も人質生活がしばらく続いた。 わかるかの叔父御 ? 」 幼名のお弁丸が源次郎になって間もなく、先ず上杉家の そういうと、伊豆守信之はじっと隠岐守に視線をそそい 質となり、そこで直江山城守兼続と知り合った。兼続は父 で吐息をもらした。 すでに一度、九度山へ懇々と泰平の大切さを申し送っての安房守昌幸に師礼をとるほど心酔していたので、その子 の源次郎ともただならぬ交りを持ったらしい。 幸村に封のまま返された信之であった。 この時は、父昌幸が、徳川勢を敵として抗戦している時 五 で、そのためには是非とも上杉家の協力が必要だったから 或いは幸村が、かくべつ高慢な生まれつきだったり、粗だが、これが豊太閤の扱いで和睦が成ると、こんどは太閤 のそばへ人質とも小姓ともっかない立ち場で差し出され 暴な型の人物だったら、信之は押し返し使者をやって、 「ーーー兄の書簡を、封も切らぬとは無礼であろう」 そこで石田治郎と知り、更に大谷刑部にも眼をかけられ そう叱ってやったに違いない。 ところが、幸村は全くそれと反対だった。兄の信之は戦た。 場へ出るにしても、わざわざ猛々しく装いこらし、声を張そして刑部の娘を、石田治部少輔の媒的で娶ったことに 家康四天王の よ、信之が徳川 りあげて強がるのだが、幸村の方は少年の頃から、人を叱なっているのだが、この縁談。 ったことすらなかった。 本多忠勝の娘を妻に迎えさせられたのと同様、すべて父昌 おそらく、信之とは比較にならない大胆さを持って生ま幸の思案に出た指図であった。 父の昌幸はその頃から、やがて秀吉と家康とは覇を争っ れて来たのであろう。信之がカンカンに怒っている時で も、彼はニコニコと柔和な笑顔を崩さず、過ちあればこれて戦うものと決めていたのだ。 を詫び、主張すべき理由があればそれを通した。 そして、それは秀吉の生前は実現しなかったが、死後二 したがって、兄同様、はげしい戦国の変転の中に育ちな年目に関ヶ原の役となり、少しも父の信念をゆるがせはし なかった。 がら殆んど敵を作らなかった。 西軍が敗れて、昌幸は、兄信之の戦功によって助命され 信之が家康の手許へ差し出されて育ったように、幸村に 297
でに信之は知っていた。 若しそうなると、家康は小田原城の人質となり、それこ そ天下はてんやわんやの騒ぎになろう。いや、すでにそれ は世間の表面からは見えないところで、はげしくうねりだ してしまっている。 信之とて、すでに天下がこのまま治まりそうにもない現江戸からは土井利勝が血相変えて中原に飛び、彼の進言 下の雲行きはよくわかっていた。 で、ひとます家康は小杉の茶屋に移っているのだ : きん「は , 、 大久保長安の事件にかかわる諸大名の処分を済ませ、ホ そうした緊迫した事情の中で、もし、信之の弟の幸村 ッとして江戸を発った家康が、どうして小杉の茶屋を動け ; 、大坂へ人城してゆくようなことがあったら、徳川家の なくなっているのか : : : その理由もよく知っていた。 内部からも、江戸と大坂の間も、取拾のつかない大混乱に それに、上方に赴いていなければならない筈の大久保相なって行こう。 模守忠隣が、いまだに小田原城を発ってはいない原因も : それだけに、隠岐守のすすめが無くとも、信之自身で九 度山へ飛んで行って幸村をおさえたいところであった。 昔気質の忠隣は、わが身の上方派遣の命令を、本多正 しかし、それは簡単に出来ることではなかった。という 信、正純父子の陰謀と断じている。 のは、亡父昌幸の妄執を受け継いでいる幸村が、素直に兄 本多父子は政敵である忠隣を葬るためには、どのようなの言葉に従うような人物ではないことを、これも又よく知 っているからなのだ。 