語っているにすぎないのだが、 充分それは羨望に値するも ののようであった。 千姫も忠輝には会っている。そこで二人を並べてみる と、不思議なことに忠輝よりも秀頼の方がすっと高貴で美 しかった。 ただ凜々しいという感じになると、少し違った。実は、 千姫が漠然とながら大坂城内の空気にあらぬ不安をおばその凜々しさでは劣っているという想いが次第に千姫を大 えだしたのは、祖父の家康が駿府へ引きあげてからであつ人にし、そこから或る種の不安と不満を芽ぐませていった のかも知れない。 或いはその頃から千姫もいわゆる思春期に人って、良人どうしたことか、千姫の周囲では、大坂城内のことより となるべき秀頼に特殊な感情をうごかしだしたせいかも知も、江戸のこと、三河のこと、駿府のことなどが多く話題 れない。 にのばっていった。 いや、そうであったとハッキリ断定してもよいであろ その話題の中で、特に千姫を不安にしたのは、駿府へ隠 う。秀頼よりも一つ年上の松平上総介忠輝が、伊達政宗の居した祖父が、五郎太以下三人の幼い子たちを、どのよう にきびしく育てているかという噂を聞かされることであっ 娘の五郎八姫を奥方に迎えて、睦まじい暮らしに入ったと いう噂が、時々の話題にのばりはじめると、千姫もまたう っとりと、瞼の裏に秀頼を浮きあがらせていることが多く 五郎太丸 ( 尾張義直 ) は、慶長五年生まれで八つ。次の なった。 長福丸 ( 紀井頼宣 ) は二つ下の六歳にすぎない。 徳川家からついて来ている侍女たちは、その新夫婦の美そして末子の鶴千代 ( 水戸頼房 ) は五歳なのだが、この しさをさまざまな言葉でロにした。或るものは絵のように春、家康お気に人りのお勝の方の養子になって、すでに常 といい、或る者は花を並べたようにと形容した。 陸下妻十万石の領主であった。 実は誰も見て来たわけではない。みなそれそれが空想を むろん五歳の領主ゆえ、お勝の方や五郎太、長福の二兄 無憂地獄 237
直次もぐっと胸が熱くなったが、危くこらえて姿勢を正 なんだことにする」 そういうと家康は、そっとその場を立とうとする。 「上様・ : ・ : 」 若い正成があわててこれを引き止めた。 「なんじゃ。隸うままを申してよいぞ」 「上様 ! お待ち下さい」 「われ等両人が、五郎太さま、長福さまに附けられる : 「と、いうと、相談の要はないというのか」 「いいえ、そこまで上様に打ち明けられて、上様の居らぬそれも、むろん天下の為めでござりましようなあ」 「そういわれると面映ゆい」 ところで相談はなりませぬ。上様も、この場にあってお聞 家康は素朴にテレた。 き罕き下さるよ、つ」 「わしの思案がの、天下泰平のことから離れたのではその 「ほう、わしもこの場で聞けと申すか」 あたりの愚痴な老爺と同じになる。そうは反省しているつ はい。さて安藤どの」 もりながら、その方たちの眼にそう映るかどうかは別もの 正成は、昻ぶった様子で直次に向き直ると、 「切腹か、引き受くるか、まず貴意から承りたい」 声はおだやかだったが、喰いっきそうな眼であった。 「わしはの、泰平のためにこの布石が必要と考えて、要所 要所へ幼い子たちを置く気になった。だが、正直に申し 「そなたは五郎太に : : : そなたは長福に : : : そう命ずれて、それは幼い者を信じてそうする気になったのではない ・ : 幼い者の賢愚やカは未知数じゃ。そこで、未知数なが ば、それで済むところを、上様はいい出しそびれて三度び ら性格気性を考えて、五郎太には正成の器量を加え、長福 までのご招待じゃ。安藤どの、何としよう」 には直次の器量を加える : : : そうすれば、功罪ともに一門 正成の心はもう決まっているらし 言葉は相談だったが、 で引き又けることには成るまいかと思、フたのじゃ」 そこまでいうと家康は、傍においてあった赤地錦の小さ ( これが引き受けずに居れるものか : : : ) な包みをとって膝にのせた。 眼も顔もその感激にふるえているのだ。 365
