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検索対象: 徳川家康 16
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1. 徳川家康 16

それゆえ家康も、自分の意見を通してくれるであろう : ・ 何も新しい決意や誓書など持参して来ていないことを見き : と考えたとすれば、これは且元の人の好さであり廿さで わめたからに違いない 且元は、腑抜けのようになって、朝まで客殿に坐りつづあった。 けた。ようやく彼にも、家康が、彼に求めていたものが何 ( 欺された : であったかがハッキリとわかって来た。 次第に且元はそう思いだした。 ( そうか : : : 大御所の意のままに、大坂城を明け渡すとい ( わしはあれほど大御所に誠実に尽して来ているのに : う、秀頼の誓書を持参しなければ話にならなかったのか : そう考えると、はじめて彼は家康が怖ろしく腹黒い人間 にえて来た。もはや、彼がどのようにあがいてみても、 それはしかし遅すぎた。 十七回忌のご命日は八月十八日。あと十日の間に、大坂それは一切徒労に思えた。 へ引っ返して、そのような決定を持参出来るものではなか始めからめんみつに張りめぐらされた陰謀の蜘蛛の網 つつ ) 0 に、見事にかかった小さな一匹の蛾が、自分の姿に見えた ( これはやはり、修理や内蔵助等のいうとおり、この且元した。 が、巧々と大御所の罠にかかったのかも知れぬ : : : ? ( 大御所は、大久保忠隣を罷免したときから、すでに切支 人間は、こうした時に、自分を責める気にはなれないも丹の徒をかばった大坂城を攻め滅ばそうと決意していたの に違しなし・ のらしい。且元にその気があれば、充分に秀頼や淀の方に それを知らずに、わしはうかうかと接近しすぎ、細大も 家康の意を伝える時間はあったのだが、彼はその間、梵鐘 らさす事情を打ち明け、いよいよ大御所の戦意を固めさせ のことや鐘楼のことにかまけて、それを怠ってしまってい ていったのかも知れない。 いやいや、自分もまた本心は決して家康の味方ではなか むろんそれは、彼自身、家康を信じきっていたからの過 った。心のどこかではつねに、豊臣家のために家康を操ろ 詼ではあったが・ うとして来ている。 ( わしは偏狭な反徳川の者ではない : : : )

2. 徳川家康 16

いものじゃのう。とにかく太閤が苦心の城じゃ」 「大御所さまご布陣の意味を、よく合点なされたと洩らさ れておわしました。この砦のうち、いちばん近い、このあ「それは秀忠も充分に考えて居りまする。用意が出来まし たら、向こうも怖れて思案を変えましようほどに」 たりに大砲を据えて敵の天守に狙いをつける。それから、 : かも知れぬ。一発で威力は示 「そ、つじゃ。一発はよい : 金掘人夫など集めまいて、壕の下から城の下へ掘りすすむ ふく : つまり味方の人命をいささかも損傷せず一挙に城を覆すが二発は射たぬ : : : そんな心構えで事にあたる。大炊も 滅する、と見せかけて悠々と時をお待ちなさる : : : さすれそれに異存はあるまい」 「異存どころか、それでこそ天下人のなされ方と存じます ばひとりでに春までにはかたがっこうと仰せられまして : 「そうか。ではこれで決まった。佐渡と相談のうえ早速用 家康は、チラリと秀忠の横顔を見やって、又笑った。 「そうか。それはよいご思案じゃ。なるほど、大砲の筒ロ意にとりかかられよ」 家康は、さりげなくいって秀忠にタバコをすすめた。 を天守に向け、下は地面の中からゆくか」 「はい。お許し下されば、早速そのような手配を致しとう秀忠は胸が熱くなって、タバコ盆を、あわてて父の前に おしかえした。 存じまする」 いかがなものであろうかな将軍家、ただ今の大炊が言葉 ( この父を、自分はどうして疑ってみたりする気になった のか : : いや、それが将軍家ご自身のご思案かも知れぬが」 家康は生まじめな表清にかえって秀忠に同意を求めた。 父はすでに、自分の面子や手柄などにこだわる心境とは 秀忠は、かすかに赤くなっている。何も彼も承知のうえ遠いところに立っている。おそらくその一言一行、ともに で、わが子を立てようとする老父の心の余裕がこそばゆかみな遺言のつもりなのに違いない。 「では早速、立ち帰って砦つくりに励みまする」 「はい。お許しあれば、早速中井大和あたりに用意致させ「そうか。タバコも召し上がらずにか」 「はい。お許しが出ました以上、用意は早いがよいと存じ と、つ存じまする」 まする」 「それがよい。ただしその大砲を射たすに済めば済ました 794

