申し上げ - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 14
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1. 徳川家康 14

いえ、あれは極悪人ゆえ、々尾つばはつかませませ 」盗むところを、その方見たのか」 政宗がチクリと針を刺してみたが、相手は狂信的な眼をぬ。が、あれの智恵でなくて、どうして長崎のお奉行にま で賄賂など贈らせましよう。これは安針の入れ智恵に違い して一向皮肉は感じなかった。 「いいえ、それはずっと遠い海の上で盗むので、見るわけござりませぬ」 には参りません。しかし盗んだ品物ゆえ安くても損はな「長崎奉行と申すと、長谷川左兵衛藤広がことか」 、 0 キ、 : あの、奉行の妹めは、大御所さまの側女だそう ・ : 今度の商いは、生糸が主で、これが代金は : と、司 万五千二百三十一グルデン、それに鉛が二百本、その重で。まことにも 0 て天帝をおそれぬ不都合の儀 : さ、二千と二十五ポンド。それに私めも持参してお殿さま教さまがひどくお怒りでござりまする」 「それは怒るであろうな。奉行にまで贈り物をされたので に差し上げましたあの胡椒一万二千ビコルと現金が三百レ は、これから、ポルトガルの船主も、イスパニヤの船主 アルだそうで」 も、みんな贈り物をせねばならぬ。不都合の限りであろう 「ふーむ。南蛮のよみ数では、わしにはさつばりチンプン カンじゃの」 「その通りで。南蛮の方々は天帝のお救いをひろめるため 「はい。それは私めにも同じことでござりまする。が、と にご苦心なされておわすのに、紅毛人どもは、人間を地獄 にかくけしからぬことで。彼等はその他に平戸のご老公、 : つまり天帝の におとすために賄賂の習慣をつけてゆく 松浦法印さまにも、ご当代の隆信公にも、豊後どのや奉行 お邪ばかり致すわけで」 さまにも、それぞれ賄賂を贈られました」 「その天帝のお邪、長崎奉行には何を贈ったぞ」 「賄賂か : : : わしもこなたに胡椒一袋を貰うたな」 「そんな : : : 胡椒など、それは献上申し上げたので : : : 彼「はい、ギャマンの壜に人 0 たオリープ汕と、プランデー 等は四人の方々に鉄砲と生糸と、緞子と繻珍とを贈 0 て瞞と申す葡萄の酒、それに鉄砲一式と鉛十五本、そうそう絣 着致しました。はい、それどころか、三浦安針めは : : : お羅紗六エール半もつけて贈「た。何しろもとで要らすゅ え、思い切った追従を致しますもので : : : はい 殿さまのカで何とかならぬものでござりましようか」 「安針も、不都合を働いたか」 349

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二人は異ロ同音に緊張した間いを発して、、それから顔を 「なるほど、それで鈴ケ森か : : : 」 見合わせた。 「と、知らぬようなトボケ顔 : : : 、安藤直次という男は喰 松の木影からパラ・ハラと駈け出して来たのは、たしかに えない男だ」 この地の名物になりかけている赤前垂れに、馬の鈴を二つ 二人が笑い合った時だった。いきなり彼等の耳へその鈴宛つけた若い女 : : : それも二人が二人の前へ出て来たの の音が入って来たのだ で、てつきり客引き : : つまり庄司甚右衛門のあみ出し 、新手の手管と思ったのだ。 「今日は、その方たちと戯れて居れるものか。大御所さま 「はてな : ・ : ? 」と、直次が先ず馬をとめて聞き耳をたてのお先ぶれ、ご休息場の検分役じゃそ」 竹腰正信がわざといかめしい声を出すと、 「これは客を呼びとめるおりの鈴の音ではないぞ」 「よう存じて居りまする」 女の一人は早口に言った。 これも馬をとめた竹腰正信は、相手が自分を担ごうとし 「今日、この浜を大御所さまがお通りなさる。そう知って ているのかど、つかと耳を澄した。 お待ち申し上げていた者にござりまする」 と、こんどはハッキリと、鈴の音が、こっちへ向けて駈「なに、知って待っていたと」 「从、 0 けて来る。 冫しこのご行列の中に、安藤直次さまというお方がお 「出たそ正信」 いでではござりますまいか : 「まぎれもない。たしかに女丐じゃ。それにしても、あの 直次は、びつくりして竹腰正信をふり返った。 駈け方は尋常ではないそ。何者かに追われているのかも知竹腰はニャリとして、 れぬ」 「居れば会いたい、つまり、その方は安藤がなじみ : : : と 「申し上げます ! 」 すると、鎌倉河岸の湯女だな」 「なんだ」 「しいえ、いいえ、そのような者ではござりませぬ」 2 3

