勝重 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 16
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1. 徳川家康 16

( もはや戦は避けがたい : 一重は弾き返すように答えた。 おっくう その実感が重く、いにのしかかり、ものいうことも億劫た を、いったん家康ほどの人物に喰いさがった以上、な まなかな妥協はしてはならぬと思った。 ( われ等にも意地もあれば、阯根もある。生命ひとつを投実際に、家康が再度の出陣を決意したのは、この十五日 から両三日の間らしい。 出してかかれば、何の怖ろしいことがあろうそ : : : ) このあたりから、二人の間には、どう縮めようもない距わるいことに青木一重が退出してゆくと間もなく、再び 板倉勝重から急報がとどいた 離が出来てしまった。 それによると、京都の流言が捨ておけないことになった 一重は眼を怒らして、 「大御所のお言葉、そのまま修理どのに伝えまする。総壕とある。今までは、関東から大軍がやって来るたろうとい いまにも大坂の兵が どころか、大御所さまには、始めから城まで潰さすお気でう噂だったのが、急に逆になった : 京都へ侵入して来て火を放つだろうというのである。勝重 あったと」 気がつくと家康はトボンとした、以前の老人の顔にかえは極力それを否定して人心を鎮めようとしているのだが、 3 一度ひろがった流言の波はひろがるばかりで、恐怖した人 り、もう一重の言葉を聞いてはいなかった。 人は鞍馬、愛宕などの山々に遁げこんだり、万一をおそれ 家康はもの憂そうにかたわらの侍女にいっこ。 「永井直勝を呼んでな、大坂の使者をもてなして帰すようて御所や公卿の屋敷に財産を預けるもの、引きも切らず・ : : とあった。 にと申せ」 オ家康は、幾分それには誇張があろうと判断した。板倉勝 一重はふしぎなことに、これですっかり勝った気によ 重も、もう将軍秀忠と同じ考えになっている。 り、昻然と眉をあげている : ( 何とかしてわしを同意させようとしているのだ : ところがその翌日になって、こんどは勝重の子の板倉重 昌が、顔いろを変え、馬を乗りついでやって来たのであ 家康は、永井直勝を呼んで青木一重をその手に任すと、 ひきて つくづく引出ものの刀一筋も惜しい気がした つ ) 0

2. 徳川家康 16

の局、正栄尼の順で、この行列を見た大坂の町人たちは首木一重の方は気が気ではなかった。或いは自分の来訪の目 的が、所司代側に洩れていて、駿府では、その扱い方につ を傾げた。 いて協議しているのではあるまいかという疑惑を持たずに 「こりや戦にはならぬらしいぞ。女子衆が、ああしてのど いられなかった。 かに旅をなさるようではの」 この疑惑は全然根も葉もないことではない。当時は京と それほど女達の顔は、いすれも晴々としたものであっ 駿府、駿府と江戸の間は、さまざまな情報をもたらす使者 や諜者の往復でごった返していたからである。 事実、青木一重と前後して、家康の許へは所司代板倉勝 今度も大坂からの使者は鞠子の徳願寺に入り、ここから重から重大な報告が届いたところであった。 家康の許へ到着を届け出た。 他でもない。勝重が伏見城代の松平定勝と相談して、大 青木一重は三月十二日に、常高院の一行は同じく十四日坂方の牢人集めのおり、ひそかに応募させてあった武田家 に到着したのだが、家康は別々にこれに会おうとせず、三旧臣の小幡景憲から、 「ーーー、大坂城内の叛乱は、もはや制止出来る状態ではなく 月十五日、双方一緒に駿府城へ迎えて会うことにした。 この前、片桐且元と老女たちの一行をわけて会見してみなっています」 という、報告がなされて来ていたからだ。 たが、その配慮は何の実効もあらわさなかった。 小幡景憲は甲州流の軍学者として、近ごろあまり戦意の 女房たちの来訪は責任のないものとして労り、且元には ないらしい真田幸村以上にその能力を期待されて城へ迎え きびしく城を預かる家老としての責任を間うたのが、却っ て両者の間の判断を誤らせ、事を紛糾させる原因になった入れられていたものらしい からである。 そうした景憲の報告が、板倉勝重の手を経て家康の許へ 常高院たちは到着した翌日の謁見なので、こんども機嫌届けられたのが、青木一重の徳願寺到着と前後していた。 はわるくない いうまでもなく、この板倉勝重からの報告書は家康をい よいよ落胆させる内容の羅列であった。 しかし、十二日に到着して、十五日まで待たせられた青 301

