幸村 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 16
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1. 徳川家康 16

「奥原氏 : : : 」 「何で、こギトりましよ、つ」 「実はそれがしも戦の前途の見透しでは、貴殿とさして違 いはない。二年持ちこたえたら思わぬ方面から援軍がやっ て来る : : : というのは、実は、切支丹信者側の希望なのだ が、そうは参るまい。人心の緊張はせいぜい続いて半年 : ・ : 半年経って勝味がないとわかったら退散続出と相成ろ 丸太掛けに幔幕張りの小屋の中には、それでも床が張っ 「それがしも、そう思うて居りまする」 「そこで、一言御意を得たい。いよいよ勝味なしと決定してあり、罷の皮が一枚嗷いてあるだけであった。 その癖、刀架のわきには古伊賀の水壺に花が活けられ、 たおりに、貴殿はどう進退なさるご所存か、何そお考えが あるであろう。差支えなくばそれをお洩らし下されまいそのわきのきぬたの香炉で香が薫かれている。小さな書見 台に、載っている写本はどうやら兵法書らしかった。 力」 こんどは、奥原信十郎が、びつくりしたように幸村を見「まずまずこれへ」 信十郎豊政は幸村に敷物をすすめておいて、中央の炉に 返した。 とうやらそれは かけられた釜前に坐って茶を点てだした。。 確かに、この間いは、信十郎豊政の意表を衝くものだっ た少なくとも軍師としてこの城に迎えられた幸村は、全幸村を歓待するため : : : というよりも、自分の心を落ち着 けよ、つとしての動作らしい 軍の希望の綱ではなかったか。 幸村はひとわたり室内を見廻して、それから無心に、相 ( その幸村が、何のために、このような弱音を吐いてゆく 手の手さばきに見入っていった。 のか : : : ) 突然花東をかかえたままで、信十郎豊政は床几を立っ ( いったい、この男、茶のあとで、何をいい出して来るで あろうか : こなぢや 屋へお通り下さり 「真田どのに、粉茶一ふく進ぜたい。小 き ( すよいか」 「ほ、つ : ・・ : では、、、つさにかいエしよ、つかの」 これも床几を立ちながら、幸村は、新たにギクリと胸に こたえるものがあった。 ( これは、やはり、たたの鼠ではなかった : : : ) 131

2. 徳川家康 16

幸村が本丸に到着した時には、もう諸将は殆んど畳をあ 「ーー者ども恥を知れや ! 」 げた大広間に参集していた。 怒号しながら先頭に立って采配する勇ましい姿を見て、 幸村は大助をともなって、荒むしろの上を土足のまま廊 さすがに大御所の御孫、武者ぶり群を抜いてあつば 下を踏んでゆきながら、秘かに心で一つのことを祈ってい れなり。幸村これを進上申すぞ」 槍をつけようとする味方をおさえ、日の丸の軍扇を投げ それは、今日の席に淀の方をはじめ女性たちが姿を見せ て、引き揚げた時のことを話しているのであった。 : とい、つことだった。 「戦いには和議もある : : : いや、それよりも乱戦になっててくれねばよいが : 男同志の間では悲痛な一諾ですむことも、女性がまじる もなお相手を惜しむ余裕を持っ : : : それがまことの武人で と感清的になってくる。まして女性たちの計算には、 ござりまするなあ」 「・ーー・新旧の家臣におとがめなきこと」ぐらいの思案しか 幸村はそれにもべつに答えようとしなかった。 、大入っていない。それに若し参集した牢人たちの不安や疑間 彼がその時直政を討たなかったのは、心のどこかに がからみ出すと、どのような紛糾が捲きおこされるかわか 2 助や、兄の子たちのことがあり、戦のむざんさが、ふと心 らないからであった。 に滲みたからであった。 「お父上は、こんどの講和、条件次第ではご賛成なされま ( ああ : : : ) 大広間へ足を入れると同時に、幸村は思わず心で嘆息し するか」 「大助」 「よ、 まだ正面に秀頼の姿はない。が、千姫と老女たちを従え 「それはな、みな上様のお決めなさることじゃ。上様がごた淀の方は、上段の左手にまっ蒼な表情で凍りついたよう に坐っているのではなかったか : 決裁なされたうえはものを申すな。これもまことの武人の 心得じゃぞ」 五 「むろんでござりまする。上様は、うたよりもずっと勇 召集された顔ぶれは、本丸、二の丸、三の丸の守将のほ ましいお方。そのご決定ならば喜んで : : : 」

