しかし、二十三日に家康は吉良を発って、二十七日に吉対したのは秀頼とその側近の若者たちであったと聞かされ ている。 吉良は、将軍秀忠を待っ場所ではない 田の城に入っこ。 牢人の中では真田幸村と後藤又兵衛基次。したがって和 : そう考えてのことであろう。 一方秀忠は二十四日に伏見鹹から二条城に入り、そこで平後の不穏なうごきも、当然この二つの線から発した策動 が震源地をなしているものと判断していた。 諸公家の挨拶を受け、軍列を整えて帰路についた。 そうした判断に立っと、家康の処置はことごとく手ぬる 、、、、つばいあった。 秀忠の方でも、家康に話したいこと力し そこで、土井利勝を一足先に道を急がせた。父と二人、とく歯痒ゆいものになってくる。 くと話したいことがある旨、家康に告げさせるためであっ秀忠は決して家康が老耄したとは思わなかった。 しかし、この生温い扱いの原因には、眼の中に人れても 実のところ、まだ埋立ては、秀忠の思うようには完了し痛くない千姫〈の溺愛が秘んでいるような気がしてならな ていなかったのだ : そこで残勢を本多正純と安藤重信の両人に、特に懇々と孫は、子よりも可愛いという。しかしそうした私情で、 天下の仕置が左されるようなことは、断じてあってはな 旨をふくめて一任し、自分は急いで父のあとを追った。 すでに諸侯の大半は軍勢を帰国させている。その守備のらないことだ。 これは決して秀忠だけの考えではない。家康自身が口を 手薄になったのを見て、大坂城内の牢人たちは、再び不穏 な動きに入っている : : : と、秀忠の見方は、家康とは全く開けばそれをいい、秀忠も又これをきびしく自戒している のに過ぎない。 逆であった。 しみ ( 於千のために、父の生涯の、最後に汚点を残させてはな 十 らない : それが律義な孝子、秀忠の偽りない心情であったろ 秀忠は、和議成立のあとで、秀頼の心境が大きく変わっ ていることまでは知らなかった。 こうして、秀忠が、一足先に出発させた土井利勝が、家 その反対に、もっとも強硬に主戦論を唱えて、和議に反 280
着いて、将軍秀忠とその側近の出迎えを受けると、そのま まきびしい表情で軍議の席についていった。 しかも、その戦に秀忠も、そしてその旗本たちも、もう すっかり感情を燃えあがらせてしまっている 「ここはご覧のとおり、大坂城の外構えからは二十七、 町しか距って居りませぬ。それゆえ、この四方は鉄の楯で 殺気立っている茶磨山の陣中で、秀忠とともに軍議の席二重に囲わせてござりますれば、お心おきなく」 秀忠にそういって床几をすすめられたとき、家康は泣き についた家康は感慨無量であった。 たいような気持ちになった。 ( わしの生涯で、このような不思議な戦があろうとは : どうやら、そうした慎重な用心は藤堂高虎の思案らし い。秀忠のわきに控えた高虎の眼まですでに凄んでいる。 彼が幼いおりから見て来た戦は、つねに死と隣りあった 「あの、楯の向こうに控えさせたは何者ぞ」 血みどろの格闘であった。 殺さねば殺される」というよりも、その生死さえ度家康が席につきながら間いかけると、 外視して、猛然と奮い立たずにおられない険しい空気の中「はい。鉄砲組三十騎、万一の際にそなえて控えさせてご ざりまする」 の戦であった。 それが今度は、ガラリと様相を変えてしまっている。ど秀忠に代わって高虎が答えた。 「そうか、鉄砲組か : : : それは用、い堅固なことじゃ」 う考えても負けるとは思われず、出来得ればこれを避けた 家康は先ず秀忠にも掛けるようにすすめておいて、改め い戦なのだ。 いや、避けようとして、実は、あらゆる思案を練らねばて目の前にそびえる大坂城の天守を見ていった。 ならぬ皮肉な戦に変わっている。 天守は依然として堂々と青い空をくぎり、その奥から故 太閤の高い声が聞こえて来そうな錯覚をおばえさせた。 ( 折角の泰平をありがたいとも思わず : : : ) 「ここから眺めますると、大坂城もさしたることのない小 詰らぬ不平はおさえて、戦はしてはならぬもの : : : とい う、わかり切った目の前の計算さえ出来なくなっている子城に見えまする」 昻然として秀忠がいった 供相手の戦なのだ。 186
