「そして、兄の怒り、叔父御の心痛、大御所の決断など、 「そ : : : それは、まことでござりまするか殿」 いろいろと説かせたら、如何に幸村とて、木で鼻をくくる 「そうならねば、こんどの事は済まぬ筈じゃ。ということ ような返事もなりますまい」 は同時に、同じ危険が九度山の真田幸村の身の上にも、あ 「わかった ! やはり殿も真田のお血筋、並々ならぬ知恵り得ると匂わすことでござる」 のかたまり・じゃ」 「源次郎どのの身にも : : : のう」 信之は苦笑して、 「さよう、そのおりには、松倉豊後が検屍を命じられよう 「ようやく機嫌が直ったそうな。宜しゅうござるかな。大 : 豊後にそういわっしやるがよい。さすれば、豊後の説 和の五条町から松倉豊後守重正が、じっと真田幸村の動静き方も真剣になる筈じゃ。豊後が真剣になれば幸村も、或 を監視している : : : となれば、仮に幸村に大坂人城の意志 いは考え直さねばならない破目になるやも知れぬ : : : と、 があったとしても動けぬわけじゃ。動けぬように縛ってあ このあたりで、わしの知恵も種切れじゃ。あとは運を天に れば、叔父御の案する不幸も近づけまい。それに : 任せてゆくより他にない」 「それに・ 信之は投げ出すようにいって、それから手を鳴らした。 「もう一つこういわっしやるがよい。近々大久保相模守 ここにも何時か夜がおとずれて、あたりはすっかり暗く なっている。 が、京、大坂の切支丹信徒の鎮圧に赴こうと」 「赴きまするかな。また大御所は小杉のあたりにござるの「灯りを持て。用は済んだぞ」 真田隠岐守は宵闇の中で、もう一度感心したように膝を 「お案じ無用。大御所のご気性ゆえ、将軍家のご決定は、 からめて どのようなことがあっても実行させるに相違ない。 「殿、これはなかなかもって搦手ではござりませぬぞ」 が、この大久保相模守のもう一つのご用向きは、実は都か 「いかにも、これは大手攻めじゃ。幸村は搦手攻めで降る ら加賀へ談判することにあると」 ような生まれつきの男ではなかった。あれはあれで自信の 「加賀へ : : : 何を談判なさるので」 かたまり、実は父上にいちばんよく似ているのかも知れ ぬ」 「さよう、高山右近太夫の追放か、切腹かじゃ」 300
せよ、関ヶ原のおりの強敵真田昌幸父子を、今日こうして幸村が味方すると否とにかかわらず、戦は決して止め得ま 安穏に生かしておくというのが、すでに戦国武将の常識と しとい、フことで、こさる」 「よこ、火よ . しては稀有のことであった。 ( 豊太閤ならば : 「ご貴殿も、心のどこかでそれは感じてござる筈じゃ。こ ( 信長ならば : の世から戦を無くそう、この世をそのまま生きた浄土にせ そう思ってみるたびに、家康の行為には量りがオしイ 、、こ、言仰ねばならぬ : : : それが大御所の夢ながら、この世に戦は絶 との対決が感じられる。 えぬもの : : : そういい切った父の言葉にもまことはござ その家康が、今度も幸村を、大坂方に味方しないというる」 ことだけで大名に取り立てようといっているのだ。おそら 「それと、これとが、ムマここでかかわりあろ、つか」 くそれは、家康の、世のつねの計算を超えた、人は一切神「いやいや、戦は必須 : : : と、見てくると、はじめて豊家 仏の子という「人間観 , ーー」に発したものに違いない ご当代の哀れさが、身にしみじみと見えて参る : : : 幸村に しかし、それがわかれば、わかるほど、幸村には、こだ は、それが : : : それが、たまらぬのでござる」 わらなければならないもう一つの立ち場が、眼を剥いて来「いよいよもって奇ッ怪な」 るのである。 