返さんとする呪いがこめられている」 ば、清韓長老は : : : 大忠臣かも知れませぬ」 「国家安康、君臣豊楽 : : : 」 「なるほど」 光悦もまた、かって勝重がしたと同じように、先すそれ「これで事を未然に防げる : : : と、なれば、文字の表面ど を口の中で復唱した。虚空を見上げて、その眼は鋭く光っおりの効果はてきめんにござりまする」 ている。 「そういう考え方も、出来ないことはないの」 「フーム」 「何れ長老は、爼上の鯉になりましよう。さりながら : ・・ : 」 「さりながら : : : 何といわれるそ」 「腑に落ちられたかの翁も」 板倉勝重が重ねて問いかけると、不意に光悦は顔をそら「仏に仕える僧侶のお身ゆえ、何とそ生命にかかわりない ようお取り計らいのほど」 その眼のふちがまっ赤になっている。 それは、勝重の考えのまだ及ばなかった一言だった。 「 , て、フカ , 1 , 1 : いや、長老もまた、われ等と同じよう 、。曽呂の身ゆえのう」 「清韓長老は : 「それから、もう一つ、この鐘銘は後の世に、こたびの事 、腹の底から泰平を : : : 」 しいかけて、たまりかねたように涙を拭いた。 件を語らせる大切な証拠の品となりましようゆえ、決して 彼は、間題の章句を、清韓の追従とは見ないもののようお取り潰しこれなきように、お取り計らい給わらばと存じ であった。おそらく、われ知らず、彼の希いが、その一句まする」 の中に滲み出たもの : : : と解したのであろう。言葉を咽喉 これは意外も意外、思わず勝重は眼を丸くして直次を見 に詰まらせると、子供のように顔をゆがめて絶句した。 やった。 「そうか、清韓長老は : ・・ : そうかも知れぬの」 直次は身をのり出して光悦にたずねた。 : 清韓は : : : 泰平の柱を呪詛するなど、憎んでも「何といわっしやる。本阿弥が辻の翁は、鐘を大切に、後 : 憎んでも : : : あき足らぬ売僧でござりまする」 世に残せといわっしやるのか ? 」 「そのことよ」 : いや、考えように依れ 「それにしても大御所さまは : 0 2
「よろしゅ、つ 1 ギ . 、りましよ、フか」 四 「この女性はの、御台所さまお付の刑部卿の局といわれ しばらく待たされた後、光悦は、思いがけない返事を取る。翁も知ってであろう。御台所さまお輿人れのおり、関 次に聞かされた。 東より選ばれてついて参ったおちよばどのを : : : 」 「あ、これが、あのおりの : ・・ : 」 「ーー・米村権右衛門はただいま他出中ながら、本阿弥光悦 光悦はここでも又、時の流れの早さに胸を打たれた。 とあらば修理が直々お目にかかろう」というのであった。 「なるほど、われ等に白髪が増えますわけで」 どうやら取次は、茶屋という一語にこだわって、光悦の 治長はそれには応えす、いきなりおかしなことをいった。 来訪をそのまま治長に告げたものらしい 光悦にとってはそれは願ってもないことだった。彼は遠「実はいま、この刑部どのに責められての、ホトホト困っ 小田原攻めのおり、陣中に利休居士を訪ねたときのことていたおりじゃ。何と光悦どの、お手前、この修理のため を思い出しながらものものしい柵門をくぐりぬけて治長のにひと肌ぬいではくれまいか」 「と、仰せられますると、そちらにご用がおありなさる : 屋敷の玄関にたどりついた。 玄関には平服の小姓が出迎えている。光悦は何となくホ ッとした。 「そうじゃ。困りはてての」 「では、お居間にご案内申しまする」 と、治長はそっと四方を見廻した。 それまでの殺気立った空気が嘘のように静かな邸内で、 開け放った庭先につつじが二株三株咲いているたけで、 近くに人の影もない。 廊下をふたまがりすると治長の姿が見えて来た。 「はてな : そういえば、治長の顔いろはひどく冴えない。 光悦は入口で首を傾げた。 「世評はお手前も耳にしていよう。暴走じゃよ。すべてが 治長の前に、 若い女性がひとり、これは又ふしぎな猛々の。しかもその暴走の張本人が、何とわが舎弟どもになっ てしもうた。治房も道大も、わしを叩きまくる鞭になった しさで坐っている。 「おお光悦どのか。これへ」 346
