「して、安国寺どのの申し分は ? 」 吉継がまた深い吐息とともに訊き返すと、三成はそっと 三成はみなまでいわせず、 吉継の手を離して、 「勝てば官軍、負くれば賊、それは何も今度のことに限っ 「覚橋は出来た ! 不承とあれば斬って参ろう」 たことでござるまい」 「なるほど」 安国寺は、策謀好きをそのまま面にあらわして、不敵な 「斬るかそれともこの場〈連れて参るか。しばらく待たれ眼ざしでフフフッと笑 0 た。 よ刑部どの」 「ご客来は、大谷どのと承りましたが、大谷どのは、お味 吉継は答える代わりにもう一度ホーツと静かに吐息をし方なされたようで」 つ」 0 「そのような事を貴公に聞いているのではない」 ( 毛利を総大将に仰ぐ道も、あやうく閉されかけている 「と、仰せられるが、愚僧の方ではそれが大切なことなの 「されば申そう。刑部どのは、大事を貴殿に打明けたうえ からは、ご不承とあれば斬らねばならぬといわっしやる」 三成は、吉継を広間へ待たして、奥の居間へ戻ってき た。居間では安国恵瓊が、ものものしい僧服姿で、膝許で 「吉川広家が、不承知じやからとゆうて、輝元どのを動か 香を燻じてそれを聞いていた。 す力のない貴殿ではない。秀頼さまご若年とあなどって、 「お待たせ申した」安国寺の前へ来ると、三成は人が違っ横暴のかぎりを尽くす内府 : : : このまま捨ておけば、やが たよ、つこ止興一。こっこ 0 て豊家を踏み潰して、おのが野心を遂げるであろう。その しかがでござる。ご決心はっきましたかな」 不逞を義に倚って懲らしめるに、何の天道にはばかりがあ 恵瓊はチラリと三成を見やって、 ろうそ。お味方あるか、それともこの場でご自害あるか。 「先程から繰返し申上げました。これはいったん仕損じるかく大事を打明けたうえは、他に手だてはござるまい」 と、天道に叛く大逆と相成りまする。それゆえ、そう軽々 安国寺恵瓊はまたちょっと歯の抜けたうわあごを見せて
廊下をへだてた奉行の詰の間あたりで、増田長盛が、何決してお味方は致さなんだであろう」 どうば、つ か癇立った声で同朋を叱りつけている。 「なるほど」 ( あれも又、あれなりに神経を尖らせているのだ ) 「ところがこれは吉と出た。進んで敗れは取らぬと出た 三成は、ふっと笑いたい想いになって、またきびしく口 : 毛利家の前途が吉とあれば、わが身の吉凶は間うとこ を結んだ。 ろではない。それでお味方と決めたのじゃ」 「治部どの、ご貴殿は、この戦の前途にご不安を覚えてお 三成はじっと相手を凝視したまま頷いた。 わす・よ、つじゃ」 「用心深いご貴殿のことゆえ、そのことはよう信じられる 三成はギクリとした。 ( さては胸のうちを覗かれたか : 「それゆえお案じなさるなと申すのじゃ。何とゆうても、 「お案じなさることはない」 ご貴殿がこんどの企ての柱なのじゃ」 安国寺は眼を開くと、もう笑っていた。いつもの人を喰安国寺恵瓊はもうすっかり平素の説教好きな自信家に返 っている。 った一世の指導者気取りの笑顔であった。 「わしはの、いささか先が見えるつもりじゃ」 「ようござるかな。中納言の方は、愚僧がたしかに引受け 「なるほど。それゆえこの企てを、世間では、三成と安国申す。それゆえご貴殿は決して他人に不安な顔を見せぬよ 寺と大谷刑部の企てじゃと申して居るそうで」 安国寺はそれには答えず、 三成は又ふっと可笑しさがこみあげた。相手がこういう 「愚僧は、愚僧がご貴殿にお味方せねば斬るといわれた 態度を取る時には、何か思案のメドがついた時 : : : と、知 : それで踏み切った体にはしたが、ただそれだけではご っているからであった。 ギ、らぬ」 「それは充分注意仕ろう。したが輝元どのはたしかであろ 「その儀ならば、心得てござる」 「愚僧は若いおりから占トをたしなんで参った。それゆ 恵瓊は中啓で軽く胸を叩いて、 え、もしも卦の表に毛利家の前途は凶と出たのだったら、 「先刻きいたような噂は、愚僧としても心外至極、早速こ 136
