又右衛門は、この話を聞かされて少しもおどろかない顔「すると、すると、大坂方では、すでに戦備に入っている といわっしやるかツ」 ) けは覚えておこうと田 5 った。 その訊き方があまりに切迫していたので、 全然動じた様子のない顔は残念ながら家康のほかには一 もない。 「その儀ならば案ずるな、わしが手を打ってある」 ただ本多正信だけが、おどろいてはいたが、その愕きの家康は、軽くこれをたしなめた。 ハに、薄気味わるい静けさをたたえていた。 十四 挈、、フ、か 0 したが、その噂がすでに根付いたという証拠 : 何そ、他にあると申すか」 「手を打ってある : : : と、仰せられると」 「ござりまする」 忠世は、みんなの注意が、自分の質問に集中されている と又右衛門は、わざと微笑をうかべていった。 のを意識して家康に問い返した。 ー紀州の九度山に隠棲しある真田昌幸の許へ使者を差し立家康は、、 しよいよ ~ 爭もなげに、 、ました。大野修理と相談のうえ渡辺内蔵助が参りました 「その儀ならば伊豆守に命じてある。伊豆守は舎弟を、謀 2 でつで」 叛に加担させてはならぬ義理をわが家に持っている」 ーしかし、昌幸はすでに死んで居ろうが」 と、軽 / 、いった。 ー御意 : : : それで使者もびつくり致し、急いで立ち帰って そういわれると、忠世も頷いたし、一座している他の J の旨を告げましたので、それでは伜を迎えてはどうかと人々も頷いた。 、う議が、目下もつれて居るところではないかと存じま 信州上田の城主真田伊豆守信之は関ヶ原の役のおりに、 % はい。伜の幸村では頼りにならぬと申す者 : 西軍に味方した父安房守昌幸と弟の左衛門佐信繁 ( 幸村 ) 、にあらず、幸村こそは親まさりの軍師じゃと申すもの生命乞いをして家康に助けられている。 その義理があるので、こんどは家康が伊豆守信之に手を そこまでいったときに酒井忠世が顔いろを変えて又右衛廻して、信繁改め幸村に、軽々しく動くことないように説 」をさえぎった。 かせてあるという意味らしかった。
「御音 ~ にござりまする」 これ等の人物を使者にやり、戦っても到底勝味はないゅ 「では間おう。そのような人物があると思うか。あったえ、素直に城をあけ渡せ : : : そういわせるようにと申すの ら、決定は覆せぬゆえ、それを忠隣とは別に遣わせばよであろうが」 い。誰が適任だと思うそ。その使者は : 「は : : : そ、そのよ、つに、ござりまする」 これは予期しない難題たった。 ; 、 カ直次は、後へは退け 「そちは何時からそのようなあわて者になったぞ。よい ないものを感じて、 か、直江山城は関ヶ原のおり、わしに弓をひいた上杉の家 「されば、上杉家の直江山城か、それとも真田昌幸か : : : 」老じゃ。というよりも、実は石田治部と示しあわせて、あ とたんに家康がはじき返した。 の事件を盛りあげた発頭人の一人じゃ」 「たわけめ、昌幸は死んでしもうたわ」 「それゆえ、彼を遣わしましては : 「默らっしゃい」 十 家康はまた浴びせるように叱りつけた。 「山城や安房 ( 昌幸 ) ずれに相談せねば事が片付かぬ : 時に人間は、勢いにかられて、全く思いがけないことを そのような将軍家と思われたら、秀頼どのは素直に城を出 ロ走るものたった。 てくれても、後々天下の仕置がなると思うか。いちど軽蔑 安藤直次は自分でもびつくりした。 ( 何で、直江山城守や、真田昌幸の名などあげたのであろを招いたらもはや天下は治まらぬ。その位の理がわからぬ で何とするのだ」 と、思ったときに、家康の方が、その理由を叱る形で解直次はまっ蒼になっていった。いわれてみて、はじめて きあかした。 自分が何を考えていたのかがはっきりした。 「その方は、直江山城や真田昌幸を、家康と同等の戦の出家康のいうとおり、彼は、今の戦場でいちばん手強い相 手は、直江山城守に率いられる上杉勢か、それとも真田昌 来る人物と思うて居るのじゃ。そうであろうが」 幸父子の采配かと思っていた。 それがどこか頭にあったので、つい口に出てしまったも 「そちがそう思うほどゆえ、秀頼母子もそう思う。そこで 282