た伊勢の者を呼び出されてらせ、御台所は、可愛い姪が乱雑に掘り返され、斜面をなした乾き壕になっている。 じゃと、片時もお手許から離しませぬ。このままではお躰その向こうの空にそびえている城閣は、依然として四方を にもさわりましよう。至急、老女衆をお帰し願いとう存じ睥睨しているのだが、そこにはもはや万民を頼らせるに足 る荘重な威厳はないようだった。 まする」 光悦にいわせると、太閤の出発がすでに誤っていた。本 光悦はおどろいて治長を見やった。 を正さなければ末の清さが保たれてゆくわけはない。 こんどは治長が視線をそらしてしまっている。 わざわざ遠ざけてあった伊勢の者 : : : とは、国松君を産天守閣をふり返って光悦は改めて身震いした。 ( 不幸な伯母が、不幸な姪を、わが身のそばに引きつけ んだ女性のことに違いない。 光悦が聞き知っているその国松の生母は、伊勢の地侍、て、憎悪の眼を怒らせている。憎む方も哀れならば憎まれ る方もまたこの上なく哀れではないか : : : ) 成田和重とかいう者の娘で、およねとかいった : 治長はその迷いの世界にうごめく者を悪鬼といった。そ 淀の方の侍女の召使であったその女性を、わざわざ又召 して、そうした悪鬼に堕せしめたのは自分であったといわ 出したというのは、もはや御台所を秀頼に近づかせまいと れたので光悦はすっかりこれを許す気になっていたが、い いう淀の方の思案なのに違いない。 ( なるほど、これで腑におちた : : : 淀のお方は千姫を自分ま改めて城を仰ぐと、法華経の行者として、それは廿い感 傷にすぎない。 の側に引きつけて、監視しながらいじめている : : : ) 憎悪とは何であろうか ? 光悦はゾーツと肌が粟立った。 その根をどこかで断たなければ、、 しよいよ憎しみは憎し みを呼んで果てしのない対立地獄を掘りひろげてゆくだけ 光悦は一刻あまりで再び厳重な柵門をくぐって城の外へではないか。 ( 治長は、正直な嘘をいった : 連れ出された。 光悦は地面へ唾して歩きだした。 連れ出されはしたが、すぐにはそこを立ち去りかねた。 ( 大御所への義理立てに、泰平の世の邪魔ものをみんな背 つい半年ほど前まで、満々と水をたたえたお濠のあたり へいげい 351
なるほど、立派なものじゃのう」 文通宝という銭に鋳替えて民間の便に供したのだから、或「 と、本阿弥光悦の方に眼をそらして同意を強いていた。 いは工事のどこかに手落ちがあったのかも知れなかった 、梵鐘の方は、昭和の世までその威容を残している。何そして、所司代屋嗷に帰り着くまで、ひどく気むずかし げな表情で、殆んど口を利かなかった。 故に徳川家を呪詛したと称する問題の梵鐘が、その後すっ ・ ? その辺に深い意味が と鋳つぶされすに残されたか それは後のこと : 含まれているのだが、 とにかくこの大梵鐘の高さは一丈四尺 ( 約四・二メート 本阿弥光悦は、これも、すでに事態を察していた。 ル ) 口径は九尺二寸 ( 約二・八メートル ) もあって、その 京・大坂の人口は日々増加して、所司代の行き届いた手 重量は一万七千貫 ( 約六十四トン ) というのだから、十七当で物価だけは暴騰をおさえられているものの、今の町家 回忌を待ちかねて、京の市民がこれを見ようとするのも当では呑み切れないほどの人口にふくれあがっている。 」入【・こつ ) 0 み′ハ / / 大抵の寺院には、講中、信徒などの他に、得体の知れな 中には人夫に何ほどかのお賽銭を握らせて近づいて見てい牢人者が泊まりこんでゴロゴロしていた このありさまは大坂において最もひどく、堺もそれに劣 来たと自慢する者が出たりするほど評判になっていた。 その新造の鐘を、所司代の板倉勝重は、眼を赤くしてエらなかった。 事を急がせた片桐且元に案内されて見に来た。 「三十万人は人りこんでいますなあ」 随行したのは本阿弥光悦と、茶屋の内儀の於みつだけ 所司代屋嗷へ帰りついて、勝重の居間にとおると、光悦 で、むろん表立った検分などではない。 は近ごろかむりだした、後の宗匠頭巾に似た帽子をとって この時すでに勝重は、この鐘が、これからどのような難額の汗を拭いた 題を打ち出す鐘になるかを知っていた。 その光悦に、於みつは、黙って内ぶところから小さな帳 こも 彼は、且元が、真新しい菰を解いて、清韓長老の撰した面を取り出して渡した。 たぶん何かの調査を、光悦は、茶屋に頼んであったのに 鐘銘の文字を見せた時に、あわてて顔をそむけるようにし 違いない。 て、
