味方 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 16
113件見つかりました。

1. 徳川家康 16

「おお、これは真田さま ! 」 同時に浅井長政どのの孫 : : : と、感じ人ってござります 近づくと、それをかざすようにして幸村に見せた。 「ご簾中さまのお召がござりましたので、ついでにお庭の 「時に奥原氏。ご貴殿は常高院さまにもたびたびお目にか 花を無心して参りました。よろしかったら、陣屋へお飾り かって、こざろ、つな」 なさるよ、つ、おわけ・甲し上げましよ、つ」 「はい。常高院さまも、時おり、この陣屋に顔をお見せ下 「これは有難い。では、一輪だけ頂戴して参ろうか」 さりまする」 幸村はそういったあとで、 信十郎はあっさりと笑顔でこたえた。 「ご簾中さまは、お変わりもいらせられませぬかの」 「ただいま、いちばん心を痛めておわすのは、あのお方さ 貰った菊に鼻を近づけながらさりげなく問いかけた。 まのようで。ご無理もござりませぬ。三人のご姉妹のう 「亠よ、 0 ~ しさすがは将軍家のご息女、すこしも変わったご様ち、お二人が敵味方 : : : 何れが勝っても、悲しいことにな 子はありませぬ」 るのでごギ、りましよ、フからなあ」 「お召しのご用は ? 」 幸村は、うなずきながら、すかさず話題をおし進めた。 「されば、大御所が二条城へ着到されたことを聞こし召さ 「すると常高院さまは、まだ和議の余地はないかとご苦心 れ、城内に動揺はないかとのご下問にござりました」 なされておわすわけじゃ」 「ほう、動揺はないか : : との、フ」 信十郎は笑いおさめて首を振った。 「はい。それだけではなく、お側の、関東からついて参っ 「それは、も、フおあきらめなされたようで」 て居る女中どもに、大御所ご着到とあれば、向後一切他出「ほう、何か、そのようなことをお洩らしなされたかの」 ならぬ。むろん江戸への便りは厳禁と、かたく申し渡され「はい。実はそれがし、もはや、こうなったは滝の下に落 た由にござりまする」 ちかかったも同様、一戦せねばおさまりますまいと申し上 「なるほど、大御所ご着到によって、ハッキリ敵味方にな げ、又有楽斎さまも、そのようにお説きなされた : : : それ った : : : そうけじめをつけられたわけでござるの」 でどうやらおあきらめなされたげにござりまする」 「仰せの通り、やはりこれも大御所の孫であらせられると幸村の眼はチカリと光った。 129

2. 徳川家康 16

える丘の下で乗り捨て、それから百梃の鉄砲を四手にわけわまりない行為に思える。 ( これは、わしも、たいぶ泰平かぶれの聖人君子になりか て、前後左右を固めさせ、残りの百人が二手にわかれて、 からめて けて居るらしいぞ : : : ) 追手搦手の双方から声をかけることにした。 闇の中で小声で下馬の命を伝えると、鉄砲の火繩が小さ この作戦は、五条の陣屋を出る時よりも、だいぶん線が く四隊にわかれて散ってゆくのが見え、やがてその他の人 細くなっている。はじめは、百梃の鉄砲を一度に屋敷内へ とき 撃ちこんでおいて、それから鬨の声をあげさせるつもりで数も二手にわかれた。 だま あったが、それでは、盲射ちながら、流れ弾丸で犠牲が多もうあと真田屋敷までは二、三町 : : : と、なって、はじ めて豊後は小首をかしげた。 く出過ぎると思って手控えたのだ。 妙に洩れて来る灯影がわびしい。 何れにしろ、乱酔の酒宴の席を敵に囲まれたと知った 当然夜気の中へあふれ出ていなければならない陽気さ ら、如何に幸村が強気でも、やみくもに討って出て来る勇 が、滅々とした陰気さにおされて、妙にひっそりとしてい 9 気はあるまい。 酒の勢いにかられて、郎党の中には斬って出る者はあろる感じなのた。 それでも、ひしひしと包囲の環は縮められてゆく。 う。しかしそれには鉄砲の狙いがびたりとつけられてゆ 「おかしいそ。案外早く、酒宴は終わりになったのかな : 向こうは灯りを熄々とともしているのであり、味方は闇 いよいよ門前に近づいて、開かれたままの門内へ素早く になれた眼で、闇の中を進み寄ってゆくのだから、味方の 有利はいうまでもなかった。 身を人れると、その瞬間であった。足許の闇の中で、ロレ ツの回らぬ奇妙な声が彼に呼びかけて来たのは : ( ちと、気の毒になって来たな : : : ) 「馬を返して下されや。わ : : : わ : : : わしの家には、病人 いよいよ川を南へ渡って馬を乗りすてると、松倉豊後 があるでのう、もう戻らんといけんのじゃて」 は、またチグリと心が痛んだ 松倉豊後はとび上って闇をすかした。しどけなく胸をは 油断を衝くというのは、兵法では最上の策であった。し し、人間としては、まことにもって友情を裏切る、卑怯きたけた酔漢がひとり、袴を肩にかけ、両脚を地めんへ投げ

