と、安藤重信は速水甲斐に向き直った。 速水甲斐の顔がひきつった。 : とい、つことは、ここは ( 堤だから 「 ~ いものは侃 ~ い・ 「前の右大臣としては取り扱わぬ : : : と、いう意味でござ の。そして残念ながら豊太閤の御後とりは、再度謀叛を企 るか」 てて降参して引き立てられて参られる捕虜なれば : : : お輿 「その通り : : : と、申したら何となさるな」 再び安藤重信が口をはさんだ。重信は兄の直次よりは短の所望には、応じたくても応じられぬ。仮にお輿があった 気で皮肉が好きなところがある。甲斐はその皮肉につられとして、お繩はかけようか、かけまいか、その辺は如何な もので」 て声を荒ららげた。 冊ーしょッ ・イ / み↑ / 」 「なに、お繩をぶ : 「それでは大御所や将軍家の御意に叶いますまい。大御所 : という事で」 「と、いわっしやると、繩は掛けるな : も将軍家も、上様が豊太閤のおん後とりであらせられるこ 「いうまでもないこと ! お身たちはいったい、大御所の とをお忘れはない筈じゃ」 お心を何と思うてござるぞ」 「なるほど」 「さあ : : : ここには大御所のご側近は居合わさぬ。われ等 しよいよもの静か ' ( 里一三ロは、、 こは、あのような巨木のお心など、到底わかる筈はない 「すると豊太閤の御後とりは、どのようにして扱うのが定 : と、素直にお詫びするより他にあるまい」 法でござろ、フかの」 「ええツ、そのような気でお身たちは居られたのか。で 「輿のご用意を願いたい ! 」 「はて、お輿をの : : : 井伊どの、この戦場のどこかに高貴は、いったいどうして上様をご陣中までお伴い申すつもり なお方の召されるような御輿があったかの」 、き 「歩くのがおいや : : : と、仰せあればやむを得まい。馬の 「フン」と、直孝は鼻の尖であざ笑った。 「七十四歳の大御所さえ、山駕籠に召されて出陣なされた用意をするつもりであったが」 「ご母公さまにも、馬に乗れといわっしやるのか」 戦場じゃ。都にでも参って探せばあるかも知れぬが、この まさか手車 「歩けぬ : : : と、仰せあれば、やむを得まい。 焼跡にあるものか」 やロ車で運ふわけにも参るまいで」 「お聞きのとおりじゃ」
言葉を丁重に聞くことの利を忘れていた。 彼は、井伊、安藤、阿部の三人に迎えられて幔幕のうち に入ると、 「前の右大臣豊臣秀頼公の軍使として、速水守久まかり越 してござる。床几を頂きたい」 と、先ずいった。 みじめに土下座させられたのでは、いうこともいわれま : と、いう用、いだったに違いなく、これが家康の前で あったら、無くてはならない一語であったかも知れない。 おそらくこうした事の好きな家康は、 「ーーーわれを怖れぬ。天晴れの者 ! 」 褒め千切って胸襟をひらいて行ったであろう。 ところが相手はまだ血気の人々なのだ。 ( いわいでものことをぬかしくさる ! ) 最初からムッとして、 「あつばれなご見識。城は焼失しても、右大臣は右大臣で 、こざるからの」 実は、この最初のやりとりが、この日の悲劇を決定的に してしまったのだ : むろん速水甲斐も気付かなければ、井伊直孝も、阿部正 次も気付いていない。 「上様ご口上は、大野修理より毎々言上、大御所にも将軍「捕明と、申されると : 家にも充分ご承知のことと存ずる」 「いかにも、わざわざ城を焼かなんでも済むものを、まこ とに残念な仕儀でござった」 安藤重信が、からかうようにいった。 「それゆえ、面倒なご挨拶はぬきにして、早速ご用談に人 りたい。秀頼公は、何刻ごろにご降伏あるや ? それを承 って将軍家のお指図を仰ぐことと致そう」 どうやら談判の手順では安藤重信の方が手なれている。 「されば、正午を期して桜御門より出御のようにお取り汁 らい願いたし」 「正午 : : : と、申すと、もはや一刻か」 「御意にござる。毎々申し人れてあるとおり、上様ご母子 のご助命さえなれば、われ等一同は如何ような罰科を仰せ よ申さぬ。上兼だけは、 つけられよ、つと、いささかも谷を かくべっ丁重におとり扱い願いたし」 すると、井伊直孝が肚にすえかねたように笑いだした。 「かくべっ丁重とは、雲にでも乗せてゆけといわっしやる か。秀頼公は二度の叛乱にやぶれた大罪人、ありようは捕 虜でござるそ」 とき