内蔵助は一応丁寧に頭は下げたが、自説を曲げる気は更戸で捨ておけるわけはない。そうなっては豊家の浮沈にか に無かった。 かわる一大事ゆえ、先す真田とやらを大坂へ行かせまいと する : : : その深慮とそなたには受け取れぬか」 「ご母公さまに申し上げたい儀がござりまする」 「何 ) 」とじゃ」 いか、それとも真田左衛門佐 「ご母公さまのご情報が正し こんどは内蔵助がびつくりした。これほど理詰めの反撥 は予期していなかったのに違いない のわれ等に洩らした見透しが正しいか、ひとっこの場でご 検討願わしゅう存じまする。これは決して、われ等の意見「するとご母公さまは、そのように大御所を、信じておわ すので ? 」 ではござりませぬ : ・・ : 」 「信じてわるい理山があろうか内蔵助。わらわはな、一時 そういわれると淀の方は、再び屹ッと顔をあげて、 過ぎ 「申して見よー 聞キ、亠よしよ、つ」 の感情から大御所を怨んだことも無くはない : 。冫しい怒気で応じていった。 来し方をふりかえってよう考えてみると、大御所がわれ等 3 の不為めを計ろうたことがあったであろうか。なあ修理 : いきなりわが名を呼ばれて、 「内蔵助は、こなたは先刻、真田とやらに大御所が、信農 し」 : と、由・「は . 一国を遣わすゆえ、大坂に味方するなと告げた : と、〕気はどき、まぎした。 したな」 淀の方は、先ず自分から鋭い口調で逆間しだした。 「そうであろう。わらわと若君とが、生きた心地も無く、 「如何にも、申し上げました。このあたりに大御所の汕断抱き合うて震えていたのは忘れもしない関ヶ原の戦のあと ならぬ老猾さが秘んでいる : : : と存じまする」 じゃ : : : あの時には、たしかにわが身や若君に落ち度が 「わらわはそうは思わぬそ。これはの、真田とやらを人城あった。わらわは、石田治部が若君の名で西軍を募ること : とこ に、とにかく同意させられてしもうていたのじゃ・ させ、そなた達のような血の気の多い者と合流させては一 も二もなく乱になる。乱になれば征夷大将軍の府として江ろが、大御所は大津から、これなる修理を早馬でお遣わしな
「そして、兄の怒り、叔父御の心痛、大御所の決断など、 「そ : : : それは、まことでござりまするか殿」 いろいろと説かせたら、如何に幸村とて、木で鼻をくくる 「そうならねば、こんどの事は済まぬ筈じゃ。ということ ような返事もなりますまい」 は同時に、同じ危険が九度山の真田幸村の身の上にも、あ 「わかった ! やはり殿も真田のお血筋、並々ならぬ知恵り得ると匂わすことでござる」 のかたまり・じゃ」 「源次郎どのの身にも : : : のう」 信之は苦笑して、 「さよう、そのおりには、松倉豊後が検屍を命じられよう 「ようやく機嫌が直ったそうな。宜しゅうござるかな。大 : 豊後にそういわっしやるがよい。さすれば、豊後の説 和の五条町から松倉豊後守重正が、じっと真田幸村の動静き方も真剣になる筈じゃ。豊後が真剣になれば幸村も、或 を監視している : : : となれば、仮に幸村に大坂人城の意志 いは考え直さねばならない破目になるやも知れぬ : : : と、 があったとしても動けぬわけじゃ。