しが ~ 祝こ、フ」 洩し下されとう存じまする」 「お父上が、直接に 「おお、うつかりウトウトするところであった」 「と、申して、わしがわざわざ大坂へは行けぬ。そこで忠 家康は、トロリとした声で呟いて、 「これは、秀頼どのの耳に人れすに置いてよい事ではない隣を上方〈遣わすのと同時に、片桐市正を駿府〈呼ばう。 そして市正に懇々と事情を説いてやったら、いちばん真実 と考える」 、、、秀頼どのに伝わろうでの」 「と、仰せられると大炊頭の意見に : 「と、仰せられると、相模守の方は : 「いや、利勝とも少しく違う。わしはな、いま神仏に御意 見を伺うてみていたところじゃ。よいか、人間はみな神仏「そうじゃ、これと並行して、京、大坂の信徒の仕置き、 の子。その神仏の子の秀頼どのが二十になられた。人間一一それから、高山、内藤などのことを手がけさせられるがよ 十歳になれば一人前じゃ。一人前の人間は一人前に扱わねい」 秀忠はホッと大きくため息した。 ばならぬ。これを労るは愚かな母の愛情じゃ」 おそらく父が老巧に、土井利勝の意見も容れ、本多父子 みんなはキョトンとして思わす顔を見合わせた。 の顔も立てた妥協策を考えてくれたと思ったのたろう。 十六 ところが家康の思案はそうばかりではないらしい 「とにかく、泰平は乱してはならぬ。実のところ、忠隣の 「では、大久保相模守を、先す大坂へ遣わしまするか」 あの気性では秀頼どのを説ききれまい。そうわかっていな 秀忠も意外といった表情で、思わす声をうわずらせてい がら遣わすのでは、わしが神仏に叱られるし、故太閤にも 彼はすでに本多正信と、そのことはあれこれ相談してあ不実になる。そこで、わしから将軍家〈頼みがあるが聞い てはれきいか」 ったものらしい。 秀忠はびつくりして頭を下げた。 「いやいや、それとも違う」 ・なに、ことで、こギ、、りましよ、フ」 「改まって、な : 家康はゆっくりと首を振った。 。こけ、改めて秀 「相模守に説かせたのでは不実になる。それゆえこれはわ「他でもない。河内か摂津のうちで一万石オ 290
でに信之は知っていた。 若しそうなると、家康は小田原城の人質となり、それこ そ天下はてんやわんやの騒ぎになろう。いや、すでにそれ は世間の表面からは見えないところで、はげしくうねりだ してしまっている。 信之とて、すでに天下がこのまま治まりそうにもない現江戸からは土井利勝が血相変えて中原に飛び、彼の進言 下の雲行きはよくわかっていた。 で、ひとます家康は小杉の茶屋に移っているのだ : きん「は , 、 大久保長安の事件にかかわる諸大名の処分を済ませ、ホ そうした緊迫した事情の中で、もし、信之の弟の幸村 ッとして江戸を発った家康が、どうして小杉の茶屋を動け ; 、大坂へ人城してゆくようなことがあったら、徳川家の なくなっているのか : : : その理由もよく知っていた。 内部からも、江戸と大坂の間も、取拾のつかない大混乱に それに、上方に赴いていなければならない筈の大久保相なって行こう。 模守忠隣が、いまだに小田原城を発ってはいない原因も : それだけに、隠岐守のすすめが無くとも、信之自身で九 度山へ飛んで行って幸村をおさえたいところであった。 昔気質の忠隣は、わが身の上方派遣の命令を、本多正 しかし、それは簡単に出来ることではなかった。という 信、正純父子の陰謀と断じている。 のは、亡父昌幸の妄執を受け継いでいる幸村が、素直に兄 本多父子は政敵である忠隣を葬るためには、どのようなの言葉に従うような人物ではないことを、これも又よく知 っているからなのだ。 手段も選ばない奸悪な獅子身中の虫なのだ : : : そう思いこ これは決して性格の相違や利害の対立などの問題ではな んで、家康の駿府帰還の途中を擁して、これを小田原城に 招じ人れ、家康に直諫して、本多父子を将軍の側から遠ざ けようと計っている : : : という、実は密訴が、家康が武蔵 強いていえば「人間ーー、」本来の見方と解釈の相違であ 中原まで来たおりにあったらしい : と、その名もす家康も、そして信之も、人間は教育の仕方次第で、理性 それをしてのけたのは馬場八左衛門 : ・ ( それを隠岐は知らない : そう田 5 うと、信之は、どうにもならない切なさを覚える のだ。 っ一 ) 0
