「それから、ご母公さまは、こんなことも仰せられた : 、り・士しよ、つ」 今になって、太閤殿下にたった一つ怨みがあると : 「ふーむ」 於みつは、また言葉を続けた。苦しいお城勤めを終わっ 「でも、ついに思いとどまらせたは秀頼君 : : : わが子のた めには、鬼にも蛇にもならねばならぬ身が、恋にうつつをて、胸にたまっているものをみんな一度に吐き出してしま : そんな想いの於みつらしい。 扱かしてなろうかと : : : それほど思いつめておわす秀頼君 も、世間の義理では高台院のお子になります。高台院は太「殿下に怨み : : : と云えば、正室でなかったことか」 光悦が訊き返すと於みつは、ふしぎな微笑をみせて首を 閤殿下のご正室ゆえ : : : そのご正室に優しくしてわが身に 辛くあたる大御所 : : : そう思うた時が、ご母公さまの地獄振った。 こなたは若い。秀頼を 「いいえ、殿下はご病中ご母公に、 であったと思います」 連れて右府に嫁げ : : : と云われましたそうな」 光悦は、薄く眼を閉じて答えなかった。 「そのことならば、わしも、耳にしたことがなくもない」 於みつも、やはりその地獄を通って来ているのに違いな 「ご母公は、それで幾夜か寝ずに考えた : : : そう洩らして ( そうか、そんな意味での、ああまで取り乱した反抗であおいでなされた」 「それも、わかる気がするの」 ったのか : : ところ 「そして、ようやくその気になったは七日あと : 「おじさま、人はそれぞれのまことの姿は、思わぬところ にござりまする。ご母公さまがもしも太閤殿下の正室であが、もう殿下はその事を忘れたようにお口になさらぬ。い いえ、そればかりではなく、今度は石田治部どのから、全 られたら、全く違った婦徳のお方でおわしたろうに : く別のことを云われましたそうな」 そうかも知れないと光悦も思った。 「何をいわれたと洩らざれたそ」 ( 於こうにしても、あれが、わが身の妻であったら : : : ) 「殿下のご遺言ゆえ、前田さまにご再嫁あれと : 光悦は、眼を閉じたまま赤くなった。 「それも聞いた。もうお心が乱れておわしたのであろう。 太閤殿下の : : : 」
て、却って彼女を窮地に追い込むようなことをしてのけ「大御所には、今日も何ぞ清正が苦情を申しに参ったとご 用心の様子が見える」 「苦情ではなさそうだの。御身の笑い声が天井につつぬけ 「おお、よう来られた。何そ名古屋の普請について思案変 一んでも、こざってか」 もう大抵の接見は大広間で、伺候した大名と家康の距離「その儀でござる。大御所さま、清正はこの度び一世一代 は「近う」といわれても、六、七間は離れているのが普通の派手ごとを仕る。女歌舞伎の者どもにも負けはとらぬ派 手ごとを、名古屋で仕る」 だったが、清正は始めから家康の居間に通された。 「ほう、よほど面白そうな。何を思いっかれたそ」 近侍しているのは相変わらず本多正純。それにその日は 「実は先般それがし、久しぶりに大坂城へ秀頼さまを訪ね 長福丸頼宣に付された安藤直次が来合わせていた。 きした」 頼宣は当時まだ駿河、遠江五十万石の領主に擬されたま 「ほう、千姫と二人仲ようやっているとのう」 ま、駿府の父の許にあったからである。 「その儀につき、助作 ( 片桐且元 ) とあれこれ談合、大御 清正は相変わらず、そげた頬を自慢の髭髯でかくしてい た。追従の大きらいな清正は、人に向いあうと、ますその所のお心尽し、肝に銘じて落涙致してござる」 「そうか : : : 市正にも会うたか。実はの、わしも正月淀の 髯を胸へしごいて、いかにも傲岸そうに威風をしめした。 方の方からわざわざ見舞いを頂いて、この眷ほど心の晴れ その発言も咳一咳といった重厚さを見せて、 た春はなかった。そうか。では市正は、何そお許に申さな 「大御所には、何時に変わらぬご尊顔を拝し : : : 」 それは挨拶のようでもあり、威嚇のようでもあり、時にんたか」 それは、清正の娘の八十姫を、いままだ駿府にある長福 は説教のようですらあった。 「まあよい。その髯の功得はわしの方がよう知っている。丸頼宣と婚約させておきたいという内話だったのだが、清 正はそんなことは耳に人らぬらしく、 ずっとこれへ」 「それともう一つ、わしは大坂で南蛮人に会うて参ってご ざる。それがしも大御所のご方針に従って、交易を始めね ずっと前へ出て坐り直すと清正は一笑した。
