た。そして、更に声を大きくしてこういったのでござりま光悦は、何時か膝の両手を拳にして、わなわなと震えだ していた。 する。万が一にも江戸との間でお困りのことがあったら、 直ちにわが国へ仰せ来られたい。何時にても全力を挙げて これも彼の怖れていなかったことではない。 : と、申すの ご加勢仕る。気を大きくお持ちあるように : 信長時代のように、比叡山と日蓮宗の喧嘩とか、一向宗 は、秀頼君、われ等と同じ神の子たと信するからでござるの一揆とかいうのであれば、これはとにかく国内問題であ 「そんなことを、ソテロという仁が通訳なされたのか」 ところが、こうした外から人って来た切支丹宗門の争い 「いや、ソテロを押しのけて、ポルロ神父に通訳させまし となると、その規模が違って来る。 「すると、ビスカイノ将軍とやらについて参った神父たち 「して、秀頼君は何と仰せられたそ」 は、初めからそれをいう気で、秀頼さまに拝謁を願い出た 「わかったわかった : : と、だけでござりましたが、これのだといわっしやるか」 も困ったお顔をなされて : : : 」 「それゆえ、ます翁にお知らせにあがったので」 「ふーも」 「いったい大坂の老臣衆は、何をしてござらっしやるので 「それからでござりまする。神父たちが口を揃えてオランあろうかのう : とイゲレスの攻撃をはじめましたのは : : : あれ等は、神も 人も許さぬ兇悪きわまる海賊なのだ。江戸の大君が、こう した者をお近づけなさるのは何という考え違いか。これこ光悦の言葉はただの詠嘆ではなくて、肺腑を抉るような 非難になっていた。 そ日本国を滅すもとになろう。彼等がもしこのまま日本に 留まるようならば、秀頼君は蹶起して、江戸と一戦なさる さまざまな人たちが、さまざまな立ち場から江戸と大坂 がよい。そのおりには、全信者の保護のため、イスパニヤの問題を案じている。 大王は、直ちに大軍を派遣してこれを援助するにやぶさか余計なことといえばそれまでながら、再び戦国になって はという不安が、必要以上に光悦を神経質にもし、憤らせ ではありませぬ : ・・ : 」 はいふ えぐ 146
う。転封の話もなく、落慶式も無事ということは、真田左大野治長の心境は複雑だった。 衛門佐幸村には考えられぬ。それゆえ、充分ご用心あって彼は決して単純な主戦論者ではない。江戸の武力の強大 さは、骨身にしめて知っている。関ヶ原のおりにさえ、家 然るべし : ・ : とのご伝一一一口でござりました」 「なるほど、これで話はわかった」 康に味方して来た治長なのだ : と、明石掃部があとを引き取った。 それなのに、冶長は、秀頼母子が江戸に親しむようには 「つまり、真田どののご意見では、江戸に戦を仕掛ける肚心掛けなかった。小出秀政や片桐兄弟が、しきりにそのた があれば、諸国の牢人衆が都へ参集する機会はおそらく与め努力を続けているのが、何となく嫉ましく腹立たしかっ えまい : ・・ : それ以前に、 この大坂城を明け渡せと、申して 参る : : : 」 この感情には劣等感だけではなくて、或る種の自己の存 「その通りでござる。それゆえ、充分手遅れにならぬよう在主張もふくまれている。 それがこの前の家康と秀頼の二条城の対面のおりから、 にと : : : 」 内蔵助はすかさずいって、こんどは相手の反応を待たずはしなくも表面化した形をとった。 に盃をとりあげた。 少なくともそれまでは反省的であり控え目であったの が、その後はおかしな積極性を持ちだした。何か事を起こ 「では、いま一献頂戴仕り、内蔵助は退出致しとう存じま しては、自分の存在を誇示しようとする意地のわるい更年 する。まだ、わが長屋へも顔を見せては居りませぬゆえ」 期の寡婦のようなところがあった。 「それが宜しゅうござる。ご苦労でござった」 したがって、彼は、江戸の不都合を訴えて近づく者を、 その頃から、大野治長の顔はふっと曇った。 渡辺内蔵助の反撥は淀の方よりも、彼の胸に鋭い不安の如何にももっともらしく歓迎するかに見せかけた。切支丹 の神父たちにしても、不平牢人にしても : 釘を打ちこんだようであった。 そして、それ等が、今はもうロにすべきではない豊家全 ( これは、まこと戦に、なるのではあるまいか ? ) 盛時代の繰り言をならべるとき、かくべっ神妙に耳を傾げ て同感するかのように装った。 ) 0 338