「上様 ! 仮りに上様が、天下の仕置と私事を混同なされ いい出す者はない。誰もいい出さぬのに、わしの方からい ている : : : そうご諫言申し上げたとすればどうなりまする い出しては、わが田へ水を引くいいわけの先廻り : : : そこ ので」 で、実はその方たち二人を呼んで頼もうと思うたのじゃ」 正成がまた斬り返すように反問すると、 二人はまた顔を見合せた。 「そうしてくれるといい出しよかったと申したのだ。とい やはり彼等の推測ははずれてはいなかったらしい うのはな、その方たちのすぐれた器量は、わしがいちばん「ところが、さて、いい出そうとしてみると、今度はその よう知っているからだ」 方たちが不愍になる。立派な大々名にもなれる器量を持っ またもの 「われ等の器量を : : : ? ていながら陪臣とは : : いや、その方たちは、わしが頼め 「そうじゃ、その方たちの器量は決して、土井利勝や本多ばいやとはいうまい。が、その子も孫も同じ立場で身分の : これは頼んではならぬ 正純に劣るものではない。江戸の家老として立派に日本の上に大きなひらきが出来てゆく : 背負える者ども : : : そう思うていたので、五郎太や長福の無理なのではあるまいか : : : その迷いが到頭そちたちに喰 ことを考えるまで、わしは、その方たちを、それそれ大名ってかかられるもとになったのじゃ」 に取り立てておく気であった」 こ、つ ) 一 「どうじゃ。ここまで間いただされたことゆえ、もはや隠 家康はそういうと、改めて二人を交互に見比べて、 「そこへわしの未練とも、愚痴とも見誤られそうなもう一すこともなるまい。正成は五郎太に、直次は長福に、それ つの思案が湧いて来たのだ。ひろく世間を見渡すとな、こそれ附いては呉れまいか。むろん代々粗略に扱うことのな いよう、わしからよく将軍家へは申し渡しておくとするが れぞと思う人物はまことに少ない。そこでいっそ五郎太も 長福も、大切な要所、要所に配置しておいて、次の時代の 功罪ともに、わが家の一門で背負うべきではあるまいかと 「そうじゃ。二人で相談してみてくれ。そしてこれもわし い、つ田い安木じゃ・ : よいか、この思案がすでに、わが子可愛 さの愚痴ではないのかと、誰か責める者が現われるであろの私心であり、愚痴からだと思うたら、そのおりには断わ : と、わしはひそかに予期していた。ところがそれをつてよい。わしもいい出さぬこととし、その方たちも聞か みぶん 364
「大御所さまが、ご両所〈ご馳走を下さるそうで。数寄屋そして、そのまましばらく口をつぐんで黙りこんだ。 二人の想像があたっているとすれば、これは二人にとっ の方へお越し願わしゅう存じまする」 いわれた瞬間には、二人とも何か薄気味わるい呪縛にかていいようもなく重大なことであった。 家康は、自分が死ぬ前に、是非ともかた付けておかなけ かったような気持ちであった。 ればならぬことがあるといっていた。 ( 又か : その中にあけて十一歳になった九番目の子五郎太義利 という疑間やおどろきの入り込む隙もなく席を立って廊 と、九歳になった十番目の八男福丸頼将のことが、気がか 下へ出た。 そして、四、五歩あるいて、いい合わせたように立ち停りの一つであるのは知れてあった。 それなればこそ、五郎太丸義利にはいま名古屋の城を建 ったとき、直次の方から正成の袖を引いて、もう一度詰の ててやろうとし、長福丸頼将には駿府の内五十万石を遣わ 間へ引っ版一した。 すことに決めている。 「正成、わかったような気がする。来い」 しかし、そうした知行割だけで済むことではなかった。 「ウーム。おれもわかったような気がする」 六男忠輝の執政に大久保長安がつけられているように、 二人は急いで引っ返すと、緊張そのものといった顔を突 義利や頼将にも、しつかりとした附家老が必要の筈であっ きつけた。 「安藤どの、貴殿は何と考えたのだ」 といって、若しも二人がそれに選ばれたとすると、これ 「これは、五郎太さま ( 義利 ) と、長福さま ( 頼将 ) にか は新秩序の身分制の中では、まことに重大な意味をもって かわりあることではあるまいか」 来る。 「貴殿もそう思われてか」 現に家康のお側御用を勤めている本多上野介正純は、大 「正成も、同じ考えだな」 名にあげられて、下野小山三万三千石を領して朝臣となっ 確め合ってから二人は期せすして睨みあった。 ている。 「ど、つする成瀬」 この場合は幕府の統制下にはあっても、朝廷直接の臣 「どうする安藤」 360