「虫も殺さぬようなおだやかな顔をなされてのう」 丹の教会堂をこわし、宣教師の追放に当たっている大久保 そこへ灯りをささげた若侍が人って来ると隠岐守は、急忠隣の改易が、江戸で決定したということだった。 彳川家三代に仕えて来た大久保一族の棟梁が、僅かな仮 いで腰をあげていった。 「そうじゃ。松倉どのは、もうお城から戻ってあろう。事は瑾で小田原城主の地位を追われてゆく 一刻を争うのじゃ。夜中ながら早速お訪ねすると致そう」 忠隣はすでにその処分を、薄々知りながら小田原城を出 発して来たものらしい。家康を城内に監禁して強訴しよう としたのがその原因である。もはや主従ともども三河の地 、、、ムで苦楽を共にした頃のような、親しさになれた我儘は許さ 真田隠岐守が、松倉豊後守重正をどうロ説いたのカ 倉はそれから間もなく、再び江戸城の西の丸へ引っ返してるべくもないことだったのだ : おそらく家康は、父祖の忠勤を想って斬るようなことは 滞留することになった家康に会い、そのまま江戸を発って しかし、人のいい忠隣が、この処分を所司代か 東海道を西上すると、自領の大和から紀州へ人って、真田あるまい。 らいい渡されたときに、どんなにはげしい憤りを示すであ 幸村の隠棲している九度山の閑居を訪ねていった。 ろうかと、それを考えるだけで松倉重正の胸はつぶれそう 九度山は高野山の北の谷で、紀の川の南岸にあたってい る。大橋を南へ渡ってゆるい勾配を、右へのばると、太陽であった。 それに比べると、もう一つの高山右近や内藤如安等が加 の光りをいつばいに浴びた傾斜地に流人の住居とも思われ 賀で召し捕られたという噂はそれほど気にはならなかっ ぬ八つ棟造りの建物が建ち、廐がずらりと並んでいた。 おそらく父の昌幸が、例の気性に任せて建てたものであた。これも、たぶん殺されはすまい。というのは、高山も ろう、ちょっとした城廓を思わすほどの構えであった。 小西も何度か大坂城から迎えの密使が誘い出しに行ってい るのに、 すでに慶長十八年は暮れて、十九年の正月半になってい る。 ここで戦はしてはならない」 ここへやって来る途中で松倉重正は二つの大きな出来ご逆に密使を説いて帰して、信仰の命じるままに泰平の重 とを聞かされた。その一つは今京都にあってしきりに切支要さを説きつづけたと聞いているからだった。 301
「ーーー殊によると、お父上があまり兄上を惜しませられるとっては、かなり窮屈で気詰りだ 0 たのに違いない。 ので、神仏がおあわれみなされて、再びこの忠輝として生「何で、都鳥がより添うて泳いでいると、おかしいのでご ざりまする」 まれ変わらせてくれたのかも知れぬ」 「ううむ。わしと、お方のようだからな」 などと、自分から信康を気取ったりした。 「それならば、少しもおかしゅうはござりませぬ。あの鳥 しかし、この信康気取りを、茶阿の局は仰天してこれを も夫婦ゆえ寄り添うておるのでござりましよう」 止めた。 「ふうむ。では、内府もそろそろ寄り添うているかのう」 「ーーー決してそのようなことを、軽々しくお口になされて はなりませぬ。もしも、将軍家にわたらせられるお兄上さ まのお耳に人ったら何となされまする」 五郎八姫は、忠輝の言葉にしんけんな表情で首をかしげ しかし忠輝は、一笑に付していった。 まさか、兄上が、わしに叛心ありとも田 5 、フまいよた。 「殿の仰せられますること、わらわには合点が参りませ しよいしも、つ」 ぬ」 そうした忠輝だけに、伊達政宗の愛姫が入輿して来る前 「挈、、フか : : ど、つ〈ロ占 ~ がいかぬのじゃ」 に、もう女性は知っていた。 阿竹に手をつ「秀頼君が、ご簾中さまに、寄り添われてはならないので 家臣久世半左衛門の娘で阿竹と云ったが、 ′イ、い亠工しよ、つか」 ける時忠輝は、 「いや、いいだろう。わしは構わぬ」 「ーーーわしは、女子と交ってみようと思うが、その方相手 「わらわは殿のことを申し上げたのではありませぬ。秀頼 を致すかどうじゃ」 大声でそう云ったというので、いまだに女たちの一つ話君のこと : : : 秀頼君は、ご簾中に寄り添われては、迷惑な わけがあるのでございましよ、フか」 になっている。 「さあ : : : あるかも知れず、ないかも知れぬなあ」 そうした忠輝の許へ、伊達政宗の自慢の姫で、切支丹信 忠輝はちょっとあしらいかねた形で、 者の奥方が、きびしい戒律と共に嫁いで来たのだ。忠輝に みようと 8
