、びつくりした。 「 =-: 様が、お出ましなさらぬ軍評定などは全く無意味、そ 四 れは又何となされたご所存で」 家康は、忠勝と直政が入ってゆくと、それまでの話を打「直政と忠勝で、みなの申すことを充分にききおくように 切って二人の方へ向き直った。 とい、フことじゃ」 「真田安房守父子は、大伏まで来て引返したそうじゃの」 家康は、生まじめな表情で、 それは直政にというよりも、本多忠勝に問いかけた形に 「よいかの、今日のところは、わしから諸将に告げて貰い なったので忠勝は渋い表情で、 たいことがある。それに対して意見が出たら聞きおくこ 「それには、いろいろとわけがござりまする」 と。意見が出ねばそのまま両三日間をおいて、再び評定を と、一一一口いわけ・しよ、フとした。 開くこと」 西の騒動を伝え聞いて、あわてて引きあげていったの 「と、仰せられましても、上杉勢はすでに布陣を終って居 は、今のところ真田父子だけだった。しかもその真田安房りまする。直江兼続は兵一万を率いて南山口より下野に出 守昌幸の嫡子信幸は、本多忠勝の婿、忠勝としては心苦して高原にたむろし、本庄繁長とその子義勝は八千をもって つりふ つねただ かったのに違いない。 鶴生、鷹助に。安田能元、島津昔忠は白川、市川房綱、山 家康は軽くさえぎった。 浦景国は関山に : : : そのうえ、景勝自身も麾下八千と、控 「いや、べつに責めているのではない。お身に義理のあるえの軍勢六千を引連れて若松城を発し長沼に進発したとご 、さすれ 真田父子が引返したということは、石治少が、いかに利をざりまする。その敵前で、木連川から白沢までに陣取って 110

9. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

すすめには従いましたが、心中では、決して、御敵になろ「退ってよい。越中どのも大儀であった」 相手が意地をもった人間だったら「草のなびき うなどと、存じては居らなんだのでござりまする。何と いわれた一言に、激怒か赤面か、とにかく声を呑む筈だっ : この通りでござりまする」 ぞ、お許し願わしゅう : こが、朽木元綱にはそれだけの気概はなかった。 家康は見ているのがつらかった。腹立しく、おかしく、 もっとも気概があったら、大谷吉継に殉じていたに違い やりきれない感情がもつれ合った。 ( いかに狼狽すればとて、このように取乱した詫びが出来ない。 家康は元綱が去って行くと、箸をおいて、再び床几場へ るものであろ、つか : 家康には想像もっかない位置に、朽木元綱の境涯はある戻って来た。 、 0 もはや諸将はそれぞれの陣屋へ引取って、側近だけが本 陣に残っている。家康自身も全身の節々が抜けるような疲 「河内守どの ! 」 れを覚えた。 見かねてさえぎる細川忠興を、 家康は本多正純をかえりみて、 「よいよし」 「まだ、来る者があろうかの」 家康の方から制した。 正純はその意味を解しかねて、 そういったが、 「河内」 「、よ、ツ 「そろそろ、竹中重門どのを、お迎えに : し」 と、小声でいった。 「その方などは小身なれば、俗にいう草のなびき、自分で 表面家康はこの藤川台に仮泊することになっている。だ 自分を決めかねる場合があろう。それゆえ家康は、敵対さ がその実は、関ヶ原から少し北にある宝有山瑞龍禅寺に泊 れたとて格別痛くもなければ憎くもない」 る手筈になっていた。 へいたん 瑞龍禅寺は竹中重門の兵站部になっていて、このあたり 「本領安堵を申付くる。退って家人を安心させよ」 : 元綱 : : : 元綱 : : : 決して忘却仕りで秘かに屋根の下に休もうとすれば、ここより他に雨露を 「ありがたき御恩徳 : しのぐ所はなかったのだ。 ませぬ」 279

10. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

将に、出会うたことがごさりませぬ」 に切ッ尖を突き立てた・ 「それゆえ、早く手柄に致せと申しているのだ。ひるむ「孫一郎とやら、急げ ! 邪魔が人るぞ」 な。起てッ ! 起って討て。それ、白髪首をさしのべてい 正直なところすでに腕はなまって、十文字に切り割くは てやるわ」 どの余力はなかった。 いいながら急いで鎧を脱ぎ捨てた。 「はツ。、こ免 ! 」 「もったいなし ! 」 雑賀孫一郎重朝と名乗った壮年の武者は、おどりあがる 相手は又はげしく叫んで平伏した。 ようにして鳥居元忠の首をはねた。 「公は当城の御大将にござりまする。われ等ごときが手に 彼もすでにこの老将が、どのように疲れきっているかを かけてはもったいなし、何とそお腹を召し給え。さすれば よく見抜いていたものらしい われ等、謹んでみしるし頂戴致しまする」 はねた首級を、きちんと一礼して拾いとると、彼はま 「ほう、わしに切腹せよとか : た、槍をかついで脱兎のように庭先へ駈け去った。 「仰せの通り : : : 」 「御大将は自害なされたそ」 「これは田 5 いがけぬ床しいことを聞くものじゃ。そうか。 「ご城代は割腹を : : : 」 おぬしの眼に、この元忠は、潔い大将と映じたか」 残った人々も、すでに彼等の抵抗の終局を無言のうちに 「勇猛たぐいない破魔輪の攻めといい、今のお言葉とい 知っていた。 かがみ 、武将の鑑と存じまする」 十六人はもはや、五六人に減っている。それがパラ・ハラ : これは近ごろよい手向けを貰うたものじゃ。 ッと元忠の亡きがらの周囲に走り寄ると、いい合したよう 百万遍の唱名にまさる言葉そ」 に太刀の切ッ尖をおのが首に向け直した。 いいながら相手の侵人に心づき、近づこうとする味方の と、同時に寄手の諸勢はいちどにここへもなだれこん 兵をはげしく叱った。 「もうよい。切腹するほどに余人は入れるな」 元忠、享年六十二歳。 それから、すらりと脇差をぬき放って、おしひろげた腹 この時元忠と共に果てた鳥居家の家人三百五十四人 : ・ よ ) 0 105