か : : : ? それを冷静に反芻していって、しかし光悦 は、あまり驚きはしなかった。 長安は、政宗との間が気まずくなってみて、始めて政宗 於こうの手記を読む前に、板倉勝重に会っているからか : と、於こ、フは圭ロい の存在の大きさに気がついたらしい も知れない。 とにかく大久保長安は、自分が伊達政宗の婿になるべている。 それまで政宗が背後にあるというので、かなり有頂天に き、松平上総介忠輝の執政にあげられた時から一つの夢を なっていたのが、政宗に背を向けられてみると、これは厄 見だしたものらしい。 その夢は、忠輝をまだ職制にはない交易総奉行というよ介至極な敵であった。 うな地位に頂いて、自分と伊達政宗とで、世界の海へ乗り何しろ大御所も将軍家も、政宗といえば一目おいてい 出し、七つの海をその翼の下に納めて活躍したいと考える。そのうえこれは長安のあるじ忠輝の舅なのだ。 この舅が、もし長安は忠輝のために好もしからぬ執政だ その夢を実現するために、彼は海外に何程かの連絡を持と、大御所や将軍家に告げ口されたら、長安の首は何時宙 っキリシタン大名を糾合しておこうと考え、その連判状をへ飛ぶかわらなかった。 作 0 てあ 0 た。いや、それだけではなくて、そのおりの資人の好い長安は、政宗に背をむけられるまで、その事に は考えおよばなかったようである。 金にするため、方々の金山からおびただしい量の黄金を、 そこで、せっせと黄金を、後日の活躍のために蓄積して 内々で八王子に運びこんでいたものらしい。 ところが、途中から伊達政宗が、これに背を向けだし来たのだが、それを「謀叛の用意と見られた時には何とす : と、於こうは書いてあるぞ」政宗に注意されてそっぱを向かれ、愕然として自己 た。世間にあらぬ噂が立った : 保身の方向へ視線を据え直した。 る。 ( その噂が、もしや、板倉勝重の話したポルトガル船の焼そうなると第一に邪魔になるのは連判状 : : : 第二に邪壓 になるのは蓄積してある黄金 : : : と・これも於こうはそう き討ちと関係があるのかどうか : 書いている。 そこまでは於こうの手記でははっきりしない : はんすう
「もうよい。そうは成らぬ。成るものではござらぬ。将軍た出来事だった。 家のお手前はの、それがしがもう一度取りなし申そうゆ その快川和尚に育てられ、二十歳を超えた頃には早くも 少年上人と呼ばれたほどの俊才が、この虎哉禅師である。 え、先刻の嘆願状を忘れぬように : 吐き出すようにいって政宗は、不快さをかくすために膳 伊達政宗の父左京太夫輝宗は、正室最上氏との間に長子 が生まれると、これに梵天丸という、仏教好みの名をつ の上の箸を取った。 ( これで、また無事平穏か。大御所は、よくよくご運の強けて、それからその教育者を僧侶の中からも求めていたの いお方じやわい : そして、政宗が六歳のおりの元亀三年に、米沢近郊の資 九 一、に招かれて来て政宗の学芸の師となったのが虎哉禅師 : しかもこの虎哉禅師はそれからすっと政宗の師として 伊達政宗が、浅草病院の聖者、ソテロをわざわざ屋敷に 招いて説教を聞いたという噂は、間もなく江戸中に流布さすでに八十二歳になっている。 六歳の政宗が、四十五歳になっているのだから三十九年 れた。 にわたる師弟関係で、これも又世上に知らぬ者のないこと いや、それそれの大名の江戸屋嗷から全国へも知れてい 、、こっ ? ) 0 ったに違いない : と、いうのだ その政宗が切支丹の説教を聞きだした : 伊達政宗といえば、政宗が梵天丸といった六歳のおりか ら遠山覚範寺の虎哉禅師に育てられ、その指導によって完から、これは一つの大きな話題たったに違いない 或る者はこれを、娘である松平忠輝夫人の影響であろう 成された豪邁な武将と信じられていたからだった。 