城 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 16
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1. 徳川家康 16

戦となれば、旅にならして来ている兵と、城にあって鍛練 ぬ不覚を取った例は無数にある。 を怠っていた兵との脚力の差はハッキリする。これはみな 「申し上げます」 が到着したところで決める : : : それでよいと思うが、佐渡 と、土井利勝であった。 「城を囲むまでは息を抜かせぬ : : : さもないと、却って疲はどうじゃ」 いいながら家康は、またしても、この二条城に待たせた れの出る場合もあるかと存じまするが」 ままになっている青木一重や老女たちのことを思い出して 「その事よ」 と、家康は応じた。 「敵方にも、真田だの後藤だのという戦上手が居る。先ず ( 出来得れば、あれらにもう一度 : : : ) しかも、そのため戦機を失うようなことは万々ない。士 城を囲んでおいて : : : と、思うゆえ、その逆を行くの 気を鼓舞するための手段ならば他に幾らもある : : : と、思 って来て、又かすかに悔いも感じた。 「これは噂にすぎぬが、全軍が着到すれば、家康も将軍 ( これが老人の愚痴かも知れぬて : : : ) も、直ちに二条城と伏見城を出てゆくに違いない。それゆ 四 え、出馬と見たら直ちに二条城と伏見城を襲って火を放ち、 内裏を取りまいて気勢をあげる。さすれば両人とも急遽京家康に問いかけられた本多正信は、こんどは直ぐには答 えなかった。 へ引っ返すであろうゆえ、それを挾み討ちに討ちとろう : : などと申している者もあるようじゃ。そうなると、そ 小首を傾げたまましばらく考えて、 ・とい、つ一」と 「お止め、申し上げようとは存じませぬ」 れ、禁裏を動かし奉って何をいい出すやら : 全く思いがけない答え方をした。 にもなる。そこで先す、こちらは悠然としていて、相手の 「な、なんだと」 機鋒をそらしてやるのじゃ」 家康はあわてて耳に手を当てた。 「すると、敵はあせって城を出て来まいものでもない。野「わしは、みなが到着してから決めても遅くはあるまい : 356

2. 徳川家康 16

うえで籠城に入るべきだと思ったのだ。 「戦場 」というものの実体を知らないままに育ってい ところが、大野治長は真向からこれに反対した。 る : : : とい、フ一」とオ この月の十日、予定どおりに入城してくると、真田幸村野戦は関東勢の最も得意とするところ、もし第一線を退 かせるというようなことになったら「ーー・ー敗れた ! 」とい は先す、大野治長に会って、城を出て敵を迎え討っては : う印象を深くして、以後の士気に関係する。それよりは、 : と進言した。 しかし今ではその考えを捨てている。野戦の出来るよう始めから、難攻不落の城によ 0 て先す「ーーー不敗の信念」 っちか な訓練は、どの部隊にも出来てはいない。「戦争ーー・、」とを培うべきだというのであった。 むろんそれにも一理はある。 は何であるか ? それに立向かう軍律から教え直してゆか いや、一理どころか、二理も三理もあるかも知れない。 ねばならない者が多かった。 ( ー・ー・・大野治長は、牢人どもを信じてはいないのだ。信じ ていないとなれば城から出すのは不安になる。苦戦になれ 戦争はつねに、集団の生命と運命をそ 0 くりそのまま賭ば寝返るおそれもあり、軍用金たけ受取 0 て逃亡してゆく おそれもある : : : ) けさせる冷酷きわまる賭博なのだ。 幸村は、そうした不安を抱いたままで開戦に踏み切って それだけに、集団としての練度を充分に練りあげておく いる大野治長を、もう一度じっくりと観察し直さなければ ことが先決間題であった。 ならないと思った。 そこで幸村は、先す七手組を中心とした主力部隊をもっ ( ーー或いは治長は、味方が大軍を集めたところで、その て、第一戦を宇治川から瀬田に出して戦わせ、その間に、 伏見城と二条城を襲わせ、それから整々と退かせて籠城に大軍を背景にして家康と和睦してゆく肚ではあるまいか : 移るつもりであった。 それだったら、全然間題は別になる。 決して、瀬田で決戦とか、是が非でも伏見城を落せとか そこで彼は、城から出て戦うか、それとも始めから籠城 いうとらわれた戦略ではなく、城外で充分に演習させ、こ の戦争と各自の運命のつながりを、ハッキリと自覚させたするかは別にして、自分は外壕の近くに出丸を設け、引連 ゞ ) 0 726

