: 月の浦から船を出したのはな、うるさを待って撃滅すれば、当今の世界はそっくりわれ等の手に 味方する。 い南蛮人をそっくり東にして日本国から追放し、徳川家の入る : : : いや、惜しい餌を掃除してしまったものだそ」 天下の安泰を計ろうためだ。そのようなことは将軍家も大 御所もようご存知 : ・・ : みなご相談のうえのことゆえ、気違 一方は掃除と言い、一方は丁重に保護してやれという。 い坊主の狂い言など、誰が信じてゆくものか」 とそこへせかせかと出て来たのは城代の片倉小十郎であ伊達阿波と片倉小十郎の言葉は、表面の意味からは正反対 つつ」 0 の意見であった。にもかかわらず、彼等は笑い合って、そ 「どうしたのだ。殿をよう知っているとか申す切支丹の神のまま打ち込まれたばかりの柵の中に消えていった。 事実大坂城内には落城数日前から奇怪な噂がながれ出し ハ乂は ? ・」 どうやら小十郎は、政宗たちと相談を重ねて出て来たのていた。 ・トルレス神父はポルロ その噂の源は何処であったか ? 右頬のかすり傷にテラテラと膏薬を光らせて、若さと精神父から聞いたと言い、ポルロ神父は、トルレス神父が、 ヂ」日月、、亠丿、」 0 この秘密をよく知っているといいふらした。 、、ーぐ日ド . し、刀ーュ / 悍さにあふれた語気で阿波 他でもない。いざ落城という時には伊達政宗の陣中へ駈 「掃除は済んでござる」 け込めというのである。伊達政宗は決して徳川方ではな 「掃除は済んだと : く、どこまでも切支丹信者の味方なのだ : 「されば : : : 殿がお会いなさるほどの者ではあるまいと存 したがって城中に身をおくことが危険と思われる事態に じたれば」 ひそ なったおりには、伊達の陣営に身を秘めよ : 「それは残念な」 いや、それだけではなく、彼等の間では、 小十郎はニャリとして声を高めた。 「ーーー大坂城が落ちるようなことはない ! 」 彼等を 「丁重に保護してやれという殿の仰せであったに。 という希望的な観測にもなっていた。 大切に保護してあれば、或いはフィリップ大王の大艦隊と やらが、はるばると日本までやって来るかも知れぬ。それ落城 : : : というような事態になれば、その寸前に、伊達 795
大声で見得を切り、それから引き揚げたと伝えられてい 以上戦うことは無理でござる」 水野勝成は、とにかく道明寺口一番手の総大将なのだ。 戦っている点では決して四番手の伊達勢におとるものでは むろんこれは味方の士気を煽るためであったろう。しか しその裏に、幸村だけは、政宗のこの日の肚を見抜いてい ない。にもかかわらず、彼は、追撃戦をきびしくことわっ たんか て同時に、新手の第五番手、松平忠輝をも動かさせなかって、そのうえの啖呵であったとも受け取れる。 たのだ。 ( ー・ー伊達勢にはもはや、われ等を追う気はない ) そう見きわめなければ幸村ほどの者がこのような見得は いったいこの老雄の肚裏にある作戦は何であったろ 切るまい 逆説すれば、この日西軍の引きあげを助けたのは、まぎ 或いは政宗の方でも又、後日家康への言いわけのため 、片倉小十郎をいちばん強い真田勢に立ち向かわせてお れもなく伊達政宗であったといってよい。 真田幸村は、こうしてしばらく誉田の森にとどまって松 いて、もう一日、大坂の運命を見る気であった : : : のかも 平忠輝の越後勢動かず : : : と、見てとると、毛利勝永の銃知れない。 隊をあとに残して、附近の民家にいっせいに火を放させ とにかくこうして五月六日の戦は終わった。 この日秀忠は、前夜藤堂勢の陣取っていた千塚に進み、 この火で逆襲と見せかけて、その間隙を縫って引きあげ家康は星田から枚岡にすすんで宿営した。 よ、つとい、フのである : その千塚と枚岡の宿営に、藤堂高虎は使者を送って、 「ーー。・本日の合戦にて死傷多く、おそれながら明日の先鋒 十 は勤めかねると存じまするゆえ、ご遠慮申し上げまする」 と、届け出た。 いよいよ引き揚げる時に、真田幸村は伊達勢の先頭に向 かって、 先鋒は当時の武将にとって最上の名誉なのだから、それ 「ーーヤアヤア、百万と号して居りながら、関東勢にはつを遠慮しなければならなかった藤堂勢の打撃が、如何に大 きなものであったか想像出来よう。 しに一人の男の子も居らぬのか」 っ ) 0 る。