い出しては居らぬのだ」 「そうじゃ、口先ばかりではない。実はここに二振りの短 刀をはじめの日から持ち出して来ているのだ。よいか、万「上様 ! 」 一その方たちがその気になり、引き受けて呉れたおりに渡直次は、いきなり脇を遠ざけて平伏した。 すつもりでの : : : こちらが正宗、こちらが長光じゃ」 「正成の覚悟のほども見えました。両人、よろこんで御意 のままに致しまする。子々孫々まで、誓って、この : 「それを、われらに下さるので ? 」 のご奉公のこころ、忘却は致させませぬ」 「遣わすのではない。預けるのじゃ」 そういうと、両手を突いたまま、はげしく肩をふるわし 家康は、むしろ淡々とした表情で、 「どちらも格別不肖な出来とは思わぬが、何と申しても未て泣きだした。 知数の幼い者じゃ。万一その方たちの訓戒にもかかわら 十 す、乱を企て、乱をなそうとしたおりには、この短刀をも ってわしに代わって刺して欲しい : : : そう頼もうと思うて家康は、しばらく茫然としたように二人を見ていた。 の。どうであろう、やはりこれは老爺の愚痴であろうか」 彼が、さまざまな角度から反省を加えながら二人にそれ 「正成 ! 」 をいい出しそびれていたのは事実であった。 と、たまりかねたように直次が呼びかけた。 五郎太義利にはこの前すでに傅として平岩親吉を附して 「上様は、われ等に、お二人の生命を託そうと仰せられあった。しかし親吉は、家康が駿府に人質としてあった頃 る。われ等に上様に代わって、お二人を育てよと仰せられ からの随員で、若い義利を訓育するには老いすぎた感があ つつ ) 0 家康自身が、自分の寿命を危ふみだしてみると、親吉が 何かいおうとして、正成ははげしくむせんだ。 先か、自分が先か : : : わからなくなってくる。そうなると にしつかりとした添え木をつけておかねば こ、これだけ、ご信頼を頂いて、辞儀はなるまい安五郎太には、」 藤どの」 ならない気がしたした。 「いやいや、よう相談してみるがよい。まだわしはそれを長福頼将にも同じ意味で水野重仲を附してある。が、こ 366
ひとしきり笑ったあとで千姫はきき返した。 「それゆえなあ、五郎太たちに、お祖父さまがきびしい躾 「いや、攻められてはならぬ。それゆえ、もっと天下に名けをする話など、あまりせぬ方がよいぞ。すると、それ見 のひびいた豪傑浪人をたくさんに雇い入れ、人質であるころ、大御所はそのように冷たい人じゃと、彼等をよろこば せるばかりになる」 なたにむごく当たれと申すのだ」 「士あ : : : 」 「亠よあ : : : 」 「大御所もこなたはやはり可愛ゆかろう。そこで、攻めて「それでのうても、大御所は、自分の子にまでむごく当る 見よ、すぐに姫を痛めつけるそ : : : そう思わせておけば安ゆえ、罰が当たって、みな子たちが早死するという噂まで 立っているのじゃ」 心だとなあ」 「子たちが早死を : : : ? 」 「笑うな姫、まだこれは一方の意見じゃ。意見は他にもあ「そうだ。嫡男の信康どのは有楽が兄の信長公に切腹させ られたのだそうな。そして二男の越前秀康は、ついこの間 7 「他に、も : : どんな意見であろう」 の四月八日に亡くなられた。五男の信吉どのが慶長八年に 2 「これはもっと手きびしい。大御所は姫などはじめから捨二十一歳、四男の忠吉どのは慶長十二年に二十八歳 : : : 残 てる気で人質に寄こしてある : : : それゆえ、そのような手つたのは三男の将軍と、六男の忠輝どのばかりじゃ」 ぬるいことではならぬと言うのだ」 そこまで言って秀頼は又笑った。 「では、どうするのでござりまする」 「まだあったぞあったそ。五郎太に、長福に、鶴千代か : 「そこが面白い。何れ又、大御所や将軍が上洛して来る時 : ・そうじゃ。これとて立派なお伜どもじゃ」 があろう。そのおりまで、仲よう見せかけておいて、伏見 九 なり二条の邸なりに入ったおり、おっ取り囲んで討ち取る が上策だと申すのだ : 千姫は、次第に秀頼の話にひき人れられた。 そこ迄いって秀頼は、自分の膝にのせてある姫の手を両今まで彼女をめぐる侍女たちの話と、秀頼の話の内容 掌にはさんで、笑っていった。 は、全く異質のものに思えた。