「奇ッ怪でござろう。世のつねのお方には、筋の通らぬこ 「そうか。やはり幸村どのには、大御所の心が通じないのとに違いない。それを思えばこそ兄上のご親書も封のまま 力」 ・松倉どの、幸村は、どうせこの世に絶 でお返し申した : 「豊後どの」 えない戦とならば、それに勝って出世を希おうより、哀れ 「通じなければ、わしの訪問は無駄であった : : : そろそろな遺孤に、六文銭の旗ひとさし、贈り加えて果てたいので お段するとしよ、フか」 ござる : : : 」 「松倉どの、ただ一つだけ、申し上げたい儀がござる」 十三 「今更 : : : 何であろうそ」 「大御所にも、兄上にも、これだけお申しおき願いたい 松倉豊後は息がとまりそうになった。 307
断言をしてのけた。 「それほど皆が急く用ならば : 「では申し上げまする。真田幸村が閑居する紀州の九度山 治長は、又チラリと淀の方を見やって、 から、当大坂城への通路、紀伊見峠から大和の五条にか 「そのお話は、何れ後刻 : と、さえぎったが、内蔵助はきかなかった。 け、松倉豊後守は六、七百の兵をもって固めましてござり まする」 「これはしたり、ここに在すは、ご母公さまと明石どの、 誰はばかるところが、こざろ、つ。いよいよ〔旧に火が占 ~ きかけ 「どうしてそれを。寸時も猶予ならぬ戦支度と見らるるの た : : : 寸時も猶予はなりませぬ」 そういわれると、明石掃部も、 淀の方はすかさす鋭く間し、 、返した。 「それがしが同座してあってはならぬお話ならばご遠慮仕 内蔵助はそこで改めて淀の方に向き直った。 るが : 「こうなるまでに二つの交渉が重ねられてござりまする。 「いや、大いに聞いておいて頂きたい」 その第一は、幸村に大坂入城を断わり、江戸へ参れば一万 2 実は、内蔵助だけでなく、治長も掃部も、近ごろの淀の石と、松倉をもって大御所が誘わせました。むろん幸村は 3 方が、家康や秀忠の名の出ることをひどく嫌うのを知って断わりました。すると第二には信濃一国を遣わそう。それ いるからだ。 ゆえ江戸に加担せよと : : : 松倉が、大和の五条に兵を集め こは、この誘いも又しりそけたからにござりまする。ご母 おそらく彼等は、 こちらで事は好ますとも、戦はすでに始まって ( ー・ーー困ったものだ。ご母公は、ご肉親の妹御、秀忠夫人公さまー 居りますので : : : 」 に欺されている : : : ) と、歯掻ゆく感じているのに違いなかった。 「ご母公さま、内蔵助があのように申します「ご一緒に報 告をお聞きとりなされまするか」 治長が訊ねると、淀の方はあらわに不機嫌ないろを見せ て、しかし拒絶はしなかった。 「戦はすでに始まって居る」 と淀の方は、はげしく内蔵助の言葉をききとがめた。 内蔵助はそれを待っていたらしく、
「待たっしゃれ市正。その間題ならば、もう手遅れだとわた。 しは田い、つ一て」 真田幸村の入城が決定した : : というのが事実ならば、 「それは : : : それは、何故でござる」 それこそ豊家の浮沈にかかわる一大事ではなかったか。 「わしが耳にしているところでは、真田昌幸が伜のう」 「有楽さま、笑いごとでござりませぬぞ。重成は、たし、 に決った : 「左衛門佐幸村がことで」 : とは、申さなんだのでござりましよう」 「さよう、その幸村が、何といっても大御所の説得に応ぜ「いや、もう動かぬところと、わしは踏んだの」 ず、この大坂城へ入って来るそうな。それそれ、そんな妙有楽は、またニャニヤ笑いを納めず、 な顔をなさる。