手段も選ばない奸悪な獅子身中の虫なのだ : : : そう思いこ これは決して性格の相違や利害の対立などの問題ではな んで、家康の駿府帰還の途中を擁して、これを小田原城に 招じ人れ、家康に直諫して、本多父子を将軍の側から遠ざ けようと計っている : : : という、実は密訴が、家康が武蔵 強いていえば「人間ーー、」本来の見方と解釈の相違であ 中原まで来たおりにあったらしい : と、その名もす家康も、そして信之も、人間は教育の仕方次第で、理性 それをしてのけたのは馬場八左衛門 : ・ ( それを隠岐は知らない : そう田 5 うと、信之は、どうにもならない切なさを覚える のだ。 っ一 ) 0
と、伊豆守信之は声を荒らげた。 「よこ、八ム八帰どのに・ 「この話はこれまで ! 叔父御もまた真田一族じゃ。大体「さよう、松倉どの領地は九度山にも遠くない和州内にあ わが家の血筋には、困った偏執癖があるらしいそ」 る。宜しゅ、フござるかな。わしがカンカンに怒って、近け 「さよ、つで、こギ、ろ、フかの」 れば、討手を引き受け他人の手は借らずに打ち果たしたい 隠岐守もムッとして、 と申している。さりながら、兄弟喧嘩は亡き父上も喜ぶま 「それとも殿は、、。 : と、説かせるのじゃ」 しさ合戦となっても、豊臣方に勝味があい。そこでお扱い申したいが : るとど、ってござるのかな」 「はて、それが、源次郎どのの心をどう動かすと思わっ しやるぞ」 「叔父御 ! 」 「なんでござる」 信之は又もどかしそうに舌打ちした。 「それほどその事にご執心ならば、何故ご自身で幸村をお「叔父御も少々逆上気味と相見える。これをむげに断わっ 訪ねなさらぬのじゃ」 たら、九度山は、松倉豊後のきびしい監視に遭わねばなら 「これはしたい - , 殿のお手紙さえ、封も切らずに返すおぬことになろうが」 方じゃ。もともと大御所側と見られているこの隠岐が参っ いわれて、始めて隠岐は膝を叩いた。 たとて、門前払いは知れてある。それゆえ、こうして殿に 頼んでいるのがおわかりないとは情けな、 「なるほど : 「さらば、もう一つだけ知恵をお賃し申そう。よろしゅう : これは妙 ~ 案じゃ」 ござるかの。親書を突き返されて、兄のわしがカンカンに 隠岐守が素直にうなすいたので、伊豆守信之も語勢をゆ 怒っていると : るめた。 「わしは行かぬ。行っても無駄じゃ」 「幸村にとっては、遠い信の地にある兄よりも、近くの 「誰が叔父御に行けと申したそ。叔父御では会うまいゅ他人の監視の眼がずっと怖い。この松倉豊後が訪れたら、 え、幸村とも父とも懇ろだった松倉豊後どのに頼むのまさかにすげなく玄関払いもなりますまい」 「その通りじゃ」 299
を主とし、法を守る「泰平人ーーー」になり得るものだと信 真田隠岐守は、さじを投げたように舌打ちした。 じているのに対して、亡父の昌幸は、 「大御所は、どこまでもわが真田一族を信じておわす。こ 「ーーーそれが理性を失った妄想よ。人間とはそのように綺こで天下を乱しては、信長、秀吉、家康と、三代にわたる 麗好みのものではない」 六十年の努力が無駄になる。頼むそと、このわしに仰せら 一言のもとにその説を否定し去る「カーーーー」の信奉者でれた。これは決して天道にそむくことではなく、後々真田 あった 家のためにならぬことでもない。それなのに、殿はただ一 弱肉強食は、動物、生物、植物界を問わず、地上一切度の手紙だけで、肉親のご舎弟を見捨てなさろうとする。 の、どうにもならない実相なのだ。したがって、人間の世二度で聞かすば三度、三度で聞かずばご自身で出かけられ 界から戦争を無くしようとする : : いや、それが出来るとる : : : その位の真剣さを持たれてこそ、亡きお父上への孝 じギ、 道が立っと思うが : 考える家康の考え方は児戯にひとしい。 