いものじゃのう。とにかく太閤が苦心の城じゃ」 「大御所さまご布陣の意味を、よく合点なされたと洩らさ れておわしました。この砦のうち、いちばん近い、このあ「それは秀忠も充分に考えて居りまする。用意が出来まし たら、向こうも怖れて思案を変えましようほどに」 たりに大砲を据えて敵の天守に狙いをつける。それから、 : かも知れぬ。一発で威力は示 「そ、つじゃ。一発はよい : 金掘人夫など集めまいて、壕の下から城の下へ掘りすすむ ふく : つまり味方の人命をいささかも損傷せず一挙に城を覆すが二発は射たぬ : : : そんな心構えで事にあたる。大炊も 滅する、と見せかけて悠々と時をお待ちなさる : : : さすれそれに異存はあるまい」 「異存どころか、それでこそ天下人のなされ方と存じます ばひとりでに春までにはかたがっこうと仰せられまして : 「そうか。ではこれで決まった。佐渡と相談のうえ早速用 家康は、チラリと秀忠の横顔を見やって、又笑った。 「そうか。それはよいご思案じゃ。なるほど、大砲の筒ロ意にとりかかられよ」 家康は、さりげなくいって秀忠にタバコをすすめた。 を天守に向け、下は地面の中からゆくか」 「はい。お許し下されば、早速そのような手配を致しとう秀忠は胸が熱くなって、タバコ盆を、あわてて父の前に おしかえした。 存じまする」 いかがなものであろうかな将軍家、ただ今の大炊が言葉 ( この父を、自分はどうして疑ってみたりする気になった のか : : いや、それが将軍家ご自身のご思案かも知れぬが」 家康は生まじめな表清にかえって秀忠に同意を求めた。 父はすでに、自分の面子や手柄などにこだわる心境とは 秀忠は、かすかに赤くなっている。何も彼も承知のうえ遠いところに立っている。おそらくその一言一行、ともに で、わが子を立てようとする老父の心の余裕がこそばゆかみな遺言のつもりなのに違いない。 「では早速、立ち帰って砦つくりに励みまする」 「はい。お許しあれば、早速中井大和あたりに用意致させ「そうか。タバコも召し上がらずにか」 「はい。お許しが出ました以上、用意は早いがよいと存じ と、つ存じまする」 まする」 「それがよい。ただしその大砲を射たすに済めば済ました 794
ちこちに火災が起こ 0 て、おびただしい難民が巷にあふれよ。そうじゃ、そこの畳の上がよい。近ごろ、家康は、い ることになる。破壊はたやすいが建設には容易ならぬ人費よいよ眼が遠くなっての」 とたん さっさと事の決定を告げて、鉄楯のわきに嗷かれた六畳 が要る。戦には勝ったが、民に塗炭の苦をなめさせたでは ほどの畳の上へあがっていった。 上に立つ者の心得として上々のものではない。互角の戦な これでは、他の者が反対など出来るものではなかった。 らばとにかく、これは日時を仮せば必す勝てる戦なのだ。 どうじゃ、お許から、将軍家に長陣のお覚悟をすすめてみ秀忠も、い 0 たん硬ば 0 た表情をといて畳に近づいた。 「おお、この絵図面は大きくてようわかるわ。そうか、こ てはくれぬか」 こが味方の第一陣か : : : 」 本多正信はびつくりした。つねに家康の言葉にさからう 秀忠ならばいざ知らず、これは聞きようによっては、まこ家康は、城の周囲にひしひしと詰めている味方の配備 を、老眼鏡の奥から仔細にながめて、それから林道春の差 とに手きびしい皮肉であった。 し出している矢立をとった。 と、案のごとく、秀忠は屹っとした表情で顔をあげた。 「お父上が、そのご存念ならば、長滞陣のこと、秀忠に何矢立は心得た朱筆であった。 がいしゅ・つしよく の異議がござりましよう。ただ秀忠は、みなみな鎧袖一触「そうか。これで仲々の城じゃぞ大坂城は」 家康は、ひとりごちながらその図面の中に点々と朱の丸 の意気込みのところゆえ : : : 」 印をつけてゆく。 「待たれよ将軍家」 むろんそこに砦を構築して、対峙に入れというのであろ 「ここは軍議の席じゃ。事が決定すればそれでよい。佐渡う。その矢印が三カ所、五カ所、七カ所とふえてゆくと、 たまりかねて秀忠はまた畳敷のそばを離れた。 ( 何のために、このような無駄なことを : : : ) そう思うと、ふっと一つの疑惑が心に湧きあがる : ( 父は、或いは、自分の器量に、あきたらす、わざわざ反 対のための反対で、当たり散らしているのではなかろう 「よッ 「お聞きの通り、将軍家も、われ等にご同意なされたぞ」 「御意」 「で、長陣と決定したゆえ、用意の絵図面をそれへひろけ 189
