返さんとする呪いがこめられている」 ば、清韓長老は : : : 大忠臣かも知れませぬ」 「国家安康、君臣豊楽 : : : 」 「なるほど」 光悦もまた、かって勝重がしたと同じように、先すそれ「これで事を未然に防げる : : : と、なれば、文字の表面ど を口の中で復唱した。虚空を見上げて、その眼は鋭く光っおりの効果はてきめんにござりまする」 ている。 「そういう考え方も、出来ないことはないの」 「フーム」 「何れ長老は、爼上の鯉になりましよう。さりながら : ・・ : 」 「さりながら : : : 何といわれるそ」 「腑に落ちられたかの翁も」 板倉勝重が重ねて問いかけると、不意に光悦は顔をそら「仏に仕える僧侶のお身ゆえ、何とそ生命にかかわりない ようお取り計らいのほど」 その眼のふちがまっ赤になっている。 それは、勝重の考えのまだ及ばなかった一言だった。 「 , て、フカ , 1 , 1 : いや、長老もまた、われ等と同じよう 、。曽呂の身ゆえのう」 「清韓長老は : 「それから、もう一つ、この鐘銘は後の世に、こたびの事 、腹の底から泰平を : : : 」 しいかけて、たまりかねたように涙を拭いた。 件を語らせる大切な証拠の品となりましようゆえ、決して 彼は、間題の章句を、清韓の追従とは見ないもののようお取り潰しこれなきように、お取り計らい給わらばと存じ であった。おそらく、われ知らず、彼の希いが、その一句まする」 の中に滲み出たもの : : : と解したのであろう。言葉を咽喉 これは意外も意外、思わず勝重は眼を丸くして直次を見 に詰まらせると、子供のように顔をゆがめて絶句した。 やった。 「そうか、清韓長老は : ・・ : そうかも知れぬの」 直次は身をのり出して光悦にたずねた。 : 清韓は : : : 泰平の柱を呪詛するなど、憎んでも「何といわっしやる。本阿弥が辻の翁は、鐘を大切に、後 : 憎んでも : : : あき足らぬ売僧でござりまする」 世に残せといわっしやるのか ? 」 「そのことよ」 : いや、考えように依れ 「それにしても大御所さまは : 0 2
いう奇襲がどこにありましよう。それに、味方は七百、敵した は一万 : : : 鉄砲の数でも間題になりますまい。これは大御 五 所のお言葉どおり、何れ池田勢と共に、敵兵力をあちこち に分断しながら攻めるが有効、それまでご自重がよろしゅ 「ご家老はそもそもこたびの戦を、加藤家の戦とお考えで 、つ、一」ギトり - 士しよ、フ」 ござりましようや、それとも天下の戦とお考えでござりま 「フーム。するとその方は夜襲に反対か」 しようや、先ずもってそれをお伺い致しとう存じまする」 「はい。万一のおりの危険があまりに大きゅうござります この問いかたは戦国の昔にはない、無礼な間い方であっ いわれてみるとそれも確、かにそうであった。 ( 今の若者どもは理屈つばいぞ ) 夜が明けると、対岸に味方の旗が立っている : : : その情佃治郎兵衛は苦笑して加賀山小左衛門に答えた。 景を想像するのは爽快だったが、濡れ鼠になって、手足の 「いうまでもなく天下の戦、徳川家の戦であろうな。これ 凍えた味方が、霜の中へ並んで倒れている情景はたまらな 「それを伺うと今夜のうちに川を渡らねばならぬことに相 : ど、フじゃ、小左衛門 「すると、この好機は見送りか : 成りまするが、それでよろしゅうござりましようか」 そなたも腑におちたか」 「小左衛門、こなたどうもロの利き方を知らぬようじゃ 残念そうな明成に間いかけられて、奇襲をすすめた加賀の。どうしてそうなるのか、そっちを先に申すものだ」 山小左衛門は、佃治郎兵衛に向き直った。 「かしこき ( り・ました」 「失礼ながら、御家老にはわれ等若輩の意見、お聞きとり 小左衛門はかくべっ相手に反感など持っているのではな 頂けきしよ、つ・や」 いらしく、あっさりと頭を下げて口を尖らした。 「といわれると、小左衛門はまだ諦められぬといわれるの 「ご家老の仰せのとおり、これは天下の戦いでござります か」「御意にござりまする」 る。それゆえ、姫路、岡山の両池田家を始めとし、中国、 加賀山小左衛門は、はじき返すように答えて身をのり出四国の諸軍勢が、ご存じの通り、ずらりと陣を張ってござ 169