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「それを承りたい。少なくとも半年ほどで運命の決する鹹句々には、みじんのかけひきも感じられず、それはまさし く「天の子ーーー」を自任する者にふさわしい謙虚な誠意感 に、何としてご入城なされたのか : にみちみちていた。 「一口に申せば : いわれてみると確かにこれは、秀頼母子と家康の戦とは と、豊政はまず微笑した。 しいがたいものがあった。 「戦にかかわりないものを、この渦中から救い出したいた ( では、いったい誰と誰とが戦おうとしているのであろう めでござる。真田どのもご存じでござりましよう。秀頼さ か ? ) まはむろんのこと、あのご母公のどこに、戦を好ませられ 奥原信十郎豊政は、それをズバリと切支丹信徒の不安と るところがあろう。あの気高いご簾中さまや、何も知らぬ 幼い姫君のどこに戦意がござりましよう。戦意なきもの牢人衆の不平とが、時代の流れに戦いを挑んでいると割切 を、戦禍のうずの中から助けあげる : : : これは、誰の家臣っている。 でもない誇りをもった兵法者の、まずまっ先に果さねばな ( が、果してそれだけであろうか : らぬ責務 : : : と、先師の声を虚空にきき、あえて一族とも もしそれだけだとしたら、永遠に戦は無くはなるまい。 ども人城したまででござりまする」 人間の生活から不安と不平のすべてを追放することなど、 まさしく夢の夢だからである。 真田幸村は、再び唖然として奥原豊政を見つめていっ しかし、こうした簡潔な割切り方は、幸村にとっては羨 ましいかぎりであった。そこからハッキリと行動の規準が 生まれて来るからである。 「すると、奥原氏は、戦のすきに、お三方を助け出そうと いうお考えで : : : 」 信十郎豊政は、又改めてニコリとしたが、それには別に 答えなかった。 「すると、われ等は、秀頼公母子も、御台所さまも居られ 真田幸村は、この俗世でこのように、誇りにみちみちた 兵法家を見たのはこれが始めてだった。 その心境の高さは、ともすれば幸村を圧倒しそうになっ てくる 相手も幸村の人物を見抜いたからであろうが、その言々 734

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戦国の世には無かった間い方だけに、正直なところ答え を狙ってか ? 義に殉じようとしている人々も中にはあ る、と信じて大助は納得していました。ところが、義に依ようが無かったのだ。 れば真ッ先に立たねばならぬ筈の片桐市正が、三百人の家 ( 父と共に死にたい ! ) 中の者に鉄砲の火繩に火をつけさせて退去したという : その感情だけでは、割り切れないものがたくさん残って 恐らく市正は、この戦に義心をささぐるほどの価値はないゆくだろう。といって、負ける戦ではない ! そういい : そう見たからではござりますまいか」 れるほど幸村もまた単純な父ではなかった。 「大助、その事はの、しばらく双方で考えよう。それより 「そう、見たのであろうな」 も、父は、この地を立ち退く前に、村人たちと別離の宴を 幸村は、殊更大助にさからおうとはしなかった。 「花にもいろいろあるであろう。芙蓉もあれば、菊もあ張りたいのだ。誰々を招くがよいか、考えておいてくれぬ おみなえし り、桔梗もあれば、女郎花もある。人間も同じこと : ・・ : 同か」 いいすててそのまま座嗷を出ていった。 じような顔かたちはしていても、それそれの気性も意見も 異なるものだ。それゆえ、父は決してこなたに入城をすす 四 めては居らぬ」 真田左衛門佐幸村にとっても、片桐且元退去のことは決 すると大助はじれた様子で膝を叩いた。 して小さな打撃ではなかった。 「お父上には、まだわれ等の心が通じませぬ」 ただす 使いに来た渡辺内蔵助糺は、これを市正の私曲が発覚し 「そうであろうか : 「大助はお父上と一緒に死ぬ気なのです。それゆえ、あれたからだと解し、 いざ開戦となったら、関東勢を城内に導きいれ、ご これと知りたいのです ! 大死とは、自分で納得出来ない ちくてん いや、し金蔵の黄金を持って逐電する気だったのに違いありませ 死に方を指すのでしよう。大死はしたくないー ぬ」 てはならないと思うゆえに間うのです」 それを聞くと幸村は、拭いをくれた刀を持ってすっと立憤然とした表情でそういっていたが、且元がそうした人 っ一」 0 物でないことは、幸村自身よく知っていた。

