秀忠 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻
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1. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

「 , ーーわらわは決して側女をお持ちなさらぬように : 「お祖父さまは、ご機嫌にわたらせまするのでござりま どと申すのではござりませぬ。ただ脇腹では、わが家の威しようなあ」 光にもかかわる時があろうかと、それを案じるのでござり 他の姫は遠ざけて、千姫と子々姫が母の左右に坐って、 賢し気に父の手許を見つめている。 まする」 「おお、いよいよご機嫌よくわたらせられる。そうそうわ 時にはそんな事を言いながら、姫たちの乳母の容色にま しに又舎弟が生れての」 で、こまかく神経を使っているようすだった。 しかしそれを秀忠は度のすぎた嫉妬とは考えなかった。 これには阿江与の方は眉をひそめた。五郎太丸の誕生に 気性の強い女性の姉への競いだと田 5 っていた。 ついて彼女の受取り方が秀忠と違うのは当然だった。 大ぜいいる家康の側室たちは、あれでは秀忠が可哀そう まだ彼女は世継ぎを産んではいない。そこへ幼い弟が誕 だとか、侍女たちまで醜女をそろえた化物屋嗷だとか一一「ロう ものがあったが、、 むろん秀忠の耳にそれを人れるほど不謹生し、もしそれを秀忠の子にせよなどと言い出されたら、 拒むすべが無くなりそうな気がするからだった。 慎な者はなかった。 「して、お千どのの婿さまも、すくすくとご成長なされて 仮りに冗談めかしてそう言おうとする者があったとして も、秀忠の前に出るとそれはロに出来なくなる。秀忠自おわしまするか」 阿江与の方は、用心ぶかく話題を変えた。 身、他人の軽口を封するはどの生真面目さを、つねに身に つけているからだった。 九 食膳が運ばれるまでのわずかな間に、秀忠は姿勢を正し 「おお、秀頼どのも見違えるように大きゅうなられた」 て妻の差出す茶をすすった。 秀忠が几帳面に答えると阿江与の方は笑い出しそうに 化粧を濃くした年上の妻は、その秀忠を惚れ惚れとした よっこ。五郎太丸のことには余りふれたくないが、それ 表情で眺めている。もう阿江与の方も、秀忠が、旅で他のオオ にしても、数え年九ツになったばかりの秀頼に、秀忠が 女を喰いちらすような良人でないことを、知り尽している どのを付けて呼んだのがおかしかったのた。 らしかった。

2. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

「ふーむ。して、その嫁ぎ先は : : : 」 女性の夢というものは、時に男よりも遙かに飛躍するも 「それはもはや申上げますまい。上様や、お祖父さまのごのらしい 思案のさまたげになってはいけませぬ」 次々に生れる秀忠の子が、みな女子てあるということ 「言うてご覧なされ。姫は二人だけではない。するとお方で、秀忠は少なからす、がっかりしていた」男ならば手許 は、一人は公家へ : : : と、思うていたのか」 におき、この実力時代の風の中できびしく鍛えて、あつば 阿江与の方はゆっくりと首を振った。その表情には、どれな器量人に育てあげようとする張りがある。しかし姫で はロ出しの仕様もなかった。 こか良人をさげすむような翳さえあった。 秀忠はもう一度首を傾げて、しかし、これも重ねて問おせいぜいが嫁ぎ先やら婿の器量の選択やらで、祖父の悲 、つとしなかった。 願に協力させる外にはない。そう思って、今まで父の申出 公家でなければ、やはりここは父の思案のとおり、姫た に異をさしはさもうとは考えたこともない秀忠だった。 ちもまたそれそれ武将の許で泰平の布石になるのが正しい ところが、阿江与の方は、父や秀忠の思いも寄らないこ のだ : : と、秀忠は思っていた。と、突然阿江与の方は又とを考えていたものらしい 口を毒いオ 九条家という最も禁裏に近い家柄の内にあって、関白の 「やはり。田・上げよしよ、つ」 側室という姉に内心では秘かな竸争心を燃やし続けて来た 故であろうか 「後のために聞いておくと致そう」 とにかく今迄、そんなことをわが妻が考えていようなど 「わらわは、一人は禁裏へ差上げたい ! それが関ヶ原で とは田 5 ってもみなかった。 勝利をおさめたご当家のためと秘かに存じていたのでござ り・まする」 ( 禁裏は別格 : : : これは治世や政略の上にあるもの : : : ) 秀忠はびつくりして、田いわず箸をとり落しそうになって そう思い込んでしまっていたたけに、秀忠の愕きは大き つ ) 0 っ一」 0 「ホホ : ・・ : 上様のびつくりなされよう・・・・ : でも、この阿江 十三 与とて、はじめからそのような考えは無かったのでござり

3. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

・ : そうなると秀忠も阿江与の方も、そして家康までも、 忠の手紙をひろげて眼がねをかけた。 何となく男の子は生まれぬもの、いや、生まれても縁のな 「こんどこそ竹千代と名づけすばなるまい」 今まで秀忠に全く男の子がなかったわけではない。いちいもののような、妙な諦めを抱きだしていた。 ねねひめ そこへ今度の知らせなのだ。 ばん先に生まれたのが千姫、次が子々姫、勝姫と生まれた 秀忠の手紙を携え、馬を飛ばして知らせて来たのは、秀 あとで、実は男の子が一人生まれた。 その男の子に秀忠は、自分の幼名からとって長丸と名づ忠の使番内藤次右衛門正次だったが、正次までが昻奮し て、肩を怒らしているのがおかしかった。 けた。正直なところ家康は気に入らなかった。 引き目の役は酒井河内守重忠か。よしよしこれも家 秀忠のあとを継ぐ以上、その長丸は徳川家のあるじたる べき者である。それに長丸とはよくないと思った。家康が法に叶うている」 へらがたな 秀忠に幼名をつけるおりには、秀忠を後とりにしようなど箆刀は酒井右兵衛大夫忠世、お抱きあげは御腰物奉行坂 ひつじ と考えていなかったからで、徳川家の嫡流ならば、家康や部左五右衛門正重、生まれたのは七月十九日未の刻 ( 午後 4 2 家康の祖父のごとく、そして、家康の嫡男だった三郎信康二時 ) 。母子とも至ってすこやかとある。 のごとく、ちゃんと「竹千代」と名づけたかった。 「正次、どうじや大納言の様子は」 ところがその長丸は、長丸どころか、一年経っか経たぬ ( いただ今鎌倉八幡ご造営中にござりますれば、これ 間に黄色くなって短い生を終っていった。 神慮の致すところと、ご喜悦限りなき体に拝してござりま 「ーー・・それ見よ」と、家康はいった。いってしまってかする」 ら、まだ秀忠に、その事では何も不平を洩らしたことのな 「フン、三代目のたわけということもある。よほど育て方 いのに気付いてあわてた。 に、いせねばのう」 秀忠は、これもがっかりした様子で、 こんどは、お父上に名づけて頂きます」 「とにかく祝うてやらずばなるまい。正純、早速城内にふ 家康のいかにも祖父らしい不満を感じ取って答えたものれさせよ。みなに酒を : : : そうじゃ聞き伝えて大名衆が賀 だった。ところが、その次に生まれたのも又女で、初姫詞を述べに来るかも知れぬ。酒盤の用意も命じておけ」

4. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

「山もある。川もある。海もある : ・・ : 」 秀忠はそう呟くと、謹厳な表情で馬をおりて門を人った。 むろん乗打ちに出米る門であったが、秀忠はそれをしな っ一」 0 ー刀学 / 「お父上さま、お帰りなされませ」 ( やがて諸侯を下乗させなければならぬ門なのた : 上の二人は、きちんと両手を突いて挨拶したが、あとの 城に人ると留守居として残っていた武田信吉、松平康二人は、それそれ乳母が抱いて、口上は代りの挨拶だっ 元、板倉勝重の三名が、揃って出て来て戦勝の祝いをのべ この四人の姫が揃うと、何時も阿江与の方は羞かしそう 信吉は、武田姓は称しているが、秀忠、忠吉の弟で家康な媚びを見せた。 の五男であり、松平康元は家康の異父弟なのである。 「姫ばか气ど、フしてこ、つ授かるので、こぎ、り・ましよ、つ」 彼等は、留守中に上杉とその余類が暴れ得なかったこと それは秀忠にとっては一種の重苦しい圧迫だった。姫ば を心から喜んでいるようだった。 かり生れるから、別に側室をお持ち下さいとは決して一一「ロう のではなかった。 すでに、上杉景勝は秀忠には兄にあたる結城秀康の許へ 降服を申出ている。その事は父の許にあった秀忠の方が、 まだ世継ぎも生れていないのだから、もっともっと自分 彼等よりも却ってくわしく知っていた。 を愛さなければならないのだという示威を感じさせるの きちょうめん 秀忠は几帳面に留守中の報告を受け終って六ッ半すぎ に、はじめて妻子の許に引きあげた。 むろん阿江与の方にもそれ相当の見識ー よあり、この示威 阿江与の方はむろんのことながら、千姫も、その妹の初は充分にある意味を持っていた。 っ 姫、子々姫、勝姫たちも父の戻りを待ちわびていた。 大坂にある太閤の子は姉の産んだ秀頼なのだ。したが まだこの時は、家光も、後に入内して東福門院になったて、江戸のあと取りもまた自分という正妻の腹から生れた 和子も生れてはいなかったが、どの姫も、自分の膝下で育男子でなければ、姉や秀頼にさげすまれるてあろうと真剣 てようとする阿江与の方の方針で、年子の多い秀忠の奥は に考えているようたった。 賑やかだった :

5. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

( すると父は幕府を江戸へ開くつもりではなかろうか ? ) 「不肖ながら秀忠は、公卿としてこのまま都の近くにとど それであっさりと大坂城を出て、伏見へ移ったのでは : まっては、昨日と明日のけじめをつけかねる : : : それでご 決意なされたのではあるまいかと存じまする」 そして、江戸開府の準備を終る頃まで伏見にあり、征夷家康は、はじめて小さく頷いた。 大将軍の宣下を受けると、自分もまた江一尸へ引きさがる 「それが、大納言にわかるようになったかの」 そして、日本中の武将を制度の上からもきびしく監視し 「むろん、くわしくはわかり兼ねまする。しかし、新しく ていって、彼等に妄動の余地を与えぬ : : : そうなれば確に泰平の世が開けたそ : : : 諸侯にそれを悟らせまするために 泰平は、根なし草では無くなろう。 は、ハッキリと昨日と縁を断って見せねばならぬ所かと存 秀忠は急き込んで呼びかけた。 じまする」 「お父上ー いささか腑に落ちてござりまする」 秀忠はそう言いながらも、それが父の、いに叶うかどうか を細、いに計っていた。 四 決してそれは卑屈な阿諛ではなかった。 秀忠の急き込んだ表情を、家康はじっと鋭く見つめてい 彼にとって、父は比較するもののない絶対の存在だった のだ。 「わかったか」 「そ、フカ 、。ほばわしの隸案に叶うて居る : : : 」 そう言った言葉はまだ柔いではいなかった。 家康は、はじめて微笑を見せて、 「何故、わしが公卿にはならぬと思うそ」 「その代り歩みだしたら一歩も逡巡はならぬ道じゃ。昨日 秀忠は、父の語気から、自分がいまきびしい審間の座に と明日のけじめをつけるというが : : : 言葉は簡単ながら、 おかれているのを感じとった。 その内容は無限に厳しい。昨日と明日はどう変らねば相成 うかつな答えをしたら、家康はわが子だとて見捨てかねらぬのか ? それはお許の腑におちてか」 まい。すべてを賭けると言ったのは、そう受取らねば済ま ぬ覚悟を充分に匂わしている。 秀忠の白い顔にペットリ 汗がにじんた。 2

6. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

がよい」 そして、秀忠が二十九日に参内し、お礼を言上して帰っ 立とうとする治長を眼で止めて、淀の君はその母に見送て来ると家康は、何も言わすに、秀忠の前へ分厚い写本を りを命じていった。もう上体は崩れるように脇息の上にあ取出して、 つ」 0 今日から江戸大納言か、大納言どの、これをご覧な さるがよい」 捕えどころのない表清で、開いてある頁を指さした。 秀忠は、何か不興を蒙る原因があったろうかと、首を傾 げる気持でその写本をうけとった。 「これは太平記でござりまするなあ」 家康はそれには応えす、 秀忠が江戸に向って帰路についたのは慶長六年の四月十「開いてある所を、声を発てて読んでご覧なされ」 日であった。 「声を発てて : こと 江戸から大坂をめざした時は、物々しい武装のうえで中「そうじゃ。さすれば、お許の心にも、この父の心にもそ 山道をのばって来たのだが、帰路は全く違った環境の旅での願文の文意がきびしく通るであろう」 あった。 秀忠はもう一度ちらりと父を見やってから言われた通り 父の家康は三月二十三日に、大坂城の西の丸には、天野に読みだした。 康景を留守において伏見城に移っていた。 秀忠もその翌日、父に続いて伏見城に人り、そこで始め 臣いやしくも和光の御願をたのんで日を送り、逆縁 て父から大きな抱負を打明けられた。 を結ぶこと、日すでに久し。願わくば征路万里の末まで そして、二十七日には大坂にある秀頼が、彼より先に権も、擁護の御まなじりをめぐらされて、再び大軍を起し 大納言にのばせられ、続いて翌二十八日、一日おくれて秀朝敵を亡す力を加え給え = = = 我れたとえ不幸にしていの 忠もまた権大納言になっていった。 ちのうちにこの望み達せすというとも、祈念冥慮にたが 江戸の抱負 わこ、つ

7. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

対なのだと知っているからであろう ・ : なんと陬せられました」 「いま、上様は、な : しかし、それでもなお黙しきれないものが、実は阿江与 秀忠は、聞えぬふりを装って、汁椀を口に運んだ。 の方の胸にはあったのだ。 「お方は、これが、お父上のご裁量でなければ反対じゃと 「上様、わらわの言葉が、お耳には入りませぬか」 申すのか」 阿江与の方に畳みかけられて、秀忠は生真面目に前言を秀忠に訊き返されて、阿江与の方は即座に答えた。 「十 5 、 0 くり返した。 。しその通りにござりまする」 「お子々を前田家に遣わすことに致したと申したのじゃ。 「ふーむ。何そ別に思案があってのことであろうな」 それについて : : : 」 「むろんのことでござりまする。わらわは姫の母親、何も 「それについて : : : 」 思案がない筈ー 一よ、こざり・ませぬ」 と、阿江与の方は詰め寄るように後を促した。 「ふー、む」 「それについて、お父上から何れこまかいお話があるであ 「由・上げてよろしゅ、つ、こギ、り工しよ、つか」 ろう。前田家はご先代とも、また当主ともわが家とは格判 「いや、これは九分九厘まで決ったことじゃ : しつこん 眤懇の間柄、しかし当主には嗣子がない。依って弟のうち そう言ってから秀忠はもう一度慎重に首を傾げて、 一人、松平の姓をお与えなされて、それにお子々を娶合わ「後のこともある。お方の考えを聞いておこうか」 次のあるじにと、お考えのようじゃ」 「申上げまする。わらわは、上様に嫁ぐ前には九条道房が 「それは、それは、お祖父さまの動かぬご思案 : : : と、ご妻でござりました」 秀忠はふっと不快な色を見せたが、しかしすぐにそれは 覓なされまするか」 謹厳な姿勢の裏にかくし去った。 「なに、動かぬ、こ田 5 宋かとは ? 」 秀忠がふと箸をうごかす手を止めて不審げに訊き返す「わらわは、わらわの姫の一人は、秀頼さまに嫁がせまし ても、もう一人は、リ 男のところへ主上げと、つ、こざりまし 、何故か阿江与の方はロを閉した。 家康の言うことは、良人にとっては動かしようのない絶 3 6

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自分を見上げている長女千姫の眸に出会うと、あわてて表「そうじゃ。お父上は近々伝通院さまを伏見に迎え取ろう をゆるめ直した。 と仰せられてあったそ」 「そのようなことは軽々しく口にすることではない。治部 「それはそれは、伝通院さまもお喜びなされましよう。こ 少の叛乱によって以前と構想 ( , よ変ったのだ。将軍としてのんどの戦をいちばんお案じなされておわしたのは伝通院さ 適不適は、将来にならねばわかるまい」 まゆえ」 「と仰せられると、秀頼さまのご器量がそれに叶うてあれ「そうであろうな。もはや七十四歳じゃ」 ばお渡しなさる : : : ? 」 「はい。でも、幾つになられても子は案じられるものと見 「もう申すなと言っているのじゃ。仮りにお父上のあとをえまする」 この秀忠が継ぐとして、秀頼どのはお千が婿、こだわるほ 伝通院とは、ここに引取られている家康の生母於大のこ どの何の支障があると言うのだ」 とであった。於大はもう伝通院光岳蓉誉智光という戒名ま 阿江与の方は、微かに頬を崩して笑った。 で貰っている。 「では、わらわも急いで世継ぎを産まねばならぬ」 家康が天正十八年の八月、江戸へ入ると間もなく地理踏 秀忠はもう答えなかった。 査の鷹狩りを催して、その帰途荒れた一寺を見出し、これ 「そして、どちらが将軍家として、お祖父さまのお気に叶を伝通院と命名して菩提寺と決めてあった。 うか ? 育て方に力を入れねばお祖父さまが、がっかりな 「伝通院のことで思い出したが、前田家の芳春院はご息災 さろ、つ」 であろうかの」 秀忠はもう一度キッと妻を睨みつけたが、田いい直して侍「はい・ ・ : 近ごろ訊ねてもみませなんたが : 女の捧げて来た膳の方へ視線をそらした。 「その前田家じゃが 家康も質素であったが、 秀忠も父に劣らぬ質素さたっ秀忠は箸を執りながらさりげなく言った。 た。それでも今日は久しぶりの帰城とあって鯛が一尾二の 「このお子々は前田家へ遣わすことに致したそ」 膳についている。その鯛に視線を落したままで秀忠は又別 それは充分に妻をはばかる声音であったが、阿江与の方 のことを言い出した。 ははじかれたように顔をあげて良人を見直した。 2