「まあ、どのような、掛け合いをなさるのでござります そこで自分の不満を腹蔵なく父の前で述べてみる気になる」 - て、重臣の小栗忠政を駿府へ遣わして、家康の意を問わ「よしツ、こなたをお父上のつもりでいうてみる。こなた お父上になったつもりで答えてみよ」 レめた。 「まあ、わらわが、大御所さまになったつもりで : ところが家康は、ここもと多忙をきわめているのでやっ 「そうだ。返答に窮したら、お父上とてそのままには許さ 、来ても面会は出来なかろう。何れ江戸へ出てゆくことが ぬぞ。よいか、さてお父上、忠輝は将軍家のすぐの舎弟で ~ ろうゆえ、そのおりを待つようにといって来た。 ござりまするな」 それも又少なからず忠輝には不満であった。 「それはもう : : : 大切な、ご舎弟です」 ( 将軍家が先手を打って、当分、わしには会わぬように小 「さて、義直は如何でしよう。黄金の鯱をあげさせた名古 工をしているのではなかろうか : 屋城の主義直は、この忠輝の舎弟ではござりますまいか」 忠輝の不満はふしぎな形でふくれあがった。 「それが : . し / , 刀 四 「兄上は将軍家として江戸城の主、舎弟は天下に評判の名 何時の世でも青年の不満は単純で、爆発的で、そして、古屋城の主。それなのに、忠輝は越の国の片田舎の、見る 度それにとらわれだすと脇見のならぬ一途さを持つものもいぶせき福島城の主 : : : これでよいものでござりましょ 「亠まあ : : : 」 「姫よ、わしは父上に掛け合うロ実を見つけたぞ」 カくべっ無理を申しているのではご : 忠輝は、、 : ? 」とおどろ 不意にいい出されて、五郎八姫は「は : ざりませぬ。この忠輝にも、身分にふさわしい城をお渡し 」て顔を挙げた。 下さるよう : : : その城は他でもない。豊太閤の建てた大坂 「わしは江戸へ出てゆく。江戸で父上の出府を待つのだ」 城にござりまする」 思い詰めた様子でいって、それからフフフフと笑ってい 五郎八姫は、大きく眸を見開いたまま、ポカンと良人を 263
「修理どの」 みたときに挑みかかって来るであろう : : : そう申された張 彼はちょっと声をおとし、厳しい顔になって治長に向き本人はご貴殿なのだ。それのみか、織田有楽斎は信をおく 直った。 に足らず、片桐、小出も、すでに江戸の掌中にまるめこま 「紀伊見峠を峠として、真田左衛門佐までが肚を決めた : れて居るぞと忠告なされたのもお身でござった : : : そのお : と、なってから、まさかお身は、この戦に自信を失く身が、今宵ご母公のお前では、却ってわれ等を押えようと した : : などといい出すのではござるまいの」 なされたような気がする : : : まさかご貴殿は、われ等に火 「いや、そのようなことは : を付けさせておいて、火の手があがったところで逃げ出す 「そうであろう ! そもそも江戸に豊家を存続せしめる誠ようなことはござるまいの。修理どの」 意は絶対ないと断言し、ここに至らせた張本人はご貴殿酒の酔いもあったが、事態はすっかり逆になった。あま じゃ。それなればこそ、皆もその気になって、ご貴殿の周り行き過ぎないよう、注意する気でやって来て、治長の方 囲に結東したもの : : : 七手組の面々はご貴殿ほどには江戸が却って手強い詰問で念を押される結果になった。 の本心を知らなんだ」 治長は顔をしかめて手を振った。 「その儀は、決して、忘れてはおらぬ」 「何を申されるそ。この修理のどこそにそのような頼りな 「むろんそれは信じ申そう。さなくば、われ等は、ご貴殿さがあるといわれるのじゃ」 と大御所の、ご母公をはさんでの過去の感情、過去のよし 「さよう、無くはござらぬそ。もはや若君さままで、七、 あお ない妬心に煽られて事を誤ったことになる」 八分はご得心なされておわすというのに、肝心のご母公さ 「そのような : ・バカなことが・ : これはいった まは、あらわにわれ等をお叱りなされた : 「さよ、つでござろ、つとも ! そのよ、つなバカバカしいこと しど、フした一」と , まさかご貴殿に何の責任もないとは仰 があってよいものではない。江戸はつねにわれ等を憎み、 せられまい」 一ごっかっ われ等を覆滅しようとして、狡猾にその機を狙っているの 「わかり申した。すると真田左衛門佐がお味方するという に過ぎない・ ・ : 諸寺社の再建で軍用金を費消させ、機会あのは確証あってのこと : : : そうわかればそれでよい。まあ るごとに、手をもぎ、足を折って、いよいよ起っ能わすと一献 : : : 」 344
