「なるほど、それも一案でござる。確かに伊達政宗の肚のようだった。 うち、高山右近の肚のうち : : : など次々に聞かされたら、 床の間でこの家の自慢の南蛮時計がチンチンと四ツを告 古狸の大御所も動揺するに違いない。動揺すれば尻つばも げて鳴っている。 出よう。その尻つばを、これをご覧なされませとご母公に 見せてゆく。なるほど、これは逆手の逆じゃ。して、何そ よい田案がござろ、フか」 「無くはない」 何時か治長も盃を重ねて、彼が何のために内蔵助の許へ やって来たのか、始めの目的をすっかり忘れてしまってい 慶長十九年も初夏の季節に入り、駿府城本丸の庭には、 「何とゆうても、大御所の心にビリリとひびくは千姫さま今年も美しく泉水のあやめが咲きそろ 0 た。 じゃ。千姫さまが、いじめ抜かれて苦しんでおわすという その日も家康は、庭におり立って、無心にその花に見入 , 1 いが行ったら、ど、フなると田、っそ」 オし、や、倔ざいに・ : というのはうわべのことで、実 「フーム。駿府へ誰そ遣わすのじゃな」 は、七十三歳になってこの花を眺める感慨は無量であっ 6 」 0 「むろんこれは女子衆でなければならぬ。よし ! 思案は あるぞ」 ( 太閤よりも、十年長く生きている : : : ) そこで大野治長は、しんけんな眼をして、宙を睨みはじ しかも今、彼の前には無数の気がかりが山積して、彼の めた。 決断を待っているのだ。 彼もまた内蔵助の、 ( この年になって、まさカ 、に、大久保忠隣を裁こ、フとは田 5 「ーー今度の戦は、関ヶ原のような小さな規模のものでは ってもみなんだのに : 九州に追われている忠隣も哀れであったが、 家康自身も なし」 そういわれたその夢の中に、何時か足を踏み入れているまた、ひところは宿なしの憂き目を見た。 鐘の前奏 346
「そうじゃ。おじさま、私はお婆さまと話して参ります 0 に行き当たった眼のいろだった。 彼はあわてて次の間に入ってゆくと、仏前に一本香を手 まだ手土産の披露もしてありませぬ」 向けた。 於みつはそっとその場をはすした。 おそらくそれは、死んだと思われる於こうへの供養のつ もりに違いない。 そして、再び居間に戻ると、土間にぬぎ揃えてあった草 光悦は、またしばらく両手を膝において考えこんだ。 履を突っかけ、そのまま戸外へ出ていった。 ( 於こうは殺された : : : ) どんな場合にも、きちんと行先を告げてゆく几帳面な光 と、すれば、小箱の中に書き残してあった彼女の手記 悦にしては珍 - しい は、心のみだれた者の妄想ではなかったらしい。 辻へ出ると、駕籠丁を招いて、 ( 大久保長安は、何かひどく自分の立ち場に危険を感じて あがきだしている : : : ) 「堀河の所司代さまお役宅まで」 早口にいって駕籠の中へ坐りこんだ。 その原因として於こうは、手記の中で三つの不安を書き のこしていた。 ( そうだ。事態は、もうわしの手の届かぬところまで進ん その一つは、これも別の小箱に封じこめたという連判でしまっているかも知れない ) 状、そして、その他には蓄積してある黄金の処理と、伊達於みつのところへ茶屋の諜者が報告に来るまでには、可 政宗への警戒心をあげている。どうやら政宗が長安を警戒成りの日数がかかっている。 したした原因は、大久保忠隣と本多正純父子の対立にある家康が二条城から江戸へ引きあげてから二カ月近くも経 っているのた : のでは無かろ、つか : 若しそうだったら、これは又一つ怪しい雲が低迷したし 大坂城を訪れたビスカイノ将軍の話も、むろんもう板倉 たことになる。 勝重の耳に人っているであろうし、訊きたいことが山ほど 光悦は何を思ってか、不意に立ち上がって、ぐるりと室あった。 内を一周した。じっとしてはいられない、何かの気がかり光悦が全身を汗にして所司代屋嗷を訪れた時には、板倉 758