「叔父御よ。まず待たれよ」 といって、人間の中には決して魔神羅刹も生まれるもの 伊豆守信之は、これも続けざまに舌打ちした。 ではないゆえ、すぐ又倒した者が倒されて、この世に人間 のある限りくり返し戦は続いてゆくものだと、生涯家康を 「では申そう。叔父御は、自分の兄であるそれがしの父を 知らぬのじゃ」 嘲笑って逝ったのだ : 「 , ーーー源次郎よ、よいか、そなたは決して徳川どののよう 「これはしたり、安房守は殿のお父上ながらそれがしに取 な、お人好しになるまいぞ」 っても幼ないおりから共に戦場を馳駆して来ている兄上、 それを知っているだけに、うかつに動いて、幸村の拒絶知らぬなどとどうしてお決めなさるのじゃ」 にあうと、ここにも又、取拾出来ない、引っこみのつかな 「いや、ご存知ない : : : お父上はの、ご存知のように子供 い妙な波瀾を一つ増すばかりの結果になるのだ : のおりには、武田信玄公の六人小姓の随一だった」 「仰せまでもない。御小姓の中でも抜群での、これこそま ことの麒麟児そと、信玄公に度々舌を捲かせたお方じゃ」 「それ、その事よ。お父上は、偉すぎたのじゃ。その偉い 「殿は、わしには答えぬおつもりらしい」 294
「ほほ、つ」 収紋を描き、ここ真田家だけでなく、外様大名一般に薄気 と、隠岐守は話の腰をおられて、これもひどく不満そう 外わるい暗雲の低迷を感じさせていた。 家康は江戸を去っている。しかし、そのまま駿府へは戻であった。 っすに、武蔵中原から小杉の茶屋に移って、いま、そこに 「殿は、本多忠勝どのの婿ではない。当方の奥方さまは、 仙在しているということだった。 本多の娘御ながら、大御所さまのご養女にござる。さすれ 悩をお ば大御所さまは殿の舅御、ここではその舅御のご苦 この思いがけない道中の滞留で、一層諸侯の不安と臆測 察しあって、九度山の源次郎どの ( 幸村 ) をお説きなさる かき立てられているらしい。 か義にも情にも叶うこととは思われませぬか」 「数えてご覧なされ」 と、隠岐守はいった。 「又黙られる : : : 宜しゅうござりまするか。九度山の源次 「うわべのことだけでも尋常な波立ちではござりませぬ 0 第一に、大御所が、わざわざ片桐市正を呼ばれて、先郎どのは捨てておくと、大坂城に入られそうな気配濃厚 : ・ 2 : と、田 5 、ったら、 ・ : そうなると、ご兄弟で、又ぞろ血で血を洗わねばならぬ 2 プ豊家に一万石の加増を仰せ渡された : 一」とにな、り・、ましよ、つが」 J たんにこんどは荒療治じゃ。宜しいかの殿、十月一日、 - っ亠 92 ~ 野板鼻の城主里見忠頼改易さる : : : 同じく十三日、中村しかし伊豆守は答えなかった。 い一の遺臣旧領を没収さる : : : 同じく十月十九日、信濃深 ( この叔父は、真田家の宿命ともいうべき、父の気性を知 ハ城主石川康長豊後佐伯に流さる : : : 同じく十月二十四らないのだ : 、伊予宇和島の城主富田信高、日向延岡の城主高橋元種 いや、真田家の宿命 : : : というよりも、それは、亡父安 を没取さる : : : 続いて信濃筑摩藩主石川 房守昌幸の生涯を貫いたふしぎな執念と見識といってよか つ」 0 「も、フわかって、こギ、る ! 」 と、伊豆守信之は無機嫌にさえぎった。 その父の許で、関ヶ原以来すっと教育されて来ている弟 「将軍家のご決意が並々ならぬことも、大御所のご苦悩のの幸村だった。幸村には兄信之に動かし得ない別の「信 ( いことも、信之、よ、つ存じてごさる」 」が巨石のように据えられてしまっている。 れゝ、
