しなかった。 「敵も、われ等の松明の灯を見て出て来たものと見える。 彼の戦になれた嗅覚によれば、幸村や勝永はすでに当て 面白くなって来た」 に出来ない事態に来ている。 そして、直ちにわれ等は石川をおし渡って、小松山を占 現に、国分へ出て来た敵が動いているのが何よりの証拠 領するぞと馬をすすめた。 日中はすでに暑夏の季節であったが、朝霧の中に光る石であった。 彼のカンでは、二条城や京の市街の放火に失敗した木村 川の流れは冷い。 「何も彼もおあつらえ向きよ。三途の川を渡って戦い得る宗喜の処刑を済ませた家康が、いまだに京へ止まっている 筈はなかった。とすれば、今日の戦場はこの大和ロだけで とはの、つ」 はない。河内口を進んで来る秀忠、家康の先鋒たちと、随 もはや基次に恐怖の対象は一つもなかった。彼は、まっ しぐらに川を渡ると、そのまま小松山を占領した。ここか所で遭遇戦になってゆこう。 そうなれば、仮に真田勢や毛利勢が、基次と合流して戦 ら片山を東に下り、一気に東方の国分の陣営になぐり込も う気であっても、何うなるものでもない。好むと好まざる うというのである。 とにかかわらす、今日の戦は、各自が各自の才覚で運は天 十 に任せ、出遭ったところで奮戦するより他にないのだ : すでにあたりは明るくなりかけている。山上に立っと国 そうした空気は後藤又兵衛基次には躰でわかる。彼は、 後続が山頂にかかると同時に、ここで大きく鬨の声をあげ 分へかけての街道を取りまくようにして関東勢の旗差物が させた。 動いている。 どこまでも放胆な、むしろ捨て身の正攻法で、しかも彼 動いているということは、敵もすでに行動を開始してい るということで、常識に従えば、当然この小松山では基次のカンはそのまま見事に適中していた。 小松山で後藤勢が鬨の声をあげた時、関東勢の水野勝成 は後詰めの到着を待つべきであった。 真田幸村も、毛利勝永も、そのためわざわざ彼を訪ねて指揮下の奥田三右衛門忠次は、わずか六、七十人の手勢を 引きつれ、これも先す小松山を占領して位置の利を占めよ 来ていたのだ。が、又兵衛基次は、ここにも止まろうとは とき
しかもそれと殆んど時を同じくして、船場に陣取り、関 のろし 正午まではまだ悠々としていた戦場は、一瞬にして眼も 東勢の側面から斬りこむ手筈の明石守重の一隊が狼火をあ るつぼ あてられぬ砲煙と叫喚の坩堝に変わった。 げて進撃を開始した。 「退くなツ・ ・ : 退いてはならぬそ。将軍家と大御所の御前 このあたりの駈け引きは、真田幸村が前々から考えぬい なるぞ ! 」 ていた奇襲の手筈に違いない。 すでに双方の旗本たちもこの流言の渦巻にまき込まれか そうなると浮足立った関東勢には、遊軍の明石勢の進撃 けて、その間を、飛び歩く赤装東の真田勢と、白装束の毛 が浅野勢の反乱と区別のつかないものに見えて来る。 らせつ 利勢とが、手のつけられぬ羅刹のように眼立ちだした。 「ーーー汕断するなツ。浅野勢が裏切ったぞ」 「、ーーー退き口を考えよ」 五 ただその中で、越前の大将忠直だけは声をからして怒号 家康は正午にはまだ天王寺の前面までは到達していなか している。 った。若しこれが、進みすぎていたら、まっ先に彼の本営 「掛れッ ! 退くなツ。臆病者めが、掛れッ ! 」 こうした混乱を戦い馴れた大坂方の毛利勝永が見落とすが乱戦の中心になってしまっていたであろう。 おそらく本多忠朝や小笠原秀政は、その家康の本営を突 筈はなかった。 かせまいとして死守の覚悟を決めたのに違いない。 今だ。一挙に秀忠の本陣を衝けつ」 大坂方の大野治長、治房が行動を開始した時には本多忠 苦戦している本多忠朝勢の中を突っ切って、そのまま将 軍秀忠の先備、前田利常勢のまん前へ出て来てしまったの朝はすでに全身に二十余力所の傷を負っていた。 しかし一歩も退かずに毛利勢の槍ぶすまの前に立ちふさ がって奮戦し、小溝につまずいてのめったところを毛利勢 前田勢の前衛の位置には本多康紀と片桐且元が控えてい の槍隊の一人に突き伏せられて戦死した。 たのだが、これは見事に不意を衝かれた形になった。 小笠原秀政父子も同じであった。 と、その岡山の前方にあった大野治長、治房勢が、これ 保科正貞と共に、毛利勢の竹田永翁の隊を破り、天王寺 また七手組の面々を従え、斉射をあびせて猛進撃を開始し 6 ) 0
