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検索対象: 徳川家康 17
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1. 徳川家康 17

「ーー尾張家は敵の茶磨山に出で候え。又、遠江中将もそ このとき正成は義直に昼食を摂らせている最中だったの 、よ ) 0 れに続けと申し伝えよ」 そう命じたので、近くにあった本多正信はびつくりして 十 い返した。 「まだ戦いなれぬお二方を大乱戦の中へは : 十六歳の尾張義直はびつくりして箸をおき、それからみ しいかけると、家康ははげしい眼をして叱りつけた。 んなに進撃を命じた。むろん監督は成瀬正成がしたのだ 「何をいうそ。早く参り合わさなんだら戦が終わる。戦が が、昼食を中途でやめて乱戦に加わった義直が、味方の危 終わったのでは教えようが無いわ」 く崩れ立っとき、左右田与平の眼は、四つもあるように見 よわい それは、七十四歳の老人の顔では無くて、齢を忘れた猛えたなどといっているのだから、その性格の沈着さがわか うそぶ るであろう。 将の、自信にみちた嘯きだった。 ( 負けるなどとは、みじんも思うておわさぬのだ ) 義直の弟、頼宣はこれとは逆であった。 それから暫くして家康は又北見長五郎を呼んで尾張勢の この方には安藤直次が付いていたのだが、あまり気負っ 進出を催促させた。 て乱戦の渦の中へ駈け込もうとするので、 「何とした事じゃ。隼人正 ( 成瀬正成 ) の腰ぬけめは、何を 「ーー早まってはなりませぬ。まだ殿はお若い。手柄は何 まごまごしているのだ。腰。、ぬけたかとそう申せ ! 」 時でも樹てられまする」 顔をゆがめて怒りつけた。 そういって馬を引きとめようとすると、 が時だけに北見長五郎は、尾張勢の本陣へ駈けつけ たわけめ ! 十四歳の時が二度あると思うのか」 て、家康のいったままに伝えた。 叱りつけて敵に立ち向かった。気性は兄よりぐっと激し すると、成瀬正成がまた大声をあげて怒鳴り返した。 「なに、腰抜けだとフン、この隼人正を腰抜けといわ 戦を教えるつもりの義直や頼宣までこのような危機にさ るる大御所も、甲斐の信玄に出会ったときは腰が抜けた らされたのだからその激戦のさまは想像出来よう。 おそらく家康は、両児の到着を待って、悠々と力攻めに

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そう答えたまま、見向きもせずに頼宣の軍勢を指揮して 伝えられている。しかし、これはどこまでも秀忠の見てい いたとい、つ。 た数であって、又右衛門宗矩の述懐ではない。宗矩は、自 しかしそれは後のこと 分が人を殺傷したことを、武道の名誉にかけて恥じている ので口外したことはなかった。 生又右衛門が汐が引きかけたと呟いたときに、秀忠の こうした戦場で、旗下に斬り込まれるというようなこと馬印を持っていた旗奉行の三村昌吉が、何を思ったのか行 は、不覚も不覚。あってはならないことだと田 5 っているのきどまりの小さな池に向って走り出した。 だから口外するはない 秀忠はおどろいて、 そう言えばこの時前田の本陣に駈け出していった安藤彦「昌吉め、人も居らぬあのようなところで、何をする気で 四郎重能は、そのまま帰って来なかった。 あろうか」 彼が駈けつけた時に、前衛隊を出している前田勢は、ま 思わず宗矩をふり返ったが、その時にはもう宗矩が答え る必要はなくなっていた。 だこの切迫に気がっかず、昼食の最中だった。 そして急ぎ立てる彦四郎を嘲笑うような調子で、 馬印を池のみぎわに突っ立てると三村昌吉は大声で喚き 「ーーー折角ながら昼食中なれば、今暫く」 と他人ごとのような挨拶だった。 