「どうじゃ。本阿弥の翁はすぐに参るか」 「それが : : : 只今他出中にて」 「そうか、長い旅にでも出ておるのか」 : というほどではない。一両日中には戻るであろう と : : : 手紙を持参させましたゆえ、帰り次第参ることと存 じまする」 柳生宗矩は、その日ずっと将軍秀忠の側にあって「秀頼 「挈」、つか」 母子救出ー、ー」の知らせを待っていた。 家康は、答えたあとでジーツと勝重の面に見人った。 「所司代よ。わしは於千がことは、あの翁には訊ねぬこと彼は岡山の陣営に詰めていたので、速水甲斐と井伊直孝 等の輿か馬かの問答も知らなければ、返事催促の発砲のこ にする」 とも知らなかった。 「と、仰せられますると ? 」 「その方が、わざと留守 : : : せつかくそういうてくれたも ( 何も案することはない。母子のお側には奥原信十郎がっ いている ) のを、訊ねるにもあたるまい」 彼がこの従弟によせる信頼は、柳生一族の誇りにかけ 「そ、そのような : いた 「よいのじゃ。時に嘘は大切な労わりじゃ。正直の方がずて、自信にそのまま通ずるはどのものであった。 っと酷薄な場合がある。よいよい、本阿弥の翁がやって来 ( 見識もさることながら、腕も分別も他の者とは比較にな たら、長いっきあいであったゆえ、何そ褒美を取らせて帰らぬ ) その信十郎が、いざと言えば、関東勢に対しては、将軍 す。案ずるな」 秀忠や大御所の名を明かし得る立ち場にあるのだ。 板倉勝重は、肩をふるわして泣きだした : したがって、この方のことでは、みじんも心配せずにた だ約東の「正午ーー」を待った。 ところが、その正午になって実は、この戦の最も大きな 大 和 の 173
「修理 ! 」 「はい。上様は正午にここをお出でなさるゆえ、桜御門よ しい」 : と、申しましたるところ、雲にで「は : りご案内あるよ、つに : も乗って行くのかと、これが井伊の無礼な嘲笑、それゆえ「於千は、上様やわらわのために : 「いや、そのようなことはありませぬ。直接御台さまはご それがしは、輿で参る ! 輿の用意を致されよと申してご 承知なくとも、助命嘆願のことは、お側を離れぬ刑部の局 ざりまする」 がよ、つ、い得て居る筈にごギ、りまする」 「すると、向こうは何といわれた ? 」 「では : : : では、井伊の無礼は ? 」 淀の方は、冷静であろうとして、じっと眸を宙にすえ、 「恐れながら、井伊直孝は、将軍家のご采配にて繰り出し 声をころして訊き返した。 たるものかと存じまする」 九 「秀忠どのは、上様やわらわを助けおくなと申すのじゃ 8 と、にべもない返事 : : : いや、ここは 「輿などはない , はい。いや、内心のことは知らず、大御所さまほ 1 戦場なるそと嘲笑って : : : 」 どには、お気遣い下さらぬかと」 甲斐は自分の憤怒が必要以上に言辞をはげしく歪めてい 「そうか。やはりそうであったか : るのに気がっかなかった。 「強って乗物が必要ならば、死人を運んだ山駕籠か、路傍手にした数珠を、額にあてて放心したように呟いたと の辻駕籠を見つけて来て、上様を後手にしばりあげて乗せき、 「そうではない ! 」 てやろうかと : と、速水甲斐はまた言った。 「上様も聞いておわす。もうよい ! 」 「これは、何も彼も、腹黒い大御所の、計算し尽した筋の 淀の方は身を震わしてさえぎった。 運び一や」 「そうか : : : 井伊は、大御所の命をうけ、上様をお迎えに し」 「甲斐どの、控えさっしや、 参ったのではなかったのか」 「いや控えてはおれぬ。わしはもう一度戻って相手に上様 「おそれながら、上様もご母公さまも取り遁すなと :