動けぬように縛ってあ このあたりで、わしの知恵も種切れじゃ。あとは運を天に れば、叔父御の案する不幸も近づけまい。それに : 任せてゆくより他にない」 「それに・ 信之は投げ出すようにいって、それから手を鳴らした。 「もう一つこういわっしやるがよい。近々大久保相模守 ここにも何時か夜がおとずれて、あたりはすっかり暗く なっている。 が、京、大坂の切支丹信徒の鎮圧に赴こうと」 「赴きまするかな。また大御所は小杉のあたりにござるの「灯りを持て。用は済んだぞ」 真田隠岐守は宵闇の中で、もう一度感心したように膝を 「お案じ無用。大御所のご気性ゆえ、将軍家のご決定は、 からめて どのようなことがあっても実行させるに相違ない。 「殿、これはなかなかもって搦手ではござりませぬぞ」 が、この大久保相模守のもう一つのご用向きは、実は都か 「いかにも、これは大手攻めじゃ。幸村は搦手攻めで降る ら加賀へ談判することにあると」 ような生まれつきの男ではなかった。あれはあれで自信の 「加賀へ : : : 何を談判なさるので」 かたまり、実は父上にいちばんよく似ているのかも知れ ぬ」 「さよう、高山右近太夫の追放か、切腹かじゃ」 300
が擁してあると云えば、恐れながら上総介忠輝さまのこと 「秀頼どのの近習が、紀州の九度山へも参ったそうな」 かと存ぜられまするが : 「右府さまのご近習が」 「なるほど」 「そうじゃ。茨城弾正とか申すものがの。当今、わしゃ将 家康はっとめてさり気なく答えたが、その内心の動揺は 軍家の采配と互角の駆引きをなし得る者は、真田の小伜だ けだそうな」 蔽うべくもなかった。彼はあわてて眼鏡をとり、それから 「それは : : , 恒れから ? 」 又それを懸け直したしそうすると視線が大きくばやけてき 「むろん真田が本家であろう。妙なことになったものよ」て、表情が不明になる。正視されるのがたまらなく辛そう な動作であった。 「すると、これもやはり城修復のため : : : でござりましょ 「すると又右衛門は、陸奥守が、ひと騒動は避けられぬ。 、つ , 刀」 : と、観るのだな」 「さよう、高山右近も、真田の伜も、城の縄張りでは天下そう知って攻勢をとりだした : これは口頭ながら、ノテロにも、ビスカイノに 無双ということでの。それはそうと、お許の探った陸奥守 の書面というは ? 」 も、そして、正使の支倉六右衛門常長にも、至急に軍艦の 借用方を命じた山にござりまする」 やはり家康は忘れているのではなかった。 自分で自分の打撃を労るように、わざわざ間をおかせて「又右衛門」 「よ、ツ し」 日国し ' 刀 , ー / 「わしはの、その船が月の浦を出たあとで、すぐさま江戸 「その中に、実は、不思議な一句がござりまする」 へ出て参る考えじゃ」 「不思議な一句 : : : がのう」 「又右衛門も、お供を致しとう存じまする」 ・ : 政宗は次代の皇帝となるべき、最強の実力者を 「そして、将軍家とあれこれ打ち合せのうえ、忠輝どの 擁しという一句でござりまする。この儀大御所さまはお覚 は、わし自身の手で糾明しよう。果たして兄を軽んずると 一んが、こさり↓玉しよ、つや」 ころがあるや否や : : : そのうえ、或いはお許に、京へ往ん 「なに、次代の皇帝となるべき : 「はい。次代の皇帝とは、むろん次代の将軍家 : : : 陸奥守で貰わねばならなくなるかも知れぬ」 248