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「他ならぬ真田どのの仰せ : : : それが豊家のため : : : 上様 まとって、すぐ又出て来て馬の用意を命じた。 伊木七郎右衛門は近よりがたいほどの緊迫した闘志を感の御為め : : : と、合点致せば否むことではござりませぬ」 じとり、自分も続いてやぐらを降りて来ていながら、幸村「それを承って安堵した。長門どの、今夜じゃ ! 今夜が に声をかけることが出来なかった。 豊家の運命を決するギリギリの日でござるそ ! 」 「頼むそ留守を」 十二 そのまま幸村は馬を駆って本丸へ急ぐのだった。 本丸の木村長門守重成の陣屋では、すでに大助の連絡に 幸村は異常な昻ぶりのためであろう、謎のような一言を よって、かがり火のそばに床几が据えられ、重成は、使者投げたあとで、しばらく荒い呼吸をつづけていった。 として秀忠の本陣に赴いたままの肩衣姿で幸村を待ちうけ そうした幸村を見たことがないだけに、若い重成も又、 ていた 硬直したように次の言葉を待っている。 もうあたりはほの暗く、焔のいろが次第に赤みを増して「今までは : いる と、幸村の声はねばった。 「大切なご急用の由、そっと上様のお側をはずして参りま「女性たちの人情陣に負けて、男本来の生きようを忘れか けて、こギ」る」 幸村は珍しく昻ぶった様子で、いつものように謹厳な挨「ほう」 拶もしなかった。 「男の世界はむごいものじや長門どの」 「長門どの、お身だけに、ご相談致したい儀がござる」 「仰せのとおり、むごくきびしいものでござる」 「何で、こざり・ましよ、つ改って : : : ? ・」 「女性たちは産み育てるために生きて来たが、男たちは殺 「お身は、この左衛門佐が、死んで下され ! と申したらし合いながら生きて参った。これはこの後もずっと変わる ご承知下さろうか」 まい : : : われわれはまだ戦わねばならぬ ! それを忘れか 木村長門守重成は、少しくしもぶくれの、整った顔を一けていた」 瞬にして緊張に硬ばらせた。 重成の眼が裂けるように見開かれた。 8 2

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( それほど信じられる家康ならば、何故、上様にすすめて 騒ぎだす : : : そのおりを狙って一挙に城を踏みつぶす : いや、家康にそのような考えはないとしても、本多上野介兵を挙げさせたのじゃ ) : : : と。 幸村は、一同がまた半ば放心したような感じで退出しょ に、そうした計算がないとどうしていえようか。 「明二十二日、関東方からは、上様とご母公さまの誓書改うとするとき、わざわざみなを呼びとめた。 「おのおの方に、一言ご注意申し上げておきたい儀がござ め人として、阿茶の局と板倉重昌 ( 勝重の子 ) が大御所の 使者、又将軍家の使者として阿部正次が参られる。これは 当方より差し出す誓書じゃが、上様格別の思召しをもって「何でござろう」 よととのうた由なれど何分敵は大軍でござる。若し 「和議 ~ みなにご内示遊ばされる」 通達洩れもあって、それが乱人を計らぬものでもござるま そして、彼は声高にそれを読みあげた。 依って今明日は、つねにも増したご警戒を厳重に願わ 一、秀頼は御所に対して、今後謀叛の野心を持たないこ しゅ、つ ~ 仔ず・る」 と 「、い得ました」 一、戦後処理につき、いろいろな説が出た場合、直ちに 「心得てござる」 御所に意見をたずねた上で申しつけること。 そして、人々の立ち去るあとを見送って、大玄関まで出 一、諸事前々からのとおりに致すこと。 て来たところで又立ち停った。何か一つ大事なことを仕忘 「それだけでござるか岬」 れているようで不安であった。 今度は思わず幸村が急きこんだ。 : もともとわが子と思うて来ている上様、諸 ( 真田幸村ほどの男が、このままここで手を拱いていてよ 「如何にも : いのであろうか : 事相談あれば必ずわるいようには計らわぬ。力を貸そうと 仰せられる。この誓書も、いわば大勢の家臣の手前を取り 十 つくろうほどのもの : : : と、それがしは見てござる」 少なくとも幸村は世のつねの「 , ーー・出世」を狙って九度 幸村は、ここで治長の言葉尻をとらえて責める気はなか 山をおりて来たのではなかった。 つ ) 0 225

