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検索対象: 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻
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1. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

う肝心なことの前でロを噤んで、石のように押しだまって人間の思考の方途は、結局自分自身が起点であった。且 しまったのだ 元は、若し局が、秀頼の年齢から来る感傷につけ人って、 ( 何かまだある : : : ? ある事ないことを吹き込んでいったとしたら、秀頼の性格 そう思うと、且元の思考は、どうしてもある種の「陰謀に生涯抜きがたい禍根を残そうと用心したのた 」が伏在しそうな想像に傾くのだった。 「まあ : : : 」 「こなたは何故黙って居るそ。こなたは、呪われた出生ど びつくりして局は顔を上げた。局にとって、これは思い ころか、太閤殿下が、すべてに変えても若君を欲していた もよらない言葉であった。 : 待たれる上にも待たれたご出生であることを、懇々と 「こなたが、仮りにご母公から聞かされた : : : そう言って お説き申したのであろうが」 若君に告げてゆくと、若君の胸には、それがやがてご母公 自身の口から出た事のように根付きもする。そなたほどの 「して、若君はご納得なされてか : いや、仲々簡単にご年齢になれば、その位のことはようわかっている筈じゃ」 6 2 「では、わらわが : : : 若君さまを苦しめようとして : : : 」 納得はなさるまい。ご生母らの口からそのような酷いこと 「いや、なぶろうとしてかも知れぬ。苦しめようとなれ を聞かされたのではのう。それで、こなたは説き続けた : ば、これは捨ておけぬ陰謀じゃ」 「はい。それで : : : それで手間どりましたので」 局は、再び首を垂れた。いったんは、今宵の出来ごとを 「というと、最後には聞き分けられてか」 悉皆打明けて : : : そうも考えかけてみたのだが、今の言葉 を聞けば、思いも寄らぬことだった。 且元は、わざとさり気なくいったあとで、 「局 ! 」と、鋭く語気を強めた。 「わしがまだこなたを帰せぬのは、こなたの言葉と時刻の 「呪われたご出生 : : : それを申したのは、実はご母公さま開きにある。いったい若君は、こなたの言葉で、ご母公へ ではなくて、こなたでは無かったのか ? 」 の怨みは捨てたのか捨てぬのか」 「存じませぬ。それはお考え違いとは申上げましたが、そ れ以上に、若君さまのお心を動かす力は私にはござりませ

2. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

秘めた。 咽が当然のことのようにあとに続いた : 「何かわしの言い方に気にさわることでもあったのか」 十五 於みつは滅多に他人の前で泣く女ではなかった。 於みつはあわてて首を振りながら、自分で自分を持てあ ましたように唇をかんた。 泣きたい時に平気で笑い、怒ると茶化して人を笑わす : 「どうぞ : ・・ : どうぞ、今のお言葉を : ・・ : 板倉さまにそのま そんな天性の女であった。 蕉庵までがそれを見抜いて、 まよおっしやって」 「今の言葉というと、ご母堂も千姫さまもご不運ゆえ」 「ーーわが家の血筋は妙なものだ。女侍ばかりがはびこ る。木の実もそうだったが於みつも持ち物を取り違えて出「はい。それゆえ、私たちも婚約のことは破談にしてご奉 て来居った」 公申し上げまする。自分だけ仕合わせでは : : : お二人さま に : ・・ : お二人さまに済みませぬゆえ : : : 」 そんな冗談を言うはど気丈で、同時に人も喰っていた 「わしの口から、それを板倉さまに ? 」 その於みつが、又四郎の推理めいた述懐に苦もなく取り 乱してしまったのだ。 「はい。そうおっしやった方が、きっと又四郎さまのお為 恐らく人間はみな人質 : : : そう言った彼女の感懐に、又めになろう : : : 於みつは、又四郎さまのお役に立ちとうな 四郎があまりに純真な、素直な同意を示したからではあるりました」 士しカ・ 又四郎はビグリと躰を波打たせた 「ーー人はみな悲しいもの」 そして、もう一度、丹念に於みつの言葉を心の奥でくり そうした感既にひたる時は、善人に会えば悲しく、悪人返した。 と はじめは揶揄する口調であった。それも真実らしい に出逢えば更に悲しいふしぎな感情の揺曳があるものだっ ころが途中から彼女の言葉も態度も変って来た 揶揄するような、親しさを増したような : : : そして、や 「於みつどの、どうしたのだ ? 」 於みつの鳴咽が尋常ではないと見て取って又四郎は声をがてハッキリと、好きになったと告白した。 125

3. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

わずば、子孫の内に必ず大軍を起す者あって、父祖のか ばねを清めんことを請う。この二つのうち、一つも達す ることを得ば、末葉永く当社の檀度とな 0 て霊神の威光秀忠は父の凝視に耐えながら、用心深く口を閉ざしたま までいた。 をかがやかし奉るべし」 軽薄な口舌の答えなどで満足する父ではない : くわかっているからだった。 読み終ってまた秀忠は父を見上げていった。 家康は、しばらくするとホッと肩の力を抜いてつぶやい 「何者の願文か。腑におちてか」 「はい。新田左中将義貞が、北国へ本宮を奉じて落つるおた 「わしが伏見へ移ったのも、むろん無関係ではない。無関 り、日吉の大宮権現に参社した啓白とござりまする」 わかぎみ 係ではないと言えば、若君とお千の婚約も無関係ではな その答えはしかし、家康の気には人らなかったらしい あ、それから、お千の妹は、これは前田の世継ぎにや 家康はじっとわが子を見詰めたまま、しばらく何も言わ よ、つこ 0 ろ、つと田 5 、つ」 みー刀学 / 「そうか。大納言ともあろうものが、それを読んで、それ秀忠は、息をこらし姿勢を正して、うなずくでもなく、 うなずかぬでもなかった。 だけの感懷か」 「すると : : これは : それにしても、嬰児にひとしい千姫の妹姫まで、もう嫁 「そうじゃ ! それはわれ等が遠い祖先、新田左中将の啓がす先を考えていたのかと思うと、一寸意外な気がしない 白であると同時に、この家康が願文じゃ。何と、腑に落ちでもなかった。 させられたか」一 おそらくそれが、家康の眼には、心もとなく映じたので あろう。 秀忠は、まだ何と答えてよいかわからなかった。 わが家が新田氏の末であり、源氏であるとは聞かされて 「わしはすべてをあげて賭けてゆくそ ! 」 いるのだが、家康の言おうとしているのはそれだけではな 次の言葉には、否やを言わせぬ重いひびきが籠められて いらしかった・ : と、よ 8 4

4. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

この愛おしい暴君の懐中からのがれようかとそればかり考たと全身にみちみちてくるのを感じる。 そういえば、さっきからの且元との応対も、千姫のため えていた 家に対する立場とかいうものよりも、何うして そうだ。愛おしいこの暴君のふところから : くっと大きく比番一がかカ 秀頼をかばお、つかとい、つことに、。 十 っている。 考えてみると、栄の局は、意識の外で秀頼の働きかけを ( わらわは、あの子供に恋慕しだしたのだろうか : 自分で自分に改めて問い返してみなければならないほ ひそかに待っていたのかも知れない 何時かこのような事が起りそうな予感は、秀頼が局を好ど、局の心は大きく秀頼に傾きかけて : : : といって、その 事を且元に打ち明けていいか何うかとなると、全く判断は きたと、熱い口調で洩したときからあったのだ つかなかった。 ( もう躰たけは大人になっているーー ) それは妙にこそばゆい想像だった。このように遠慮も気 「ふーも」 がねも知らぬ : : : というよりも、そうした事の全く必要な 且元は、又低くうなった。 い世界に育って思眷期を迎えた少年は、いったいどのよう彼にとっては、局の態度は不可解きわまるものらしかっ な狂い出し方をするものか ? 恐らく手のつけられない傍 若無人さではなかろうかと : 秀頼が彼女を呼んで母への不満や父への怨みを述べたと しかしそれは恐布であるより興味であったと、今になっ いう : : : それは恐ろしいことながらありそうな事にもど て局はしみじみ反省しだしている え、あったかも知れぬと思う。そしてその言葉の中で、 「好きだ 「呪われた出生ー - - ー」と洩した事に、 」と、いわれることは女性にとって魔訶不思 「ーーーそうではござりませぬ」 議な呪縛を含んでいるのかも知れない まだ熟しきらない少年の口からそれをいわれて、局は、 局が熱心にそのひがみを捨てさせようと努めたとしてみ その言葉に応えてしまったのだ。しかも今改めて秀頼の面ても、少しく時刻が長すぎる 影を臉に描き直してみると、いいようもない愛情がひたひ しかも局は、局の言葉に秀頼が納得したのかどうかとい 235

5. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

当然十兵衛長安も、 「ほう、也にもまだあったか」 「はい。茶屋四郎次郎どのと、そして、これにおわす大久「ーーありがとう存じまする」 , e- 太・模守 ) 、ごまに、こギ、 - まする」 全身に厦びを見せて挨拶するものと、忠隣も正信も想像 きちんといって十兵衛長安はまた家康の前に両手を突い ところが十兵衛は、家康の言葉を聞くと同時に、ふいに 「上様、お許し賜わりとう存じまする。先程私は、泰平日頬の肉をゆるめてメソメソと泣きだした。 本に仕えたいと申しました。これは充分お耳ざわりの高一一「ロ 感きわまった泣き方ではなくて、それは張りつめた心の : とは存じながら、そう申上げねば、立正の意義が通ら支えを失って、がっかりしてしまった童のような泣き方た ぬのでござりまする。決して上様を軽んじて申上げたのでつこ。 はなく、その逆のこころにござりまする。上様こそ、この 「十兵衛 ! 」 十兵衛が、すべてをささげて海いない立正の : : : 」 家康ははげしい声で呼びかけた。 そこまでいうと家康は、手を振ってさえぎった。 「そちは、信玄公も太閤殿下も見捨てて来た浮気者じゃ。 「もうよい。わかった。若そうには見えるがそちももはや三ッ児の魂は百までと申してな、何れわしにも愛想をつか 四十路とある。さすれば、あと三十年も待たせおいては働す奴らし、 しがその時には生きてあると思うなよ」 く時があるまい。忠隣が見込み、茶屋や光悦が、わざわざ し」 日蓮聖人の言葉を取り次いだとあれば、家康も拒みはなる 「わかったら泣くな。誰もな、正義というものが、そちの まいよいか、家康はそちの考えているような神仏ではな求めているように、磨きぬかれた珠玉のままでビカ。ヒカ光 眼にあまるほど世俗の垢によごれぬいた俗人じゃ。そって居るものならば、苦心して探す者は一人もないわ。正 れを承知ならば使うてやろう。何れ忠隣を通じて仕事のこ義もまたつねに泥土の中にある。家康はその方から眼を放 とは相談するとしての」 さぬそ。喰うか喰われるか、性根をきめて珠玉を探せ。相 、その言葉で、誰よりも先に、ホーツと大きく吐息したのわかったか」 は大久保忠隣たった。

6. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

まは、近々千姫さまも嫁いで来ることではあり、それには 鍛えるが、わが身最後の勤行にござりまする」 : ム 激しくいいかけられて、高台院はまだ身動きもしなかっ及ばぬと、ご自身で伏見へ移るよう仰せ出された : は、このあたりに大きな含みがあるように思われてなりま せぬ。内府さまが、そう仰せあったは、それならば、内府 五 の手許で若君さまをお育て下さるよう : : : そういい出すほ 光厦はまた言葉を続けた。 どの分別ある者が、若君さまのお側に居るか居らぬか : 「今日のお召しは、。 とこどこまでも、われ等庶民の考え方 少々悪いようではござりまするが、その探りの意味 を、歯に衣着せすに申すよう : : : そうした設召にあると存もあったのではござりますまいかと : じまするので、お叱りは覚悟の上で申上げまする」 いったんいい出すと、思うことのすべてを吐かせぬ限 「ところが、誰もそれをいい出す者はなかった : : : そうな り、黙らぬ光悦の癖を知っているので、宗薫ももう止めはれば、女子衆の中で育っ若君さまの将来は知れてある。修 わがままざんまい しなかった。 業第一の人間が、何の鍛錬もなされすに、我儘三昧に育っ 「たたいまの伊達さまお手紙にある通りのことを、若君さていってしまったのでは、天下の渡せる人物に育ちょうは まお側の衆の誰かがいい出さねばならぬ筈でござりましょ ござりませぬ一 ) 当然天下を預る内府さまとしては、別の世 誰が考えましてもこれこそ真ッ当なご意見 : : : ムは、 継ぎを探さなければならない道理 : : : と存じまするが、如 内府さまも、それを思い、これをにうて、わざと、浅野さ何なものでござりましよう」 まの申出を、おことわりなされたものと存じまするが如何 そこまでいって光悦が、ギョッとしたように言葉を切っ たヂもので ) こギトり、ましよ、フ」 たのは、いっか高台院の眼から、ポトリ、 ポトリと涙が落 「浅野どののお申出とは ? 」 ちだしているのに気がついたからであった ( ) 「はて、それをご存知なかったのでござりまするか。浅野「これは、少々言葉が過ぎました。お許しなされて下さり 長政さまは、若君さまを大坂城より他所へお移しなされてませ」 はと内府さまに申上げた由にござりまする。すると内府さ 高台院はさびしそうに微笑を見せて首をふった。 2

7. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

力」 「よ はいっそれはもう : ・・ : 」 「いや、そうじゃ。よいことがある。それならば秀頼の方 「さか , んとて同じこと : : こなた、秀頼と姫とどちらが大から姫のもとへ度々行こう。姫に会うようにして、こなた 切だと思うのじゃ」 の許へな」 不思義な難題どっこ。 オオここでこれ以上自分は、千姫の召於みつは愕然として、こんどは答えの言葉が胸につかえ 使い : : : そんなことをいい張ったらこの少年は、意地になて出なかった。 っていよいよ無態な主張をはじめそうな予感がする。 ( これは、何ということになったのだ : 「それはもう、この城のあるじは若君さま、若君さまがご 大久保長安が妙なことをいっていた : 大切なことは申し上ぐるまでもござりませぬ。さりながら、 それがそのまま事実となって、於みつの身に降り注ぐ、 そのご大切な若君さまの姫君さまゆえ : : : 」 あやしい火の粉になりそうな気配なのだ。 「そうじゃ。それがよい。秀頼の方からこなたの許へ通う 「そうか、秀頼の方が大切か」 し」 てやるそ」 「それを聞いて秀頼もうれしい」 十三 「どうぞ、また姫君さまの許へもお運び頂きとう存じます 於みつは何と答えて秀頼の居間を出たかわからなかっ すぐまた言葉を、遁げ出す方向に持ってゆくと、秀頼は 巧みにあやしていったら、直ぐにはどうも無さそうであ またまた思いがけない解釈を下した。 ったが、それが却って恐ろしかった。 「あ、そうか。こなたは母上さまを犀ってか」 「よ : ( 孤独な少年の夢想 : : : ) 「秀頼がわるかった。母上といさかいしたなどと申したゆ若しその夢想の中に取籠められたら、どんな約東をさせ られるか ? いや、その中に深入りしたら、それこそ、於 え、こなたそれで困っているのじゃ」 , を . し : いいえ、別にそのようなことはござりませぬみつは身動き出来ない蜘蛛の巣にかけられよう。 177

8. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

「すぐさま、後藤どのを召し出して、小判と銭をふやせと したがって、どのように「世勝手ーーー・」な生き方をしょ は仰せられませぬか」 うと思いさためてみても、これでよい : : などという境地 「たわけめ。出過ぎるかわりに、麦こがしでも持って参は絶対にあり得まい 現に家康自身、泰平を開くためにと念じながら、無数の 家康は、わざと不機嫌にいい放って、心の中では「世勝人を殺し、無数の怨みの的になっている。 手」という、お勝の方のいった妙な言葉を味わい直してい それ等の人々に、どう詫びようもない罪障感を抱きなが つ」 0 ら、しかし、それに負けてしまったのでは、彼の一生も、 信長、秀吉の生涯も、そのまま無意味な水泡に帰してゆ 五 ( 身勝手、世勝手か : : : ) そこで、どこまでも、「世勝手ーーー」を念じながら、た それは舌の上で味わい直すと、南無阿弥陀仏というほど 二筋、泰平の維持だけには身命を賭して当たらなければ。 の、奇妙な味をふくんだ言葉であった。 ならないのだ。 人間の生き方には、或いはこの二つしかないのかも知れ考えてみると家康の立場もまたやり切れない悲哀をふく んだものだった。 身勝手に生きるか ? 「ーーーわが罪障を許させ給え」 世勝手に生きるか ? 多くの人々に詫びる代わりに「南無阿弥陀仏」を称名し いや、わざわざ身勝手に生きようなどといわずとも、人ながら、みじんもその悲哀は表に出せない立場なのだ。誰 間は放ってあればみな身勝手な生きものなのだ。 にも傲然と胸を張って、自信満々に振る舞って見せなけれ しかし世勝手の方はそう簡単にゆく内容のものではな ば、太閤の末路のような世の騒擾を招くだろう。 い。どんなに世のために生きたつもりであっても、それが 信じて頼れるという立場と、誰よりも強いのだぞという 人間である限り、知らぬところで人を苦しめ、気づかぬと威嚇の姿勢をないまゼて、迷うことなく世勝手を追究する ころで罪を作って生きている。

9. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

忠の次は秀頼と空想してのことに違いなかった。 「只今お出迎え致させますれば : そしてその空想は久しく忘れていた千姫の存在をはっき 「よいのじゃ。ただお千どのの笑顔を見とうて来たのじゃ りと思い出させたのだ。 ほどに」 秀頼を三代将軍と空想すると、秀忠、秀頼の間をつなぐ そこへ老女があわてて駈けて来て、その場へびたりと平 大切な鎖は他ならぬ千姫だった。 伏し、汗ばんだ切口上で迎えの挨拶をしていった。しか その千姫はいま、江戸から連れて来たお気に入りの童女し、その時にはまだ淀の君は、かくべっ何も感じなかっ おちよばと二人で、すごろくの盤に向い合っていた。 ( わが身のためによう気を使うてあるものじゃ ) 十五 そう思っただけで、通っていった。 が、通ってみると以前の場所に、千姫もおちよばもいな 長い廊下を明るい表情で渡り終って、千姫の御殿口にか っ ) 0 かってゆくと、千姫の侍女たちはひどく慌てた。 何の前ぶれもなく突然淀の君が渡って来たのだから無理「はて、姫は何としたのじゃ」 「十、 0 しそれにお出迎えを : : : 」 もない。あわてて一人はその前に両手を仕え、もう一人は 奥へ走った。 言われて淀の君はギョッとなった。襖の外の足計に千姫 「よいのじゃ。見よ・ : ここからお千どののお顔がよう見が、おちよばと並んで小さく坐らせられて手を仕えてい える。ほんにあの器量はどうであろう。とろりとして、何る。 の邪心も怖れも知らぬあの気品、喰べたいほどの愛くるし 「おお、お千どの : ・・ : 」 淀の君の眉が曇った、このようにまで他人行儀にせずと しかし、それは、この御殿の侍女たちには、言葉どおり もよいものを : : : そ、つ思、フとすぐさまそれは逆にカツンと には通じなかった。 感清にこたえて来た。 淀の君の気むずかしさも、言葉の上の手きびしい皮肉癖 こちらで懐しさを感じていても、この召使いどもは、冷 も知れわたっている。 たい警戒心を捨ててはいない 257

10. 徳川家康 13 泰平胎動の巻江戸・大阪の巻

( すると父は幕府を江戸へ開くつもりではなかろうか ? ) 「不肖ながら秀忠は、公卿としてこのまま都の近くにとど それであっさりと大坂城を出て、伏見へ移ったのでは : まっては、昨日と明日のけじめをつけかねる : : : それでご 決意なされたのではあるまいかと存じまする」 そして、江戸開府の準備を終る頃まで伏見にあり、征夷家康は、はじめて小さく頷いた。 大将軍の宣下を受けると、自分もまた江一尸へ引きさがる 「それが、大納言にわかるようになったかの」 そして、日本中の武将を制度の上からもきびしく監視し 「むろん、くわしくはわかり兼ねまする。しかし、新しく ていって、彼等に妄動の余地を与えぬ : : : そうなれば確に泰平の世が開けたそ : : : 諸侯にそれを悟らせまするために 泰平は、根なし草では無くなろう。 は、ハッキリと昨日と縁を断って見せねばならぬ所かと存 秀忠は急き込んで呼びかけた。 じまする」 「お父上ー いささか腑に落ちてござりまする」 秀忠はそう言いながらも、それが父の、いに叶うかどうか を細、いに計っていた。 四 決してそれは卑屈な阿諛ではなかった。 秀忠の急き込んだ表情を、家康はじっと鋭く見つめてい 彼にとって、父は比較するもののない絶対の存在だった のだ。 「わかったか」 「そ、フカ 、。ほばわしの隸案に叶うて居る : : : 」 そう言った言葉はまだ柔いではいなかった。 家康は、はじめて微笑を見せて、 「何故、わしが公卿にはならぬと思うそ」 「その代り歩みだしたら一歩も逡巡はならぬ道じゃ。昨日 秀忠は、父の語気から、自分がいまきびしい審間の座に と明日のけじめをつけるというが : : : 言葉は簡単ながら、 おかれているのを感じとった。 その内容は無限に厳しい。昨日と明日はどう変らねば相成 うかつな答えをしたら、家康はわが子だとて見捨てかねらぬのか ? それはお許の腑におちてか」 まい。すべてを賭けると言ったのは、そう受取らねば済ま ぬ覚悟を充分に匂わしている。 秀忠の白い顔にペットリ 汗がにじんた。 2