扨蔵からではない。京橋ロのあたりである。正純は、歩 、フ自信であった。 その意味では彼等は家康よりも、すっと秀忠に近い時代みを止めて振り返り、その喊声を聞き直した。 喊声をあげたのはいうまでもなく味方であろうが、その と感情を生きて来ている。 声には無数の悲鳴が混じっている。男たちだけではなくて ( 眼に余る大坂のわがまま ! ) これをしも許しておいて、何うして天下の示しが付こう女子供の必死の声が : 「京橋口を開いたな」 か。口実は何とでも付けられる。隙があったら討ち取るこ と、正純は田 5 った。 とだ : : : そうした意志はいわず語らずの間に、彼等の胸に そこには城内で死におくれ、逃げおくれて行き場をなく 通い合っている。 した雑兵や人足どもや老幼婦女子の群れがもう一団、生き しかし、先頭の一隊を呑みこんだ扨蔵の中は意外なほど た心地もなく寄りあっていたのだが : に静かであった。 ( 戦が終わってから解放せよといってあったのに : 井伊直孝がたまりかねてせかせかと土蔵へ向かって歩き 或いは秀頼の出城が手間どっているので、ここでも寄手 空はさっきよりまた暗く垂れ下がり、照りしぶったまま が腹を立て、逆に外から攻め人ったのかも知れない。 「もしそうだったら、眼もあてられぬ虐殺がはじまろう。 蒸し返している大地に、再び細い陰雨がおちだしそうな気 困ったものよ」 配であった。 再び視線を扨蔵に転じて、 「フン、降りだしたわ」 次に歩きだしたのは、本多正純であった。正純は、生き 残っている大野治長や速水甲斐や毛利勝永兄弟などが、改 と正純は声をのんだ。 めて寄手と交渉を蒸し返している : : : と思ったらしい。 今までひっそりと静まり返っていた籾蔵の入口からまっ 白な煙の渦が、もくもくと盛りあがってあふれだしてい 「この期におよんで何をぐずぐず : : : 」 る。 彼の先を行く井伊直孝は、すでに土蔵に十数歩 : : : と、 思った時に、また意外な喊声があがった。 ( やった 160
に及んで生命をおしむものではない。むろん出陬してゆく ぐらいの勇気はあった。 しかし、それ以上に、次第に彼の闘志をそらすものは、 相対している関東勢に、何としても敵意の湧かないものが あったのだ : ( これが果たして、自分を滅ばそうとする戦なのだろうか そう言いだしたのは、身辺にあった真田大跡が、父の死 を知り、歯を喰いしばって泣くのを見てからだった。 だが、それも実行はされなかった。秀頼が馬に乗ろうと しているところへ、天王寺から退却して来た速水甲斐が飛 びつくようにして、これを引きとめたからである。 なりませぬ ! 」 と、甲斐は返り血をいつばい浴びた乱髪をふり立てなが ら馬を遠ざけた。 もはや戦場は大乱れ : : : 主将が死体を乱軍の中にさ 茶磨山に越前勢の旗が立ち、真田幸村が戦死すると、岡らすものではござりませぬ。むしろ退いて本丸を守り、カ 尽きてのちはご自生〔なさるがよろしゅ、つござりましよう」 山口の大坂勢も先を争って退きだした。 もうその寺には、勝ちに乗じた関東勢は、三の丸に迫っ 7 戦況は申の刻 ( 午後四時 ) に至ってついに決したのだ。 ていた。 本丸の桜門にあった秀頼の許へ、 : と、いうよりも、すでに乱人しだしている。 迫った : 「ーー・池田利隆の軍勢が川を渡って城門へすすんで来ま 秀頼の心はようやく大きく動揺しだした。 と、更にその動揺を大きくしたのは、本丸の台所から火 そう報告しているところへ、大野治長が重傷を負って城 を発したことであった。 内へ運びこまれた。 台所頭の大隅与右衛門が、ひしひしと迫って来る関東勢 それでもまだ秀頼は敗北感が湧かなかった。冬の陣のお りもそうであったが、彼には実際に戦った経験もなけれの接近を見て、放火内応したのだという噂が火の粉と一緒 に乱れ飛んだ。 ば、敗北した経験もないのだから無理もない ( ほんとうに内応したのだろうか ? ) しかし、その秀頼が、 しかし、それも的確な答えの出ない間に、更に第三の悲 よし、予も討って出て討死するぞ」 さる
