力」 「よ はいっそれはもう : ・・ : 」 「いや、そうじゃ。よいことがある。それならば秀頼の方 「さか , んとて同じこと : : こなた、秀頼と姫とどちらが大から姫のもとへ度々行こう。姫に会うようにして、こなた 切だと思うのじゃ」 の許へな」 不思義な難題どっこ。 オオここでこれ以上自分は、千姫の召於みつは愕然として、こんどは答えの言葉が胸につかえ 使い : : : そんなことをいい張ったらこの少年は、意地になて出なかった。 っていよいよ無態な主張をはじめそうな予感がする。 ( これは、何ということになったのだ : 「それはもう、この城のあるじは若君さま、若君さまがご 大久保長安が妙なことをいっていた : 大切なことは申し上ぐるまでもござりませぬ。さりながら、 それがそのまま事実となって、於みつの身に降り注ぐ、 そのご大切な若君さまの姫君さまゆえ : : : 」 あやしい火の粉になりそうな気配なのだ。 「そうじゃ。それがよい。秀頼の方からこなたの許へ通う 「そうか、秀頼の方が大切か」 し」 てやるそ」 「それを聞いて秀頼もうれしい」 十三 「どうぞ、また姫君さまの許へもお運び頂きとう存じます 於みつは何と答えて秀頼の居間を出たかわからなかっ すぐまた言葉を、遁げ出す方向に持ってゆくと、秀頼は 巧みにあやしていったら、直ぐにはどうも無さそうであ またまた思いがけない解釈を下した。 ったが、それが却って恐ろしかった。 「あ、そうか。こなたは母上さまを犀ってか」 「よ : ( 孤独な少年の夢想 : : : ) 「秀頼がわるかった。母上といさかいしたなどと申したゆ若しその夢想の中に取籠められたら、どんな約東をさせ られるか ? いや、その中に深入りしたら、それこそ、於 え、こなたそれで困っているのじゃ」 , を . し : いいえ、別にそのようなことはござりませぬみつは身動き出来ない蜘蛛の巣にかけられよう。 177
かされて来たのじゃ」 に彼も計算は出来なかったのだが : 「黄金の風 : : : それはいったい何のことじゃ」 彼は頂戴した銀をふところに納めたまま、再び千姫の くるわ 「かぜは病 : : : 風邪でござるよ。いや、その話はこなた様 曲輪に戻ろうとして、廊下の途中で栄の局の於みつに出あ に関わりない こなた様に申残して参りたいと思うたの は、それ、若君さまが女性の肌を知っておわすということ 「何を考えておいでなされます」 殆んど気付かずに行き違おうとして声をかけられ、ハッ 「それが、どうか、致しましたか」 として立ちどまった。見ると於みつは両手に朱塗りの盆を ささげて立っている。上に載っているのは紙につつんだ菓於みつは、たしなめる口調で言った。 「お年頃になれば、やむないことでござりましように」 子らしかった。 「どこへ行かれるのじゃお局は ? 」 「いや、そうではない。わしが申残してゆこうと思うたの 「もうご用はお済みなされましたか」 は : : : それゆえ、もう姫君の許へは参られぬ。お仲がうと 「そ : : : そっじゃ。もう済んだゆえ、今日この城にはお暇 くならせられるとい、フことじゃ」 申す。何そ茶屋どのにご伝言でもござらば」 「ホホ : : : それならばお案じなく。姫君さまも、すくすく いえ、何も : : : 」 ご成長なされまする」 於みつは笑いながら行き違おうとする。 「さ、その事じゃ。そう取澄していてよいかどうか : : : わ こちらでも、姫の 「栄の局、ちょっとお耳に人れておきたいことがある」 しはの、これは捨ておくべきではない お身代りを立つべきだと思うが、こなた様はそうは思わぬ 長安は、思い出したように二、三歩後へ戻って、 かの」 「そのお菓子は、若君さまの許へであろうな」 「なに、姫のお身代りを : 「はい。若君さまがお訪ね下されたご答礼に」 「そうじゃ。渋柿の熟れるまで、熟れかけた誰ぞにお身代 「局 ! この城は妙な城でござるそ」 りをさせるのじゃ。そして、時おり若君さまがお成りなさ 「妙】な城 : : : と、おっしやる ? 」 : よいかの、これた 「何も彼も少々おかしい。実はわしはいま、黄金の風をひるようにしておくが上分別と思うが : っ一 ) 0 171
