「して、その連れは ? 」 れぬ。これへ通しや」 はい。柳生又右衛門宗矩どのにござりまする」 そういってから又あわてて侍女を呼び止めた。 「柳生 : ・ 「参ったは誰であったぞ」 又右衛門宗矩は、じっと御前を見つめたままで、 「はい。遠藤弥兵衛さまと、もう一人は見知らぬお方にご 「将軍家お側に仕えまするもの、お見知りおき下されます ざりまする」 「おお弥兵衛が参ったか。ならばそうじゃ。殿が何時ごろよう」 御前は一層華やかな笑顔になってうなすいた。 江戸へお着きなさるか、知らせに来てくれたのに違いな 「やはり、殿のご帰着を知らせてくれに参られたか。さ、 一献遣わさねばなるまい。尾上、こなたそれを命じて もそっと近う」 参れ」 そして、侍女も尾上も立ってゆくと、御前はあたりを見「御台さま」 遠藤弥兵衛はうろたえ気味にひと膝すすめ、 廻しながら、 「遅かった。もう間に合わぬわ。殿のお指図は受けとう無「実は、今日まかり出まいたのは、お父上さまよりのご下 命ではござりませぬ」 かったのに・ 「はて、お父上は知らぬこと : : と、いわれるのか」 とひとりごちた。 やがて侍女に案内されて政宗の用人であり、伊達家の表「はい。お母上さまより密々のご内命 : : : そこで事情にく と奥の連絡係でもある遠藤弥兵衛が見知らぬ侍一人を連れわしい、柳生どのを : : : これもお父上の存ぜぬことでござ りまする」 て姿を現わした。 「はて、母上さまから密々 : : : とは、何であろう ? 気が 「ご機嫌うるわしくわたらせられ : : : 」 かりな。早く申せ」 弥兵衛が両手を突いて挨拶しだすのを、御前は手をあげ てさえぎった。 「おそれながら、お人払いを : : : 」 「おお、みな退っていや。尾上にも、改めて呼ぶまで参る 「お父上も母上さまもご壮健であろうな」 「よ、 に及ばぬと伝えますよう」 354
るわ」 までの戦国の武将とどこが違うぞ」 や : : : その事はもうよいわ。それより 「そうではない。い 宗達はびつくりして光悦を見直した。 「そ、それは、まことでござるか。まさか、わしをからこおぬし、この世でいちばん嫌いなものは何とあるそ」 「六、れば : 、フているのではござるまいなあ」 「何の何の。あのお方が、従来どおりの武将ならば、又 と、宗達は、まだ相手の気色をうかがう眼つきで、 : なめくじと、そし 又、怨みつらみの報いと報いで、遠からず戦乱の世に戻「この世でいちばん嫌いなものは : る。わしはもうこの世に生きているのが嫌になっての。そて、やはり雷さまじゃ」 れでおぬしを訪ねてみたのじゃ」 「フーン。やはり・、そ、フか」 宗達は、用心深く首を傾げた。 「と言うて、お気をわるくなさるなや。雷さまの中では、 彼の眼に映る光悦は、時々わが意と反対のことをいって徳有斎どのがいちばん屓じやほどに」 は人を試す癖がある。いや、その罠にかかると、きまって 「ワて、つか」 と、又生まじめに光悦は頷、こ。 そのあとは頭ごなしの「雷神ーーー」たった 「そうであろうな。わしの方ではこなたの才能も人柄も、 五 衆にすぐれた得難いものに思うて、内心ではいつも尊敬し ていたのだが、やはりそうか : 「まことで、こざるか ? 」 と、宗達はまたいった。 「徳有斎どの、これこの通りじゃ。わしが嫌いなものは雷 「何事もきちんとせねば納まらぬ徳有斎どのじゃ。その徳神ではない。あったぞあったそ、春の山で出あう長虫 : 有斎どのが、あのお方を嫌いになる : : : ちょっと信用しか蛇じゃ。あれは好かぬ」 ねる気持じゃ」 しかし、光悦の顔には、まだ笑いは戻らなかった。 光悦は、その言葉をきまじめに受け取って首を傾げた。 刀剣の鑑定書に模様を描かせたり、土産物の扇面に一々 「俵屋よ」 あれこれ批評を加えたり、香苞から、色紙のたぐいの揮毫 にまで、その絵では文字を殺すなどと、ガミガミいうのだ 「やはり嘘であろう。お前さまは、あのお方に惚れてござ しきし 297