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政宗の眼から見ると大久保長安もまたひと癖もふた癖もり、心配致したりしているわけでござりまする」 ある性悪ないたすら龍に見えた。 「これはおどろいた。、い配もする : : : とは何のことじゃ」 この龍は、戦国争乱の時代には力が不足であばれ得なか 「先刻申し上げました。玉を持たせておきませぬと、この つつ】 0 音は、柳営に黒い雲を呼びかねませぬので」 彼が天から授けられて来ていたものは「武力」ではなく 「長安、わしはおぬしを叱りはせぬ」 て、異質の才能だったらしい 「そう信じて居るゆえ申し上げられることでござります それが泰平の世になって俄然わが世の春に遭遇したのだる」 と見てよかろう。 「叱りはせぬが、その言葉、決して他所で酒興には致すな ただ汕断のならないことは、このいたすら龍め、どうやよ」 ら伊達政宗の性根など、底の底まで見透しているらしいこ長安は、わざわざ首をのばして、そのつけ根をポンと手 とであった。 刀で叩いてみせた。 いや、その眼力だけならばさして問題にすることはある 「大切な主人の舅御、長安にもきびしい性根はござります まい。ところが、こ奴、平気で政宗が家康に心服などするる」 男ではないと言い切った。このような言葉の平気で吐ける 「そ、フか。 : いや、そうであろう。そうなくてはわしも 人物は、政宗の知っている限りでは黒田如水ぐらいのもの姫はつかわされぬ。ところで長安、そちが、若しわしに玉 で、その後にはますあるまい をませる : : : としたら、どのような玉を選ぶかの」 ふてき、 ( 不逞々々しい肝ッ玉を持って居るぞ ) 長安は、もう四杯目の盃に唇をつけていた。 そう思うと、政宗は小癪な気もしたし、一層頼母しくも呑めば酔う : : : 酔えば乱れる。そんなことは百も承知で 感じていった。 呑んでいる。 「長安、わしはの、こなたと姫の縁でつきあいの持てるよ と言うのは、どこかで一度長安は、政宗と真剣勝負をす うになったのを喜んで居る」 る気たからであった。 ・ : そうおっしやって頂けるゆえ、私もよろこんだ長安の真剣勝負は太刀でするのではない神酒を加えて

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舞って参れと仰せられる。それこそ、眼にいつばい涙をた たえさせられてなあ」 「板倉どの、年は薬じゃ。本年になってようやくご母公は 板倉勝重は、真剣な顔になって頷すいた。織田有楽は、 虚栄の袿を脱ぎ捨てられたぞ」 すぐまた且元に加勢した。 「虚栄の袿を : : : 」 「市正は謙遜してござる。たしかにご母公はそう仰せられ ・ : 脱いでみたらびつくり仰天じゃ。何のことはな た。大御所に万一のことがあっては一大事と顔いろ変えて いご母公は大御所に偬れているわい。ワッハッハッハ・ : しかし、そうなるように、ジーツと仕向けて参った は市正。市正はやはり豊家の大黒柱でござろうが」 「ふーむ。さようでござりましたか。いや、この勝重も、 そうなくてはならぬところと、両家のため、秘かに心を砕 板倉勝重は、おどろいて有楽を見返した。 いて居りました」 突嗟にその言葉の意味が了解出来なかったのに違いな 「ところで所司代どの、まだそれだけではござらぬぞ。大 御所に何よりの手土産がござるのじゃ」 「ご母公が : ・・ : 何と : : : 仰せられました ? 」 : と、申したのじゃ。なあ市「何よりの手土産 ? 」 「大御所に、惚れて居った : 「若君と千姫さまのまことのご婚儀 : : : どうじゃ、よい手 正」 有楽は、ここぞとばかりに身を乗り出す。そうなると且土産でござろうが」 「では、あの、それもご母公が : 元も合槌を打たすにいられなくなって来た。 「そ、つじゃー まだ少々早くはないかと申し上げたが、ご 「いかにも : : : われらもびつくり致したのでござるが、ご 母公はきき入れない。大御所をご安心させたいばかりの一 母公のいちばんお力と頼んでお縋り申して居られた方は、 、いじゃ。日取りは陽春 : : : これでもはや両家の間の霧はき われ等や有楽斎どのではのうて、実は、大御所でござりま した。京極家から常高院さまがお見えなされ、大御所微恙れいさつばりじゃ」 のことを申し上げましたるところ、即座に、それがしに見「うーむ」 400