「それは : : : 何のことでござりまする」 してゆく気なのだろう顔いろも眼も尋常ではなく、躰中か 「いや、わしとても、今更後へは退かれぬ立場 : : : それらもやもやと殺気の立つのがよくわかった。 を大御所はご存じでの、この刑部どのヘ伝言して来たの いや、それよりも、治長自身、その殺気に怖えている様 子のないのが、却って大きな疑問であった。 「大御所から伝言でござりまするか」 光悦はこの不思議な両者の対立を見比べているうちに、 「如何にも。たとえ戦は避けられす、落城となるようなこやがて一つの脈絡を見つけ得た。 とがあっても、上様、ご母公さま、御台所さまのお三方だ 「さようでござりましたか。では、そのご返事を、それが けは断じて殺すなとのご内命じゃ」 しが二条城へもたらせばよろしいので」 「あのう、それを、このお局から : : : 」 「お引き受け下さるか光悦どの」 治長は大きく頷いて、又そっとあたりを見廻した。 治長は意外なほどおだやかな微笑を見せた。ホッとした 「ところがの、そのご返事を大御所の許へもたらす手段がのに違いない。刑部卿の局の方に膝をまわして、 すでに無い。それで局に責められていたところじゃ」 「刑部どのお聞きの通りじゃ。返事の伝え手が本阿弥光悦 3 いわれて気がつくと、若い刑部卿の局の手はジーツと懐どのならばこなたに異存はないであろう」 にかかっている。 しかしまだ相手は緊張を解こうとしない。 治長はそれを無視して又光悦に向き直った。 五 「大御所は、われ等の処置、歯痒ゆくおばされておわすの 頭脳の回転の早さでは人後におちない光悦だったが、大に違いない」 野治長の、今日の言葉を、的確に理解するには数分かかっ 「修理さまのご処置とは : 「それがしに天下を騒がす意志などありようのないこと 家康がどうしておちよばにそのような命を伝えて来たのを、大御所はよくご存じ : : : さもなくば関ヶ原のおり、ま っ先に、それがしを大坂へ使いさせはせなんた筈」 「なるほど」 おちよばは返辞によっては相手を刺すか、それとも自害 」 0
一腹が立っての、道々人に、ロを利くのも嫌でござった」 しかし板倉勝重は慎重に首を傾げて考えだした。 「実はの安藤どの」 「何でござりまする」 「恰度、本阿弥が辻の翁が本日来合わせている。貴公に茶 を献じたいと申していたゆえ、これに呼び寄せてもよいで 十 あろ、つか」 「光悦どのならば、それがしに、、 カくべっ異存はござりま光悦は、無心になって茶を点てた。 そして、それを二人が深沈とした表情で喫しおわるま せぬ」 てまえ 「よし、では、翁の点前で先ず腸を洗うとしよう。これで、彼もまた何もいおうとしなかった。 先ず直次、ついで勝重。 は、軽々しく考えてよいことではない。苦々しく腹立た しい。が、それ以上に我慢なされているお方もおわすの勝重は最後の一滴を音をたてて喫してゆくと、 「本阿弥の翁、大御所から、開眼供養は延期のご命令が出 それから大きく手を鳴らした。と、光悦はもう茶の用意ましたそ」 をして呼ばれるのを待っていたらしい と、茶碗をおいて口を開いた 二人のお坊主衆に風炉やお道具を運ばせて、例の几帳面本阿弥光悦は、おだやかに頷いた。 な顔で人って来た。 「それはまた、何故でござりましよう」 「これは、安藤さま、久しぶりにご拝顔、お変わりなくて「鐘銘の中に、徳川家を呪詛し、調伏しようとする、不届 至極な文字がかくされてあったのだ」 何よりに存じまする」 勝重は淡々とした口調で、 「翁も健固で重畳でござる」 眼のふちを赤くしている直次があわてて顔をそむけてゆ「その間題の章句はの、国家安康、君臣豊楽の八文字じゃ。 その中で大御所のお名の家康を分断し、豊家を眥の隆昌に くのを、視線の隅にとめながら顔をあげると、 「安藤どのもご所望でござる。一ふく振る舞うて下さらぬ 力」 板倉勝重は、もう平常の落ち着きはらった戸で光悦に 「かしこまって、こギ、りまする」