3. 徳川家康 16

つまり天海は、もはや腫れものを破ってウミを出せとい まだ決断はつけ得なかった。その一番大きな原因はやはり うのだ。それも家康自身が陣頭に立っ勇気を持つべきたと 自身の健康にあったらしい 残念ながら、いよいよ開戦となれば、まだ将軍秀忠では決断を促しているのだ。 その位のことは家康もよく承知していた。 不安であった。 万に一つも敗れることはないと思う。しかし勢いに乗じ家康が心配しているのは、自分が先頭に立って兵をすす て勝ちすぎるおそれは充分あった。戦というものは、勝敗め、双方ぬきさしならぬ対陣になったところで、ポックリ とは別に地上に深い怨恨の根をおろす。勝ちすぎると、そ死ぬようなことがあったらどうなろうかということだっ の根はいよいよ深いひろがりを見せて、他日必ず思いがレ 陣中で倒れると、武田信玄の例を見てもわかるように、 ないところに不幸な芽吹きをして来るものであった。 そこで、和する道の有無を検討する意味で、九月十日にその後の手順をすっかり狂わしてしまうものだ。葬儀もす は奈良の東大寺の僧に華厳宗の論義をきき、十五日からはるな、書状の花押も三年分は書きだめてある : : : と、想像 3 わざわざ南光坊天海を召し出して、二日にわたって仏法をもっかないほどの用心深さで気を配りながら、信玄は、自 分の遺体をめぐる老臣たちの傷心と、そこから湧きあがる 談じた。 そのおり天海は、かなり強い意見であった。泰平を永続勝頼への不満をどうすることも出来なかった。 させるためには、人間の考え方を先ず変革させる必要があ今、徳川家とて武田家とおなじこと、早速大坂という敵 の前で兄弟喧嘩も始めかねまい。 り、その効果をあげるためには、相当以上の勇気がいる。 したがって、自分は陣頭に起とうとせず、駿府にあって 「ーーー大御所がかくべっ怠惰だと申し上げているのではご : と考えながら、しかしそ : とのお考えなら指図してゆく方がずっとよい : ざりませぬ。しかし、老後を安穏に : ば、愚僧は賛成できませぬ。人間に老後もなければ死後もれも不安であった。旗本も、秀忠とその側近も、必要以上 に大坂方を憎みすぎている。憎悪は憎悪を呼ぶだけの「悪 ない。あるのは常に眼前の危機 : : : その危機の中にこそ、 縁 」にしかならないことを、思い知らされている家康 ほんとうの生甲斐はあるのだ」と。 よ ) つ ) 0 家康はフフンといって聞きながした。

4. 徳川家康 16

泣きゃんだ二、三分間は無言の静寂、そして淀の方が顔たことから、この母に聞かせてたもれ」 「よ : をあげた時には、意外なほどその声はやさしかった。 し」 「さきほどこなたは、上様を、こなたが呼んだのではない 千姫は、ちょっと首を傾げるよ、つにして、 : そう申されましたなあ」 「大御所さまは、上様を攻めるお気がないのでは : 「はい。そう申し上げました」 そんなことを申されました」 「そして上様は、戦を忘れているのではない。大切な所用「なに、大御所に戦意はないと : があって参ったのだ : : と、仰せられましたなあ」 「はい。上様も、予もそのように田 5 うと仰せられ、江戸の 「そ、つ : ・・ : で、ござりました」 爺がなっかしいと : 「その、上様の大切なご用 : : : と仰せられたはどのような 千姫がそこまでいうと、淀の方はあわててシーツと自分 ご用であったか、話してたもれ」 の唇へ指をあてた。顔色はまっ蒼たった。 はい。ここで奥原豊政とか申す者に会うためでござりま 九 した」 「ほ、つ、凩〈一原に・ : なぜ、奥原を表にお呼びなさらぬので淀の方は、自分の唇に指をあてたまま、早口に千姫の言 あろう。なぜ上様は、自分のご家米を、わざわざかくれる葉を、自分の声で追いのけようとした。 ように訪ねたりなさるのであろう」 「上様がそうしたことを仰せられたは、何ぞ思うところが あってに違いない。そうじゃ ! それは、奥原豊政が心を 「今は戦そ。城内で、人の眼をぬすみ、特別の者とひそか探ろうためじゃ。なあ、姫もそう思うであろうが」 に会う : : : そなた、それはよくないことと上様をお謙め申 意気込んでたたみかける言葉の下で、千姫はゆっくりと してか」 首を振った。 「いいえ、わらわは気がっきませぬでしたので」 「いいえ、違いまする」 「気がっかぬ : : : では、改めて訊ねましよう。その奥原豊 「なに違う : : : 違いはせぬ ! この城の運命をかけて 政と、上様はどのような話をなされたぞ。さ、豊政の申し全軍を指揮遊ばす上様が、そのようなことを心底から思う 159

