「若君のご容態が変わったぞ。誰ぞすぐにご母公の許へ走げ、それに応じて相手が喜ぶと、こんどは地底までも引き らせよ。と言うて悪くなったのではない。一度に治ってしおとそうとする。 まったのだ。見よこの活き活きとしたお顔のいろを : : : 」 「これはいかん。手を出してご覧なされ。あ、脈摶が無 もうその時には、侍医の一人は室内に入っていた。且元 い。これはいかなこと、姫君は死んでいるわ」 が立って呼んで来たのである。 これが、有楽の性癖をよくのみこんでいる大人だった その眼と鼻の先でウロウロしている相手に、 ら、ゲラゲラ笑って済ましたかも知れない。が相手はすっ 「早く来い来い」有楽は、あたりじゅうへひびく声で呼び かり有楽の言葉に引き入れられて、自分の祈りが通じたも 立てた。 のと思い込んでいる千姫だった。 「ど、フだこの ~ 苛垠は : : これでも、医者どもは疱瘡でご重 とたんに千姫は、秀頼の手を握ったまま「ウーン」と言 態と申すのか : : : 何々、そうではない。たしかに治った。 ってのけぞった。 大奇蹟だと ! そうであろうそうであろう、これはみな姫 「有楽どの、何ということを : ・・ : 」 君のまごころが通じたのじゃ」 あわてて助け起こそうとする片桐且元を払いのけるよう そこまで言って、又有楽は脱線した。あまりニコニコと にして、有楽は、秀頼の脈を取ろうとする医者の方を叱り 嬉しそうに秀頼に見とれている千姫が小面憎くなって来たつけた。 のだ。 「たわけめ ! 病人はこっちじやわい。早く気付け薬を差 「これは大変だ。その代わり、姫君の息が止まった ! 」 し上げんかい」 医者はあわてて千姫を助け起こして、脈を見ながら活を 十二 入れにかかってゆく 有楽ほど極端ではなくとも、人間、誰しもいくぶん臍は秀頼の眼は次第に大きくなって、千姫と医師の上で視線 曲がっているものだ。 は停った。 それにしても、有楽のは少なからず常軌を逸している。 有楽は、キチンと姿勢を正したままで、猟師に狙われた 千姫のしんけんさに触れると、そのままカーツと熱をあ狡猾な狐のような顔になっている。 231
「それは聞くまでもござりますまい。殿御の話題はそうしの」 たもの : : : 」 成瀬正成は、びつくりするより呆れてしまった。 」といいながら、やはり有楽は思いの それから正成に視線を移して、 神妙に「はい ままひとりで喋舌る。 「正成どの、ご内談の儀もさることながら、ご覧のとおり いよいよお健やかにおわします。その 正成は、若いおりの有楽はよく知らない。それにして 、こ母公さまには、 儀、ご安堵あるようにと申し上げてたも : : : さて、将軍家も、有楽の人を喰ったこうした態度はどこからうまれて来 るのであろう : からのご内談でござるが」 ( どうせ相手は女子なのだ : 「有楽どの、ちょっとお待ちなされ」 そうした淀の方への蔑視か無視か ? それともその反対 「はて、何で、こざ - 士玉しよ、フ」 に、わが姪である淀の方になるべく言葉のポロを出させま 「ご使者はお身さまではござるまい。正成どのの口上のお いとしての労りからであろうか : 邪に・な . り・きしよ、つ」 と、淀の方の眉はキリリとあがった。 : これはお叱りを受けました。いや、まさにその ・さりなが 彼女の眼には、正成の一瞬の表情が、有楽の差し出口を 通り、ご使者は、有楽では無うて成瀬どの : ら、成瀬どのもあれこれと心配なされて、内々で当方の事嫌っていると映ったのかも知れない。 「無礼であろう有楽どの。わらわは、正成から口上を承ろ 情を愚老におたすねあった。それで愚老、ご用談の内容も 、つといってい士よす・」 将軍家ご心痛のご事情も、悉皆知ってしもうたので」 そういわれると正成も、もう黙ってはいられなかった。 「お控えなされ」 「有楽さま仰せの通り、あらぬ噂をお耳になされて、上様 し」 にはひどくご心配なされておわしまする」 有楽は、ケロリとして頭を下げ、 「それでは成瀬どの直々に。つまり、将軍は、大坂方の若淀の方は、ジロリと有楽を一督し、それから正成に溶け 党どものうち、豊国祭の邪をひそかに企む者あり : : : そるように笑って見せた。 「その噂ならば、わらわも耳に致しています」 うおききなされて、殊のほかご心痛ということであった