何故わしが知っているかというのだろう。 「市正も、わしも、巧々と棚上げされてしもうたものよ。 実は、わしの所へちょいちょい木村常陸介の伜が遊びにやもう軍事のことでは六日のあやめでの、あっさりとつんば って来るのだ」 桟敷へ押しあげられたぞ」 「あの、重成でござりまするな」 「まさか、そのような : 「そうじゃ。あれは近頃の若者に珍らしいしつかり者「とゆうても、現にお許も何の相談もされては居らぬ。ど じゃ。もっとも母の右京太夫がしつかりして居るからだが うやら豊家の戦奉行は大野修理やら明石掃部やらわからぬ の : : : あれもわしと同じようなものでな、豊家に恩があることになったようじゃ。そこへ真田幸村だの長曾我部盛親 しげこれ ような : : : 無いような彼の父の重は、こなたも知っての だの、毛利豊前だの、後藤又兵衛だの : : いや、関ヶ原の 通り、故太閤に、妙心寺で切腹させられた関白秀次の家老おりと、今度の顔ぶれと比較してみるがよい。あまり粒が じやからの」 小さすぎての、まともに意見する気にもなれまいて。まあ そういうと、何を思い出したかニャニヤと笑いだした。 まあ、この分では戦にはなるまい : : と、わしも笑って聞 き流したまでのことよ」 「これは、有楽さまのお言葉とも覚えぬ」 つねに他人の意表を衝いて喜ぶ有楽であったが、この場「というと、こんな顔ぶれでも、戦になると思わ 0 しやる 合のニャニヤ笑いは、且元にとって少なからす不快であっ 力」 327
幸村は、間わず語りに、その覚悟を打ち明けてしまっても、大坂城の後家と遺児が哀れゆえ、これにお味方してや いる る覚といわれた」 わが身の栄達も、子孫の繁栄もふり切って大坂方へ味方「・ する : : : と、松倉豊後守にはひびくのだろう。 「たが、どうしていったい、ご貴殿は、大坂へ人鹹なさる 或いは、ここが人間の悲しいところかも知れない。人そぞ。宜しゅうござるか左衛門佐どの。紀州の浅野家では、 れそれが異った顔を持って生まれて来ているように、それすでに貴殿をきびしく監視致してござるぞ」 「それは充分 : それの考え方には他人を人れない個々の密室が存在する。 その意味では豊後は幸村の思想の部屋へは人りこめない人「いや、紀州家の監視だけならば或いは脱出も可能であろ 間だった。 う。もともと浅野家は豊家の縁類、或いはそれとなく見遁 してくれまいものでもあるまい : たが、ご貴殿は、こ ( これは、とんだ情の人だ ! ) 豊後はそう解釈した。いや、そう解釈しなければ、幸村こで大御所の秘命をおびてまいったそれがしの忠言までも もまた父の昌幸同様、百に一つか二つの大坂側の勝利に賭しりそけられた」 「その儀は何とも : ける大博奕打ちという答えになってくるからだった。 「そうなると、もう一度、それがしは左衛門佐どのを説か 「いや、それがしはよい。それがしは、左衛門佐どのはや ねばならぬ」 はり安房守どののお子であった : : : そう思えばそれで済 済まぬことが一つござるぞ」 豊後は豊後で、誠実な情において、幸村に劣る気はなかむ。が、 「、一」ギトり・ましよ、フなあ」 った。彼は膝の前のタバコ盆をおしのけるようにして、 「ご貴殿の考えには、始めから一つ、大きな考え落ちがあ「ござるとも ! われ等はこれより関東へ立ち帰って、と るよ、フに、い得るが々 . 扣であろ、つ ? 」 にかくこの儀を大御所に復命せねば相成らぬ。そこじゃ間 「考えおち : : ・・」 題は : : : 大御所はお身も申されたとおり、何とぞしてこの 「さよう。ご貴殿の覚はわかった , ご貴殿は、戦は避世から戦を無くしたいー この世を浄土にしたい想いで凝 けられぬものと見る。そして、必す敗れるとわかっていてりかたまっておわすお方じゃ。その大御所が、お身は大坂 308