された : : : そして、母子には何の罪もないゆえ安堵せよと いわれた時の嬉しさ : : : のう修理、そなたもよう覚えてい るであろう」 し」 修理は一層どぎまぎしていったが内蔵助はそれにも薄笑 四 いで応じていた。 「ご母公さま、しかしそのおりに二百万石近かったご当家「この世を動かすものは義理と人情じゃ。義理とは感清を の直轄地は、六十余万石に減らされました。これも事実で離れた道理のこと : : : それが温い人情で支えられてあって 、こさりましよ、フ」 こそ、人を動かし、わが身も納得してゆくものじゃ。それ 「それゆえ、大御所は始から敵であった : ・ : と、こなたはに何ぞや、大御所の人情などは認めぬと申すそなたが、真 見るのか」 田とやらの義理だけは認めるとは」 言葉 釦くいい放って淀の方は癇高く笑い出した。 「いいえ、敵になったり味方になったり : : : 人間の生涯、 つねに利害が一致するものとは限りませぬ : : : いや、これ「ホホ : : : 修理も聞いたであろう。内蔵助はな、わらわを ; 実は真田左衛門佐の意見にござりまする。それゆえ、そ女子と侮って、三ッ児にも通らぬようなたわけた理攻めで の時々の利害によって、和しもすれば争いもする。たとえ参ったそ。その真田とやらは、この大坂にやって来て、何 大御所が、内心ではどのように若君さまをお愛しなされてそ野心をのべたい下心なのであろうが、ホホ : : : 」 おわそうと、それとこれとは別のもの : ・・ : 今ははっきりと この笑いが出るとおわりであった。それをよく知ってい 両家の利害が対立する。それゆえ、何時戦になってもよいるので、再び治長は、内蔵助をたしなめた。 用意だけはしておかねばならぬ : : : と、こう申すのでござ 「内蔵助どの、お控えめされ」 り・まする」 渡辺内蔵助は唇を噛んでおし黙った。 「すると、すると、その真田とやらは、何のために信濃一 「ご母公さま、何とそ、これはこの場限り : : : 内蔵助は、 国の誘いを蹴ってまで、この大坂城に味方するのじゃ」 道中に伏せられてあった松倉の軍勢など、眼のあたりに見 「それは父昌幸以来の豊家への義理あいから : : : 」 「黙られよ。そのようなところに義理を持ち出すものが、 どうして、大御所の豊家に対する義理や愛情を認めぬの じゃ。こなたの言い分、筋が立たぬぞ」 335
「待たっしゃれ市正。その間題ならば、もう手遅れだとわた。 しは田い、つ一て」 真田幸村の入城が決定した : : というのが事実ならば、 「それは : : : それは、何故でござる」 それこそ豊家の浮沈にかかわる一大事ではなかったか。 「わしが耳にしているところでは、真田昌幸が伜のう」 「有楽さま、笑いごとでござりませぬぞ。重成は、たし、 に決った : 「左衛門佐幸村がことで」 : とは、申さなんだのでござりましよう」 「さよう、その幸村が、何といっても大御所の説得に応ぜ「いや、もう動かぬところと、わしは踏んだの」 ず、この大坂城へ入って来るそうな。それそれ、そんな妙有楽は、またニャニヤ笑いを納めず、 な顔をなさる。何故わしが知っているかというのだろう。 「市正も、わしも、巧々と棚上げされてしもうたものよ。 実は、わしの所へちょいちょい木村常陸介の伜が遊びにやもう軍事のことでは六日のあやめでの、あっさりとつんば って来るのだ」 桟敷へ押しあげられたぞ」 「あの、重成でござりまするな」 「まさか、そのような : 「そうじゃ。あれは近頃の若者に珍らしいしつかり者「とゆうても、現にお許も何の相談もされては居らぬ。ど じゃ。もっとも母の右京太夫がしつかりして居るからだが うやら豊家の戦奉行は大野修理やら明石掃部やらわからぬ の : : : あれもわしと同じようなものでな、豊家に恩があることになったようじゃ。