家康は、青木一重が持参の贈りものを披露するまでみ 長文の密書から、簡単にその要旨を拾ってみると、 一、大野治長が大仏殿再興のためのおびたたしい木材をにくい表情ですわっていた。 大坂城に運び人れたこと。 茫洋と何か考えているようでもあり、全く無心なように も見えた。 一、その木材をもって外郭の塀、柵等の建設を急いでい ること。 しごく壮健なのか、それとも坐っているのがつらいの 一、食糧を近畿一帯に手をひろげて買いあつめているこか ? それすら的確にはつかみにくい。 しかし、目録の披 露が終わると、低い声で、その実物が見たいといった。 そして一重描金の見事な鷹架を見ると、 一、牢人の募集の規模が昨年以上になり、いったん城を : となるの 出たものが再び続々と入城していること : 「これをもって、もう一度、田中あたりに鷹狩りしたい であった。 と、女たちを見やって子供のような顔で言った。 しかもその現状から、戦は避けられなくなったと判断し 青木一重は何故ともなくホッと全身の力がぬけた。 て来ているのが城内にある武田流の軍師小幡景憲 : : : とい うのでは家康の反対してゆく余地は完全に封じられたも同 ( すっかり老いている : : : ) 。こっこ 0 ・亠わ・、イ / ュ / 気がつくと頭髪も殆んどなく、眉もあるか無きかに薄れ それでなくとも将軍秀忠が、千姫を見捨てる覚吾を固めている。どうやら性別も不明瞭な、まるまると肥った一人 ているということに、重苦しくのしかかられている家康なの童児が、白綸子の小袖につつまれてやわらかく坐ってい のだ。 るかに見一んる。 「これから陽気もお宜しゅうござりますれば : したがって、十五日に家康が大坂の使者を引見するとき 青木一重が言いかけると、 には、局前打開のための手段はただ一つ「移封ーーー」の急 速な実行が可能かどうかにかかっていた : 「道中、花は見事であったろう」 家康は、耳に手をあてて、とんちんかんの間いを発し 302
そ。別室で充分馳走をしてあげるがよい。そうじゃ、何ぞて話にならぬ、そう思うての。ところが、その結果はよう 無かった。そこで今日は、男が女子の扱いをどうするもの 季節の土産もととのえてのう」 か、そなたにハッキリ見せてやった。そなたは男じゃ。し 「は、。では : ・・ : 呉々も、宜しゅうお願い申し上げまする」 四人の老女たちは頷き合って、それから一様に両手を突かも右府の使者とある。この大事な時にただの時候見舞い に参ったわけではあるまい。右府から何そ密命があったの か、それともこなたたち重臣の中で、何そ決めたことでも 青木一重も、あわててそれにならっていった。 あるのか ? 関東の風は荒いそ。さ、性根を据えて申して と、そのとたんに家康は、 みよ」 「右府のご使者は待たっしゃれ」 そういうと家康は、脇息を抱えこむようにして、ぐっと 軽く一本釘をさして、老女たちを見送った。 口を一文字に結び直した。 青木一重がゾーツと背筋の凍るような思いをしたのは、 女たちが居なくなった室内で、びたりと家康と視線の合っ た瞬間であった。 青木一重はあわてて姿勢を正していった。 それは今までの、童児のような忘我の眼ではなくて、 ( 何という喰えぬ親爺 : : : ) まにも獲物めざして飛び立とうとする俊鷹のような鋭くは すぐさっきまでは、自分の翼で飛び立っことなど思いも げしい眼であった。 寄らない見せかけの家康だった。それが、急にこちらを圧 「一重」 。もうきん 「十 6 、ツ 倒してくる猛禽に豹変している。 し」 ( その気ならば、負けはせぬ ! ) 「女子どもの用は済んだ。さ、男と男の用を聞こうそ」 「お言葉ありがたく存じまする」 一重も闘志を煽られ、気負った語調で応じていった。 「何彼といえばお袋だの女子どもだの追い使う。大坂の悪 「そもそもこたびの使者、上様直々とは、うわべのことに い癖じゃ。この前にも、片桐市正が同じ手を使うたゆえ、 わしはわざわざ別々に会うた。女子どもをいじめてみたとござりまする」 306