この虎哉禅師は美濃国方県郡馬馳に生まれて、おなじ美と見、又ある者は、大久保忠隣にすすめられての人信では 濃出身の名僧、大通智勝国師快川の弟子である。快川が甲あるまいかとも噂した。 むろんこれをそうした信仰上の問題と見ない見方も無く 州の恵林寺で織田勢のために寺を焼かれ、 十よ、つこ。 「ーーーー火も、ま」冴し」 世のつねの禅僧以上の武将である。目的は信仰にあるの と、喝破して、火定に入ったことは当時の武将を唸らせ 、 ) 0 ノ 76
いや、伊達政宗は、そう受け取って、ソテロや支倉のヨ ーロッパ派遣を急ぎだしたのだ。 巨船の建造は五月以来、全く不眠不休、昼夜兼行の強行 ( 伊達政宗はどの人物が、内乱必須と見てとって、その用 爭であった。 意にかかっている : : : ) そして、それが出来上がる前から、すでに出港の日を九それも女イ。 日可こも政宗らしいめんみつな規模で、家康の死 彳に備えだしている。 月十五日と決定してしまっていた。 それはどの面から観察しても、 将軍秀忠は、新教国側のイギリス、オランダと提携をは もはや、一刻の猶予も許さぬ時 ! 」 かるものとして、彼はフィリップ三世とローマ法王を利用 しようとして手を打ちだした。ヨーロッパにまで手を仲ば そうした事情の切迫と情熱を感じさせるに充分なものが つ ) 0 すほどなのだから国内でも、味方になし得るあらゆる勢力 と、それとなく連繋を求めてゆくに違いない 或いは誰かの策動で、 いや、その「反秀忠ーーー」と又右衛門の眼にハッキリ映 卩・・・ーーその船を出してはならぬ ! 」 そう云われては一大事と、それで大手門前や、大広間にる行動が、少し角度を変えて眺め直すと、ことごとく、 「秀忠のための深慮ーーー」にも見えるのだから恐れ入った 从で奇妙な掲示を許したとも考えられる。 それだけではなくて、この事は忠輝にも、有無を云わさ政宗の構想であり頭脳であった。 プ承認させてあるものと見るべきだった。「ーーー次代の皇 ( とにかく、これは自分一人の胸におさめておいてよいこ 」という、奇怪な文字は、云うまでもなく輝の存とではない : イギリス王の使節セ ーリスに「通商免許ーーー」の覚え書 宀を暗示し、その忠輝の名でフィリップ三世に援軍を頼ん : となると、伊達政宗は、肚の中ではもう自分の立場を渡して、ホッとしている家康の許へ報告に出向いていっ 、反大御所 : : : ではなくて、反秀忠派の首魁として蹶起た。 」ねばならぬものとなった : : : そう見透して行動している家康は少し痩せていた。しかし金地院崇伝の認めた覚え J いう答えになって来るのであった。 書きの控えを前にして機嫌はさしてわるくはなかった。 246
その時のことを又右衛門は思わずロ走ってしまったのだ にあれば、大きな罪障のもとになるか : 又右衛門は答えなかった。 ( 家康に、秀頼だけは討てまい : : : ) ( 云いすぎたかも知れない : その反省と、人の子の親に向ってあまりに言葉の内容が と、すれば、わが子の忠輝と共に、地上に乱を醸すもの 残酷だったような気がしての逡巡であった。 として罰してゆくより他にあるまい。つまり、太閤の子の しかし、はっきりと自分の考えを述べたことに悔いはな秀頼も、わが子の忠輝も、共に討って騒乱の根を断ってゆ っ一 0 : その位の大決心がなくては済みますまいという、ま 一剣天に倚って寒しの助言であったのだ。 すでに騒擾の根は張りだしてしまっている。この根を未さに、 「又右衛門よ」 然に断っためには、忠輝をきびしく伊達政宗の監視下にお くことで政宗の不安と野心を封じ、ついで秀頼を大坂城か またしばらくして家康は呼びかけた。 