名古屋 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 16
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1. 徳川家康 16

そうなると、常高院よりも大蔵の局がいらいらしだした。 「それはもう、お心易う思し召しませ。わらわたちは喜ん 彼女の方が、淀の方の内命を切実に心にかけているからでお手伝い致しまする」 信じきった笑顔でこれを引き受けた。 「大御所さまに申し上げます」 「名古屋は帰る道すがら、しかも浅野家の姫とあれば、ま 「おお、何事じゃな」 んざら知らぬ仲でもござりませぬ。なあ大蔵どの」 し」 「先程、常高院さまよりお願い申し上げましたるご救援の 「それゆえ、その方はご安堵あって、ご母公さまのお願い しカカなもので、こギ、り・寺 ( しよ、つ」 の筋、宜しゅうお取り計らい下さりまするよう」 「おお、その事の返事をまだせなんだか」 家康は、はじめてみんなに笑顔を見せた。 まだ、承っては居りませぬが」 「では話は決まったぞ。わしも婚儀が済んだらの、京都へ 「これはしたり : : : その返事をしていたつもりであった もゆき、摂津、河内の地も視察して、政令を出すなりなん に。つまりわしは近日、名古屋に赴く。恰度よいおり じゃ。こなたたちも名古屋へ一足先に参っての、義直の婚なり、決してみなを餞えさすようなことはすまい。では名 儀を指図してやってくれぬか。関東の女子どもは婚儀など古屋で待っていてくれるの」 老女たちは又改めて顔を見合わせた。 というても礼節に暗くての。みなが居ってくれれば、い強い 予期してはいた事たったが、家康は決して申し出を拒ん でいるのではないようだった。 老女たちは思わず顔を見合わせた。 敵意どころか、さながら一家の親しみを見せ、義直の婚 五 儀を手伝うよう : : : さすれば、そのあとで、決して餓えさ : と、いっているのだ。 家康の話が、あまりに思いがけない方向へそれてゆくのすようなことはしない : で、青木一重は、再び全身を硬くしていった。 「それでよかろう」 ( いったいこれは、何を考えているのだろうか ? ) と、宀豕康はいっこ。 しかし、常高院は身をのり出して、 「よかったのう茶阿、これで、こなたの客との話は済んだ よ ) っこ 0

2. 徳川家康 16

に参り、これもこの地に止まって居りまする」 なく、こうしてついに東西両者の不幸な戦は避け得ないこ 「青木一重が : ・・ : 」 とになった。 それにしても、大坂城内で老女たちの帰りを待っ淀の方「はい。一重からの書面 : : : これにござればご披見願わ や、すでに戦う気のなかった秀頼はいったいどうしているしゅう : : : 但し、これは決してご他言これなきように」 淀の方は、治長の差し出す書状を苦笑をうかべて受け取 のであろうか : 「すると、こなた、一重に名古屋で事情を探るよう、申し 淀の方の手許へ、老女たちの一行から便りがあったの付けたというのじゃな」 しししえ : : : 一重の方から、腑におちかねることが は、家康がまだ駿府を出発する前であった。 その便りには、家康が義直の婚儀を済まして上洛し、豊あると、すすんで名古屋にとどまる山を申して来ました。 どうやら婚儀という名で出陣の様子。すでに、桑名、伊勢 2 家の家人も領民も決して餓えさせるようなことはしない : の軍勢は、秘命を受けて行動を起こした様子にござります : という結構すくめの内容だった。 淀の方は先ずそれを千姫に見せ、それから治長を呼んでる」 淀の方はまだ微笑を消さすに、一重の書状を読みくだし 誇らかにこれを示した。 「わらわの眼がねに狂いはなかった。大御所は戦などするている。 そして、その表情に不思議な硬わばりが見られたのは、 気はみじんもないそえ」 いいながら書状を渡してゆくと、治長は険しい顔になつ大坂城内に裏切り者が出ているという一節であ 0 た。 他でもない、織田常真と、織田有楽斎父子がそれだと一 て首を振った。 重ははっきりと書いてあった。 ィまたまた女子衆は、ものの見事に欺されました」 「何とおいいやる ? すると、そなたの許〈は別のたより織田常真とは名古屋 ( の道中ですれ違 0 た。そして、常 真は何ほどかの情報を家康に売り、そのまま駿府へ屋敷を でもあったというのか」 「恐れながら、青木一重が、女子衆のあとを追 0 て名古屋与えられて住みついた。