こづか せて、 千姫は、有楽に渡された小束で軒先の土へ穴をうがち、 一粒一粒、まっ黒くこげた豆を植えていった。 「医者を一人 : : : 但し、わしの言うことにうなずくだけ じゃ。叮 心の中で、しきりに祈りごとを繰り返していると見え、 も一「ロうなときびしく申し付けて呼び人れなされ」 小さな唇がうごいては止まり、止まるたびに眼をつむつ それから乱暴に、今度は、秀頼の躰をゆすって眼を開か せた。 「よいよい、それで十三じゃ。さ、手をすすいで進ぜよ 「若君さま ! おお、お顔のいろが見違えるようになっ た。これは奇蹟じゃ ! 奇蹟が起こった。いかがでござ さすが有楽も疑うことを知らない純真さには辟易したらる。なに、・ くっと楽になられた : : : そうであろう。よいよ しい。縁先に立って眺める彼の眼も又赤くなりかけてい い身をお起こしなさるがよい」 る。 乱暴といって、これほど乱暴な老人は又とあるまい。何 「これでほんとうによくなろうか」 が何やらわからぬままにキョトンとしている秀頼を無理に。 「ならいでか」 起こして、その背へ夜具をあてがった。 と、有楽は千姫を縁へ引きあげ、自分で手洗鉢のひしゃ 殊によると有楽の躰にもまた兄の信長同様、田いい立っと くを取って、水をかけてやった。 じっとしていられない、異常人の血が流れているのかも知 「さ、それでもう一度、若君の手をしつかりと握っておあれない。 げなさるがよい」 信長は、それを「天下布武ーー」の目的に凝集して押し その辺までは有楽の悪戯も、まだ、それほどたちは悪く流しこ : 、 丿オカ有楽の一生ではそんな必要はなくなっていた。 はなかった。 そこで彼は、あらゆる事象を皮肉りながら、人間の甘 ところが、千姫の純真さに妙な昻ぶりを見せだしてからさ、愚かさに芽を立てたり引きむしったりして、僅かに満 いよいよ臍曲がり、旋毛曲がりの本領を発揮しだし足しようとしているのかも知れない。 「やあやあ侍医の者、これへ来い」 千姫が再び秀頼の手を握ると、有楽は且元の耳に口を寄と、有楽は、頓狂な声をあげた。 っ ) 0
「では、ご城内にもそのような咋が : : : 」 妙な薄ら笑いをうかべているのに出あうと、 「それは、まことでごギ、りまするかご母公さま」 「流れる筈じゃ」 えんや そういって、また艶冶な眼になった。 そう訊かずには間がもてなかった。 「その噂、流した張本人がここにいるのじやほどに」 「えっあの、張本人が : : : 」 と、また淀の方は、声をたてて笑った。 「そう、張本人の織田有楽斎がの : : : 正成どのそれに気付「有楽どのは身勝手じゃ。自分の都合がわるいと見ると、 こあがられたのすぐさまわらわに押しつける」 かす、お許はその曲者にまっ先に相談レ 「では、いったいその噂をお流しなされた張本人は : じゃ。ホホホ : : : 」 正成は、こんどこそびつくりした。びつくりして有楽を 「されば、わらわと思いたければそれでもよし。有楽どの ふり返ると、有楽はしきりに自分の耳を掻いていた。 の方がよければそれでもよいそえ」 「これは恐れ入りました。それならば、ほんのお戯れ : 「有楽どの、何か仰せられぬのか。正成がおどろいて居る上様の方でご心配なさるほどのことは無かったわけでござ りまする」 ものを」 「正成 ! 」 すると有楽は、フフフッと笑い、 「これだからの、大坂のご母公は扱いにくいそ。そのあら ぬ噂を流したのは、余人にあらす、実はご母公さまご自身「誰がご心配なさるほどの事ではない : そ」 なのじゃ」 「でも、それはほんの : : : 」 首をふりながら言って耳から手を離した。 「それゆえわしが言ったろう。この騒ぎを止め得るお方「戯れどころではない。これこそ大坂の後家の心配が、凝 りに凝って流した噂なのじゃ」 は、ご母公さまをおいて他にはないと」 「よ : 正成は、あわてて二人の顔を見比べた。そして二人とも : と、申しました