出して来るに違いない。彼等は、もともと戦国争乱の世の 「、・・・、ー・そうだそれがよい。そちに頼む」 そうなると、案外ここらで、本多正純の弱味も握れるか中でもログなことはしてなかったのだ。 も知れぬ : : : 長安は、紫匂う藤の花を見上げながら、次第戦のあるたびに民家に押し入って奪略したり、戦死者の 鎧を剥いだりして生きている連中なのだ。 に頬を崩していった。 それ等が、稼ぎ場の戦場を失くしたのだから、泰平の世 では小悪党に変わってあちこち脅し歩いて生きようとす るのは当然 : : : そんな奴のあしらい方を知らぬでは済まぬ ( わしは決して悪人ではない : のが、これからの世の中 : : : と、長安は割り切っている。 と、長安は、自分自身にいいきかせた。 ただ問題は有馬晴信だった。いかに先祖代々の旧領に恋 ここで仮に、白銀六千両という大金が、岡本大八の私腹 をしくぶ着を持てばとて、音に聞こえた大名にしては、少しばかり を肥しただけのものではなく、本多正純の懐中こ、、 んは流れこんでいるとわかっても、そのため正純を失脚さすることが浅間しすぎる。 もともと大した手柄・ : ・ : などというものではない。家康 せるというような無慈悲なことをする男ではない : のご朱印を持った船が海上で沈められた : : : その仇を討と どんな人間にも一つや二つの弱味や傷はあるものだ。 「ーー本多との、ご心配なさりますな。長安は、決して大うというので、長崎へ入って来たポルトガル船を襲ったと 局を見すに凶刃をふりまわすような人間ではござりませいうたけのことではないか。 それも世間では、有馬勢が勇ましく焼き討ちをかけたも そしてなるべく罪は岡本大八一人に背負ってゆくようにののように田 5 い込んでいるのだが、その実は、向こうで積 み荷を調べられまいとして、自分で焼いて自沈していった 説きつける。 岡本大八はどうせ、松尾松十郎に似たり寄ったりの小悪のだ。 したがって家康は、真相を知ると腹を立てるかも知れな 党に違いない。小悪党には小悪党のような因果のふくめ方 があるものだ。 手柄云々のことは別にして、仮にも国持大名ともいう いや、こうした小悪党は、これからたくさん世の中に輩べき身分の者が、褒美欲しさに、白銀六千両をかたり取ら 130
しかし、ここでも人間から人情は取りのぞけなか くほどの惨状であった。 それを信長は、約三千石程度の御料確保の線まで回復 とにかく亡くなられた天下さまの恥辱にならないよ し、秀吉は更にそれを六千石程度にまで伸ばしていった。 うなものを建立しなければ : そうした信長や秀吉の努力を、禁裏とそれを取り巻く公 後にこれが悲劇の焦点になったので、この頃から何か暗家衆がどのように感謝して都へ戻ったかは想像のほかであ い陰気な影が射しかけていたかに解釈しがちなのだが、そった。 けんきよりふかい うしたことは後の牽強付会の説にすぎない。 家康は、それを更に一万石にしていた。 しかし、その頃から、逆に禁裏の内部では公家衆の風紀 とにかく慶長十五年は、新興日本の春風があたたかく全 のみだれが目立って主上を煩わしだしたものらしい 土をつつみこんだ生気滾溂の年であったといってよい。 たとえ 「にいう咽喉元すぐれば熱さを忘れるの譬の芽生えが ただその中に一つの例外はあったのだが、それは泰平を ここにもあった。生命からがら都へ戻った公卿たちが、生 謳歌する庶民の生活とは少しく離れた、別のところで起っ 活面で一息つくと、当然次の欲望が目ざめて来る。その占 ていた。 では、禁裏も決して俗世間の例外ではなかったらしい 他でもない。禁裏の中の風波であった。 数えるほどしか居残っていなかった宮廷奉仕の人々の数 四 がふえると、そこには新しい別の規律が必要になるのであ ったが、長い間、各地に散って疎開生活をして来ていた人 信長が始めて上洛したおりの都の荒廃がどのようなもの であったかはすでに書いた。 人の歩調は、そう簡単に揃うわけがなかった。 そして、それが一つの間題になって表面化して来たのは 公卿公家は殆んど都落ちして、打ちつづく兵火に焼き払 われた屋敷あとは雑草のしげるに任せ、その中に投げ捨て慶長十二年の宮廷における公家の若者たちと女官の醜行事 られた死体の放っ悪臭にみちみちて、目もあてられぬ有様件であった。 人間は、如何なる時にもます食を求め、食が足れば次に だったと・ しかし躾けル」 その当然のことが、 皇居もむろん例外ではなく、日々の主上の供御にこと欠は異性を求めてゆく : : :