「わしを試した : 「いかにも、ここで殺されるがよいか、それとも無益な戦 をして、あとで斬られるがよいか : : ご貴殿も安国寺をお試しなされた。否といえば そういうと恵瓊はまたあいまいにニャリとした。 斬るといわれての」 「ふーむ。それを試したと取られたのか」 十三 「まあよい。ではご返事申そう。よいかの治部どの : ・ : ・ご 以前の三成だったら、とうに怒りを爆発させていたに違返事となれば、また以前の、言葉の飾りは着せ直さねばな いない。少なくとも恵瓊は、これまでの三成のもっとも嫌らぬ : : : 安国寺つらつら考えてみまするに、ご貴殿のおば し立ち、まことにもっともの儀と ~ 仔する」 いな型の一人であった。 愚弄と鋭さとを紙一重のうちに住わせて、怒ることを忘 三成は一瞬呆れて大きく眼を見開いたままだった。 れてしまった老獪さを身につけている。しかし、この恵瓊「太閤死後の内府の専横、まことにもって許しがたい。こ をおいては、他に毛利輝元を説き伏せるだけの人物が見当のままでは秀頼君はあって無きにひとしく、やがて天下は たらないのたから仕方がなかった。 内府に奪い取られましよう。しかしながら、表面は秀頼君 「すると、貴僧、この戦は負けるとご覧なさるのか」 の命を受けた体に取りつくろうての今度の会津征伐、まし 「いいや、勝つも負くるもご貴殿の心の持ちょう一つだとて天朝よりもお労りの勅使がござった出陣なれば、この留 思うて居りまする : 守を狙うは義に反し謀叛にひとしい : : : そこで、この安国 寺は、再三再四、治部どのに思いとどまるようにご意見申 けろりと答えて、恵瓊は今度は声をたてて笑った。 「もう意地わるくは申すまい。ただご貴殿が、あれこれ軍した」 事に干渉なさり、みなの感情を割ることさえなくば勝てぬ こともござりますまい。さりながら、万一負けとなればこ 「ところが治部どのは一向にお聞き入れなく、かく大事を の安国寺、一身の責を負うて、毛利家の安泰を計らねばな 打ち明けたうえからは、お味方せずば生きては帰さぬと仰 : いわれてみればもっとも至極。内府の専横は らぬ。それゆえ、意地わるく、ご貴殿の堪忍の度合を試しせられる : 明白のことゆえ、うわべの義はとにかく、真実の義は豊家 て見ましたので」
「むろん輝元どのとてそのようなことは信じまい。が敗北 「仰せの通り、そうして輝元どのが逡巡してあれば味方の 、、、かにもこれは、真実味を帯びて来る」 不利は決定的 : : : そして、もしそのため味方が敗北すれしたとなれは ば、それ見よ、安国寺は毛利と心中する気であったと噂の 「如何であろう安国寺どの、この際一挙にこれ等の噂を吹 上の噂になろう」 き消すよう、輝元どのに決意を促す手たてはござるまい 安国寺は眼を閉じた。 さすがに彼もこれが三成の「秘策・ - ・・・・・・ー」であろうとは気か」 がっかなかった。あまりに意表外な持ちかけ方に、あっさ 「輝元どのに、岐阜まで総勢を引きつれて出陣願えば、味 り乗じられた形になった。 方の勝利は動かぬところじゃ」 三成はそれと見て、又一段と声をひそめた。 「この噂はただに貴殿の生涯を、詰らぬ私怨の徒として塗安国寺恵瓊は、まだじっと息を詰めて考えこんでいる り潰すだけではない。三成もまた、それと結んで、おのが 野心を遂げようと計った不届者になり下る」 七 「御意 , ーー」 「さすれば、この噂を打消す手だてはただ一つ、毛利どの 三成もそれ以上にものいうことを差控えた。充分に彼の 言葉は安国寺の心を射抜いている。 を踏み切らせ、勝利をわが手に納めること : これ以上重ねて答えをうながすと、敏感な彼は、これ 安国寺はまだ眼を開こうとしなかった。 三成にいわれるまでもなく、そのような計算はとうに出を、三成が不安のあまりに考えだした「罠ーー・ー・」と気付く 来ていた。しかし敗れ去ったら自分が毛利家を潰すためにおそれがある。 三成はこれも膝に両手をおいて、思案にふける姿勢をと 心中を計ったなどと批評し去られようとは田 5 ってもみなか つ ) 0 っ ) 0 「そうか。そのようなことを中納言どのに吹き込む者があ 二分、三分 : ・ ったのか : 互いの腸にしみ人るような沈黙が流れた。 135