井伊直孝の説明するあとから、阿部正次がはじめて慎重「大御所が、わざわざ桜御門までお出迎え下さっていると ペンべンとここで待つ手はあるまい。 もう一度 に口を開いた。 銃声で催促なさるがよいわ、井伊どの」 「速水甲斐が戻ったまま、なかなか返事をして来ませぬ。 「心付た」 約束は正午の刻。それが到来したゆえ、催促の発砲をして みては : : と、提案したのは、この正次でござる」 と、井伊直孝は幔幕を出かけて、 「無礼な者どもだ。約東を何と心得ていくさるのか」 「フーム」 わざわざ捨てぜりふを残して出ていった。 正純は、またあいまいに笑いをころして頷いた : とあっては捨ておきがたい。 いちばん慎重な阿部正次が、 「約東の時刻を無視した : 「やむを得ぬなりゆきでござる」 阿部氏の計らいは戦場の理に叶うて居る : : : よろしいー まだ出て来る気配はない。こんどは、この上野介が提案仕そういってため息すると、安藤重信はしきりに頷きをく り返した。 ろう。井伊どの、もう一度ご催促を : : : 」 「全く。止むを得ぬ : : : 相手がたとえ何者であろうと、こ 正純は、あっさりと言ってのけて、到頭これもニャリと のような無礼を許しておいたのでは天下の御法は相立た 底深い笑みをもらした。 ぬ。しかもここは戦場だ。戦場には戦場の : : : 」 五 そこまでいった時に、第四の銃声が声をうばった。 三人はギョッとして顔を見合わせ、それからいい合わせ もう四人の間には、ハッキリと通い合う「意志 あった。 たように外へ出た。 と思った時に 輿か馬かの問題で、一応交渉を切りあげて行ったのは相依然として、籾蔵からは何の応答もない。 手の方だ。それが約束の時刻に返事をもたらさないという土蔵の右斜めに立っている柳の木影から一つの人影が、尾 を引くように土蔵のかげへ消えていった。 のは、充分攻撃の口実になり得る落度だ。 「何者だろう外から内へ入っていったぞ」 「これ以上待っ必要はない」 「はて ? 遁げ出すのならばわかって居るが、入ってゆく と、正純はいっこ。 」カ 758
「おお、こなたがおちよばか」 いる人々の連名状を携えてやって来たのだ。 刑部卿の局がやって来ると、家康は眼を見はってため息 この事の意味は、戦場の習慣からして、言うまでもなく 「降伏ーー・ー」である。 「そうか、なるほどこれは立派に刑部の局じやわい。われ 生き残ってある者のうち誰々を助け、誰々に責任をとら せるか。それさえ決定すれば一切は終わりである。家康は等が年齢をとる筈よ。したが、ご苦労だった ! 御台所の ホッとして、わざと責任者の指名は秀忠に任せることにし望むよう、秀頼どのも、淀どのも、生命の助かるように計 ろうてつかわすゆえ安堵しゃれや」 味ともすれば眼を曇らせながら、手ずから局に一ふりの短 「佐渡、われ等が、あまり差し出ては相成るまい。が、 方も多く死んでいるのだ。修理や速水甲斐は許せまい。い刀を与えていった。 「どうじゃ、於千は喜んで居るであろうな」 や、毛利勝永も : と言いかけて、家康は惜しそうに舌打ちした。 え : ・・ : と、申すとどちらなのだ。まだ戦のお . し . し . し 「全く無意味な戦をしたものじゃ。真田にせよ、毛利にせ どろきが納まらぬと申すのか」 よ、天晴れな者であったがのう」 「あのう、御台所さまは、上様がご自害なさると : 本多正信は、つつしんでその旨を秀忠に伝えると約東し 「なに、秀頼どのが自害する : : : そう思い込んでふさいで て引きさがった。 いると申すか」 それから間もなく秀忠自身、土井利勝を伴なって茶磨山 へ挨拶にやって来た。 ・ : 案ずな、秀頼どのはの、芦田曲輪の籾蔵にいる その時には、家康は、於千にあいたいと、しきりに田 5 っ そうな。そこでその籾蔵を井伊直孝が守護して居る。わし ていた。 も上野を見にやらせたが、安藤重信、阿部正次など屈強な そこで型どおりの挨拶が済むと、また正信を呼び出し ものどもが出向いて力を協わせているゆえ、心配はないと て、千姫と一緒に脱出して来ている刑部卿の局を呼んでく 申して参った。そうか、於千はそのように良人の身を案じ れるよ、つに一一「ロいつけた。 753