3. 徳川家康 16

なくなったこの空き城で、角ふり立てて戦わねばならぬこ 幸村はふと妙な錯覚におそわれた。 とになる : : : やも知れぬわけでござるな」 もう城の外へはひしひしと関東勢の包囲の輪がせまっ 幸村は自嘲めいた口調でいって、こんどはハッキリと戯て、このあたりは、間もなくはげしい戦乱の渦に巻きこま れかかった。 れてゆくというのに、ここでは「大和の花守り : : 」とし 「したが、空き城で戦うも異なものゆえ、籠城組一統で奥う不思議な男が城のあるじ三人を救い出せると信じきっ て、静かに茶を点てているのである。 : と、なったらど、つなさるかな」 原氏をしりそけよう : 「なるほどの、花守りでござるゆえ、花は散らさせぬとい 「そのおりには : わっしやる : ・・ : そうなると、われ等にも、花守りを斬る太 と、豊政は自分の首根を小さく叩いて、 「天の子は、その生命を天に任せてゆくまででござります刀はない、となろうかのう」 それは、無限に青い大空へいきなり投げ出されたような る」 今の幸村の、ひどくとまどった述懐だった。 「、こ自信がおありのよ、つじゃな」 豊政はこれも悪戯らしく上眼になって、 「さ、も、つ一ふく進ぜ工しよ、つ。廿・味が何も、こギ、り・ませぬ がそうそう、そのご簾中さまから頂いて参った菊の花のあ : いやはや、ずっと ざやかさでお許し下されまするよう : 大和の山奥で暮して参った花守には、花がそばにないと、 淋しくてなりませぬ」 いわれて幸村は何時の間にか水壺の萩のわきに差し添え られている菊を見やった。 外で見た時よりも、その白も黄もしっとりとしたあざや かさで、壺の肌になじんでいる 135

4. 徳川家康 16

封の発表と同時になさる思召のようでござった。つまり、 本多正純の話は理路整然として、一々且元の胸に大きな 大坂城はそれが天下の一大要害なれば、一私人の所有とし釘を打ちこんで来るばかり : ・ ておくべき性質のものではない。これは天下を預かる征夷声を出して返事をすれば、 大将軍が、日本国全体の安寧維持を頭に人れてきびしく管「ごもっとも」としかいいようはなかった。 理なさるべきもの : : : そう思召されて、右大臣公には他所しかし、この際ここで、そうい 0 てしま 0 たのでは且元 へ私の城をお持ち願うつもりのようであった。これは、その立場はとにかく、大仏供養や十七回忌の法要はいったい れがしが申さいでものことながら、六男忠輝どのが、このどうなるのか ? 大坂城を欲しがられての、ひどく大御所にお叱りを受けさ いや、それ以上、気にかかるのは、すでに家康が東西の せられた。と、申しても、ただ叱られただけでは無うて、 合戦を避け難いものとして決意しているのかどうか、とい いま高田に新しい城を築造して貰うておわす : : : 右大臣公 、つことだった。 にして 7 も同じことじゃ。、 しまの郡山では城は小さい。何「如何でござるな市正どの、ご質間がなければ、深夜のこ : よろ れ、右大臣に見合うほどの城を築いて下さろう : とゆえ、これで失礼致したいが : ・ : ご返事は、改めて明日 しゅうござるかな。かって天下人の住んだ巨城を、現在の承ることとして」 天下人の管理に任せる、それを前の天下人であられた故太「お待ち下され」 閤殿下の霊に、日本一のお祭りを捧げられてご報告なさる 且元は、もう自分が、何をいおうとしているのかよくは : これで上から下までビーンと筋の通った日本国が出来分別出来なかった。 上がる。こうしたお考えで、ご貴殿と何ぞ約東なされたも ただここで正純に立ち去られては、すべてが終わるとい のと、それがしは推測仕る。それゆえ、そうした大御所さ う焦慮だけが、やたらに切なく胸のうちを掻きむしった。 まのお心に叶う返事があるや無しゃ : : : 正純はそれが伺い ・しかし、い 「大御所の仰せはご尤もながら : ・・ : しかし : とうてわざわざ単身これへ参ったのでござる」 でござる。且元にとってはあまりに無慈悲な難題でござ 五 : 」正純はびつくりしたように、