3. 徳川家康 16

そ」 ける牢人たちの入城が続いていた。 「 , ・・・・ーそれがまことに奇怪千万。いよいよ味方が負けると 中には、ほんとうに豊太閤への恩義を思う者もあれば、 理否を問わない生活苦のためのものもあったが、しかし、決ま 0 たら、味方の大将の首を打 0 て出てゆくのだ。こん その雑多な人々の集団も、それが大きくふくれあがるにつなところで死んでは詰らぬ。つまり豊臣方で出世の見込み が無くなった : : : そうわかった時には、百石でも五十石で れて不思議な闘志を盛上げて来るものだった。 : 無為に死ぬよも我慢して味方の首を敵に売ろうといいくさっていたの どうだ、このままでは枯れすすき : この気持は若い者にはわかるまい り戦うて死にたいー 荒川熊蔵は、その名のごとく熊の手のような掌で、 いやはや、話にも何もならぬ若者どもが、入りこん そんな老武者もあれば、その反対に、こまかい計算ずく で、こざりまする」 めの若者もあった。 と、自分の額を叩いていった。 「ー・ー関東勢に味方したのでは先が見えている。仮に兜首 幸村はしかし、笑いもしなければ、おどろきもしなかっ をあげてみたところで、五十石か百石で召抱えられるのが せいぜいじゃ。ところが豊臣の天下になれば、少なくて三た。 ( 近ごろの若者は真ッ正直な : : : ) 千石、あわよくば大名にもなれようからの」 その正直さも、実は泰平のもたらしたものだと田 5 った。 真田幸村は、わざわざ郎党を、そうした人々の中に放っ て、その私語を聞きとらせた。 生命の危険のない世に生きていると、人間は、うことを う′ ) う そのまま口にするようになるものだ。しかし、泰平はそう これは全くの烏合の衆で」 荒川熊蔵が、何を耳にして来たのか、吐きすてるように続くものではない。とすればこの正直さは、やがてわが身 に自刃を返す危い汕断になりかねない。荒川熊蔵がもし、 云ったとき、 幸村の郎党ではなくて、大野兄弟の監視者であったら、そ 「ーーーそれを精兵に変えてゆくのが兵法じゃ」 の場で彼等は斬られていたであろう。 きびしくたしなめておいて、訊き直した。 つまり、五ごろの若者たちは老武者のあこがれている したが、そちを怒らせた私語と申すは何であった 125

