まいとすれば順路は自然に決まってくる。高田から越中へ 倒して、別の太子忠輝を擁立することに決定した。よっ て、前約を守るため、軍艦兵員を至急日本に送られんこと出て、加賀、越前、近江、大津 : : : と進むが、最短距離 じゃ。それを忠輝は、越前から近江へ出て、美濃から伊勢 へまわっていった。そして、伊勢、伊賀から大和へ出て、 という露骨なものであった。 : これで肝心の戦に遅れたのた 勝重は、そうした一連の事件に一つの大きな疑惑を抱い金剛山越えをして大坂へ : から、これをそのままには捨ておけまい」 ている。 ( これには大きな影の演出者があり、それが単純な戦国武「でも、それは伊達どのがお側にあって : : : 」 「そのことじゃ。誰が側にあろうと、このような大迂回を 将を、うまうまと罠にかけたものに違いない ) と。 してのけて戦機を誤る者に武人の資格は無いであろうが」 その演出者は、果たして、ソテロであったか ? それと も大久保長安か、伊達政宗か ? 九 何れにせよ当の忠輝自身は、関知しない間に、この御家 家康の眼に又々涙がふくれあがった。 騒動の主役を割り当てられてしまっていたのだ : 勝重は何となくホッとして、言われる前にまた丁字を除 ( 間題の根はやはりそこに発している ) そう思うと、忠輝も哀れであったし、家康も気の毒でな 切支丹間題か、長安事件を言い出されるのではないかと らなかった。 案じていたのに、今度の戦のことだったのでいくぶん心が 「上総介はのう、やはり許しておけぬ者じゃ」 軽くなった。 家康は、顔いろの変わった勝重から視線をそらすと又い こんどの戦の遅参だけならば、何とか取りなしようがあ 「よいか。忠輝の、今度の出征、郷国からの順路がわるるであろう : 「よいか勝重」 し」 家康の声には力が無かった。 「出征して来た順路と仰せられますると : 「罪状は、この遅参の他にあと二点じゃ。もう一つはそ 「よいか、高田から大坂攻めにやって来るのだ。戦に遅れ 3 ノ 4
: 月の浦から船を出したのはな、うるさを待って撃滅すれば、当今の世界はそっくりわれ等の手に 味方する。 い南蛮人をそっくり東にして日本国から追放し、徳川家の入る : : : いや、惜しい餌を掃除してしまったものだそ」 天下の安泰を計ろうためだ。そのようなことは将軍家も大 御所もようご存知 : ・・ : みなご相談のうえのことゆえ、気違 一方は掃除と言い、一方は丁重に保護してやれという。 い坊主の狂い言など、誰が信じてゆくものか」 とそこへせかせかと出て来たのは城代の片倉小十郎であ伊達阿波と片倉小十郎の言葉は、表面の意味からは正反対 つつ」 0 の意見であった。にもかかわらず、彼等は笑い合って、そ 「どうしたのだ。殿をよう知っているとか申す切支丹の神のまま打ち込まれたばかりの柵の中に消えていった。 事実大坂城内には落城数日前から奇怪な噂がながれ出し ハ乂は ? ・」 どうやら小十郎は、政宗たちと相談を重ねて出て来たのていた。 ・トルレス神父はポルロ その噂の源は何処であったか ? 右頬のかすり傷にテラテラと膏薬を光らせて、若さと精神父から聞いたと言い、ポルロ神父は、トルレス神父が、 ヂ」日月、、亠丿、」 0 この秘密をよく知っているといいふらした。 、、ーぐ日ド . し、刀ーュ / 悍さにあふれた語気で阿波 他でもない。いざ落城という時には伊達政宗の陣中へ駈 「掃除は済んでござる」 け込めというのである。伊達政宗は決して徳川方ではな 「掃除は済んだと : く、どこまでも切支丹信者の味方なのだ : 「されば : : : 殿がお会いなさるほどの者ではあるまいと存 したがって城中に身をおくことが危険と思われる事態に じたれば」 ひそ なったおりには、伊達の陣営に身を秘めよ : 「それは残念な」 いや、それだけではなく、彼等の間では、 小十郎はニャリとして声を高めた。 「ーーー大坂城が落ちるようなことはない ! 」 彼等を 「丁重に保護してやれという殿の仰せであったに。 という希望的な観測にもなっていた。 大切に保護してあれば、或いはフィリップ大王の大艦隊と やらが、はるばると日本までやって来るかも知れぬ。それ落城 : : : というような事態になれば、その寸前に、伊達 795