であろう。それじゃ ! それに違いない」 は見られるのか」 「さようし大御所さまは奈良で、中井大和をお呼び出しに 秀忠は、そっとあたりを見廻した。 彼もまた、それに違いないと思ったからだ。 なったそうな」 ( そうか、そうした思案があったのか : : : ) 「中井大和をのう そうなれば、城内にそれを知らせる方法は幾らもあっ 「さよう。たぶん、この中井大和に命じて、これ等の向か た。もの見の者でもよし、京極家の後家をやって和を計ら い砦の中に高いやぐらを建てるご所存であろうと思う」 せてもよい 「高いやぐらを : ・・ : ? 」 「さよう。その上に大筒をのせて、大坂城の天守閣を射ち秀忠は、あらぬことで父を疑った自分が恥ずかしく、改 めて朱印の人った個所と、天守閣の位置とを目測していっ 崩す・ : ・ : となったら、城内ではどうなるかじゃ」 「なるほど : こうして秀忠が、新しく天満と守口の間に二カ所に朱印 「淀のお方はご女性、秀頼さまは戦を知らぬお方。そこで 9 肝をつぶして和議の申し入れ : : : と、いうことにはならぬを加え、それを持参して、土井利勝とともに家康を住吉に 1 訪ねたのは翌十九日であった。 かの」 家康は、平服のまま社家の一間に秀忠を迎えると、 そこまで聞くと、藤堂高虎は、。、 ホンと一つ膝を叩いた。 「どうじゃな。わしの布陣が腑におちましたかな」 「それじゃ 笑いながら利勝のひろげる絵図面をのぞき込んでニコニ 「おわかりなされたかの」 コと笑っていった。 「中井大和だけではない。甲州へ金掘人夫を寄こすように 「ほう、二カ所砦がふえて居りますのう とご内命があったぞ」 「ほう、それは初耳じゃ。すると空からは大砲、壕の下か らは穴掘りか」 「実効はとにかく、その掘りすすんだ穴に煙硝を詰めこん「将軍家は : で城ごと下から吹き飛ばす : : : と、申せば、大抵おどろく と、土井利勝が、秀忠に代わって口を開いた。
「なるほど、それは一応考えてあらねばならぬ。いかがでおさめましては、又々後日に禍根が残る。秀忠はこの戦を ござるな将軍家は : : : もはやそれについてお手配すみか もって、今生の終わりの戦に致したいと存じまする」 「それも、将軍家としては当然のお覚悟であろう。いや、 秀忠は間髪を容れず、 わしとてそれに異存はない。もはや戦国は終わってよいこ ろじゃ」 「それについてお父上にお願いがござりまする ! 」 珍しく気負った声であった。 「つきましては、お父上より、一両日中に公家衆をお招き あって、たとえ豊家の側から禁裏の仲裁を願い出する者が あっても、右様の次第ゆえ、御意に添いかねる趣き、先す 「ほう、それについてお願い : : : と、申されたようじゃ もってお申し渡しおき下されとう : : これがお願いにござ りまする」 家康は、また微笑をうかべかけて、上体を起こした。 家康は、大きく頷きながら、ふっと一つの侘びしさに行 「承りましよう。仰せられよ」 き当たった。 「この度びの戦、秀忠は禁裏のおロ出しはご辞退申し上げ どうやら正信と秀忠の間で、これはすっかり打ち合わせ る所存にござりまする」 済みのことらしい。 うまうま - 「なるほど」 ( それに、巧々とひっかかったわ ) 「その理由の第一は、政治向き方端のことは関東〈ご一任秀忠の強硬な意見は当然のこととして、念をおされる と決したる今、たとえ味方苦戦に陥ればとて、その袖にす迄、喜んで聞いていた自分が老いたような気がしたの・ , がって和議を計るはこれ責任回避、拭うべからざる武門の 「相わかった。公家衆は、豊家からなど頼まれずとも、自 恥辱と心得ればに、こざり・まする」 体戦ぎらいのうえ、われ等に忠義立てしようとて口出すま 「たしかに、筋はそうなるようじゃの」 いものでもない。そうした事のないよう、家康からハッキ 「第二に、今度こそは謀叛の根を断って、泰平の世の到来リと釘をさしておこう」 を、世のすみずみまで徹底させる覚悟。それをせすに矛を家康は重々しくそういって、 よ」 0 354