4. 徳川家康 16

しかも、池田兄弟は、この前後から双方ですでに竸走し だしていたところだ。 九 そこへ城和泉守がやって来たので、これも却って奔馬に なってしまった。 戦争には、戦略の優劣があり、更に戦術の巧拙がある。 この使者は、兄の陣屋でも同じことをいってゆくだ が、それ以上に直接大きな影響を持つものは士気であ「 り、勝敗の自信如何であり、ものの「はずみ , ・ーー」でもあろう。となれば、兄を出しぬくのはこの時だ ! 」 そこで二カ所から期せずして中ノ島におし渡り、夜明け 時にはこの一見偶然とも見える「はずみーーー」によっ 前に、全島へ激戦の火を点けてしまったのだ。 て、戦争自体、一匹の生きものでもあるかのように動き狂 こうして七日の朝になった。 ってゆくのである。 見ると、池田忠継の旗印は川下から、加藤明成の旗印は それが今度の先陣争いであった。 川上に、へんばんと朝風にひるがえって、双方から織田有 この日月霧が濃く、特に寒気がきびしくなかったら、日 カ楽勢へ爪牙をむけてはげしく挑みあっている。 藤明成勢は、渡河を考えっかなかったかも知れない。 こうなれば、池田利隆ならずとも、じっとしていられる いや、そうした気象状況のところへ、城和泉守がやって筈はなかった。 来なかったら、彼等は、老臣佃治郎兵衛の言葉に素直に従「してやられたぞ。遅れるな」 い、まだ開戦は先のことになっていたかも知れない。 まっ先に船を漕ぎだしたのは池田利隆と陣を並べていた ところが、家康の開戦延期の使者を彼等は労りの使者と備中庭瀬三万九千石の戸川肥後守達安だった。 受け取って、そのまま渡河決行の肚を決めた。 と、それに続いて、作州津山十八万六千石の森美濃守忠 こうして、加藤勢が押し出したとなれば、もはや他の軍政が、これは加藤勢に近いところから川を渡りだした。 勢の制止など思いも寄らなかった。はやり切っている竸走むろん姫路の池田利隆勢も、夜が明けると間もなく兵を 馬は、一頭が駆け出せばあとは夢中で走りだしてゆくもの渡しだしたし、丹波福知山八万石の有馬玄蕃頭豊氏の軍勢 は、もはや中ノ島は先発の味方に占領されるものと判断し 」 0 ていた : つ】 0 175

5. 徳川家康 16

ばならないいのか ? 」 と、豊政は庭木戸を出ながら又思った。 と反間はしなかった。反間が逆に相手を警戒させること 一方は世間の表裏を知り尽し、しかも作戦用兵では古今 になっては取りかえしがっかなくなる。 無双の徳川家康という老虎であった。 おり 彼は、たしかに柳生宗矩の懇望によって大坂人りを決し そして、その老虎は、この大坂城という華麗な檻に飼わ ている。しかし、それは、関東方に味方するとか、諜者になれている若い一羽の鷹を、こよなく愛しているのだが、世 るとかいう、ゆがんだ考え方に出発したものではなかった。 間の風は、その愛情を通わせようとはしないのた。 彼自身の目で今度の戦の本質をはっきりと見扱いた結果 ( 両者の間をさえぎるこの檻はいったい何であろうか : の決断であった。 この戦は、豊家と徳川家の憎悪を爆発させてゆく戦檻をへだてて、一頭の老虎と一羽の鷹が互いに恋情を燃 ではない したがってその渦の中で溺れようとしている者しあいながら、しかも相喰まねばならぬ運命におかれて悲 は、柳生新陰流の誇りにかけて救わなければならないも嘆にくれている。 の」と。 その檻を破って両者の情を通わせようとして選ばれたの その間にもし一点の濁りがあるとすれば、それは柳生宗が偶然にも柳生新陰流の精神たった。 そして一方の柳生宗矩は、これを老虎の立場から : : : っ 矩のつかんだ新陰流が正しいか、それとも奥原豊政のそれ まり、老虎の生涯を傷つけまいとして助けようとし、もう が正しいかという、ひたむきな意地と竸いだけであった。 そして、そのことはハッキリと真田幸村にも公言している一方の奥原豊政は、鷹の立場を、戦乱の犠牲に供してはな らぬものとして立ち上がっている。 し、秀頼にもそれとなく告げている。 しかし、今すぐ秀頼にそうしたことのすべてを理解させ考えてみると、これは一つの流脈にとってまことに大き な試錬といえた。 ようというのは、まだまだ大きな無理であった。 そこで彼は、おだやかに、秀頼のお言葉どおりに仕える おそらく柳生宗矩は、将軍秀忠の馬廻りにあって、しき 旨を答えて千姫御殿を辞去していった。 りに、秀忠の手綱をしめているのに違いない ( おかしな愛情のもつれ : : : ) そうなると奥原豊政もそれに負けていてよいものではな 2 46