「見苦しいそ。上様はこれにおわす。この馬印の下に返 彦四郎は激昻した。そして、自分のあとに従って来ていせッ ! 」 た荒小姓たちを引きつれて、そのまま、まっしぐらに大野 それは不思議な戦場の知恵であった。 勢の側面へ斬り込んだ。 前面に池があるので敵は来れない。敵の来れないところ むろん斬死である。 へ集まれというのだから浮足立って、敵に背を向けていた 死体だけ辛じて持って帰った家の子どもが、 人々がホッとしてその下に集まりだした。 「ー、ー若の死体は如何致しましようや」 「上様も、いギ、」 父の直次の許に駈けつけてそう言うと、 間髪を入れず、柳生宗矩はくつわをとった。 「ーー・犬に喰わせろツ」 そして馬印のもとへ着いたところへ、土井利勝がまっ蒼

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「その方が供養になるかも知れぬなあ。勝手にせよ」 の少ないものではない。立ちあがれぬとわかったら、おぬ そういい捨ててそのままさっさと去ってしまった。 しも〈芯 . してはど、つじゃ」 安藤長三郎は「ありがたい ! 」と一言いって重成に近づ 「ええツ、ほざくな。さ、早く首を打てツ」 「やれやれわからぬ若僧だ。草摺の下から流れるわが血が もう重成は太刀はあげていたが視力は無くなりかけてい とんとわからぬらしい。誰が討たなんでも程なく浄土へ行 た。朝昌のいうとおり、草摺の下からぬるぬると伸びたし けるだろう。南無阿弥陀仏 : : : ナム : た血潮が膝をひたしている。 そのまま行こうとするので重成はグラグラした。これほ 「やあ、何者か知らぬが首は貰うた。ご免 ! 」 ど大きな侮辱を感じたことは曾ってない。 それは、まことに奇怪な : : : 木村重成ほどの者が、その 、つぬ : : : ま从 : : ま・・ : : 待てツ」 「待てッ 短い生涯で想像してみせたこともないなりゆきの最期であ と、その時 「ご老人 ! 」 「よしよし、これで顔が立つわ」 この場へ駈けつけて、庵原朝昌に青萱のかげから呼びか 安藤長三郎は、重成の首を打っと、遺体の腰につけてあ けた者がある。 った白熊の旗をぬき取ってそれに包み、無造作に自分の腰 「何だ。安藤長三郎ではないか」 へぶら下げて駈け去った。 「ご老人 : : : それがしは、本日の戦いで、まだ一つも敵の すぐさっきまで近くにあった下僕も馬もあたりに見え 首級をあげて居りませぬ」 ず、首の無くなった胴体に早くも蠅がむらがり寄ってい 「汽にこだわるな : : と、殿が申していたであろうが」 「と、申して、一つも取らぬでは同輩に対して顔が立たる。 戦は完全に木村勢の負けであった。いや木村勢だけでは ぬ。見れば身分ありげな兜首、その首、それがしに賜りた この頃には、すぐ隣りの八尾で戦っていた長曾我部 また切ッ尖をあげているゆえ、拾い首にはなりますま 勢もまた敗色おおうべくもなく、五月六日の午後の戦場 し」 は、次第に薄陽のひろがりと、静けさを取り戻してゆきっ すると老人は、チラと重成の方をふり返って、