う肝心なことの前でロを噤んで、石のように押しだまって人間の思考の方途は、結局自分自身が起点であった。且 しまったのだ 元は、若し局が、秀頼の年齢から来る感傷につけ人って、 ( 何かまだある : : : ? ある事ないことを吹き込んでいったとしたら、秀頼の性格 そう思うと、且元の思考は、どうしてもある種の「陰謀に生涯抜きがたい禍根を残そうと用心したのた 」が伏在しそうな想像に傾くのだった。 「まあ : : : 」 「こなたは何故黙って居るそ。こなたは、呪われた出生ど びつくりして局は顔を上げた。局にとって、これは思い ころか、太閤殿下が、すべてに変えても若君を欲していた もよらない言葉であった。 : 待たれる上にも待たれたご出生であることを、懇々と 「こなたが、仮りにご母公から聞かされた : : : そう言って お説き申したのであろうが」 若君に告げてゆくと、若君の胸には、それがやがてご母公 自身の口から出た事のように根付きもする。そなたほどの 「して、若君はご納得なされてか : いや、仲々簡単にご年齢になれば、その位のことはようわかっている筈じゃ」 6 2 「では、わらわが : : : 若君さまを苦しめようとして : : : 」 納得はなさるまい。ご生母らの口からそのような酷いこと 「いや、なぶろうとしてかも知れぬ。苦しめようとなれ を聞かされたのではのう。それで、こなたは説き続けた : ば、これは捨ておけぬ陰謀じゃ」 「はい。それで : : : それで手間どりましたので」 局は、再び首を垂れた。いったんは、今宵の出来ごとを 「というと、最後には聞き分けられてか」 悉皆打明けて : : : そうも考えかけてみたのだが、今の言葉 を聞けば、思いも寄らぬことだった。 且元は、わざとさり気なくいったあとで、 「局 ! 」と、鋭く語気を強めた。 「わしがまだこなたを帰せぬのは、こなたの言葉と時刻の 「呪われたご出生 : : : それを申したのは、実はご母公さま開きにある。いったい若君は、こなたの言葉で、ご母公へ ではなくて、こなたでは無かったのか ? 」 の怨みは捨てたのか捨てぬのか」 「存じませぬ。それはお考え違いとは申上げましたが、そ れ以上に、若君さまのお心を動かす力は私にはござりませ
且元は、あまりのことに答えようが無かった。 : ご母公さまの心のうち 「若君さまは : : : 若君さまは : 近ごろの淀の方は酒を過して、時々度を超えた戯れ言を を、悉皆見技いていらせられまする」 口にする。或いはそのような事も口にしたかも知れなかっ 「よに、ご母公さまの心の、っちたと」 しかしそれが、いちばん愛おしい秀頼の心を傷つけたと 「ご母公さまのお心に、何か : : : 若君の不為めになる、不 すれば何という大きな皮肉であり、悲劇であろうか : 純なものでもあると申すのか」 「、こざり・まする ! 」 いや、それ以上に且元を動揺させるのは、淀の方の戯れ ッパリと申したもの。まさか、それは、こな ごとが、実はそのまま嘘ではあるまいと思えることであっ 「これは又キ たの考えではあるまいなあ ? 」 「いいえ、若君さまのお言葉でござりまする。ご母公さま確かに、淀の方は嫌であったろう。もっと若く美しく、 たくま は、年を取られた太閤さまのお側へ召される折に、嫌で嫌逞しい相手を夢見るのは娘たちのつねである。 3 でたまらなんた : : : 何度も死のうと田 5 うたが、 それも出来 ( と、すれば、秀頼の嘆いているように、はんとうに呪わ 2 なんだ : : : そのように、若君さまのお側で洩らされたそうれた生まれつき : そういうことに、或いはなるかも知れないという、考え に、こ、イトりまする」 てみたこともない疑惑であった。 「なに、若君がそれを、こなたに」 「十 ( 、 0 : と、ロを酸くして申上 。しまだいろいろと : : : 猿によう似た老いばれなどと 「私は、それは大きなお間違い・ げました。でも若君さまはご納得なさりませぬ」 「ふーむ」 「ふーし」 「それゆえ、秀頼は呪われた生まれつき : : 父には秀頼を 且元はもう一度唸った。 産ませる気はあっても、母には産む気は無かった子 : : : そ「それは確かにお間違い・ れゆえ母に愛されないのも当然じゃ : : : そう仰せられて涙じゃな」 を流してござりまする」 し」 : とそなたも、まこと思うの