6. 徳川家康 16

る。しかしわらわはそうは思わぬ。いいえ ! わらわの眼 たときに、 がもしも狂っていたら : : : その時にはこの母が、まっ先に 「上様のおっしやることはそれだけか」 幸村がいちばん気にかけていた女性の発言になってしま敵対して死のうほどにここでは和議を結んでたもれ , 一 これは又、秀頼以上に赤裸々な母の計算、母の感情に なってしまった。 「みなの者、よう聞かれたであろう」 「よいか。関東では、所替えはせぬといわれる。わらわを 淀の方の声はあやしく粘って、みんなの頭上へ流れてい 質にもせぬといわれる。所領も削らす、家臣は新旧ともに 「上様の仰せのとおり、この和議をすすめたはわらわなのお構いなしといわれる。それに、これ、このように千姫ど のもこの城に預かってあることゆえ、みなみな異議は申す まいぞ : : : いや、わらわの眼に狂いがあって、この和議が おそらく取り乱したわが子の弁護をしてやりたい母の心 に違いない。それにしても当時の女性としてはあまりに出味方の損 : : : と決まったおりには、先ずわらわを斬るがよ い。わらわとて、意地もあれば誇りもある女子ぞ : : : 」 過ぎた発言だった。 「上様はな、情に弱いお方なのじゃ。それゆえ、みなのた 七 めに死のうといわれる。だが、それはみなを愛おしんで、 却ってみなを裏切ることになる。みながこの城に入って戦幸村は聞いているのが苦しくなった。 うてくれたのは、上様を太閤殿下のお子として、立派に生淀の方はみじんも嘘はいっていない。 母として、わが子の生命を救いたいの一心で、牝獅子の かそ、フためなのじゃ : : : そ、つであろうが」 ように奮い立っている いっているうちに、眼は血走り、声はいよいよ高くなっ しかし、それは、どこまでも牝獅子自身の計算で、ここ 「その、みなの心を忘れて死に急ぐは不都合ゆえ、この母に集まった人々の計算ではなかった。 : よいか、みなよう覚えていてくれるよ が和議を計った・ ここに集まった人々が、いま考えているのは、果たして うに : : : 上様は関東方には一片の情けもないといい張られ「ーー秀頼一人の無事」たけであろうか。 つ ) 0 つ ) 0 221