と、その時だった。庭いつばいに陽が当たっているの 「その方は腹が立っと隠退出来る。が、わしはの、どのよ に、サラサラと急流のような音をたてて、雨がふり出した。 うに腹の立っことに出おうても、隠退は許されぬ。隠居の 「狐雨じゃ ! 」 と、家康はびつくりしたように光る雨脚を見やって舌打身でありながらこの始末じゃ」 ちした。 家康はそういってから、かたわらに侍している板倉重昌 「近ごろは何も彼も狂っておる。かようの時は心せぬと健に、 「翁に茶菓をとらせ」 康をそこなうものじゃ。ど、フじゃ、翁はたっしやであった といって脇息に身をのり出した。 カな」 「心得のために聞いておきたい。その方がいちばん腹の立 光は狼狽して首を振った。 ったは何であったそ。幾つかあろうが、順序をたてて申し 何といって毒付こうかと、心を鬼にして来ているのに、 て見よ」 相手の言葉はやさしすぎる。 ( その手で気鋒はくじかれぬそ ) 九 「ありがとう存じまする。躰の方はこの通り : 光、本日はお別れに参上致してござりまする」 家康の言葉は、光悦にとって待ち設けた好機であった。 「それを、それを申し上げても : ・ 「おお、その事ならば勝重に聞、た。そなた、この世がい やになったとのう」 「おおよいとも」 はい。どちらを向いても愚かきわまる汚辱のかたまり、 家康は、それが自分に射かけられる非難の箭とは知ら ず、おだやかな表情で頷き返した。 つくづく京に住まうがいやになりました」 「わしはな、たぶん七月いつばいで駿府へ帰ることになろ 「して、どこそへ身をかくすか」 う。帰れば、もはや再び京へ出て来ることはあるまい。い はい。おろかな人間どもをこの眼で見ずに済むところへ わばこれが今生の別れ : : : こなたの思うままを聞いておき 隠退致したいと存じます」 「隠退か : : : 羨やましいのう、その方は」 オし」 2
らご存知ないが、戦場の敵は真向かいの敵たけではない。 九 時には背後から味方にやられることもある。わかるか、将 たけ 軍家ご側近にとっては、上総さまは眩しいお方だ。それに とにかく忠輝は若く猛く、大久保長安や大久保忠隣にい 大久保忠隣や長安の事件のあとで、上総さまは将軍家にと わせると、信長に詰腹切らせられた、 って代わって、幕政を執ろうという野心を持たれておわす ご嫡男、信康君と瓜二つ」の猛将的な一面をもって 、」 0 ・ : などと、あらぬ噂を立てられたお方だ。それを真に受 その忠輝が、一挙に敵を追って大坂に入ってゆくと、天けている者が、若し日暮れから夜にかけての戦場で、この ドサグサに失い申すが、将軍家のおんため : : : などと考え 王寺ではとどまらず、そのままわが欲する城内へ猪突して たら何とするそ」 ゆきかねない。 そういわれて戻った花井主水は、これも戦場のことにあ そして「 私の占領した城ゆえ、私に下され : : : 」な どといい出しては、それでなくとも、秀忠の側近たちに警まり馴れない能役者あがりの家老なのだ。それに、前から 玉虫対島、林平之丞などが反対しているので、忠輝ははや 戒されている忠輝は、思わぬ敵を作ってゆくであろう : る心をおさえて、皆川広照の追撃を許さなかったものらし 政宗は、そう考えて止めたのだといっている。 が、果たしてそうであったのかどうか ? むろんこれだけではまだまだ割り切れない疑問が無数に とにかく、このおり片山にとどまり、円明村に泊まっ 残る。 : と、そのことを理由にさ て、西軍を追うことを怠った : というのは、片倉勢と奥山勢をあれほど奮戦させておき れて忠輝の生涯は葬り去られることになったのだから、こ ながら、伊達政宗はいよいよ真田勢が誉田の森に引きあげ の問題の謎は大きい。 忠輝が花井主水を政宗の許へ遣わしたおりに、政宗はこると、水野勝成から、 ういったと伝えられている。 今こそ追撃の好機と思うゆえ、一緒に進撃して「し 一そう申し入れられて、きびしくこれを断っている 「ーーー・大将というものは、まっ先に出るものではないと、 「ーーーわが隊はカ戦して、士卒みな疲れてござれば、これ そう申しあげよ。また上総さまは戦場にお馴れなさらぬか