ら、 「こうなったら、もう一挺、おれも加わらせて偽せ鉄砲を たまりかねて有楽は、立ったまま噴き出した。 打たせてくれぬか。これは近来にない祭りのタネじゃそ」 「市正、お身も、人が悪すぎるそ」 「と、いわっしやる : : : ? 」 「いや、そうではないかも知れぬの。これはこの有楽であ「いままではお身ひとりで楽しんだ。これからは有楽が楽 っても同じことをするかも知れぬ。いったんは真症と信じしむ。さ、戻って早速空鉄砲をうちだそう」 そういうと、有楽は、またグスリと笑い、それから厳し たのだ。ところがそれでさまざまな波が立ち、その波がいよ し顔になって淀の方の居間へ戻った。 いよ大きく渦巻きだしたところで、そうではないとわかっ 居間ではみんなが緊張しきって息を詰めて待っていた。 て来た : : : そうなれば誰でもおぬしのような悪戯ごころが 湧くものじゃ。いや、これはのう市正、お身のように鹿爪「これは一大事じゃ ! 」 帰ると有楽は、坐る前にまず言った。 らしく、人心の向背を探るなどと申さすに、自然の皮肉と 「もう若君は十中八九 : : : いや、それはいうまい。かくな して面白おかしく見ておくことじゃ」 ってはうつるもうつらぬもない。若君をお見舞い申さすば 「そう仰せらるれば、それがしも気が楽でござる。とにか 死に切れぬと希う者は、先す千姫さまお見舞いの後、誰彼 くこれで、駿府城の賦役のことはフッ飛びました」 「なるほど、これは若君のご運の開ける緒口かも知れぬなしにお挨拶を許すことと相成った。のう、市正」 「、、、、、、こ、もさよ、つ」 そ」 「では姫君、この有楽がご案内申し上げまする。せつかく 「ところで : : : 」 ご真情からのお見舞いじゃ。知すりなと、何んなりとして と、且元は、テレたよ、つに、 「この儀何時、ご母公や一般に発表したものでござろうおあげなさるがよい」 「はい。では、急いで : : : 」 力」 千姫はいそいそと立ち上がったが、淀の方は、大きく眼 有楽は、また腹底の栓のぬけたような笑い方をしてかを見開いたまま凍ったように動かなかった。 いとぐち
いらだ し、人間の持って生れた気性と気性の激突は、分かってい いや、わしにとっては、やはり哀れな、 だ苛立たしさ : ながら : : : 知っていながら、どうにもならぬ業相を描いて 不幸な姪だからの」 この感慨には、且元も勝重も同感ながら、うかつに合槌ゆくのだ。 ( その一つが、どうやらここでは解けたらしい ) は打てなかった。 勝重は、ぐっと盃を乾して、有楽よりも先に且元に差し 有楽の愛情が切なくわかるからであった。 「御両所ともあれを許してやって下され。あれの立ち場、ていった。 あれの気性では、今まで : : : ああするより他なかったの「片桐どの、嬉しい時には笑うと致そう。お身は、この大 きな喜びの使者ではないか」 且元は、あわてて坐り直して盃を受取った。 : もうおよしなされ有楽ど 「それはしかし過ぎたこと : 「あ、これはかたじけない。そうじゃ、そうであった ! さ、笑わうぞ有楽どの」 且元が口をはさむと有楽は、カなく笑っていった。 こうして再び一座は賑やかな座談の応酬に戻っていっ 4 「市正、過ぎたことゆえ話せるのだ。あれの哀れな気負い がの、どれだけ秀頼の不為めを招くか、あれはよう知ってた しかし、彼等の期待は果してそのまま明るく展開してゆ いる : : : 知っていながらどうにもならぬ気性の業因 : : : そ / 、のかど、つカ・ れを救うほどの名僧智識は、今まであれの修覆して来た、 この時すでに、同じ大坂城内の一角に、次の齣風が芽生 十指にあまる寺社にもなかった」 「それが、こうなりました。このうえは、ご母公のお気持えかけていた。 他でもない ちを、そっと労ってあげるとしましよう」 そっちゅう 「ー・、、・・大久保長安、卒中で倒る : : : 」 勝重は、そういわずにいられなかった。有楽をも慰めた と、いう思いがけない知らせが、彼の手代の一人から、 かったが、それにも増して家康の安堵がわかるからであっ 明石掃部を通じて、速水甲斐の許へ届けられようとしてい 口先で、至誠を よ通するものと説くのはやさしい。 ) 0