う。その嗅覚を、プーンと襲ってくる馳走の匂い : : : 腹の 「おわかりでござりましようか。むろんこれは大御所さま 虫はグウグウ音を立てて鳴りだすに違いない。 の、きびしいお言いつけがあるからでござります」 おそらく三人の幼い叔父たちは、われを忘れて身を乗り 「ー。ーでも、それではあまりお可哀そう : 出しているだろう。 いいえ、それは、大御所さまが、ほんとうに愛して やがてそれが、これも野陣用のくり椀に盛り分けられて いらっしやるからでござりまする」 配られる。幼い者たちがまっ先に先す : : : と思ったのに、 千姫は、その意味がわかるまでに数日かかった。そし これは三人の幼い大将たちには、決して食べさせないのだて、それがわかると同時に狼狽した。 と言われて、思わず千姫はきき返した。 ( ーーもし、それがほんとうの愛情ならば、秀頼さまは、 「 , ーー・・野立ての馳走は、幼い驅のためにはよくないという誰に愛されているというのだろう : のだろうか」 いいえ、それはそれは、頬の落ちそうな美味の由に ござりまする」 人間の不安というものは、ふしぎなところから忍びこん 「ーーでは、なぜそれを差し上げないそ」 で来るものだった。 五郎太さまはもう大きい。が、末の鶴千代さ 秀頼はいま、ただの大名とすれば六十余万石。五郎太丸 まなど、おれにも呉れえと、せがむそ、フにござりまする」 と長福丸の二十五万石や鶴千代の十万石に比べるとすっと 「ーー・それでも差し上げてはわるいのか」 大身だった。 はい。お供をしている安藤どの、成瀬どのなどが叱 したがって、きびしくしつけることが愛情の標準なら るそうにござりまする。大将が美味いものを喰おうなどと ば、彼等の三倍も五倍もきびしく育てられていなければな いうさもしい心になってよいものかと。美味いものは家来らない気がした。 に喰わせるもの、大将は乾飯がござりましようと」 それなのに、誰がいったい秀頼にそのようなことをすす 千姫は、自分自身がその場にあって、腰の袋から、乾飯めたろう。いや、秀頼だけではなくて、千姫自身もまた、 たけを与えられたような気がした。 ほんとうに祖父に愛されていなかったのではなかろうか。 239
れもせいぜい常陸の内において五万石の捨て扶持をあてが と、正成だっこ。 ったころの人選だった。 「すると、家康はその方たちに子々孫々まで借りが出米た その二人に五十万石にも及ぶ日本国の要地を預けてゆく とい、フことじゃ。よいか、わしはきびしくそれを想、フて、 とすれば、この構想はおのずから補強しておかねばならぬ余生に家訓を残してゆこう。だが、その方たちも又、並の 性質のものであった。 大名などとは比較にならぬきびしい躾を残してゆかねばな むろんのことながら大名に封じてゆけば、それは「家康らぬぞ」 の子ーーー」という一私人であると同時に、封建制の世のき 「その辺、万々承知のうえにござりまする」 びしい規律を奉じて生きねばならぬ公人でもあるからだっ 「五郎太や長福に不都合があったおりばかりではない。そ の子、その孫に不都合があったおりには、その方たちの子 や孫が、これを刺してはばからぬ : : : それほどの気概を持 そこで五郎太義利には成瀬正成。 ち続け得るように育てておかねばならぬことになるがそれ 長福頼将には安藤直次。 心で人選はしてみたものの、彼等の器量を考えると、こでよいか」 れはあまりに神仏をおそれぬ身勝手な想いのような気がし 「この国を戦乱の国にせぬために : : : それも、しかと呑み こんでござりまする」 てためらわれたのだ。 「ありがたや : : : 」 いや、彼等も又家康にとっては愛児にひとしい立ち場の 器量もの : : : その愛情と反省とが、いい出そうか止そうか 突然こんどは家康の声がかすれた。見ると皺に囲まれた と、しきりに迷わせている原因だった。 双眼から、タラタラと岩を伝う清水のような涙であった。 「そうか、聞き入れてくれるか : 「どうやら神仏に、わしは一つのわがままをご無心申して そういらた時には、もう二人は、はげしい激情から自分許されたそうな : : : では、両人にこの短刀を預けよう。 さ、よいか、何れが乱を企てようと、制止出来ぬと、見た を平静の座に据え直していた。 おりには躊躇するな」 「その方たちは、子々孫々までと申したの」 そういうと家康は、双の手に一ふり宛の短刀を握って差 「はい。申し上げました」 36 ア