: しかし、吉継は最初からきびしくそれ 率は保たれよう : それだけに、家康の天下になっても、輝元の天下になっ を押えて来た。 ても、秀頼の身は安泰であるように : : : そう考えて来るの ご貴殿はその器ではない : は当然のことといえた。 朝鮮の役のおりに、軍監として、相携えて彼の地にわた 「お身のご意見はよく相分かった ! 」 り、諸将の不統一では共に手を焼いて来ている吉継が、敢 三成はもう一度吉継の心事を仔細に吟味してから、始め てそれをいい出すのは、この戦の累を、どこまでも秀頼の て吉継の手を執って、 身に及ばすべきではないと考えているからに違いなかっ 「実は、安国寺恵瓊を大坂表より、秘かに当城へ呼んでご つ」 0 ざる」 その意味では、吉継の、 と、打ち明けた。 「お身に生命を差し上げましよう」 「なに安国寺が、もうこれに来られて居ると」 といった一語は、気味わるい重さとひびきを持ってい 「いかにも、さなくば吉川広家と安国寺に託された毛利勢 る。 は、そのまま家康の許へ東下する。東下させた後では手遅 この戦は、もともと秀頼の意志でやるのではない。 れゆえ、とにかく安国寺に : ・・ : 」 これはどこまでも石田三成の企て : : : それゆえ、豊家に生「待たれよ。待たれよ治部どの。すると毛利輝元どのは、 命をささぐるのではなく、石田三成と情死するのだ」 すでにご一族を内府の東征に従わすお考えであられたの 肚の中では、吉継は、その事を繰り返し自分自身にいい 力」 きかせていることであろう。 「無邪気なお方でござる輝元どのは : それがわかるだけに三成は取て統率の不満はロに出来な 三成はかすかに笑って、 そえ 「内府の東征に、吉川広家を大将とし、安国寺を副として 恐らくそれを口にしたら吉継は再び声をはげまして反対遣わせと、七月四日には軍勢すでに、出雲の富田を発進し た由。されば大坂にあった安国寺を、われ等この地に、と するに違いない。 ( 刑部はまだ勝てるとは思っていない : もかくも呼び寄せました一 つつ ) 0
継の意をただしたのオ 「安国寺恵瓊を動かすことでござる」 三成はうなずく代りに低く呻いた。 吉継は淡々として答えた。 「ご忠告かたじけない。して、その両人を繋いだ上は ? 」 きっかわ 「当今、毛利家を動かす力のあるものは吉川広家と安国寺「宇喜多どのを語らって、はじめて義軍を催す旨、檄を天 恵瓊の他にござるまい。さりながら吉川はむしろ日び ・↓丿い下に飛ばすが手順でござろう」 きと存ずれば、安国寺どのに直接お会いなさるが宜しい」 「なるほど、そのあたりからは、三成の所存も : : : では、 「秀頼さまからのご命令を、奉行の手から伝えるよりも総大将は毛利輝元 ? 」 「宇喜多どのでは比重が軽い。まず貴殿が大坂城へ入られ 「形式の前に、実を取っておかねばなりませぬ。安国寺どて、直ちに毛利どのを西の丸へ呼び入れられるが先決 : ・ のは : いいながら吉継はふと声をおとして、 もう吉継の頭脳では、立派に策戦図が書きあげられてい 「死ぬまで何か企まねばやまぬお方、それに、一度は毛利るのであった。 を天下の主にしてみたいと、野心満々の俗僧なれば、この 刑部が味方したと仰せあれば、必ず心を動かしましよう」 くせもの 「なるほど、しかし仲々の曲者なれば : 石田三成には、大谷吉継の主長にただ一つの不満があっ 「殺すと仰せられよ。承知せねば、その場で刺すと」 た。この挙に毛利輝元を味方に担がなければならないこと それは三成が考えていたよりも数倍はげしく、凄じい は万々承知の上であったが、それを総大将には仰ぎたくな 氷のような言葉であった。 かった。総大将は幼少ながら秀頼と決定し、大老は大老、 「よいかの治部どの、ご貴殿が必ず握ってあらねばならぬ奉行は奉行としてあらせ、自ら秀頼の補佐に当たり得たら 者は、この毛利の去就を握る安国寺と上杉家存亡の綱を握というのが思案の第一だった。 る直江山城守の両人 : : : 両人とも、南蛮鉄の鎖でがっしり そうしておけば、実質的な総大将はいうまでもなく三成 かんば 繋いでおかねば、何をしでかすやらわからぬ悍馬でござる自身。命令はつねに三成の手許から一途に出でて諸将の統
