思う - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 17
355件見つかりました。

1. 徳川家康 17

で助けを求めた。むろん伊達どのは同信のこと、一も二も 重昌はその二人とばったり顔を合わせてしまったので、 なくお匿まい下さるものと思うての。ところが、それを拒 そのまま出ては行けなくなった。 おきな んだだけではなく、斬って捨てようとなされたそうな」 「これは、建部どのに本阿弥ケ辻の翁、つかぬことを伺い 「ほう、城内にあった神父たちを : : : 」 まするが、お二人とも、ここへおいでの途中で、上総介忠 「されば、只今翁と、その話をしていたところでござる。 輝さまを、お見かけなさりはせなんだであろうか」 伊達侯のご信仰、果たして、まことのものかどうか : 「存じませぬ」 「まことの信仰、などではない、とこの光悦は申し上げた と、光悦が先に応じた。 すが 「上総さまが、どうぞなされましたので ? 何にやらひどので。伊達さまは神仏などに縋るお方ではござりませぬ。 、大御所のご機嫌にふれたとか、いま承ったところでごわが身の才覚を神仏以上と過信なされて、これを利用なさ ろうとなさるお方じゃ」 ギり・亠工す・るが」 「その事でござる」 「もう、聞こえましたか」 建部寿徳は、これも実は切支丹の信者であった。それだ 2 と、こんどは建部寿徳であった。 けに助けを求めていった神父への不実な行為に、かなりは 「昨夜のうちに、藤堂どのご家中の者から聞きました。そげしい怒りを感じているらしい。 れにしても、伊達どのの風評、困ったものでござりまする 「そもそもゼスイット派や、サンフランシスコ派の信者 なあ」 が、紅毛方のイゲレス人などに近づくは悪魔に近づく所業 「伊達 : ・・ : 陸奥守の、風評と言わるると ? 」 でござる。ところが伊達どのは、平気でこれを近づけられ 重昌は、聞きすてならない気がして二人の間に坐りこんる。ご存知でござりましよう。大坂でも、又この都でも、 伊達侯はイゲレス商館長コッグスの手代どもの出人りを許 し、上総介さまもこれに会わせて、これこそ次の将軍家そ 「いや、これはどこまでも伊達どのの責任じゃ。とにかく : などと相手を煙に巻いてござるそうな」 油断のならぬお方 : : : 実はの、大坂城内に逃げこんであっ 板倉重昌はわざととばけて、 た神父、トルレス、ポルロの両神父が、ご陣中に駈けこん 、 4 ) 0

2. 徳川家康 17

はさしずめ盗賊の大なるもの。それゆえ光悦は鷹ケ峰の新 「あれは、その後どう致したかな ? それ、本阿弥の翁が しい村には、所有せずに暮せる習慣を根づけるのだと申し ことよ」 「はい。光悦に、大御所さまの思召しを告げましたるとこて居りました」 ろ : : : しばらくばんやりと致し、それからはげしく身を揉「ほう、所有せずに暮せる村 : : : と、申すと、ただ働くだ けで暮そうという村か」 んで泣きまいてござりまする。知らなんだ、知らなんだ 「はい。みんなで手分けして、紙をすく者は紙をすく。絵 : そのようなお方と知らずあのような雑言をと : 「そうか。では喜んで鷹ケ峰一帯に、あれはあれの思うまを描く者は絵付けをする。塗る者は塗り、張る者は張り、 筆をつくる者は筆を作って、出来た品物を売った金銀は、 まの村造りをするのだな」 : こうなったら光悦も日蓮大聖人のそっくりそのままみんなの暮しに役立てる。つまり金も物 「はい。それはもう : ご趣旨に叶う、空想 ( 最高の思想の意 ) の村を造 0 てみせるも、光や水や空気のように、誰のものでもないゆえ、みん なのもの : : : そうした暮しが天地自然の暮しなのだと」 と意気込んでござりまする。何ならばご出発までにもう一 度、翁を呼びましよ、フか ? 」 四 「いやいや、それには及ばぬ。あれにそうして空想の村を 家康は次第に昻ぶって来る勝重の説明を、耳に手をあて 造らせてみれば、わしの心は自然にわかる。したが、あれ て聞いている。 はどのような村造りを考えているのかのう」 「すると、財布は、村中一つか」 家康が上機嫌でそういうと、勝重は身をのり出して光悦 はい。これを分けるゆえ貧富の差が出来る。貧富の差が の「空想」について語りだした。 「光悦は、この世の争いはみなそれぞれが貧しい富を争う出来ると盗賊やら武士やらが生まれて争いが起り戦にな 、もなければ下もな る。新しい村に集まる職人どもは て所有しようとするところに発する : : : と、申しました」 一切が職分に応じて働く同格の民 : : : ここに住む者 「なるほど。所有しようとする欲か」 は、この村の財布で安心して暮せるようにしてみせると、 「はい。それで短気な正直者は盗賊や追いはぎになり、も う少し知恵のある者は人を集めて大将になる。武士の大将それはそれは大した鼻息」 307