そこへ真田幸村だの長曾我部盛親 しげこれ ような : : : 無いような彼の父の重は、こなたも知っての だの、毛利豊前だの、後藤又兵衛だの : : いや、関ヶ原の 通り、故太閤に、妙心寺で切腹させられた関白秀次の家老おりと、今度の顔ぶれと比較してみるがよい。あまり粒が じやからの」 小さすぎての、まともに意見する気にもなれまいて。まあ そういうと、何を思い出したかニャニヤと笑いだした。 まあ、この分では戦にはなるまい : : と、わしも笑って聞 き流したまでのことよ」 「これは、有楽さまのお言葉とも覚えぬ」 つねに他人の意表を衝いて喜ぶ有楽であったが、この場「というと、こんな顔ぶれでも、戦になると思わ 0 しやる 合のニャニヤ笑いは、且元にとって少なからす不快であっ 力」 327
を主とし、法を守る「泰平人ーーー」になり得るものだと信 真田隠岐守は、さじを投げたように舌打ちした。 じているのに対して、亡父の昌幸は、 「大御所は、どこまでもわが真田一族を信じておわす。こ 「ーーーそれが理性を失った妄想よ。人間とはそのように綺こで天下を乱しては、信長、秀吉、家康と、三代にわたる 麗好みのものではない」 六十年の努力が無駄になる。頼むそと、このわしに仰せら 一言のもとにその説を否定し去る「カーーーー」の信奉者でれた。これは決して天道にそむくことではなく、後々真田 あった 家のためにならぬことでもない。それなのに、殿はただ一 弱肉強食は、動物、生物、植物界を問わず、地上一切度の手紙だけで、肉親のご舎弟を見捨てなさろうとする。 の、どうにもならない実相なのだ。したがって、人間の世二度で聞かすば三度、三度で聞かずばご自身で出かけられ 界から戦争を無くしようとする : : いや、それが出来るとる : : : その位の真剣さを持たれてこそ、亡きお父上への孝 じギ、 道が立っと思うが : 考える家康の考え方は児戯にひとしい。 「叔父御よ。まず待たれよ」 といって、人間の中には決して魔神羅刹も生まれるもの 伊豆守信之は、これも続けざまに舌打ちした。 ではないゆえ、すぐ又倒した者が倒されて、この世に人間 のある限りくり返し戦は続いてゆくものだと、生涯家康を 「では申そう。叔父御は、自分の兄であるそれがしの父を 知らぬのじゃ」 嘲笑って逝ったのだ : 「 , ーーー源次郎よ、よいか、そなたは決して徳川どののよう 「これはしたり、安房守は殿のお父上ながらそれがしに取 な、お人好しになるまいぞ」 っても幼ないおりから共に戦場を馳駆して来ている兄上、 それを知っているだけに、うかつに動いて、幸村の拒絶知らぬなどとどうしてお決めなさるのじゃ」 にあうと、ここにも又、取拾出来ない、引っこみのつかな 「いや、ご存知ない : : : お父上はの、ご存知のように子供 い妙な波瀾を一つ増すばかりの結果になるのだ : のおりには、武田信玄公の六人小姓の随一だった」 「仰せまでもない。御小姓の中でも抜群での、これこそま ことの麒麟児そと、信玄公に度々舌を捲かせたお方じゃ」 「それ、その事よ。お父上は、偉すぎたのじゃ。その偉い 「殿は、わしには答えぬおつもりらしい」 294