於みつはハッとしたように、再びうなだれて肩を落とし と、守ってはならぬ約東がある : : : と、気がっきました」 「というと : : : 茶屋の当主を嫌うのではない : もう何を訊ねる必要もなかった。秀頼の子を産んだ自分 のはやめにする : : : いや、その方が茶屋の仕合せ : : : そう を恥じて身を引くべきだと思い定めたのに違いない。この 考え直したということになる : : : 」 思案は女子としては好もしい、やさしい心に根ざした遠慮 「その通りでございます」 といってよい しかし、それは必すしもそのまま男に通用 「於みつどの」 「十、ツ するとは限らなかった。 し」 そのようなことは超えたところで、茶屋清次が、温く於 しかと、つか ? それから、 「わしはの、その考え方が正し、 : 残念ながら今すみつを抱きとろうとしているのであったら何うなろうか : わしがその考えに賛成すべきかどうか : ぐ答える思案は持たぬ」 「おじさまは、茶屋に、さる公家衆が奥さまをやりたがっ しかもこの噂は清次自身の周囲では知れわたっている。 : としたら、清 若しここで於みつの方から破談になった : ているのをご存知ない : 次の心ばかりか面目までが傷つけられてゆくかも知れない 「それとこれとは違うのだ ! 」 光悦は、ちょっと声を高くした。 「そうだ ! 」と、光悦は云った。 「約東というものはの、双方話しあい、互いに納得したと 「今のポルトガルの船の件、あれをの、わしに頼まれたと ころで成立してゆくものだ」 ゅうて、長崎にある茶屋の当主に訊ねてみては呉れぬか。 「それは : : よう、存じて居りますが : それがよいー その返事次第で、約東を守るがよいかどう 「されば、こなたの独り合点だけで破ってはならぬもの : か、思案の足しにもなろ、つとい、フものじゃ」 : よいかの、充分に茶屋どののご意志も確めてみねばなら ぬ。男の意地はの、時に打算を超えたところにある。こな光悦にいわれて於みつは、そっと涙を拭いた。 たの計算が、必ずしも相手のための労りにはならぬ場合が よくあるのじゃ」
いや、彼たけがそう思っているのではなくて、実はその怯のそしりを免れまい。 事をいちばんよく知っているのは本多正信父子だと思った 「ご決定のことゆえ差し控えて居りましたが、この直次、 のだ。 大久保相模守で片付くようなことではないと存じまする」 そうなると、忠隣はその責を負って失脚せねばならなく 「では、どうすれば片付くと申すのじゃ」 なる : : : それでは、この長老の末路があまりに哀れゆえ、 「恐れながら、右大臣秀頼公に大坂城を出て頂く : : : それ 派遣決定の前に反対しようとして発言したのだ。 でなくば片付かぬ今度の騒擾を、お歴々はお忘れなされた ところが、それは家康にさえぎられて、すでに忠隣の派顔でご評議を続けられる。直次にとっては、まことに心外 遣は決定してしまっている。 至極の儀にござりまする」 決定してしまえば、もう何もいうことはない。それに従はっきりといい切られて、一座は俄かに色めき立った。 うより他にないからだった。 末座で、柳生又右衛門はホッとした。誰がどこでそれを 「直次、何故黙っているのじゃ。そちは、忠隣の派遣に反 いい出すかと、彼だけは始めからその時を待っていたの 対なのじゃな」 直次は黙っていた。 秀頼が移封と決まり、それを承諾してゆけば、集りかけ そう見破られたのでは、いよいよ発言は出来なくなる。 た信徒や神父も、集まろうとしている牢人どもも、野心や 「直次 ! 」 夢の置き場がなくなり、ちりちりに散ってゆく他なくなろ 家康の声が又一段と尖って来た。 「将軍家のご裁断に不服は許さぬそと申したろう」 彼等の野心を育ててゆくものは秀頼という人物ではなく 「よッ て、「大坂城ーー」という城なのだ。 「この家康でさえ、従うものを、そちが反対してみてどう ( 秀頼には野心などはみじんもない : なるのじゃ。大久保忠隣の上方派遣は決定したことなの 「そうか。すると、直次は、直接秀頼に会って大坂城開け だ。その忠隣が鎮圧に失敗した時には何とするか」 渡しの交渉をせよ : ・ : いや、その交渉の出来るほどの人物 直次もムッとした。ここまでいわれて黙っていては、卑でなければ派遣の意味はない : : とこう申すのか」 、、 6 ) 0 281