5. 徳川家康 16

「そうじゃ。そしていろいろ世間話が出たのじゃが、い ま、ご城内では、飯米が足りぬで困っているそうな」 晴れ晴れとした表情でそういわれて、治長は思わず眉根 を寄せていった。 「何分にも、ロが、多うござりまするゆえ」 とうであろう、わらわから駿府の大御所に 「その事じゃ。。 時が時だけに、治長は、母が千姫のことを淀の方に洩ら頼んでみようと思うのじゃが」 治長は、あわてて淀の方を見直した。 したのに違いないと思った。 ( かくべっ戯れている様子もない ( 何ということ ! あれほど内証にと申してあったのに 何のことでござります 「それは : : : それは、いったい、 いま淀の方に間いかけられても、治長には答えようがなる ? 」 い。とにかくしばらく時をおき、改めて刑部卿の局に口を「大御所は、困ったこともあらば、われ等に相談せよと、 割らせる : : : そのうえでなければ、淀の方の質問をかわしわらわにも、上様にも懇々と申されてじゃ。戦のあとで米 の足りぬは常のこと。事情を話して頼んで見ようと思うが ようはないではないか : 如何であろ、つ」 舌打ちしながら、淀の方の居間へ出向いてみると、どう やら用件は、その事ではないらしく、 治長は唖然とした。 何も聞かせてなかった自分の罪を思うよりも、 「修理どの近う : 淀の方は上機嫌で、 ( よくも、こうまで : : : ) と、腹が立った。 「いま上様がお見えなされての、お戻りになったところな それどころか、彼の得ている情報では、家康も秀忠も、 のじゃ」 無理に濠を埋めたあとで、兵をかえして攻めて来る肚だと 精進の膳を片付けさせているところであった。 ある。 「上様がお見えなされましたか」 ( 何かある : : : 何かあるが、それを聞き出せぬ : : : ) 又一つ不快な重荷を背負わされて、治長はイライラしな がら詰所へ戻った。 と、間もなく淀の方からの呼び出しであった。 五 294

6. 徳川家康 16

うえで籠城に入るべきだと思ったのだ。 「戦場 」というものの実体を知らないままに育ってい ところが、大野治長は真向からこれに反対した。 る : : : とい、フ一」とオ この月の十日、予定どおりに入城してくると、真田幸村野戦は関東勢の最も得意とするところ、もし第一線を退 かせるというようなことになったら「ーー・ー敗れた ! 」とい は先す、大野治長に会って、城を出て敵を迎え討っては : う印象を深くして、以後の士気に関係する。それよりは、 : と進言した。 しかし今ではその考えを捨てている。野戦の出来るよう始めから、難攻不落の城によ 0 て先す「ーーー不敗の信念」 っちか な訓練は、どの部隊にも出来てはいない。「戦争ーー・、」とを培うべきだというのであった。 むろんそれにも一理はある。 は何であるか ? それに立向かう軍律から教え直してゆか いや、一理どころか、二理も三理もあるかも知れない。 ねばならない者が多かった。 ( ー・ー・・大野治長は、牢人どもを信じてはいないのだ。信じ ていないとなれば城から出すのは不安になる。苦戦になれ 戦争はつねに、集団の生命と運命をそ 0 くりそのまま賭ば寝返るおそれもあり、軍用金たけ受取 0 て逃亡してゆく おそれもある : : : ) けさせる冷酷きわまる賭博なのだ。 幸村は、そうした不安を抱いたままで開戦に踏み切って それだけに、集団としての練度を充分に練りあげておく いる大野治長を、もう一度じっくりと観察し直さなければ ことが先決間題であった。 ならないと思った。 そこで幸村は、先す七手組を中心とした主力部隊をもっ ( ーー或いは治長は、味方が大軍を集めたところで、その て、第一戦を宇治川から瀬田に出して戦わせ、その間に、 伏見城と二条城を襲わせ、それから整々と退かせて籠城に大軍を背景にして家康と和睦してゆく肚ではあるまいか : 移るつもりであった。 それだったら、全然間題は別になる。 決して、瀬田で決戦とか、是が非でも伏見城を落せとか そこで彼は、城から出て戦うか、それとも始めから籠城 いうとらわれた戦略ではなく、城外で充分に演習させ、こ の戦争と各自の運命のつながりを、ハッキリと自覚させたするかは別にして、自分は外壕の近くに出丸を設け、引連 ゞ ) 0 726