「いかにも。こたびの和議は、より大きな騒動を後に持ちれる。成瀬正成が居られる。この三人を、われらは当代の 三知恵者と信じて居ればこそ、黙って大御所には申し上げ 越すだけのもの : : : と。ご貴殿から大御所にも将軍家に なんだ。このたびの和議などは、集まった牢人どもの祝い も、政宗が断言していたと仰せ上げられよ」 酒の酔いがさめると、とたんに破れる薄氷のようなもの 「ほう、陸奥守どのが断言なさる : : : 」 じゃ。そのようなものに頼って、百年の計画を誤って何と 政宗はそれには答えず、 「大御所は、わざわざ書き止めるまでもないがと仰せられなさるぞ。ここで諸侯に陣払いなど許すはもってのほか、 て、淀のお方から申し出られた外構えから二の丸、三の丸早早に御身の名で足止めをご指示なさるがよい」 正純はニタリと笑った。 取り払いの件をあっさりと聞きながされた。むろん、これ については、上野どののお考えがあろう。そのお考えを承彼もまた、政宗にいわれるまでもなく、いささか知恵者 ったうえにて、それからそれがしの思案を申し述べたい。 の自負は持っている男なのだ。 外構えの第一は城をめぐる総壕と存ずるが、これを上野ど 「それで : : : 陸奥守どのは、何を成せと仰せられるので」。 2 のは何とご覧なさる」 「いわいでものこと。彼等が祝い酒からさめぬうちに、井 正純は、はげしい口調で問いかけられて、あわてて二、 伊、蜂須賀、前田、池田と両松平などよりそれそれ人夫を 三度瞬いた 出させ、即刻城の取り壊しにかかるのでござる」 本多正純は、、、・ : と、声に出して笑った。 「むろん、悉皆埋める所存でござる」 「さすがに陸奥守どののご着眼恐れ人りました。その儀な いわせも果てず、独眼竜は身をのり出して壁間にかかナ かなめ らば、もはやそれがし : てあった配陣図に扇の要をあてていった。 一瞬だったが政宗の隻眼は、あやしい恐怖をうかべて光 「然らば、何故あって、諸大名のご陣払いを、お止め申さ っこ 0 ぬぞ。この広大な外壕内壕を、わずかな人夫や旗本衆で埋 め尽せると思われてか、それがしは : 実はここまでは政宗の「探りーーー」たったのだ。 政宗はそこで再び肩をそびやかすように坐り直した。 ( そうか。やはり抜け目のない男ぞ : : : ) 「大御所のお側には、ご貴殿が居られる。安藤直次が居ら 「ならば、次の総攻めは幾日ごろかむろん大御所のご内 またた
「片桐どのから、何かご連絡は ? 」 「さよ、フでざろ、つな」 「ござりました。和議となればわれ等もせいぜい内側から 「そして、真先にその儀を申し出まいた。何れも豊家のた 大御所に取りなそう。大御所は、さほどむごいご処置は考めに一身をなげうとうとして集まった人々ゆえ、これ等の えてごギるまいと」 人々にはお構いなし : : : つまり、退身したい者は心のま ま、残りたい者もまた心のまま、関東ではこれに一切干渉 「では、念のため、もう一つだけ伺いおきとうござる。和 議がととのえば、この夏以来駆けつけた諸国の牢人衆は無せぬことと : 「なるほど、すると、豊家は、旧に数倍するご大身になる 用のもの、これ等の人々は何となさるご所存で」 それは、いかにもさりげない言葉であったが、問題の核わけで」 心だった。六十余万石で十万にあまる家臣やその家族たち 「いや、そうは参りますまい。せいぜいが旧領安堵 : を養いうるものではない。それに対して治長は何と考えてれゆえ、これを皆で虚心に分けて生きる : : : それより他に 、一」ギ、りますまい」 いるのかという、揶揄をも含んだ反間だった。 治長の顔はゆがんだ。 治長はそういってから急に設い出したように、 関ヶ原以来の旧臣たちたけで、太閤の遺産を喰いつぶし 「それについて、ご貴殿に頼みたい儀がござるがお聞き入 て来ている豊家なのだ。それが実は二百万石以上もの空証れ下さるまいか左衛門佐どの」 文で、やたらと味方を集めまくっている。 幸村は半ば呆れながら、いんぎんに一礼した。 「それがしの考えでは : 「何でござろう。それがしに出来ることならば、お役に立 と、幸村は、つぶやくようにいった。 ちたいと存ずるが : : : 」 「約東どおり、戦って負けたのならばとにかく、戦いもせ 五 で和を結ぶ : : : となれば、おだやかに退散は致すまいかと 存ずるが : 幸村は、自分の言葉も皮肉も治長には通じないのだと悟 「その儀は、われ等もいちばん心を砕いたところでござ 立身出世を夢見て馳せ集まった牢人の大群が、戦もせず 200