秀吉は、自からの手で起こした高麗陣のために、その境十四歳で亡くなった父の顔が見えて来る。いや、不幸な妻 地を味わうことなくして世を去った。 であった築山御前も、その子の信康も、今川義元も、織田 いや、むしろその終末を確かめ得ないあせりのために、 信長も、明智光秀も、秀吉も、勝頼も、氏直も : : : みな表 吉野の旅、醍醐の花見と、わが心の底の苦悩と悲愁を蔽うれな時代の哀れな迷霊として眼前に彷彳した。止むなく殺 ために、心とはうらはらな派手ごとにあがきを見せて死んした無数の敵 : : : 何の意志もなく傍杖喰って殺された無数 でいった。 の民百姓 : : : それは、彼のために喜んで死んで呉れた多く 家康は、それよりももう七歳も長生きした。 の家臣たち以上に、哀れな犠牲であったような気がする。 そして、それを感謝するために日々筆をとっては「南無 「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏 : 阿弥陀仏」の六字の称号を書きつづける。 家康が、七十歳まで長生きして、こうしていまこれ等の 「 , 、ーー生きている間に六万遍、果たして書き続け得るかど霊に供養をなし得るのは、決して彼自身の力や手柄による ものではない。 その計算は人間には出来なかった。 さ、この供養を受けて下され」 とにかく六字ずつの文字でも、六万遍となれば三十六万 そうした家康が、この日課念仏の筆をおいて、最後の上 字という厖大な数になる : : : 二百字詰の原稿紙ならば千八洛に駿府を発したのは慶長十六年の三月六日であった。 百枚に相当する。それを細字で、一々罪障消滅と供養の祈何よりも道中で、出来上がった名古屋城を見るのが楽し りをこめて毛筆で浄書してゆくのだ。 みであり、更に十七日に京に着いて二条城に入ると、すぐ 並大抵の人間ならば、はじめからその量に圧倒されて企さま逢いたくてたまらないのは秀頼であった。 て及ぶことではあるまい。 家康は、織田有楽斎を通じて、その旨秀頼に伝えさせ が家康は、七十歳まで生き得た感謝に、敢えてこれに挑 みだした。一字一字に一つの唱名を添えてゆくと、これも また文字の数と同じ三十六万遍になってゆく。 書いてゆくうちに、二十六歳で殺された祖父が見え、二 世間ではこの家康と秀頼の二条城の会見を面白おかしく 8
「大久保長安の遺族を召し捕る : : : これは私曲があったの ( このような家康の顔を見たことがない・ ではと、世間でも疑惑を抱いていることゆえ、さしたる影 又右衛門はゾーツと全身が総毛立った。 〕はあるまいと田、フ」 五 「はい。それがしもそう存じまする」 三分 : : : 五分と、家康は、険悪な顔になって黙ってい 「ところが、大久保相模守が、謀叛云々となると、これは 家中の大混乱を招きかねまい」 . 亠よ 「よ : し」 ( 何をこのように考えこんでしまったのか : それは又右衛門にも簡単に想像出来ることではなかっ 「わが家と大久保家の関係は昨日や今日のものではない。 大久保党の数は家中に多く、そのうえ、本多父子との対立 の噂さもある」 「又右衛門 : : : 」 柳生又右衛門は、そこまでいわれて、はじめて家康の眼 そういったのは、十分間ほど宙を睨んでいたあとで、そ に光るものが浮いているのに気がついた の声は意外なほどに力が無かった。 ・ : 未熟で 「わしは汕断をしていたの。虚をつかれたのた : 「それからの、子を見るは親に如かず : : : 将軍家が、連判 あった : 状を見てしもうた : : という事がどうにもならぬ重荷にな 「と、仰せられますると ? 」 るのだ」 「やはり、世の中を甘く見ていた : : : そういうことになる 又右衛門は黙っていた。が、この言葉の意味はよくわか のだろう。この責任は執らねばならぬ」 また又右衛門は、家康が何をいおうとしているのか全然将軍秀忠は、どんな場合にも父にそむかぬ律義さを持っ わからなかった。 ている。が、そうした律義な人間に共通する疑い深さもま 世の中を廿く見ていた : : という述懐は愚痴にすぎなた持っていた。 」で父を立てて来ているの い。だから、どうしようというのか、どのように責任を執今迄秀忠が「大御所絶対 ろ、つとい、つのか ? ・ は、父の信頼と愛情とが、一片の疑心もさしはさむ余地の つ」 0 229