「おお、こなたがおちよばか」 いる人々の連名状を携えてやって来たのだ。 刑部卿の局がやって来ると、家康は眼を見はってため息 この事の意味は、戦場の習慣からして、言うまでもなく 「降伏ーー・ー」である。 「そうか、なるほどこれは立派に刑部の局じやわい。われ 生き残ってある者のうち誰々を助け、誰々に責任をとら せるか。それさえ決定すれば一切は終わりである。家康は等が年齢をとる筈よ。したが、ご苦労だった ! 御台所の ホッとして、わざと責任者の指名は秀忠に任せることにし望むよう、秀頼どのも、淀どのも、生命の助かるように計 ろうてつかわすゆえ安堵しゃれや」 味ともすれば眼を曇らせながら、手ずから局に一ふりの短 「佐渡、われ等が、あまり差し出ては相成るまい。が、 方も多く死んでいるのだ。修理や速水甲斐は許せまい。い刀を与えていった。 「どうじゃ、於千は喜んで居るであろうな」 や、毛利勝永も : と言いかけて、家康は惜しそうに舌打ちした。 え : ・・ : と、申すとどちらなのだ。まだ戦のお . し . し . し 「全く無意味な戦をしたものじゃ。真田にせよ、毛利にせ どろきが納まらぬと申すのか」 よ、天晴れな者であったがのう」 「あのう、御台所さまは、上様がご自害なさると : 本多正信は、つつしんでその旨を秀忠に伝えると約東し 「なに、秀頼どのが自害する : : : そう思い込んでふさいで て引きさがった。 いると申すか」 それから間もなく秀忠自身、土井利勝を伴なって茶磨山 へ挨拶にやって来た。 ・ : 案ずな、秀頼どのはの、芦田曲輪の籾蔵にいる その時には、家康は、於千にあいたいと、しきりに田 5 っ そうな。そこでその籾蔵を井伊直孝が守護して居る。わし ていた。 も上野を見にやらせたが、安藤重信、阿部正次など屈強な そこで型どおりの挨拶が済むと、また正信を呼び出し ものどもが出向いて力を協わせているゆえ、心配はないと て、千姫と一緒に脱出して来ている刑部卿の局を呼んでく 申して参った。そうか、於千はそのように良人の身を案じ れるよ、つに一一「ロいつけた。 753
せ、幸村は前面から、明石守重は家康の背後を衝いて、そい。 の本陣を挾撃出来る。挾撃すれば七分の勝ち味という計算その分裂のキッカケを作ってやるのが今日の戦に賭けた 彼の作戦のすべてであったのだ。 だったのだ。 ところが、それはその開戦の最初に小さな崩れを見せ おそらくこの作戦が成功していたら、この日の戦況は大 きく一転していたに違いない 越前の松平勢が、理性を蹴散らして攻撃態勢に入って来 如何に采配はすべて秀忠に任せて出陣してあったとはい え、家康が討たれたとなれば関東勢の受ける打撃は決してると、おくれてなるものかと、本多忠朝勢がうごきだし、 小笠原勢が発砲しだして、否応なく毛利勢の発進を促して 小さなものではない。 幸村の計算では、それこそが、今日の合戦の戦い甲斐でしまったのだ。 これはいけない ! ) あり、勝敗とわが運命の岐路であったのだ。 と、幸村は、すぐさま伝令を毛利勝永のもとへ飛ばし 彼は、人の世に戦や争いは絶えないものという見方を少 しも変えてはいない。 まだ早い ! すぐさま銃撃をやめるように」 その見方に従えば、家康が討たれた瞬間に、関東勢の内「 さすれば敵も攻撃を手控えようし、その間に家康は、彼 部には、人間そのものの本能に従って、はげしい分裂と結 の狙っている最良の挾撃地点へすすんで来る。 合の繰り返しが開始されるという計算があった。 その時狼火で明石勢に合図をして、それから一挙に本陣 そうなると真ッ先に戦列から離れるのは伊達政宗であろ を覆滅し去る作戦だった。 う。続いて前田利常、浅野長晟など、家康の泰平保持とい むろん彼も士気を鼓舞するために、 う、息づまるような屈服の新秩序にあきたらない : 今日こそ死のうそ ! 」 変えれば、幸村と同じ自山を求める人間の分裂と保身の動「 とは、いってあったが、 その死を賭けた戦の実相を忘れ きがはじ工る。 秀忠の危機を救った黒田長政にせよ加藤嘉明にせよ、片ている筈はなかった。 戦には勝敗一転の尽きせぬ変化がかくされている。それ 桐且元にせよ、みな解き放たれた奔馬に一変するに違いな 103