二の丸、三の丸の破却によって、永遠に抗戦の手段を放 幸村ははツとして顔をあげると、まじまじと七郎右衛門 の顔を見詰めた。 棄した大坂方が、旧領の六十余万石をそのまま安堵された として、十万という新旧併せた家臣の家族をどうして養う 「お許は、戦うならば今だ ! そう申しているのだな」 「いいえ。和議のあとでは戦は出来ぬ : : : と、申し上げてことが出来ようか : 一家族宛にして六石 : : いや、仮に本丸たけになったと 居りますので」 されば、 「そうか。二の丸、三の丸を壊すと、上様の方から申し出しても、この巨城の人費は四十万石を下るまい てしまったのか : : : 」 その余をそのままわけても飯米の半ばにもおよばぬものに なってゆく 「出来ない相談をなさるものじゃ」 幸村は再び箸をうごかしだした。 再び幸村の胸を、絶望の風がつめたく吹きすぎた。 秀頼や淀の方が、二の丸、三の丸を取り壊そうと申し出「しかし、もうそれで和議の大筋は決まりましたようで」 6 た意味はよくわかる。 「むろん、関東では二つ返事でその条件を容れたであろう 2 秀頼の生命に別状なく、所領安堵のうえ、新旧を間わずからの」 家臣は処罰しない : : という条件をそのまま容れてくれる 「それがしは、関東の内部にも二つの思案があるように田 5 ならば、豊家の方でも、向後決して徳川家に叛旗をひるが い亠よす・」 「二つの思案が : えすようなことはない : : : その証拠を示すべきだと考えて すすんで申し出たのに違いない。 「はい。一派は申すまでもなく手を打って喜んで居りま それは切羽つまった不利な立場から秀頼を救い、豊家のしよう。これで大坂は自滅の道を開いたと」 存続を計ろうとすればきわめて当然のことのように思われ「もう一派の考えは : ながら、しかし、絶対にそのままでは済まない大きな誤算「されば、集まった牢人衆のうち、どれだけ自発的に退散 をふくんでいる。 してゆくか、それを見たうえで、改めて移封を申し出、と にかく豊家の名跡たけは残るようにしてやらずばなるま」 ( やはりこれは女子の思案た : : : )
しなし」 声をはずませて重成は答えた。 二人は闇の中に馬をすすめて、外壕内を一周すると本丸 「上様のご裁可とあれば上様のご命令、喜んでわれ等もご へ向かった。本丸の書院や御殿にはもう畳が入っている。 同意仕ろう」 「かたじけないー だが、敵に洩れては一大事ゆえ、これ誓書受け取りにやって来た関東方の阿茶の局や板倉重昌、 阿部正次などに見せるためであった。 はどこまでも上様直々に」 二人は大庭の柵門に馬をつないで、先ず重成一人が先に 「、い得ました」 それから二人は連れ立って幔幕の外へ出て、壕の向こう秀頼の居間に向かった。重成が内意をただしたうえで、改 めて幸村を案内してゆく手順であった。 の敵情を見てまわった。 幸村はひとり大庭に残って、番卒の焚くかがりに近づい あたりは黒々とした夜になって、時々空で星が流れてい る。すでに、天満川を距てた、加藤、中川、池田などの陣た。と、その時だった。城内から久しく耳にしなかった小 中ではタ餉は終わってしまったらしい。かがり火のそばに鼓の音が洩れて来たのは : 僅かな見張りだけを残して、昨夜とは打って変わった静け 十五 さだった。 「なるほど、殆んど武装を解いて居りますな」 重成の迎えに備えて、草鞋の紐を解きながらはじめ幸村 重成は、今更のように幸村の思慮の周到さにおどろいの眼は和らいだ。 ここしばらく聞けなかった小鼓の音色の冴えが、胸の渇 きにしみわたってくるようだった。 「それにしても恐ろしいお方じゃ真田殿は」 ・ : 次の瞬間、愕然として幸村は焚火のそばを離れ 「いや、われ等たけではない。人間とは、時におろか、時 に正直、そして時にはおそろしい魔ものでござる」 「いや、それもこれも豊家の御ため ! では、一応横壕か ( 又しても、女性群に敗れたのではなかろうか : : : ) ら谷町ロ、八町目ロの敵情を見たうえで、そっと上様に申 その不安が突風のように胸膜を叩いたのだ。彼は昼間集 寺こも、わが出丸の士卒たちにも、警戒を解かぬ し上げましよう〕上様は必す膝を打ってお喜びなさるに違まった諸当 232