を主とし、法を守る「泰平人ーーー」になり得るものだと信 真田隠岐守は、さじを投げたように舌打ちした。 じているのに対して、亡父の昌幸は、 「大御所は、どこまでもわが真田一族を信じておわす。こ 「ーーーそれが理性を失った妄想よ。人間とはそのように綺こで天下を乱しては、信長、秀吉、家康と、三代にわたる 麗好みのものではない」 六十年の努力が無駄になる。頼むそと、このわしに仰せら 一言のもとにその説を否定し去る「カーーーー」の信奉者でれた。これは決して天道にそむくことではなく、後々真田 あった 家のためにならぬことでもない。それなのに、殿はただ一 弱肉強食は、動物、生物、植物界を問わず、地上一切度の手紙だけで、肉親のご舎弟を見捨てなさろうとする。 の、どうにもならない実相なのだ。したがって、人間の世二度で聞かすば三度、三度で聞かずばご自身で出かけられ 界から戦争を無くしようとする : : いや、それが出来るとる : : : その位の真剣さを持たれてこそ、亡きお父上への孝 じギ、 道が立っと思うが : 考える家康の考え方は児戯にひとしい。 「叔父御よ。まず待たれよ」 といって、人間の中には決して魔神羅刹も生まれるもの 伊豆守信之は、これも続けざまに舌打ちした。 ではないゆえ、すぐ又倒した者が倒されて、この世に人間 のある限りくり返し戦は続いてゆくものだと、生涯家康を 「では申そう。叔父御は、自分の兄であるそれがしの父を 知らぬのじゃ」 嘲笑って逝ったのだ : 「 , ーーー源次郎よ、よいか、そなたは決して徳川どののよう 「これはしたり、安房守は殿のお父上ながらそれがしに取 な、お人好しになるまいぞ」 っても幼ないおりから共に戦場を馳駆して来ている兄上、 それを知っているだけに、うかつに動いて、幸村の拒絶知らぬなどとどうしてお決めなさるのじゃ」 にあうと、ここにも又、取拾出来ない、引っこみのつかな 「いや、ご存知ない : : : お父上はの、ご存知のように子供 い妙な波瀾を一つ増すばかりの結果になるのだ : のおりには、武田信玄公の六人小姓の随一だった」 「仰せまでもない。御小姓の中でも抜群での、これこそま ことの麒麟児そと、信玄公に度々舌を捲かせたお方じゃ」 「それ、その事よ。お父上は、偉すぎたのじゃ。その偉い 「殿は、わしには答えぬおつもりらしい」 294
うとすることは、どこかで人を苦しめたり、殺したりして光悦は、もう一度あわてて大きく手を振った。 「それはいけないー 於みつどののその迷いは : : : それで ゆく約束ごと : : : そんな気がしてならないのですけれど」 「それはいけない ! 」 ー間は無間地獄の鬼になる」 光悦は、強くさえぎって、 いいながら光悦は再び自分のために茶を点てだした。 「それではおのれの主張がなくなる。自分を生かし、同時 於みつの述懐に答えてやりながら、もっとくわしく事情 に他をも生かしてゆく : その知恵が無ければ人間ではなを訊きたかった。さもないと、光悦自身の今後の行動も決 し」 め得ない。 「おじさまは人間に、その知恵が、ほんとうにあるとお思 ( 何のために、於みつを煩わせて、あれこれ事情を調べさ いですか。仮に有るとしたら、何故大久保石見守は於こうせたのか : さんを : : : 」 それはそのまま光悦の生き方に繋る大事であった。 殺したのでしようと、いおうとして、その言葉の不穏さ 「於みつどのはな、いま、正しい信仰の入口に立って居ら に気付いたのだろう : : : 於みつは、ふっと言葉を切って視れる」 線をそらした。 「まあ、迷い切っているこの私が : 光悦は、泣きそうな顔のままで笑った。 「そうじゃ、仮に石見守が、於こうを殺した極悪人であっ 於みつの疑惑が、手痛い手応えで胸に刺さって来るからたとしても憎めない : : : それはわが身にも同じような罪障 があると省みる、やさしい心があるからじゃ : 「人間の生は、たしかに於みつどののいうとおり、何ほど 「その反省の無いものは、人の形はしていても、神仏に合 か、他の犠牲がなければ成り立たぬものかも知れぬ」 「私には、その犠牲が大きすぎる気がします : : : ですか掌出来ない無縁の者 : : : わかるかの」 ら、石見守を心の底から憎むことが出来ないのです。悪人 四 を憎めない : : としたら、この世の澄む日はありそうにも ない、と、わかっていながら : : : 」 「於みつどのが、 一期一会などといいたした : : : それでわ 153