をうしん 諍臣利休居士に詰腹切らせて、高麗の事情も、大明国の事の考えているのは世界の海に : : : 」 「世界であろうと、高麗であろうと、戦をすれば苦しむ民 情もわからぬ聾桟敷にあってあの戦を始められた : : : 敵を 知り、己れを知るが戦勝の要諦なるに、高麗王は唯々諾々が必ず出る。それよりはの、今は、どうすれば戦の無い日 っ と道案内に立つものと信じて兵をくり出す : : : 第一歩か本国が作れるか、父の苦心も兄の苦心もその一点にか、 ているのじゃ」 ら、無謀そのもの」 : それが視野の狭さでございます。こちらで外へ 勢い込んでいい出すと、今度は家康の顔が緊った。 よ、ハッとするほど伊達政宗のそれに酷似出向かなんでも、向こうからやって来ればこれも戦 : : : 戦 忠輝の秀吉評。 している。用語から言葉の抑揚までがそっくりそのまま政は決してこの世から無くなるものではありませぬ」 く ) っ一」 0 「なに戦はなくならぬと : 何時の時代、如何なる時世にも戦はある。それゆ そうなると如何に子に甘い父親でも、さっきの海外進出「は、。 え、ただ王道の聖人君子ではおさまらぬ。時に覇道、時 論に、疑念を抱く結果になろう。 くでん に王道 : : : 現にお父上も兄上も、その戦を終わったばか ( やはり、あれも、政宗のロ伝らしい ) 「それに、そもそも太閤には、海運の知識が欠けていまし そこまでいって、忠輝はふっと口を噤んだ。 た。海外で戦わんとするほどの者が : 父の表情が憤怒に変わり、くびれたおとがいの肉がプル 「、も、つよいツ」 プル震えているからだった。 家康は語気を強めてさえぎると、 : かも知れない ) ( これはいいすぎた : 「太閤の発想も、実はお許と同じだったのだ。まっ先に考 えたのは、、、 とこかでもっと国を大きく奪らなんだら、手の 空いたおびただしい侍どもを養い切れぬ。というて、捨て おけば国内に騒乱は絶える時はあるまいと、お許と同じこ たわけ者 ! 」という怒号が飛んで来るものと とを思うたのじゃ」 忠輝は田 5 った。 「これはしたり ! 太閤はたかが高麗や大明国 : : : われ等 感情に任せた自説を通そうとして、現に載ったばかりで 227
と、政宗は虚空を見据えてまた唸った。 「性根まで錆が入っては一大事じゃ。それゆえわしは鷹狩 りに参るそ」 「於勝 ( 五郎八姫 ) が、そのようなことをいいだしたのか」 「はい。仰せだされるとわれ等の申すことなどお聞き入れ「は : : : 何時、どこにでござりまする」 「明早朝、場所はそれ、大御所がこの春わざわざわれ等に 遊ばすお方ではござりませぬ」 分けてくれた葛飾の鷹場がよい。勢子は百人あまり、夜の 「上総どのを高田へやったは拙かったかな」 「姫君は、両三日のうちには、ご対面 : : : それゆえご帰着 3 明けぬうちに狩野へ配って、わしの到着を待てといえ」 弥兵衛は返事の代わりに、茫然と政宗を見返した。 までにことを片付けおこうと仰せられ : : : 」 。し子′。し 何を考えているのか : 「そんなことではない ! 」 しかし、こうした時に、すぐ問い返すのははげしい怒罵 「は : : : では何のことで」 「上総どのと、一緒に鷹狩りすればよかったと思うたまでを浴びるばかりだ。 「わかったのかツ」 「あの、鷹狩り : 「そうだ。人間の躰と申すものはな、使わずにおくと鬱屈「獲物が少なくては興が薄い。葛飾で不猟ならば、まだそ して錆びるものじゃ。錆びさせぬようにするには鷹狩りにの先まで突っ走る。そのつもりで足ごしらえを厳重にせよ といいつけよ」 ドる」 「かしこまり、まして、こギ、い - まする」 遠藤弥兵衛は呆れて二の句が継げなくなった。すぐにも 「怒られるなと、ついでに申し聞かせておけ ! わしの機 五郎八姫の許を訪れ、説得しようといいだすのかと思いの 嫌はよくないようだとな」 ほか、突然、鷹狩りを言いだすとは : 「かしこ亠工り : ました」 ( ははあ、負け惜しみかな ? ) 「と、申して、その方が小さくなることはないわ。その方 ふと、そう思った時に を叱っているのではない。身心ともになまくらにならぬよ 「弥兵衛 ! 」 う、われとわが身を叱っているのだ。案ずるな」 と、はげしい眼をして又呼びかけた。 かっ * 、い 377