の局、正栄尼の順で、この行列を見た大坂の町人たちは首木一重の方は気が気ではなかった。或いは自分の来訪の目 的が、所司代側に洩れていて、駿府では、その扱い方につ を傾げた。 いて協議しているのではあるまいかという疑惑を持たずに 「こりや戦にはならぬらしいぞ。女子衆が、ああしてのど いられなかった。 かに旅をなさるようではの」 この疑惑は全然根も葉もないことではない。当時は京と それほど女達の顔は、いすれも晴々としたものであっ 駿府、駿府と江戸の間は、さまざまな情報をもたらす使者 や諜者の往復でごった返していたからである。 事実、青木一重と前後して、家康の許へは所司代板倉勝 今度も大坂からの使者は鞠子の徳願寺に入り、ここから重から重大な報告が届いたところであった。 家康の許へ到着を届け出た。 他でもない。勝重が伏見城代の松平定勝と相談して、大 青木一重は三月十二日に、常高院の一行は同じく十四日坂方の牢人集めのおり、ひそかに応募させてあった武田家 に到着したのだが、家康は別々にこれに会おうとせず、三旧臣の小幡景憲から、 「ーーー、大坂城内の叛乱は、もはや制止出来る状態ではなく 月十五日、双方一緒に駿府城へ迎えて会うことにした。 この前、片桐且元と老女たちの一行をわけて会見してみなっています」 という、報告がなされて来ていたからだ。 たが、その配慮は何の実効もあらわさなかった。 小幡景憲は甲州流の軍学者として、近ごろあまり戦意の 女房たちの来訪は責任のないものとして労り、且元には ないらしい真田幸村以上にその能力を期待されて城へ迎え きびしく城を預かる家老としての責任を間うたのが、却っ て両者の間の判断を誤らせ、事を紛糾させる原因になった入れられていたものらしい からである。 そうした景憲の報告が、板倉勝重の手を経て家康の許へ 常高院たちは到着した翌日の謁見なので、こんども機嫌届けられたのが、青木一重の徳願寺到着と前後していた。 はわるくない いうまでもなく、この板倉勝重からの報告書は家康をい よいよ落胆させる内容の羅列であった。 しかし、十二日に到着して、十五日まで待たせられた青 301
たことが原因たったが、それにしても、何という定見のな というあせりの方が主であった。 さであろうか。 こうして、秀頼の使者としては青木一重が選び出され、 こうして、大坂方からは早速駿府へ使者派遣のことが決青木一重は家康の機嫌奉伺に来た体にして、 定し、その人選がはじまった。 ナに ~ 、いまにも関東の大軍が押し寄せるで ただ、淀の方の使者だけでは心もとない。秀頼の使者とあろうという風聞がしきりでございます。この民心の不安 して、誰か屈強なものを遣わし、これに、遮二無二総濠をを打ち消すには、何としたが宜しゅうござりましようや」 埋めさせた不都合を詰問させ、返答によっては昨冬の和議そういって家康の返事から肚をさぐるように懇々と治長 をしし 3 くめられた。 はこれを堂々と破棄する旨を宣言させよというのが、後藤こ、、、 又兵衛基次や長曾我部盛親の硬論で、真田幸村や木村重成淀の方の使者の方は、牢人たちの険しい評議は聞いては はあまり意見は述べなかった。 いない。そこで、何れも淀の方と同様の、安易な期待で、 彼等は、この時すでに、秀頼が以前の秀頼ではなくなっ むしろ陽眷の旅を楽しもうというほどの気持ちらしかっ ているのをよく知っていたからに違いない。 そういえば、こうした評議の席でも、千姫の自殺未遂事 この前に使いした時にも老女たちは忠輝の生母の茶阿の 件はきびしく秘められ、それは秀頼もまだ気付いている様局にやさしく歓待されている。それが今度は、淀の方の実 子はなかった。 妹で、和議のおりに働いた常高院がついているのだ。家康 むろんこの使者の派遣についても、淀の方の思惑と、治がひどい待遇などする筈がないと信じきっているのに違い なかった。 長の思案の間には大きなひらきがあった。 淀の方には、自分から事をわけて縋ってゆけば、家康は こうして青木一重は、金襴十巻と、一重描金の鷹架十個 必ず無下にしりぞけはすまいという期待があり、治長にはを手土産として、三月五日に船で大坂を出発し、続いて六 それはなかった。 日に、淀の方の使者たちが駕輿をつらねて陸路大坂を出発 ( とにかくこれで牢人どもをおさえておいて、その間に事した。 態好転の途を見つけてゆかなければ : : : ) 先頭は京極家ご後室の常高院、次いで二位の局、大蔵卿 3 り 0