はい。このままでは姫さまの方から火が付きかねませ 「あなた様は公儀相手に戦をして、勝てるとお思いなさり ぬ。この儀は如何遊ばすお気で」 まするか」 御前はそっと眸を閉じた。 御前はゆっくりと首を振った。 必死でそれを案じている : : : その証拠に閉じた瞼がこま 「勝てぬこと : : : 殿がようご存知であろう」 「ならば : かく痙攣しているのがわかる。 : ならば、何故このようにわざわざ相手を怒ら 「姫さまは今日か明日かに、必ず天海に会いましよう。天 すようなご所業を : : : 」 海僧正はいま、川越から出られて増上寺にご滞留の筈でご 御前はそれには答えず、 ざりまする」 「そうじゃ。届け出するおり、もう一言申し添えておくが 「弥兵衛よ」 「そうじゃ。折角ひさしぶりのご帰国ゆえ、あれこれと国「こなた公儀へ届け出た足で、浅草の奥方の許へ廻るがよ しかし、公儀にご用もあらば、即刻 し」 許の用を片付けた、。 出て参りまするゆえ、遠慮無うお申し付けありたい : : : そ「そして、天海に会うのは思い止まるようにと : う申し添えたらカドが取れよう」 御前は又ゆっくりと首を振った。 「なるほど」 「いったん思い立っと奥方も又殿のお子、並みのことでは 「殿はな、こなたや、わらわが居ることゆえ安心している 思い止まるまい。そこでこう申すのじゃ」 のかも知れぬそ」 いとのよ、つに・ 弥兵衛は又はげしく舌打ちして、 「とにかく公儀へは届けおかねばなりませぬ。したが、そ「わが家の殿は、上総介さまご処分のことに腹を立て、公 儀と一戦する気になり、鷹野から一気に国許へ走られた。 れで事は終わりではござりませぬ。もう一つ大事なことが そうじゃ、虎のようなお方ゆえ、千里ひと走り : : : むろん ごギ、りまする」 上総介さまとご談合のうえの事であろうと : 「上総介さま奥方のことであろう」 381
「上様には、或いは城を出でさせられて、陣頭に立とうと ござる」 「ほう、そのような目印まで、立ててござりましたか」 遊ばされることがあるやも知れぬ」 静かな声でそう言って、チラリと治長の方を見やった。 「さすがに家康、油断のない戦上手で」 : それをうかがって気力が出まいた。その家康の 「しかし、相成るべくは、それはお止めせねばなるまい 首、明日は誰の手に落つるか」 何故かわかるであろう」 しかばね 気がつくと涙をおさめた大助幸綱は、この時そっと立っ : をし。乱戦の中に死屍をさらせるは恐れ多いゅ て末座へ坐り直していた。 「さて、そこで配備の人数割りでござるが」 「如何にも。それゆえ、そなたはお側を離れては相成ら 幸村が、図面のわきに到着帳をおいたところで大助は声ぬ。しかも尚お上様が出でて戦おうと、仰せられて止まぬ をかけた。 時には、そうだ : ・ : 警護役の奥原信十郎に相談するがよ 「お父上 ! 大助は城内へ参りまする」 し」 「おう、わかったか、そなたの役目が」 「信十郎豊政どのに」 「↓よ、ツ 0 大助は決して死に急ぎは致しませぬ」 「あのご仁はご年輩ゆえ、おそらくそのおりの判断に誤り はござるまい。そして、奥原信十郎が意見に上様がお従い 「上様が生きておわす間は、大助、必すお側にあって、お申す場合は、こなたも無条件でこれに従い、生死何れへな 父上と二人分、きびしくご奉公致しまする」 りとも、謹しんでお供申し上げねばならぬ」 「それが頼みたかったのだ。そうか : 「相わかってござりまする」 はじめて幸村の眼に光るものが感じられた。 「他に一一「ロ、つことはない。し 呉々も父の子であることを忘れぬ よ、つ : : : では、 ( 仼かっしやるがよい」 十三 一座の中には何時か鼻をすする者が殖え、誰も立って出 幸村はしかし、声も曇らせなかったし、落涙を見せるよてゆく大助に声をかけ得る者はなかった。 、つなこともなかった。 大助が出てゆくと、幸村は磊落に笑った。