又右衛門は、この話を聞かされて少しもおどろかない顔「すると、すると、大坂方では、すでに戦備に入っている といわっしやるかツ」 ) けは覚えておこうと田 5 った。 その訊き方があまりに切迫していたので、 全然動じた様子のない顔は残念ながら家康のほかには一 もない。 「その儀ならば案ずるな、わしが手を打ってある」 ただ本多正信だけが、おどろいてはいたが、その愕きの家康は、軽くこれをたしなめた。 ハに、薄気味わるい静けさをたたえていた。 十四 挈、、フ、か 0 したが、その噂がすでに根付いたという証拠 : 何そ、他にあると申すか」 「手を打ってある : : : と、仰せられると」 「ござりまする」 忠世は、みんなの注意が、自分の質問に集中されている と又右衛門は、わざと微笑をうかべていった。 のを意識して家康に問い返した。 ー紀州の九度山に隠棲しある真田昌幸の許へ使者を差し立家康は、、 しよいよ ~ 爭もなげに、 、ました。大野修理と相談のうえ渡辺内蔵助が参りました 「その儀ならば伊豆守に命じてある。伊豆守は舎弟を、謀 2 でつで」 叛に加担させてはならぬ義理をわが家に持っている」 ーしかし、昌幸はすでに死んで居ろうが」 と、軽 / 、いった。 ー御意 : : : それで使者もびつくり致し、急いで立ち帰って そういわれると、忠世も頷いたし、一座している他の J の旨を告げましたので、それでは伜を迎えてはどうかと人々も頷いた。 、う議が、目下もつれて居るところではないかと存じま 信州上田の城主真田伊豆守信之は関ヶ原の役のおりに、 % はい。伜の幸村では頼りにならぬと申す者 : 西軍に味方した父安房守昌幸と弟の左衛門佐信繁 ( 幸村 ) 、にあらず、幸村こそは親まさりの軍師じゃと申すもの生命乞いをして家康に助けられている。 その義理があるので、こんどは家康が伊豆守信之に手を そこまでいったときに酒井忠世が顔いろを変えて又右衛廻して、信繁改め幸村に、軽々しく動くことないように説 」をさえぎった。 かせてあるという意味らしかった。
「そして、兄の怒り、叔父御の心痛、大御所の決断など、 「そ : : : それは、まことでござりまするか殿」 いろいろと説かせたら、如何に幸村とて、木で鼻をくくる 「そうならねば、こんどの事は済まぬ筈じゃ。ということ ような返事もなりますまい」 は同時に、同じ危険が九度山の真田幸村の身の上にも、あ 「わかった ! やはり殿も真田のお血筋、並々ならぬ知恵り得ると匂わすことでござる」 のかたまり・じゃ」 「源次郎どのの身にも : : : のう」 信之は苦笑して、 「さよう、そのおりには、松倉豊後が検屍を命じられよう 「ようやく機嫌が直ったそうな。宜しゅうござるかな。大 : 豊後にそういわっしやるがよい。さすれば、豊後の説 和の五条町から松倉豊後守重正が、じっと真田幸村の動静き方も真剣になる筈じゃ。豊後が真剣になれば幸村も、或 を監視している : : : となれば、仮に幸村に大坂人城の意志 いは考え直さねばならない破目になるやも知れぬ : : : と、 があったとしても動けぬわけじゃ。動けぬように縛ってあ このあたりで、わしの知恵も種切れじゃ。あとは運を天に れば、叔父御の案する不幸も近づけまい。それに : 任せてゆくより他にない」 「それに・ 信之は投げ出すようにいって、それから手を鳴らした。 「もう一つこういわっしやるがよい。近々大久保相模守 ここにも何時か夜がおとずれて、あたりはすっかり暗く なっている。 が、京、大坂の切支丹信徒の鎮圧に赴こうと」 「赴きまするかな。また大御所は小杉のあたりにござるの「灯りを持て。用は済んだぞ」 真田隠岐守は宵闇の中で、もう一度感心したように膝を 「お案じ無用。