「そうじゃ。お供はの、半三郎と十三郎、他に一両人の稚 知れない。 児姓だけでよい」 秀頼はまだ射すような眼でじっと母を見つめている。 秀頼は黙って十三郎の手から盃を受け取った。 「母上、頂きまする」 「おお、ようこそお聞きわけ下された」 速水甲斐は、淀の方が呑みほした水盃を、高橋十三郎 顔をあおのけて、ぐっとそれを呑み乾すまで、淀の方だ 秀頼の前にささげてゆくまで、声をかける隙が無かっ けではなく、速水甲斐も大野治長も、秀頼が母の言葉を聞 き入れる気になった、と思うほど、それは自然な動作であ それほど淀の方の悠揚さが、逆に彼の心を緊縛してしま つ」 0 っていたのだ。 そのいうことの内容はとにかくとして、呪われた母と離呑みほすと秀頼はかすかに笑った。笑いながら、 れて生きてくれるよう : : : そうした才覚は母でなければ考「荻野道喜、これへ出よ。その方に頼みおかねばならぬこ とがある」 えられない無限の慈愛をかくしている。 と、さりげなく盃を差し出した。 ( 果たして、これで上様は、生きる気になってくれるかど 「ははツ」と、道喜は入道頭の鉢巻きをとってすすみ出 。酌は依然十三郎である。 「さ、これで悪縁は断ち切れました。母から子への別離のた 「道喜、ご苦労ながらそなたには母上と女中どもの介錯を そこまでいって淀の方は、きびしい表情になって甲斐を頼みたい」 瞬間一座はギョッとなった。 かえりみた ふびん 「お盃が済んだらの、上様をすぐにお伴い申すのじゃ。上「胸を刺してから長く苦しむるは不愍ゆえ、手ぎわよく頼 様はご武将なれば、馬上のご通行もさして恥辱にはなるまみ人るそ」 . よよッ しとに」 「次に毛利勝永」 151
あれば主君に暇を出し、黒田家をさっさと退去して来ると いう無類の意地をもった又兵衛基次なのだ。 それが、秀頼以上に、自分の実力を買ってくれているの は、実は家康であり、秀忠であったと感じとっている。そ うなれば、両者に義理を立てて、その第一陣で戦死を希う ことになる。 その気持ちがわかるだけに、幸村はわざと急がなかった 真田幸村は兵三千をひきいて天王寺から道明寺への道をのだ : すすんだ。 急いで後藤勢と合体したのでは、真田勢もまたその勢い に捲き込まれて、一緒に討死せねばならぬ破目になる。 この方面の第一陣は後藤又兵衛基次。 これを支援するため第二陣の毛利勝永は、これも三千の ( まだまだ、死ねぬそ ! ) それは決して生死の迷いではなくて、これもまた一歩も 兵をひきいて夜明け前に天王寺を出発している。 したがって、先鋒の後藤勢から連絡があれば、当然真田譲れない真田左衛門佐幸村の人生の意地であった。 この世に戦がなくなるものか : : : ) 勢ももっと進軍を急いでよい筈であった。 そう信じて踏みきったこんどの大坂人城なのだ。相手の だが幸村ははやる部下をおさえて、敢えてこれを急がせ なかった。 家康が、その反対に「泰平の世が作れる ! 」そう信じてい むろん若江に出て行った木村重成勢を案する気持ちもなる以上、意味もなく討死しては、この好敵手に対しても不 くはなかったが、それだけではない。 誠実になってゆく ( , ーー後藤基次はすでに死ぬ気になっている : : : ) 「ーー、泰平の世が作れる : ・・ : 」などというのは思いあがっ や、仮にそれが作れるもので 無理はないと、幸村は思った。 た人間の慢心に過ぎない。い あったら、尚更その汕断を戒めるためにも、一泡も二泡も 「ーーー士はおのれを知る者のために死す」 戦国人のその性根を生き甲斐として、気に入らぬことが 吹かしておいてやるのが武人の情誼であろう。 つあった : 真田軍記 ねが