「なるほど」 じて大坂城を手に入れようとする。 秀忠の代にな 0 てから、大坂城のあるじにな 0 た伊達政「秀頼どのとて同じことじゃ。わざわざ千姫などを嫁が 、こよ滅ばす・ : ・ : あまりにご田 5 案 せ、油断させておいてっし。 宗を想像してみるがよい。 それは、無謀、無思慮な秀頼などとは比較にならぬ江戸が深くて、何を考え、何を企んでおわすのか凡人にはわか らぬお方 : : : と、世上で噂して居りまする」 の大敵になってゆこう。 家康はジーツと視線をわが子に据えたまま、続けざまに 「上総どの」 嘆自 5 した。 家康は怒るよりも泣きたくなった。 たた 「お許は、父が、何のために、今日の参内に伴なおうとし ( やはり、秀頼の死は祟る : : : ) それは二重の悲しみだった。 たのかわかるであろう」 わが子に、わが意見の通じないのはまだよいとして、そ 「わかりませぬ ! 」 れと秀頼の死とを結びつけられてはあまりに残酷むざんで 忠輝はまたうそぶいた 決して、それのわからぬほど愚かな生れつきではなかつあった。 ( そうか。そんな噂でこの子を煽るのは政宗より他にある たが、ただ負けぎらいが素直にうなすくことを許さなかっ たのだ それがよくわかるだけに、うかつにものの言えない気に 「お父上のことゆえ、大坂城のことにこだわって、忠輝が ー干しに行くとみて : : : いや、行くと知って、わざわざ呼なった。 「上総どの」 びにお寄こしなされたのかも知れぬ。お父上は、その位の 「何でござりまする」 知恵者だと思うています」 「この父も老いての、若い者の心まで察しきれなくなった 「挈」、つか亠まこと、ソて、つ田 5 、つか」 、、 , : 、、日円題は六、つきの 「越前の忠直も、お父上に叱られて、死のうと思うたそうやも知れぬ。そこで改めて訊ねるのオカド な。お父上は、いったん疑いを抱かれると、肉親とて容赦噂じゃ。こなたと将軍家の仲がわるいという : : : そのよう な噂の立った原因は何であろうかの」 なさらぬお方なのじゃ」 227
」などと言いだしたのかも知れない。 に好意を持って生きている : : : そんな風に信じきって甘え ( 不覚であった : ていた。 何時か忠輝は、眼を閉じたまま泣きだしていた。 ところが世間の実際は逆であった。 こんな間題が起こっているとも知らず、遊女を招いて酒 兄には兄の立ち場があり、父には父の理想がある。伊達 政宗が、自分を空しゅうして婿のために犠牲になる筈もな宴をしていた自分のうかっさ , 妾腹ながら伜が出来たと喜びきって、生母に、まだ大坂 ければ、第一世間が、忠輝のためにある筈のものではなか 城のことなど訊ねさせようとしていた愚かな自分 : ったのだ : そう言えば、二条城で散々父と言い争ったおり、父は彼 それにしても、手きびしすぎる。 勝隆の言うとおり、これはただ父との対面を禁じられを許すなどとは一言も言ってはいない。それどころか、王 道と覇道の相違がわかるかと、実は叱られたままであった。 た、だけで納まることではない。 それを忠輝はひとり合点で、言うだけ言ったのだから、 ( 次がある : : : ) 勝隆は、切腹か、それとも伊達討伐のお先手か、と言っ済んだつもりになっていた。 たが、その前に、まだ無数の思惑と、無数の間題が介在し ( 自分の方はあれで済んだが、父の心は少しも済んではい よ、つ なかったらしい 「勝隆よ」しばらくして、忠輝は縋るような声で言った。 父は永対面禁止。 「そなた、兄上の処分のことは耳にせなんだか」 だが、当主である将軍家の処分はいったい何うなるの 「↓よ、 0 、、 伊達政宗は、果してソテロにフィリップ三世へ援軍派遣「耳にしているな。どうなろうかの」 「されば、将軍家は大御所さまへのご遠慮がござりまする などを命じてあったのだろうか ? : と、お考えなされましよう。い あったとすれば、それが到着したらどんな騒動が起こるゆえ、なるべく軽く : や、それを知って、大御所さまから先にご処分を仰せ出さ というのだろう : : ここに親の慈悲が秘められてある : : : と勝隆は存 いや、その騒動を見通しているゆえ、父は「伊達討伐れた : 344
