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検索対象: 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻
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1. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

すでに家康は桃配山にはなく、勢の中の最精鋭もま いや、もうこの頃には、味方の福島勢も、 た、あっという間に島津勢の前面へ立ちふさがっていると 「これは先を越されたそ ! 」 いう神速果敢な機動効果だ : あわてて宇喜多勢に攻撃を仕掛けていった。 というのは、先頭の三十騎が駈けぬけると、続いて井伊第三には家康が、最強の敵と目される島津勢の前面〈、 初陣の愛児を立たせているという、並マならぬ決意の宣布 勢、松平勢の主力が、 である。 「主君に続け ! 」 井、松平両勢のこの挙によって、戦場はいちどに火を 「主君を討たすな」 噴く活火山に変貌した : まなじりを裂いて前進に移ったからであった。 井伊直政は、島津勢の前まで来るとはじめて手綱をしば って忠士口にいった。 「下野守どの、上様は、武略では日本一のお方じゃ。太閤島津勢の先手は兵庫頭義弘には甥にあたる島津豊久だっ た。すでにこの時、大将の義弘は六十六歳、家康よりも七 も手が出なんだ。そのお子の下野どのとわれ等とで、豊家 なドよ ) っ一」 の者どもに戦で先んじられてよいものではござらぬ。前面っ年長で、尋常ならば、野戦の労に耐え得ぬ老歯オ の敵は、その勇名を高麗まで轟かせた西国第一の強将島津が。 「井伊と松平忠吉勢が押しかけました」 義弘じゃ。これを蹴散らさいでは名が立ちませぬそ」 そう報告されても、ただ一語、 「、い得た。思うさま戦うて見せてやるわ」 「挈、、つか」 この進出には三つの大きな意味があった。 そう答えただけで格別立とうともしなかった。 恐らく彼等が、こうして味方の間を疾駆してみせなかっ 島津の陣は寺谷川と北国街道の間にあり、その小高い岡 たら、開戦の時刻が無為に移ること : : : そしてもう一つ もうせん は、霧が晴れてみると、東軍の陣型はガラリと変ってそれに義弘はむしろを嗷かせ、毛氈を重ねてその上に目を半眼 にして座禅していた が敵にあたえる心理的な効果は計り知れぬものがあること 前方数丁の甥の豊久の陣では、すでに金鼓を打鳴らして 223

2. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

「はい。むろんご内室が、お方さまや、江戸中納言さまのは、どこまでも治部が描いた不都合な夢 : : : 若君のお味方 は決して減っては居りませぬ」 奥方とご姉妹という点もご考慮なされてでござりましょ う。大津から、こんどは若狭の小浜へ転封、以前の六万石「もうよい。そのような気休めは : まこともう止しましよう。悪夢は忘れ去った 九万二千石に決る由にござりまする」 がよろしゅ、つごギ、りまする。実は今日内府とも、ちらりと 「まあ、では三万二千石ものご加増 : : : 」 話が出ましたが : 「むろんご舎弟さまや藤堂どののおロ添えでござりましょ う。そうそうご舎弟の高知どのは、別に信州飯田の八万石「話が出た。それを聞きましよう。どのような話が出まし から丹後の宮津十二万石 : : : これもご出世でござりますた」 淀の君が身を乗り出すと、且元は眼を細めて秀頼の方を 見やった。 且元がそういうと、淀の君は眉根を寄せて、 「若君さまと、お千姫さまのことでござりまする」 「片桐どのも、わらわを怨んでいるであろうな」 「まあ : : : お千がこと : 「これはしたり、何で私がお方さまを : : : 」 「こなたとて、わらわの側に居らなんだら、三十か五十の はい。このご縁談にお心変りがあってはと、そっと話し てみましたところ、内府さまは眼を細められて、お千も江 大身にはなれたであろうに」 且元は苦笑しながら首を振った。 戸で大きゅう、愛らしゅうなっていたそと仰せられまし 「且元には、禄に代えられぬ若君がおわしまする」 た。この縁談も正式に世間に発表したがよい。その方が人 「その若君やわらわに近づいた者どもはみな消えた : 心の定まることにもなろう。何れ汝、骨を折れよと申され つきもしみじみと思うたのじゃ。太閤の後家と子供は二人ました」 だけになったとなあ」 「まあ : : : 」 「ご冗談にも、そのようなことは仰せられまするな。加藤「内府は若君をわが子のように思うておわす : : : ご母堂さ まと若君とたった二人になったどころか、真実はこれで、 どのにせよ、福島、黒田さまにせよ、みな若君やお方さま の行末を思うて内府へお味方なされたもの。今度のこと徳川家もその一族もみな若君のお味方に同化なされた : 361

3. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

がつけ加えた。 は限らない。さすれば、これもまた、 「実は先程、掛川の山内どのより、上方征伐となれば、総 まだまだ喜ぶのは早い」 勢引連れて馳せ向い、城は内府さまご家来衆に預けて留守 さっき家康の洩した一語を噛みしめて見ねばならない、 して頂く。その方が互いに励みにもなり安堵にもなろうと 真剣試合の中の一コマに違いなかろう。 申出でられた。この正則においても異存はござらぬ。清洲 「それがしの、存念を申上げまする」 は大切なお道筋、充分にご活用下されて、一時も早く と、こんどは福島正則がまっ先に口を開いた 「こんどの事の起り : : : 上杉は実は枝葉、石田、大谷、宇 この発言は一挙に軍議をおしすすめた。 根本のことと存じますれば、会津 喜多の徒の思案性根が、 西征が先となれば、街道筋の城の確保は、あらゆること は捨ておいて、上方征伐を急がれるが上策かと存じまする に優先する絶対条件の一つであった。 家康は大きく頷いたままこんどは視線を細川忠興に据え 直した。 「かたじけのうござる」 「それがしも、福島どののご意見に賛成でござりまする。 家康はもう一度身をかがめて挨拶した。もはや彼に何も ここで上方へ向わずば、心ならずも西軍に味方する者ども い、フことは ~ かった。 が、続々殖えましようかと : 豊臣恩顧の諸大名が、ただ味方するとだけでは安心出来 そういえば、すでに忠興は夫人を失っているばかりでな く、丹後の所領で父の幽斎が苦戦中という知らせも受けてないのが戦時の常識だった。かといっていまの場合、 「ーーーでは、改めて人質を」 いる筈だった。 「上方を先となさるがよいと思わるる方々は、お手をお挙そういい出したのでは、帰国は自由にといわせた言葉が 嘘になる。それを察して、山内一豊が先す口を切り、福島 げ下され」 正則が続いて城を自山に使って呉れるようにと申出たの と、直政が決を取った。 譜代以外の諸将は一せいに賛意を表して、更に福島正則 119

4. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

それだけに稲葉正成も平岡頼勝も、不安そうに眼まぜを 正成の差し出す誓書を受け取って、秀秋は蒼白く笑っ 事ここに至って、もし秀秋に気が変られてはそれこそ収 「これが人間の正体よ。見たかこの盛沢山な描いた餅を」 ーい。いよいよみな狼狽して居ります証拠かと」 拾のつかない混乱を招いてゆく。すでに彼等は、浅野、黒 秀秋はもう一度フフンと笑って誓書をその場に抛り出田の両将のもとへ、手紙の趣きはしかと承知してある旨の し、 返事を出してあるのだ : 「三成はもう軍費もない。財布の底が空になった。それゆ「それはそうと、大谷刑部に、われらの思案を見破られは え、増田長盛にも、持てるもののすべてを出せと強要して致さなんだであろうな」 両人はホッとして、 いるそうな」 「はい。それは、充分に、い致しましたれば」 「はい。それで長盛が内府に内通しそうだなどという噂で 「刑部に見破られてあると、何時西軍から発砲されるやも 、こギ、りまする」 「噂だけではあるまい。人間は自分が裸にさせられると、知れぬ。ここでは東軍よりも、西軍の方が怖いそ」 他人も裸にしたくなるもの。高台院さまの一番わるいお癖「殿 ! 」 と、稲葉正成は陣屋の内を見回して、 もそれじゃが : 「それは殿のお、い深く : : : 」 秀秋はちょっと虚空を見る眼になって、 : 口に出すなと申すのか。よいよい。わかってい 「あのお方も、さっさと裸になって大坂城を出られた。そ「ハハ・ れから後に仰せられることは、いつも強いご理想ばかりる。しかし、世の中とは醜いものよのう」 「それはそうかも知れませぬが : : : 」 「一方では、このように成りもせねば出来もせぬ餌を突き つけ、一方は、勝っと見るゆえ味方せよと迫って来る」 秀秋が、高台院を非難するような言葉を洩らすのは珍ら「殿 ! 」 : もう運命は決まったわ。天下など誰が取って きっ 194

5. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

「。ーーわしを警戒している内府は : それは一途な若者にとって、いいようもない淋しさであ 浅野幸長と黒田長政連署の手紙は、秀秋が家康側に立っ り不満であった。 高台院は、家康に味方しなければ、天下の泰平も、豊臣ことを既定のこととして次のように認められてあった。 ( 前略 ) 先書をもって申入れおき候えども重ねて山 家の無事な存続もあり得ない。それでは太閤のまことの希「 道阿弥のところより、両人これを遣わし候条啓上致し候。 いにそむくことゆえつねに家康と連絡を断たないように : 会うたびごとにいうのだったが、若い秀秋には、その貴様いずかたに御座候とも、このたび御忠節肝要に候。二、 三日中に内府公御着陣に候えば、その以前にご分別、この 真の意味までは汲みとれなかった。 ところに候。政所さま ( 高台院 ) へ相続きご馳走申候わで 「ーーーー高台院さまは、わが身にとって母同様のお方 : : : 」 その高台院にもっとも大きな屈辱を与えた者は、淀の君は叶わざる両人に候間、かくのごとくに候。早々返事示し きトでつ まいらせ候。くわしくは口上をもって御意を得べく候。恐 ・ : そして三成はその淀の君側の人物なのだと解してゆく こう 柏弉一一 = ロ と、三成への憎悪は二重になり、更に家康に信じられない この手紙は、浅野、黒田の両人が赤坂の陣地から、石 不満も孤独も倍加した。 それゆえ、彼は、宇喜多秀家が、伊勢路へ出陣するおり部、鈴鹿を経て、近江、愛知川の高宮にとどまって、病気 誘ったが、そのすすめに従わす、八月十七日に近江に入っ保養と称して、遊猟に出ている秀秋の許へ届けられた。 その行間にあふれているものは、、・浅野、黒田の両人もま て石部にとどまった。 次第に彼の虚無感は深まって、出米ればどちらへも味方た、秀秋を味方と信じきっているということの他に「政所 さまへ引続きご馳走候わでは叶わざる両人 : : : 」であるこ せず、この争いを皮肉な嘲笑で見物したくなっていた。 そうしたところへ八月二十八日に、家康に味方しているとを告げている。この点が最もつよく秀秋の心を揺ぶつ 親友の浅野幸長と黒田長政の手紙が届けられて来たのであた。 る。 この手紙の文面の持つ意味は、 高台院の心を安じようとしている両人だから申上げ その手紙が再び彼に動きのめどを与えたのだ : 186

6. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

「いや、毛利家のためにならぬやりようでは、お味方は相 き、る」 どうやら老獪さでは安国寺の方が三成の上であった。三 成らぬ、と、申して居りますので」 成はムラムラとこみあげてくる怒りを、しかし皮肉な笑い 恵瓊はケロリとした表情で逆に鋭く斬り返した。 「豊家のためとか、大義のためとかは、、わば言葉の飾りで危うくおさえた。 「さすがは達人のお言葉、仲々もって味がござる。では、 での、これも、不要とは申しませぬ。世論の賛成を得るた めにはこの飾りも大切な武器の一つじゃ。しかし飾りだけお味方下さると申すのじゃな」 では戦はできませぬ。意地わるいようでござるが、一度そ「ご返事を、また、伺わぬように存じまするが」 「はて、これは貴僧らしくもない。われらから毛利どのに の飾りを剥いで考えてみることも、大事をなすには肝要な お味方を乞う以上、そのようなことはいわいでものこと ことでござる」 「フフン、よう分かった ! 飾りを除いて裸形にしてみる 「なるほど、すれば総大将は、始めから中納言さまと : と、三成は分に過ぎた企みをしているといいたいのでござ 「中納言を部将として使えるほどの大将は、太閤さま亡き ろ、つ」 麦、世にあるまいが」 「そうは思いませぬ。治部どのは、飾りのうらで内府への : これは失礼致しました。しかし治部どの、中 憎しみを果たそうとし、大谷刑部どのはご貴殿への友情の 借りを返そうとなされている。上杉どのとて同じでござろ納言を部将にして使えるお方がないというのは即断に過ぎ はせ 6 いか」 う。治部どのの旗挙げを予定にいれて自分の戦を有利にし 「幽貝樹旧、あるといわっしやるか【」 ようと算用し、内府はこれで天下を握ろうとしておわす。 「いかにも。もしあればそのただ一人の者が内府でござ そのような折りに毛利一族が、うわべの飾りだけを信じて 深入りできるものではない。勝ったおりには天下の執権とる。それゆえ、並み大抵の決心では、この挙に加担はなり して、秀頼さまを補佐し奉る。そのかみの鎌倉幕府の北条かねまするので」 「なりかねる : : : とあればこの場で斬ると、われらは申し 氏のようにのう : : : その確たる密約があれば考えてみまい ものでもない : たはすじゃが一 : と、いうのが偽らぬ恵瓊目下の感懐でご

7. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

そのためには、清洲の福島正則を是非とも味方に引入れ定するように策戦しておきたかった。 る必要があったのだが、正則は例の七将事件から急速に三 そうなれば、毛利家の存続のためにも、双方死力を尽し 成を離れて家康に近づき、今ではもはや巨大な敵になりって戦わなければならないという皮肉な必然が生まれて来 る。 つある。 そうなれば一方で岐阜を固めると同時に、伊勢路へ別働「申上げます」 隊を出して、清洲と家康の西上軍とを遮断しなければなら と、詰所の同朋 ( 茶坊主 ) が顔を出した。 なくなる。 「ただいまこれへ、増田さまがおいでなされまする」 清洲と西上軍の遮断に成功し、西軍の主力を岐阜に入城三成はホッとして絵図面から目を離し、 「お待ち申していた。急いで : : : 」 させ得れば遊撃作戦はようやく成功の曙光を見出す : 「キツ、ヾ こ案内申しまする」 ところでその場合の派遣軍総司令官が問題だった。宇喜 同朋がさがってゆくと、入れ違いに増田長盛がせかせか 多秀家では大老の一人ながら貫禄において欠くるものがあ る。むろん小西行長ではならず、近ごろの島津義弘では三と入って来た。 しかがでござったの」 成が信じられない。 三成に問いかけられて、長盛は首を振った。 そこで当然総帥の毛利輝元に陣頭に立ってもらいたいの 「邪魔が入りました」 だが、輝元はこの問題に対してひどく煮えきらなかった。 「よに、邪・魔が : : : 」 毛利家の一族重臣の中に、輝元を牽制する勢力が秘んで じようしん いるからだ : : ということは三成自身にもよくわかってい 増田長盛は三成と相談の上で、織田常真を味方に誘い入 る。 れるよう使者を往復させていたのである。 のぶかっ そこで三成としては、輝元の信任厚い安国寺恵瓊をし織田常真人道は、信長の第二子で、以前に信雄といい、 て、是が非でも、輝元を動かさせ、出来得れば他の毛利一岐阜の秀信には叔父にあたる人物である。 族の勢力を伊勢路へ派遣して、毛利勢が、岐阜と伊勢路の 三成はこれに誘いをかけたのは信長の子という理由の他 双方から尾張に進出し、ここで遭遇戦を展開して勝利を決に二つの意味があった。一つは岐阜への聞えであり、もう 720