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まする」 それが、ここでぬきさしならない劣等感を植えつけられ 「ふーも」 たような気がする。 「でも、関ヶ原でお勝ちなされた : : : そう知りましたおり ( この女子は、おそろしい胆を持 0 て生れて来ている軍師 に、これは一つ、考えてみねばならぬところと存じました」らしい なるほど外孫に天子があるとなったら、豊家の存在など 「日本一の実力はすでにわが家にござりまする。さすればは螢のように小さくなろう。 次に大切なは、皆々にあなどられぬ官位 : : いいえ、もっ秀忠はあわてて箸をおくと、そっと膳を膝から遠ざけ と歯に衣着せずに申そうなら、万一禁裏へ差上げた姫の一 人が、時の帝でも産み参らせましたる節は、おそれ多いこ 「そうか。それがお方の思案であったのか。とにかく聞き とながら帝も外孫、豊家のお世継も外孫 : : : そうなればごおくことに致しましよう」 当家を見る諸大名の眼も違い、お祖父さまのご悲願、泰平そう言うと、あわてて額の汗を拭った。 の世も続く道理と考えてみたのでござりまする」 それより他に、何をしてよいのやらわからない秀忠だっ 秀忠はまだ返事をなし得なかった。 たのだ : 何かそれが、恐ろしい陰謀のような気さえするのだ。 ( わしは、阿江与に比べて小胆すぎるのであろうか : 気がつくと秀忠の全身はぐっしよりと汗になっていた。 父の抱負を聞かせられて、少なからず、わが身の思案の 小ささを反省させられているのだった。 それが今度は、妻の口から、思案の禁断を叩き破られ、 しった 江戸の抱負を突きつけられて叱咤された気がするのだ。 江戸から伏見へやって来て、静かに老いを養う家康の生 もともと秀忠は、性格的にも阿江与の方には圧迫され勝母於大の方の許〈は、さまざまな人が訪ねて来た。 ちだった。 於大という名はもうとうに過去のものとなり、いま彼女 於大の生涯 6

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阿江与の方は眉をあげて息を詰めた。太閤の子とは言 「何を笑うのじゃ。どうか致したか」 「でも、殿が、あまり几帳面に秀頼どの : : : などと仰せらえ、この騒動で秀頼をそのまま不間に附してやったのは、 並々ならぬ家康の堪忍と慈悲なのた : : : そう思っているか れまするので」 「秀頼どのは、今度わしと同じ権大納言じゃ。公家風の呼らたった。 び方をせよと一言うのか」 ( その秀頼以下に扱われて、良人は不満を感じないのであ 秀忠のカンは阿江与の方とは出会わなかった。が、秀頼ろうか : 「ルズ , いいえ上様、今のお話は少し順序が違いは致しま と秀忠が、同じ権大納言と聞くと阿江与の方は、ちょっと す - まいか」 頷き得ない不平を覚えた。 近く舅になるべき人と、幼い婿とが同じと言うのは面白「ほう、違うように田いうかの」 くなかった。彼女の考えでは、関ヶ原の騒動を経た後ゅ「はい。たとえ一日にもせよ、どうして上様が後になった ので、こぎ、いニエしよ、つ」 え、当然秀忠の官位が上でなければならないと思ってい 「いや、お父上が、秀頼どのの昇進を奏請しただけであっ たからじゃ」 「それはお祖父さまもご承知の上の奏請でござりましよう : なんと仰せられまする」 力」 「むろんのことじゃ。ご存知なくて、お請けせよなどと仰「わしの事は黙って居られた。それで禁裏でも先ず秀頼ど のに権大納言のお沙汰を下され、そのあとで、わしがまだ 一日違いでの : : : 秀頼どのが、 せられるお父上ではない。 中納言だったのにお気付きなされ、お方同様、びつくりな わしより一日前であった」 されての昇進らしかった」 「まあ : : : では、殿の方が一日後に岬 阿江与の方はいよいよ腑に落ちない表情だった。 「そ、フじゃ」 「いったい上様をさしおいて、お祖父さまは何故秀頼さま 秀忠はわざとさりげなく答えた。阿江与の方が、どんな 。こナを : : : 」 受取り方をしてゆくか、それを確めてからあとの話をする・ / 、 ~ 秀忠はその質間を待っていたのだ。ゆっくりと茶碗を妻 気であった。 9 5