「ⅱ何にも始まってござりまする。大和の五条辺りは、すられたら何と致すのでござりまする ? 」 でに真田どのの通行をさえぎろうとして、物々しい戦いで 「ホホ : : : そなた達は二言目には江戸と申す、だがのう内 たち。峠を越える通行人はすべてこれ厳重な取り調べ。戦蔵助、大御所の御心にも将軍家のお心にも、江戸、大坂の を決意しないものが、何でそのように通行人改めまでする区別はないのじゃ。何れもわが孫、わが婿、わが養い子と 必要がござりましようや」 いう、重なる縁に結ぼれた一家中 : : : それゆえ決して騒き 「黙りや内蔵助 ! 」 を煽ってはならぬと申して居るのがわからぬのか」 淀の方は身をふるわしてさえぎった。 「これは、いよいよもって心外千万、騒ぎを外から煽って 「わらわを女子と侮ってか。わらわじゃとて耳もあれば思居るのは他ならぬ大御所 : : : 大御所は、紀州九度山の真田 信濃一国を遣わすゆえ、大坂に味方する 案もある。大御所にも将軍家にも、大坂攻めの考えなど毛左衛門佐の許へ、 ほどもない。あらぬことをいいふらすと許しませぬぞ」 なと : 「これはしたり : : : 」 そこまでいうと、大野治長が、たまりかねて内蔵助をさ 3 えぎった。 内蔵助は憮然とした顔になって、治長と掃部を見やり、 「恐れながら、ご母公さまお手許の情報は、将軍家御台所「ご母公さまの仰せ一々ごもっとも : : : お控えあるがよろ よ . り・の、こⅢ報に、こギ、り↓しよ、フ」 しかろ、つ」 「そうじゃ。それもな、京極家の常高院の意見もあっての それから淀の方に向き直って、 情報じゃ。それでも信するに足らぬと申すのか」 「内蔵助が申すことも、ただ 一筋に主家を想えばの憂慮に 内蔵助はゆっくりと首を振った。わざと唇辺に笑いを刻 ござりまする。先すお盃を下しおかれまするよう」 んで、 淀の方は、まだわなわなと唇辺の肉をふるわしながら、 「お言葉を返すはおそれ多けれど、御台所さまにせよ常高考え直したように盃を取って、傍の侍女に渡した。 「そうであった。内蔵助、さ、これを取らそう。ご苦労で 院さまにせよ、ご母公さまのご肉親ながらこの場合は江戸 のお味方にござりまする。江戸方より送られて来る情報にあった」 信をおかれ、万一、何の用意もないとこへ大軍を差し向け 「恐れ人り奉りまする」
労をねぎらい、一両日間休息せば、国王に対する返書を 遣わすべしと予に告げしめたり。 リスが楽しく日本を縦断してゆく間に、次の騒乱の 次に江戸にあるその子 ( 将軍秀忠 ) に会う意なきかとた ずね、予がその計画あるを告げるや、大御所は、旅行に芽生えは、日本中で動かしがたいものとなりつつあった。 要する人馬供給の命を発すべく、又帰着のころには書簡むろんこれには、次第に勢力を仲ばして来ているイギリ ス王、ゼームス一世への、在留宣教師の恐怖があったこと は出来上がって居る旨伝えしめたり。 御座所を出て戸口に至れば書記官長 ( 本多上野介 ) 予をはいうまでもない。 使節のセーリスは軍人なのだ。それが軍船のクロープ号 待ちうけ、石段のところまで予を送り、予はこのところ で乗りつけて、先に家康の側臣となっている英人の三浦安 にて轎輿を従えて旅宿に帰れり : 針と手を携えて駿府と江戸を訪間し、見事に条約を結んで 帰ったのだ。 リスの一行は、こうして十二日の正午駿府を発して こうなれば、彼等を「手のつけられぬ無頼漢ーー」と、 2 鎌倉江の島を見物し、十四日に江戸に入って将軍秀忠に謁 悪罵し続けて来た旧教の宣教師たちが、狼狽するのは当殀 のことであった。 それから一週間江戸に滞在して二十一日に浦賀に向かっ このゼームス一世の書翰は、従来のイスパニヤ、ポルト た。浦賀にある三浦安針の屋敷にとまって、安針の夫人、 馬込氏の親切な待遇に満足しながら、二十九日に再び駿府ガルなどの外交文書に比べてひどく荘厳な感じのものであ ったらしい へ帰りついた。 紙質は奉書の蠍紙で、幅二尺縦一尺五寸、三方に緑の縁 そして、彼自身の旅行がそのまま無気味な風波に変わり つつあるなどとはっゅ知らずに、家康の返書と贈物と、通どりで、唐草模様があり、それを、三つに折り、更に二つ 商許可状を貰って、十月九日に駿府を発し、悠々とまた京に折り返して金鋲で閉じて鑞で封じてあった。むろん署名 都、大坂を通って、十一月六日 ( 太陽暦 ) に平戸に帰着しはゼームス一世の親署である。 この親書を誰も通訳出来る者は居なかったので、当然三 たと楽しそうに日記に書いてある。 3