主人の屋敷まで、御成り下されましようか」 「さあ、今のままでは如何でござろうか」 「ご貴殿は先程、血の匂いはせぬか、と仰せられましたな 「今のままでは : あ」 こたび 「如何にも。今度のことは、みなが本気でかからぬと、大「さよう。遠藤どのもご承知でござろうが、今度の、止 坂の二の舞いにもなりかねぬ。そうなっては折角の大御所介忠輝さまのご処分も、もとはと言えば伊達家にある : さまご苦悩の果てのご決断も、将軍家のお心遣いも無駄にそれがしは、そう見ておりますので」 「フーム」 なります」 再び弥兵衛は低く唸った。 「それと : : : それと、ご当家の御前を、天海上人に会わせ 何のことはない、柳生宗矩ははじめから悉皆事情を見抜 るのと、どのような関わりを持っ : : : と、お考えなさるの いて来ているらしい。そうなれば、彼も又裸でこれに対し で ? 」 いや、対してゆくと見せかけるより他に応対の 「遠藤どの、御前はあのとおり、婦道を踏んで一歩もひかてゆく : しよ、フはなかった。 ぬお覚。真剣そのものでござりましよう」 「それゆえ、これを上人にお会わせ申しては : 「柳生どのは、そこまでご存知で、それで天海上人に会う がよいと仰せられる : : : ? 」 「それが誤り、お会わせ申して、腑におちさせる : 「如何にも。伊達政宗という器量人に、もしも思案を変え 工は、後々のためになりますまい」 遠藤弥兵衛はまっ蒼な表情のまま考えこんだ。いや、考させ得る : : : ほどの人物、と、申せば、天海上人をおいて え込んだ理由を見破られまいとして、自分もあわてて椀にはござるまいからの」 「われ等主人の思案を変えさせる : : : 」 飯をすくいこんだ 「はい。もはや天下は、徳川家のもとで固まりました。 「柳生どの」 、二の器量人の策動でどうなるものでもない。長い戦国 「何でござるな」 「つかぬことを伺いますが、将軍家は、われ等主人が、江の時代は去って泰平の世がやって来た : : : 肚の底から、そ 戸屋嗷改築をおりにご招待申し上げておるとおり、われ等う理解させ得るお方が他にあろうとは思われませぬ。ご当 364
しかしポルロはすぐには立てなかった。 そして長柄を一本持参させて小雨を避けさせ、 「先刻、お坊さんは、まだ城の中に誰か残っているといわ 「さ、ここに床几がある。おや、腰が抜けてしまっている のかい : あまり強くない坊さんと見える。さ、手れたの」 を貸してやろう。立ちなされ」 人懐っこく、法衣の裾の泥を拭いてやりながら話しかけ 助け起こされて、ポルロは、胸で十字を切った。 「あなたはやさしい : どうやらその頃からポルロも落ち着きをとり戻したらし : 太守に申し上げます。ご恩寵のあ るよ、フに」 し。怖えた視線を周囲に泳がせながら、 : それには及ばないよ。おれは手柄は別に立てて「そのことでございます」 口調もいくぶんはっき、り・した咸じになっこ。 いるからの。したが、お坊さんは、お殿さまとはよっぱど ご懇意なのかい ? 」 「トルレスと申します、私と同じ神父が残って居る筈でご 「そうです。フィリップ三世陛下の軍艦の到着を、今か今 ざいます。この方は後藤基次さまをたずねて城へ人り、す かと待った間柄です。いい っと有難いお説教をつづけて来られました。勇ましいお方 え、きっと来ます。来るまでの 辛棒です」 で、こ、います・」 そういうと、ポルロの今にも溶けてしまいそうな眸か 「すると、そのお坊さんも、戦ったのかね」 ら、すっと涙が糸をひいた。 いえ、とんでもない、神父は武器はとりません ! た た一日も早くフィリップ陛下の : : : 」 五 しいかけて、ふっと不安そうにあたりを見廻して口をつ ぐんだ。 「寄るな寄るな。殿がごねんごろにわたらせられるお坊さ んだ。見世物ではないそ。無礼があってはならぬ。寄る 「何たね ? そのフィリップ何とかというのは」 「いいや、いいのです。ただ、 正しい者が勝つように、お 祈りしてあれば、それでよいのです」 ポルロの泣き顔を見ると、若侍は手を振って人を散らし 「正しい者が勝つようにか : : : それならばちゃんと勝っ ノ 9 つ