瘡にかかることはない : : : そういって御殿のうちへ戻られ「なあ市正」 : と、思ったところが、何時の間にか、若君さまはム 十五 / タリと クリと夜具の上へ起き直られ、代わりに姫君は、く その場へ倒れられた」 有楽は、すっかり小さく竦んでしまった且元を見ると、 「まあ : : : 」 さすがに潮時は逃がさなかった。 「これは一大事 ! 改めてわれ等が考えてみるまでもな 「そうじゃ、忘れていた。これはわれ等ばかりが喜んでい 姫君のまごころが天に通じて助かったのに、このままてよいことではない。この場はご母公にお任せ申して、わ 姫君を見殺しにしてよいものかと、そこで今度は、わしと しと市正とは、、い配している家中の者に、この歓びを知ら 市正が祈りました。いや、祈ろうにも平素が平素の無信、い さねば相成らぬ。市正、姫君をお伴いしてすぐに参ろう。 者 : : : 二人であわてて、般若心経を誦しながら、こんどは姫君には、しばらくお居間でご安静を」 われ等の寿命をお縮め申されても苦情はない。何とぞ姫君 まだポーツとしている千姫と且元をうながして、さっさ のお生命をと : と廓下へ出てしまった。 そこまでいって、さすがに有楽も、ちょっとテレ臭くな そして、千姫を別室で待たせてあった栄の局に引き渡す ったのだろう。頭を掻いてごまかした。 と、汗を拭きながら且元の詰の間へ入っていった。 「ああ、これで終わった」 「いや、この話はするのでなかった。これからはわれ等の 自慢話になってゆく : : とにかくそれで姫君も息は吹き返且元が呆れて有楽の前に坐ってゆくと、有楽は、せかせ され、そこへ、 こなた様たちが駈けつけられた : : これでかと扇を動かしながら、 豊家は万々歳、われ等の眼の届かぬところで、ジーツと神 「時に市正どの」 仏のご加護がある : : : このたびは、有楽のような無信心者「なんでござる」 も信するより他になくなりました」 「わしは、今日以後、こんりんざい、お身は信じませぬ 有楽は、そういうと、又しても且元をふり返って同意をそ」 求めた。 と、生オじめにいっこ。 235
秀頼が病気になった : ・、ただそれだけのことで、大坂城ってもよい 内ばかりか、日本のあちこちで、不思議な騒動が持ちあが 相手がひとひねりした人物だったら、それ以上に持って ろうとしだしている。誰もが心の底から秀頼の身を案じてまわって、てこでも動かぬ有楽であったが、清純なもの、 いるというのではなく、秀頼という置物が無くなったら、美しいものの前では、皮肉ひとっ言えなくなってゆくのが 代わりに何を飾ろうかという心配なのだから、これは決し有楽の本質かも知れなかった。 て澄んだ愛情とばかりは言えなかった。 「姫君さま、こなた様も、有楽も、もう一つ大切なことを その点では、むしろ千姫の一筋な心のほうがずっと多く忘れていましたぞ」 の真実をふくんでいる。 「大切なことを : : : 何を忘れていたのであろう」 病気の怖さを知らぬせいでもあろうが、死んでもよいか 「それは若君さまのことじゃ。仮に、ご母公さまも、市正 ら見舞わなければならぬとする心に濁りは感じられない。 も、それでは枕辺へ通ってもよいと言わっしやる。ところ 」こ、も、フ一人、談判し 「姫君、これは市正に直接あたる前 が若君さまが、それはいけない : : と、仰せられた場合の 3 ておくお方がありそうでござるぞ」 ことを、まだ考えてみなかったわ」 「もう一人・・・・ : それは、誰であろう ? 」 「でも、若君さまは、そのようなことは言わぬ。姫にはよ 「ご母公さまじゃ。そうだ。この有楽が、ご母公さまに頼うわかっています」 んで進ぜよう。そして、ご母公さまと二人で市正を叱って「いやいや、それは早合点じゃ。若君さまは姫君を愛おし 見きしよ、フ」 いもの、大切なものと思うて居られる。さすれば、若し自 「ほんに、それがよいかも知れぬ」 分の病いをうっして、姫君が患うては一大事 : : : そう思う 「いや、待てよ」 て、お止めなさる場合が無いとは言えぬ」 有楽は、歩きながら次第に切なくなって来た。相手が純どうやら有楽の言葉は急所を突いたらしく、千姫はすぐ なこころであればあるほど、こちらも病室へ近づけてはな には答えなかった。 らない気がした。 有楽は、わざとうしろは見返らず、陽差しを扇でさえぎ 有楽にしては珍し い。いや、これが実は有楽なのだと言りながら、本丸への桝形を通っていった。