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ものの十分間も経たぬうちに、再び戦列を南へ急がせ と重成は、声をかけて馬をとめた。 老臣の報告をここで待ってあったら、おそらくこの日の 「いま、行手で鉄砲の音が聞こえはせなんだか」 かたわらの闇の中から、 武運は、より良い賽の目を彼に見せたに違いない。 し、短気な本質をむき出しにした重成は、夜の明けかけた 「確かに、鉄砲の音 : : : どこかで戦が始まって居りまする」 時には八尾の手前まで前進してしまっていた。 そう答えたのは、老臣の平塚治兵衛であった。 一方平塚治兵衛は、まっすぐに馬を飛ばして若江へ出 「どこかでとは心得ぬ。行手にあたって今ごろ鉄砲を放っ 者 : : : と、あればこれは道明寺へ先駆した後藤勢に違いな 若江の村の百姓たちは、この時逃れられない戦火の波及 「と、致しますると、敵がそれを待ち伏せして居ったことを予感して、何れかへ姿をかくしてしまっている。 ( 家康か秀忠の先鋒が、すでに出没しているのだ : に成りまするが : 平塚治兵衛は馬を返して、以前のところへ戻って来た。 「そうだ。あ、南の方にかすかに火の手が見える。いや、 関東勢の出没を見て、百姓たちが姿をかくすようでは、脇 松明かも知れぬ。とにかく見届けて参るよう」 腹からの奇襲の時は去っている。うつかりすると、われに 「、い得ました」 数倍する大敵と正面からの遭遇戦を覚悟しなければならな 答えてから治兵衛は又ふり返って念を押した。 くなろう : 「もう程なく夜も明けましよう。夜のあけぬうち、泥田の それではみすみす勝味はないゆえ、いったん大事をとっ 細道を進みすぎては進退に窮しまする。それがし、若江に 出でて何分の報告を仕りまするゆえ、それまでこの地におて城へ引きあげるよう進言しよう : : : そう思って戻ってみ ると、もう以前の場所に重成はいなかった。 止まり下さりまするよ、フ」 「しまった ! 」 「案ずるな。ここで待って居る。急げ」 平塚治兵衛は顔いろ変えて重成のあとを追った。 匪急に答えたが、治兵衛の姿が見えなくなると、 「南の銃火が心にかかる。よし、進むとしようそ」 っ ) 0

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を、ハッキリと確め得たのはそれから何秒ほどの後であっ ( 許して下され、許して : : : ) たろう 淀の方の胸に突き立った短刀をとり、まっ白にハジけて 彼の眼に映じた死の土蔵は、三十余人の血に彩色され盛上った傷口を、小袖の襟で蔽ってやったのも彼であっ つ」 0 た、言いようもなく静かで厳粛な大饗宴のあとに見えた。 じゅうりん その頃から奥原信十郎豊政は、ようやくわれに返ったの ( そうだー これをみなに土足で蹂躪させてはならな だと一一一口ってよい : われに返ると、はげしい自責の虜になった。 それは理匪であったろうか、それとも「美ーー」をまも ろうとする花守の情感であったろうか : ( 豊家をおれは潰してしまった : : : ) 彼は夢中で消え残っている燈芯の火と油を、蓆や俵に占 四 けてまわった。 井伊勢の先手が白煙の渦を見て、一気に土蔵へ躍り込ん誰がどのような意志で策動しようと、秀頼夫婦と淀の方 で来たのはこの時である : の、三人だけはきっと助けてみせてやる : : : それは、大和 1 当然逃げる間のない彼は、秀頼と淀の方の間にのめっての奥ヶ原を捨てて、大坂城に入って来る時からの、信十郎 死屍を装うことになった。 豊政の何う曲げようもない意地であった。 ところが、その意地は、彼がほんのちょっと眼をそらし 放心以後のそれ等の動作は、決して平素の信十郎の沈着 粉々に打ち砕かれてしまったのだ : に計算されたものではなかった。何れも熱にうかされた動こ隙に、 秀頼の屍体に首級は無く、淀の方は、まるで昨日までの 物のように、ひどく本能的な衝動的な動作であった。 心労から解放されたような安らぎを見せた死顔でこと切れ こうして、井伊直孝と本多正純がのり込んで来た時に は、彼はもう、井伊勢の雑兵の中に混って、せっせと屍体てしまっている。 きょ を運び出したり、浄めてまわったりしていた。 ( 助かったのは千姫ひとり : それが却って、あやしく彼の良心を刺戟して、洗われた そうした素早い変身を目立たせなかったのは言うまでも なく焔と煙で、 秀頼の首級が、井伊直孝の手で運び去られるまで、躰中に とりこ