3. 徳川家康 17

主人の屋敷まで、御成り下されましようか」 「さあ、今のままでは如何でござろうか」 「ご貴殿は先程、血の匂いはせぬか、と仰せられましたな 「今のままでは : あ」 こたび 「如何にも。今度のことは、みなが本気でかからぬと、大「さよう。遠藤どのもご承知でござろうが、今度の、止 坂の二の舞いにもなりかねぬ。そうなっては折角の大御所介忠輝さまのご処分も、もとはと言えば伊達家にある : さまご苦悩の果てのご決断も、将軍家のお心遣いも無駄にそれがしは、そう見ておりますので」 「フーム」 なります」 再び弥兵衛は低く唸った。 「それと : : : それと、ご当家の御前を、天海上人に会わせ 何のことはない、柳生宗矩ははじめから悉皆事情を見抜 るのと、どのような関わりを持っ : : : と、お考えなさるの いて来ているらしい。そうなれば、彼も又裸でこれに対し で ? 」 いや、対してゆくと見せかけるより他に応対の 「遠藤どの、御前はあのとおり、婦道を踏んで一歩もひかてゆく : しよ、フはなかった。 ぬお覚。真剣そのものでござりましよう」 「それゆえ、これを上人にお会わせ申しては : 「柳生どのは、そこまでご存知で、それで天海上人に会う がよいと仰せられる : : : ? 」 「それが誤り、お会わせ申して、腑におちさせる : 「如何にも。伊達政宗という器量人に、もしも思案を変え 工は、後々のためになりますまい」 遠藤弥兵衛はまっ蒼な表情のまま考えこんだ。いや、考させ得る : : : ほどの人物、と、申せば、天海上人をおいて え込んだ理由を見破られまいとして、自分もあわてて椀にはござるまいからの」 「われ等主人の思案を変えさせる : : : 」 飯をすくいこんだ 「はい。もはや天下は、徳川家のもとで固まりました。 「柳生どの」 、二の器量人の策動でどうなるものでもない。長い戦国 「何でござるな」 「つかぬことを伺いますが、将軍家は、われ等主人が、江の時代は去って泰平の世がやって来た : : : 肚の底から、そ 戸屋嗷改築をおりにご招待申し上げておるとおり、われ等う理解させ得るお方が他にあろうとは思われませぬ。ご当 364