ら他へ移封すること以外に方法は考えられなかった。 「決断はのう、実は、そうむすかしいことではない」 政宗は凡将ではない。ここで逆に秀忠と家康の両人か「仰せの通り、その前の熟慮こそ大切と心得まする」 「むろん機を失しては何事も成らぬものだ。お許は兵法家 若気のいたりで、忠輝は長安に担がれていたらしゆえ、家康の仕置はもどかしいと思うであろう」 いいえ、決してさよ、つなことは : い。将来を誤ることのないよう、充分監督して欲しい」 そう云われると、前後の計算を誤るような人物ではな 「しかし、またまだわしは諦めぬ。月の浦から伊達家の船 い。これで伊達家も安泰と見てとって、野心の鉾はおさめ が出帆する。それを待ってさりげなく駿府をたち、途中で てゆこう。 大久保相模守の小田原城など検分しながら江戸へ出よう。 次の秀頼も、もはや近側の重臣たちはこのまま大坂城に江戸へ着くまでには肚を決めねばならぬが、それまではの 居すわれるとは思っていまい。したがって、説き方次第でう、神仏頼りの自問自答をくり返してみるとしよう」 「よッ 移封は出来ると、又右衛門は考えている。 「お許はな、その間、わしの側を離れぬようにしていてく ( しかし、それの出来ない時は : 5 5 2
徳川家の旗本たちが、いやがうえにも神経を尖らせてくる 件は落着してしまっている。 伊達政宗にしてもむろん首謀者とか、張本人とかいう立のは当然だった。 場ではない。彼は大久保長安の残して逝った風が、うつか この空気の尖りが、大坂に対してだけだったら簡単だっ りすると伊達家の浮沈にかかわる大事になるやも知れぬと たが、その一方に、松平忠輝の名が出て来るので事は面倒 見てとって、どこまでも用心深く受身の姿勢を整えたのに すぎない : まさか、上総介さまが、将軍家に敵対など : 松平忠輝に至っては、長安の死が、自分と兄の将軍秀忠 そう云う否定者の前に立ちはだかる伊達政宗の名は大き の間に、どのような気ますい空気を残していったかさえ知 らず・にいよ、フ 政宗は始めから上総介を抱きこんで、天下に野心をのべ いや、何も知らぬといえば大坂城の秀頼は、、 しったい七る婿にした。そして、婿の忠輝が熱烈な切支丹信者の姫の 手組の連中や、自分の近侍が、加賀に飛んだり、九度山に虜になったところで、いよいよ爪牙をあらわしたのだ : 真田幸村を訪ねたりしている事を知っているのだろうか そんな風に簡単に云いきられると、それはふしぎな説得 力を持って来る。 ( したがって、この騒擾の、断つべき根はいったい何れに ( いや、何も知っている様子はない : それなのに京大坂からの情報によれば、すでに神父のポありや : ルロ、トルレス等にうながされた信者が、さまざまな名目 そう考えて来ると、又右衛門は家康の顔を見るのがたま の使用人を装って、続々城内に入りだしているというのらなくなって来る。 「又右衛門よ」 と、また家康は、間をおいて呼びかけた。 明石掃部も、織田有楽斎をたよって入城している空気が あり、南坊の高山右近も、遠からず加賀を離れて大坂へ赴「お許はまたほんとうの意見をわしに洩らしては居らぬよ うじゃ。お許はただの兵法者ではない。何れから太刀を入 くのではないかという推測もなされている そうなるともともと豊家との対立観を捨てきれずにいるれるか : : : 見るところはあるであろう」 ) 0