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その時、淀の方は、数珠を繰る手を止めてはっきりとし彼は夜通しぶつぶっと蚊を叩き、二位の局が出てゆく時 には、居汚く俵にもたれて眠っていた。愚痴に疲れて、も た声でいった。 「 , ーー・・・見苦しいぞ修理。わらわはの、二位の局の助命で助うどうにでもなるがよいと、あれもこれも抛り出してしま った感じであった。 かろうとは田 5 うて居らぬ」 : これ はて、そのようなことは その前で膝も崩さずに坐っているのが真田大助 : はまだ父の死と、その最後の言葉をじっと噛みしめている 「ーーー、そうではない。わらわが若し助かることがあった ら、それは千姫どのの孝心で助かりたい。 何よりも姫は無かに見える。 その端然とした大助と並んで、十五歳の高橋半三郎と、 事に御陣所へ着いたかどうかを訊ねてくりやれ」 その一言を聞いた時に、奥原信十郎は、わが伯母の声を十三歳の弟十三郎が、あでやかといいたいほどの前髪姿 で、コグリ、コグリと無、いに舟をⅧ日いでいる。 聞いたような気がした。 柳生石舟斎の妻であった春桃御前の : : : その伯母は、何二位の局が出てゆくと間もなくこの曲輪を井伊の軍勢が 事も母は子供のためにあるのだとハッキリいい、わが子に取り巻いた : 孝道を立てさせるために生きているのだとよくいった いま淀の方もそうした澄みきった心境らしい。秀頼のた めに千姫を送り出し、千姫の孝道をとげさせるためならば井伊勢は取り巻きはしたが、すぐに攻撃はしかけて来な 助かりたいと : 奥原信十郎はホッとした。 そういえば、局が出てゆくと、すぐまた静かに瞑目して ( ここに秀頼母子がひそんでいることを、二位の局が家康 ロのうちで唱名をつづけ出した。 に洩したのに違いない ) たぶん、今まであれこれと煩悩の虫のうごくに任せて、 そこで家康は、母子を保護するために井伊勢を派遣した 責め立てた過去の罪業を静かに悔いているのであろう。 : と、解したのだ。 秀頼はしかし、母のように寂然と澄んだ感じではなかっ そうなると奥原信十郎豊政の不思議な意地も、もうしは 139

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黒田長政と加藤嘉明であった。 と、左方へ進路を変えてしまっている。 こうなれば秀忠の危急を救うものは馬廻りの者よりほか 「御前ぞ ! 恥を知れツ。返せツ」 すでに数十歩のところに秀忠がいると知って両将は槍をにな、 ふるって、退却してくる味方を追いかけだした。無謀とい いや、戦い馴れた黒田長政と加藤嘉明の両将が近くにい うよりも、浮足立った味方を喰いとめる方法はこれより他なかったら、その馬廻りもあっという間に混乱の渦の中に にないと知っている両老将の非常手段。 没し去ったに違いない。安藤彦四郎が、秀忠のくつわに飛 進むも槍、退くも槍 : : : となれば、味方に刺されるよりびついた時は、まさに危機一髪。 は敵に向か、つ、いになる。 「来るかッ こ、フなると秀忠自身もじっとしている筈はなかった。 両脇を固めていた小姓たちは裸体の肌に具足をつけた荒 「よしツ、机けー・」 荒しい姿で近づく敵の中へ割って入った。 いきなり馬に一鞭くれたのを、安藤彦四郎があわてて馬 それ等はいうまでもなく一瞬の流動で、気がついた時に に飛びついた。 