3. 徳川家康 16

と、淀の方はいい返した。 それだけならば、一重はまだおどろかなかったが、名古 「人はの、おのが心の持ちょうひとつで、鬼にも蛇にもな 屋へ来てみると、名古屋の家老、竹腰正信と織田有楽斎の るものじゃ。こなたが有楽斎どのを疑えば、有楽斎どのも 間にしきりに情報の交換がなされている。 おそらく、有楽斎父子は開戦と決定すればこれも城を出又こなたを疑う : : : わらわは、その疑りあいは飽々じゃ」 「恐れながら : でて家康のふところへ飛び込む気に違いない。 ここでは自分もその有楽斎父子と同心のように装大野治長は、これも強く押し返した。 「飽きるの好まぬのと仰せられて済むことではござりませ 的確な情報を得るまで、老女たちと共にこの地にとど ぬ。間題はもそっと切迫して居りまする。今になって、そ まるべきだと思うがご指示願いたい」と結んであった。 淀の方は、読み終わると、はげしく舌打ちをくり返しれがしは、改めて老女衆を駿府につかわしたを悔いている のでござりまする」 「なぜじゃ ! 老女たちは、わらわの使者、それにこなた 「この一重の書状、こなたは何と思うぞ修理」 はロ出しするのか」 「何と思、つ : : とは、怪しいふしでもござりまするか」 : よく心を落ち着けてお聞き下されましょ 「、こ母公さま : 「怪しいとも怪しいとも。これは一重が、名古屋の家老ど もにあやつられ、こなたの肚をさぐろうために認めた う。老女衆はこの書面の通り、ころりと大御所にいしくる これこそ一袰切りと思、つがど、フじゃ」 められ、嬉々として婚礼の手伝いをさせられているのでご 淀の方に畳みかけられて、大野治長はいよいよ眉根を寄ざりまする」 せていった。 「それが悪い・ : と、こなたは申すのか」 「するとご母公さまは、有楽斎どのに限って : : : とお信じ 「よい、わるい : : : ではござりませぬ。名古屋城内では婚 なさるので ? 」 礼は表向き、それを終わるとすぐさま大御所と相携えて出 : これを意地わるく考えれば、この婚礼が 陣の肚づもり : : とは、受け取れませぬか」 そもそも大坂攻めの用意 : 「何といわるる。名古屋の婚礼が、大叛攻めの用意じゃ 「有楽斎どのに限ったことではない ! 」 313

4. 徳川家康 16

家康はまだ自分の執念をみじんも捨てようとはしていな 「お袋や右府を救うためには、修理に直接働きかけるが一 かったのだ : 番のよ、つじゃ」 「大野修理に、大御所直々 : 「いかにも。修理は優柔不断の男だ。あれに、どのような ことがあろうと右府とお袋を殺しては相成らぬ。必す助け 小栗又一は、その日のうちに名古屋を発して京都へ向か 出せるよう、万端準備をしておくように命ずるのじゃ」 小栗忠政は眼をパチパチしながら小首を傾げた。大野治 そして家康の名古屋発進は翌々日の十五日と決められ、 長は味方でもなければ関東の家人でもない。今では敵方の十三日に浅野幸長の娘と婚礼を済ませた義直も、父と前後 総帥といってもよい。その相手に命令を下せというのだか し、軍勢を引きつれて出発することになった。 らびつくりする筈であった。 もはや戦機は熟しすぎるほどに熟してしまった。うつか 「恐れながら、大野修理は敵かと心得まするが」 りすると、二条城や伏見、淀などの諸城が敵の手に落つる 「敵も味方もない ! 」 危険が出て来たのだ : 家康は声を高めた。 家康は十四日に、土佐の山内忠義と、因幡鹿野の亀井 「わしは家康じゃ。よいか家康から命するのに何の遠慮や矩に早々出陣するよう指令を発しておいて十五日に名古屋 はばかり・があろ、フ。そ、つじゃ , を発った。 これは誰がよいかの、フ」 家康はそこで再びジーツと考える顔になって、 その日の夜は桑名泊まり : : : 翌十六日亀山に到着する 「そ、つじゃ。これは、おちよばがよし ! 」 と、そこへ所司代の板倉勝重が馬を飛ばしてやって来た。 と、膝を叩いた。 「到頭、修理め、まとまった軍費の分配にふみ切りました」 「又一、その方急いで京都へ参ってな。それ、本阿弥光悦勝重は忌々しげに舌打ちした。 と申す翁があろう。あの者を城内に遣わして、おちよばに 「あの金を、和議の結ばれたおりに分配してあったら、牢 ・ : そしておちよばから修理に、家康の厳命じゃと申させ人衆はそれぞれ身のふり方を考えて城を去っていたであろ うに : : : 歯痒ゆい男でござりまする」 っこ 0 340