( 、じわりと一膝すすみ出た。 そして、信長の本能寺に果てたおり、毛利と秀吉を和睦 安国寺恵瓊は相変らず微笑している。彼は、秀吉が羽柴 させ、一方で毛利家の内に重きをなしながら、次第に秀吉 筑前守のころから、 に、も取人った 0 「ーー天下を頂戴致すはこの仁であろう」 今では六万石の新領を付された芸州の安国寺にあると そう予言したという伝説まで持っている怪僧だった。そ同時に、京都の東福寺の住職もかね、ロに仏果を説きなが の伝説が、いまでは、藤吉郎時代に三条大橋のほとりで出ら、軍事にも政治にも菩薩行と称して介入し、一世の指導 会って、 者をもって自から許しているのである。 これは天下取りの人相じゃ」 安国寺は三成の、鋭い気鋒に接すると、 みすばらしい放浪者のうちから、太閤の前途を予言した 「凡その事は、わかってござる。毛利輝元を陣頭に : ようにいいふらされている。秀吉より三歳年下なのだか と、いわっしやるのでござろう」 ら、そのようなことはありようがないのだが : 機先を制す気で柔かく笑った。 事実、彼は、仏道一途の僧ではなかった。満々たる野心 三成はそれをわざと聞き流した。 を蔵して、黒田如水に法衣を着せたようなところがあっ 「ご僧は、中国筋の武田一族の宗主におわす」 おんたね 「これはしたり、なるほどわれ等は武田光広が御胤なれ 「ーー信長の代、五年三年は持たるべく候。明年あたりは とこまでも安国寺であり、東福 ど、出家すれば籍は仏籍、。 - 一、つけ 公家などになるべきかと見および申し候。さ候てのち、高寺の住持でござる」 「いや、それがしも始めて知りました。安国寺どのは、天 ころびに、あおのけに転ばれ候すると見および候、藤吉郎 すえはるかた 文十年三月、大内方の将、陶晴賢と毛利元就に攻められ さりとはの者にて候 : これが、信長が都から足利義昭を追放した頃に、上洛して、金山城に自刃して果てた武田兵部大輔光広どのの忘れ ていた恵瓊が故郷に送った手紙の一節である。この頃から形見」 恵瓊は、天下が誰の手に帰するかに、じっと興味の眼を向「はて治部どのは、何でそのような俗世のことをいわっ けていたものらしい しやる」 733
って、全力を出しきるものなのだと : その自信を持って出来得る限り彼は三成をじらしておく ところが秀元は恵瓊の顔を見ると、妙に消然とした様子べきだと計算した。 で、 そのためには狭い大垣城へ人ったり、あわてて東軍の赤 「ーー・、・わが身はまだ、毛利の全軍を指揮するには若すぎ坂を攻めたりして、貴重な珍味の価値を損傷すべきではな る。それゆえ指揮は一切、吉川広家に任せ申したい」 いと思っていた。そこで彼は、この戦の勝敗を決定する毛 と、いうのであった。 利勢という山海の珍味を、みごとに南宮山上に盛上げてみ 恵瓊の皮肉な苦悶はそれから始まった せたのである。 或る意味ではそれは成功だった。三成はじりじりしだし 五 たし、西軍の諸将も、山頂を見上げて、今更ながら毛利勢 眼の前に山海の珍味を飾っておいて、空腹をこらえてい の偉大さを認識した。 る者が、それを食べてはならぬそといわれた時にどんない こうする事に依って彼は、毛利輝元の戦後における権力 ら立ちを感するか ? の座を一段と高めてやり、 今朝の安国寺恵瓊はまさにそれであった。 さすがは安国寺 ! 」 しかも彼の場合は、その盛上げられた珍味の価値を、思 といわれるつもりであった。当然そうなれば、彼自身の ひじり いきり価高く三成に売り込もうとして、逆に珍味に裏切ら地歩も又、政僧にして将器、将器にしてすぐれた聖と、一 れた感じであった。 段高まる筈であった。 毛利勢を南宮山上に陣取らせたのは実は彼なのである。 ところが、その山海の珍味がもはや盤台からおろされ 彼は、たとえ輝元が出て来なくても、この戦の勝敗を決すて、実用に供されなければならない今朝になって、 るものは毛利勢と踏んでいた。 「ーーわしは軍事は吉川に任せた」 むろん簡単に家康が西上して来るとも思っていなかった と、いい出したのだ。吉川広家は、はじめから安国寺の が、さりとてやって来ても負けるとは田 5 っていなかった。 苦手であり、毛利一族の間では親家康の一方の伏龍ではな ( 戦になれば、戦わせてみせてやる : : : ) 237