はもう秀忠の馬前にある武者はただ一人になっている。安 「なりませぬ。なりませぬ ! なりませぬ」 藤彦四郎まで、秀忠が馬を控えた瞬間に敵の中へ躍りこん 同時に両脇の小姓たちは、、 しっせいに抜刀して敵の中へでしまっていたのだ。 飛びこんだ。 「誰かツ」 手綱をしばって秀忠がたずねた。 あんど 七 「ご安堵なされ。柳生又右衛門」 秀忠の前備えにこのような空隙が出来ようなどとは誰も その声の終わらぬうちに、一人の敵が槍を構えてのめる 思っていなかった。 よ、つに大きかかオ サッと又右衛門の太刀が一閃。相手は二間柄の槍と兜を しかし、最も有力な井伊直孝と藤堂高虎の二部隊は、本 多忠朝勢と小笠原勢の崩れを見て、 真ッ向うから断ち割られて馬の足許にのめって来た。 と、続いて、又一人が肩をおとして矢のように突きかか 「ーーすわこそ大御所の一大事 ! 」

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の指揮する第三陣、松平上総介忠輝の第五陣と、奈良に結「いよいよ、出て来たようでござるなあ」 彼は鋏をおいて、道明寺附近の見取り図に向き直り、 集したのが四月三十日。 「それがしは、今夜半に、この平野を発し、藤井寺から道 伊達政宗の第四陣だけは、四月三十日には木津にあっ 明寺に到って敵を待つ。出来得ればそのまま国分に進む所 て、奈良に入ったのは五月三日であった。 伊達勢が何ゆえ、遅れて奈良に人ったかについては、表存ながら、万一の時には、片山から小山に拠ってひと泡ふ 裏さまざまな理由があるのだが、それには今は触れないこかす思案でござる」 その言い方があまりに淡々としているので幸村と勝永は とにする。 とにかく、伊達勢が遅れて到着したために東軍の奈良進顔を見合せた。 「後藤どの」 発が五月五日になったことだけは忘れてはならない。 東軍がこうして五月五日に水野勝成の第一陣から順次奈「なんでござるな真田どの」 : のおりには、直ちにご連絡下さるでござろう 良を発し、亀瀬越え、関屋越えの進路をとって国分に向っ ているという知らせが、天王寺にある幸村の許に届いたのな」 : これはしたり , 戦は敵の出方次第。背 は五月五日の正午近かった。 いよいよ決戦の時が来た。後藤どのと最後の打合せ後にご貴殿がお控え下さる。又兵衛は安心して働くつもり でござる」 をしておきましよ、つ」 : と、なったおりには直ちに進撃 「敵が国分に進出した : ・ 幸村は知らせを受けとると同時に、毛利勝永を呼び寄せ をさし控え、われ等にお知らせ願いたい。幸村もはじめか て、おだやかに言った。 あわ ら兵を協せて戦いたいところながら、若江、八尾の方面 に、敵方河内ロの者どもが近づいてござればそうもなりか 幸村が、毛利勝永を伴って平野の陣中に後藤又兵衛基次ねる」 を訪れた時、基次は幔幕の中で床几にかけたまま髯の手入「ハハ・ れをしていた。 基次はまた大声で笑った。 しようぎ 3

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「塙団右衛門藤原直之を、上田主水正が討ち取ったり ! 」 したがって先鋒の塙団右衛門が敵に遭遇したということ は、とりも直さず、和歌山が空になり、難なくわが手に 入るということで、戦はそれからだという判断たったの ついに塙団右衛門の奮戦中に大野治房はやって来なかっ 「もう程なく吉報が届くであろう。それから発進して充分 に間に合う戦じゃ。その方たちも前祝のつもりで元気をつ いや、やって来ないと言うよりも、この時まだ治房は貝 けておくがよい」 塚の願泉寺を出発していなかったのだ。 総大将の治房が朝酒をやりだすほどなのだ。