4. 徳川家康 17

敗北に通じてゆく ところが、そのあとで打ち明けた使者の口上は、重成をり そう思っている矢先だけに、治房の使者の私語は真向う 愕然とさせずにおかないものであった。 から彼を打ちのめした。 「ーーー上様は、ご自分が城から出ると、味方の牢人たちに ( すると、真田や後藤は、そうした上様のお心を見抜いて 背後から討たれるやも知れぬ : : : と、それを懸念なされて いたのではあるまいか ? ) おわす由にござりまする。いや、これはここだけのことで もしそうだとすれば、秀頼のために殉するという形をと ござりまするが、主馬さま ( 治房 ) まで、いざと言えば上 って、彼等は彼等の節操に殉する気なのた : ・ 様の首級を持って敵方へ走りかねない、そんなお疑いを持 ます っておわすゆえ、われ等がおすすめ申しては却って拙い。 重成は、心得た旨を使者に答えて、しかし秀頼には会わ : との仰せでござりまする」 日疋非とも且へ門さまに : 若し彼がそれをすすめて拒絶された場合を考えると、眼 重成にとって、これほど恐ろしい言葉は無かった。 : この重成も、心の前がまっ暗になってゆく。 ( 若しそれが、まことならば、或いは : の底ではお疑いなのかも知れぬ ? ) 重成は秀頼の御前へ出る代わりに、城内のわが家を訪れ こ会った。 て、娶って間もない妻 そして妻の手で兜の緒を詰めさせ、枕にそれを載せて香 重成はすでに、塙直之はむろんのこと、真田幸村や後藤を焚きこめさせた。 「 , ー - ー出陣のおりにはこうするものそ」 基次が何を考えているかは感じとっていた。 妻は、真野豊後守の娘で、香枕は、淀の方のお側に仕え ( 何れも生き残る気は無いらしい ) ていたおり拝領したものであった。 重成にいわせると、それは一つの感動を伴う、しかし、 妻はまっ蒼な表情で、はばかるように小さくいった。 歯痒ゆいあきらめに過ぎるような気がしていた。 「ーーーややが出来ているかも知れませぬ」 ( 何故もっと、勝利をめざして、渾身の努力を積もうとし 「ーーそうか。それは芽出度い」 ないのか : その心事がどのように清潔であっても、あきらめはやは重成はとっくに死は覚悟していた。 よ、つこ 0 めと

5. 徳川家康 17

現に大坂の役でも、宗矩は将軍の馬廻りにあってその生「その方は、柳生の言葉に道理がある : : : そう思って帰っ 命を救っている。にもかかわらず、加俸増封の類は一切こて来たのだな」 「はい。姫君のご心配は婦道に叶うた真剣なもの、天海に れを断ったという : 政宗も実はその事で将軍秀忠に、それとなく褒賞をすす会わせて納得させずばおさまるまいと」 めてみたことがある。その時秀忠はこう言った。 「その方、天海がこうした事件に介入したら、わしの肚も 「ーーあれは、誰の家臣でもありたくないという誇りを持世間に洩れると、思わなんだのか」 「むろん : ・・ : それは : ・・ : そうなるであろうと思いましてご っているらしい。家禄で諫言のロを封じられては、まこと の奉公は出来かねる。このままにしておいて頂きたいと受ざりまする」 「ならば、なぜきつばりと、姫に、それはならぬと云わぬ け付けぬ」 政宗はフフンと笑って言葉をおさめたのだが、その時かのだ。その方、柳生に誑されて参ったそ」 ら、宗矩への関心は異常なものになっていた。 「おそれながら、姫君は、あのご気性ゆえ、それがしの申 ( もっと大きな褒美を狙っているのか ? それとも他に深すことなど : い野心があるのか ? ) 「まあよいー・」 政宗は、、 しら立たしげに話題を転じて、 その柳生宗矩が、わが子の五郎八姫に、良人の生命乞い を天海にせよといい : ・ : 更に、大御所が上総介忠輝を処罰「柳生は、大御所や将軍家に戦意はないとはっきりその方 するのは、伊達政宗との紛争を避けるため : : : 泰平第一の に申したのだな」 「十 5 、ツ 考え方に出ていると洩らしたという : 「すると、戦意のあるのはわしの方 : : : つまりわしの一人 ( いったいそれは、何を考えての言葉であろうか : しばらく射抜くように弥兵衛を見つめていたあとで、政相撲で、ともすれば戦にもなりかねぬ : : : そう脅かされて 来たのであろう」 宗は又一つ大きく嘆息した。 「弥兵衛」 遠藤弥兵衛は、必死の表情で平伏した。 「ご明察の、とおりにござりまする」 374