板倉勝重は、それをチラリと横目で見やって、これも黙別に動くものじゃ」 そういいながら、こんどは小さな紙片を取り出して光悦 って汗を拭きだした。 に渡した。 「なるほど : 光悦はそれを黙って於みつと二人の間にひろげた。 帳面をくりながら、光悦は、誰にともなく、 見せる : : : といわずに見せてゆく気らしいが、勝重はそ 「大体上方に入りこんでいる牢人の数は十六、七万人 : まかな そのうち、分銅吹きわけの黄金で諸用を賄うもの、七分三れをとがめようとはしなかった。 その紙片の最初には「真田左衛門佐幸村」と書いてあ 分の割りと見えますなあ」 板倉勝重は頷くでもなく、頷かぬでもない様子でタバコり、その上に「五十万石ーー」と記してあった。 次には「長曾我部盛親」「後藤又兵衛」「塙団右衛門」「毛 盆を引き寄せた 「坂崎出羽のようなものがあるからの」 利勝永」などの名が並んでいる。 そして、長曾我部の上には「土佐一国ーーー」と書いてあ 「それは、万一戦になったおり、徳川方へ仕官の途をすす り、後藤の上には「三十万石」、塙の上には「二十万石」 めようという者で」 と書いてある。 : という、翁の見方は少し甘い」 「それが三割 : 勝重は、わざとらしく吐息して、 本阿弥光悦は唇をゆがめて首を振った。 「わしは八分二分と見る」 「真田がせいぜい十万石、あとは、一万石でも多いご仁の よ、フで」 光悦は生まじめに首を振った。 「人間はもう少し眼先の見える、そろばん上手 : : : 負ける勝重はそれには応えず、 「武将の中には、尾張のうつけで終わるか、天下を奪るか とわかっている方には、案外味方せぬもので」 : そう呼号して戦った総見公以来の賭け根性が深く根を 「そうではない」 おろしている。いわばこれは、総見公の遺品での。翁は、 と、勝重はさえぎった。 「翁の見方は廿い ! 人間はの、案外身の程知らぬ賭け好そうは思わぬかの : : : 」 : とに、フだけ、ワーツと / 刀 きのものじゃ。取分が多い :
にも二にも、憎いお方 : いや、大御所だけではない。わ で、右大臣さまのご母公に、もう一度お目通りしておきた が愛姫を嫁がせて、われ等に安心させたうえ、じっと滅ば いのでござりまする」 す機会を狙うた将軍家ご簾中も鬼の母 : : : そうした修理の 悪念が、いまではそのままご母公の姿になった。会いたい : よかろうな」 お手前の心はわかるが、会わぬ方が : 光悦にしては珍しい感傷ぶりたった。 家康はお三方を殺すなといい、 治長は誓ってこれを助け光悦は、あわててその座へ手をつかえた。 るという : : : それなのに光悦は何故か、この眼でもう一 「わかりましてござりまする」 度、太閤の描かせた豪華な襖絵の前で淀の方を見たかった 「わかってくれるか」 のだ。 「はい。男共まで迷い抜いている世界、そうなったとて決 「、こ母公に、の、フ」 してご母公さまをおさげすみは致しませぬ。が、なるほど 治長も、どうやらそれがわかるらしく、首を傾げて考えこれはご遠慮申すが人としてのたしなみに叶うことのよう。 て、それからチラリと刑部卿の局を見やった。 でござりまする」 局もいまは懐剣から手を離し、殺気を消して坐ってい 「光悦どの」 し」 「それは、諦めなさるがよい」 「いや、もう何も申すまい。こなたは苦労人じゃ。その目 「お目通りは叶いませぬか」 で見たままを大御所に告げて貰おう」 又治長は局を見やって嘆息した。 「かしこまり・亠よした」 「人はの、もののはずみで鬼相をあらわすことがある 「そうじゃ。局から、若御台のことを何ぞ」 いや、それもこれも修理の罪業。修理は、ご母公を憎悪の いわれて局は顔をあげると、 悪鬼にしてしもうたわ」 「京にある老女衆を早ようお帰し願いとう存じまする」 「憎悪の悪鬼に : ほとばしるような声でいった。 「ご母公さまは、上様のおそばにわざわざ遠ざけておわし 「そうじゃ。不東な修理の目に映じたころの大御所は、一