5. 徳川家康 16

「そ、それは何のことじゃ」 実父のことも覚えていない 0 それはそうかも知れぬ。この 「江戸のことなど、夢のように : : : でも、わらわはこの城城へ来てからすでに十一年 : : : 幼いおりには伏見にあり、 の者でもないような : 江戸にあったもほんの僅か : : : それゆえこの城の子じゃと それも又、みじんも偽りのない千姫の実感に違いない。 いいたいのであろうが」 しかしそれを聞くと、秀頼はもどかしげに舌うちした。 「仰せの、通りにござりまする」 彼も又、二人の間は、どう切りようもない兄妹と夫婦の二 千姫は、また視線をそらして小さくいった。 重の愛情で結いつけられていると思っているからだった。 それは、どうして真実だけを口にしようかと、しんけん 「また始まったな : : : それが、お方の悪い癖じゃそ」 に思い詰めている者の眸であった。 その眸を奥原信十郎豊政は、「 いいようもなく気高い 眸」と見るのであったが、秀頼には、そうは映らなかった。 愛情というものは、まことにさまざまな現われ方をする彼にはまだ自分の意志や感清が、ものの見方を歪めるも ものだ。 のだという経験もなければ反省もないからだ。 妬心も愛情ならば、歯痒ゆさも愛情、時には憎悪も敵意彼は、また舌打ちした。 も、呪いも、殺意も、その変形になりかねない 「その通りであってもな、それをすぐさま、この城の子で 秀頼は、千姫を愛しているゆえ、つとめて労ろうとしてもない : : : そういってしもうてはならぬのだ。こなたは今 いるのだが、しかし、その愛情が素直に相手を動かし得な は、この城の子で、この秀頼の妻ではないか」 いとなると、もどかしさを ~ 界らせる。 し」 いや、そのもどかしさが、愛情であること位は秀頼にも 「はいではない。秀頼はな、こなたに、そうした淋しさを わかっていた。 感じさせまいとして、千々にこころを砕いている。母者と 「そうか。では今日は予が譲っておくとしよう。しかし、 て同じことじゃ。御台所の前で、関東の噂はするなよ、何 みあやま 予の心を見誤ってはならぬそお方は : : : 予は、お方の苦し時もお方をかばっておわす」 さや不央さはよう知っているのだ。お方は、租父のことも し」 ユ 50

6. 徳川家康 16

徳川家康 1 続蕭風城の巻 戦国遺品 激流の杭 女使者 柱石砕く 入城軍略 友情三略 老いの決断 6 続蕭風城の巻目欠 四〇

7. 徳川家康 16

( 嘘ではない ! ) し上げ・亠よしよ、つ」 しい終わったときの治長の顔色は土気いろになってい 「頼み人るそ光悦どの」 : というより、やはりそれは決死の相というべ 「したがもう一つ : : : お三方をお救い申したのち、修理さる。死相 : きであろう。正視に耐えない不思議な陰火の匂いであっ まは、大御所への義理を果たすと仰せられましたなあ」 っ ) 0 「如何にも申したが : : : 」 ( この覚悟を、半年前にしていてくれたら : : : ) 「その義理を果たすとは、修理さまご自身は城と運命を共 しかし、それが出来ないところに人間の哀しさがあると になさる : : : ? 」 治長はキッと表情を引き緊めて、それから静かに首を振もいえる。 本阿弥光悦はもはや何たずねる事はないと思った。戦 にいくぶんの変転はあっても、冶長のいうとおりになるで 「この修理が死ぬ : : : ただそれだけで、何の義理が果たせ あろう。そして、そこから始めて、泰平が根づきだしてゆ よ、っそ」 くであろう。 「と、仰せられますると ? 」 「すると、私めに馴染み深いこのお城も、これで見納めに 「ここで、泰平の世の邪壓ものすべてを綺麗に道づれにし なりますわけで」 て進ぜることじゃ」 「案じなさるな、大御所や将軍家の手で、次の城が建てら いってしまってから治長はそっとあたりを見まわした。 れるわ」 「あ ! そのこと : 「修理さま、如何でごギ、りましよ、つ。田 5 えば光も長いご 「おわかりであろう。城内には切支丹の嫉みもあれば、舎 弟どもの忠義もある。いや、それよりも泰平の世では持 0 愛顧、折角まかり出まいたことゆえ、ご母公さまに一言ご て行き場のない牢人共の不平がいちばん邪であろう。そ挨拶はなりますまいか」 「なに、ご母公に・ うしたものの一切合財を、大野修理が背負って参る」 「はい。むろんこれがお別れ : : : にはなりますまい。が 光悦はもう一度低く呻いて、あわてて視線をそらしてい このお城での対面はもはや叶わぬこと。太閤さまのお城 つつ】 0 つつ ) 0 ねた 349