寺のまわり 例のト半斎が朝酒を出し、治房は上機嫌でそれを傾けて に結集している牢人たちが飲まずに慎しんでいる筈はな すいがん むろん、酒におばれたというわけではなく、彼には彼でく、この頃すでに大半は、前夜の酔いがよみがえり、酔眼 も、つ→っ - っ 朦朧としていたのだ。 別の胸算用があったのだ。 治房があてにしている北村喜太夫と大野弥五右衛門の両 「先手はもはや樫井へ着いた由、われ等も出発の頃合いか 人は和歌山城に入るどころか、信達で浅野勢に捕えられて と一仔じまするが」 団右衛門からの注進が届いたので、近侍が催促したのだ斬られている。 しかし治房はそれを知らないので、岡部、塙の両勢全滅 が、治房は笑って盃を重ねていた。 「案するな。わしにはちゃんと成算がある。今日の戦は勝の注進が着いた時にも、 「そうかいよいよ参ったか。これへ通せ」 ちすぎるほどに勝てる戦じゃ。もうしばらく黙って待て」 と、弾みきっていた。 彼がそう言ったのは、北村喜太夫、大野弥五右衛門の一一 「申し上げます」 人の家臣を、和歌山城下に潜行させてあるからだった。 「おお大儀じゃ。北村・大野の両人からであろう。和歌山 この両人は、浅野長晟が和歌山城を出発するのを見定め て、すぐさま一揆の人数をまとめ、空き城を一挙に奪って城は手に入ったか」 知らせて来ることになっていた。 「いいえ、それどころではござりません。先手が樫井で戦

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まだ若いせいもある。彼の人間不信は一躍して、極端に そしてすでに彼等は無気味なのろしをあげだしている。 ニヒルな自力信者に一変した。 これに呼応して、治房はその弟道大とともに、堺を焼いて 家康や秀忠ばかりか、実兄の治長や、母の大蔵の局まで岸和田、進出し、豊家から家康に寝返った小出家の当主吉 も信じようとはしなくなった。むろん秀頼も信じていな英を踏みつぶして、この方面を固めておこうとしたのであ い。ただ秀頼を煽り、秀頼を駆って戦うのでなければ、戦る。 い得ないゆえそれを戴いているのに過ぎない。 そうした情勢の中で、板倉勝重から浅野勢に急遽進発す そうした彼が、兄や母の心の底に、秀頼を郡山に移したるよう催促があったのは、四月二十八日で、その日、堺の : という心の動きが何程かにせよあると知れば、ます街は紅蓮の炎に包まれて燃えつつあった。 まっ先にそこを焼き払って、その夢を断とうとするのは当 こうして彼の繰り出させた軍勢の、郡山と奈良方面の攪四月二十八日は、炎上している堺で、関東方の水軍、向 乱が発火点となり、続いて彼の狙ったのは、和歌山勢の挾井忠勝、九鬼守隆等が、大野治長、真木島玄蕃などとはげ み討ちであった。 しく戦っていただけではなく、京都においても危機一髪の 和歌山の浅野長晟は若くして亡くなった先代幸長の弟で大事件が持ちあがり、市民の動揺は一方ならぬものがあっ ある。豊家とは切っても切れないその浅野家の当主が、兄た。 治長や秀頼の招請には一顧も与えす、その妹を、名古屋の 「ーー大坂方から京都を焼き払うために、多くの密偵がま 義直に嫁がせて、家康に媚びてゆくというのは、許せない ぎれ込んでいる」 不潔さに見えた。 その噂におびえきっている混乱の中で、板倉勝重が、 今に見よ。思い知らせてやるぞ」 「ーー・ , 安堵せよ。放火の首謀者以下、そっくり所司代の手 そこで彼は、直接長晟を説くことをやめ、領地内の郷士で召し捕ったそ」 や、吉野、熊野などの地侍を煽って各所に蜂起させる手段 そうした布告がなされたばかりでなく、二十八日と決ま をとった。 っていた家康の出陣が、五月三日に延期されたのだ : あお