を設ける者が多くなりました。ところがそうさせておいをひいて、じ「と一人で祈るより他にないのでございま て、大坂方は、堺の津を押えるのだと申す者がございます」す」 「それは、ようわかって居る」 「ほう : ・・ : そうすれば、どんな利得があるというのじゃ」 と、光悦はたしなめた。 「はい : : : 堺の津を押えておかねば、イスパニヤやポルト 「それゆえ、こうして、板倉さまの前まで伴うて参ってい ガルから援軍がやって来たおり上陸しにくい事になる。い や、それよりも富商たちをあそこへ集めておいて、これにるのじゃ。今はまだ戦と決まったわけではない。相手の出 方次第での : : : 戦と決まってゆけば、わしもこなたを連れ 軍費を出させる気なのだと : ては歩かぬ : : : 」 本阿弥光悦は渋い顔になって、 「でも : 「それはみな、為めにする流言、耳を藉さぬが宜しゅうご と、於みつは、ちょっと甘えた様子で首を傾げて、 ざる」 「ここまで来ている開眼供養をどうしてお止めなさるので : 私は、やはり 「というと、戦にせずに済ます手だては : ′」ざりまする ? 」 千姫さまや、ご母公さまがお痛わしいのでござりまする」 「さあ、それは : そういわれると、光悦にも勝重にもいうべき言葉はなく よっこ 0 光悦は狼狽して勝重の方へ視線を泳がせた。しかし勝重 は何も答えなかった。 千姫や淀の方だけではあるまい。於みつはとにかくわが というのは、彼自身も必す中止させるであろうとはわか 腹を痛めた姫と、その父親の秀頼を城に残して来ているの まか っていても、何を理由に罷りならぬといって来るかは、ま だ、全く手さぐりの状態だったのだ : むろん今は茶屋の新造だったが、しかし、心の底には拭 ( 大御所が、どんな知恵を出されるか ? ) いきれない傷あとが残っているのに違いない 信じてはいたが、これは相当苦しいことになろうと田いっ 「私は、何時もおじさまに、正直に申し上げて来たので す。戦にならぬ : : : そのための働きならばどのようなことている。 いわば中止の命令は、戦闘開始の鏑矢ではなくて、秀頼 も致しとうございます。しかし、戦と決まってゆけば、身 3
負いこんで道づれにする : : : ) あの大嘘つきめが ! 治長は結局家康が怖いのた。怖いくせに未熟な野心や対 抗意識を捨てきれす、到頭自分をぬきさしならない窮地に 追い込んでしまったのだ。 ( といって、それを哀れ : : : とは、この光悦は思わぬそ ) 光悦は、その夜は淀屋へ泊まって、その翌朝京へ戻る便 船をさがした。 しかしもう簡単に船はなかった。いや、船だけではなく て、町に殆んど人影さえなくなりかけている。 ( このまま戦わせたのでは又々憎悪は根深くなろう。これ を戦わせずに済ます手だてがなければならぬ ! ) 光悦は夕刻になってようやく馬を見つけて陸路から京へ その日二条城は、将軍秀忠を迎えてごった返していた。 向かった。 ところが、その方が遙かに戦雲は濃く、あちらで止めら秀忠は本多正信と土井利勝を従えて来て、家康に対面する とすぐさま軍議を開きたいと申し人れた。 れ、こちらで検問されて、鳥羽へ着くのに二日かかった。 そして、ようやく京へ人ってみると、京とその周辺はも家康にしても、もはやそれに反対する理由は何もなかっ キー八日こ、 この二条城に入って集めた情報のすべては う身動きも出来ないほどの軍勢であった。 二十一日に秀忠が伏見に着き、二十二日に二条城へ出向これ開戦不可避ーーの悲報ばかり。そうなると家康もわが いて、家康と最後の打ち合わせをとげている。その二十二姿勢を据え直さねばならなかった。 日に彼も京へ人ったのだから無理もない。 政治家ではなくて、三度び日本一の戦略戦術をもっ戦場 伊達政宗、黒田長政、加藤嘉明、前田利常、上杉景勝、 の将軍に還らねばならないのだ。 池田利隆などの大軍の他に、京極高知、同忠高、有馬豊 氏、堀忠政なども続々と人って来る。 そうした軍勢の間を、光悦は、眼を光らせて二条城へ急 ( ーー・戦にさせぬ手はある筈 : : : ) 彼は直接家康に会ってそれをいう気なのだから凄じい 、 ) 0 前夜の決断 2 3