3. 徳川家康 16

: これはおもしろいことをいわっしやる。なるほ 「新しいものも又古くなるか : ど、これは斬り盗り第一の信長公と、泰平万々歳の大御所 日に新しく、日に進む : : : 同じ所へは寸時も止ま の戦 : : : に違いないわ」 らないのが、天地の姿のようでござりまする」 「されば、先す開眼供養の中止をお命じなされて、それか 「フ ] ム」 近ごろ、いよいよ感心癖のひどくなった勝重は、ひとしらしばらくは気永に間をおきまする」 「なるはど : きり首を傾げて感心してから、 「すると大坂方に軍備を整える隙を与える : : : と、考える 「すると、こんどの開眼供養じゃが、これをここで停止さ のが、世のつねの知恵でござりましよう。しかし、この光 せると、先ず、まっ先に吹き出す風は何であろうかの ? 」 ↑しささか見通し悦は、そうは田 5 いませぬ」 「その儀について、ようやくこの光こ、、 光悦は、またまじめ過ぎるほど生まじめな平素の顔に返 がっきましてござりまする」 って声を秘めた。 「そうか。それを承ろう。どうじゃな、騒ぎの起こらぬよ 「先ず中止を命じておいて間をおきますると、勢いにから う速戦即決の手段は無かろうかの ? 」 そういうと、光悦は、明らかな嘲笑を唇辺にうかべてはれて大坂入城を志して来た者どもも、ちょっとイキを抜か れて考え直しまする : : : 考え直せばしめたもので、決して げしく首を振ってみせたの 入城者の数が殖えることはござりますまい。いったいこの 四 戦、何れが勝っか、と考える時を与える : : : これが大切な 戦略ともなり仁愛の心に通ずる労りともなりましよう」 「速戦即決は、採らぬと申されるか」 板倉勝重は呼吸をつめたうわ目で、じっと光悦の額のあ 板倉勝重はおどろいて訊き返した。 たりを見詰めている。 本阿弥光悦は、うなすきながらいよいよ皮肉な笑皺を深 めて、 「私は、豊家への恩願や義理に殉じようとして集まってい 「これは、信長公の亡霊と大御所さまの合戦でござりまする者どもは砂中の金ほどと見ています。恐らくその大半は 全く違った胸算用 : : : 切支丹のためとか、おのが出世のた る。速戦即決では、信長公が勝ちましよう」

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呪う不届きな供養など、そのまま執行させたとあっては役 しかし、どちらも鐘銘はむろんのこと、棟札の件につい 目のうえの大失態、腹を切ったぐらいで済むことではな ても何の意見も持ちょうはなかった。 い。されば、板倉勝重、命にかけても、明日の儀式をとり 「何かの誤解でござりましよう。板倉さまは市正さまとは 別懇の間柄、きっとお取りなし下されるに違いありませ行なわせることは出来ませぬ : : : との口上でござる」 いわれて且元は茫然としてしまった。 ぬ」 ( 何故 ? どうして ? ) そういう一重を押えて、 「とにかく、南禅寺へ人をやっての、清韓長老を呼んでお耳の奥でガーンと不吉の鐘が尾を引いて鳴りだした。 いて貰いたい。話がもつれたおりに説明願わねば相成ら 五 ぬ。われ等には鐘銘などとんとわからぬからの」 「かしこまより・寺 ( した」 「断じてならぬ : : : と板倉どのが申されたのか」 そして、為元がその手配に立っと間もなく、所司代の使且元は、わなわなと震えながら、ようやくそれだけを口 者中坊左近秀政は、再び馬で戻って来た。 彼ー額に噴かせた汗を拭おうともせす、且元の顔を見る「御意 ! 」 と、使者は身をのり出して、 と、はげしく首を振って見せた。 「その事は、片桐どのにもようわかっている筈 : : : と、所 「明日は、断じて供養は罷りならぬ ! との厳命でござ 司代は舌打ちされておわしたが」 「なに、それがしにもわかっている筈と : 「なに、断じてまかりならぬ」 「いかにも、片桐どのは、大御所や将軍家のおとがめがあ「さよう。何度も駿府へ赴かれて、大御所さまに直々お目 にかかって居る。われ等以上に、片桐どのがご存知じゃ。 った際には切腹すると申されるが、もちろん、そうすれば 片桐どのお一人の申訳は立ちましよう。しかし、この板倉早々に中止を布令て、この旨秀頼公に取り次ぐよう : : : 不 勝重の申訳は相立たぬ。それがし不肖なりといえども都の穏の動きがあれば、板倉勝重即刻手勢をくり出して蹴散ら 守護に任する者 : : : その勝重がここにありながら、天下をさねば相成らぬ。よく事態を見きわめて来るようにとのご