大御所のご気性ゆえ、将軍家のご決定は、 からめて どのようなことがあっても実行させるに相違ない。 「殿、これはなかなかもって搦手ではござりませぬぞ」 が、この大久保相模守のもう一つのご用向きは、実は都か 「いかにも、これは大手攻めじゃ。幸村は搦手攻めで降る ら加賀へ談判することにあると」 ような生まれつきの男ではなかった。あれはあれで自信の 「加賀へ : : : 何を談判なさるので」 かたまり、実は父上にいちばんよく似ているのかも知れ ぬ」 「さよう、高山右近太夫の追放か、切腹かじゃ」 300
わが家の不孝者とは思うまいぞと : : : 」 も西軍が勝った時にはどうなるか ? あの戦の主謀者は石 「それならば、この隠岐とて度々聞きました。つねに深意田も大谷も直江兼続も、お父上にとってはみな弟子同様の ~ お方ゆえ、殿は大御所の許へ差し出され、源次郎どのは人物じゃ : : : あわよくば天下を取るか、取れなくとも百万 〈閤さまの許へ差し出されて、つねに変事に備えられた」石の大々名にはなれるゆえ、ここで西軍に賭くべきものと 「その事よ。叔父御は、関ヶ原のおりにお父上が何故西軍仰せられた。お父上は笑ってそれを仰せられたが、わしは 」お味方なされたか、その肚づもりをご存知か」 その時ゾーツとしたのだ : ・ : 生き方の相違 : : : この世のあ 「それは、直江山城にせよ、大谷刑部にせよ、石田治部に りようの見方の相違 : : : これたけは、動かすことの出来な 」よ、みな格別ご懇意の間柄ゆえ、その義理を果たさんも いものだと : : : 」 「違う違う」 「そして、その賭けはお父上の負けに終わった。わしはお 父上の生命乞いを、大御所に、自分の生命を投げ出して致 信之は手と首を一緒に振った。 したのだ : 「そうではないのだ。人の世はのう、戦乱が常態で、泰平 その間にわずかに点々とおかれてゆく休息の場にすぎな 「それはよう、存じてござる」 そういう根強い現世の見方に根ざしていたのだ。泰平「その時もお父上は笑っておわした。徹底しておわすの どは決して十年とは続くべきものではない。 だ。さて、これから何年泰平が続いてゆくか。今度は十年 人の一生は戦争に賭くべきとのご信念で、関ヶ原の戦ほどは続くかも知れぬ。が、家康は人が好いゆえ、大坂を 七分三分に見られたのじゃ」 残すであろう。それゆえ、わしは流されて紀州の地でその 「七分三分 : : : といわれると、西軍の方に七分の勝味があ日までゆっくりと休養しなが策を練るそ : : : と、いわれた のじゃ」 「そうではない。西軍の勝味は三分じゃ。よいかの。しか 「やつばり、世のつねの方ではない ! 」 七分の方に賭けて勝っても、せいぜいこの信之の十万「そうじや世のつねのお方ではない。そのお方が、次の戦 一、二万石が加わるだけであろう。ところが万て は江戸と大坂そと、明け暮れ教えながら育てた源次郎 : なぜ っ 296
3 方が、あまりに戦をなされすぎた : : : 先ず長篠の戦で源「それと今度の九度山口説きと何のかかわりがござります ~ 左衛門信綱と、兵庫丞昌輝の二人の兄を失われ、三男なる」 「まあお聞きなされ。お父上は、大御所にいわせると兵 らご家督をお継ぎなされてから、一度も戦に負けたこと 学、兵法の鬼であったが、同時に病人でもあったことにな 〃なし」 「その通りじゃ。昔語りの川中島の合戦のおりには、武藤るのじゃ」 「これはしたり、安房守を病人などと : 一〔兵衛のお名で功名なされた。これが初陣での。その時は 「さよう、天下にこの病人は三人あったそうな。その一人 ー四歳と聞いている。