て来て可笑しかった。 案のごとく、不意に家康は首を立てて眼を開いた。 「わしはやはり臆病だったの」 「お六、もうよいそ」 「は ? 何と仰せられましたので」 「はい。でも、もう少し : : と、申した 「わしは臆病で、そのうえ怠け者であった・ 「あとでよい。又あとで頼もう」 家康は、眼の前に茶阿の局が坐っているのを充分に予期のた」 「まあ ! 上様が、臆病で怠け者ならば、誰がいったい勇 した様子で ましい働き者でごギ、りましよ、つ」 「茶阿、廿味が欲しい」 「こなたや、お六は勇ましい」 と , 6 、ノいった。 見ると、茶阿の局は膝に小さな陶物皿をのせている。そ家康は笑いもせすにそういって、 「わしは、事の起こるを怖れて、その根に土をかけようと のうえに純白の菓子が一つのっていた。 した。土をかけると、そこから一層根は張るばかりじゃ」 「はい。お召し下さりませ」 「ウウ、これは、名古屋から届いたものか」 茶阿の局は、家康が何をいおうとしているのかわから 「しいえ、江戸からでござりまする」 「そうか。そなた、右京の局が、何の用で江戸〈参るか考ず、首を傾げて訊き返した。 しかし家康は、それなり又ふつつりと黙りこんた。 えてみたであろうな」 こんどは明らかに眼が光り、額の皺に若々しい闘志まで し」 がうかんで見えた。 「申して見よ。何をしに来たのじゃ局は」 ( 何か決心しようとしている : : : ) 「江戸や駿府の空気を、探りに来たものでござりますまい 「お六、こなた庭へ出てな。あやめでも菖蒲でもよい。 力と : なこ。、いちばん綺麗たと思う花を一本だけ剪って来よ」 家康は弾き返すように笑って、ロの周囲についた菓子の お六の方はびつくりして、いわれたままに立っていっ 粉を平手でぬぐった。その動作に子供のようなところが出
おそらく本多父子がこれを見たら、 服部正重は、それにも静かに首を振った。 ( 長安め、われ等の足許をすくおうとして : : : ) 「われ等は、将軍家の家臣でござれば : そう見ていくより他にない顔ぶれになってしまってい 「と、いわれると、あの将軍家のおん許へも : 「いかにも。実物は駿府へ、写しの一通は将軍家のお手許 「これは写しでござるの正重どの。実物を拝見仕りたい へ : : : それ以外はむろん洩らしてはござりませぬ」 々」 又右衛門宗矩は、思わず大きく嘆息した。 又右衛門は、連判状を巻きながらいちばん気がかりなこ ( 遅かった 」に触れた。 駿府へ送られた方は、極秘のうちに大御所家康の手に渡 はい、それはもはや、この陣屋にはござりませぬ。駿府るだろう。家康は正純に、事件処理の腹案が出来るまで誰 、本多上野介さまお手許に差し出しました」 にも洩らすなと、きびしく命じてゆくに違いない 正重は当然のことのように答えた。 しかし、写しが江戸へ届けられたとなると、事情はひど く変わって来る。 四 秀忠は、あの律義な気性に任せて、当然これは、父に付 1 なに、もう駿府へ差し立てられたと」 けられている本多正信や土井利勝に見せて善後策を協議す 又右衛門の、そうではないかと案じていた、不安と予感べきもの : : : と、考えるに違いなかった。 あたっていた。 そして、重臣協議の結果は、 正重は、それにも淡々と答えた。 「ーー。大御所のお指図を」 ー柳生どの、お察し願、 したい。このような物騒なもの、そ と、江戸の方から駿府へ使者が飛ぶことになるだろう。 ←がしなどが一存で所持していてよいものとは思われませ そうなっては家康の立ち場も一変し、独りで肚に納める しかもそれがしは婿の身なれば尚更のこと : ことは出来なくなる。 「正重どの : : : まさか、この写しは、まだ他人に見せては 「もはや江戸へも。そうでござったか : ざるまいの」 正重はしかし、全然別のことを考えていると見え、 272