家康は、すぐさま正成に向き直って、 家康は、二人が帰ってゆくと、同朋衆に助けられて寝所 「正成は将軍家へ年賀に参ると申していたの。いや、阿江 に入ったが、なかなかその夜は寝つかれなかった。 与どのはわしの眼から見て、人間としてはご母公より一歩人よ、、 しよいよ人生最後の仕上げにかかると、思うこ 、フ ) んじゃ。 かくべつご母公が劣る生まれつき : : というのとがあまりに多くてびつくりする。 ではないが、途中の苦労が違うたせいであろう。それでも ( 人事を尽して天命を待っ : : : ) 竹千代どのの育て方に手ぬかりがあってはならぬと思うて 言葉でいえばたったそれだけのことであったが、果たし な、わしはつねづね思い付いた育児の注意を阿江与どのにて人事を尽したか否かとなると、無限に迷いのタネがあっ あてて書きとめてある。こなたそれを持参して、お渡し申こ。 してくれぬか」 将軍秀忠は、先ず申し分のない二代目と考えてよかっ た。しかし、その嫡男の竹千代となると、まださつばりわ 「かしこまりました。仰せとあらば、明日五郎太丸さまに からなくなってくる。 お目にかかり、すぐその足で、将軍家の許へ、五郎太丸さ まお付きのこともご報告して参りまする」 といって、この家督のことだけは、器量次第 : : : では、 「そうだ。そうしてみて貰おう」 決めきれないところがあった。 これが乱世ならば問題なく、器量次第腕次第で生き残っ 家康は、老いと共に気も短かくなっている。直次の申し てゆくのだが、泰平の世になるとそうではない。 出がひどく気に入った様子で、 そこに一つ、長幼の序を立てておかねば、すぐれた弟が 「それとなく阿江与どのにな : : : わしが無性に秀頼どのに 会いたがっている、むろん豊家の行末のために大事なこと産れるたびに御家騒動が起きてゆく。その事を考慮に入れ : と、ゆうてみてくれぬか」 て、家督と育児の関係を、母として何う考え、どう処理し てゆくべきかを家康は、思いつくままに阿江与の方にあて 十五 て認めてあったのだ。 ( あれを持たして、ついでの事に、淀どのへ、わしと秀頼 主従三人、珍しく亥の刻 ( 午後十時 ) 近くまで語り会っ て別れた を会わせるようにと申し入れる : : : ) 373
し、胸をさすって生涯を終わらねばならぬかとのう」 、。胥どのは、よい執政を持たれたものじゃ」 もあるまし女 役者は政宗の方がやはり一枚うわ手らしい。政宗の声は そういうと、政宗はすっと立って、自分で銚子をとって 森沈としたものを含んで長安の胸を刺して来るようだっ 長安に近、ついた。 長安は「フフフ : : : 」とまた笑った。 こなた、一つの玉を恵んで呉れたそ」 「そのわしに、 彼の神経は、こうした見え透いたおだてを見のがすほど 「それを : : : それを、ご本心から仰せられまするか」 曇ってはいなかった。 「いや、どう受け取ろうとそれはお許の勝手よ。ただわし と、政宗の方では又、そのくらいの人の心の動きのわか わしの の喜びだけを述べればよいのだ。わしは嬉し、 らぬ鈍物ではなかった。 「長安、おぬしはわしが、見え透いた機嫌とりをすると思生き方が : : : 退屈せずにすみそうな生き方が、こなたの言 葉で掴めた気がする」 : とんだことで、ご直々のお的、大久保長安一期の長安は、眼を丸くして政宗を見返した。 政宗ほどの人物が、こうしみじみとした述懐をしようと 思い出に相成りまする」 は思いもよらなかったのだ。 長安がしらじらしく盃を押しいただくと、 「わしはいま不思議な気がしているのだ。五郎八姫はの、 「退っていよ」 わしにとっては眼の中へ人れても痛くない愛児じゃ。それ 政宗は、小声で侍女たちをしりそけながら、 : この話の出たおりには哀 を将軍家のお子に嫁がせよと : 「長安、わしは救われたのだ」 れさと無念さでいつばいであった。やれやれ政宗もまた愛 「そちはよう見抜いている。わしは少し遅く生まれすぎた児を人質にして生きのびねばならぬほど、微力で生涯を終 : ところが、それが、こなたの今日の言葉 わるのかとな : と、確かに先刻までは思うていたのだ」 ・・さもなくば、太閤や総見公と天下を争い得たもで、くるりと位置を一転したのだ。時勢はもう戦って領上 を奪り合うような時ではない。そなたの言うとおり、世界 のをと : 「その通りじゃ。それが将軍家の下風に立って、腕を撫〈大きく眼を向けて、国富を積んでゆくべき時だ : : : その まなご