6. 徳川家康 17

とロ叱言をくり返している。 はまた、まだ会いたいと思っている本阿弥光悦を連れて来 「なぜ、秀頼が助けられなかったのじゃ。わしは太閤に合ないというので、叱言を喰った。 わせる顔がない。いったいそのおりそなたは何としていた ( 年齢というものは不思議なものだ : ぞ」 あれだけ油断のならぬ、隙のない達人の家康が、このよ それは、日本中の諸大名を畏怖させた、あの大御所の威うに平凡で愚痴ばかりの人間に還ろうとは : 厳など、どこにも感じられない愚痴で平凡な老いばれに見事によると、大坂二度の陣が、彼の生命の泉ばかりでな えた。 く、理智も思案も枯れさせて、全く別の家康に変えてしま ( やはり、この仁もこうなるのか ? ) ったのだろうか : それはまた四十九歳の政宗には、あらぬ感慨よりも嫌悪 そんなことを考えている時に、 の先立っ老醜の姿に見える。 「そうだ。子供たちも叱っておかなければならぬぞ」 柳生又右衛門はまたそれに必要以上にヘりくたった言訳 と、家康は言いだした。 ばかり続けてゆく 「上総どのから先に呼んで来い」 ( こ奴も大した者ではないそ ) さすがにそのおりには政宗はひやりとした。 そう思って、いささか飽々しているところへ、先ずまっ 自分に預けられている婿を、自分の前に呼びつけて叱っ 先に呼び込まれて来たのが、藤堂高虎であった。 てゆく : とい、つことは、自分が叱られることでもあるか 家康はその高虎にもブップッとこばしていった。 らだった。しかし忠輝ももう子供ではない。叱れば叱るほ 「将軍もその側近どもも、わしの念仏の意味がわからぬ。 ど、それは父の威厳を傷つけ、器量もさげる結果になる これでは、わしは七十余年、何のために生きて来たのかわ : そう思うと、その結果に却って意地わるい興味が湧い からぬではないか」 ろ、つもう 藤堂高虎は、それを老獪になぐさめたり、追従したりし ( よし、遠慮はせずに、老耄ぶりを拝見して参るとする かわ て躱してゆく。 三人目に呼ばれて来たのは、所司代の板倉勝重で、これ やがて側近の板倉重昌が、松平忠輝を呼んで来た。 797

7. 徳川家康 17

なるので、さすがの勝重もおどろいて、さる占トの巧者に 立てたような太い雨脚であった。 「フーム。なるほど : うらなって貰ったことすらある。 「ーーー年廻りがわるうござりまするゆえ、くれぐれも、ご 勝重は、ようやく家康のこころがわかると、思わず頬を 崩していった。 健康にお気をつけておあげなさるよう」 そう言われた時には、ゾッとしたのを覚えている。 ( 言いたい放題のことを吐して、翁め、うまうまとやりお ったぞ : : : ) 尋常の者であったら、とっくに怒りを爆発させ、その果 洛北の鷹ケ峰のあたりは、山あり川あり、花あり鳥ありてに病みつくことになっていたに違いない。それを家康は : まことに申し分のないすぐれた隠棲の地となろう : ふしぎな忍耐づよさでこらえ続けた。 そこで気に向いた者を引きつれ、美しいものだけ作って勝すべてをわが身の油断として、早々駿府へ引きあげる代 ほうへん 手に暮らせとは、何という心憎い思いやりであろうか。 りに京へ居残り、秀忠への褒貶をわが身一つに背負おうと ( 勝負はあったそ : : : やはり大御所の勝であったわ : : : ) した。 そう思うと、勝重はわが事のように嬉しさがこみあげ その故で、本阿弥光悦のような達人までが、すべては家 康の方寸に出たものと思い込んで腹を立てている。 今日も勝重は、光悦の直言に、家康が何ほどかの釈明を 十三 するものと信じていた。そうなれば、 しくぶん心も軽くなろ 近ごろの家康の不機嫌の原因は、誰よりもよく勝重が知う : : : そう思ってわざわざ光悦に会わせたのだが、 家康は っていた。 やはりここでも一一一口いわけはしなかっこ。 いや、ただそれだけではない。あれだけ無礼な放言を浴 五月初旬の合戦開始以来、何ひとっとして家康の予期し たようには連ばなかった。 びながら、光悦に、何の土産、何の遺品を取らそうかと、 これは、もうすっかり新しい世が出来たと汕断して雷嶋の中で静かに考えていたものらしい。 いたわしへの天罰」 光悦もむろん尋常の男ではない。やがて家康の苦心と好 家康はそう述懐していたが、あまりに意志と違う結果に意を知って泣くであろう。 」 0 ほうすん せんぼく 302