セルの先で引き寄せた。 「はい。父の考え方が間違っているとは思いませぬが、し 幸村は、ここでもかくべっ顔いろは変えなかった。はじ かし、父が関ヶ原の戦のおりに、われ等と共々上田城にあ めから予期していたのかも知れない。 って、いまの将軍家の上洛をさえぎった : : : あのおりの賭 しばらくひっそりと考えて、それから全然別のことをい けとはいささか所存を異にしてござる」 い出した。 「ほう、すると、始めから大坂方へ加担など、考えたこと もないといわっしやるか : : いや、それならば安堵致した。 「兄伊豆守は、それがしが親書を封も切らすにお返しした 実はの、それがしは真田隠岐守に頼まれて、西の丸におわ わけを、誤解なされておわすようで」 す大御所のご意見も内々で訊いて参ったのじゃ。左衛門佐 「え何と仰せられる」 豊後は思わず、吸いかけたキセルを口から離して訊き返どのを大坂城に人れてはならぬ。この儀は、紀州の浅野 に、厳しく見張りを申し付けてあるゆえ、まず大丈夫とは 思うが、そなた参るならば呉々も、その儀を左衛門佐に伝 えてくれといわっしやった。つまり、大坂へ入らぬ代り 3 「お兄上が、お身を誤解なされて : : : ? 」 に、信濃の内において一万石下さる。それで兄弟仲よう、 重ねて訊ねる松倉豊後に、幸村はかすかに笑ってみせ泰平の世の治績をあげて見せてくれまいかと」 松倉豊後に一気にいわれて、再び幸村の頬には血がのば つ ) 0 「たぶんそれがしは、この世に戦は無くならぬという、父 の考え方に動かされ、大坂方に加わって大きな賭けに投じ 「お待ち下され。ご貴殿は、それがしの言葉の意味をお取 てゆく : そう申しはしませなんだか」 り違えなされておわすようじゃ」 「フーム」 「なに、言葉の意味を取り違えたと : 松倉豊後は癇性にキセルを叩いた。 「如何にも。それがしはお父上のごとく勝敗を賭けは致さ : とも、申しては 「すると、お身の考えは、そのようなものではない、といぬ。さりながら、大坂へお味方しない : わっしやる ? 」 居りませぬ」
「しかし、真田どのを、わが失言のために野心の徒と誤り て参ったゆえ、昻ぶって居るのでござりましよう」 伝えたままではそれがしの心が済みませぬ。今一言だけ、 治長は軽くいって、手すから銚子をとって淀の方に近づ 申開きをお許し下さるよう : 「はて、律気なことを。それはもう、次の機会でよいでは 「先すお盃を重ねさせられ、ご機嫌をお直し下さりまする 学 / し、刀」 「いいえ、真田どのは、まこと当代稀に見る高潔なご仁、 近ごろこの御殿では、冶長はもう人眼をはばかろうとは しなくなっていた。或いは淀の仮の良人として、秀頼の後むろん彼の仁の仰せられた義理の中には、ご母公さま仰せ の如く、故太閤殿下へはむろんのこと、ご当代さまへの滴 見役として、自負と自信を強めたしているのかも知れな るような愛清もかくされてあってのことにござりまする」 「内蔵助どのも案ずることはない。ご母公さまとて、江戸 : といわれる 「ほう、すると、ご母公さまの仰せの通り : の御台所や常高院さまのご意見をそのまま鵜呑みにされ のか」 て、あやつられておわすのではない。充分ご思案があって 「はいツ。それをこの内蔵助が誤り伝えては相済まぬ儀に のことよ」 、こざりまする」 しかし内蔵助はまだ荒く肩を波打たせたまま黙ってい 「ほう、それならばなおのこと : : : 案ずるには及びますま る。 い、こ母公さまには・後刻よ、フ」 「さ、お身も、もう一献頂戴なさるがよい」 「修理どの ! その真田どのから、ご母公さまにこれだけ 「修理どの」 はお伝えおき願いたいと : : : 実は、ご伝言があったので」 「何でござる」 「なに、、一辷一言が : 「それがしも些か言葉が過ぎたかも知れませぬ。それは深「さよう、それも後刻で宜しゅうござろうか。ご貴殿から くお詫び申し上げまする」 ご母公さまに、お伺い下さらば幸甚に存じまする」 これは、強かな逆手であった。こうなれば、淀の方も : も、フこだわることはない。′」母公さまにはよ、つ 怒ったままでは済まなくなる。淀の方は、再び視線を内蔵 お見透しなされてじゃ」 336