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れだす : : : 私は : 光艷は、もうそろそろ自制の利かない純粋さを剥き出し こうハッキリと問いかけられると、さすがの光悦も即答 にして、その眼をキラキラと光らせていた。 は出来なかった。 「上様ほどのご信仰家ゆえ、ご宗旨変えを : : : とは申しま しやくぶく 伊達政宗をはばかるのではない、彼の胸に大きく生きて せぬが、こうした流木浮木には遠慮ない折伏で向います る。こんな流木どもに、折角築いた大切な堤を切られている日蓮大聖人をはばかるのだ。 智にたより、武に は、それこそ下流の人間はたまったものではござりませ人が人を憎んでよい筈はなかったが、 ぬ。それゆえ、この小天壓にはよくよくご注意下さるようおばれて策を弄し、野心をのべようとするものに、光悦は にと申し上げて居るのでござりまする」 決して寛大ではあり得なかった。 家康は、そこまで聞いて、不意に大きく頷いた。 その意味では大久保長安と伊達政宗は、異質のものだと がする」 田 5 っている。どちらもひどく貪慾ながら、長安にはおかし 「そうか。わかったような気、、 ところが政宗はその反対で、ど それからしばらく間をおいて、 味はあっても殺気はない。 「光悦、そなた、大久保長安をあまり好いてはいないよう こか悠然としていながら、身辺には戦国以来のあやしい殺 気がまつわりついて離れない。 家康もそれを感じとっているゆえ、わざわざ忠輝との縁 光脱は、ハッとした。ハッとしたが悔いはしなかった。 彼が小悪という言葉をつかったときに、肚の中でありあ組みなどまで考えたのではなかろうか。 りと連想していたのは実は長安の顔だからであった。 と言って、今の光悦が、それをハッキリと口に出して非 長安には真剣な信仰の代わりに、新しい智識だけが雑然難出来るほど確たる証拠があるわけではなかった。 と詰まっている。そして彼はそれに倚りかかって傲然と生「これは、わしが悪かった。人間がわが身の好みや好の きている : いや、生きているつもりでいる。 感情など、幾らロにしてみてもどうなるものでもなかった の」 「どうだな、光悦は、伊達政宗を好きかな」 ポツンと又まさぐるよ、つに宀豕は、つこ。 「いや上様、 u-: 様にそう仰せられると、私も申し上げずに いしつ 7 99

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ない。その一つは伊達政宗の性格についてであり、もう一 が光悦の癖でもあった。 つは大久保長安の人間についてである。 「他のことでは申し上げることはごギ、いません : : : が 家康はどあらゆる種類と立場の人間に、よく眼のとどく 一つ光悦が心にかかって居りますのは上様の宗旨に対する 人は珍しい。それでいて人間には幾つか肓点があるものだ御態度でござりまする」 「なに、宗旨の話 : : : 光悦、そなたはわしに、宗旨変えを たとえば信長は新奇好みで、少々変わった働き者でなけ せよというのではあるまいな」 ればすぐに飽きる癖があった。そのため、荒木村重をそむ 「いや、宗旨変えをして頂かなければならぬほど、上様の かせたり、佐久間、林などの旧臣を追わせたり、明智に叛ご信仰が浅いとは思いませぬ。しかし かれたりしてしまっている。 といって、光悦は、言葉の選択にしばらく迷い、それか 秀吉にもそれはあった。これは利休居士を切腹させた晩ら思い切っていってのけた。 年特にいちじるしく、追従者にしてやられて諫言の耳に入「つまり、他宗に寛大すぎる。この心は逆に申し上げます らぬおごり地獄へ堕ちていった。 ると、またまた信仰が甘いのではあるまいか : : と、光悦 秀吉自身、ほんとうに信長に、い服していなかった癖に、 は、いにかかるのでごさりまする」 追従と才覚で取り繕って来ている。晩年になって逆にそれ「ほう : が性癖の中へ滲み出して来たような気が光悦はしている。 家康は、妙なことを訊くものだという顔つきで、しばら 家康は、それに比べると欠点は少なかった。人間にこれく黙った。 以上隙のない完全さを望むのは、望む方が無理かも知れな 「上様、私はやはり、何宗とも争わず、何宗とも平等に交 : と、思わせるほどでありながら、やはり小さな肓点易一 9 る : : : そのような態度は甘すぎるのではないかと存じ と思えるものが残っている。 まするが、如何なものでござりましよう」 「おお何も遠慮はいらぬぞ。申してみよ」 「フーム」 大らかな表情で向き直られて、光悦は、ちょっと固くな 「いや、決して上様に日蓮宗になって頂きたいなどと申す った。が、固くなるはどそれはいわすには済まされないののではござりませぬ。同じ切支丹宗の中で、南蛮、紅毛の っこ 0 197