5. 徳川家康 16

は、彼にとっては的外れにえたのだ。 ろう。板倉勝重、近ごろこれ以上の不快を覚えたことはご イ、らぬ」 「板倉どの、仮に密使の儀は事実としても、合戦籠城とな れば戦費は莫大なものでござる」 「お待ち下され」 且元は、次第に落ち着きをとり戻した。それは勝重の怒「まだ強弁なさろうとか」 りの原因が、彼の考えてもみなかった誤解にもとづくもの 「強弁ではござらぬ。戦には莫大な戦費が要る。が不肖市 正、そのご金蔵の鍵を預かる身でござるそ」 とわかったからであった。 「なに、ご金蔵の鍵を : : : 」 「この市正が、所司代の友情を裏切る : : : そのようなこと はじめて勝重の語勢が停まった。しかしその顔から怒り のない証拠は、大坂へ立ち帰れば充分にお示し出来よう、 ますお心を静めさせられて、それがしの申し分お聞き取りの影は消えなかった。 「市正どの、お身はいったい本気でそれを申されるのか。 下され」 しかし、板倉勝重は、人が変わったようにはげしく首をご金蔵の鍵、すでに取り上げられたをご存じないのか」 そして再び憐れむような続けざまの舌打ちだった。 振りつづける。 「九度山の真田だけではござらぬそ。長曾我部の残党へ も、豊前小倉の毛利勝永へも、安芸の福島正則へもみな密 使が出されている。それどころか、籠城のおりの兵糧米を 「なに、ご金蔵の鍵を」 買い占めようとして、ここもと、大坂の米価の高騰はうな こんどは且元の顔いろは一度にサッと蒼ざめた。 ぎのばりじゃ。いや、まだまだある。すでに福島正則はそ「何ということじゃ : : ご存じないわ」 の呼びかけに呼応して、莫大な米の輸送にかかった旨の知 板倉勝重は声をおとして、 らせもあった。これでも、そこ許は、存ぜぬことといわれ「御舎弟の主膳正貞隆どのは、お身にそれを連絡しなかっ るのか」 たと相見える。市正どの、よう聞かれよ。ご金蔵の鍵が開 かぬままで、市井の米価が騰貴すると思わっしやるか。ご 且元は、思わず笑った。思わず笑いたいほど勝重の心配貴殿はいまだにご金蔵の鍵が、ご舎弟の手中に無事である 6

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がら、それに対してどう出て来るかの謎に過ぎまい」 ( 駿府から、直次がやって来る : : : ) それはいわすと知れた家康の、開眼供養停止の使者とわ「と申して、秀頼さまはそれの解けるほどご苦労なされた かるからだった。 お育ちとは思えませぬが」 幸いのことに於みつはまだ、自分のいい出した国松君の「待たせてはわるい。とにかく直次に逢いましよう。そう ことに気をとられて、それに気付いた様子はない。 じゃ。わしは一足先に参ろう。翁は茶の支度をなされて、 「そうか、直次どのが参られたか。事によるとこれも、大後からお出であるように : どんな大事な秘密にも、殆んど隔意なく光悦を同席させ 梵鐘の見物でもあろうかの。そうじゃ、お内儀はもはやご 帰宅であろうが、翁は、これも別して懇意なお仲ゆえ、直る勝重だった。勝重はある意味では光悦を、自分の妻子以 上に信頼しているのかも知れない。 次どののために茶を点ててはくれまいかの」 「それはもう喜んで」 勝重が一足先に居間を出てゆくと、本阿弥光悦は、眼を 「では、ご内儀、乗り物を出させよ、フほどに、 閉じて唱名をくり返した。 一足先に帰って下され」 「南無妙法蓮華経。南無妙法 : : : 」 勝重にそこまでいわれて、於みつも、はじめてハッと気 付いたらしい 所司代屋敷の客間では、安藤直次が、旅姿のまま無表情 「はい。では、私はお暇させて頂きまする」 に坐っていた。 小帳面を受け取って、叮嚀に一礼して出ていった。 直次もここ数年でめつきり貫祿がついて来て、堺奉行の 翁、いよいよ来たよ、つじゃの」 勝重が呼吸を整えるようにして呟くと、 頃よりはだいぶ躰も肥えていた。 「おお安藤どのか。遠路わざわざご苦労に存ずる」 「いかにも」 光悦の顔は赤く硬ばっているのがわかった。 そういう勝重に、直次は無造作な一礼を返して、 たいぶ入り込んでいるようでござりますなあ牢人ども 「到頭、箭はつるを放れましたか」 「いいや、そう申しては早合点じゃ。恐らくこれは難題な が。烏合の衆 : : : と、申すものは、腐臭には殊のほか敏感 こなたは、