扨蔵からではない。京橋ロのあたりである。正純は、歩 、フ自信であった。 その意味では彼等は家康よりも、すっと秀忠に近い時代みを止めて振り返り、その喊声を聞き直した。 喊声をあげたのはいうまでもなく味方であろうが、その と感情を生きて来ている。 声には無数の悲鳴が混じっている。男たちだけではなくて ( 眼に余る大坂のわがまま ! ) これをしも許しておいて、何うして天下の示しが付こう女子供の必死の声が : 「京橋口を開いたな」 か。口実は何とでも付けられる。隙があったら討ち取るこ と、正純は田 5 った。 とだ : : : そうした意志はいわず語らずの間に、彼等の胸に そこには城内で死におくれ、逃げおくれて行き場をなく 通い合っている。 した雑兵や人足どもや老幼婦女子の群れがもう一団、生き しかし、先頭の一隊を呑みこんだ扨蔵の中は意外なほど た心地もなく寄りあっていたのだが : に静かであった。 ( 戦が終わってから解放せよといってあったのに : 井伊直孝がたまりかねてせかせかと土蔵へ向かって歩き 或いは秀頼の出城が手間どっているので、ここでも寄手 空はさっきよりまた暗く垂れ下がり、照りしぶったまま が腹を立て、逆に外から攻め人ったのかも知れない。 「もしそうだったら、眼もあてられぬ虐殺がはじまろう。 蒸し返している大地に、再び細い陰雨がおちだしそうな気 困ったものよ」 配であった。 再び視線を扨蔵に転じて、 「フン、降りだしたわ」 次に歩きだしたのは、本多正純であった。正純は、生き 残っている大野治長や速水甲斐や毛利勝永兄弟などが、改 と正純は声をのんだ。 めて寄手と交渉を蒸し返している : : : と思ったらしい。 今までひっそりと静まり返っていた籾蔵の入口からまっ 白な煙の渦が、もくもくと盛りあがってあふれだしてい 「この期におよんで何をぐずぐず : : : 」 る。 彼の先を行く井伊直孝は、すでに土蔵に十数歩 : : : と、 思った時に、また意外な喊声があがった。 ( やった 160
かすことがある」 時に五ッ半 ( 午前九時 ) 。すでにこのあたり一帯が、 又兵衛基次は喰いちらした頬ひげに感慨を見せて馬上で しい戦場になっていた。 った。 人 . 〔」は 「よう戦ってくれた。又兵衛心から感謝する。が、 後藤又兵衛基次は、阿修羅のように戦場を馳駆し、八十人それそれの胸算用がある筈じゃ。今までの働きで戦場の 人近くをわが刀槍で倒しながら、敵の進退が手にとるよう義理は済んだ。死にたくない者は、これから又兵衛が、 気に西へ山を駆け下りるほどに、その間に戦列から離れて にみとれた。 落ちょ。よいか、遠慮は又兵衛の供養にならぬそ」 ( わしも、立派なものになったぞ ) そういうと、そのまま馬首を立て直して、西からまっす 曾ってこれはど冷静沈着に敵の見えたことはない : : : そ ぐに山を下り、そのまま石川河原に近い平地まで突っ走っ う思った時には、しかし、死んでゆかなければならない宿 、 ) 0 命の戦場だった。 そして、そこで敵を迎え撃っため振り返ってみると、ま 水野勢、伊達勢、それに若さに任せた松平忠明勢と、三 ) 千五百に近い軍勢がついて来ている。 方から攻め立てられたのでは、もはや小松山で戦うべきでだ ・十な、かっ」 0 人間は勇将の下にあると自然気強くなるものらしい。 「みなみな又兵衛と一緒に死ぬか」 たぶんここへ駈けつけようとして、天王寺を出発してい それに応えて、 る毛利勝永や明石守重、真田幸村なども、それそれ途中で 「おーオー」 河内口から出て来た別の敵にさえぎられているのに違いな みんなの太刀がいちどにあがる。 そうなれば基次もまたこの山を捨てて道明寺に退き、少又兵衛の顔がクシャッとゆがんだ。 「さらば、又兵衛も遠慮はせぬ。兵を二隊にわけて追う敵 しでも彼等のために、東軍の気を散らしてやるべきだと思 っこ 0 に突撃するそ」 「おーオー」 「よオし、いよいよ山はおりるぞ。だが、その前に申し聞 よナ