ではなく、いよいよ伊達政宗も、切支丹を利用して海外貿 易に乗り出すのではあるまいかという、これは相当に意地 のわるい見方であった。 噂というのは、古今を通じて、まことにふしぎな力を以 こうして世評が二分する時には、必すその中間をとる者って人心を引っ掻きまわす怪物だった。 もあらわれる。 ある時にはこれが案外正しい世論のもとになるのだが、 これは、忠輝夫人の影響もあろうし、大久保忠隣や長安ある場合には、手のつけられない暴動や暴行の原因にもな のすすめもあったかも知れない。が、ただそれだけで簡単りかねない。 に宗旨変えをするような政宗とも考えられないので、むろ浅草病院の聖者ソテロが召し捕られると聞いて、江戸の 非人たちが病院の周囲に群をなして集った。 ん「利用ーーー」も計算に人れてのことであろうと : もし役人が、ソテロを召し捕りに向かったら、捕吏とそ ところが、そうしたおりに、又一つ、別の噂が流れだし れ等群衆との間に合戦が始まってゆくだろう : それは問題のソテロが、近く幕府に召し捕られて、死罪 いや、この一揆まがいの騒動は決して浅草だけにはとど 1 になるであろうという噂であった。 まるまい。日本全国、各地各方面に散らばっている切支丹 この方はだいぶ風評が荒つばかった。 信者がこれに呼応して、曾っての一向一揆をしのぐ始末の ソテロは自分から申し出て、ビスカイノの船に乗り込んわるい全国的な大騒動に発展するに違いない。 でいながら、不注意にも航行を誤らせ、これを難破させて現に神田の某長屋では、この風雲に乗じてもう一度世に 沈めてしまった。 出るのだと関ヶ原の残党らしい牢人が太刀を背負って行衛 それで将軍秀忠が、 をくらました。 「 : : : もっての他の広言者め」 「その牢人ならば、わしも知っている。毎朝お陽さまに向 と、カンカンに激怒している。周囲の人々がいろいろと かって拍手を打ちならし、天下大乱、天下大乱と祈ってい 取りなしているのだが、どうも納まりそうにない。それゆた者だ」 え近々召し捕りに : : という物騒な噂であった。 どこまでが真実で、どこまでが為めにする者の作り話か
りかねませぬ。大御所の若い頃に、徳川家のご譜代が一向で」 一揆で楯ついた事があるとか : : : 宜しゅうございますか。 「いや、そう決めて申しているのではない。こなた衆の考 切支丹信者 : : : となると、第一に徳川家柱石の大久保相模え、こなた衆の見通しはどうたと、白紙で訊ねてみたまで 守がありましよう。それに伊達政宗 : : : その愛婿の松平忠 光悦が軽くいうと、 輝 : : : それから、高山右近太夫をいまだに庇護している前 「ムよ : 田利長 : : : 」 不意に与市は、厳しい顔になり、 角倉与市がそこまでいうと、聞くに耐えぬもののよう 「考え方としては、大御所に賛成でございます」 本阿弥光悦は手をふってこれを制した。 「というと、やはり双方と、今までどおりに交易をする方 がよしとい、わっしやるか」 「よき、つしゃ 「むろんそれが理想です。しかし、今のままでは決して巧 い ! そんな計算をしてゆけば、明日から日 イ、は参一り - きすよい」 本は又戦国じゃ」 光は、はげしく首を振ってさえぎって、 「巧くゆかぬ事に賛成 : : : というのでは、筋のもつれた話 「大御所の理想に、やはり無理があった : になるが」 「それゆえ、双方と円滑に交易を続けてゆくためには、一 語尾を与市への相談冫 , こ変えていった。 つの断 : : : 一つの覚悟が必要だと思うのでござりまする」 「一つの断がのう : 「大御所にとっては、イスパニヤもオランダもない。ポル トガルもイゲレスもない・ ・ : 政治と交易は別なもの : ・・ : と 「はい。眼をつむって、秀頼さまを大坂城から追うのでご き、います」 いうご解釈じゃが、それでは済まぬことになろうか」 「と、おっしやると、小羽は、ここらで日本国も、イスパニ : なんといわっしやる豊家に近いお主の アを取るか、それともオランダと結ぶか : : : つまり、何れ口からそのような : 言仰というものは言葉でも武力 「翁、まずお聞き下さい。イ か一方と決めてゆかねばならぬ : : : そう思わっしやるの ・とい、フ一」とか 748