8. 徳川家康 17

「生涯お目通りは相成らぬ ! と、申すことで」 なり。元和元年九月十日。以上」 「なに、生涯 : : : 何処の誰が ? 」 読み終わって、奉書を巻き終わる前に 「上総さまが、お父上大御所さまにでござりまする」 「勝隆、それは何のことだ」 「たわけめ ! 」 と、忠輝は小首を傾げて間い返した。 勝隆は黙って奉書を巻いてそれを静かに忠輝の前におい いや、子が親に 「父が子に生涯会わぬと。父と子が : : 眼の前にいる子が、その親に : : : 」 「返事をせぬか。何だと、第一は血槍の弟どもを成敗した はげしくどもりながら、次第に忠輝の顔は真ッ蒼になっ が不都合だと申したな」 ていった。 「御意」 「勝隆 ! 」 「第二は、川干しが我儘至極」 「何でござりまする。先ずその奉書をお納め下さらねば、 「御意」 勝隆、個人としてのお応対はなりませぬ」 「第三は何と申した。六十万石頂きながら : : : 」 「フーム。そうか。その方はお父上の使者であったか。よ 「不足を申し立つるは親の恩を恩とも思わぬ大たわけと、 オこっちへ納めた。さあ申 ろしい。これは確かに承っこ。 大御所さまはいたくお怒りにござりまする」 : 永対面禁止とは何のことじゃ」 せ ! これは : 「ふーむ。するとお祝儀の使者かと思うたに、おぬしは、 「そのご返事ならば申し上げました。この世ではもはやお おれを叱りつけにやって来た使者であったか」 父上に対面は叶わぬ、浅草にこのままお引きあげなされ 「御意」 「御意だけではわからぬ。その方の申す三箇条ならば、こて、将軍家より何分のお沙汰あるまで、キッとご謹慎これ のおれが二条城で、くどいはどお父上にお詫びして、すであるように : : : そのご趣旨かと心得ます」 では改めて訊ねよう、父が子に 「ほう、これは面白い に済んでいることじゃ。それに何そや : : : 」 生涯会わぬ : : : そのような、この世にあろうとも思われぬ 言いかけて、奉書を開いて、 ろうも・つ お仕置は、お父上老耄のためのたわごと、このようなもの 「永対面禁止ーー・・永対面禁止とは何のことだ」 337