底からやりきれない愛情やら隷属やらを確め合おうとする ・ : 上様はこの世で唯お一人の愛おしい殿御であり、ご母公 さまはやさしい姑御 : : : そこで思いあぐんでわが身を捨て のに過ぎない。 「それがしが、根もないことでわざわざ関東との間に水をる道を選んだ : : : 考えてみると、御台さまの立場はまこと さす : : : などと仰せられては、このままは引きさがれませに哀れ : : : 」 ぬ。いったいご母公さまは、尋常のことで御台所がご自害「待ちゃ ! 」 を考えると思されまするか」 淀の方は叫びながらさえぎった。 : こなたにどうしてわかったの 「黙りや ! それを : : : それをわらわは訊いている。何「その命令が真実と : 故、千姫どのは自害しようとなされたのじゃ」 じゃ。わらわには腑におちぬ。あの大御所や将軍家が : : : 」 「されば、関東から : : : 上様かそれともご母公さまか : 「その、腑に落ちぬ事が起こった : : : それゆえ、ここでは : いや、或いはその双方かを刺すようにいわれたものに相よう考えねばならぬと申し上げているのでござりまする」 違ありませぬ」 「いいえ : : : 信じられぬ。たとえ千姫の許へ、そうした命 7 令を伝えたものがあったとしても、それは、将軍家や大御 2 「な、なんといわれる」 : こなたの 「さなくば、どうしてご自害など : : : よろしゅうござりま所の考えではよもあるまい。こなたのような : するかご母公さま。ご母公さまもご存じのように、近ごろような、向こうの家臣どもの考えだした奸策に相違ない」 「こなたのような : の上様と御台さまとのおん仲は、はた目も羨む、むつまじ 「挈、、フじゃー 近ごろはの、何彼といえば上様やわらわを いおん仲 : : : しかしそれを関東ではご存じない。はじめか ら下心あって送りこんだ隠密のつもりゆえ、今でも命じら軽んじ、一々かげで事を謀る。そうしたは関東方にもあ ! これは土井大炊か、それとも れれば、毒も飼おうし、刺しもしよう : : : そう思いこんでるのであろう。そうじゃ 無理な命令を下された : 本多佐渡かのゆがんだ思案に違いない」 淀の方は、それが、治長の想像による抗弁とは知るよし淀の方の飛躍が、思いがけないところでチクリと鋭く治 長のこころを刺した。 もなく、腸を引き千切られるような思いで聞いた。 「ところが、御台さまのお心はすでにそこにはなかった : 治長はロをつぐんだ。
「ウーム」 ( まだ駿府からは何の音沙汰もない : ということは、家康が彼の主張を容れて、とにかく移封 二人はいい合わしたように腕を組んで考えこんだ。 のことは十七回忌の後まで待ってくれるものと思った。 さすがに光悦の思案は常人のうえ超すものを持ってい る。しかし、彼のいうようにその鐘がほんとうに鳴り出す 開眼供養のはじまるのは八月三日。あと二日になってい る。 のは、何時のことになろうか ? ( 百年 : : : 一一百年 : : : と、鳴らずにいたら : : : ) むろん京都の様子は逐一所司代のもとから家康に報告さ 板倉勝重は、呼吸をつめたまま、その眼を庭の泉水に移れているに違いなく、それがいまだに何もいって来ないの していった。と、池畔に立った石の一つが笑っているよう だから、八月一日の茶屋船で京に向かいながら、片桐且元 な気がした。 が、自分の希いはきき入れられたものとして、ホッとする その石は、かって、織田信長が、足利義昭のために二条のも当然だった。 の邸を築くとき、全国から集めた名石の一つであった。当彼は七手組の面々や大野治長兄弟などにそれとなく牢人 時の人はすでに去って一人もない。しかし、石は同じ姿での入城を遠慮するよう牽制して来ていた。 ひっそりと立っている : 「ーーわれ等に何ぞ企むところがあると見られたら、十七 回忌は無事に執行出来ませぬぞ。くれぐれもご注意あるよ 激流の杭 そして、家康の前で公言したとおり、莫大な太閤のご遺 産も、すでに底をついたといい添えつづけた。 それが、果たしてどのような反響を底流させているかま では確かめる余裕もない。 片桐市正は、七月二十六日から八月一日まで針のむしろ ( とにかくこれで一息つける : : : ) に坐る想いで大坂城内にとどまっていたが、一日になると そう思っての今日の上京であった。 城を出て京に向かった。 船が伏見につくと且元は眼をみはった。 けんせい