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に、彼は事情を秀頼に報告しに行ったのに違いない。 どという隙だらけの和議であった。 秀頼には、まだ「ーー城を枕に」の決意はない。いや そのような御都合主義の和議を、戦好きの武神の悪霊が 冬の陣のおりには誰よりもはげしく、この若さを剥き出し見のがしておくものではない。 てみせたのだが、それは、淀の方や常高院以下の「ー・・・・母「 ここにこそ戦わせる隙があったそ ! 」 性の心」に押しきられた。 悪霊たちは歓呼をあげて、野心や、私慾や怖えや意地や そしていったん和議を結んでみると、そのかみの闘志はに劫火を放けてまわってゆく 消えて、無限にひろい懐疑の海にさまよいだしたようであ そうなると幸村は、哀しくもあったが、おかしくもあっ っ一 ) 0 ( 上様を動かし得るものは木村長門 : : : ) ( ーーーそれ見よ。戦などというものは、そう容易に無くな 真田幸村は、そう察して、わざわざ追い詰められた大坂る性質のものではあるまい ) の、ギリギリの姿を露わにしてみせたのだ。そうなると、 しかし、ここではそうした皮肉を楽しむつもりはなかっ 木村重成がじっとしていないことも察していたし、紊れ勝 ちな諸将の心が決まってゆくのも見透していた。 片桐且元の去った後、とにかく一つの見識だった織田有 ( 何れにせよこのままでは済まぬことだ : 楽斎 : : : その有楽斎も城を捨ててしまったのだ。 すでに和議を成立させた以上は無条件で、関東のなすが そうなると、押し寄せる関東勢の前に大坂方は首のない ままになるべきだった。 胴体をさらしてそのまま蹂躙される結果になろう。いや、 「ー—豊家大切 ! 」 そうなると道を、みずから選んで進んで来た責任者の大野 それが目的のすべてならば、みじんも不平がましい態度治長は、いまも重荷に押しつぶされようとして、まっ蒼な 顔を幸村の眼の前に晒している。 など示してよいものではない。 「修理どの」 ところが、そこまで深く考えて結んだ和議ではなかっ 治房と道大とが、七手組や寄合衆の諸将を呼びに立って た。その場の不利に引きずられ、つまらぬ意地に謀略を交 : なゆくと、幸村は、もう一つだけ、治長に覚悟をうながして えて、長びかせておくうちには家康が死ぬであろう : 3 2

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しなし」 声をはずませて重成は答えた。 二人は闇の中に馬をすすめて、外壕内を一周すると本丸 「上様のご裁可とあれば上様のご命令、喜んでわれ等もご へ向かった。本丸の書院や御殿にはもう畳が入っている。 同意仕ろう」 「かたじけないー だが、敵に洩れては一大事ゆえ、これ誓書受け取りにやって来た関東方の阿茶の局や板倉重昌、 阿部正次などに見せるためであった。 はどこまでも上様直々に」 二人は大庭の柵門に馬をつないで、先ず重成一人が先に 「、い得ました」 それから二人は連れ立って幔幕の外へ出て、壕の向こう秀頼の居間に向かった。重成が内意をただしたうえで、改 めて幸村を案内してゆく手順であった。 の敵情を見てまわった。 幸村はひとり大庭に残って、番卒の焚くかがりに近づい あたりは黒々とした夜になって、時々空で星が流れてい る。すでに、天満川を距てた、加藤、中川、池田などの陣た。と、その時だった。城内から久しく耳にしなかった小 中ではタ餉は終わってしまったらしい。かがり火のそばに鼓の音が洩れて来たのは : 僅かな見張りだけを残して、昨夜とは打って変わった静け 十五 さだった。 「なるほど、殆んど武装を解いて居りますな」 重成の迎えに備えて、草鞋の紐を解きながらはじめ幸村 重成は、今更のように幸村の思慮の周到さにおどろいの眼は和らいだ。 ここしばらく聞けなかった小鼓の音色の冴えが、胸の渇 きにしみわたってくるようだった。 「それにしても恐ろしいお方じゃ真田殿は」 ・ : 次の瞬間、愕然として幸村は焚火のそばを離れ 「いや、われ等たけではない。人間とは、時におろか、時 に正直、そして時にはおそろしい魔ものでござる」 「いや、それもこれも豊家の御ため ! では、一応横壕か ( 又しても、女性群に敗れたのではなかろうか : : : ) ら谷町ロ、八町目ロの敵情を見たうえで、そっと上様に申 その不安が突風のように胸膜を叩いたのだ。彼は昼間集 寺こも、わが出丸の士卒たちにも、警戒を解かぬ し上げましよう〕上様は必す膝を打ってお喜びなさるに違まった諸当 232