8. 徳川家康 16

方が捨ておくまい : : : そう見るゆえに動揺するのじゃ。わ「すると大御所には、はじめから総壕は埋める肚であっ た。そして、もしも人々が騒ぐにおいては、騒げぬように かるであろう」 : と、こ、つなりまするわけ 息の音を止めるご思案だった : 家康はそういうと、さっきの鋭い眼光をおさめてジーツ と一重の反応を見ていった。 家康はびつくりした。びつくりすると同時に、腹も立っ 七 たし、失望もしていった。 青木一重は、まだ誘発された感情を納めきってはいなか 「一重、こなたはおくれ気もないことを申す男じゃの」 った。その証拠に、いちど蒼白になった頬のあたりが燃え 「は、ツ。はじめから生命は捨ててござりまするゆえ」 だしている 「生命の問題ではない。民心の不安を静めようとならば、 ( いよいよもって油断のならぬ古狸 : : : ) 静める手段は一つある : : : と、申しておるのじゃ」 こんどは自分をまるめこも、フとしている。 「それは、こんどは、城をそっくり潰すことでござります そう思って相対していると、家康の言葉はいかにも身勝るか」 手な、わが田だけに水を引く論議の歪曲に思えた。 家康は舌打ちした。 いや、それ以上に、豊家はもはや難攻不落の大坂城など「城をつぶす : : : それも一つの手段であろうな。壕もな に住まう資格のないものだという、許しがたい侮辱のよう 、城もない となれば戦もないことゆえ、市民はあわ にも受け取れる。 てて立ち騒ぐ要もない」 : とは、淀の方へ 女子は衣裳に執着して不義を行なう : 家康はそこまでいって、苦笑するより他になかった。 のあてつけであろうか。そういえば近ごろの大坂城は淀の 「しかし、城とともに豊家も潰してしもうたのでは玉なし 方の衣裳 : : : という感じがなくもない。 であろう。わしが申しているのは、城は潰しても豊家は潰 秀頼は冬の陣の和議以来、歯痒ゆいほどに引っこみ思案すなということじゃ。どうじゃ、そこまで思案をしてみた になり、その反対に淀の方はすっかり調子を浮かしたおせことがお許ン こあるか」 「ござりませぬ ! 」 つかいな饒舌家に変わっている。 308