9. 徳川家康 17

れほどこの忠輝が信じられませぬか」 「上総どの」 「じられぬかとは ? 」 再び家康の声はおだやかになった。 「忠輝が、又々大坂城を下されと言い出すであろう。そう 「すると、お許は、その噂に負けたのじゃな。その噂で気 がグサクサした。そこで気晴らしに川干しに参った : : : そ思うての先走ったご警戒、お聞きしたいのはお父上のご本 心でござりまする」 うであろ、つ ? 」 一瞬家康は大きく眼を瞠って嘆息した。 「そうではありません ! 」 「ほほう。ではどうであったぞ ? 父はこなたの本心が知 ( やはりこの子は、まだ大坂城にこだわりを残してい 本心を知らねば忠告も出来ぬ道理じゃ」 それは家康にとって言いようもなく悲しい無分別さに感 「お父上 ! するとお父上も、その噂をお信じなされてお じられた。 わしまするか ? 」 いま彼のいる越後の地が、日本全体の治国のためにどの 「信じたくはない。が、一一「 0 じていたと、フてもよいぞ。さ すれば、それを打ち消すための努力がなされてゆく筈ように大切な要衝か、それには少しも気づいていない あの地によっていたために、武田 そもそも上杉謙信が、 じゃ。上総どの、この噂は打ち消さずにおいてよい噂では 信玄ほどの名将でも、手も足も出なかった。その地の利を ない。家康は、天下のことに気を取られて、わが家のこと 活用して、伊達政宗の勢力の北陸への進出を防がせよう に眼が届かなんだ。諸侯の動きに一々干渉してゆきなが : そう思った家康の配慮は逆になった。 ら、足下のお家騒動には、少しも気のつかぬうつけ者であ ( この児は政宗に奪られてしまったのだろうか : : と笑われよう。どうじゃ。本心を : : : 素直な、いに そう思うとすぐには言葉も出なかった。 なって、この父に打ち明けてみてはくれぬか」 「やは , り、、フじゃ と、忠輝は吐きすてるように胸をそらした。 いまいちばん大坂城を欲しがっているのは伊達政宗。忠 「お父上ご自身がすでに疑って居られる。いや、疑ってい るのでなければ、考えあってのご発言じゃ。お父上は、そ輝を婿としてわが影響下におき得た政宗は、その忠輝を通 220

10. 徳川家康 17

: 何の不吉なことがあるものか。戦は首の取り合を頼みおきたい」 「それは仰せまでもなく、われ等の勤めでござりますれ 、じゃ。向こうで取らねばこっちで取る」 「それにもう一つ、明日は、真田左衛門佐が八人戦場に現ば」 「直次、金子を持て。供養料をな。そして、上人を高野口 われまする」 まで誰そに送らせてやるがよい」 「よに八人・・ : : 」 だきづの 家康は、その頃から次第に機嫌がよくなった。 「はい。赤ぞなえの絣おどし八領に鹿の抱角を打たせた兜 八個。それに紅鞦をかけました白馬八頭、用意は出来た : と、洩して居りましたそうで」 一心寺の存牟は、また寺域が戦場になると知って、寺宝 「なるほどの、フ」 「真田幸村八人が、神出鬼没、どの隊にも現われて督戦すを安全な場所に移し、自身は高野山へ難を避ける途中だっ たのだ。 る。敵の混乱、眼に見えるようだと」 いや、難を避ける : : : ということにしないと、途中の通 「かたじけない。いや、そのくらいの事はするであろう と、家康もかねがね思うて居った。すると、まことの幸村行が出来なかったかも知れない。 「そうか、真田左衛門佐が八人で働くか」 は茶磨山か」 つぶや 存牟が出てゆくと、家康は呟き返した。 「はい。それも全員討死の覚悟と見え、番僧どもにひどく 「敵方には、一人で八人分働こうとしている者があるとい 優しかったとござりまする」 うのに、味方には一人で、一人分働くまいとしている者が 「挈っカ 、。僧侶にやさしい兵はこわい。よくそ知らせてく れた、かたじけない。それから上人に、われ等の方からも多い」 そういってから安藤直次に向かって、 頼みおきたい事がある」 「どうだ直次、前田は一人前に働きそうか」 「何で、こギ、り・亠よしよ、つ」 直次は答えられなかった。 「明日の戦、たぶん寺の近辺は敵味方の屍の山になってゆ こう。怨親平等、倶会一処、こなたに戦場掃除と供養の儀「思うままをいってみよ」 かばね