も人質生活がしばらく続いた。 わかるかの叔父御 ? 」 幼名のお弁丸が源次郎になって間もなく、先ず上杉家の そういうと、伊豆守信之はじっと隠岐守に視線をそそい 質となり、そこで直江山城守兼続と知り合った。兼続は父 で吐息をもらした。 すでに一度、九度山へ懇々と泰平の大切さを申し送っての安房守昌幸に師礼をとるほど心酔していたので、その子 の源次郎ともただならぬ交りを持ったらしい。 幸村に封のまま返された信之であった。 この時は、父昌幸が、徳川勢を敵として抗戦している時 五 で、そのためには是非とも上杉家の協力が必要だったから 或いは幸村が、かくべつ高慢な生まれつきだったり、粗だが、これが豊太閤の扱いで和睦が成ると、こんどは太閤 のそばへ人質とも小姓ともっかない立ち場で差し出され 暴な型の人物だったら、信之は押し返し使者をやって、 「ーーー兄の書簡を、封も切らぬとは無礼であろう」 そこで石田治郎と知り、更に大谷刑部にも眼をかけられ そう叱ってやったに違いない。 ところが、幸村は全くそれと反対だった。兄の信之は戦た。 場へ出るにしても、わざわざ猛々しく装いこらし、声を張そして刑部の娘を、石田治部少輔の媒的で娶ったことに 家康四天王の よ、信之が徳川 りあげて強がるのだが、幸村の方は少年の頃から、人を叱なっているのだが、この縁談。 ったことすらなかった。 本多忠勝の娘を妻に迎えさせられたのと同様、すべて父昌 おそらく、信之とは比較にならない大胆さを持って生ま幸の思案に出た指図であった。 父の昌幸はその頃から、やがて秀吉と家康とは覇を争っ れて来たのであろう。信之がカンカンに怒っている時で も、彼はニコニコと柔和な笑顔を崩さず、過ちあればこれて戦うものと決めていたのだ。 を詫び、主張すべき理由があればそれを通した。 そして、それは秀吉の生前は実現しなかったが、死後二 したがって、兄同様、はげしい戦国の変転の中に育ちな年目に関ヶ原の役となり、少しも父の信念をゆるがせはし なかった。 がら殆んど敵を作らなかった。 西軍が敗れて、昌幸は、兄信之の戦功によって助命され 信之が家康の手許へ差し出されて育ったように、幸村に 297
なんといわっしやるでは、大坂ご人城は、父安房守の面目は野盗、野ぶせりの類と選ぶところが と、すでにご返事でもなされたといわれるのか」 無くなろう : : : そのようなことは幸村には出来申さぬ」 幸村はゆっくりと首を振った。 いわれて、松倉豊後はキョトンとした。 「むろん、また承諾。 よ致してござらぬ。さりながら、入城 を断わろうともまだ : 「左衛門佐どの、それならば、伊豆守や、隠岐守の顔を立 ( 幸村はいったい何を考え、何をいおうとしているのか : てて、いや、かく申すそれがしの為めにも、ここでは一 つ、関東へお味方と肚を決めては下さるまいか」 松倉豊後には咄嗟にそれがわからなかった。 松倉豊後が言葉を切るのと、幸村が問い返すのとが一緒「すると : : : すると、おん身は、大坂方が負くると知って であった。 も味方せねばと : 「豊後どの、するとご貴殿は、幸村が大坂城に人らなけれ 幸村は頷く代わりに吐息をし、それから再び微笑を見せ ば、戦にはならぬという確証をお持ちでござるか」 「確証 : : と、申しても」 「ご合点がゆきませぬか」 「そこでござる。