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さる限り、われ等は内府さまの御為め、身命を抛ってお味 ( 家康が勝っか ? 三成が勝っか ? ) 方仕る」 という現実面の打算である。 この一語は、声も大きかったが、影響も大きかった。人 もし三成が勝って、豊臣家の実権が彼の手中に帰したと 人はいっせいに口を開いて、 して、今日の家康のような言葉が果して聞けるか何うか 「われ等も、左衛門 ( 正則 ) 殿の申される通り、内府さま にお味方仕る」 秀頼に敵対せよという代りに、家康はーー「味方せよと 「われ等も : ・・ : 」 い、フのは心 ~ 古しい・ : 」と、心豊かな附言をしているのだ。 「何で、この場に至って二心など : 山内一豊が更に進み出て、慎重な口調で家康への忠誠を その声の一応静まるのを待って、黒田長政が口を開いた。誓ったのはその計算が、人々を捕えているときであった。 長政は、この日すでに、福島正則の許へ立ち寄り、家康「井伊どの、われ等は上方征伐のおりには、掛川六万石の からどのような申出があっても、ここでは家康に味方しょ 総勢は残らず引連れて参ろうと存じまする。手勢を二つに「 うと申合せてあったのだ。 わけて居城に残しては、それだけ人数も不足する道理、城 「方々のお志はこれでようわかりました。福島殿の仰せのを開けたあとの留守居には、内府さまのご家臣のうち、何 やから ごとく、われ等今更、何であの石治少ごとき輩の下風に立誰かをお入れおき願うよう、今から内府さまにお取次ぎ置 ち得ましようや、われ等武人の意地もござれば、内府と存き願いとう存する」 亡を共に致す覚悟でござる」 正則から長政、長政から一豊と決意が進展してゆくと、 福島正則は、家康が秀頼を見捨てぬ限りとちょっと条件これまで黙って一座の空気を眺めていた細川忠興が、きび を附していったが、黒田長政はハッキリ、徳川家と存亡をしい表情で最後のしめくくりを附けていった。 「みなみなもお聞きの通り、これで一人の帰国者もない 共にすると決意を前進させた形をとった。 この長政の発言は、それぞれに一家存続の賣任を持つ者と、諸将の覚悟は決まってござる。この儀、内府へ言上下 に、全く別な角度から又一つの計算を強いてくるものであさるよう」 った。他でもない、 永井直勝はそっと座を立って、家康の陣屋へ急いた