そう考えてゆくと、本多正純の脳裏で、これは一つの恐へ向けて歩きながら、 の城を形づくってくるのである。 ( これではならぬ。わしも今宵のうちに、虚心に対策を考 初めはそれほど大それた陰謀などはなかったかも知れなえておかねば : : : ) 0 や、、 カ次第に自分が家康の寵遇を増し、忠輝もまた大々 正純は、自分自身に改めていいきかせた。 「にのしあがって来ると、ふっと途中で、考え方が変わっ 四 、来まいものでもない ( 自分の主筋の者を将軍職に : : : ) 柳生又右衛門宗矩が家康の居間に呼び人れられたのはそ そんな漠然とした空想でも、やがて、 の翌日だった。 ( しようと思えば出来ないことではない : 江戸から馬を飛ばしてやって来て、駿府へ到着したのは と、いう、思いあがった考え方で現実に接近する。 昨夜半。それを届け出ておいたので呼び出されたのたが、 事実忠輝は、家康の六男であり、伊達政宗という後楯家康の顔いろはひどく冴えないものであった。 自分という執権に支えられている。それに、越前秀康 ( あまりよく眠っていないな : ) 味方があり、更に秀頼を誘いこんであれば、家康の歿と、又右衛門はどった。眼のまわりの皺が大きくだぶつ 力しくぶんむくんでいる。 いて、顔全体 ; 充分に将軍秀忠を内側から動かす力になり得るのだ。 「ご苦労だった。さ、ずっとこれへ」 ( その考えがどこかにあった : そう思うと、本多正純には、長安こそ許すべからざる獅家康は、もう人を遠ざけていた。むろん忠輝の生母の茶 」身中の虫と思えて来る : 阿の局も座をはすしている。 「実は、昨夜、お許の到着より一足先に、上野どのがやっ ( 決して、岡本大八事件などにこだわっているのではない て来ての」 力ししたいことは何、もない・ : などというのは家康の 又右衛門は、予期していたことなので、目で答えた。 「どうも、困ったことになったわ。どうじゃ、お許の手ざ 冖方を見ようとする遠慮以外の何ものでもなかった。 すでに大手門は閉っているので、大奥の通用門から自邸わりでは ? 」 227
て、日々余暇々々には筆を取られているそうな : : : それ 彼は又上機嫌で五郎八姫をかえりみて、 に、そうそう、越前の兄上が禅寺に葬るように言い遺した 「こうなると、越後の築城は、万事舅御の思うままじゃ。 その方が、舅御もうるさくなくてよいかも知れぬ。長安はものを、それはならぬ、われ等は代々浄土宗、葬り直せと いわれたそうな : あれで仲々扱いにくいところもあるからの」 「まあ、そのような : 五郎八姫は、その時にはもう、全く別のことを考えてい るようすだった。 「それゆえ急くなと申したのだ。急いてわざわざ睨まれる にも当たるまい」 じっと視線を川面にすえて、豊かな頬に春の潮のきらめ きを映している。 忠輝にとっては、いまはまさに人生の陽春だった。 忠輝は、それをひどく美しいものに思った。しかし、何 と云って褒めたがよいのか、うまい言葉が見当たらないの で黙っていた。 五郎八姫は ふっと何か云おうとして、考え直したよう に又黙った。 と、とっぜん五郎八姫は酔ったような眸を忠輝に向けて「 可攵、信仰のことでそのように大御所さまをはばか らねばならないのか ? 」 「殿も、わらわと同じご信仰に帰依して下され。さすれば それを忠輝に訊ねてみようとして思いとどまった。 ちょうけん きっと、このまま天帝のご寵仆が続きましよう」 父の伊達政宗はそのことでは、つねづね家康を褒めてい 「なに、忠輝にも切支丹になれとか : 「はい。わらわは、このままの祝糧を、のがしと、つ、こさり ご自分の信仰を側近に押しつけようとせぬ。あの ませぬ」 点、大御所はさすがじゃ。やはり苦労の中で学ばれた慎し 「よし、それも道々考えよう。だが、その返事はあまり急みであろう」 くなよ。駿府のお父上の信仰はな、これまた並大抵のもの 信する信じないは理論ではなく、したがってこれは強制 ではないのた。近ごろは日課念仏六万遍の浄書を思い立っすべきものではない : : : そうした父の言葉が二重に姫に働 5