と、その時だった。 「カルサどの : : : カルサどの、とは何誰のことかな ? 」 「このご←」は ? 」 「将軍家のご舎弟で、大君のお子さま、伊達の太守の婿ど おくれて馬でやって来て、声をかけたのは、伊達阿波で のでございます」 あった。 「おお、松平上総介さまのことか」 じっこん 「はツ。お殿さまご昵懇の、大坂城内にあったポルロ神父 「はい。そのカルサどの : : : このお方にも、江戸で一度お 目にかかったことがあります」 という方にて、只今お殿さまにお取り次ぎ申し上げている ところでござりまする」 「その上総介忠輝さまならば、今日もご一緒じゃ。いわば しゅうと 「よこ、ポルロ神ハ乂 : : : 」 舅さまのわれ等の殿が、戦の駆け引きの指南役、軍勢も 阿波は小首をかしげて馬をおりると、手綱を小者の手に 何時も一緒での」 「それはそれは。いや、ご発明なお方でございました。そ渡してポルロのそばへ近づいた。 「ポルロ神父と申されるか」 うですか、カルサどのも太守とご一緒で」 「はい。伊達の太守のお申し付けにて、大坂城内へ神のお 「ここでも床几場は一つになろう。するとお二方とも坊さ んの話を聞いて居られるかも知れぬ。そうか、上総介さま声を届けに参っていた、ポルロでございます」 「なに、太守の申し付けにて : : : 」 もご存知とは仲々顔のひろいお方だ」 「はい。あなたさまは ? 」 「すると、この隣の軍勢が、そのカルサどのの軍勢で ? 」 しかし阿波は答えなかった。 「いや、隣はそうではない。隣は蜂須賀どのの軍勢だ。ま 一瞬だったが鋭い目になってあたりを見廻し、それから さか蜂須賀どのはご存知あるまい」 「ハチスカ : : : よう存じて居りまする」 一層身を近づけた。 「貴僧、何の怨みがあってあらぬことを口走られるぞ。伊 「よに、ご存知か岬」 こんどの戦になる前、布教に参ってお目どおりし達政宗の内命を受けて大坂城内に : 「いいえ、あらぬことではございません。よくよくご相談 たことがあります。そ、フでございますか、ハチスカど の、フえにて : : : 」 たいくん 793
: と、申すと、並々ならぬお 「この世に二人とはない : 室は高台院さまや大御所ともご懇意で、そちらから手を廻 方。とにかくその名を明されよ」 せば、井伊にせよ、板倉にせよ問題はあるまいと思ったの 「そ、それは、申し上げられませぬ ! 」 あわててさえぎる乳母の姿に、田中六左衛門はしまっ そこで到頭最後の切り札のつもりで、引き立てられて来 と、ほそを噛んだ。 た国松をかばっこ。 「無礼しやるな。そなたたちの手をかけてよいお方ではな 世に二人とはない高貴のお方 : : : そんな言い方で相手の 興味をそそっておいて、名前を告げすに済ませる筈のもの いそ」 わっぱ ではない。 「では何者なのだ。この童は ? 一 「申し上げます。これには深い事情がござりまする。所司 田中六左衛がハラハラしながら黙らせようとしたのだ 代板倉伊賀守に直々申し上げとうござる。何卒よしなにおが、もうその時には、威猛高に乳母は国松の名を口走って しまっていた。 取り計らいのほど」 「恐れ多くも、このお方は豊太閤さまの御孫国松君なる その時もう別の一隊は、宗語の伜と国松を昼寝の部屋か ら連れ出していた。 「シーツ」と六左一物門はさえぎったが、さえぎり ) 襯せるこ 四 とではない。材木屋の前は黒山の人だかりで、 乳母の砥石屋の弟後家は気の強い女であった。同じ伏見「えっ ! ではあれが右大臣さまの : : : 」 めのと しま、京・大坂で、最も いっせいに人々はわき立った。、 の商家の出で、それが大坂城での乳人奉公を経て来ている 市井人の興味をそそる悲劇の主人公の業場なのだ。 ので、今ではすっかり「忠義 , ・ーー」が板につき出してい 「ーー国松君が捕まったそ」 「ーーー国松君が : : : 」 いや、それよりも、秀頼の子と言えば下ッ端役人などは 恐れ人って手も出せまいと錯覚していた。 そして、その噂はそのまま京極家の存亡につながる大事 彼女のうしろには、京極家のご後室がついている。ご後になってしまった。 ミ」 0 25 イ