千姫を助けたいために、秀頼母子を助ける : : : 世間では 「それが、それがしの手に、果たして合うや否やが・ そういうであろうが、それでもよい : : といわれた時には 「又右衛門よ」 「よ、ツ 思わす背筋が寒くなった。 ( ここまで深く人間の何たるかを見透している者があるで「何れ大坂城へは、あちこちの牢人共が人り込もう。あら あろうか ? ) ぬ欲に釣られての」 と、いうことは、そのように理屈どおりに世の中が動く 「御意」 ものかどうかという不安にそのまま繋がりもする : 「そのおりに、 こなたの腹心の者、誰でもよい。早々に一 「又右衛門よ」 隊人城させておけぬものかの」 「よ、ツ し」 又右衛門はビクリと肩を波打たせた。彼としても、当然 「こなた意見をいわぬゆえ、わしはわしの考えを補足しよそれは考えないことではなかった。万一落城のおりに、秀 う。よいか、わしは可愛いい孫の於千も助けたい ! そこ頼母子や千姫の守護を命じられるほど信頼される親衛隊を での、出来得れば先す於千を救い出し、於千の懇願によっ送りこんでおけば、或いはそれは可能かも知れないと : て、秀頼どの母子の助命を決めた : ・ : と、いう形になって ( しかし、そうした人物が果たしてこの世にあるであろう 、もよいと田、つ」 「恐れながら : 大坂城へ、再びわが身の出世を夢みて人城する者はあっ 、一族すべての生命を、全く表 又右衛門はここらで、はっきり答えなければ、ぬきさしても、わが身だけではなく ならない理詰めにあいそうな気がして口を開いた 面にあらわれない日陰の犠牲にささげようとして人城して 「仰せは一々ごもっともながら、いったん東西お手切れとゆくほどの人物が : なった警戒厳重な大坂城内へ、何者をしてお救いに人り込 ( ある筈がない ! それはど豊家の政治に隠徳は積まれて ませるか : なかったのだ : : ますもってその思案がっきませぬので」 「そうじゃ。これは、伊賀、甲賀の忍びなどではどうにも それを想って口にしなかったのに、家康の方からいい出 されてしまった。 なるまい。それでこなたに来てみて貰うたのじゃ」 362
思案は道中で致すことにして休まれるがよい」 た形にして屋敷内へそっと生かしておけるだろう。し そういうと、正純は手を叩いて若侍を呼び、彼を別室へし、藤十郎や外記以下の、八王子に住まう男子七名は助け 木内させた。 ようがなくなるかも知れない 正重が、本多正純の言葉の意味を、ハッキリと理解した長安は、あらゆる場合にそなえて、自分まで婿にした。 ) は、別室で膳を出され、深夜の食事を済してからであっ が、その婿は何とここでは、舅を陥人れる証拠探しをせね ばならぬとは : 「あっ ! そうか : 人間と人間の争いは無く どうやら戦争は無くなったが、 彼は、のべられた夜具の中へ人りかけて、思わす、言葉ならないものらしい ~ 謎に気付い 果たして、本多正純は、大久保長安という政敵を、どん 「そうか、そうであったのか : な罪名で供養しようとしているのか ? そんたく 少なくとも目付けや探索の仕事に、命令者の意志の忖度彼の言葉はもはや尋常ではなかった。死んでしまってい。 0 2 」禁物たった。それは仮に、どんな不快な意図に発したこる人間ゆえ、切腹では痛くも痒くもあるまい。が、伜共を J であっても、易々として従うより也こよ、 ィー冫オしカらた。 追放する : : : 位のことで済ます気ならば、自分に女房を離 しかし、自分に命じられた仕事の性質だけはハッキリと 別しておけなどという筈はなかった。 ちなまぐさ んでいなければ、骨折り損どころか、首も飛びかねない ( これは、血腥いことになったぞ : : : ) 旧果になる。 正直にいって、罪名や証拠などは、その気になればどこ からでも拾えるものだが : ( そうか : : : わしに、舅の私曲の証拠を探せといっている ) か ) 到頭正重は、夜の白むまで眠れなくなってしまった。 そうすれば、出来るだけ女子供には憐愍を願ってやるそ 四 」い、つ一」とらし、 そうわかると、さすがに正重も眠られなかった。先す八 正重が起き出した時には、正純はもう登城してしまって 、た。まだ訊ねたいことは山程あったが、このうえ出発を ~ 子に戻って妻に因果をふくめてゆく。この方は、離別し れんびん