見は西軍の総攻撃にさらされるであろうという知らせなの わざと、三成や吉継の名は差控えてあったが、すでに、 その手紙が何を意味するかは安国寺からの別便によって輝 家康はそれも諸将にかくさなかった。かくさなかったば 元にはよくわかっていた。 ひでなり かりでなく、 そこで輝元は六歳の子秀就を伴って、十五日早朝に船で ご心配の向きは、何時にても帰国されて苦しからず広島を発し、十六日の夜大坂に到着した。 輝元が到着すると、三成と吉継、恵瓊の書きあげてあっ と、情報に付記して配った。 た挙兵の筋書は、直ちに実行に移された。 まっ先に、家康の留守居として西の丸にあった佐野肥後 守綱正が、西の丸の明け渡しを迫られた。 西の挑戦 綱正はさすがに、 この要求に従うべきかどうかと迷った 様子だったが、ついに側室たちを伴って城を出た。 恐らくここで抵抗して、阿茶の局、阿勝の方、阿亀の方 などの身辺に危害が及んではと、それを苦慮してのことで 毛利輝元が、石田三成、大谷吉継、安国寺恵瓊等の密議あったろう。 によって認められた三奉行連盟の呼出状を広島で受取った 毛利輝元は、家康に代って西の丸に入ると、一子秀就 のは七月十四日の夜であった。 を、本丸にある秀頼の傍に侍せしめ、翌十七日には、家康 「ーーー大坂お仕置のことにつき、御意を得たいことが出来攻撃の檄文が西の丸で評議決定されていった。 ましたゆえ、早々にお上坂下されたい。委細は安国寺をお何れも三成等が、かねて用意の草案で、それがそのまま 迎えにさし下したうえ申上げるつもりのところ、それも叶決定されたものであるのはいうまでもあるまい。 わぬ事晴になりました。急いでご出立願いたく : : : 」 「ーーー内府違いの条々」そう最初に認められたその攻撃文 まるで火の付いたような文意の書面で、差出人は長東正書は、全部で十三カ条にわたる家康不都合の列挙であっ つ」 0 家、増田長盛、前田玄以の三奉行の名であった。 、ら ) 0
前田玄以は完全に離れていったし、浅野長政は当然家康 三成は大きくうなずいてみせて、長盛に恵瓊を呼ばせに を怨んでよい筈なのに、その子幸長を従軍させて、今では やった。 はっきり敵にまわっている。眼の前にいる増田長盛も、長 ここではもはや恵瓊を脅迫してでも、毛利一族の運命を 束正家も、その吏才は買い得ても、武将としては凡将すぎ 賭けさせるより他に手はないのだ。 るほどの凡将だった。 輝元は決して祖父の元就や叔父の小早川隆景のように、 彼等もそれを自覚しているので、時折り家康に色目を使万人にすぐれた器量人というではない。 しかし家康に比肩 おうとしている節さえ見える。 し得る実力者は西方に彼をおいては他になく、それを動か 戦に強いとなれば、島津や長曾我部、小早川などいるのし得る者は安国寺だった。 だが、その何れもが、一族の運命を賭けて戦いぬく気にな長盛が安国寺恵瓊を伴。て戻 0 て来ると、三成は長盛に っているのか何うか疑わしかった。 座をはずすようにいった。 考えてみれば、それが当然だった。こんどの主謀者はど 「本日は、安国寺どのに、三成生命がけの掛合いがござれ こまでも三成一人で他の人々は、彼の掌上でやむなく踊っ ているにすぎないのだ。 笑いながらそういうと、恵瓊は長盛を見返ってこれも笑 問題はその主謀者の三成が、そのまま総大将で戦を進行った。 し得ないところにある : : : と、彼も薄々その矛盾に気づき 「凡そのことは察して来ました。覚いたしてござる。さ だしている あ、何なりとも」 その点家康は、どこまでも敵の柱であり、指揮者であ そういう恵瓊は、自若として自信にあふれた傑僧 : り、実力者であるというのに と、長盛の眼に映した。 ( かくべつ、秘策など、ある筈ないではないか : : : ) 五 長盛の言葉に強い反撥を感じながら、しかし今の三成は それすらロに出来なかった。若しそういったら、長盛は一 「もはやご合点でござろうゆえ、くどくは申さぬが : 度にしおれ返るであろう。 長盛が出てゆくと、三成は鋭利な刃物のような眼になっ 732