になった : : : 有楽はそう見たのであろうな。さなくば城を「常高院よ。それが出来れば、救われるのは秀頼やお袋ど のばかりではない。 この家康も : : : そして亡くなった太閤 捨てるいわれはあるまい」 もじゃ : : : 後世の人々に笑われずに済むからの : : : 」 「こうなれば、家康も、お許たちに隠し立ての要はない。 そういうと家康の眼は見る間に涙でいつばいになってい 実はの、将軍家は必ずそうなるものと見てとって、すでに 戦は手配済みじゃ : ・ : したが家康は、まだまだ諦めては居 らぬそよ」 青木一重の肩がビクリと動いた。 青木一重は、凝然として家康を見返した。 家康の語尾の異様さが何を意味する昻ぶりか ? それを ( これが駿府で自分を叱りつけた、あの家康と同じ家康な のであろうか : 知りたかったのだ。 一重は今日まで家康に、このような弱々しい涙があろう 「一重もよう聞くがよい。これはの、全軍が城を囲むまで などとは思ってみたこともなかった。 に、たった一人でよいー ほんとうに豊家大切に徹し切っ た者が現われ、秀頼どのにしばらく大坂を離れよ。大坂を ( これが、もしも家康の本心だったら : : : ) そう思うだけで心臓が凍りそうになった。 はなれて大和の郡山に移り、将軍家の疑いを解くがよい : もしもそうだったら : : : 一重の治長に云い送った今まで ・と、すすめる者が出てくることじゃ」 の報告は、ことごとく誤りだったことになる。 ( そんな筈はないー 大坂を討とうとしているのは秀忠 「さすれば、この家康が、他日きっと秀頼どのを大坂城に 戻らせよう : : : 問題は、そのほんとうの豊家想いの一人がで、家康は秀頼の味方だった : : : そんなことがあってよい あるかどうか : : : その一点に、大坂の運命は賭かって来た筈のものではない : と、その時、家康は又思いがけないことを云った。 そ」 「すると、するとわれ等に、このまま大坂へ立ち戻り、それ「わしはの、たとえどのようなことになろうと、お府やお を右府さまにすすめるように : : と、仰せられまするか」袋は助けてみせる。これはわしの執念じゃ 8 2
に参り、これもこの地に止まって居りまする」 なく、こうしてついに東西両者の不幸な戦は避け得ないこ 「青木一重が : ・・ : 」 とになった。 それにしても、大坂城内で老女たちの帰りを待っ淀の方「はい。一重からの書面 : : : これにござればご披見願わ や、すでに戦う気のなかった秀頼はいったいどうしているしゅう : : : 但し、これは決してご他言これなきように」 淀の方は、治長の差し出す書状を苦笑をうかべて受け取 のであろうか : 「すると、こなた、一重に名古屋で事情を探るよう、申し 淀の方の手許へ、老女たちの一行から便りがあったの付けたというのじゃな」 しししえ : : : 一重の方から、腑におちかねることが は、家康がまだ駿府を出発する前であった。 その便りには、家康が義直の婚儀を済まして上洛し、豊あると、すすんで名古屋にとどまる山を申して来ました。 どうやら婚儀という名で出陣の様子。すでに、桑名、伊勢 2 家の家人も領民も決して餓えさせるようなことはしない : の軍勢は、秘命を受けて行動を起こした様子にござります : という結構すくめの内容だった。 淀の方は先ずそれを千姫に見せ、それから治長を呼んでる」 淀の方はまだ微笑を消さすに、一重の書状を読みくだし 誇らかにこれを示した。 「わらわの眼がねに狂いはなかった。大御所は戦などするている。 そして、その表情に不思議な硬わばりが見られたのは、 気はみじんもないそえ」 いいながら書状を渡してゆくと、治長は険しい顔になつ大坂城内に裏切り者が出ているという一節であ 0 た。 他でもない、織田常真と、織田有楽斎父子がそれだと一 て首を振った。 重ははっきりと書いてあった。 ィまたまた女子衆は、ものの見事に欺されました」 「何とおいいやる ? すると、そなたの許〈は別のたより織田常真とは名古屋 ( の道中ですれ違 0 た。そして、常 真は何ほどかの情報を家康に売り、そのまま駿府へ屋敷を でもあったというのか」 「恐れながら、青木一重が、女子衆のあとを追 0 て名古屋与えられて住みついた。