ている矢先に、正信の口から忠隣の名が出て来たのだから 事を鎮める含みの筋かと心得まする」 正信の思いがけない発言で、一座はちょっと動揺した。驚くのも無理はなかった。 酒井忠世にせよ、水野忠元、青山忠俊にせよ、みな伊達しかし、この時も家康は黙っている。そうなると、まだ 政宗をそのように甘く見てはいなかったからであった。 正信の言葉をさえぎり得る者はなかった。 それどころか、彼等の眼には、大久保長安を煽動したの 「それがしの口から、大久保相模守を推す : : : ということ ち、忠輝を担ぎあげたのも、実はみな伊達政宗ではあるまで、ご不審に思われる方があるやも知れませぬ。事実、こ の正信は、近ごろの相模守どの所業は不央に存じて居りま いかという疑念が強く残っている。 しかし、家康が薄く眼を閉じたまま聞き人っているのする。さりながら私情と公儀の混同は許されませぬ。上方 に赴いて、不穏のきざしある信徒や大名どもを叱りつけ、 で、誰も口ははさみ得なかった。 「さて奥羽の地は陸奥守に一任となれば、関東から信越、また右大臣秀頼さまに正面から、抱かれた神父や宣教師、 またひそかに乱を狙う牢人信徒など、ことごとく吐き出さ 東海の地、これは江戸で充分に押え得るゆえ問題はないと かみがた して、大切なは上方にござりまする。この上方の鎮撫にあせて禍根を断ち得る者は、相模守をおいて他にあろうとは 2 たる者は、並大抵の者では叶いませぬ。と、申すは、すで思われませぬ」 そこまでいって、本多正信はちらりと将軍秀忠の方を見 に相当な信徒が右大臣秀頼さまの袖にすがって画策しだし ている。これを一掃出来るはどの重みと実力を持った者 : ・やった。 : となりますると、大久保相模守以外に人は無いかと心得秀忠は、凝然として陶器のように控えている。 かんみん 「或いは世間では、本多正信め、また政敵を皮肉な陥罠に まする」 追い込んだ : ・ ・ : などと噂する小才子があるやも知れませ 再び一座は声のないおどろきに打たれて息をのんだ。 ぬ。そのような悪評を歯にかけて逡巡すべきときではな 五 、。相模守は、伊達陸奥守同様、自身も信徒と思われてい それでなくともこんどの事件の背後には、大久保忠隣とることゆえ、この人の口から説かれることには説得力がご 本多正信父子の派闘の争いがからんでいる : : : そう思われざりまする。又相模守とても、今までの世間の疑惑を一掃
松平忠輝はそうした手紙を舅から受け取って、これは 又、何の疑間も抱かない。或いは「次代の皇啻ーー」とい うのは、彼自身のことと思いこんでいるのであったら、ど ういうことになるのであろうか・ しかし、政宗は果たしてそれたけで、瑞巌寺の石仏をこ わしたり、大広間に切支丹の信仰のすすめを掲示させた り、小さいながらも城下に二つの会堂を建てさせたりした のであろうか : ( それだけではない : 又右衛門はそう考えるより他になかっこ。 ( 少なくとも、彼は、大久保長安が亡くなると、そのあと 伊達政宗が、大久保長安を、それとなく遠ざけだしたの は、政宗が長安の一味 : : : と、語解されるのを警戒してので、必す或る種の事件が起こることを予期していた : : : ) ことであった。 そして、少なくとも、その一方の首魁と見られることを そうした細心さを持った政宗が、ここで支倉常長等のヨ怖れ、長安も遠ざけ、その連判状に署名も拒んでいた。 そして、事実、彼の警戒のとおり、長安は死に、事件は ーロッパ派遣を、大御所家康や将軍秀忠が決して不快とす るものでないと明記させている意味はよくわかる。 起こった。 と同時に政宗の見透しにも、かなり厳しい変更が加えら この両人の承認がなければ第一五百トンもの巨船は造り : と、見るべきだった。 れなければならなくなって来た : 得なかったに違いない。 むろんソテロも政宗の手に渡されはしなかったであろう長安の死は、英王ゼームス一世の使節の到着とともに、 し、ビスカイノ将軍も日本退去の船が無くて困却する筈で事態を急変させていったのだ。 あった。 日本中の旧教徒は、太閤時代の大弾圧を想起して騒ぎだ したがってこの巨船の建造は、政宗が、内々で家康や秀し、これに長安の不用意な連判状が「忠輝謀叛ーーー」の妄 想図を流言にのせて日本中へ不安をひろげさせてしまっ 好もしからぬ神父や宣教師の国外追放」を暗黙のう ちに承認させたものであることは、又右衛門ならすとも推そうなると、忠輝の舅として、伊達政宗の立場もまたき わめて危険なものになってくる : 察出来るところであろう。 ) 0 245