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守っておいでなされたか、ご存知でござりまするか」 たカ」 「おう落ちた。わしに諸侯を押えてゆく力はないゆえ、千「知らいでか。わが身の勝手ばかり致して参ったのじゃ。 いや、それが世間じゃとみなも申すそ」 姫の父に将軍職を譲るというのだ。江戸の爺まで寄ってた 「若君さま ! 」 かって、秀頼を笑いものにしている : : : と、いうだけの話 たまりかねて且元の声は大きくなった。 なのだろう」 「そのようなことを仰せられるのならば、且元も申し上げ こんどは且元が顔いろを変えていった。 ねばなりませぬ。いったい将軍家が、どのような不都合 : 「若君 ! 」 : どのような身勝手を働きました。さ、それを承りましょ 「なんじゃ。わしはおとなしく、そちの申すことを聞いて う。さもないと、これは豊家の一大事になりまする」 やったそ」 「何ということを仰せられまする。この且元は、ただおと 九 : と、い、フのでは、こギ、り なしく話をお聞き下さるよ、つに・ 且元の声が大きくなると、秀頼の反抗の姿勢も当然大き ませぬ。話の意味をとくとご理解下さるように念じながら くなっていった。 申し上げているのでござりまする」 「市正は、豊家の家来か、それとも江戸の家来なのか」 「フン、そちは、それを秀頼が理解しないと思うのか」 「情ないことを仰せられる。われ等は故太閤さまの子飼い 「では、将軍家の並々ならぬご好意、おわかり下されたと の家臣、それなればこそ立身出世の夢も捨て、こうしてず 仰せられまするか」 っと兄弟父子、共にお側へ仕えてあるものを : : : 」 「おお、わからいでか。秀頼ももう頑是ない童ではない。 「それならば、江戸のお爺の味方のような口は利くな」 江戸のお爺が何を考えているかは、そこな明石掃部など 「これはしたり、江戸のお爺の味方 : : : といわっしやる に、よう聞かされて知っているわ」 且元は、びつくりして掃部を見や 0 た。掃部は、あわてと、若君は、将軍家を敵と思うておいでなさるのか」 「そうじゃ敵じゃ。秀頼の周囲にあるもの、みな秀頼の敵 て面を伏せて堅く坐っている。 「若君は、将軍家が、どのように厳しくお父上との約東をではないか」

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おえっ 秀頼に急きたてられて、不意に又且元は、はげしく鳴咽申すのか」 しだしていた 且元は、思わず唇を噛みしめた。話の運びがまずかっ 「申し上げます。申し上げまするゆえ、ようお聞きとり下 た。将軍継嗣のことよりも、右大臣昇進の話を先にすべき であった。 さるよ、フ」 「いいえ、そうではござりませぬ。次の将軍職は秀忠公、 秀頼は、プーツと頬をふくらまして仏壇を睨んでいる さりながら若君さまにも、その将軍宣下に先たって、たぶ 七 ん右大臣に進ませられましよう」 「市正は、ご母公さまのお言いつけにて、京へ、板倉勝重「右大臣 : : : そんなことであろうと思うた。それがどうし て吉報なのじゃ」 をたすねて参りました」 「これはしたり : : : 一火大将とい、つはどこまでも亜職 : 且元が、静かにいい出すと、秀頼は大きく肩で息をし ・一朝事ある時には、日本中を相手にして戦をしなければ た 0 もう観念して、話だけは聞く気になったものらしい ならぬ役目 : : : そのようなお役目は御家のためにとらぬと 「勝重に何の川で参ったのじゃ」 ころでごギ、りまする」 「近ごろの噂の真偽をさぐりに参ったのでござりまする 且元は、相手が少年でなかったら、 噂 : : : とだけで思い当たることはござりませぬか」 「ーーーそのような力は、もはや御家にはござりませぬ」 「噂 : : : 又、秀頼がわがまますぎるという噂か」 はっきりとそういいたかったのだが、そこ迄は残酷な気 一いいえ、若君さまの噂ではござりませぬ。将軍家ご退隠 がして口に出来なかった。 の噂でござりまする」 「なに、わしが大将軍にはならぬと、市正は申したのか」 「なに、将軍家が隠居すると : 「・十、 0 はいよくお考え願わしゅう : : : 関ヶ原のおりにさえ、 ーしさすれば次の将軍家が : : : 」 日本中の大名の七割までは将軍家にお味方しました。それ 「待て市正 ! 」 から四年 : : : 征夷大将軍として天下を押えてゆける力のあ 秀頼は、不意にひと膝乗りだして、 「すると、吉報とは : : : 次の、次の将軍は、この秀頼だとるものは、今は、徳川家をおいて他にはござりませぬ」