こともあるまい。 し」 「七手組の中にはご身辺の守護出来る若者たちが居るであ「直勝、洩らすなよ」 ろう。きびしく、それ等の者に守護させて、郡山の城に入 そう云ったときの家康の表情は、確かに天を怖れる小心 って謹慎する : : : よいかな、これは将軍家に取り囲まれぬな老人の顔になっていた。 うちでなければ効き目はないぞ。筋さえ通ってあれば、あ こうして、その翌十一日の暮方、織田有楽斎はその子尚 とはわしが引き受ける」 長を伴って名古屋に着き、ひそかに竹腰正信の屋嗷に入っ 一重が心得て退ってゆくと、家康は、しばらくばんやりて、青木一重と会見した。 と脇息にもたれて虚空を見つめた。 ( 有楽めが、一重に何というか : 「まるで、わしは裏切者のようじゃ。なあ直勝」 家康はそれがどこかで心に引っかかってはいたのだが、 永井直勝は黙って小さく頷いた。 その翌十二日の婚礼のこともあって、問いただしてみる暇 もなかった。 五 そして、婚礼を済ました十三日になって、有楽を引見し 天下の仕置に私情は禁物 : : : 誰も納得する法によって筋たときには、もう一重や老女たちの一行は名古屋を発って を通せと、ロを開けば将軍秀忠に云いきかせている家康だしまっていた。 有楽は、家康の前へ出ると、例の皮肉な調子で、 その家康が、一方では将軍の意見を容れて、続々軍勢を「青木一重と、十一日の夜会いました」 自分の方からきり出した。 京の周辺に結集させておきながら、裏へまわって、秀頼を 「文字の読める立派な眼を二つ持っていながら、世の中は 助けようと苦慮している。 まるきり見えぬ、あき盲という言葉がござりまするが、一 ( 果たしてこうしたことが許されてよいのかどうか : 重は、世の中の鳥目でござりまする」 それが家康自身の所業でなかったら、確かに大きな裏切 そのとき家康の傍には使番の小栗又一忠政、奥山次右衛 りであろう。見方によっては「謀叛ーー」と極印されない 門重成、城和泉守昌成などが同席していたので、有楽はも
「なに、禁〕袰を戍に巻きこも、つと」 その時にはもう大坂の老女たちは満足しきって名古屋へ さすがの家康も息をのんだ。そして、すぐさま思い出し 向かって出発していたし、青木一重も、徳願寺を出るとこ たのは、自分の前で昻然と、生命は投げ出していると放言 ろであった。 した青木一重の面魂であった。 「大御所さま、ご決断がおくれましては、取り返しのつか : があるかも知れぬ ) ( そうか。そのような空気 : ないことに成りましよ、つ」 家康は、続けざまに嘆息して、しばらくは言葉もなかっ 板倉重昌は、家康の顔を見るなりそういった。 「いや、大坂攻めのご決断はとにかく、京都守護のお手配 こうして中一日おいて、今度は、江戸から土井利勝が、 。こけは、今すぐお決め願わなければならなくなりました。 それもよい加減の人物では事は済まぬ。本多忠政どのに強これも顔いろ変えてやって来たのだ : 兵を率い、即刻上洛して頂くよう、お願い申せというのが 父の意見にござりまする」 汗の悪霊 その時家康は、はげしい声で重昌を叱りつけた。 「うろたえるな重昌 ! 戦の潮どきならば誰よりもわしが 知っている。必要と見れば、本多でも酒井でも藤堂、井伊 でも機を逸さずに派遣しようが、ものを報告するには順序 ( 戦の怖ろしさを知らぬものほど手に負えぬものはない があるぞ。何故、本多勢が必要だと思うのじゃ」 問いかけられて重昌はまっ赤になった。 「これは恐れ人りました。大坂方では、二条城と伏見城を家康が、やむなく再出陣の覚悟を決めたところ〈、更に 京都から事の急を告げて来た者が二人あった。 襲い、京の市街を焼きはらおうとしているばかりでなく、 その一人は伊達政宗で、もう一人は、大坂城から逃げ出 禁裏をお味方にするため、これを取りかこんで脅かそうと した信長の子の織田常真 ( 信雄 ) であった。 の計画 : : : それを知らせて参った者があるゆえにござりま 何れも、はじめは牢人たちの煽動だったが、その煽動の する」 310