をひらいてゆくものだった。 彼は支倉常長の一行が、ますメキシコへ着き、そこから 大西洋を渡ってイスパニヤ本国に航行し、更にローマへ出 忠輝が最初に抱いたのは父や兄への不満であった。 まだ頑是ない義直の名古屋城と、雪国の片隅にあるみすて帰国するまでに、どれだけの日数を要するかなどという こまかい計算は忘れていた。 ばらしい福島城の比較であった。 それがいったん大坂城の偉容を想起することで、彼自身「ーーーそうだ①船が戻って来たら、次には予自身で渡航し の考えても見なかった夢になり希望になった。 よう。むろんわしはイゲレスも、オランダもみな見て来 むろんそうした素地は一朝一タに培われたものではなる。それでなければ、世界の竸争におくれを取るからな」 しい聞かせた 忠輝はそのことを妻の五郎八姫にくり返し、 だけではなく、江戸へ着くと、直ちに西の丸を訪れて、ま 大久保長安の影響もあったし、ソテロや伊達政宗に啓発 されたところもあった。いや、それ以上に、やはり彼が家たじっと何か考えている父の家康に、まっ先にその望みを 康の子であり将軍秀忠の直弟だったという特殊な環境のせ大きく打つけていった。 久しぶりに見る家康は、めつきりと老いを深め、彼が登 2 いかも知れない。 しきりに、五郎八姫は気にかけたが、急遽江戸へ出てゆ城していった時には火鉢を二つおき、厚い坐布団に脇息を く頃の忠輝は、彼自身もびつくりするほどその希望と夢と引きつけて、 「おお上総どのか : を大きくふくらましてしまっていた。 そういった声がおかしいほど優しくひびいた。 そのいちばん大きな直接の原因は、支倉常長の一行の月 の浦の出帆と、それを知らせて来ている舅政宗の手紙にあ或いはその優しさが、却って忠輝を元気づけたのかも知 ったことはいうまでもない。 れない 0 彼は江戸〈出る道々でも、その事しか考えていないよう彼は挨拶もそこそこにして、いきなり海外渡航の必要を であった。 真向から説いていった。 こうなると、この忠輝も一度海外を廻って来なけれ「お父上 ! やはり支倉常長などを使いに出したのは誤り ~ 言冫ならぬそ」 だったと思います。ここはお父上の子で、将軍家の舎弟で
そしてこの花圃に、一頭の暴れ牛を放ってみた。 「申し上げます」 ホッとして、無残に踏みにじられたあやめ池の幻想か 家康はいま、崇伝、天海、林道春などの僧儒に命じてひ あっ ら、家康は解き離された。 ろく古書を蒐めさせ、それ等の考索、繕写に精励させてい る。 「大坂からのご使者、片桐市正さま、鞠子の徳願寺にご到 着なされた由にござりまする」 ( これが、人間の本当の遺産なのだ : 「そうか。市正が到着したか。待って居った。すぐに会い 自分でも一々そこに書き残された事柄に眼を通し、如何 たいと、そう申してやるがよい」 にも平静を装っては居るものの、内心ではいよいよはげし 「かしこまりました。それから、市正さまと前後して、右 く時勢との対決、格闘を深めている。 忠輝には、とにかく高田城を建ててやることで、 京の局も参着なされました山、これもお目通りを願い出て 居りまするが」 「ーー大坂城が欲しい ! 」 とわめく、無邪気な慾望は押さえ得た。 「なに、右京の局が : : : それはわれ等が会うには及ぶま しかし、思慮に欠けた欲望の鬼は決して忠輝一人ではな 茶阿の局に丁重にもてなしてやれと申せ」 っ一 ) 0 ー刀 / 「かしこまりました」 少し手綱をゆるめたら、伊達政宗も、島津家久も、毛利 小姓が退ってゆくと、家康は、はじめてあやめの花のそ も上杉も前田も手の附けられぬ奔馬に代わるに違いない ばを離れた。 彼等は、泰平時代に育った備えなき若者たちの弱点たけ ( 且元が何と申して参ったか : それは薄々もうわかっていた。 はよく知 . っている。 したがって戦国時代を生き残った連中には、泰平十四年家康には、本阿弥光悦の他に、彼を心底から敬仰してす の天下の爛熟ー 、よ、まさに垂涎の好餌以外の何ものにも映らすんで情報を集めてくれている者が大坂の周辺に三人あっ ぬらしい 一人は伏見の小堀遠州、 一人は山崎ロの石川丈山、そし 家康は、咲きそろったあやめを四半刻も眺めていた。 348