たむけた。 「ーーー陸奥守は、長安や上総介のことで誤解されまいとし て、しきりに予の機嫌を取ろうとしている」 伊達政宗の動きは、まことに渾然と一つに見える、虚実 秀忠は真実そう見ているようだった。 二重の構えであった。 ソテロにせよ、ビスカイノ将軍にせよ、日本にとってあ 松平忠輝を謀叛人と見、政宗をその舅として圧迫を加え まり歓迎すべき人物ではない。といって、これを簡単に追ようとする者にとっては、彼の備えはまことに無気味な牽 放するわけにも行かないので、伊達政宗が一世一代の知恵制であり、 をしばっこ . : と、解している。 「ーーあの保身の巧みな政宗が、今更、将軍秀忠に楯をつ つまり、日本にとって好ましからぬイエズス会派、フラ くような、そんな愚かなことをするものか」 ンシスコン会派の宣教師どもを、そっくり新造の船に乗せ そう見てゆく人々には、ソテロの救済以来のことはみ て本土から追放する。 な、秀忠と暗黙の了解のうちにやっている、大きな協力の しかもその追放になお一つの夢を托したところが、政宗ようにも見えた。 の卓抜した知恵なのだと却って感心しているようだった。 ( やはり並みの器ではない : 彼等に内心を見破られないよう、わざわざ松島の瑞巖寺大久保長安を生前からすでに遠ざけ、問題の連判状には の石塔などまで壊させたり、小さな教会堂を建てたりして、署名を与えす、江戸に置いては邪魔になりだしたソテロや いかにも熱心な信徒らしく装わせ、まこと信者の支倉常長ビスカイノ将軍を、巧みに仙台へ引き取って、さて、そこ を付して、直接ヨーロッパに貿易路を開拓出来るや否や使で、政宗自身改宗したかに見せかけながら、彼等の知識と ってみよう。 協力によって新造船を進水させているのである。 ・レ J し、つ 不成功ならば彼等はそのまま帰って来まい。 しかもその船に乗せて、邪魔ものを、そっくりそのまま のが政宗の肚なのだと思いこまされている : メキシコからヨーロッパへ追放しよ、つとい、フのだから、こ の構想はかって家康の国造りの構想に次ぐ規模のものとい 十五 ってよかった。 生又右衛門宗矩は、将軍秀忠の意見にも虚心に耳をか表面の理由は如何にももっともらしく、洗礼は受けなん 242
えます : : : そのような噂が立ってござりまするか」 幸村はおだやかに応じて、 「されば、上総介忠輝どのにお味方して来たのは、亡くな 「そう仰せらるれば、本多佐渡守正信どのが末子 : : : とい うより、上野介正純どののご末弟は、上杉家の直江山城ど った大久保長安、いま都にある大久保相模守、それに舅御 : この筋の人々が大坂に加担するやも知れぬ の伊達政宗 : ・ ののご養子になられたそうで : : : 」 「その事でござるよ。大御所さまは、何とそして今度のこという専らの噂で。そうなると大坂勢の指揮をとられる左 とを円満にとり鎮めたく思召されておわすが、周囲はそれ衛門佐どのとしては、ます伊達家としつかり根固めをして ししまにもお手切れにでもなるかのような噂をおかねばならぬ」 とは反対こ、、 「なるほど : : : そこで、伊達家の柱石、片倉どのヘ娘を縁 ひろめる : : : つまり、お身の娘御が片倉家へ嫁い 付けたとなりまするか」 だそれだけの事でも、噂はなかなか大きくなっての : : : 」 「ほう、それは初耳でござりまする。