( もはや戦は避けがたい : 一重は弾き返すように答えた。 おっくう その実感が重く、いにのしかかり、ものいうことも億劫た を、いったん家康ほどの人物に喰いさがった以上、な まなかな妥協はしてはならぬと思った。 ( われ等にも意地もあれば、阯根もある。生命ひとつを投実際に、家康が再度の出陣を決意したのは、この十五日 から両三日の間らしい。 出してかかれば、何の怖ろしいことがあろうそ : : : ) このあたりから、二人の間には、どう縮めようもない距わるいことに青木一重が退出してゆくと間もなく、再び 板倉勝重から急報がとどいた 離が出来てしまった。 それによると、京都の流言が捨ておけないことになった 一重は眼を怒らして、 「大御所のお言葉、そのまま修理どのに伝えまする。総壕とある。今までは、関東から大軍がやって来るたろうとい いまにも大坂の兵が どころか、大御所さまには、始めから城まで潰さすお気でう噂だったのが、急に逆になった : 京都へ侵入して来て火を放つだろうというのである。勝重 あったと」 気がつくと家康はトボンとした、以前の老人の顔にかえは極力それを否定して人心を鎮めようとしているのだが、 3 一度ひろがった流言の波はひろがるばかりで、恐怖した人 り、もう一重の言葉を聞いてはいなかった。 人は鞍馬、愛宕などの山々に遁げこんだり、万一をおそれ 家康はもの憂そうにかたわらの侍女にいっこ。 「永井直勝を呼んでな、大坂の使者をもてなして帰すようて御所や公卿の屋敷に財産を預けるもの、引きも切らず・ : : とあった。 にと申せ」 オ家康は、幾分それには誇張があろうと判断した。板倉勝 一重はふしぎなことに、これですっかり勝った気によ 重も、もう将軍秀忠と同じ考えになっている。 り、昻然と眉をあげている : ( 何とかしてわしを同意させようとしているのだ : ところがその翌日になって、こんどは勝重の子の板倉重 昌が、顔いろを変え、馬を乗りついでやって来たのであ 家康は、永井直勝を呼んで青木一重をその手に任すと、 ひきて つくづく引出ものの刀一筋も惜しい気がした つ ) 0
「ほう、何であろうな。お袋からとは ? 」 「せの通りにござりまする」 「市大は : : : 」 「右府も御台所も、お変わりあるまいの」 常高院は、そこで当然緊張すべきであったが、反対に、 「はツ。至極ご機嫌うるわしくわたらせられまする」 妙にたよりない気持ちになった。 すると、大きく頷いてその眼を老女たちに移していっ ( もう実権はすっかり江戸に移って、家康では頼りになら ぬのではあるまいか : 「お袋さまにもお変わりはないか」 青木一重は、これでは、もはや家康は出陣など思いも寄そんな気持ちが胸をかすめる。 らぬと思った。何時も側で眼を光らしている本多正純が今「実は : : : ご存じの昨年の兵乱によりまして、摂津、河内 日は見えす、老女たちを出迎えた茶阿の局と、お伽衆と侍の二州の田が荒れはて、歳入がほとんどござりませぬ。そ 女たちたけなので、それはもう、完全に時の本流からはみれでご城内では将士を養うにも事欠く始末 : : : こなた参っ 出てしまった隠居家の感じなのだ。 て、大御所さまにおすがりし、救援の儀、お願い申して来 いといいつけられて参ってござりまする」 それは青木一重よりも、常高院たちの方が更に強く感じ 家康は、この時も耳に手をあてて聞く顔にはなってい た。しかし、聞きおわっても、その表情に何の変化も現わ 「何時に変わらぬご尊顔を拝しまして : ・・ : 」 常高院はきまりきった挨拶をのべたあとで、それが余りれなかった。 そうなると、常高院は、声を張って、もう一度同じこと に空々しく思われ、あわてて大蔵の局と顔を見合わせたほ を繰り返さなければならなかった。 どであった。 「おお、よう揃うてお出られた。みなみな健固で何より 四 じゃ。して、何そお袋さまからかくべつの口上でもあって 参られたか」 「はい。今年の冬の寒さはきびしゅうござりましたゆえ、 先すお見舞い申し上げ : : : それからお願いするようにと」 おそらく家康にとっては、この女たちの申し出は不快な 小臥只しさ : : と、ひびいたに違いない。 彼女たちのやって来る直前に、板倉勝重からの報告がと 303