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検索対象: 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻
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1. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

高台院は、真剣な表情でうなずいた。 「それが、わらわの最後の願い : : : と、これもそのまま申 してよい」 光悦と宗薫が三本木の屋敷を出たのは、、 ノッ ( 午後三 「しかし、それでは、、かにも淀のお方のご供養が足りぬ時 ) すぎだった。 とお責めなされているようでは : 結局高台院は、宗薫には、高台院が、良人太閤と亡母の そこまでいって光悦は、ギグリと硬く言葉を切った。 菩提をとむらうため、高台寺 : : : というほどのものではな ( そうか。それにこそ願いがあるといわれるのか : くても、小さな寺院を建ててほんとうに尼僧として、清ら 淀の方も秀頼も、供養が足りぬ : : : 高台院が、そう洩し かな余生を送りたいと考えている旨を、それとなく伝えて たと告げていったら、あの勝気な淀のお方が、しったし佃 欲しいということであり、光悦には、おりを見て淀の君に を考えるか : 会ってほしいということだった。 負けるものかと、逆に供養を競う気になるに違いない 二人は屋嗷を出ると黙って肩を並べたまま四条河原まで 供養を竸う : : ということは、他のことに没頭されるよ歩いて来た。そして河原の茶屋の縁台にどちらが誘うとも りは遙かにましなことであり、そこから幼い秀頼もまた、 なく腰をおろすと、はじめて顔を見合せて嘆息した。 わが家の大切さに気付いてゆくに違いなかった。 二人に托された事柄は簡単だったが、 その意味するもの ( なるほど、これが最後の願いなのか : は、考えれば考えるほど深いものが感じられる。 それは、最後の願いというよりも、最後の教育ともいう「大坂のお方さまは : : : で、ござりまするか」 べきだった。 と、光悦が売茶をふくんではじめて口を開くと、 「わかりました。いや、わかりかけたように存じまする」 「で、ござるようじゃの」 光悦は、又急き込んで二度頷い と、宗薫もわかったようなわからないようなことを言っ 「これはなるほど、若君さまに豊家の嗣子としての責任感 をお訓え申す、いちばん近道に違いござりませぬ」 「この芽立ちの季節にはの、生きとし生けるもの、みな芽 立つ。お方さまはまだお若いゆえなあ」 九

2. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

「仰せの通りと存じまする」 「しかしわしも昔の家康ではない。弥四郎を憎んでは居る 「恐れながらその、大賀弥四郎のことならば、私めも承っ が、また不びんな奴たったと憐れむこころも湧いている。 てござりまする」 あの頃家康が、もう少し主人らしい主人であったら、あ奴 「知っていたのか」 にあのような不逞など企ませはせなんだものを : : : 家康は 「はいツ。弥四郎の妻子まで、すべて念志ヶ原ではりつけ かんば に . なったとか」 若かった : : 家康が若かったばかりにの、厚馬を名馬に変 え得なかった。それがあ奴の不連であった。主人の側から 「そうじゃ。謀叛は罪九族に及ぶが家法じゃ」 「恐れながら、上様は、今でもその弥四郎をお憎しみでごすれば、家米はよう選ばねばならぬもの。したが、仕える き、いこましよ、つ力」 側からすれば、よくよく主人を選ばぬと、弥四郎のよう 「これツ」と、忠隣が扇の尖で畳をたたいた。しかし十兵 に、不びんな事にもなりかねなくなって来るものじゃ」 衛は、何かひどく昻ぶっていて、ほんとうに気がっかない 家康はそこではじめて言葉を切って、こんどはニタリと 様子であった。 十兵衛に笑ってみせた 「後学のため、是非ともお訓えおき願いたいのでござりま する。今でもその大賀弥四郎を : : : 」 「憎んで居るそ」 「恐れ人ってござりまする」 と、家 ~ 隶よ、つこ。 十兵衛は又、活き活きとした表情で平伏した。 「が、いまその憎しみを語ろうとしているのではない。そ本多正信がホッと全身の力を抜いたのはこの時たった。 なたと弥四郎の気性がよく似ていると話しているのだ」 ( これは、まことに妙な男だ : : : ) 「よッ しかし、その男に、のこぎり曳きにされて果てた大賀弥 「それゆえ、昔の家康ならばこなたは使わぬ。またまた大四郎の話を聞かせた家康の心はよくわかった。 久保家の推挙でこなたを使うて、使い損じたら、累は忠隣むろんこれは、熱心な日蓮宗で人を信じ易い大久保忠隣 の身辺にまで及ふからの」 への、それとない教訓でもあるらしかったが、その真意

3. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

う、一つの大きな警告に受取れる言葉でなくてなんであろ 、つ 「すると、お千は何と答えたぞ」 「そうか、あのお千が、そのよう、なことを申したのか : 身を乗り出してたすねられて、若い久五郎は明るく笑っ 「はい、みながそう申します : : : と、生まじめにお答えな家康は天井を睨みあげるようにして呟いた。 されました」 家康は突然腹をおさえて笑いだした。 どうやら、この婚礼で、淀の君と阿江与の方は家康の期 「そうか、そう答えたか。あつばれじゃ。やはり女子は 待していたような打解け方はしなかったものらしい きりようが第一かも知れぬからの」 同じはげしい運命の波に揉みぬかれている姉妹なのた。 「それから、こ、つも仰せられました。きり・よ、つもよいが気 その姉妹が、互いの愛児を娶合せるという立場で出会った 9 立もよろしゅ、つござりますると」 ら、計算以上の親近感が湧き出しそうな気がしていたのた : そこまで申したかお千が」 「はい。全然笑いもしないで、そう仰せられ、このお城は ( 女子の思案は違うものらしい ) 江戸よりも大きいと、あたりを見渡されてござりまする」 久五郎の話から想像すると、他人よりも却って強い竸争 家康の顔が不意にぐっと引き緊った。 心を見せあったとしか考えられなかった。 これはただ聞き過すにはあまりに大きな意味を含んだ言 葉であった。 一方は秀頼の生母とは言いながら側室ではなかったか : : そうした考えが大納言の正室としての阿江与の方にもあ 江戸城よりも大坂城がぐっと大きい : 姫がそのため気おくれするであろう : : などという心配ったのだろう。 ではなかった。 家康にすればここで淀の君にぐっと大きく、姉らしい、い 姫の眼にさえ大坂城は江戸城よりも大きく見える : : : 先のひろがりを示して欲しいところだった。 もはや豊臣も徳川もない、二重にも 見の有無を問わす、天下の諸侯の眼にもそう見えるそとい 対立するかわりに、

4. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

母公さまのご内意ながら、それは却って上様のお心に叶うる」 まいと、清楚な玉砂利を嗷詰めてござりました」 「ふーむ。女子どもめがのう」 「よいよいそれもよい しかし、そのように言われた淀家康は、久五郎の話で、勝気な姉妹の対面の様子が見え るような気がした。 どのならば、玄関までは出迎えて呉れたであろうな ? 」 どちらも竸い心さえ取りのけたら、抱き合って泣きたか : いや、玄関には、片桐市正が、威儀を正して : ったであろうに、到頭打ちとけ合えなかったものと見え る。 久五郎はなぜか語尾を濁して平伏した。 「かくべっ両人で言い合いなどは致すまいなあ」 「十 5 、 0 、、 こ挨拶のあとでは、打ちとけて戯れ言など取交し て、こギ、り・寺 ( した」 「そうか、淀どのは、玄関にはお顔を見せなんだか」 たんそく 「何と言ったぞ淀どのは」 家康は、ちょっとがっかりしたように頷きながら嘆息し 「はい、何の心配も無う大納言に愛されておわすと見え 「はい、若君さまの御台所のお輿入れながら、妹君のお子て、阿江与さまはまあ、まるまると肥えたこと : 「ふーむ、すると阿江与どのは何と答えた」 ゆえ、お出迎えは順序にもとるとご遠慮遊ばされた由にご ギ、りまする」 「お姉上さまは又、殿下がお亡くなりなされたというの 「なるほどの、久しく対面せぬ妹とその娘じゃ、わしはま に、何という若々しい装い方かと」 た、なっかしさに走り出て来たかと思うたのじゃが、そう家康は、またがっかりした顔になって話題を転じた。 ではなかったか」 「お千はどうしていた、その間も、二人の側にいたのであ 「その代りご対面のおりには、なっかしそうに・ ろ、つ」 「よ、 「手でも取りあったか、阿江与どのと」 いえ、双方眼のふちを赤くしながら、し か「淀どのは、お千に言葉をかけなんだか」 し、郎重 こ、礼儀正しくご挨拶をかわされてござります「、、 し、えかけました。姫は母上よりもきりようがよいと : 158

5. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

る。 もあるかのよ、つに、、 ぐるりと一座を睨みまわした。 「五郎太」 家康は頬すりしたくなって来た。抱きあげて高くささげ て、 「そなたに、平岩のジイと一緒に甲府二十五万石をやろう」 この信康の生れ代りめ ! 」 柔い躰を揉みくちゃにしてやりたくなった。しかし、そ 五郎太丸には、何のことかわかる筈はなかったが、お亀れはなし得なかった。いま、我慢が大切と訓えた言葉に矛 の方の肩はびくりと波打った。 盾する。日本中の武士の大将であるこの父には、五郎太丸 「そうすればもう一方の大将じゃそ」 の何百倍もの我慢がなければならない筈だ : ノイ」 わが子も又思いのままには頬ずり出来ぬ : : : それが、情 「大将というものは、悲しい時に泣かぬもの。苦しい時にを押えて情を通す「大将 」の慎しみの第一だった。そ 我慢するもの : : : そして、美味しいものは家来に喰べさすれほどの慎しみも持たすに、、 どうして人が人を裁けよう。 7 ものじゃ。、 どうじゃ、五郎太は大将になれそうか」 と、そこまで考えて、突然家康は立ちあがった。 「ハイ。大将は、鷹狩りに行きマチ」 「帰ろう正純」 「そうじゃ鷹狩りに参るとな、さまざまな獲物がある。家家康の胸で、又しても五郎太丸と秀頼の身辺の幸不幸が 来たちは、それを大きな鍋でグッグッと煮て喰べる。美味ホロ苦く比較されたしていた : だが大将は喰べてはならぬ。大将は腰につけていん 九 だ干飯を黙って喰べている : : : どうじゃ、大将になれそう 力」 五郎太丸には甲府二十五万石を与えてやって、今のうち すると五郎太丸は一寸舌なめずりをしてから、ちらりと からその自負と責任感を育ててやれる。 母の方を見やって、 しかも、彼の身辺には、躾のきびしい生母も附けておけ 「なれまテュル ! たし、平岩親吉という充分に分別のある傅役も選んでやれ と、途方もない大声で答えて、それから彼自身が鷹ででた 156

6. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

き上がった。 みせた。 「似合う ! そちたちは、よう似合う年頃じゃ」 「そうじゃ。それでよい。が、まだまだ仲睦じい夫婦には それもまた家康が予期していない言葉であった。二十に見えぬ。それでは、姫の方で慕うているのに秀頼はまた避 みたぬ娘と六十二歳の老人よりも、正純と並べた方が似合けている。正純は、女子の情のわからぬ奴かの」 うことなど知れきっている そこまでいって、何故か家康は顔いろを変えた。こんど 若しこんな戯れのために、阿梅の方が、はんとうに正純 は、息の止りそうなはげしい胸の疼きであった : に心を動かすようなことがあったら何うするのた : いや、これもまた太閤の晩年の焦慮そのものなのかも知 れない。仮り : どんなに家康が阿梅の方を愛していた どんなに人生を悟りきったつもりでいても、やはり人間 としても、やがて彼女に先立っ老いの死の手は、手加減なは未知の叢林を旅しているのに過ぎなかった。 ど加える筈はなかったのだ : 家康ほどの者が、太閤のよくやった気まぐれ遊びに似た 「これはよう似合う。二人で顔を見合って見よ」 脱線で、阿梅の方と正純をいじめ続けている間に、そうし 「上様 ! 」 た残忍さの原因とはじめて真正面から顔を合わすことにな ったのだ。 「なんじゃその顔は : : : わしはのう、成長したおりの秀頼 とお千を想像して眺めているのじゃ。さ、顔を見合って」 家康は、阿梅の方と正純をなぶっているつもりでいて、 「しかし、それは : その実、自分自身を意地わるくいじめ続けていたのであっ 「笑えぬと申すのか正純は」 いいえ、ても : それに気付いた瞬間に、ゾーツと全身が総毛立った。 「もう少し寄り添うて、それでは互いに相手を警戒し合っ 家康をこうした妙な脱線に追いやっているものは、千姫 ているとしか見えぬぞ」 の生涯の仕合わせを保証してやる力は自分にない : いよいよ憑かれた口調で急き立てると、阿梅のじとった意識の裏の自虐であった。 方は自分の方から正純に寄り添って、ニコリと幼く笑って ( 自分の幸福を分けてやれない・ 752

7. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

てていた。 れば、もう彼より一つ二つ年上の筈であった。 「では枕辺へご案内願いましようか」 秀家はその後薩厚に秘んでいるとかで、いましきりに引 「ホホ : : : 病人は今夜は起上って、自分で頂いたお見舞品き渡しの交渉中らしかったし、御台所は生家の前田家に引 などあらためて見て居ります」 き取られたということだった。 / 。笑いながら先に立って、玄関への玉砂利を踏みなが それで於みつも、納屋へ送り返されて来ていたのであろ う。そう設うと、うかつに話しかけては相手の傷に爪を立 「幼いおりに二、三度お目にかかった於みつでござりますてそうな気がしたからだった。 「そう言えば、金吾中納言もお亡くなりなされましたそう と、自分で言った。 な : : : 関ヶ原のおりには怨まれておわしましたが」 「なに、於みつどの」 於みつはまた懐しい幼な友達とでも出あったように話し 「はい。木の実の従妹にあたりまする。宇喜多家へ御台さ ながら廊下をすすんだ。 まの嫁ぐおりに従うて、備前へ参った於みつでござります 四 そう言われると、又四郎も思い出した。 「さよう、小早川さまの寝返りで、戦の勝敗が決した、な 「あ、あの小さな : どと、言われたお方であったのに」 「ホホ : : : あの折には六歳でござりました。でも、私もや 又四郎がそう言うと、 はり一つ宛年は取ります」 「金吾さまは、二十八でござりましたそうな。あと取りが 「それはそれは」 おわさぬので、宇喜多に代って岡山城へ人りながら、城に 又四郎は軽く合槌は打ったが、あとの言葉はロに出なか もなじまぬうちにお取り潰し : : : 勝つも負くるも夢のよう なものでござりまするなあ」 太閤の養女になっていた前田利家の娘が宇喜多秀家の許 言いながら病室の外まで来て、於みつが襖に手をかける つけおんな へ嫁いでいったおり、小さな附女として従った於みつとすと、中から意外に元気な蕉庵の声であった。

8. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

民の夫婦仲を、永遠に守ってゆこうとして、一心に立ち働 いてゆくであろう : 「お才 : : : 」 ポツリと家康が口を開いた。 「そなたの手で、枕を変えて」 答えて遺骸を北枕にしてやると、香と花を飾ったり、 正式に征夷大将軍に補せられたのは、生母於大 剣を胸にのせたりしてやりながら、お才の心はやはりもう家康が、 ワて一」によよ、つこ。 が亡くなって、約半歳の後、慶長八年の二月十二日であっ なきがら そこにあるのはほんとうの亡骸で、物いう於大の魂は、 この年の正月にはまだ諸大名は、まず大坂に赴いて秀頼 宙を歩いて江戸に向っているとしか思えなかった。 家康はまだ黙然と坐ったまま動かず、知らせに依ってに年賀の挨拶をすませ、それから伏見城へ廻って家康に賀 続々と重臣たちが詰めかけだした。 詞をのべた お才が明るい光りの閃きを見て、思わずドキンと胸を波実力者ではあったが、習慣ではまだ大坂が伏見の上位に 打たせたのは智恩院の上人がやって来て、枕辺に坐ったとあったのだ。 きであった。 家康は、むろんそうしたことに何のこだわりも見せなか ( ああこれが人の一生だったのだ : った。それどころか彼自身が二月四日にわざわざ大坂へ出 を故たったかそれはわからないがわからないまま 向いていって、秀頼に年賀の言葉を述べて来ている に、お才はポロポロ涙が出た。こんどは、伝通院は、決し むろんその頃には、勧修寺宰相や烏丸父子からの連絡 て不幸な人ではなかったという安堵に似たふしぎな感動ので、将軍宣下のことはわかり過ぎるはどにわかっていた。 とりこになった。 恐らく家康は、その訪間に個人的な感慨を秘めて、律儀 気がつくと、家康の類へもくつきりと涙のあとがあったに筋を通していったのではあるまいか : ・ ( これが自分の 出ずる日落つる日 0 6 8

9. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

ハキという癖を持っている。世間への気兼ねをあまり知ら 「は、。上様はかねがね人は鍛えようじゃとおっしやりま ないせいであろう。 す。それゆえ、駿府におわす五郎太丸さまのご生母も、長 「上様、竹千代さまと申し上げるお名は上様のお名ではご福丸 ( 紀州頼宣 ) さまご生母も、殊のほかにおきびしい。 ギトりよせぬか」 それとこれと考え合せますると、チト違うように存じます 「そうじゃ。わしの名で、又わしの祖父の名でもあった、 大切な名じゃ」 家康は笑う代りに、ふと視線をそらして、そばにいる板 : 」と、彼女は甘えた表情で不審の瞬きをくり返倉勝重を見やった。勝重は眼を伏せた。彼にとっても家康 した。 が何と答えるかは、まだ察しもっかないからであった。 「そのような大切なお名を : : : あのう、おつけなさります「お八は、子を育てたいと申したな」 るか」 家康は、さらりと話題を変えて間い直した。 「よ : 「つけては、悪いと思うのかお八は ? 」 家康は、このお勝の方だけには、甘えを許すところがあ「そなたの産んだ市姫は育たなんだ。それで淋しいと洩ら った。その美貌と才を愛したというよりも、やはり十三歳していた。そなたが育てているのは長福が弟の鶴千代、そ という少女のおりから自分に侍して来ている、いじらしさ なたは鶴千代 ( 水戸頼房 ) を、子に欲しいのであろう」 があったからであろう。 いでもそれは : 「よいか悪いかは知りませぬ。でもふだんの上様のお言葉「わかって居る。よいか、すると今度生まれた竹千代どの とは : : : ちと違、つよ、つに ~ 仔じまする」 には、信吉は惜しいところで去年亡くなったが、清洲の忠 吉はじめ、忠輝、五郎太、長福、鶴千代と、叔父がたんと 四 出来る。それ等はみなみなきびしく育てられ、よい家来と 「そ、つか、フと田い、つか」 して竹千代を助けようゆえ、竹千代どのは少し位躰が弱う 家康は、二十七歳の愛妾に真顔を向けて間い返した。 ても充分やってゆける筈じゃ。肝、いなは家来じやからの」 、たいど、フ一理、フと田い、つのじゃ -J 言われてお勝の方よりも先に、板倉勝重と本多正純が目 266

10. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

したのはここの事でござりまする。次の将軍家も白紙にお 「そうでござりまする」 わすと : 何時か宗薫は、この哀れな女性の考え方を、変えておい 「すると、すると宗薫どのは、若君さまはご三代目の天下 てやらねば済まぬ同情心にかられだしていた さま : : : そう見て来られたとお言いやるのか」 「私めが、二つのことと申しましたのは : : : 宜しゅうござ りまするか、人間は、幾つまで生きられるものやら誰にも淀の君は、声をはずませてきき返した。 わからぬのでござりまする」 「それは : : : わらわも知っているぞえ」 「将軍家もそれをお悟りなされて、太閤殿下のお亡くなり宗薫は、ちょっとあわてた。 なされた年にはご退隠なさる : : : この事は或いは太閤殿下淀の君のあわれな夢想に宗薫までが引き人れられそうに なっている からお習いなされたのかも知れませぬ。人間の寿命は計り と、いうのは、宗薫も実は、家康が人物次第では秀忠の がたいものゆえ、汕断なく後の継げるものを育てておかね 長女の婿として、秀頼を三代目に考えているのではあるま 2 ば相成らぬと : 江戸からの道々、そんなことを想像しながら 淀の君は次第に蒼ざめ、唇辺の肉を微かにけいれんさせいか : 帰って来たのであった。 ながら、じっと宗薫を見返している。 しかし、それはどこまでも想像で、宗薫がいまいおうと 「したがって、次のお世継は、仮りに半年後、一年後に将 ねむ 三代目はまだ決っていな 軍家がお目を瞑られても、立派に天下に号令出来るお方でしているのは、それではない い。それゆえ、充分に自重なさるが豊家のため : : : という なければなりませぬ」 忠告のつもりだったのだ。それに必死で縋って来られては したが、その次の将軍家には、まだお世継のお子はな大変たった。 というお言葉について、 「ご母公さま、その天下さま い。ご存知の通り、御台所さまのお子はみな姫君さまばか り : : : それゆえ、ご三代は誰になるやら、これだけはまちょっと意見を」 さすがに宗薫の話ぶりは老巧だった。 将軍家も白紙におわす : : : 私が二つのことと申上げま