どのような噂が立っ 「そのことそのこと。そこでの、本多どの父子も捨ててお けず、早速上杉の家中へ手を廻して、上野介どのの末弟を て居りますので」 しよいよ父安房守の意志を直江山城が養子として送りこんだといわれている」 「されば : : : 真田左衛門佐は、、 継いで大坂へ入城、関東勢に対抗の肚を決めた。その証拠「上杉家を大坂方へ近づけては一大事というわけでござり まするな」 の縁組みであろうというわけじゃ」 「左衛門佐どの」 「これはとんた話で : : : しオし 、つこ、片倉家と、大坂方と何の 「何で、こギ、りまする」 かかわりがござるので」 「そこじゃ。今度の騒動の規模は大きい。ただ 切支丹信者「ここまで話が進んで参れば、お身は、それがしが何をい の早合点だけではなく、これに徳川家内部の御家騒動もかおうとしているかおわかりであろう。ズバリと申すが、如 らんでいる。片や松平上総介忠輝どの、片や将軍家 : : : と何であろう。大坂方へは味方はせぬ、天下の泰平を乱して いうわけでの」 はならぬゆえ : : : そう一つ、肚をお決めは下さるまいか の」 ・ : 」幸村は一笑した。 ついに本音を吐いて、松倉豊後は、出された煙草盆をキ 「人間というものは、話題の末にまで波瀾を好むものと見 304
とにかく今のルイ・ソテロは押しも押されもしない「江せておくのだな : : : そうすれば政宗はきっと将軍に、おぬ 戸の聖者」なのだ。 しの生命乞いをして呉れるだろう」 彼の浅草に建てた病院は、はじめは非人や賤民ばかりが なるほど」 集まる別種の慈善病院であったが、次第に南蛮医学と医薬 しかし、そうなると、おぬしは江戸には居れんぞ。 の効果がみとめられ、今では諸大名の奥向きへ、いろいろ : と、いう形になるだろう 0 そう たぶん伊達家にお預け : な手蔓で人りこんでいる。 なったら仙台でしばらく布教しているのだな。もっともこ したがって、彼がどこでどんな情報を得ているかで、充んな注意はいらぬことだ。転んでもただは起きない聖者ど のだからの、おぬしは : 分警戒を要する曲者になりあがっている。 ソテロはそれが腑におちたと見えて、持参のパンとその 宜しい。では、難破のことが露顕したおりの知恵だ 製法を記した手土産をおいて江戸へ戻っていった。 けは授けてやろうかの」 それからである。 長安は、あっさりと頷いたものだった。 ( どうして本多正純を失脚させるか : もうしゅう それが長安の頭を離れない一つの妄執になったのは : 卩ーーやはり、イワミドノは知恵者です。宰相のうつわで 天下は泰平になっても敵は絶えない。戦場で斬り合う代 わりに政敵というふしぎな形でじわじわと身辺をおびやか ソテロは又掌を返したようにお世辞をいったが、長安はす : : : いま重臣の中では本多佐渡と大久保忠隣の対立が不 和として伝えられている。そしてその佐渡の子の正純と、 笑いもしなかった。 イスパニヤ船難破のことが露顕したおりには、伊達忠隣に拾われて出世して来た長安とは、当然これも双方の : 私が捕まっては、累意志をついで相争わねばならぬもののように噂されてい 政宗のふところに飛びこむことだ : が松平上総介さま奥方のお身におよびます。どうそ、おとる。 そうした噂をする者がある : : : というのが曲者で、そう りなし下さいますように : : : そうだ、その前に、奥方さま なったらソテロのい、つよ、フに、さっさと相手を葬ることを の手引きで、一度政宗にありがたい天帝さまの話でも聞か 119