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: と、思って来て大 むろん何か自信はあるのたろ、つが : そのような監視の輪をどうして破り得るかというのであ とした。 , 力はドキリー・ 。若し脱出の途中で敵の手に落ちては、それこそ真田 : もう脱出出来ないことを吾って、伯父の : したがって、大助に山へ残 ( 若しゃ父は : の武名を汚すことになろう : れということは、その父幸村の豊家加担に不賛成というこ刺客の手にかかろうとしているのではなかろうか ? ) とでもあった。 九 実のところ、大助がいちばん心配しているのは、その 「脱出ー・ーー」についてであったかも知れない。 大助は自分の想像に、自分でおどろいて、そっとあたり 和歌山への道はいうに及ばず、橋本から五条へかけてはを見回した。 例の松倉豊後守重正の手勢が油断なく見張っていたし、ど ( 伯父信之の刺客の出現を待っているのでは : そ、つ田 5 、つと、そ、つ田むえないことはなかった。 うやら信州の伯父の許からもいざといえば他藩の者の手に しかし、彼には同腹の 渡すまいとして刺客が放たれて来ているようだった。 大助の母はすでにこの世にない。 姉と弟が六人あった。というよりも妾腹の者を加えて姉弟 高野山へは本多上野介から直々に内命があったらしい はすべてで八人といった方がよい し、所司代の板倉周防守の諜者も入りこんでいるらしい。 そのうち長姉はすでに伊達家の片倉小十郎景長のもとへ 現に今日、別れの酒宴に招待するという者の中にも、秘 かに監視を命じられている者が三人や五人はまじっている嫁し、次姉は石谷重蔵道定の許へ嫁して家には居なかっ 筈であった。 この高野山に住んですでに十三年になろうとしている。 父の側女は、母の死後、幼い者の世話をする形でこの九 それだけに真田父子に敵意を抱いている者は無さそうであ度山の閑居に住みついた ったが、しかし、領主や代官に監視を命じられては拒み得堀田作兵衛という侍の娘で、お山良といった。大助は、 るものではなかった。 自分もそのお由良の子であろうと思っていたことがある。 ( それなのに父は、五日に別れの宴をはり、七日に出発しそのお由良に男一人と女一人の子があって、一時は六人の てゆくと、自分から入念にわざわざいいふらしている ) 姉弟が賑やかにこの家に嬉戯していた。 そばめ

8. 徳川家康 16

が深まるわけだ。 諸侯の中にも、年内に戦を済ませて、正月は領地へ戻っ それは律義な秀忠にとって、かって考えたことのない : いや、考えてはならないと思っている肌寒い不信でありてやりたいと考えている者が少なくない ( 長びいたら、臆病と思いこむ者も出ように 疑惑であった : ・ しかし、それが、家康に全く別の下心があっての事とす 九 れば問題は別になる。 他でもない。それは、父が或いは自分の器量を見限っ そういえば、今度の大坂攻めでは、父の態度ははじめか て、将軍職を舎弟の誰かに譲らせようとしているのでは : ら異様であった。 : という疑惑であった。 むろん若いおりのように正面から叱りつけたりはしなか オ言葉遣いはどこまでも丁重だったし、将軍家、将軍 ( いや、そのようなことはない ! ) そのようなことを考えるのは父を冒濱するものだ : 家と、みなの前では当主としていんぎんに扱いながら、し と、はげしく自分をおさえながら、しかし、それを否定し かし、戦略のことでは殆んど秀忠の意見を容れようとしな つ」 0 得ない不安もあった。 父はきびしい ! 決してわが子だからといって、実力の 秀忠の考えでは、ここらで、将軍の威力をきびしく天下 : と、考え の諸侯に示しておくべきだと思うのに、家康は、その逆でない者を空位に据えておくような人ではない : てくると、今度の大坂の事件は、秀忠の大きな失政に当た あった。 軍旅の途中で、使者を寄こすと思えば決まって「ーー・急らぬこともないからたった。 大御所として、つねに政治にロは出しているものの、徳 ぐな」というのであり、気負い立っと必すをれに水をささ れた。 川家の当主はすでに自分であり、家康は征夷大将軍ではな かったのだ : 父のいうとおり、これは確かに負ける戦ではない。とい って、長滞陣をしてあれば、どこでどのような隙かみだれ とすれば、こうした事件を引き起こさせたのは、将軍秀 が出まいものでもなく、そこを衝かれては、それだけ難儀忠の政治や威信に欠くるところがあったからたという責任 つ ) 0 190