れた大坂城の総構えに眼をほそめて、 「いくら長くても夏までは持つまい。ここでは先す囲んで 「世の中が泰平になるとの、滅多に戦場の経験は得られぬ おいて正月をする。それがよい。それがようござるそ」 道理じゃ」 つぶや 「御意にござりまする」 呟くようにいって、秀忠をかえりみた。 「されば、せつかく集まった諸国の軍勢に、戦の仕様にも秀忠は大きく眼をみはったまま黙ってしまった。 さまざまあることをこの際よく教えておくのじゃ」 まだ父が何を考えているのかよくわからなかったが、心 中ではひどく不満であった。 一々向かい砦を築かなければ落とせな 「抜け駆けしても早急に落とさねばならぬ戦もあれば、無 乂のい、フよ、フに、 理はきびしく慎んで、一人でも損害を少なくせねばならぬいような頑強な敵とは思えなかった。それどころか、ここ で一気に総攻撃の命を下したら、年内にも片付きそうな敵 戦もある」 に見えた。 ( それなのに、父は、それを許しそうな気配はない : 「仮に、少ない損害で済む戦に無理な采配を強いて人を殺 或いは城内で誰か降参でも申し入れて来ているのかも知 しては天意にもとる。さすがはあつばれな采配ぶり : : と、秀忠は田 5 った。 と、万人を頷かせてこそ大将軍の器というもの。わしはれない : の、この戦に力攻めの要はないと見てとるのじゃ」 「それよりも、要所々々に向かい砦を築き、そこから城内秀忠があらわに不満を見せた表清でだまりこむと、家康 と外との交通を絶ってあれば、それで片付く戦と見た。そは、こんどは本多正信に声をかけた。 「佐渡よ。将軍家は、一気に攻め落とす方が関東の勢威を れゆえ、しつかりと城を囲ませておいての、お身もいった ん伏見へ引き揚げて休養してあるがよい。わしも、河内か示すものとお考えのようじゃが、そこ許はなんと思うそ」 大和あたりで鷹狩りでもしている気じゃ」 「わしは、そうは考えぬ。ここで激しい戦をしてみよ。あ 家康はそういってから、もう一度無数の壕と流れに囲ま 188
い込んでの帰途であった。それが、秀頼の代理として大法「市正さま、何となされましたぞ。何故黙っておわすの 要の指図一切を任されている片桐且元が、このようなとこじゃ。さ、大御所は、こなた様に何と仰せられたか、承り ろに滞留しているさえ奇怪きわまることなのに、その口か ら、 且元の顔いろ変えての沈黙を、正栄尼はもう完全に一 ' 臭 い ! 」と見てとって、追及するものの口調になっていた。 「ーー法要は間に合わぬ : ・・ : 」 こうした場合の女性の誤解は直線的だ。 そういわれたのだから二老女が疑惑を抱くのも無理はな っ一 ) 0 ー刀 / 「、、つじゃ」 と、大蔵の局も合槌打った。 ( もしかすると、法要延期のからくりは、片桐市正の陰謀 「それで、われ等も市正さまのあとを追って参ったの なのではなかろうか : じゃ。市正に聞け : : : そういわれて、何も聞かずに戻りま とっさにそう思っての反間だったのだ。 且元はむろんそうした受け取り方はしていない。彼は二した、では、お役目が済みませぬ。なあ正栄尼どの」 老女の言葉通りに受け取った。 ったい大御所さまは、どのような 「ほんにそのこと : 難題を仰せられましたぞ」 ( 家康は、女どもには何もいわない : こうなると彼女たちの追及は、責任感よりも興味であっ それは且元にとって全く思いがけないことであり、同時 た。いや、日ごろの反感を剥きだしにして意地わるい加虐 に、あり得ることにも田えたのだ とにかく天下の一大事なのだ。 趣味のとりこになっているのかも知れない。 あぶらあせ 一ーーーー女子供のロ出しすることではない」 片桐且元の額には膏汗がじっとりと浮きだした。顔いろ そういう考えから、いうべきことは、責任者としての市は紫がかった蒼さになり、灯火のかげが、陰惨なまでに反 正にいってある。市正の口から聞くがよい : : : そう伝えた面の陰りを深めて見せている。 「そうでござったか : : : お前さまたちには、何もいわなん としても、決して不自然なことではなかった。 ( これは、いよいよ追い詰められた : : : ) 「それゆえ、市正に訊け : : : そう仰せられたのじゃ。さ、 彼が愕然として顔いろを変えたのはそのためだった。 2