左衛門佐はまた、入城と決めては居ら 「行きませぬ ! 兄上の伊豆守が、お身を案する : : : これ ぬ。さりながら、入城せねば済むまい : : と、秘かな憂い は、肉親の情として当然のことながら、大御所のお言葉に も捨てては居りませぬ」 は並々ならぬ味と含みがござろうに 「これは奇怪なこと : : : 仮に大坂方へ加担なされても、敗幸村は、こんどはそれに答えなかった。 軍は知れてあること。それを知っても尚豊家に殉じなけれ そういえば、彼自身、自分の思案の中に矛盾があるのを ば済まぬ義理がある : : : と、聞こえ申すぞ」 よく知っているからだった。 「それで宜しい。さもないと、父は、この世に戦は無くな彼は決して家康を憎んではいなかった。いや、むしろ、 らぬものという、わが身の見方を奉じて、この九度山に隠稀有の度量と、尊敬さえしているのだ。 棲し、戦の請負人になり下ったことに相成る。そうさせて しかに兄信之が、本多忠勝の婿として徳川方にあったに 306
セルの先で引き寄せた。 「はい。父の考え方が間違っているとは思いませぬが、し 幸村は、ここでもかくべっ顔いろは変えなかった。はじ かし、父が関ヶ原の戦のおりに、われ等と共々上田城にあ めから予期していたのかも知れない。 って、いまの将軍家の上洛をさえぎった : : : あのおりの賭 しばらくひっそりと考えて、それから全然別のことをい けとはいささか所存を異にしてござる」 い出した。 「ほう、すると、始めから大坂方へ加担など、考えたこと もないといわっしやるか : : いや、それならば安堵致した。 「兄伊豆守は、それがしが親書を封も切らすにお返しした 実はの、それがしは真田隠岐守に頼まれて、西の丸におわ わけを、誤解なされておわすようで」 す大御所のご意見も内々で訊いて参ったのじゃ。左衛門佐 「え何と仰せられる」 豊後は思わず、吸いかけたキセルを口から離して訊き返どのを大坂城に人れてはならぬ。この儀は、紀州の浅野 に、厳しく見張りを申し付けてあるゆえ、まず大丈夫とは 思うが、そなた参るならば呉々も、その儀を左衛門佐に伝 えてくれといわっしやった。つまり、大坂へ入らぬ代り 3 「お兄上が、お身を誤解なされて : : : ? 」 に、信濃の内において一万石下さる。それで兄弟仲よう、 重ねて訊ねる松倉豊後に、幸村はかすかに笑ってみせ泰平の世の治績をあげて見せてくれまいかと」 松倉豊後に一気にいわれて、再び幸村の頬には血がのば つ ) 0 「たぶんそれがしは、この世に戦は無くならぬという、父 の考え方に動かされ、大坂方に加わって大きな賭けに投じ 「お待ち下され。ご貴殿は、それがしの言葉の意味をお取 てゆく : そう申しはしませなんだか」 り違えなされておわすようじゃ」 「フーム」 「なに、言葉の意味を取り違えたと : 松倉豊後は癇性にキセルを叩いた。 「如何にも。それがしはお父上のごとく勝敗を賭けは致さ : とも、申しては 「すると、お身の考えは、そのようなものではない、といぬ。さりながら、大坂へお味方しない : わっしやる ? 」 居りませぬ」