全然逆であった。家康がきびしく、 徳川家側をおさえて 一両目の竹流しは、その軍用金に違いないのだ。 : いま、そのような事をゆけば行くほど、大坂側の被害感情は、あやしい妄想の炎 「。・、・・ーそれはご一考願わしゅう : 致しては、わざわざ、大坂方に叛心でもあるかのような誤を加えるばかりなのだ : 解を受けまする」 しかし、これも淀の方をはじめ、織田有楽までが承知し 人間の器量の差というものは、全くおそろしいものであ てしまっていることであった。 「ーー軍用金 : : : と考えれば穏やかではない。が、今ご城った。 内に人っているパテレンや信者どもを追い出すにしても金仮に片桐且元が、幕府側の責任者であったとしたら、縛 が要るのじゃ。今更何も余分の黄金を寝かせておくにも当川家も幕府も滅茶々々になっていたに違いない。 たるまい」 且元はそのことを自覚せずにいられなかった。大坂城内 そういわれると、これも又拒み得ない事情があった。すには、大久保忠隣と本多父子のような対立もなかったし、 でに大仏殿の普請の費用のために、大奥の入用までが圧迫秀忠対忠輝といった御家騷動の原因になるべき事情も存在 しなかった。むろんその間に伊達政宗だの、前田利長だの されて、度々勘定方から不平不満が出て来ている。 そこで、彼は、これをきっかけに「移封ーーー」のことをという大ものも介在しない。 いい出すつもりで納得した。 にもかかわらす、切支丹問題も牢人問題も、移封間題 むろん軍用金に当てるなどといいふらされては一大事、も、それ等を取り巻く被害妄想的な蠢動も、何一つとして 押さえ得ないままなのだ。 これはどこまでも大仏殿の人費のためとして、 いよいよこれで豊家の黄金もきれいさつばり底をつ これをしもわが不徳といわずして : : : ) きました」 しかも、彼の立ち場の苦しさを、打ち明けて相談出来る 人物は殆んど今はいなくなってしまったのだ。 そう印象させることにつとめた。 加藤清正も浅野長政、幸長父子も今は亡い。 ところで、そうした片桐且元の苦心は、彼の思う方向へ 少しでも歩先を向けてくれたであろうか : 幸長は去年の八月二十五日に、三十八歳の若さで死んで 324
そういうと家康の爛々と輝く眼のふちがかすかに赤く染「御意にござりまする」 どこ まりかけていた。 「さて、この火の手、どこに消口を求めてゆくか : ・ : ・ から手をつくるか、どうすれば最も少ない犠牲て済むか、 むろんみなにそれそれ意見がある筈、まず年かさの佐渡か 秀忠も、正信、正純もみな意外そうな面持ちで顔を見合ら順に申してみよ : 「申し上げまする」 本多正信は、その時はじめて家康の心を覗いた気がし ( いったい家康は何をいおうとしているのか : た。家康が怒りを押えて、自分の汕断を責めてみせたのは、 彼等の予想では、ひどく不機嫌な叱声が、みんなの上に 乱れ飛ぶものと思っていたのに、家康はまっ先におのれをやはり大切な一座の感情を計算しての発言だったと : 「この正信は、先す第一に右往左往しだしている切支丹の 叱って泣いている。 取り鎖めから手を着くべきだと存じまする。それには事態 土井利勝が、おそるおそるロを出した。 「そう仰せられますると、穴もあらば入りたい心地、大御を地理のうえから三つにわけて扱うが肝要 : : : その第一は 2 所さまのご汕断どころか、これはみな、われ等の怠慢でご奥羽の地。これは伊達陸奥守に一任するが宜しいかと心得 ざりまする」 まする。陸奥守はみすから改宗もしかねまじき様子で、城 内から大手門前まで制札を立てて切支丹を奨励しました 家康はもう一度ゆっくりとみんなを見直した。 怒っているのか反省しているのか、怒るために先すおの山。これはむろん深慮あっての逆手であろうと心得まする」 れの非をあげたのか、皆目見当のつきかねる、ふしぎな悲家康は軽く眼をつむったままで、 「逆手とは ? 」 憤の表情だった。 「りて、つか、利勝はそ、つ田、つか」 「されば、わが身の立ち場の不利を想い、こん度の事によ あかし ツ。ただただ汗顔の至りと : って将軍家へ忠誠の証を立てようとしておわす。つまり、 「そうわかれば何時までも繰り言は無駄、火の手はすでに 不穏な切支丹の徒があらば、政宗がふところへ来るがよ い。同信のよしみでこれを抱きとるそという、抱き取って あがっている。のう将軍家」 四