き、無事に事をおさめるのには、天海と姫君を会わすが第 そして両頬をけいれんさせながら顔をあげると、 「申さいでは、不忠 : : になるゆえ申し上げまする。柳生一と : は、大御所とわが殿とでは、同じ兵法者にしても格段の差「な、なんだとッ ? 「・よ、ツ 0 Ⅱ・ があると。殿は階下に立っているゆえ二階までは見えぬの 生がそう申したので。姫君は真実をお知りな されば一歩も譲らずお父上 : : : つまり大殿にご諫言申し上 : なんだと」 げよう。むろん天海も知恵を授けようほどに、それが一番 はげしい一喝を浴びせておいて、政宗はまた破れるよう 効目がある。伊達家のためを思わば両人を会わせること と : な声で笑いだした。 「黙りませぬ。まだもう一つござります。姫君さまのご伝 : 柳生めが、そのよ、つな小賢しいことを言が」 : わしは階下に立っているゆえ二階が見えぬと : 「よこ。臣 . の : : : 」 「はいツ。姫君は、天海僧正をもってお詫びを申し入れ、 浴びせるような政宗の爆笑は、遠藤弥兵衛の律義な感情なお大御所がおきき入れない時は、離縁離別はならぬゅ を少なからず激発した。 え、自害して果てるほどにそう伝えよと」 「たわけめ ! 自 : ・・ : 自 : : : 自害は、きびしく信仰の止め ( こっちは生命を投げ出すほどの勇を揮って諫言している のに、大いとばすとは何とい、つことー・ ) るところじゃ」 「むろんそれはそれがしも申し上げました : 「恐れながら、まだござります」 : しかし例外 「もうよい。聞かいでもわかって居るわ」 もあるそと姫君は仰せられてきき人れませぬ。明智家から 「いや、申さねばなりませぬ ! 柳生どのはこうも申され細川家に嫁いだガラシャどのの例もある。何で伊達の娘 が、明智の娘に譲ろうぞと : : は、ツ、これは、誰も動か ました。大御所がわが子を罰しても伊達との争いは避けよ うとなされている。そのことを大殿に申し上げてご理解戴せぬご決意のように存じました」 375
このことを天海の耳に人れたら、おそらく天海は、伊達 らしいほど活気づいた。 政宗対徳川父子の大きな確執に気づかずには居るまい。 「考えることはないぞ弥兵衛、上人はいま駿府か江戸か。 ( 毛を吹いて傷を求める : : : ) こなたの手ですぐに調べてたもれ。それさえわかればあと いや、それ以上に、主君政宗の肚の底の底まで見破ら は、わらわが : 弥兵衛は、それをさえぎらずにいられない立ち場であつれ、逆に次なる戦の導火線にもなりかねまい ( そうなっては伊達家の死命にかかわる大事 ) しかも眼の前には、柳生宗矩という、これも油断のなら 何よりも、この間題に他人の介人をおそれる理山がある からだ。 ぬ将軍家の側近が、さあらぬ態で控えているのだ。 「それはしかし : : : 一応は、大御台さまのお耳に人れたう 「仰せながら、この儀は、どこまでも内々に : えのことに・ はい。そうお願い致しとう存じまする」 のが大御台、母上さまのお考え」 「というと、天海上人にも話してはならぬと申すか」 : いや、それがしと致しましては、大御台さまの御前は心外そうに舌打ちした。 「わらわの手紙では、足らぬと申すか」 お許しを得ねば : 「亠よ、 0 一応は、内命うけたそれがしから : : : 何分にも、 「ならば、こうしよう。わらわが書面を認めよう。上人へ 大御台さまは、御前もご承知のとおりのご信仰 : : : 天海上 のご依頼はこなたが先走ってのことではなく、わらわが : 上総介忠輝の妻が : : : 良人のために計ろうたことゆ人は仏の座にござるお方ゆえ」 え、こなたの責めではないと」 御前はロをおさえて笑いだした。 「それは、しかし : 「そのことであったかお許の心配は : : : それならばかくべ 「それはしかし、何としたのじゃ」 間い詰められて、弥兵衛の顔からは見る間に血の気が引っ案ずることはない。母上はな、わらわが上総介さまのお 許に嫁ぐおり、殿の仰せとあれば改宗もよいぞと洩らされ いていった。 ている。こなたが考えるほど窮屈なお方ではないほどに」 その筈だった。 っ ) 0 36 2