つ 0 「佐度でザグザクと黄金が出て来て困るという話じゃ」 なるはどそこで、大久保長安が、於こうを相手にして、 そういってから長安ははじめて咽喉ばとけまで見せて笑 つ」 0 しきりに何か笑わせている 「これはこれは、何時こちらへ参られましたのて」 「よいかの光悦どの、江戸表へは若君ご誕生」 光悦が几帳面に坐って一礼する頭のうえから、 「その儀は私も承って、心から芽出度いことと存じていま 「光悦どの、大手ぬかりでござるそ」 と、長安は大形に声を投げた。 「であろうかの光悦どの : : : 」 「豊太閤の七回忌まで、あと幾日あると思わっしやる。聞「といわっしやると けば江戸では若君ご誕生、このような芽出度いおりに、何「それは芽出度い ! 芽出度いことには違いないのだが、 をうかうかしてござる。黄金などは佐度の砂、少々使いみしかし、 がっかりなされているお方が無いとはいえますま ちを考えて呉れてもよいではないか」 し」 光悦はキョトンとした。 「なるほど」 なるほどこれではお袋さまが好かぬ筈 : : : そう思ったと 「大坂のご母堂どの、若君のご誕生さえなくば、秀頼さま きに、妻の妹の於こうは弾けるように笑いだした。 を三代目にと : : いや、そう思って居らぬでも、ここでは とにかく盛大に、七回忌はやるべきところと思わぬかの」 光悦は、黙って相手を見返した。 「上方商人の総元締 : ・ : とゆうても茶屋どのはまだ若い。 仕事もよく出来るし、頭も無類に切れる男だ。それにし しかし、光どのがついて居られる : : : とは思うたが、 そても会うたび横柄になってゆくのが、母の妙秀だけでな れでもちょっと気にかかっての」 光にとっても何となく虫の好かぬ : : : と、考えて、 また早口にいい出す長安の言葉を、光悦はムッとしてさ ( いやいやそうではない ! ) えぎった。 と、田い ~ 阯した。 「大久保さま、それはいったい何のお話で」 昔は手猿楽の十兵衛でも、今は大久保石見守長安。家康 304
と、勘の鋭い淀の君はすぐさまはげしく斬り返した。 案のごとく淀の君のまなじりは、じっと鋭くつりあがっ 「では光は、内府をここへ移して、わらわも若君もとも ども住めとお言いやるのか」 一一「ロ葉は直しむ 「若君を他所へ預くる気などわらわに無、 「さあ、それは : ものじゃ。こなたの言い分を聞いていると、若君を、お亀「ホホ : こなたはやはり町人じゃ。よいかや、一緒に が牢人の子同様、江戸へ預けよと言っているように聞える住めばわらわは女子 : : : とゆうて、お亀や於万 ( 後の紀 そよ」 頼宣の生母 ) と何で内府の寵を竸えるものじゃ。とばけた 光悦ははげしく首を振っていった。 ことはロ走らぬがよい。わらわは太閤殿下の妻、秀頼どの 「もってのほかにござりまする」 の生母 : : : ホホ : : : わらわは、あの土臭い内府のお顔を見 「よに、、もってのほかじゃと」 るだけで、息苦しゅうなって来る。何のけがらわしい、お 「はい。第一内府は江戸にはおわしませぬ。近々伏見へ移亀などと : られるとか伺うては居りまするが、まだ、同じこのご城内光悦は、腹の底から嘆息した。 ごと におわすのでござりまする」 戯れ言かとっていた宗薫の言葉は、当りすぎるほどに 「それゆえ、西の丸へ預けよとでも申すのか」 当っていたのだ。 「それもご推量違い、私めが申上げましたのは : ( 淀のお方が憎んでおわすのは、内府ではなくて、いまお 言いかけて、さすがに光悦も、あとの言葉を続けかね 側にある五郎太丸の生母のお亀の方や、若い於万の方、お 八の方などなのだ : 家康を本丸に人れて、秀頼をその膝下で育てては : : : そ彼女たちがいなかったら、当然家康はもっと淀の君に接 う言おうとしている自分に気付いてあわてていた。 近して来ていたのであろうと : そんな事は一言うだけで、今の空気では、どうして実現し ( なるほど女人の心はわからぬもの : : : ) 得るものか。すでに家康は伏見城の修理を終ろうとしてい 「恐れ人りました」 るのた。 光はじりじりして来る自分の感清を無理におさえて話