7. 徳川家康 16

いう奇襲がどこにありましよう。それに、味方は七百、敵した は一万 : : : 鉄砲の数でも間題になりますまい。これは大御 五 所のお言葉どおり、何れ池田勢と共に、敵兵力をあちこち に分断しながら攻めるが有効、それまでご自重がよろしゅ 「ご家老はそもそもこたびの戦を、加藤家の戦とお考えで 、つ、一」ギトり - 士しよ、フ」 ござりましようや、それとも天下の戦とお考えでござりま 「フーム。するとその方は夜襲に反対か」 しようや、先ずもってそれをお伺い致しとう存じまする」 「はい。万一のおりの危険があまりに大きゅうござります この問いかたは戦国の昔にはない、無礼な間い方であっ いわれてみるとそれも確、かにそうであった。 ( 今の若者どもは理屈つばいぞ ) 夜が明けると、対岸に味方の旗が立っている : : : その情佃治郎兵衛は苦笑して加賀山小左衛門に答えた。 景を想像するのは爽快だったが、濡れ鼠になって、手足の 「いうまでもなく天下の戦、徳川家の戦であろうな。これ 凍えた味方が、霜の中へ並んで倒れている情景はたまらな 「それを伺うと今夜のうちに川を渡らねばならぬことに相 : ど、フじゃ、小左衛門 「すると、この好機は見送りか : 成りまするが、それでよろしゅうござりましようか」 そなたも腑におちたか」 「小左衛門、こなたどうもロの利き方を知らぬようじゃ 残念そうな明成に間いかけられて、奇襲をすすめた加賀の。どうしてそうなるのか、そっちを先に申すものだ」 山小左衛門は、佃治郎兵衛に向き直った。 「かしこき ( り・ました」 「失礼ながら、御家老にはわれ等若輩の意見、お聞きとり 小左衛門はかくべっ相手に反感など持っているのではな 頂けきしよ、つ・や」 いらしく、あっさりと頭を下げて口を尖らした。 「といわれると、小左衛門はまだ諦められぬといわれるの 「ご家老の仰せのとおり、これは天下の戦いでござります か」「御意にござりまする」 る。それゆえ、姫路、岡山の両池田家を始めとし、中国、 加賀山小左衛門は、はじき返すように答えて身をのり出四国の諸軍勢が、ご存じの通り、ずらりと陣を張ってござ 169

8. 徳川家康 16

板倉勝重は、それをチラリと横目で見やって、これも黙別に動くものじゃ」 そういいながら、こんどは小さな紙片を取り出して光悦 って汗を拭きだした。 に渡した。 「なるほど : 光悦はそれを黙って於みつと二人の間にひろげた。 帳面をくりながら、光悦は、誰にともなく、 見せる : : : といわずに見せてゆく気らしいが、勝重はそ 「大体上方に入りこんでいる牢人の数は十六、七万人 : まかな そのうち、分銅吹きわけの黄金で諸用を賄うもの、七分三れをとがめようとはしなかった。 その紙片の最初には「真田左衛門佐幸村」と書いてあ 分の割りと見えますなあ」 板倉勝重は頷くでもなく、頷かぬでもない様子でタバコり、その上に「五十万石ーー」と記してあった。 次には「長曾我部盛親」「後藤又兵衛」「塙団右衛門」「毛 盆を引き寄せた 「坂崎出羽のようなものがあるからの」 利勝永」などの名が並んでいる。 そして、長曾我部の上には「土佐一国ーーー」と書いてあ 「それは、万一戦になったおり、徳川方へ仕官の途をすす り、後藤の上には「三十万石」、塙の上には「二十万石」 めようという者で」 と書いてある。 : という、翁の見方は少し甘い」 「それが三割 : 勝重は、わざとらしく吐息して、 本阿弥光悦は唇をゆがめて首を振った。 「わしは八分二分と見る」 「真田がせいぜい十万石、あとは、一万石でも多いご仁の よ、フで」 光悦は生まじめに首を振った。 「人間はもう少し眼先の見える、そろばん上手 : : : 負ける勝重はそれには応えず、 「武将の中には、尾張のうつけで終わるか、天下を奪るか とわかっている方には、案外味方せぬもので」 : そう呼号して戦った総見公以来の賭け根性が深く根を 「そうではない」 おろしている。いわばこれは、総見公の遺品での。翁は、 と、勝重はさえぎった。 「翁の見方は廿い ! 人間はの、案外身の程知らぬ賭け好そうは思わぬかの : : : 」 : とに、フだけ、ワーツと / 刀 きのものじゃ。取分が多い :