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板倉勝重は、それをチラリと横目で見やって、これも黙別に動くものじゃ」 そういいながら、こんどは小さな紙片を取り出して光悦 って汗を拭きだした。 に渡した。 「なるほど : 光悦はそれを黙って於みつと二人の間にひろげた。 帳面をくりながら、光悦は、誰にともなく、 見せる : : : といわずに見せてゆく気らしいが、勝重はそ 「大体上方に入りこんでいる牢人の数は十六、七万人 : まかな そのうち、分銅吹きわけの黄金で諸用を賄うもの、七分三れをとがめようとはしなかった。 その紙片の最初には「真田左衛門佐幸村」と書いてあ 分の割りと見えますなあ」 板倉勝重は頷くでもなく、頷かぬでもない様子でタバコり、その上に「五十万石ーー」と記してあった。 次には「長曾我部盛親」「後藤又兵衛」「塙団右衛門」「毛 盆を引き寄せた 「坂崎出羽のようなものがあるからの」 利勝永」などの名が並んでいる。 そして、長曾我部の上には「土佐一国ーーー」と書いてあ 「それは、万一戦になったおり、徳川方へ仕官の途をすす り、後藤の上には「三十万石」、塙の上には「二十万石」 めようという者で」 と書いてある。 : という、翁の見方は少し甘い」 「それが三割 : 勝重は、わざとらしく吐息して、 本阿弥光悦は唇をゆがめて首を振った。 「わしは八分二分と見る」 「真田がせいぜい十万石、あとは、一万石でも多いご仁の よ、フで」 光悦は生まじめに首を振った。 「人間はもう少し眼先の見える、そろばん上手 : : : 負ける勝重はそれには応えず、 「武将の中には、尾張のうつけで終わるか、天下を奪るか とわかっている方には、案外味方せぬもので」 : そう呼号して戦った総見公以来の賭け根性が深く根を 「そうではない」 おろしている。いわばこれは、総見公の遺品での。翁は、 と、勝重はさえぎった。 「翁の見方は廿い ! 人間はの、案外身の程知らぬ賭け好そうは思わぬかの : : : 」 : とに、フだけ、ワーツと / 刀 きのものじゃ。取分が多い :

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一腹が立っての、道々人に、ロを利くのも嫌でござった」 しかし板倉勝重は慎重に首を傾げて考えだした。 「実はの安藤どの」 「何でござりまする」 「恰度、本阿弥が辻の翁が本日来合わせている。貴公に茶 を献じたいと申していたゆえ、これに呼び寄せてもよいで 十 あろ、つか」 「光悦どのならば、それがしに、、 カくべっ異存はござりま光悦は、無心になって茶を点てた。 そして、それを二人が深沈とした表情で喫しおわるま せぬ」 てまえ 「よし、では、翁の点前で先ず腸を洗うとしよう。これで、彼もまた何もいおうとしなかった。 先ず直次、ついで勝重。 は、軽々しく考えてよいことではない。苦々しく腹立た しい。が、それ以上に我慢なされているお方もおわすの勝重は最後の一滴を音をたてて喫してゆくと、 「本阿弥の翁、大御所から、開眼供養は延期のご命令が出 それから大きく手を鳴らした。と、光悦はもう茶の用意ましたそ」 をして呼ばれるのを待っていたらしい と、茶碗をおいて口を開いた 二人のお坊主衆に風炉やお道具を運ばせて、例の几帳面本阿弥光悦は、おだやかに頷いた。 な顔で人って来た。 「それはまた、何故でござりましよう」 「これは、安藤さま、久しぶりにご拝顔、お変わりなくて「鐘銘の中に、徳川家を呪詛し、調伏しようとする、不届 至極な文字がかくされてあったのだ」 何よりに存じまする」 勝重は淡々とした口調で、 「翁も健固で重畳でござる」 眼のふちを赤くしている直次があわてて顔をそむけてゆ「その間題の章句はの、国家安康、君臣豊楽の八文字じゃ。 その中で大御所のお名の家康を分断し、豊家を眥の隆昌に くのを、視線の隅にとめながら顔をあげると、 「安藤どのもご所望でござる。一ふく振る舞うて下さらぬ 力」 板倉勝重は、もう平常の落ち着きはらった戸で光悦に 「かしこまって、こギ、りまする」