「まあそれを言うな。何と挨拶して来るかじゃ」 「何しろ双方合して三万以上の大軍のこと、あるいは幾分 そこ〉へ、先刻の取り次ぎが戻って来たが、政宗は会うと眼の届かぬところもあったやに思われる。して、神保どの は一言わなかった。 はご無事かの」 その代わりに、伊達阿波守と名乗る武士がニコニコと笑「戦死じやわい ! 」 いながらやって来た。 と、もう一人が大地を踏んでわめき返した。 「いや、戦死ではないー 同志討ちに倒れたのじゃ。何と してくれる気じゃ」 「なに、神保どのは討死 : : : ではご子息なり、ご兄弟なり 「伊達家の副将、伊達阿波にござる。主人名代としてお目 にかかつつ」 「それもみな、伊達勢に殺し尽されたわ」 阿波守は、おだやかな笑顔で両人を空家の軒下に手招く な 、こ子自も〕」 と、小者の持参した床几にゆっくりと腰をおろし、 「混雑のおりから軍列はそのまま進めよ」 「子息も一族もあるものかッ二百八十八人、戦場へ参って 死骸を見るがよい。何れもうしろから鉄砲玉のつるべ と、取り次いだ侍たちに手で示した。 ち、さもない者も手傷はみな背後からじゃ」 「神保出羽守のご家中と申されたの」 「如何にも。何故あって昨日の戦に、伊達勢は、越後勢と と、相手は首を傾げた。 共にわれ等の背後より、鉄砲を撃ちかけ、更に槍ぶすまを つらねて襲いかかりしゃ ? 血迷うにしてもあまりの所「するとそれは、敵に背を向け、算をみだして退却して来 業、ご所存を承りたい」 : と、考えられないこともあるまい。伊達勢が同志討 上村河内と名乗った男が、眼をひきつらせて詰め寄るちした証拠でもござるかの」 ・、、こ 6 らっしや、 われ等は小勢なりとて、敵に 「ほ、つ、さよ、つなことが、ごギ、ったか」 うしろを見せるような者は一人も居らぬわ。みなみな明石 相手は始めて聞くという面持で、 勢に槍をそろえて立ち向かってあったのだ。その背後か 一三ロ 186
よ」 0 いや、その斉射があたりの山河をふるわしてとどろき渡は : しかも、この緒戦は、味方の士気の鼓舞をめざしてわざ ったときには、戦場の空気は完全に一変していた。 」川勢の浮足は喰い止められ、彼等の敗勢が、そのままわざ買って出た一戦なのだ。退くことなど思いもよらない。 おとり 同じことが、この時、片倉勢の中でも当然大きなおどろ 見事な誘いの囮に変わった結果になっている。 真田勢が自信満々に槍をそろえて突撃してゆくと、敵もきになっていた : さるもの、十数分の激闘でサッと兵を引いてしまった。両 五 者の距離は五、六丁もあろうか。 「仲々あざやかな用兵ぞ。敵を見きわめよ。何れの手勢おそらく伊達勢の方でも真田勢との決戦は避けたかった のに違いない。 幸村は、立ち直って、これも向きを変えている北川勢を 道明寺ロの正面にあたるいちばん北には水野勝成と大和 点検しながら声をかけた。 勢の諸将をおき、その次には本多忠政の伊勢勢、松平忠明 「はい。敵は音に聞こえた伊達勢の、片倉小十郎が手勢にの美濃勢とおいて、いちばん南の誉田村めざして進んで来 、一」ざりまする」 たのが伊達勢だった。 」川宣勝に答えられて、 ところが、真田幸村もまた、道明寺ロの正面を避けて同 「なに、片倉か : ・・ : 」 じく誉田村へ出て来てしまった。そして、両者ははしなく さすがの幸村もこの時ばかりは凍り付いたような顔にな もここで激突しなければならない破目におかれた。 つ、 ) 0 それでも片倉小十郎は独断を避けて部下の将に相談のか 「そうか、片倉勢であったのか : たちを取った。 さあ敵は前面にわれ等の選ぶに任せている。どの軍 戦国の戦場にはつねに予期しない無情な伏勢があるもの 勢に立ち向かうぞ」 」川宣勝の軍勢はすでに真田勢と重なり合ったが、その ( 幸村がみずから避けたいと希っていた婿の手勢 : : : ) それがいきなり彼の煎面に立ちふさがって来ようと右手には山川賢信、その左には福島正守、大谷吉久、伊木