9. 徳川家康 16

分与致してみるのでござりまする」 「はい。再び大坂を攻めるとなれば、紀州の浅野家は大切「それほど、みなは困ってか」 ・ : この金銀分与の結 しえ : : : それにもう一つ・ な関東側の味方 : : : そこで先代の姫を名古屋まで人質にお「はい。、、 さめておき、有無をいわさず姫の兄の長晟に手かせをはめ果が、どうなるかを見届けたいのでござりまする」 治長はおだやかに、しかしかなり皮肉な調子でいった。 る : : : と、考えてもまるきり筋の通らぬ想像と笑うわけに 「それがしは、それを軍用金と受け取って、真先に織田有 は参イり・亠よオ , 亠まい」 淀の方はハッとしたように口をつぐんだ。もはや忘れか楽斎が城から消える : : : そんな気が致しまするが、如何な けていた「人質 , 、・・ー」という言葉が、再び無気味に記應のものでござりましようや」 底へ爪を立てて来たものらしい。 四 : これとて 「この前申し上げた若御台さまご自害のこと : 淀の方はしばらく治長の言葉の意味がのみ込めないよう も解釈の仕方はいろいろござりましよう。関東と上様の間 に立たせられ、苦しさにたえなくなったお覚悟とも : : : そすであった。 牢人たちが困窮しているゆえ、残りの金銀を分けてやる うではないともとれまする」 : というのはわかるが、そうすれば、何うして有楽斎が 「そうではないとも : 「はい。関東では和議といつわって総構えを取りこわし、城を出るというのだろう : : と、知っておわした 「おわかりになりませぬか。有楽斎どの父子は、すでに関 そのあとで大坂を攻め滅ばす魂胆 : 東に内通してある : : : と、それがしは見るのでござります だけでもご自害の原因には成ろうかと存じまする」 : と、なる る。それゆえ、ここで軍用金の配分があった : そこまでいって、治長は小さく膝を叩いた。 「そうじゃ。話は有楽斎どのの事でござりました。こうし と、開戦に決したものと受け取って城を捨てる : : : 即ち、 よここもと有楽斎どの父子が城を捨てるということは、大御所の和議 てみては如何でござりましよう。城内の牢人衆。 。、、実は謀略であった証拠と断定してよかろうかと存じま 米も銭も手許になく、ひどく困窮致して居りまする。それカ ゆえ、ご母公さまから格別のお指図と申して、少々金銀をするが」 374

10. 徳川家康 16

十万石と五十万石とは、それほど魅力の違う高なのだろ 「そのことじゃ。今度は一段とひろく招待するといわっ : とは、父のよくいう戒めでもあ しやった。人数も百二十人ほどだそうな。そうなると馬をうか。高望みをするな : る。と、すると、やはりこれは、祖父の執念を継ぐ気に : 繋ぐ杭打ちも並みのことではない」 「とにかくいいつけられているのだから、ぬかることはあ : いや、それがどうして入城出来るか、そこに問題がある のではなかったか : るまい。さ、われ等も早く酒を運んでしまおうぞ」 もう誰もが、入城出来るものと信じきって活き活きと動とつおいっしているところへ、荒川熊蔵と、別府若狭 きだしている。 が、馬繋ぎの丸太をかついで、汗を拭き拭き庭へ入って来 大助は母屋の縁に戻り、そこに腰をおろして又一人考えるのが見えた。 こんだ。 こうした事で、父子姉弟がみな散り散りになり、わざわ 友情三略 ざ平和な暮らしを烙の中に投げこんでゆこうとする : : : 人 間というものは何というおかしな好みを持った生きもので あろうか : 高野山の僧侶たちがいうには、父は匠気があり過ぎるの ではないかとい、つ : : ここにいたとて並みの百姓の暮らし ここは大和五条の村はすれに設けられた松倉豊後守重正 ではなしイ 、。可の不足もない人の羨む暮らしなのだ。それがの仮陣屋であった。 もう少しましな大名暮らしをのぞんで一族郎党すべての生その陣屋に松倉豊後は、ずっと以前から碁盤を持ちこま 命を賭けてゆく : せ、来る日も来る日も近臣相手に碁を打っていた。 大助にはやはり腑におちかねることであった。 たとえ真田に楠・孔明の奇略があろうと、この五条 その大名にしても、大坂に味方せねば、信濃で十万石のを無事に通してよいものではない」 : という話 大名に : すらあった。ところが父はそれを蹴っ みんな無駄口をたたきながら、しかし時々ホッと吐息を て、五十万石やろうという大坂方へ味方する : 707