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う。その嗅覚を、プーンと襲ってくる馳走の匂い : : : 腹の 「おわかりでござりましようか。むろんこれは大御所さま 虫はグウグウ音を立てて鳴りだすに違いない。 の、きびしいお言いつけがあるからでござります」 おそらく三人の幼い叔父たちは、われを忘れて身を乗り 「ー。ーでも、それではあまりお可哀そう : 出しているだろう。 いいえ、それは、大御所さまが、ほんとうに愛して やがてそれが、これも野陣用のくり椀に盛り分けられて いらっしやるからでござりまする」 配られる。幼い者たちがまっ先に先す : : : と思ったのに、 千姫は、その意味がわかるまでに数日かかった。そし これは三人の幼い大将たちには、決して食べさせないのだて、それがわかると同時に狼狽した。 と言われて、思わず千姫はきき返した。 ( ーーもし、それがほんとうの愛情ならば、秀頼さまは、 「 , ーー・・野立ての馳走は、幼い驅のためにはよくないという誰に愛されているというのだろう : のだろうか」 いいえ、それはそれは、頬の落ちそうな美味の由に ござりまする」 人間の不安というものは、ふしぎなところから忍びこん 「ーーでは、なぜそれを差し上げないそ」 で来るものだった。 五郎太さまはもう大きい。が、末の鶴千代さ 秀頼はいま、ただの大名とすれば六十余万石。五郎太丸 まなど、おれにも呉れえと、せがむそ、フにござりまする」 と長福丸の二十五万石や鶴千代の十万石に比べるとすっと 「ーー・それでも差し上げてはわるいのか」 大身だった。 はい。お供をしている安藤どの、成瀬どのなどが叱 したがって、きびしくしつけることが愛情の標準なら るそうにござりまする。大将が美味いものを喰おうなどと ば、彼等の三倍も五倍もきびしく育てられていなければな いうさもしい心になってよいものかと。美味いものは家来らない気がした。 に喰わせるもの、大将は乾飯がござりましようと」 それなのに、誰がいったい秀頼にそのようなことをすす 千姫は、自分自身がその場にあって、腰の袋から、乾飯めたろう。いや、秀頼だけではなくて、千姫自身もまた、 たけを与えられたような気がした。 ほんとうに祖父に愛されていなかったのではなかろうか。 239

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たように動かなかった。 ご退隠なさるのがものの順序ではござりますまいか」 「よこ、 一品親王をお一方 : : : 」 豊かな肉おきの額であったが、 それだけに浮きあがった し」 癇筋もまた小指のような太さにくねって見えた。 「それはいかん。そのようなことは相成らぬ。それでなく 藤堂高虎が見かねて小声でロをはさんだ。 とも、家康は、江戸屋嗷を賜うと称しては人質を取ると : 「雪になりそうでござりまするな。翦どもの鳴き声がしげ く相成りました : 「上様 ! 」 九 「いやならぬ。もしもそのようなことを申してみよ。家康 は、天朝からまで人質を取ろうとする。史上にまだ類例を 「価旧正 , ・」 見ない不逞の徒じゃと評されよう。僧正、人の世はのう、 藤堂高虎のロ出しも、家康の感情をせき止めることは出 信を失うてはどのような制度も戸締りも役には立たなくな来なかった。 るものじゃ。そればかりは重ねて言うな」 「ご僧、この家康を怒らせようとして居られる」 すると、天海は、傍若無人に笑いとばした。 「心外な。わざわざ上様を怒らせたとて何になりましよう 「ワッ、ツ、 いや、言うなとあれば申しますまい。愚ぞ。ただ、お怒りなされても、それは恐れぬ。恐れるよう 僧はまた上様は、もう少しましなお方かと、思うて居りまでは上様のご籠遇を裏切ることになる : : : と、知って申し 上げているだけのことでござる」 : なんだと僧正」 「、つーも」 家康は、もう一度唸った。 「やはり征夷大将軍ともなれば自分が可愛い。そこで世間 ( 今日、自分の前で、これほど手きびしい言辞の弄せる者 に小さな気がねをなさる。そのようなことでは、折角のご は也にはあるまい・ 新政も先が見えました。もう二度と申し上げは致しますま それだけに、虚、い坦懐、言うだけのことは言わせてみな し」 ければならぬところ : : : と、わかっているだけに、一層ジ 家康は、大きな眼をひたと天海に据えたまま、凍りつい