先進させなかったことも又事実であった。 政宗の大軍が秀頼方に寝返って、戦の局面は一転するとい うのであった。 「ーー大将というものは、決してまっ先に出て戦うもので こうした噂に何の根拠があったのか ? それはついに解はありませぬ。若しも味方に意趣討ちをかけられたら何と 信者と共に身を寄せ致すや : : : 口外しにくい事ながら、将軍家の旗本には、婿 明されないままに終わったが、城内こ言 どのの器量をそねみ、隙あらばと生命を狙う者がたんとご ていった宣教師や神父たちは、みなそれを信じていたらし ギ、るぞ」 この一言は、やがて家康の耳に入り、忠輝自身の運命を 或いは神保出羽守相茂の一隊が、伊達勢との同志討ちの ために全滅して果てたという事実の中にも、この噂が何か大きく狂わす原因になったのだが、とにかく伊達の信仰は かくれた原因になっていたのかも知れない。 ただの弱肉強食以上に異端であった。 とにかく神保勢の中には、他にまだ二、三生き残った者 ポルロ神父は、隣の蜂須賀至鎮の陣営に逃げ込んで危く があり、 難をまぬがれたが、その他の信者で、政宗をたよった者は 6 「ーー・・・・神保出羽守主従を討ったのは伊達政宗の三万の人数殆んどそのまま消えてしまった。 にまぎ、れ・もない」 何故であろうか ? と、訴え出たが、 政宗は一笑し去ったと伝えられてい 改めて考えるまでもなく、この頃の政宗はまだ天下掌握 る。 の野望を捨てきれない、精悍な猛虎であったからだ。 「ーー・政宗の軍法に敵味方の差別はない。たとえ味方たり そしてこの猛虎もまた婿のあとを追うようにして翌々日 ようしゃ とも先手に崩れかかる者は容赦なく討ち取る。さもなくば京都へ入った。 わが大軍も共倒れとなって忠節は尽くしがたい。若し将軍 せんさく 九 家からご詮索もあらば、わし自身が申し開きをしよう」 家康も、秀忠も、むろんそのことで政宗を責めはしなか 伊達政宗が、二条城に家康を訪れたとき、家康は、もは った。、、こが、 オその政宗が、当日の戦で、しきりに前へ出よや一人で起居もあぶなさそうな疲れきった老爺に見えた。 むねのり うとあせる婿の松平忠輝に、全く正反対のことを言って、 その老爺が、柳生又右衛門宗矩を呼びつけて、ブップッ
御所さまのご断定なりや、それとも板倉どののご意見なり 「はい。何でごギ、るな ? 」 : 伊達 : : : どのに戦意ありとご覧なさるか」や。その儀を先ずもって承りとうござる」 「さよう。有るにも無いにも、はじめからあのご仁、戦意勝重はおごそかに答えた。 「恐れながら、双方一致の意見でござる」 など捨てては居らぬと思うています」 「さらば次にお間い申す。それが、上総介さまご処罰なく 「ふーむ」 「今度の戦ぶりもまことに奇ッ怪。道明寺河原の戦には間ば、何として戦になるや ? そもそも戦は、仕掛ける者と に合わず、茶磨山攻めのおりには味方の神保勢をみな殺し受けて立つ者とによ 0 て開かれる。伊達より仕掛けるが先 に仕った。いや、それだけではござらぬ。ひそかに黙契あか、それともわが方より討伐に向うが先か ? 又そのキッ った神父ポルロと申す者が、陣中に駈け込んで助けを乞うカケは如何 ? 」 勝重は思わず微笑しそうになり、あわてて表情を引きし たを謀殺しようとして蜂須賀の陣に取り逃してござる」 めた。訊ねたい事の意味はよくわかる。が、それにしても 「この神父のロ述によれば、大久保長安に、ああした事件何と性急な凍りついたような姿勢であろうか。 「ご質間は三つのようでござるが、その何れにもせぬため を起こさせた張本人はみなこれ伊達 : : : つまり事件は、あ 大御所は、上総さまを犠牲になさるお覚を決めさせ のご仁の胸中にまだ脈々と活きてあった : : : おわかりなさ : ここが大切な話の芯でござればお忘れなく」 られた : るかな勝隆どの」 「ふーも」 松平勝隆は、はじめてコトリと盃をおいて勝重に向き直 っこ 0 「上総さまのご気性はご存知の通り : : : 誰の眼にも将軍家 より荒く勝気なお生まれつき。兄君の家来の長坂某まで斬 十六 り捨てなされた。このご気性が、悲しい天命の一つでござ ろ、つ」 「板倉伊賀守どのに借間申す」 : の、つ」 「天命・ それは不思議な若さの切口上だった。 「いまのお言葉 : : : 伊達政宗に叛心ありとのご断定は、大「それが伊達政宗の感化をうけると何うなるか ? 大御所 324