もはやどの顔にも生色は無く、それはすでに狂う気力さ え失った人々の群れに見える。 ( もう暫くの辛抱だそ ) 夜中には何度も小雨がパラついたが、その中で信十郎 は、いざといえば彼の目的だけは達せるよう : : : ある種の 用意だけはしてあった。 いや、ある種の : : : などと持ってまわった隠し立ての要 芦田曲輪にある扨蔵の夜の蒸し暑さはかくべつだった。 はあるまい 照りきらず、かといって降りもしない梅雨そらの、狭い それはどんな場合にも密室に籠ってある人間を苦しめ 場所におびただしい人数が入り込んでいるのだから無理も る、生理の要求から考えついた用意であった。 人々は、夜半ごろまで誰もが、生理の要求など忘れてい 7 しかもここで夜を明かすとなると雑居もならず、以前か たかに見えたが、 一人の小女が、まっ蒼になってそれを訴 ら人れてあった金屏風を立てて蔵の内を三つに区切った。 その一方に淀の方をはじめ女性たちをおき、奥には秀頼えたとき、信十郎はハタと膝を叩いて立った。 蔵のすぐそばに厠は作れない。そこで川岸近くの柳の とその稚児姓たちをおいて、中の間に、生き残った、大野 * 下の芦のそばに、わずかに土を掘り、その周囲を、土蔵の 治長、毛利勝永、速水守久以下の侍たちが詰めかけた。 こも 女性たちの髪汕の匂いもさることながら、男たちはその内にあった菰で囲ってやって用を果たさせた。 殆んどが手傷をうけたり返り血を浴びたりしている。それ「ーー・苦しいお方はあれへ」 みなにそういい渡しながら、その急造の厠の先に小舟を が梅雨どきの暑さに蒸され、汗にまじっていいようのない かくしておくように部下に命じた。 悪臭となって鼻腟を苦しめた。 万一のおりには、秀頼と淀の方を、生理の用と見せかけ 奥原信十郎豊政は、そうした蔵の内をのぞいては外に出 て、外の空気をしばらく呼吸してはまた内に人って人々をて誘き出し、有無をいわさず小舟で運び出すつもりであっ 監視した。 社と 口一げ 落月 おび
今も城内にはポルロ、トルレスの二人の神父とおびただ 真田幸村、毛利勝永、福島正守、渡辺内蔵助、小倉 しい信者たちが入りこんで、これが各隊の支えになってい 行春、大谷吉久、長岡興秋、宮田時定。 る。 「それがしに異存はござらぬ。これで評議をすすめられた 彼等の中には、、 まだにフィリップ三世の大艦隊が救援い」 にやって来ると固く信じきっている者が多く、これ等が牢わきから治房が覗き込もうとするのを、治長は眼でたし 人たちを退散させない鎖の役を果している。 なめて、書きつけを待ちうけている後藤基次の手にわたし 戦の勝敗にはもともと敏感な牢人たちなのだ。この眼に 見えない鎖が無ければ、或いは子孫の将来を考えて、三分 の二までは城を立ち去っていたかも知れない。 ( 冬の陣の終わった時に、もうこの大坂城の主は上様では 治長に意見はないのだから、後藤基次の希望を容れた、 なくなってしまっていた : 幸村の提案に異論のあろう筈はなかった。 冶長は今にして、それを痛心しているのだ。 「これで第一陣の兵数は、約六千五百がほどかと心得る ( 家康に渡すまいとして、牢人と神父たちに城を奪られが」 基次が言いかけると、幸村は答えた。 「では、この陣立てで如何でござろう」 「如何にも。第二陣はその約倍にて一万二千あまり : : : 第 気がつくと、幸村は、矢立をおいて、一枚の紙片を治長一陣の戦次第で、何れへも展開出来るように致す考えでご の前に差し出している。 き、る」 治長は、あわててそれを受け取った。 基次は胸を叩いて、カラカラと笑った。 第一陣 「これで充分 ! うしろに真田どのがお控え下されば、こ 後藤基次、薄田兼相、井上時利、山川賢信、北ー 月宣の又兵衛も安心して死ねまする」 勝、山本公雄、槇島重利、明石守重。 「後藤どの」 第二陣 「何でござる真田どの」 一 ) 0 2