「あ、お気がっかれました」 江戸からすぐさま越後へ使者が飛んだのはいうまでもな という医者の声を耳にすることが出来た。 家政のことで、長安以外にはわからないことが、いろ いろとあったからだ。 「わしが、どうしたというのだ。みな集って」 長安はもう於こうの手を振りきって戻ったことは忘れて むろん長安自身はそうしたことは知る筈もない。ロは封 いた。緊迫しきった枕頭の空気に不審を抱いて詰問しよう じられ、筆談も出来なくなってしまった長安は、半日あま としてみたが、 しかしその時には田 5 うままにロは利けなく りで又意識のない昏睡状態に人っていった。 なっていた。 昏睡に入ると同時に、それは酔いと疲れで泥のように眠 曾って卒中の真似をして、黒川谷へ秘密を埋めた大久保った時と全く同じ大鼾をかきだした。 石見守長安は、今度は本当に卒中で倒れてしまっていたの 「お父上 : : : お父上 : : : 」 松平家だけのことではなく、大久保家としても訊ねてお 或いは、何れこの病気で生命を落とすであろうという潜かねばならないことが山ほどある。そこで、長男も次男も 在意識が、以前にその真似をさせていたのかも知れない。 三男も、次々に長安を呼んでみるのだが、今度は長安は 長安は、ロが思うままに利けぬとわかると、身もだえし中々戻って来ようとしなかった : て、何か訴えようとした。手真似をしようとしているのだ と藤十郎は思った。 そこであわてて両手を出させてみたが、その手ももう、 長安には、あちこちの山屋敷に残してある幼い子供まで 痛ましく震えるだけで動こうとしなかった。 入れると、七男二女 : : : というのは、実は長男の藤十郎が 聞かされていることで、事実は何人あるのか彼にも見当が 「ーーー・大久保長安が、二度目の中風を発して倒れた」 そうした知らせが江戸の松平忠輝の屋敷に届いたのはそっかなかった。 の翌日 : : : 四月二十一日のことである。 彼の築いた一里塚のように、行く先々に女子があり、行 レ。しなかっ その時忠輝は越後の福島城にあって江戸こよ く先々で植樹して歩くのでおそらくこの倍ちかい数ではな 、、つ ) 0 て、 6 】 0 193
でに信之は知っていた。 若しそうなると、家康は小田原城の人質となり、それこ そ天下はてんやわんやの騒ぎになろう。いや、すでにそれ は世間の表面からは見えないところで、はげしくうねりだ してしまっている。 信之とて、すでに天下がこのまま治まりそうにもない現江戸からは土井利勝が血相変えて中原に飛び、彼の進言 下の雲行きはよくわかっていた。 で、ひとます家康は小杉の茶屋に移っているのだ : きん「は , 、 大久保長安の事件にかかわる諸大名の処分を済ませ、ホ そうした緊迫した事情の中で、もし、信之の弟の幸村 ッとして江戸を発った家康が、どうして小杉の茶屋を動け ; 、大坂へ人城してゆくようなことがあったら、徳川家の なくなっているのか : : : その理由もよく知っていた。 内部からも、江戸と大坂の間も、取拾のつかない大混乱に それに、上方に赴いていなければならない筈の大久保相なって行こう。 模守忠隣が、いまだに小田原城を発ってはいない原因も : それだけに、隠岐守のすすめが無くとも、信之自身で九 度山へ飛んで行って幸村をおさえたいところであった。 昔気質の忠隣は、わが身の上方派遣の命令を、本多正 しかし、それは簡単に出来ることではなかった。という 信、正純父子の陰謀と断じている。 のは、亡父昌幸の妄執を受け継いでいる幸村が、素直に兄 本多父子は政敵である忠隣を葬るためには、どのようなの言葉に従うような人物ではないことを、これも又よく知 っているからなのだ。 手段も選ばない奸悪な獅子身中の虫なのだ : : : そう思いこ これは決して性格の相違や利害の対立などの問題ではな んで、家康の駿府帰還の途中を擁して、これを小田原城に 招じ人れ、家康に直諫して、本多父子を将軍の側から遠ざ けようと計っている : : : という、実は密訴が、家康が武蔵 強いていえば「人間ーー、」本来の見方と解釈の相違であ 中原まで来たおりにあったらしい : と、その名もす家康も、そして信之も、人間は教育の仕方次第で、理性 それをしてのけたのは馬場八左衛門 : ・ ( それを隠岐は知らない : そう田 5 うと、信之は、どうにもならない切なさを覚える のだ。 っ一 ) 0