9. 徳川家康 16

・・と 難題は何とござりましたそ」 あれもこれも今は甲斐ない愚痴になる。それよりは : 「よろしい。由・し上げ亠ましよ、フ。が、おどろきなきよ、フに うすれば、この紛糾が解決するか ? 且元が道々しんけん に思案して来た結論を申そう。よいかの、その一つは、ご 且元は念を押して、それから又思い迷った。 母公さまを、人質として、早急に江戸へ送ること : : : 」 ( 女たちに果たして、この難題の意味が通するものかどう と、正栄尼が、奇声を発して、大蔵の局をかえりみた。 「ご母公さまを人質とな : 十七 且元も二人の女性の驚愕があまりに大きかったので、却 ってあわてた。 「承りましよう。さ、仰せられませ」 二老女は、もはや完全に且元の味方ではなかった。且元「いや、さなくば秀頼さまが、大坂城を明け渡して、他国 から事の真相を訊きだそうというのではなく、彼がどのよへお移りなさるかじゃ」 うな虚偽をもって、自分の立場を取り繕おうとしてゆく 二老女は今度は何もいわなかった。しかしその眼は反感 か、それを見破り、それを裁く言質を取っておこうとしてに 血走って、はげしい嫌悪の感情があらわに顔へ浮き出て いるのだ。 「実はの、こんどの供養延期の難題には、根深いわけがあ「もう一つござる。前の二つとも、即刻に決めにくい : ってのことじゃ」 と、なれば、これは秀頼さま直々に江戸へ下られ、直接将 且元が、相手の理解力を考えながらロを開くと、女たち軍秀忠公に和をお請いなさる : : : この三つより他にござら は又顔を見合わせて促した。 「そうでござりましようとも。あれほど待たれた太閤殿下 ここでも且元の親切心は大きな誤解の根をふやさせた。 の十七回忌 : : : その法要もならぬとあれば、豊家の面目は彼は、やはり、始めから、自分と家康との間に交わされ 丸つぶれじゃ」 た、交渉の経緯をことこまかに話してゆくべきだった。 「と、申して、すっと以前にさかのばって話してあれば、 しかし、それは愚痴にすぎない : : と、いう自分の思案 6

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はあるまいな」 に今度の難題の根がまざまざと感じられまする。おそら 「これはしたり ! 」 く千姫君をこの城に送り込まれたのも、その執念と無縁で 治長は、また身をのり出した。もう両者の間隔は二人の はござりますまい。さすれば妹御の阿江与の方も関東にあ ることなり、必すやご母公さまは、大御所のお側に参られ関係をあらわに語るほどの距離になっている ると : 「ご母公さまが直々においでなされて、それで解決するよ : と、そのことを申し上げているので うな間題ではない : 大野治長は完全に自分の言葉に自分で酔っている。或い は話している間の思いっきと空想とが、そのまま唇を衝いござりまする。おわかりなされませぬか。大御所は、そう なることを狙って、殊更二老女にはやさしくし、そして、 て出て来るのかも知れない。 何の不安も与えぬようにして帰したのでござりまする。こ 十二 の辺の駆け引きは、まことにもって心憎い狸ぶり : しておけば勝気なご母公、きっとわが身で乗り出して来る 何時か淀の方は、治長の話術に魅されて、しきりに頷き だしていた。 に違いない。そうなれば思う ~ 亞 : : : ご母公をそのまま人質 としてわが執念を遂げたうえ、今度はそれをタネに致して 彼女にとって、家康が、いまだに自分を忘れ得ずに想い つづけている : : : ということは、薄気味わるい、がしかし若君をいじめられる。母の生命を助けたくば城を明け渡し て即刻降れ : : : さなくば大軍を催して一挙にこれを攻め滅 ふしぎな快感でもあった。 ばすぞ・ : ・ : と」 言葉に出して表現したら、 渡辺内蔵助が、ビグリと大きく肩をうごかして治長を見 いやらしい ! 」とい、つ一に尽きるであろ、つ。が、 直した。 その底こよ、 をしいようもない満足感もまた秘んでいた。 そこで彼女は、どこまで続くか見当もっかない治長の快治長が、これはど大胆に、淀の方の説き伏せにかかって くれるものとは、彼はまだ考えていなかったのだ。 弁をさえぎった。 ( これで決まった ! それにしても、大野修理とは又、何 「待ちゃ修理 : : : まさかそなた、それゆえわらわに駿府へ おもむき、直々家康にかけ合うて来い : : : などと申すのでという深慮遠謀の士であったのか : 8