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検索対象: 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻
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1. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

「本多は、よく上様のお心を呑み込んでござりまする」 そうだという感心とが半々だった。 「ところが、一つ大きな心得違いがあったそ」 「正純、そちは何故、自分の父に申し送らず、土井利勝に 申し送ろうと考えたそ」 と、正純の方があわててひと膝乗りだしている。 ( そら来た ! ) と、正純は思った。この教育方法に、決し 「どこが・ : どこが、お、いに添いませぬか」 て彼は反感を持っているわけではないが、こう同じこと 「文言はよい。文句はそれでよいのだが、宛名に配慮が足 二度三度とえぐりながら喰いさがられると、やりきれ ぬよ、つじゃ」 ない気がするのも又事実であった。 「あ : : : その儀ならば」 ( 何という意地のわるい執念深さであろうか : : : ) 「気がついたか。土井利勝では、まだその意をはき違える 「ハハア、わかって居らぬのだな。では申し聞かそう。そ おそれがある。彼は若くてまだ色気があるわ。それゆえ、 なたはもう一つ、大きな考えおちをしているのだ」 ソテロを面白い奴と思い込んでゆくかも知れぬそ」 「さよ、フで : ・・ : 、こさり - 、よしよ、つか」 「なるほど」 「そうとも。それに気がつくまいここらが思案の浅いと 「ところが、こなたの父の正信ならば、そうは思わぬ。あ深いのわかれるところじゃ」 れはもう女子などに興味はない。それゆえ、同じ文言でも 「は : : : お教え願いとう存じまする」 受け取る感じはまるで違うぞ。これは油断のならぬしれ者「よいか正成も肝にきざんでおくがよい この事は、実 だと受け取ろう。どうじゃ。同じ文言が、人により、年齢は正信に申し送るのでもなければ利勝に申し送るのでもな により、境遇によって、みなひびきの違うのを存じて居る 、。実は、秀に申し送るのじゃ」 「それは、たしかに、さようでございます」 「ならば、もう一つ、どちらの口から秀忠に告げさせた方 が、秀忠の思案の中でよりよく生かされるか、それが第一 本多正純と成瀬正成は、顔を見合ってため息した。 に考慮の中になければならぬ」 どんなところにも文句はつくものだという感慨と、成程「あ : : : そのことで」 37 ノ

2. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

「では、秀頼の方から参るぞ。な : 於みつは、はじめて千姫の前へ出たときとは、全く違っ 人懐っこい、追い縋るような声を背にして、於みつは廊た哀れさを秀頼に感じていった。 下へ走り出た。 千姫には背後にとにかく健康な理智の支えがあった。し そして先刻渡ったお鈴ロのあたりまで夢中で歩いて、ま かし秀頼にはそれが無い。亡父太閤の残した愛情は、みな 悲しい重荷になってしまっている。 た庭を距てた淀の君の居間の方から洩れて来る小鼓の音に ( 母も、城も、右大臣という官位も、莫大な黄金も : ・・ : ) 気付くと、わけもなく涙が出て来て止まらなかった。 そして秀頼はいま、限りない孤独の底で、人の情を求め ( 愛おしい秀頼さま : : : ) 何故か薄気味わるい思春期の少年に出会った感じではなている。ただその求め方が、思春期の慾望とひとつになっ く、やはりそれは、ひどくちぐはぐな、巨大な城の奥に幽ているのを、彼自身も気付いていないだけなのだ : 於みつは、小走りに千姫の許へ急ぎながら、もう一年前 閉された囚われ人に感じる愛情であった。 ( この城の主に生まれなんだら、活き活きとしておわそうの秀頼だったらと、ふと思った。 若しそうだったら、於みつは、有無をいわすに秀頼を抱 ものを : : : ) しかもその囚われ人は、すべての人間がみな自分に侍すきしめて頬すりしていたに違いない ところがその秀頼も、もううかつには抱き得ない年頃に くものと思い込まされて生きている。 なっている : : : それが、やりきれない大きな人生の皮肉に 言葉では「そなたも好きか ? 」と、訊くすべは知ってい て、も、しし 、出すことはみなそのまま通るもの : : : そう錯覚思えて切なかった。 、・、かえ 「おや、栄どの、何となされたのじゃ。眼がまっ赤でござ させられている不幸は救いようのないものだった。 故太閤の不幸は、貧しい百姓の子に生まれたところにありますそえ」 千姫の御殿に入って、江戸から附いて来ている老女の千 ったが、その子の秀頼は、ちぐはぐな亡父の光の中にあっ た。間もなく秀頼は、恋を通じてその不幸に気付くであろ代にいわれて於みつははじめて化粧の崩れに気がついた 「何そ大坂方のお女中衆に難題でも : ・ 「いいえ、そのようなことではござりませぬ。では、直し ( 愛おしい秀頼さま : : : ) 178

3. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

う想像が出来るように、素晴しい賢者が誕生しないともい い得ないのた。 とにかく父親は家中の者が、みな家康の後継者と認め 家康は上機嫌で、次々にやって来て賀詞をのべる人々にて、いささかも不審をさしはさまぬ秀忠であり、母は信長 笑顔を向けていた。 の姪で浅井長政という俊傑の娘なのだ。父系母系ともます そして、相手の賀詞をきき終ると、 一点の非の打ちどころもないというべきだった。 「こんどよ、竹千代と名づけるようにいってやる」 それにしても「人間は鍛練次第ー・ーー」とつねにいってい 誰にもます同じことをいった。 る家康が、これを無視して必要以上に「竹千代ーーー・」を吹 中には、この言葉の持つ意味は感じとっても、何故、来聴するのには、何か別の意味がありそうたぞと、本多正純 る人毎にそれをいうのか ? そこまでは気の付かぬ者の方も板倉勝重も顔を見合って首を傾げていた。 が多かった。 これから、家康が、その「竹千代ーーー」に対すべき乳母、 5 、もりや・′、 「竹千代 」という以上、これが徳川家の嫡男で、秀忠傅役などのことについて、秀忠にいちいち意見を書き送る 2 のあとを継ぐべき者の意味であるのは誰にもわかる。 に違いないので、何れはわかることであったが、とにかく今 しかし、それを、いつも無ロな家康が、何故一人一人に 日の家康は、喜びすぎていささか平素とは変って見えた。 宣言するようにふれてゆくのか。 やがてその事に不審を感じたのは彼等だけではなかった 考えようによれば、家康にあるまじいことであった。い と見えて、次々にこれもお祝い言上にやって来た側室たち うまでもなく竹千代はまだ、育っかどうかもわからぬものの中から明らさまに疑問を投げかける者が出て来た。 で、その心身の強弱も賢愚もみな未知数なのである。 去年今年と続けざまに八男 ( 紀州頼宣 ) 、九男 ( 水戸頼 家康ほどの深慮の人が、それを知らない筈はない。甚だ房 ) と生んでいった正木氏お万の方とは仲よしで、同じ天 不吉な想像ながら、若し生まれた男児が常人に劣る白痴で正十八年に十三歳で側室になったお勝の方であった。 あったら何とするのであろう : : ? むろんそうしたこと お勝の方ははじめお八の方ともいったが、家康の側室の きむすめ を口にすることは出来ない。白痴であるかも知れないとい中では数少ない生娘からの侍妾で、それだけにものをハキ それから城中は喜びに湧き立った。

4. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

「わかった。そちの希いはよくわかっている。ところが この家康も又、新しい道を一つ開きたいのじゃ」 「そうか。やはり誰もまだ通らぬ航路をきわめてみたいか : いや、あつばれな、い掛けじゃ」 「その道は海上に開く航路ではない。人それぞれが安心し て住まう泰平の世の道じゃ」 家康は、心の底から感嘆した。 「恐れ人り奉りまする」 南方の航路はすでに開かれて、彼にとっては安易な道の 安針もまた顔いつばいを感動にして、眼をキラキラとか 筈であった。しかしその道を戻ったのでは、冒険者、先駆 がやかせた 者としてのウィリアム・アダムスの誇りは満たされない : 「大君さまのお志は、とりも直さず天なる父のお志、その : そうした自覚が言葉の裏に強く匂っているのがわかる。 ものに、こギりまする」 「実はの安針、わしは、幾何学もその方に習いたいのだ が、それより先に話し合いたいことがたくさんあるの「人間が海を渡って交易する。これは決して戦をしたいた 6 3 めではない」 「御意 ! 」 「恐れ入り奉りまする。何なりと仰せ聞け下さりましょ 「戦は、そのまことの目的がなんであったかを見失うた、 「そなたの冒険は、世界に新しい航路を開くことであった愚かな者どものすることじゃ」 「御意 ! 御意の、とおりに存じ奉りまする」 : これがよ ・ : 、いに道を持ったものども : 「賢いものども : 「はい。その通りにござりまする」 く胸襟を開いて話し合うたら、有無を相通じ合う悦びたけ 「世界に新しい航路を開いて、そなたの大好きな女王 : で満足しよ、つ」 何と申されたかな、その女王のために忠誠を尽したい : 「仰せの通りと存じ奉りまする」 そうであったな」 「ところが、現世はまだそうではない。小さな眼先の利を 「はい、仰せの通り、われ等のエリザベス女王のため、イ : 」争って生命をおとしている。生命をおとすがいちばん不利 ゲレスのため、そして、後世の船乗りたちのために・

5. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

彼はぐっと姿勢を正すと、 、まにも飛びつきそうな眼に なって、じっと家康を見つめたのち、 「キ从キツ 正信も忠隣も自 5 を詰めた。 関ヶ原の戦場をはなれてから、家康がこのようにきびし といって平伏した。 い声で接した相手は他になかった。 「相わかったか」 ( 何が家康の癇にさわったのか : 「相わかってござりまする。上様の日常のお覚悟 : : : 恐れ やはり十兵衛長安が、素直に仕官を喜ばなかったこと入ってござりまする」 「そうか。わかればよい。そちが、仕官せよといわれて、 「小癪な奴 ! 」 がっかりした様子を見たゆえ、活を人れてやったのじゃ。 と、目に映ったのではあるまいか 人間はの、小兎を打つにも全力を尽して打っという獅子の と一」カに そういえば確かに十兵衛の挙動は奇怪だった。。 心を忘れがちのものじゃ」 増上慢の感じはある。一々生きている人を指さずに「日蓮「ははツ 大聖人ーー」を持ち出すなどは、常識を逸脱した奇行と評「ところが、それを忘れてあ 0 ては、一日たりとも主人の されても仕方があるまい 座には居耐えぬもの : : : 何万人、何十万人の家臣があろう それに若いころ家康は、自領内の一向一揆で、手を焼い と、その一人々々とつねに喰うか喰われるかの対決じゃ。 たことがあるのだ。 わしの方に少しの隙でもあってみよ、それだけすぐその者 それにしても、家康の口から、「ー - ーー喰うか喰われるかの信を失い、侮りを受くるのじゃ」 じゃ」とは何という思いがけない言葉であったろう。相手もう家康は十兵衛だけにいっているのではなかった。十 ーたかが、一介の猿楽師であり山師にすぎないのではない 兵衛よりもむしろ舞こ、、 . ドーししきかせているらしかった。 「仰せの通り : : と、存じまする」 ところがこの一喝で、不意にまた十兵衛長安の表情は活「と、たやすく申すな忠隣」 よみがえ 「よッ き活きと生気を甦らせた。 7

6. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

鈴を鳴らした。 その鈴に応えて出て来たのは、秀頼よりもひとまわり小 於みつが、小姓の開いて呉れた襖の中を見やったときに 柄な、凜々しい感じのお小姓たった。 は、秀頼は躰を机からこっちへ向け直したところてあっ 「千姫さまから、若君さまへ、昨日のおん礼にお菓子を持 参致してござりまする」 二十畳近い居間の戸が明けはなされて、お人側の向うに 少年は折目正しく一礼して、 「しばらくそれにお控えを」 ひらけた庭の風景は、池のみぎわまで緑一色の芝生であっ どうやら秀頼に取り次ぐっもりらしかった。 「わざわざお目にかかりませいでも、この品お届け下され 小鼓と人々のさざめきは、池の向うの館から風に乗って 来たものらしい。 ば充分でござりまするが」 「しばらくこれにお控えを」 「習字に倦んでいたところじゃ。近う参れ」 少年は同じことを言って小走りに廊下を去った。 言われて、うやうやしく菓子を差出すと、例の小姓がそ どこからともなく小鼓の音が聞えて来る。と、思ったとれを秀頼の前に運んで、そのまま人側の端に下り、下手向 きに中庭を距てた向いの建物からドッと大ぜいの男女入りきに坐っていった。 その頃から於みつの栄の局は、この場の空気が、少しば まじった笑い声が洩れて来た かり変っているのに気がついた どうやらそのあたりが、ご母公、淀の君の居間らしい : : そ、つ田 5 ったときに、、 この居間には秀頼以外の姿は誰もなかった。 姓はまた小走りに戻って来て、 いや、次の間もシーンとして、人の居る気配はない。 「何か訊ね申したい事もあるゆえ、お目通りを許すと仰せ 何時も大ぜいの女たちに取巻かれて、ちやほやされてい られる。お通りなされ」 、こ、、こナ . こ、簽ムみつはひどとま・ ( どった。 そして、先に立って、妙に森閑とした午後の廊下に、絹るものと思ってしオオしカ いや、それより更にハッとしたのは、秀頼の視線であっ ずれの音をひびかせながら先に立った。 こ。はじめ妙に落ちつきなく宙を泳いでいたのが、こんど

7. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

「上様、あの安針どのに金五万両、お下げ渡しになったと 家康は軽く言って、お勝の方の差し出す茶をすすった。 い、つお話、あれはまことでござりまするか」 五 「おお、船を修理し、何そ物産を積込んで戻ろうとすれ ば、その位はかかると見たゆえなあ」 光悦もうやうやしく茶を頂きながら、何かひどく、とま 「でも、あれは、関ヶ原の役の直前でござりましたのに」 どった感じであった。 「そうじゃ、あれから間もなく、わしは江戸に下ったのた 家康が光悦を待ちかねるようにして、 「ーーー大坂の後家はどうあったそ」 からの」 : ようも又五万両 そう訊くに違いないと想像して来たのに、話は世界のこ 「では、何よりも軍費大切なおりから : とに飛んでしまって、仲々大坂へは戻りそうにもない などという大金を」 こうなると、光悦も家康から訊かれるまでは答えたくな家康は笑いながらカプリを振った。 りんしよく くなった。 「光悦も、わしを吝嗇と思うているのか。案するな、五万 それにしても、この家康が、三浦安針に、船の積荷を奪両は、みな日本国のために大きく生きて居るわい」 われた代償として、五万両という大金を与えたというのは 「すると、それだけの大金を与えられながら、何故また安 ほんとうの事であろうか 針は、日・不国に残ったので、こギ、りましよ、つ」 一口に五万両と軽くいうが、千両箱にして五十個た・ 「それがうまく参らぬものでの、その直後、わしも関ヶ原 と、思い出すと光悦も、大坂の話の代わりに、ますその疑のことに気を取られて、しばらく抛ってあったのだが、 , 問をただしたくなって来た 等は五万両の金を見ると、意見がパラバラに分かれたらし 「あの三浦安針どのならば、なるほどそのご使者を立派に し」 相勤めるに違いござりませぬ。とにかく上様を世界一の名「ほう : : : 大金を見ましたので」 君と感動してござりましたゆえ」 「そうじゃ。これをみなで等分にわけて、自由行動にした いとなった。まとまってあれば船出も出来るが、パ一 「そうじゃ。あれは日本人にしても、稀にみる信義に厚い に分けたのでは、それで終わりじゃ、当時また病死する者 339

8. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

ならぬぞ、まるで私と智恵を竸うようなことを仰せられま した。しかし、余の儀とは違い、 この点たけは私も上様に 「ほう、九絏船を、二十倍の百八十絏にふやせと : : : 」 は負けられませぬ」 高台院も救われたように合槌を打った。 「これはこれは気負うたものじゃ。こなたもどうやら太閤 肚の中では茶屋清次の育ちのあ 0 ばれさに、手を合わせ殿下に似ているところがあるような」 たいほどの感動を味いながら : 「恐れ人りました。でも人間には、一つ位は誰にも負けな 向う十年間に二十倍にせよと : : : そこで私も負け いところが欲しゅ、フ、こギ、ります」 ずにいってやりました。上様が国内に戦さえ無くして下さ 「ほんにの、一つだけはなければならぬ。わらわも男であ れば、誓って三十倍四十倍にもしてみせましようと」 ったら、こなたに一つ大船を作らせて、西方浄土のその又 「ホホ : : : それは勇ましい法螺の吹きようじゃ。して、将先まで漕ぎ出してみたいのだが : 軍家は何と応じなされたぞ」 つい誘い込まれてそういって、ハッとしたように高台院 「小癪な奴め、戦など、もう無、。 イ . しこれからあるのは、せはロを噤んだ。 いぜい大名の家中のお家騒動位のものであろう。余計な心 茶屋清次の晴れ晴れとした眼が、もうその時には於みつ 配をせすと、世界の海に乗り出してゆけ。イゲレスにもオの上に移されていたからだった。 ランダにも負けるでないそと仰せられました」 「於みつどの」 イゲレス : : : と、何とか申したの。それは何のこ と、清次は同じ口調で呼びかけた。 「、 0 ーしヨーロッパの新しい国々の名でござりまする。今 「お聞きの通りでの、わしは暫く都を離れて、船造りに没 までの南蛮人というは、イスパニヤ人やポルトガル人のこ頭してゆかねばならぬ」 と、上様は誰にお聞きなされたのか、それらはもう没落し 「お好きな道に没頭出来る : : : お羨しゅう存じまする」 てゆく古い国じゃ。これからは南蛮人よりも紅毛人 : : : つ「許して呉れたの、こなたはわしを」 まり、イゲレス人やオランダ人の動きをよう見てあらねば それは於みつにとっても高台院にとっても、そして光悦 300

9. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

接ご母公さまの許へ掛合いに参るのか」 「そちの器なりだと : : 器なりに察するとどうなるの 「御意の通りにござりまする」 「それはいったい、誰が参るそ」 「お叱りを覚悟のうえで申上げまする。ご母公さまは、、 「むろん所司代さま、あなた様でござりまする」 ま、江戸の大納言さまに若君のご誕生なされたことを知 光悦がそこまで言うと、 り、胸のつぶれそうな失望をお感じなされておわそうかと 「差出るなツ光悦 ! 」 存じまする」 家康の口からは、はげしい叱声が洩れていった。 「わかって居るのか、その方にも」 ーいたふんご母公さまは、若君とお千姫さまの間に和 十四 子さまがご誕生遊ばされ、それがお世継になられたらと 家康に叱りつけられても光脱はけろりとしていた。どう : そのような夢をご覧なされておわしたのではないかと やらこの日蓮大聖人の信仰者は、はじめからその位のこと存じまする。ところが、その反対に江戸には若君さまがご は覚悟して来ているのかも知れない。 誕生、そして、わが家の若君は、ご自分の知らぬ間にとん 「お叱りで恐れ人りまする。しかし光悦は、上様に申上げだ過ち : : : 」 たのではござりませぬ。所司代さまのお訊ねに、お答え申「申すなツ。 、も、つよい」 「キ十ッ さねばご誠意にもとると存じて、思うままを申上げまし た。お耳を汚した段は深く : : : 」 「そちは、それゆえ、ここでハッキリと、過ちの方から認 「ふーも」 めさせよと申すのじゃな」 家康は、苦りきった表情で、 「はい。不始末の責任はご母公さまが負うべきもの : : : そ 「そちは今、大坂のご母公がどのような苦しみを舐めておの筋道を正さねば、第二、第三の過ちが続々と豊家の内に わすかわかるのか」 起ろうかと、それを案するのでござりまする」 「それは、光悦の器なりに、お察し致しているつもりでご 「いや、そちは大した豊家の大忠臣じゃ , が光悦、それ ざりまする」 はチト厳しすぎよう」 8 2

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しかし、若君のお腰のもの : : : と、なると、必ず淀のおました。御前で刀身をお納め申したいと存じまする」 方が口を出したし、光悦は或る意味ではお伽衆のようにも 「ご苦労たった ( ) 先すわらわにお見せあれ」 扱われているからの事だった。 そう言われて、起って来たのが間題の大野治長であるの 四半刻近く待たせられて、 に気付いたのは、二人の視線が、 載せて来た根来塗の台の 「ど、フそお通りなさるよ、フ」 上でビタリと出逢ったときだった。 お広敷の役人に言われたとき、光悦はまたカーツと体が ( やはり干飯は、お腰についていたわい・ 汗ばんだ。 「おお見事じゃ。よう出来た」 それがただの若君のご生母ではなく、阿菊のように誘い と干飯が言った。 を待っている生きた女子衆なのだ : : : そう思うと、自分ま 「これには故殿下ご愛用の尺八寸の正宗を納めることにな でが狙われそうな、ひどくとまどった狼狽を感じるのだ。 っている。すぐに取出せようほどに待ってお居やれ」 ( なるほどわしは堅ぶつで、女子のことだけは、まだまだ 治長はその拵えを淀の君の前に据えながら心易げに言い 知らなすぎたのかも知れない ) 添えた。その言い方の裏に、なれすぎた感じがあり、 淀の君の居間に来てみると、酒はのんではいなかった ( やはり、噂だけではない : らんじゃ が、座敷い 0 ばいに籠った蘭麝の香りの中に、息詰るよう光悦は、自分の精魂こめた拵えも、これから仕込まれる な女の匂いの混じっているのがたまらなかった。 正宗も可哀そうな気がして来た。 「光悦か、ようお出でやった。近う : 十三 光悦はささげた太刀のかげからチラリと見やった淀のお 方が、阿菊や女房などより数倍餞えを深めている色道の塊 淀の君は、治長に取次がれた拵えを、自分と並んで坐っ のように見えた。 ている秀頼の方へちょっと押しやるようにしてから取上げ えんや 熟れきって、今にも溶けそうな艶冶な果実を連想させた る。 秀頼も珍らしそうに母の手許を見あげている。 「ご下命の、お太刀のこしらえが出来ましたので持参致し 「目 ) 只きは ? 」