それ以来、小田原攻めでは馬場美濃 の監軍、韮山攻めでは、曾根内匠と共に信玄公はわが双は黒田如水、もう一人は伊達政宗、それにこなたの父の安 眠よとお褒めなされた。それから沼田城を手に入れ、更に房守昌幸 : : : 天下はつねに乱と共にあるものゆえ、その主 旧州上田城三万八千石を手中におさめられて、信長公の天になりたいものと、つまり天下取り病の三峰となあ。源次 郎は、幸村は、その父の理想の子なのじゃ。わかるかの叔 亠十年の甲州攻めのおりには、勝頼公を救わんものと、自 枳の上州岩櫃山城に人るようおすすめなされた : : : 勝頼公父御 : : : 」 はそれを聞かす山田の岩殿山を頼んだおかげでついに天目 四 国の露と消えられたが : 「だからと申して、見捨てる気では : 「叔父御 ! 」 へきえき また隠岐守が口をはさむと信之はあわててさえぎった。 と、信之は辟易してさえぎった。 : しかしそ「後を聞かれよ。こう申したからとてお父上がただの戦好 「叔父御の申されるとおり戦えば必ず勝った : きと思っているのではない。お父上は、わしには大御所の 〕勝利が父上を誤らせたのたといえないこともあるまい いうならば、上杉家の直江兼続も、豊家の大谷刑部、石田養女を、源次郎には大谷刑部の娘を、それぞれ娶合わせて 部少輔なども、みなお父上の兵学に心酔したといってもおいて関ヶ原の合戦のおりには西軍にお味方なされた。そ よい。が、これ等の人々はみな戦を好んで身を危くしてごのおりのお言葉を、今でもわしは忘れることが出来ない。 伊豆守、これで、どちらが勝っても真田家は存続する。父 295
なんといわっしやるでは、大坂ご人城は、父安房守の面目は野盗、野ぶせりの類と選ぶところが と、すでにご返事でもなされたといわれるのか」 無くなろう : : : そのようなことは幸村には出来申さぬ」 幸村はゆっくりと首を振った。 いわれて、松倉豊後はキョトンとした。 「むろん、また承諾。 よ致してござらぬ。さりながら、入城 を断わろうともまだ : 「左衛門佐どの、それならば、伊豆守や、隠岐守の顔を立 ( 幸村はいったい何を考え、何をいおうとしているのか : てて、いや、かく申すそれがしの為めにも、ここでは一 つ、関東へお味方と肚を決めては下さるまいか」 松倉豊後には咄嗟にそれがわからなかった。 松倉豊後が言葉を切るのと、幸村が問い返すのとが一緒「すると : : : すると、おん身は、大坂方が負くると知って であった。 も味方せねばと : 「豊後どの、するとご貴殿は、幸村が大坂城に人らなけれ 幸村は頷く代わりに吐息をし、それから再び微笑を見せ ば、戦にはならぬという確証をお持ちでござるか」 「確証 : : と、申しても」 「ご合点がゆきませぬか」 「そこでござる。左衛門佐はまた、入城と決めては居ら 「行きませぬ ! 兄上の伊豆守が、お身を案する : : : これ ぬ。さりながら、入城せねば済むまい : : と、秘かな憂い は、肉親の情として当然のことながら、大御所のお言葉に も捨てては居りませぬ」 は並々ならぬ味と含みがござろうに 「これは奇怪なこと : : : 仮に大坂方へ加担なされても、敗幸村は、こんどはそれに答えなかった。 軍は知れてあること。それを知っても尚豊家に殉じなけれ そういえば、彼自身、自分の思案の中に矛盾があるのを ば済まぬ義理がある : : : と、聞こえ申すぞ」 よく知っているからだった。 「それで宜しい。さもないと、父は、この世に戦は無くな彼は決して家康を憎んではいなかった。いや、むしろ、 らぬものという、わが身の見方を奉じて、この九度山に隠稀有の度量と、尊敬さえしているのだ。 棲し、戦の請負人になり下ったことに相成る。そうさせて しかに兄信之が、本多忠勝の婿として徳川方にあったに 306