うておわしたので、安房を敵に廻したかと、武者震いなさ 「恐れ入ってござる。実は、ここもと諸国からさまざまな 訪客がござるゆえ、偏りなくお断わり申して居るまでのこれたのだそうな」 とでごギ、る」 「ほう、すると大坂人城をご決意なされた : : : それで徳川 と、幸村ははじめて笑った。 家ゆかりの者とは会わぬお覚悟、という世評は違って居り 「まさか、それほどご小胆な大御所でもござりますまい。 ましたかの」 が、実のところ、大坂から参った使者も、父が亡くなって 「いかにも、世間のロに戸は立てられませぬ。さりなが いたと知ってがっかり致したようでござる」 「さようでござろうて。して、大坂からは何者が見えられ ら、亡父もわれ等も、兄伊豆守の並々ならぬ働きにより、 ・」 ! 真中の身ましたな」 ようやくこの地へ隠棲を許されたる世捨人 : : ・↑ 「はい。大野修理の内命を受けたと申し、渡辺内蔵助どの を想、フてのことでござる」 いったん上げると、幸村はもう隔意ない話ぶりで、松倉が見えました」 豊後守を座敷に通した。 幸村は、明るい表情で淡々と答えた。 豊後は座嗷へ入るとすぐに床の間と並んだ仏壇の前に坐 その話しぶりにも表情にも、何の隔意も苦渋も感じられ つ ) 0 ない。どこまでも大らかな友情にみちみちた応対に変わっ 如何にもそれが第一の目的でもあったかのごとく、香をていた。 供えて合掌瞑目していくのである。 十 「亡父も、さそ喜んで居ることと存する」 「左衛門佐どのの前じゃが、大坂の使者どもが、この九度「ところで左衛門佐どの、お身はお娘御を、伊達家の片倉 山を訪れたと耳になされて、大御所さまは顔いろ変えさせ トにに、、、麦継ぎのところへ縁付けられたそうでござるの」 られ、しばらく拳をふるわしておわしたそうな」 松倉豊後は、凡そ用向きとはかけ離れたところに話題を 「それは又、何故でござりましよう」 「お身を恐れたのではない。お父上はまた健在 : : : そう思 「如何にも、お世話下さるお方がござって」 303
又右衛門は、この話を聞かされて少しもおどろかない顔「すると、すると、大坂方では、すでに戦備に入っている といわっしやるかツ」 ) けは覚えておこうと田 5 った。 その訊き方があまりに切迫していたので、 全然動じた様子のない顔は残念ながら家康のほかには一 もない。 「その儀ならば案ずるな、わしが手を打ってある」 ただ本多正信だけが、おどろいてはいたが、その愕きの家康は、軽くこれをたしなめた。 ハに、薄気味わるい静けさをたたえていた。 十四 挈、、フ、か 0 したが、その噂がすでに根付いたという証拠 : 何そ、他にあると申すか」 「手を打ってある : : : と、仰せられると」 「ござりまする」 忠世は、みんなの注意が、自分の質問に集中されている と又右衛門は、わざと微笑をうかべていった。 のを意識して家康に問い返した。 ー紀州の九度山に隠棲しある真田昌幸の許へ使者を差し立家康は、、 しよいよ ~ 爭もなげに、 、ました。大野修理と相談のうえ渡辺内蔵助が参りました 「その儀ならば伊豆守に命じてある。伊豆守は舎弟を、謀 2 でつで」 叛に加担させてはならぬ義理をわが家に持っている」 ーしかし、昌幸はすでに死んで居ろうが」 と、軽 / 、いった。 ー御意 : : : それで使者もびつくり致し、急いで立ち帰って そういわれると、忠世も頷いたし、一座している他の J の旨を告げましたので、それでは伜を迎えてはどうかと人々も頷いた。 、う議が、目下もつれて居るところではないかと存じま 信州上田の城主真田伊豆守信之は関ヶ原の役のおりに、 % はい。伜の幸村では頼りにならぬと申す者 : 西軍に味方した父安房守昌幸と弟の左衛門佐信繁 ( 幸村 ) 、にあらず、幸村こそは親まさりの軍師じゃと申すもの生命乞いをして家康に助けられている。 その義理があるので、こんどは家康が伊豆守信之に手を そこまでいったときに酒井忠世が顔いろを変えて又右衛廻して、信繁改め幸村に、軽々しく動くことないように説 」をさえぎった。 かせてあるという意味らしかった。