5. 徳川家康 16

「は : : : 何と仰せられました ? 」 どいているからだ。 「わしはの、近日、名古屋へゆかねばならぬ」 その中の一項に、大坂では近畿でしきりに兵粮米を買い : : : ? で、ござりまする力」 「名古屋へ あさっている : : : というのがあった。 「そうじゃ。たっしゃなうちに義直に嫁を迎えておいてや その兵粮米を、家康の袖にすがって豊かにしよう : と、考えたとすれば、あまりに見えすいた術策といわねばろうと思うての。婚儀じゃよ。婚儀に出かけて参るのじゃ」 そういってから家康は、自分のわきに控えている茶阿の ならない。 常高院が、もう一度、一語々々に力を入れて、 「ーー、兵乱によりまして、摂津、河内二州の田が荒され「あれは、何という名であったかの。いやはや、思い出せ ぬわ、名前がの : : : 」 「はい、浅野家ご先代幸長さまの姫君さまにて、春姫さま そう繰り返すと、家康はチラッと青木一重の方を見やっ と仰せのお方でござりまする」 、春が来 「そうじゃそうじゃ、於春であったー そして、常高院の口上が終わるのを待って、こんどは一 た。春が来て暖こうなる : ・・ : そう覚えておこうと思うた 重に問いかけた。 ら、於花であったか、於梅であったか迷うてしもうた。あ 「これは、右府からの申し出かの、それとも、お袋さまか れは幾歳であったかの嫁御は : らの申し出かの」 「はい。十三歳のよしにござりまする」 一重は狼狽した。彼は、この事について、ロをさしはさ 「義直は十六歳になった : : : そうだ。三ッ違いであった む心の準備がなかったのだ。 カくべっ : 「されば、上様には、、 もりやく そういってから家康は、義直の傅役だった平岩親吉が死 「挈ごっか挈ごっか」 →つ、つ、も・つ ぬおりに老耄していた話だの、義直が利かぬ気ゆえ、嫁女 家康は、ここでも無表情に二度頷いて、 はおとなしい気性がよいのと、すっかり話をそらしてしま 「わしは近日、名古屋まで行く気で居る」 と、女たちの顔を見まわした。 304

6. 徳川家康 16

ともわたりあって、決して負けはとらなかったこのわし家康は、苦笑を禁じ得なかった。 というのは、昨十九日、美濃高須城主の徳永昌重から、 今更子供相手の戦をしなければならぬとは、何というお家康宛の秀頼の書状というのが届けられてあったからであ る。 かしなめぐり合わせであろうか。 それには、秀頼は、家康に対しても将軍に対しても、決 といって、若し汕断してこの綻びを大きくしたら、それ して異心はない : : と認めてあった。そこで家康もかすか こそ手のつけられぬ無間地獄が口を開いて来るのである。 に、いを動かしかけていたのである。 ( 獅子は兎を摶つにも全力をかけるという : : : ) 徳永昌寿の伜ならば、間に立って、何とか役に立っ 家康は十七日に名古屋に着き、十八日に至って、越前ヒ かも知れない : の庄からやって来た松平忠直が、金沢城から駆けつけた前 田利光 ( 利常 ) と進軍の速度を竸って、前者は近江の坂本 ところが、それもどうやら、家康を安心させて二条城に に、後者は近江の海津に着いたという知らせを受けた。 誘い入れるための、如何にも子供らしい計略だったらし。 ( ーー・戦争を駆けくらべだと思っておる : : : ) そこで、忠直には山城の西岡、東寺に陣し、利光には淀 ( いやはや、何としても戦と遊びのけじめのつかぬ世にな ったぞ : : : ) と鳥羽 こ陣して、つとめて兵を休めるように厳命した。 それだけではなかった。 そして、十九日に岐阜、二十日に近江の柏原に到着する 二十一日に石田三成の旧領だった佐和山を経て、二十二 と、またまた戦を廿い遊びと見ている子供だましのような 日に永原に着いてみると、この日将軍秀忠は大軍をひきい 知らせを受けた。 秀頼の密命をおびた忍びの上手な牢人どもが、京で板倉て江戸を発ち、気負い立って名古屋を発した義利 ( 義直 ) 勝重の手に捕えられたというのである。その者たちは、家の軍勢はすでに京へ到着したという二つの知らせが届いて 康がやがて二条城に人るものと予想して、二条城に放火し 「・ーーー急ぐではない。急いで兵を疲れさせるな」 たうえ、その混乱に乗じて家康を狙撃する計画で都へ派遣 家康は、直ちに将軍の許へ使者を走らせた。 されてあったという