ら、いったいこれはどうなろうか : でが、空おそろしいほど的確な謀略として生きてくる。 わざわざ血判まで検べに行き、敵の新手は船のまま引き 「長門どの ! この幸村の作戦にどこそ、誤算がござろう 揚げさせ、そのうえ、戦は終わったと武装を解かせて眠らか」 せる : : : もともと戦は奇道なのだ。勝てばそれでよいでは幸村は詰め寄るように、 / し , 刀・ 「戦とはつねに生と死とをわかっ賭け。勝算七分と見たお りには、断々乎として勝に賭けるが常道でござる。なにと しかし重成には、若さから来る激情のほかにもう一つ、 そご決断下されて、内々でもよい、先ず上様のご裁可を得 同じ若さから来る潔癖さがあった。 彼は彼の口から、今日ハッキリと将軍秀忠に告げて来てて下され」 「なに、上様のご裁可を」 いる それは、この和議成立のお礼に、明日家康と秀忠とが茶「むろんでござる。上様のお許しなくばこれは暴動 : : : 暴 磨山の本陣で合流したところへ、織田有楽斎、大野治長、動であっては大御所、将軍家のお二方を捕虜としても、規 淀の方などのお礼の時服と、七隊長の太刀折紙を献じたい律ある交渉はなりますまい。お願いでござる。ご貴殿から ゆえ、謁見を許されたいと : : : 秀忠はむろん喜んでこれを先ず上様に申し上げて下され。むろん作戦については、そ れがし詳しくご説明にあたりましよう」 許したのだが、それらが一切虚偽になる。 重成は大きく息を吐きだした。 十四 彼は今まで幸村が、秀頼の許可を得て戦おうとしている 将軍秀忠は、木村重成の使者ぶりにことごとく感心してものとは思わなか 0 たのだ。 いた。負け戦の使者でありながら、いささかも気おくれし ( そうか : : : そうだ 0 たのか ) たところがなく、天晴れ君命をはずかしめない武者ぶり重成の若い潔癖さは、これで一つの緊縛をとかれた。彼 ・と一三ロじるとこ はすでにその一身を秀頼にささげ切った : と、ロ数の少ない秀忠にしては、珍しく上機嫌で褒めてい ろに生の焦点をおいているのだ。 ・となっこ 「相わかって、こざりまする ! 」 しかし、それもこれも夜襲のための謀略・ : きんばく 232
が深まるわけだ。 諸侯の中にも、年内に戦を済ませて、正月は領地へ戻っ それは律義な秀忠にとって、かって考えたことのない : いや、考えてはならないと思っている肌寒い不信でありてやりたいと考えている者が少なくない ( 長びいたら、臆病と思いこむ者も出ように 疑惑であった : ・ しかし、それが、家康に全く別の下心があっての事とす 九 れば問題は別になる。 他でもない。それは、父が或いは自分の器量を見限っ そういえば、今度の大坂攻めでは、父の態度ははじめか て、将軍職を舎弟の誰かに譲らせようとしているのでは : ら異様であった。 : という疑惑であった。 むろん若いおりのように正面から叱りつけたりはしなか オ言葉遣いはどこまでも丁重だったし、将軍家、将軍 ( いや、そのようなことはない ! ) そのようなことを考えるのは父を冒濱するものだ : 家と、みなの前では当主としていんぎんに扱いながら、し と、はげしく自分をおさえながら、しかし、それを否定し かし、戦略のことでは殆んど秀忠の意見を容れようとしな つ」 0 得ない不安もあった。 父はきびしい ! 決してわが子だからといって、実力の 秀忠の考えでは、ここらで、将軍の威力をきびしく天下 : と、考え の諸侯に示しておくべきだと思うのに、家康は、その逆でない者を空位に据えておくような人ではない : てくると、今度の大坂の事件は、秀忠の大きな失政に当た あった。 軍旅の途中で、使者を寄こすと思えば決まって「ーー・急らぬこともないからたった。 大御所として、つねに政治にロは出しているものの、徳 ぐな」というのであり、気負い立っと必すをれに水をささ れた。 川家の当主はすでに自分であり、家康は征夷大将軍ではな かったのだ : 父のいうとおり、これは確かに負ける戦ではない。とい って、長滞陣をしてあれば、どこでどのような隙かみだれ とすれば、こうした事件を引き起こさせたのは、将軍秀 が出まいものでもなく、そこを衝かれては、それだけ難儀忠の政治や威信に欠くるところがあったからたという責任 つ ) 0 190