( この、いたずら者めがツ ) ( 宗薫め、わるい暗示をかけ居ったぞ : : : ) もう少しで強か頬げたを張りそうになり、あわてて自分船が本丸の水門ロへ着いたのは午後であった。 を制御した。 誘いかけたのは自分なのではなかったか : : しかし、〉て の反省と落胆とは全く別のものであった。 ご本丸の大奥の御用ロは、水門から人ってお広敷へ出 ( 女子というものは、あのように取澄した顔をしていながて、用向きを告げてゆくと、そこで暫らく待たせられる。 ら、色恋の誘いばかりを待っていくさるのであろうか : 太閤の生前は、ここから奥へは決して男は通して呉れな かった。それを光悦は当然のこととして少しも怪しもうと いや、それが又自然の意志なのだ : : : そう思い返しなが しなかったのだが、今日は、彼が考えていたよりも、別の らも、もう阿菊に笑顔など見せるものかというはげしい嫌意味があったような気がして来る。 悪をどうする事も出来なかった。 太閤は自分の年齢や男ぶりを知っているので、若い女房 船の上でも光悦はそれを想うと、淀の方に会うのがやり たちに、若い男を見せるのが怖ろしかったのだ : きれなかった。話の発展の仕方では、思わす罵倒してしま いや、ある意味では太閤は女たちがどのように他愛のな うかも知れない自分の気性が危ぶまれる。 い色好みであるかをよく知っていたからかも知れない。 ( これは散々な不首尾になって、最後のお出人りになるか ( どうそ、今日のお方さまは、酒など召していて呉れませ も知れぬそ : : : ) ぬよ、つに・ 出来得ればそうした事には一切触れす、ただ、高台院が 大体若君のお太刀のこと、淀のお方にお目にかかりたい 出家なさることだけ話して帰ろうか : などと言うのは筋の通らぬことだった。 しかし、それでは彼の探究癖が納まるま い。いったい淀 小納戸係も居れば側用人もいる。いや、それより大事な のお方は、何を田 5 うて若君を家康にお預けなさらぬのか : 用向きならば縛役にというのが至当であった。 : それに触れようとしてゆくと、もっと奥の奥まで淀のお それを「ご生母さまに 」などとい、つのはどこまでも 方の心を覗いておきたくなる。 恩寵に甘えた我儘なご機嫌伺いの仕方であった。
「私の考えでは、わざわざ呼びつけられてそうなった : さまも、この事実をハッキリとお認め遊ばし、その上で貰 と致しましても、あの気性の勝った於みつどのが、果してうて呉れと言うのならば、私も茶屋どのに頼むこともなり 片桐さまのご思案どおり、黙って茶屋に嫁いで来るかどう ましようが、茶屋どのが、宿退りもせぬ於みつどのを孕ま かが案じられるのでござりまする」 した : : : そのような嘘は、私の信仰致しまする日蓮大聖人 「それは確かに・ のお心にも叶いませぬので」 と、こんどは光悦と勝重の対話になって、家康も清次も 「ふーむと、申して、これを光悦どのの一一「ロ、つよ、つに、ご 重くるしい聞手になった。 母公や若君さまが : 「お城からは黙って退ってくるかも知れませぬ。しかし途 勝重が首を傾げてゆくと、光悦はついに光悦らしい意見 中で自害のおそれがある。懐妊しているのを承知の上で妻の片鱗を見せだした。 にするというのならばとにかく、これは茶屋どのに濡れ衣「、、。、 しカカな・もので、こイ、り↓しよ、つ。とにかく ~ 右丑須さ、よが 着せて嫁がせようというご思案、それは於みつどのの気性そのような事をなされた : : : それを知らすに居ったという に添わぬなされ方、いや、茶屋どのが案じなさるのもその のは、大坂城内の出来ごとに関する限り、これはご母公さ 点でござりまする」 まの責任かと存じまする」 「なるほど、それはありそうな事じゃ」 「なるほど、それで : : : ? 」 「はい。若し於みつどのに自害でもされましては死人にロ 「それゆえ、ここでは思い切って責任をお問いなさるので なし、茶屋は豊家の若君さまに敵意を抱き、そのお子をみござりまする。人間は過ちを犯した時には素直に詫びる ごもっている局を責めて責め殺したなどと噂されては、そ : その勇気がなければなりませぬ。そしてまことに済ま れこそ痛手の上の大痛手 : : : 私めもはとほと思案に困却致なんだと仰せられたら、当方から、では、懐妊のまま、茶 してござりまする」 屋どのの妻に申し受けたいと言うことに致しましては : 「どうであろうな。ただ困却では済まぬことじゃ。何か光さすれば茶屋どのの面目も幾分は相立とうかと存じまする 莞に、智宙 5 はあるまいか」 力」 「さあ : : : それでござりまする。いっそご母公さまも若君「ほう、すると、こちらから、片桐どのをさしおいて、直 279