十 清正が再び以前の明るさを取り戻したのは、盃が二、三 度廻ってからであった。 それまで、何か、悔いか、自責にさいなまれているかに 清正は、手をあげて直次のロ出しをさえぎった。 見えたので、正純も直次も気を使って接待した。 「安藤どの相わかってござる。もうおロ出しはご無用に願それが、途中から再び明るさを取り戻し、高麗陣の苦心 談などひとくさり楽しそうに話して、宿所の誓願寺に引き 「と、いわれるとご承知か」 あげたのは、、・ ノッ半 ( 午後三時 ) ごろであった。 家康は、そこではじめて声をあげて笑った。 清正が引きあげてゆくと、家康は、正純に名古屋城の設 「よし、これで決まった。酒にしよう。異存はないのう肥計図を取り出させ、老眼鏡をかけてしばらくそれに見入っ 後どの」 ていた。 はい。そこまで仰せられては : : : 清正冥加に尽き 「どうじゃな、今日の肥後守のご機嫌ぶりは」 まする」 かくべっ城のことには触れず、再び図面を畳みながら誰 「どうじゃ、してやられたであろう。仲々もって、黄金をともなく話しかけた。 奪られたままで帰す家康ではない。だがのう清正どの、こ 「されば、初めは、人が違ったように見えました。日本が れでよいのじゃ。これでのう : 世界一の国になった : : : そう聞かされて、心の底から嬉し 清正は答える代わりに、またぐっと胸をそらして家康を かったので、こギ、り・寸しよ、フ」 見詰めてゆく : 本多正純がそういうと、家康ははじめて、キッと顔を挙 それは、正純にも直次にも、ふしぎな敵意の無言に見えげて正純と直次を見比べた。 る姿勢であった。と、そこへ侍女たちが、四つの膳を捧げ 「直次もそう思うか。名古屋城に黄金の鯱をのせる : : : そ て入って来た。 れは日本国が世界一になった喜びのためなのだと」 「は、。そればかりとは申しかねる : : : かと、存じます る」 「ほう、すると何のためと思うぞ ? 」 「むろん、大坂とご当家の空気の和み : : : それが嬉しかっ たのでは : 2 7
て、日々余暇々々には筆を取られているそうな : : : それ 彼は又上機嫌で五郎八姫をかえりみて、 に、そうそう、越前の兄上が禅寺に葬るように言い遺した 「こうなると、越後の築城は、万事舅御の思うままじゃ。 その方が、舅御もうるさくなくてよいかも知れぬ。長安はものを、それはならぬ、われ等は代々浄土宗、葬り直せと いわれたそうな : あれで仲々扱いにくいところもあるからの」 「まあ、そのような : 五郎八姫は、その時にはもう、全く別のことを考えてい るようすだった。 「それゆえ急くなと申したのだ。急いてわざわざ睨まれる にも当たるまい」 じっと視線を川面にすえて、豊かな頬に春の潮のきらめ きを映している。 忠輝にとっては、いまはまさに人生の陽春だった。 忠輝は、それをひどく美しいものに思った。しかし、何 と云って褒めたがよいのか、うまい言葉が見当たらないの で黙っていた。 五郎八姫は ふっと何か云おうとして、考え直したよう に又黙った。 と、とっぜん五郎八姫は酔ったような眸を忠輝に向けて「 可攵、信仰のことでそのように大御所さまをはばか らねばならないのか ? 」 「殿も、わらわと同じご信仰に帰依して下され。さすれば それを忠輝に訊ねてみようとして思いとどまった。 ちょうけん きっと、このまま天帝のご寵仆が続きましよう」 父の伊達政宗はそのことでは、つねづね家康を褒めてい 「なに、忠輝にも切支丹になれとか : 「はい。わらわは、このままの祝糧を、のがしと、つ、こさり ご自分の信仰を側近に押しつけようとせぬ。あの ませぬ」 点、大御所はさすがじゃ。やはり苦労の中で学ばれた慎し 「よし、それも道々考えよう。だが、その返事はあまり急みであろう」 くなよ。駿府のお父上の信仰はな、これまた並大抵のもの 信する信じないは理論ではなく、したがってこれは強制 ではないのた。近ごろは日課念仏六万遍の浄書を思い立っすべきものではない : : : そうした父の言葉が二重に姫に働 5