知ると、自分から申出て安芸広島の城主福島正則の子の忠 勝の許へ使いしていった。 父の正則は江戸にある。しかし、子の忠勝は直ちに兵を 家康の進軍は、急ぐがごとく急がぬがごとく・ し、決して停滞はしなかった。 ひきいて大坂攻めに加わらないと、秀忠の疑惑を受けるで 歩一歩と、彼と大坂の距離が縮められてゆくにつれ、大あろうと忠言をするためであった。 こうして竹中重利が出てゆくと、すぐそのあとへ小出吉 人と子供の実力の差がハッキリと世間に見えるように布石 もりやく して来ていたのだ。 英がやって来た。吉英は秀頼の傅役だった秀政の一子であ したがって将軍秀忠は、まだゆっくりしていてよかったる。 のだが、秀忠の立場からそれは無責任とも親不孝とも考え 「ー・・・ー実は、秀頼さまよりこのような書面が参って居りま られたのであろう。 すので、お届けにあがりました」 彼は直接父の許しを乞う前に先鋒の藤堂高虎に向けて、 それは是非とも大坂に味方して呉れるようという秀頼自 「ーーー大御所よりの指令はまだ到着しないが、とにかく途筆の懇請状で、それを本多正純が家康に取次ぐと家康は、 眉をしかめてわきを向いた。 中まで出かけることに致した」 という、事後報告の形で発進してしまった。 「そうか、小出まで、秀頼どのを見限って居ったのか : ( ーー、・ー将軍まで、困ったものじゃ : 豊家子飼いの小出や片桐に見限られ、事あれかしの牢人 家康の輿による進軍と、秀忠の大兵をひきいての発進と どもを募って合戦が出来ると考えてゆく、秀頼の思案の粗 では世間へ与える緩急の度合いはまるで違う。 雑さは、家康にとって何とも理解しようのないものだっ 前者はまだ「仕切り直し 」の余裕をのこしているのた。 に反し、後者の発進は敵側の内応者に有無を云わさす斬死 そこへ更に家康の眉を曇らす報告が届いた。それは、先 の覚悟を強いる。 鋒をうけたまわった藤堂高虎が、家康の命と称して、片桐 俄然それは、さまざまな反応を見せだした。 且元と、その子孝利に大坂包囲の第一陣を命じたところ、 豊後府内の城主になっていた竹中重利は、秀忠の発進を 122
も、板倉父子も、みな秀忠とおなじ見通しだといっているての相談をしてゆくのだ : ところが、そうした思案を、ようやくまとめたその日の むろんそれに偽りや駆け引きがあろうとは思われず、 そうなれば、家康だけが、我見を通すと「無理 , ーー」になタ刻になって、今度は将軍秀忠の軍列を途中で追い越し る。 た、本多上野介正純が馬を飛ばして中泉へ到着したのだ。 むろんこれも途中で秀忠と会って、何か打ち合わせて来 実のところ家康は、秀忠も利勝も叱りつけたいところで あった。いや、成瀬も安藤も板倉もそうであった。いまのているのに違いない。 大坂城内に人物がない : : : そんなことは前々からわかり切彼は、平首にべットリ汗を浮かせた馬を山門に乗りすて ったことなのだ。 ると、そのまま家康のいる客殿に駆けこんだ。 土井利勝が先着していると知れば、或いは利勝に先に会 何故大野治長を呼びつけて、わかるように説き聞かせて やろうとしないのか : ったのかも知れなかったが、彼はそれを知らなかったらし 敢えてそれをしないのは、やはり彼等の胸奥に大坂に対 する憎悪が根深くわだかまっているからに違いない。 「大御所さま ! やはり大御所さまの仰せられる通りにな 「わしが、あれほど懇々と説いて聞かせた戦いだったのに ってござりまする」 家康の前へ出ると、正純は、声をはずませて身をのり出 そうだ、もう一度説かねばなるまい。いや、二度でも三した。 度でも説かねばならぬ。わが眼の黒い間に、 こうした試練 十四 を課されるということは、やはりこれを神意、仏意とし て、困難と対決せよとの暗示でなくて何であろう。 「なに、わしが申した通りに : 「わしはここで将軍家を待とう : ・・ : 」 家康は、吉報であれかしと、胸をときめかせながら問い 将軍の供をして柳生又右衛門宗矩がやって来るに違いな返した。 い。その又右衛門を、すぐさま大坂へ引っ返させて、先ず正純は「はい 」と大きく頷いて、先す額の汗を試っ 千姫の自害を止めさせ、それから、牢人どもを静める手だ 5 8 2