秀頼は、黙然として弟勘解由と右手の奥に並んでいる勝渦を添えた。ワーツと女たちは悲鳴をあげて身をよせ合 い、男たちは血相変えて立ち上がってしまったのだ : 永を手招いた。 「お許に、このわしの介錯を頼もう。よう戦ってくれた ・ : 忘れはおかぬそ」 勝永は茫然として、盃を持ったまま治長を見やり淀の方 をうかがった。淀の方が何か叫んだ。 と、その瞬間だった。パチパチと屋根のあたりで火のは ぜるような音がして、続いてダダダ ] ンとあたりをふるわ この朝、家康は眼に見えて上機嫌であった。 す銃声だった。 しかし本丸炎上のおり 合戦の犠牲は決して小さくない。 監視している井伊勢の銃隊が、速水甲斐の帰りがあまり に、火焔の中で果てたと思った秀頼夫妻が生きていた・ におそいので、約東の時刻の切迫を警告する威嚇の発砲を いや、ただ生きていたのではなくて、千姫はすぐに坂崎 して来たのだ。 出羽守の手で、本多正信の陣所へ担ぎこまれ、家康が前々 「それはなりませぬ ! 」 勢いこんで淀君が、秀頼をなじりだすのと、この催促のから考えていたとおり、良人秀頼と淀の方の生命乞いをし ているのだ。 銃声とが皮肉なことに一緒になった。 と、褒めてやり 「ーーーわしに異存はない。ようやったー 「あ ! 」と、甲斐は居すくんだ。 : だが、わしは采配一切を将軍家にお任せした隠居 「やはり、われ等を陥人れる気であったぞ」 の身じゃ。その方たちから将軍家へよろしゅう取りなして 大野治長はポカンと口を開けたまま言葉もない。 やってくれ」 ( やはり話はまとまらなんだと見える : : : ) そうした心で聞くとこの銃声は、井伊勢の攻撃再開の銃本多正信と大野治長の家老米村権右衛門にそう言った。 ( これで、これは片付い 声にしか受け取れない。 かんせい ホッとしているところへ、更に二位の局が、生き残って 人生の随所に伏せられている偶然の陥穽は、更に皮肉な 童心谷、い 752
もはやどの顔にも生色は無く、それはすでに狂う気力さ え失った人々の群れに見える。 ( もう暫くの辛抱だそ ) 夜中には何度も小雨がパラついたが、その中で信十郎 は、いざといえば彼の目的だけは達せるよう : : : ある種の 用意だけはしてあった。 いや、ある種の : : : などと持ってまわった隠し立ての要 芦田曲輪にある扨蔵の夜の蒸し暑さはかくべつだった。 はあるまい 照りきらず、かといって降りもしない梅雨そらの、狭い それはどんな場合にも密室に籠ってある人間を苦しめ 場所におびただしい人数が入り込んでいるのだから無理も る、生理の要求から考えついた用意であった。 人々は、夜半ごろまで誰もが、生理の要求など忘れてい 7 しかもここで夜を明かすとなると雑居もならず、以前か たかに見えたが、 一人の小女が、まっ蒼になってそれを訴 ら人れてあった金屏風を立てて蔵の内を三つに区切った。 その一方に淀の方をはじめ女性たちをおき、奥には秀頼えたとき、信十郎はハタと膝を叩いて立った。 蔵のすぐそばに厠は作れない。そこで川岸近くの柳の とその稚児姓たちをおいて、中の間に、生き残った、大野 * 下の芦のそばに、わずかに土を掘り、その周囲を、土蔵の 治長、毛利勝永、速水守久以下の侍たちが詰めかけた。 こも 女性たちの髪汕の匂いもさることながら、男たちはその内にあった菰で囲ってやって用を果たさせた。 殆んどが手傷をうけたり返り血を浴びたりしている。それ「ーー・苦しいお方はあれへ」 みなにそういい渡しながら、その急造の厠の先に小舟を が梅雨どきの暑さに蒸され、汗にまじっていいようのない かくしておくように部下に命じた。 悪臭となって鼻腟を苦しめた。 万一のおりには、秀頼と淀の方を、生理の用と見せかけ 奥原信十郎豊政は、そうした蔵の内をのぞいては外に出 て、外の空気をしばらく呼吸してはまた内に人って人々をて誘き出し、有無をいわさず小舟で運び出すつもりであっ 監視した。 社と 口一げ 落月 おび