7. 徳川家康 16

こともあるまい。 し」 「七手組の中にはご身辺の守護出来る若者たちが居るであ「直勝、洩らすなよ」 ろう。きびしく、それ等の者に守護させて、郡山の城に入 そう云ったときの家康の表情は、確かに天を怖れる小心 って謹慎する : : : よいかな、これは将軍家に取り囲まれぬな老人の顔になっていた。 うちでなければ効き目はないぞ。筋さえ通ってあれば、あ こうして、その翌十一日の暮方、織田有楽斎はその子尚 とはわしが引き受ける」 長を伴って名古屋に着き、ひそかに竹腰正信の屋嗷に入っ 一重が心得て退ってゆくと、家康は、しばらくばんやりて、青木一重と会見した。 と脇息にもたれて虚空を見つめた。 ( 有楽めが、一重に何というか : 「まるで、わしは裏切者のようじゃ。なあ直勝」 家康はそれがどこかで心に引っかかってはいたのだが、 永井直勝は黙って小さく頷いた。 その翌十二日の婚礼のこともあって、問いただしてみる暇 もなかった。 五 そして、婚礼を済ました十三日になって、有楽を引見し 天下の仕置に私情は禁物 : : : 誰も納得する法によって筋たときには、もう一重や老女たちの一行は名古屋を発って を通せと、ロを開けば将軍秀忠に云いきかせている家康だしまっていた。 有楽は、家康の前へ出ると、例の皮肉な調子で、 その家康が、一方では将軍の意見を容れて、続々軍勢を「青木一重と、十一日の夜会いました」 自分の方からきり出した。 京の周辺に結集させておきながら、裏へまわって、秀頼を 「文字の読める立派な眼を二つ持っていながら、世の中は 助けようと苦慮している。 まるきり見えぬ、あき盲という言葉がござりまするが、一 ( 果たしてこうしたことが許されてよいのかどうか : 重は、世の中の鳥目でござりまする」 それが家康自身の所業でなかったら、確かに大きな裏切 そのとき家康の傍には使番の小栗又一忠政、奥山次右衛 りであろう。見方によっては「謀叛ーー」と極印されない 門重成、城和泉守昌成などが同席していたので、有楽はも

8. 徳川家康 16

「、こ母公さま ! もはや戦は避けられませぬ。近畿はいう 治長はもう自分の言葉の吟味などはしようとしていなか も更なり、すでに西国の諸大名にも、出陣の命がハッキリ った。彼が冷静な指揮者ならば、片桐且元や、織田有楽斎 下ってござりまする。この分では青木一重以下の老女たちを、ただの寝返り呼ばわりは慎む筈であった。 且元や有楽斎は決して敵ではない。ただこの戦の行きっ は、そのまま名古屋に取り籠められましよう。この五日か く先がハッキリ見えるばかりに、主戦論者の主流にはなり ら六日にかけて、伊勢、美濃、尾張、三河の諸大名はいっ せいに、鳥羽、伏見めざして行動を起こして居る由 : : : 米きれない意見の対立者であったにすぎないのだ。 いったい治長と且元、有楽斎とどちらがはんとうに豊家 村権右衛門の報告なれば、決して間違いはござりませぬ」 淀の方がほんとうにはげしい混迷に襲われたのはこの時の忠臣といえるのであろうか : からであった。 「ーーすべてを得るか玉砕か ? 」 それはいかにも男ましいひびきは持つが、まことに短慮 ( 治長はまだ有楽斎の退城を知らずにいる : : : ) な小児の壮言にすぎないのだ : 「修理、まさか : ・・ : その大御所のお言葉に : ・・ : 」 「何の聞き違えがござりましようや。やはり大御所は、は 治長の言葉を聞くと、淀の方の双頬からも見る間に血の じめから、われ等を欺く肚でござりました」 / カ戸ノしていった。 淀の方は、そこでようやく有楽斎のことを口に出した。 これもおそらく「ーーー・裏切られた」という計算からの感 「すると、有楽斎どのも、それをよう知っていて、ついに 清に捉われていったからに違いない。 われ等を見捨てたと申すのか」 「これは、一大事になりました」 と、治長は、淀の方の感情に追討ちをかけた。 「有楽斎父子が名古屋城へ駆けつけますると、味方の様子 「えツ、有楽斎どのがに」 : これはこちらから先手を は手に取るように洩れてゆく 治長のおどろきは泳ぐような形になって現われた。いちとってすすんで仕掛けねばなりませぬ」 どに汗の量がふえ、それからはげしい舌打ちに変わった。 「ま : : : 待ちゃれ修理」 「では、やはり敵に寝返りましたか」 「この期におよんで、また、ご母公はお止めなされまする 317