9. 徳川家康 16

ことりとゆか板に茶碗をおいて、 に眼をみはる気持であった。 、見捨ててお 「するとご貴殿は、豊家に仕える気はないが 七 けぬものを感じとった : : : それでご入城なされたことに相 「すると奥原氏は、生死によ 0 て宇宙〈つながれたものゆ成るようだが」 「仰せの通りでござる」 え、現世で主人は持たぬといわっしやるか」 はじめて豊政は、大きく頷いて微笑した。 幸村が急きこみ気味に間いかけると、奥原豊政はまた、 「この戦、われ等の眼から見ますると、実は豊家と徳川家 かすかに首を振った。 「それがしは、これを、柳生石舟斎のきびしい自戒と受取との戦ではござりませぬ」 「なるほど」 ってござりまする。いや、石舟斎の自戒はとりもなおさ 「これは切支丹信徒と、泰平にあき足らぬ牢人衆の、時代 ず、柳生一族の家訓であり、流脈一統のまさに受け継ぐべ に挑んでゆく戦 : : : それに、はしなくも巻きこまれ、否応 き奥儀の基石と存じ、これだけは踏みたがえまいと堅く心 なしに利用されようとしているのが、哀れな、太閤殿下の に誓ってござりまする」 ご遺族 : : : その事は、われ等の従兄弟、柳生宗矩もよう見 「フーム。すると貴殿は禄をもって豊家に仕えるものでは 抜いて居りました」 ないと、いわっしやる ? 」 真田幸村はチクリと胸に針を刺された感じであった。ま 「御意。天は人の上に人は作らず、人の下にも人を作らぬ さに豊政の云うとおり : : : 或いは幸村自身もまた、わざわ ・ : ・ : 何れもこれ生死の大事によって直接宇宙につながれた 一視同仁の子でござる。その自覚を堅持して生きるが石舟ざ豊太閤の遺孤を事件の渦に巻込もうとしてゆく一人なの かも知れなかった : 斎の血脈を継ぐものと心得まする」 真田幸村は、もう一度膝を叩いて、それからあわてて茶「しかし、それがしは従兄弟の考えに従って人城を決した のではござりませぬ。従兄弟はとにかく将軍の兵法指南、 を喫した。 「なるほど、これははじめて柳生新陰の奥儀をのそいた気それだけ徳川家に近い位置にござるものゆえ、改めてこの 奥原信十郎豊政は、わが思案を練りあげてござる」 が致す : : : かたじけのうござった」 133

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った。この厄年を超えると「翁ーー」の部に入り、翁はす ( 今更、家康を相手にしたくはない : : : ) 相手にしたくないというのは、戦場で酷く殺したくはな でに戦場の実力者ではあり得なかった。 全く泰平の世の十五年間は、いろいろな意味で、人も物いという、妙に割り切れない愛着に通じているようだっ も考え方も、すっかり変えてしまっていた : 家康が出て来なければ、幸村の働き方には、もう一つの 五 面白い面が展けて来そうな気がするのだ。それは、まだ若 い秀忠とその側近を思想戦、謀略戦の渦巻きの中へ誘いこ 幸村は刀をさげたまま、庭へ出た。 盛りをすぎたすすきの穂が、裏庭から山の林の中までつんで、思いきり洗滌してやれるだろうということだった。 今でもまだ戦争による国奪り遊びの忘れられない戦国人 づき、林の中ではところどころ朱をおとしたような山うる がたくさん生き残っているのと同じように、泰平が何か ? しの紅葉がまじりだしている。 ( そうだ : : : 誰と誰とがほんとうに、役に立つであろう本平を保っための努力は、どのようになされなければなら ぬのか ? そうしたことに一向無関心なくせに、ひとかど の泰平主義者気取りで構えている鼻持ちならぬロ舌の徒も もう幸村の覚悟ははっきりと決まっていた。 つばいに出て来ている。 これから入城して、戦は冬になるだろう。わざわざ冬のい それ等の徒輩は、将軍秀忠が総大将で、真田幸村に翻弄 季節を選んだのは、関東勢の総大将として「大御所家康ー されだしたとなったら、どのように大きな尻っ尾を出して ー」の出陣を封じたいからであった。 家康はすでに七十三歳の老齢になっている。おそらく厳見せるか。 冬の季節を選んで挑戦すれば出陣はなし得まい。 その右往左往の中から、あまり好もしからぬ徒輩はそっ くり戦場へ抱いて行ってやる。 ( 総大将が、家康であるのと、秀忠であるのとでは、また ( 人間と戦争とが、永遠に縁を切れない原因の一つは、神 まだまるで違った戦力になってゆこう : : : ) 仏が、こうした軽薄児を時々掃除せねばならぬという、天 そうした計算をしていながら、実は幸村の胸のそこに 意としての意志を持たれている結果なのだ : : : ) は、それと全く違った労りもなくはなかった。