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のろ 大御所を呪うなどとは、許しがたき不都合と : すると、これも悲しさがこみあげて、思わず涙がこばれ 「フーム。難題とは : : なるはど、難しいものでござるそうになった。 これを撰した南禅寺の清韓長老は板倉勝重もよく知って いる 「と、いわれると、ご激怒なさる大御所がご無理たといわ っしやるか」 禅僧として可もなし、不可もなしの学者で、詩文には特 「いやいや、さにあらず、国家安康 : : : なるほどいわれてに文字を弄ぶ癖があった。したがって、双方に追従し、双 みれば、家康の御名の分断、これは怒らねばなりますま方から褒められるつもりで、家康の名たの豊臣の姓たのを い。いや、ご激怒遊ばすが当然じゃ」 ちりばめて見たのであろう。 取ってつけたようなうつろな勝重の同意であった。 それにしても、こんな鐘銘に、家康ほどの人物が謎を托 して難題を吹きかけねばならないとは何というみじめなこ 九 とであろうか。 板倉勝重に合槌を打たれて、安藤直次はまた泣きそうな しかも、この謎は相手の出方次第で、家康の晩年を、真 ~ 損一」よっこ 0 ヾレ、ぐ / / 黒に塗り潰す原因になりかねないのだ : 「全く愚かな者ほど始末のわるいものはござらぬ。このよ 「相わかった。これで、中止ではなく、延期を命ぜよと仰 : このような、妙な文字を使わすとも : いや、幸せられたのでござるな」 い駿府には、いま篤学の人々が集まって、古書の整理中ゅ「御意、それも余人には申さす、始めからのいきさつもあ え、こうした危い呪詛調伏の方法が、古来からあることにることゆえ、片桐市正に、所司代の名をもって申し渡すよ 気付いたからよいようなものの : : : これはいったい、な : 、つにとの、ご内宀思でござる」 : な : : : 何とい、フ、清無いことでござろうか」 「片桐市正にの : ・・ : 」 勝重は答える代わりに、もう一度ロの中でその章句をく 「されば、市正ならば、これは謎とわかる筈 : : : いや、わ り返した。 かればそのままには : 「国家安康、君臣豊楽 : : : 」 しいかけて、直次は舌打ちした。

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板倉勝重は手をあげてさえぎった。 「では、早速その儀を将軍家に申し上け、再び城を囲ませ 「あまりと申せば無礼千万 : : : それがしから、佐渡守にそねば、大事になるといわっしやるか」 う申せばよいのでござるな」 「いや : : : いや、そのような : 「ならば、どうせよといわるるぞ。佐渡守に無礼があった 十 との伝言は相わかった。しかし、牢人どもが騒動を起こす : と、なればこれは佐渡守の責任ではのうて、大坂城の 勝重もまた、大野治長の、こんどの処置には歯痒ゆさを ご老職、修理どのご自身の責任でござろう」 感じている。 きびしく決めつけて、それから勝重は声をやわらげた。 大坂城の運命を預かるほどの者が、筋違いの使者を伴っ 「修理どの、すると牢人どもが、お身の命に服さぬで困 て所司代屋敷へ現われたり、わが身の愚痴をのべたりして る。このままでは騒動にもなりかねぬゆえ、何ぞよい知恵 いてよい時ではない。 はなしか : : : それで本多どのをお訪ねなされたのでござる そこで、大きく一つ平手打ちをくれたつもりであった ' 、、治長はそれをどう受け取ったのか、 「そ、つでござる ! 」と、身をのりだした。 「い、いかにも、そ、そうでござる」 「それならば、本多どのの無礼呼ばわりは二の次でござろ 「この修理の苦しい立場をお考え下されたら、とにかく会 うて事情をおたすね下さる : : : その位の親切心はあってような」 い筈 : : : それが、何れ風邪が治ったら、大御所さまに申し 大野治長はまっ赤になった。自分の愚痴をたしなめられ しかし、そのため感情 上げよう : : : 実情はそのように生やさしいものではござらた : : : それだけはよくわかったが、 ぬ。われ等がそうした木で鼻をくくったようなあしらいをの尖りがいちどに消え去るものではなかった。 受けて戻った : ・ : と報告したら、牢人衆は、その日のうち ( ここでも又、自分だけを責めてくる : : : ) に激発もしかねまじき事情でござる」 その不満が、羞恥といっしょに、やりきれない渦を胸で 「これは聞き捨てならぬこと ! 」 捲き立てる。 勝重は眼を光らせて開き直った。 「板倉どのに申し上げたいのは余の儀ではござらぬ。いか 265