られ、有楽斎さまをたずねてこれへお出でなされてござりござりまする」 まする」 有楽は、たぶんそうであろうと思っていたので、思いき 「なに、千姫さまが : り強くことわった。 常真の頓狂な声に、思わずみんな眼を見合わせた。 しかし姫は、相手の言葉など全く聞こうとしていなかっ : よい、お通し申こ。 「何用であろうかの、このおいばれに : 「若君さまは千姫の殿御であろう。妻が病いのうつるを怖 せ」 れて、良人のお見舞いもせなんだとあっては、女子の道に 有楽は、眉間に深い立皺を刻んで首をかしげた。 そむくそうな」 四 「そ、そのようなことを、誰がいったい申し上げました」 「宗薫も申した。手習いの相手に参る松斎も、申した。そ わざわざ訪ねて来たものを、断わる理由はひとつもな うそう同朋の石阿弥までが言うて居るそえ」 有楽の答えで千姫はすぐさまみんなの前に通された。 「それは、みなみながまだこの病いのおそろしさを知らぬ 2 これもびつくりするほど背丈けが伸びている。むろんまだ 夫婦生活に入れるほどの体ではなかったが、ふくらみだしせいでござる。なあ栄どの、仮に : : : 」 と言って、有楽は一座を見廻したが、生憎ここには疱瘡 た胸の厚みは、全くの小児とも言えないみすみすしさを持 のあとのあばたを残した顔はなかった。 ちだしている。 「お見舞い申してうつられると、生命の儀は助かったと致 「これは姫君、何としておざりました」 有楽が手を取るようにして上座へすわらせると、千姫しましても、その玉のようなお顔が、踏みつぶした馬糞の ように相成りまする。それでも姫はよろしいのか」 は、思い詰めた様子で有楽に言った。 「市正を叱ってほしい。市正は、千姫に若君さまのお見舞千姫は、簡単に首を振った。 「案するな。千姫には疱瘡はうつらぬのじゃ」 いを許さぬのじゃ」 「はて、それが、どうしてわかりまする」 「これはしたり : ・・ : 疱瘡という病いはうつり病い、市正な 「なお栄、千姫はもう庭に黒い豆を年齢はど植えてあるな らすともお止め申すが当然、この有楽も市正と同じ意見に まぐそ
「ーー叔父姪の間柄 : : : 、そんな遠慮でまごまごしている 出さないのだと自分でいっていた。 間に太閤に手をつけられた。それが、そもそも第一の間違 ( これから着くと、恰度昼寝のころになるかも知れぬが : いき、 : : という言葉の意味はいまだによくわから この間違い 大坂方では、絶えず徳川家を意識においてビリビリして ないが、次の述は思わず正成に息を詰めさせた。 いる。しかし、有楽はもうその埓外に食み出ている。さま 「ーー太閤の遺言どおり、コプ付きで内府に押しつけるが ざまな人生経験が、何時の間にか彼を「日々是好日」式の よいと考えての、実のところ、わしがすすめて、西の丸へ 無事をよろこぶ隠者にしてしまったのかも知れない。 忍ばせたのじゃ」 それだけに世間を見る眼は公平で、又冷やかでもあっ えっ忍ばせたとは誰を : : : 」 「ーーわしの生涯で間違うたことがあ 0 たとすれば二つあ「ーー、、淀のお方さ」 有楽は、ケロリとした顔で、そのおり西の丸にあった家 ったの」 堺の宗薫の茶会で会 0 たおりに、彼は他人ごとのように康は、確かに一度は淀のお方に手をつけたというのであ 0 正成にいったものだ。 それが当時、家康は新気に人りのお亀の方があり、それ 「ーー、その一つは阿茶々どのの世話を太閤さまに任せたこ ほど淀のお方をありがたくは感じなかったのかとにかく一 と。そしてもう一つは、それが後家になったおり、さっさ と内府 ( 家康のこと ) の持物に決めてしまわなんだこと」度 0 きりで、話はそのまま、流れてしま 0 た。これは返す 成瀬正成には、その述懐の意味が、わかるようでもあ 0 返すも有楽の手ぬかりだ 0 たという : 「ーー・内府の方で味見してご免蒙ろうと思うたのか、淀の たしわからない節もあった。そこでわざととばけて根ほり 葉ほりしたところ、有楽は正成の度胆を抜くようなことばお方が、こんな殿御はいやだと嫌 0 たのか、その辺はいう べからず知るべからすさ。ただ、そのことが厄介仕極なも カり・いった。 つれのもとになっている」 実は有楽は、姪の淀のお方が好きでたまらなかったのだ 有楽は、そのあとで、いちど交渉のあった男女のこだわ そうな 3