9. 徳川家康 16

「それゆえ、即刻ご本丸の大広間に参集これあるように、 考えてみると、これも空疎な言葉であったが、ここでこむろん上様もご臨席遊ばされる。各自お急ぎあるように」 れだけのことをハッキリさせておかないと、混乱のおりに幸村はつつしんで両手を突いて、重成と視線が合うとか 秀頼や淀の方の首級を狙って敵方へ駆け込もうとする者のすかに眼顔でうなずいた。 出現を防ぎ切れないと見たからだった。 どうやらこれで事は決したらし い。好戦の悪霊どもは、 治長も胸をそらして頷いた。 この巨大な城の空間にみちみちて、おそらく手をふり、足 「おのおの方のご誠忠、われ等も決して忘れはおかぬ」 を振って哄笑乱舞しているに違いない。 そこへ、七手組の人々が緊張した表情でやって来だし が、そのいまわしい悪霊の乱舞を、ハッキリとその眼で っ ) 0 見得る人が幾人あったか : 真野頓包、伊東長次、青木信就、郡良列などの面々に続 いて、再び木村長門守重成が入って来た時には、十六畳の 大愚の執念 治房の家の座敷は、縁まで人が喰み出しそうになってい 「おのおのに申し上げる」 重成は、帰って来ると、自身人をわけて上座にすすん 再び通る時はあるまいと、いちいち訣別の言葉を投げて 「上様には、このたび織田有楽斎父子の出奔を殊のほかに通った東海道であった。 それを二カ月経っか経たぬかに、又々引っ返さなければ これも又、関東の誘いに違いない。贈 お憤りあそばされ つくきは関東 : : : このままは捨ておけぬゆえ、早速戦評定ならなくなった家康は、名古屋の城に入るまでひどく不機 嫌そうであった。 を開かれる旨仰せ出されました」 四月十日の午後である。 「では、あの上様が」 城頭の黄金の鯱は、その日も燦然と空を圧していたし、 上体を浮かす治長を手で制して、 6 ) 0 3

10. 徳川家康 16

「なに、禁〕袰を戍に巻きこも、つと」 その時にはもう大坂の老女たちは満足しきって名古屋へ さすがの家康も息をのんだ。そして、すぐさま思い出し 向かって出発していたし、青木一重も、徳願寺を出るとこ たのは、自分の前で昻然と、生命は投げ出していると放言 ろであった。 した青木一重の面魂であった。 「大御所さま、ご決断がおくれましては、取り返しのつか : があるかも知れぬ ) ( そうか。そのような空気 : ないことに成りましよ、つ」 家康は、続けざまに嘆息して、しばらくは言葉もなかっ 板倉重昌は、家康の顔を見るなりそういった。 「いや、大坂攻めのご決断はとにかく、京都守護のお手配 こうして中一日おいて、今度は、江戸から土井利勝が、 。こけは、今すぐお決め願わなければならなくなりました。 それもよい加減の人物では事は済まぬ。本多忠政どのに強これも顔いろ変えてやって来たのだ : 兵を率い、即刻上洛して頂くよう、お願い申せというのが 父の意見にござりまする」 汗の悪霊 その時家康は、はげしい声で重昌を叱りつけた。 「うろたえるな重昌 ! 戦の潮どきならば誰よりもわしが 知っている。必要と見れば、本多でも酒井でも藤堂、井伊 でも機を逸さずに派遣しようが、ものを報告するには順序 ( 戦の怖ろしさを知らぬものほど手に負えぬものはない があるぞ。何故、本多勢が必要だと思うのじゃ」 問いかけられて重昌はまっ赤になった。 「これは恐れ人りました。大坂方では、二条城と伏見城を家康が、やむなく再出陣の覚悟を決めたところ〈、更に 京都から事の急を告げて来た者が二人あった。 襲い、京の市街を焼きはらおうとしているばかりでなく、 その一人は伊達政宗で、もう一人は、大坂城から逃げ出 禁裏をお味方にするため、これを取りかこんで脅かそうと した信長の子の織田常真 ( 信雄 ) であった。 の計画 : : : それを知らせて参った者があるゆえにござりま 何れも、はじめは牢人たちの煽動だったが、その煽動の する」 310