て、大御所は、わが子に永対面禁止のご処分をなされたのをお断ちなさる : : : さすれば伊達公もまた考え直してくれ るであろうというお心がおわしてのことゆえ、仮に将軍家 でごギ、る」 や、腑におちましたら弥兵衛も男が、血気に任せて討とうとなされても、大御所さまはお止 「腑に落ちませぬ ! い 一匹、決して柳生どのを裏切るようなことは致さぬ。するめ遊ばす : : : おわかりでござろう遠藤どの、大御所さま きず は、そのように、真向ひたむき、真剣そのもののお方なの と : : : 大御所は、わが子を罰しても、伊達家には瑾はつけ でごギ、るぞ」 ぬと一一一口わっしやる ? 」 「そのような、ご思案のようにござる」 「そこがわからぬ ! 大慈大悲の神仏ならばいざ知らず、 遠藤弥兵衛はジーツと視線を柳生宗矩に向けたまま瞬き 何時か隙あらばとわが家を狙う曲者を、わが子を罰しても もしなかった。 助けておくいわれはない。これにはまだまだ底があろう。 さ、その底の了見をお聞かせ下され。決してご貴殿は裏切 ( 家康が、伊達政宗に叛心を捨てさせ得なかったのは、わ が身の不徳と、自からを責めている : : : ) りませぬ」 したが、そ 一一葉としては、満更わからぬわけではない。 、。こ。こ遠藤どのは大御所さまを 「裏切るも裏切らぬもなしオオ、 のような寛大な人間が、果たして地上に存在するものであ 知らぬまで : : : 大御所さまは、伊達公ほどの器量人に、今 日まで、叛心をおさめさせ得なんだのは、わが身の徳の不ろうかという疑念は残る。 ( これは容易ならぬ罠のうえの罠、策謀の上の策謀ではあ 足であったと、ご自身を責めておわす」 る寺 ( いカ ? ・ 「な、なんと一一一一口わっしやる」 宗矩は、それを察したらしく、弥兵衛の眼をまともに見 「徳川を姓となされて生涯自戒を怠らぬお方。それなれば こそ今日の泰平を招来なされた。したがって上総介さまを返しながら苦笑した。 「遠藤どの、兵法の話を仕ろうか」 伊達家の婿としたのも、両家永代の和合を願ってのこと。 ところが、その婿舅の関係が、却って伊達公の叛心を助長「是非とも、伺いとうござる」 させる因になった : : : そうご自責なされて、誤った縁組み「兵法者両人が、互いに白刃をもって向かいあったと致し もと 6 6 3
」などと言いだしたのかも知れない。 に好意を持って生きている : : : そんな風に信じきって甘え ( 不覚であった : ていた。 何時か忠輝は、眼を閉じたまま泣きだしていた。 ところが世間の実際は逆であった。 こんな間題が起こっているとも知らず、遊女を招いて酒 兄には兄の立ち場があり、父には父の理想がある。伊達 政宗が、自分を空しゅうして婿のために犠牲になる筈もな宴をしていた自分のうかっさ , 妾腹ながら伜が出来たと喜びきって、生母に、まだ大坂 ければ、第一世間が、忠輝のためにある筈のものではなか 城のことなど訊ねさせようとしていた愚かな自分 : ったのだ : そう言えば、二条城で散々父と言い争ったおり、父は彼 それにしても、手きびしすぎる。 勝隆の言うとおり、これはただ父との対面を禁じられを許すなどとは一言も言ってはいない。それどころか、王 道と覇道の相違がわかるかと、実は叱られたままであった。 た、だけで納まることではない。 それを忠輝はひとり合点で、言うだけ言ったのだから、 ( 次がある : : : ) 勝隆は、切腹か、それとも伊達討伐のお先手か、と言っ済んだつもりになっていた。 たが、その前に、まだ無数の思惑と、無数の間題が介在し ( 自分の方はあれで済んだが、父の心は少しも済んではい よ、つ なかったらしい 「勝隆よ」しばらくして、忠輝は縋るような声で言った。 父は永対面禁止。 「そなた、兄上の処分のことは耳にせなんだか」 だが、当主である将軍家の処分はいったい何うなるの 「↓よ、 0 、、 伊達政宗は、果してソテロにフィリップ三世へ援軍派遣「耳にしているな。どうなろうかの」 「されば、将軍家は大御所さまへのご遠慮がござりまする などを命じてあったのだろうか ? : と、お考えなされましよう。い あったとすれば、それが到着したらどんな騒動が起こるゆえ、なるべく軽く : や、それを知って、大御所さまから先にご処分を仰せ出さ というのだろう : : ここに親の慈悲が秘められてある : : : と勝隆は存 いや、その騒動を見通しているゆえ、父は「伊達討伐れた : 344