9. 徳川家康 16

城 , ・ーこを造って、ここへ、伜の大助幸綱と伊木七郎右衛家康が、山口重政を大坂城に人れて、秀頼を暗殺しよう と献言した土井利勝を叱りつけて、これを止めた意味がわ 門遠雄以下の五千人を引きつれて陣頭に立った。 城の東北の蒲生柵には飯田左馬助以下三百人。今福の柵かるであろう : ・ そんなことをする必要など、全くないほど「ーー困った には矢野和泉守正倫以下三百人。鴫野の柵には、井上郎左 子供の気負い」に見えたのに違いない。 衛門頼次と大野治長の部下を合わせて二千人。 十一月五日、家康は片桐且元を二条城へ呼んで、 この鴫野の柵などまで、治長が指揮のとれる筈はなく、 「ーーー大坂攻略を開始するように」 これでは斥候か監視哨といった意味しか持てない。 そう命じておいて、直ちに又城和泉守信茂を呼んだ。そ 西南の穢多ヶ崎の砦には明石丹後守全延以下の八百人。 博労ケ淵の砦には、薄田隼人正兼相、米村六兵衛、平子主して全く反対の、あせって攻めてはならぬという密命を、 大坂城の西南方に進出して来ている加藤、池田の両勢に伝 膳貞詮以下の七百人。船場の砦には大野治房の四百人。 西北にあたる船庫の砦には大野道大以下の八百人。福島えたのであった。 の砦には小倉作左衛門行春と宮島備中守兼興以下の二千五 百人。天満の砦には織田有楽斎以下の一万人 : : : と、書い て来ると、十万人ぐらいの軍勢など、すつばりとどこかへ 片桐且元には、大坂城攻略にかかれといい、勢いこんで 消えてしまいそうになってくる 神崎川の線まで進出して来た、伊予松山二十万石の加藤嘉 しかも、城外の砦の指揮者が、その二重の輪の奥の、二明の嫡子式部少輔明成と、姫路三十二万石の池田武蔵守利 の丸の指揮者を兼ねなければならないというのだから、実勝、備前岡山三十八万石の池田左衛門督忠継の兄弟には、 「ーー・大御所さまの仰せでござる。この辺は大坂城に近 際にいって、これでは、臨時雇いの群に、勝手に戦えとい っているようなものであった。 く、地の理も宜しくない。めったにこの川を渡ってはなり こうした備えの弱点が、千軍万馬の間を往来して、豊太ませぬ。充分に敵の動静をさぐりながら、後の命令を待っ 閤にさえ一度も負けなかった家康の眼にどう映じていたでように」 一方には攻めるなという矛 一方には攻めかかれといい あろうか ? 7 66

10. 徳川家康 16

けろりとした表情でそういって、すぐ又老眼鏡を額から 引き揚げていた。 家康は二条城で元日を迎えるが、将軍秀忠は諸侯の陣払下げてしまった。 いがすっかり済むまで、岡山の野陣を引き払うべきではな水野忠元は、あまりに正信が淡々としているので、 いといって動かない。そこで、これも七十歳を超えている 「会わすに相手の用がおわかりで ? 」 本多正信たけが先に伏見城へ帰っていたのだ。 笑いながら間い返さすにいられなかった。すると正信は その伏見城へ、大野治長は阿玉の局を伴って出向いてい もう一度眼鏡を額にあげて、ニコニコと笑った。 「修理どのとても大坂を預かるほどのご仁じゃ。まさかに いまごろ本気で壕の埋立てを中止させる気はござるまい。 阿玉の局は淀の方の使者、それに大坂の執政大野修理亮 治長が従って来たとなれば、本多正信も、丁重に出迎えて風邪々々、風邪と申せばおわかりであろう」 忠元は苦笑して、待たせてあった治長と阿玉の局にそれ くれるものと、治長は思っていた。 を告げた。 ところが本多正信はそうは考えなかった。 6 2 その頃から治長の表情はふしぎな硬ばりを見せだした。 彼は、来合わせていた水野忠元が、二人の到着を告げて ゆくと、 風邪が治ったら大御所に訴えようとは、この場のがれのロ 実に違いない。 「かくべっ会うには当たらぬ用じゃ」 正月帰国する人々の論功行賞の案文に眼をさらしながら ( 自分は、相手にされていないらしい : 簡単に首を振った。 人間の感情は、微妙なところで、最初の軌道をそれ易 「修理どのも、何彼と後の処理がたいへんであろう。そう 彼ははじめから相手が埋立て工事を中止するとは思っ ていなかった。 だ。こう申してやって下され。どうも伜の正純が愚かで、 しかし、何かよい知恵ぐらいは貸して貰えるものと自負 大御所さまのご命令を聞き違えたものらしい。それゆえ、 それがしから改めて、直々大御所に訴えてみましよう。ししていた。ところが正信は、大坂城を預かる家老のことだ し、いまは、自分は風邪をひいて臥っているゆえ、治っから、当然思案は治長の肚で決まっているものと思ってい たら二条城へ参りますと」