気性も勝っている。頭脳の冴えは将軍以上。そして、父 まさに太閤こそは、敗れることを知らない古今第一の英 に向かって大坂城を寄こせと言うほど、これは遠慮を知ら 雄であった。 ところが、その「敗れを知らぬーー」ということが、実ぬ、言わば負けたことすらない世間知らずなのだ : は太閤の晩年を真ッ黒に塗りつぶす大きな不幸の原因にな っている。 敗れることを知らない太閤は、わざわざ進んで高麗を征家康は、忠輝のことをあれこれ考えているうちに、すっ てんじく かり寝そびれてしまっていた。 し、大明国を侵し、天竺 ( 印度 ) までもその版図に加えよう ( こんなことは珍しい という、途方もない夢と野心に取り憑かれてしまったの やはり、田 5 うに任せなかった秀頼や千姫のことが、大き く心へ傷を作っているせいであろう。心配しだすと、それ そうした悪夢の虜にならなかったら、彼は「敗れを知ら は忘れようとして忘れ得ない「ーー・・・信康の切腹」のおりの ぬ名将ー・ー - ー」として、又泰平を開いてくれた救世主とし ことまで思い出させてくるのであった。 て、日本中の感謝の的になり、永遠にその徳を讃えられた にしなし ( あれも又、あのような不幸を自分から掴みとってゆく子 ところが、立ち止まることを知らなかったばかりに、つではあるまいか : とにかく、忠輝は将軍家の次弟なのだ。義直が名古屋城 いに躰をこわし、頭を痛めてみじめな苦悶を重ねながら亡 くなった。 の主ならば、自分が大坂城の主であってもおかしくない ひそ : とい、フ考え方を持っている。 ( 神仏の罰というのは、思いがけないところに秘んでい しかも、その大坂城に人って、外交上のことは一手に引 る ) 家康は、そうした豊太閤の過ちを、再び犯すものがあれき受け、南蛮人も紅毛人もない、ヨーロッパ人すべてを向 ば、それは伊達政宗であろうと思っている。ところが、そこうにまわして世界中へ日本国の国威を輝やかすのだ : の政宗の悪夢を、忠輝までがそっくりそのまま受け継ぎそとハッキリ口に出していた。 ( 似ている。豊太閤の思いあがりに : うな心配が出て来たのだ : 209
とロ叱言をくり返している。 はまた、まだ会いたいと思っている本阿弥光悦を連れて来 「なぜ、秀頼が助けられなかったのじゃ。わしは太閤に合ないというので、叱言を喰った。 わせる顔がない。いったいそのおりそなたは何としていた ( 年齢というものは不思議なものだ : ぞ」 あれだけ油断のならぬ、隙のない達人の家康が、このよ それは、日本中の諸大名を畏怖させた、あの大御所の威うに平凡で愚痴ばかりの人間に還ろうとは : 厳など、どこにも感じられない愚痴で平凡な老いばれに見事によると、大坂二度の陣が、彼の生命の泉ばかりでな えた。 く、理智も思案も枯れさせて、全く別の家康に変えてしま ( やはり、この仁もこうなるのか ? ) ったのだろうか : それはまた四十九歳の政宗には、あらぬ感慨よりも嫌悪 そんなことを考えている時に、 の先立っ老醜の姿に見える。 「そうだ。子供たちも叱っておかなければならぬぞ」 柳生又右衛門はまたそれに必要以上にヘりくたった言訳 と、家康は言いだした。 ばかり続けてゆく 「上総どのから先に呼んで来い」 ( こ奴も大した者ではないそ ) さすがにそのおりには政宗はひやりとした。 そう思って、いささか飽々しているところへ、先ずまっ 自分に預けられている婿を、自分の前に呼びつけて叱っ 先に呼び込まれて来たのが、藤堂高虎であった。 てゆく : とい、つことは、自分が叱られることでもあるか 家康はその高虎にもブップッとこばしていった。 らだった。しかし忠輝ももう子供ではない。叱れば叱るほ 「将軍もその側近どもも、わしの念仏の意味がわからぬ。 ど、それは父の威厳を傷つけ、器量もさげる結果になる これでは、わしは七十余年、何のために生きて来たのかわ : そう思うと、その結果に却って意地わるい興味が湧い からぬではないか」 ろ、つもう 藤堂高虎は、それを老獪になぐさめたり、追従したりし ( よし、遠慮はせずに、老耄ぶりを拝見して参るとする かわ て躱してゆく。 三人目に呼ばれて来たのは、所司代の板倉勝重で、これ やがて側近の板倉重昌が、松平忠輝を呼んで来た。 797