大声で見得を切り、それから引き揚げたと伝えられてい 以上戦うことは無理でござる」 水野勝成は、とにかく道明寺口一番手の総大将なのだ。 戦っている点では決して四番手の伊達勢におとるものでは むろんこれは味方の士気を煽るためであったろう。しか しその裏に、幸村だけは、政宗のこの日の肚を見抜いてい ない。にもかかわらず、彼は、追撃戦をきびしくことわっ たんか て同時に、新手の第五番手、松平忠輝をも動かさせなかって、そのうえの啖呵であったとも受け取れる。 たのだ。 ( ー・ー伊達勢にはもはや、われ等を追う気はない ) そう見きわめなければ幸村ほどの者がこのような見得は いったいこの老雄の肚裏にある作戦は何であったろ 切るまい 逆説すれば、この日西軍の引きあげを助けたのは、まぎ 或いは政宗の方でも又、後日家康への言いわけのため 、片倉小十郎をいちばん強い真田勢に立ち向かわせてお れもなく伊達政宗であったといってよい。 真田幸村は、こうしてしばらく誉田の森にとどまって松 いて、もう一日、大坂の運命を見る気であった : : : のかも 平忠輝の越後勢動かず : : : と、見てとると、毛利勝永の銃知れない。 隊をあとに残して、附近の民家にいっせいに火を放させ とにかくこうして五月六日の戦は終わった。 この日秀忠は、前夜藤堂勢の陣取っていた千塚に進み、 この火で逆襲と見せかけて、その間隙を縫って引きあげ家康は星田から枚岡にすすんで宿営した。 よ、つとい、フのである : その千塚と枚岡の宿営に、藤堂高虎は使者を送って、 「ーー。・本日の合戦にて死傷多く、おそれながら明日の先鋒 十 は勤めかねると存じまするゆえ、ご遠慮申し上げまする」 と、届け出た。 いよいよ引き揚げる時に、真田幸村は伊達勢の先頭に向 かって、 先鋒は当時の武将にとって最上の名誉なのだから、それ 「ーーヤアヤア、百万と号して居りながら、関東勢にはつを遠慮しなければならなかった藤堂勢の打撃が、如何に大 きなものであったか想像出来よう。 しに一人の男の子も居らぬのか」 っ ) 0 る。
: いや、後日或いは思いがけぬ人を通じて、却っ 「探すなよ。敗れた者の恥じ入る姿は探さぬが柳生の心得 て褒美があるやも知れぬ : : : 」 じゃ : : : 誰が訊ねても知らぬとのう」 みんなは、そっと顔を見合わせて誰も口を開くものがな すが そういうと縋りついている新七の手を払って、奥原信 い。それほど、信十郎の言葉には切々として、胸にとおる ふしぎな力がこもっていた。 郎はそのまま小雨の街に消えた。 そして : : : そのまま永遠に故郷の土は踏まず、いまだに 「よいか。村人たちはこれからも仲好うな : : : そして、わ が家の墓をみんなで守ってくれまいか : : : わしの願いはそ村人はその墓域だけをひっそりと守り伝えている : れ一つじゃ。その方が、往生さっしやっている祖霊がよろ こぶ : : : 信十郎にも忌地があったと」 伊達の信仰 そういうと、信十郎は、視線をそらしたまますっと立っ 「ま、ま、待って下され」 新七は草ずりに取りすがった。 「それならば : : : それならば、お調べの済むまで旦那さま 「待てッ ! 伊達陸奥守どのに申すことあり。この軍列、 は、お身をかくされていてもよ、 しばらく待たれよ」 したが、それには路用が いる筈じゃ。なあみんな、これを持っていんで下され」 七日の攻城に、いちばん左翼の紀州街道をすすんで来た 「案ずるな」 伊達勢が、八日に至って城の南西から行動を起した時であ 信十郎は又わすかに笑った。 った。軍列の中央にあった伊達政宗の本隊めざして駈けこ 「これでのう、この世に当分戦はない。そろそろ街に店もんで来た二人の侍があった。 開こうゆえ、この胴丸、この刀、みな売り払うたら、そな何れも胸に采の小布はつけていたが、誰の手の者ともわ たたちより金持ちじゃ。よいか、墓地の手入れ : : : 毎年のかりかねる乱れ髪で、胴丸の下の着衣は血と泥によごれて よれよれになっていた。 ことじゃ。頼んだそ」 ) 0 184