「こなた、危いことをしてのけたものじゃ」 た。したがって参るまでは、何のご用か知らなんだのじゃ . 十 5 「よいか。仮りに若君のお召があったにもせよ、ご錠ロの し」 締るまでには帰らねば相成らぬ。万一夜廻りの侍たちに見「その答えに間違いなければ、こなたの顔を見て、若君は とがめられたら何とするのじゃ」 何のために呼ばれたか、ご用の筋を仰せられる」 栄の局は、固くうなだれたまま眼もあげようとしなかっ 「そうであろうが」 「よ . それは、女性のことには縁遠い且元にも、何か異常なも のを感じ取らせる。 「よし、そのご用は ! 仰せられたままに申すがよい」 「こなた、この市正に、まさか隠し立ては致すまいの」 すると、栄の局ははじめて顔をあげて怨めしそうに且元 を見上げていった。 「はじめこなたは、千姫さまの使いに来たと言い、それか 「それは言えぬと申すのかツ」 ら若君さまに召されたと言い直した。何故途中で言葉を変 えたぞ」 「こなたはいま、危い瀬戸際に立っている。よいか、若君 : はい。それは、はじめ、若君さまをかばおうと致はまだご幼少 : : : こなたは立派な一人前の女子じゃ。こな したからでござりまする」 たが何か企むところがあって若君に近づいた : : : そう解さ 「ふん、すると途中でかばい切れぬ : : : そう思って、まこれたら何うするぞ」 との事を告げたのか」 「仰せの通りにござりまする」 「そなたの眼は血走っている。この夜更けに : : : 万一若君 栄の局の声は消え人るように細かった。 のお身に危害を加えようとして徘徊した : : : そう思い込ま 且元は、また暫くじっと局を見詰めていった。 れたらいったい何と言い解くのだ」 「よし、では次を訊ねよう。こなたは若君に召されて参っ 「申し上げます ! 」 8 2
の局で、もう一人は茶道の今井宗薫だった」 淀の君はそういったが、心の中では逆に加賀の局の年齢 今井宗薫が、秀吉の死後特に親しく家康の許に出人りしを冷ややかに繰ってみていた。一 美貌と若さでは、自分にま ていることを知っている淀の君は、彼を別室に待たせて、 さっている加賀の局の不幸はふしぎに胸を打たなかつな ) 先ず京極の局と会った。 ( 若し今ごろまで殿下が生きておわしたら : : : ) 京極の局は、この前見た時よりもめつきり老けていた そう思うと、自分の前に立ちはだかって来る敵は、ⅱ買 もはや、誰に愛されようという執着もなく、その諦めが皮の局であったろう : : : そんな感懐が意地わるく先立つの 膚まで乾かせて来た感じであった。 それでも向い合うと懐しさはかくべっと見え、話題は吉「世の中も変る筈 : : : もう若君がすっかりご成人なされて 野や醍醐の花見のおりの回顧から、その後の誰彼の身の上おわすほどゆえ」 におよんだ。 話はそれからあちこちと病人の話になり、信仰のことに そういえば、今年もまた庭前の桜が重たげに花をつけ出及んだ している。早いもので、もう秀吉が亡くなってから六度目 その当時、すでに小出秀政は、これも老衰のために殆ん の春であった。 ど出仕しなくなっていたし、黒田家でも如水老人は、長い 「そうそう、そういえば、万里小路充房卿に嫁がれた加賀ことはあるまいという噂であった。 の局は、胸の ~ 炳いらしゅござりまする。よいことは仲々 「如水どのは切支丹をご信仰なされて、シモンという洗礼 かぬものと見えまする」 名を持たれておわすとか」 京極の局がそういい出すと、淀の君はあわてたように眼局がそんなことをいい出したのがきっかけで、切支丹大 をそらした。局はそれに気付かず、 名の洗礼名の話がしばらく続いた。如水の子の黒田長政は 「おまあどの ( 加賀の局 ) は美しすぎました。それに万里ダミャンといい 亡くなった蒲生氏郷はレオン、同じく今 小路卿とのお仲も至って睦じく、運命の神にそねまれたのはない小西行長がオウガスチン。そして、局の弟の京極高 かも知れませぬ」 知 . はヨハネ : : などと。細川ガラシャの子たちもみな洗礼 「それは気の毒なこと」 を受けている筈であり、九州辺の大名の中には、切支丹の 238