都留郡との境にあり、玉川の水源地で、甲斐国誌には、 たちの寝る所になっている。 「黒川山は共北にて、山梨郡萩原村より五、六里を距つる むろん今は空き部屋で、その部屋から天井の上の屋根裏 かねほ・ 大山なり。昔、金戸多かりし由語り伝う」 を伝って、幾筋か出口はあるようだったが、、、 於こうは気味 わるがって調べてみたこともない と出ている。そういえば黒川谷へ砂金とりにゆく子がい まだにあるやに聞いていた。 どこへ出るかわからぬ通路など、知らぬに限るという警 しかし、その金山を再び掘ろうと決心したとして、大久戒心からだった。 「於こう、温めてくれ」 保長安は、なぜ偽病まで使って一人で飛び歩かねばならな いのか。 と、に癶 1 女はいっこ。 実は、新しく金山を開くというのは口実で、例の緑の小 「わしはお前たけには無理をいう権利がある。お前だけを 箱をその中に隠匿しようと考えているのではあるまいか ? 頼り、お前だけを愛しているのだからな」 そう思って、そのこともそれとなく訊ねてみたが、それ勝手なことをいいながら人りこんで来た長安の躰は氷の には長安は答えてくれなかった。 ように冷えていた。 : : : 小箱のことなと、これと関わりはあるまい 「まあ : : : 何という冷たさ。これではお躰にさわろうぞ が、あれは、大切に土蔵の中へしまってあるそ」 ・ : 躰ならば重病人で居間に臥っている。わしも大 四 した物好きよ」 長安はその夜も、暁方になってこっぜんと於こうの枕辺 於こうは、やむなく長安の上躰に両手をまわして抱いて に立っていた。 やった。微熱があるので相手は快いに違いない 邸内にはさまざまなぬけ穴の通路があり、廊下からやっ於こうの方はガタガタと震えの来るのをどう防ぎようもな て来ない時には、押し入れの中にしつらえた階段をおりてかった。 来た。 「こんなご無理をなされて : : : いったい、このお屋敷で、 その階段の上の中二階は、普通於こうの使っている小婢何人、殿の秘密をご存知なのでござりまする 2
「では、こう致しましよう。ソテロはいったん召し捕らね ば相成らぬ。仮にも大御所やわれ等の命によって出した船 「政宗は上様と一心同体、上様の思召のように行動致しまを、故意に沈めたのだ。いや、故意にとはいうまい。過失 であった する。上様は将軍家にわたらせまするそ」 と致しても、これは一応たださねばならぬこ とじゃ」 「何を政宗などはばかる事がござりましようや。政宗が、 「、こ、もっと・も」 この嘆願書を取り次ぎましたのは、少しでも世間のことを 「それゆえ召し捕りはするが取り調べは致すまい」 広くお耳に達しておこうと思えばこそにござりまする。あ「ほう」 る時には盗賊にも三分の理とか とにかくご側近だけの 「詰らぬことを口外させても無意味なことじゃ。それゆ 意見を聞いていると知らぬ間にひどく視野がきまってくえ、陸奥守から、すぐさま助命をなされたい」 : と る。これは、大御所の寸時もお忘れなさらぬご教訓 : 「助命を : : : 、い日寸ました」 存じたればのことで、決断は、つねに上様が遊ばすべきも 「さて、他ならぬ陸奥守の助命ゆえ、身柄は一応お預け申 の、われ等は、その命を奉じて誤らぬこそ大切、それそれす。が、むろん江戸在住は相成りませぬ」 分がある筈と心得まする」 「なるほど」 秀忠は、 小さく頷いて、それからそっと眼を閉じた。 「それで、ソテロの身柄はそのまま領国へ移されたい」 ( この小吏めが それは、政宗の始めから描いていた方寸どおりの扱いで キ从よ、つこ、 と、又政宗は腹の中でいら立った。 ( もう、これ以上押してはならぬ : ・・ : ) ( この小史めが、さんざん持ってまわって、こっちの思う そうすると、自分が相手に感じている不快さがそのまま壺ではないか : 秀忠の胸にも伝わるものなのだ。 そう思うと、政宗は、大仰にその場へ平伏した。 「、、つか 「あつばれなご決裁 ! 政宗、ほとほと感服致してござり しばらくして秀忠は眼を開いた。 まする」 182