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竹の采配をお持ちなされていたが、帰途またその藪のそば 却って敵の結東を固くする。石治少は烏合の勢ゆえ、怒る をお通りなされた節、思い出されて、その采配をお捨てな時に怒らなんだら、拍子抜けして逆に疑心暗鬼のとりこに された。石治少と戦うのに、采配などはいらぬと仰せられなる。つまり敵の結東のゆるみを待っておわすのじゃ」 てな」 しかし、そのために、清洲の城にある味方の諸将が ほう、采配などいらぬと仰せられたか。では、やっ 気抜けしたら何とするのだ。みなみな軍費に困って、短気 ばり上杉を重く見て、その出方を見定めようとしておわすな福島どのなど、何故ご出馬なされぬかと、怒りだしてい のじゃ」 るそうな。やはりここは出てゆくべきじゃ。ものには汐時 「ー・ーーおれはそうは思わぬ。上杉勢は守どの ( 秀康 ) に睨ということがある」 まれて動く気配はないではないか。守どのはあのご気性ゅ 諸説は一応家康を信じながらも、心では西下を急いでい え、上杉景勝に堂々と正面から手紙をやられたそうな。おるのは否めなかった。 許も謙信以米の家柄を誇る武将ながら、われ等もまた、家 こうしてついに八月も半ばとなった。しかし家康は、、 康が子にして、太閤に養われ、いささか誇りを持つものなぜん腰をあげようとせず、却って逆に風邪気味で当分西上 り、何時にても遠慮なく仕掛けられたい。若年ながら秀出来なそうだといいだした。 康、何時たりともお相手仕ろうと : : : それに対して景勝か むろん、考え無くていい出したことではない。 らも返書があったと聞く。上杉景勝は、ご尊父の留守を狙 はじめは家康も、江戸に一、二泊して、すぐさま出馬す って戦を仕掛けるような卑怯者ではないと : : : それゆえ上る気であった。すでに東国の手配にも、足もとの固めにも 杉を警戒しているのではなく、これは北国から九州のはず手落ちはない。それが小山からの帰途、ふっと一つの反省 れまで、あらゆる人々の動きを見きわめ、叩くべきものは にぶつかって、 一挙にこれを叩く気であろうそ」 ( これは急くまいぞ ! ) いやいや、それもものの一面ながら、すべてではな 自分で自分をもう一度きびしく見詰め直す気になったの い。上様は凡人には測り知れない遠大な神謀のお方じゃ。 伏見を落とされて凡人ならば必す怒る。怒って出てゆくと 141

10. 徳川家康 12 続軍荼利の巻関ケ原の巻

今度は三成が答えなかった。実は三成は、東軍の諸将が ちらりと島左近をかえりみながら、 「今夜中に配陣をおわり、運命は明日に待っ : : : 東軍より赤坂までやって来て、何かひそかに待っ気配に変ったの は地の理に明るいこの関ヶ原、敵が大垣城に攻めかかってを、知らずにいるはど鈍感ではなかったのだ : せんめつ しかしそれはロにし得なかった。 いる間に、必ず殲滅の機会を掴む所存でござる」 「ーー家康がやって来る : : : 」 「と、仰せられると、敵が動かねば味方は、そのまま待っ そういったら、それでなくとも歩調の揃わぬ西軍各自の のでござるか」 胸算用が、どのような形で表面化するか : : : それを怖れた 「これはしたり・・・ : : 」 のだ。 脇から島左近が口をはさんだ。 「戦の駈け引きは、敵の機先を制すにありと、われ等はっ 「戦は生きもの、動かねば誘う手もござれば、そのまま引 っ掻きまわす手もござる。したが、島津どのには何か他ねづね心掛けて参ってござる。しかもその機先を、ここで は見事内府に制されました。ここで先手を取り戻して見せ に、妙案がおありなされてのことでござりまするか」 島津豊久はギロリと鋭く島左近を一暼しただけでその方ねば、全軍の士気にかかわる大事と心得まするが如何 ? 」 「して、そのご思案は」 には答えなかった。 「今日までの味方の情報、まことに言語道断に存じます「夜襲でござる。今宵のうちに夜襲して、内府をこの戦場 から追い落す : : : それ以外に先手をとる方法はござります 「言語道断とは ? 」 豊久は、びたりと視線を三成の額に据えて詰め寄るよう 三成の額にサッと表情が固定した。言葉は柔かったが、 レししきった。 出方によっては許すまじき気色である。 「われ等は当然内府の来るべきを察知してあらねばならぬ 筈のところ : : : それを昨日まで、上杉や佐竹と戦うてある ように信じこんでござりました。うかっ千万 ! 見事内府 に不意をつかれたのでござりまする」 三成はすぐには答えなかった。出来得れば三成とて、夜 襲敢行に反対であろう筈はなかった。 199