政宗 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 17
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1. 徳川家康 17

ているわけではない : るいいわれがあろうや ? ) しかしそれは、その逆のようでもあった。、いのどこかで そうした不敵な野心と夢を消しきれず、いまだに大きな たいまっ 絶えず、もう一つの愚痴ともいいわけともっかない感情炬火を抱いている政宗に、家康は不用意にも、忠輝という 胸にわだかまって消えなかった。 油壺を与えてしまったのだ : ( 許されよ太閤よ。わしは、こなた様のお伜だけを罰する いうまでもなくこれは家康の自信過剰であった。政宗も のではない : 年と共に、そうした無謀は考えなくなるに違いない : : : そ 泰平の邪魔とあれば、何ものも除く勇気がなければならう信じ、そうさせてみせる気でした縁組みだったが、それ ぬ。その勇気を神仏はわしに求めておわすのだ : は見事にあてが外れた。 しかし、もう一人の家康が忠輝の処罰を決意させたの 政宗の覇気と野心の袋は、家康が考えているよりも遙か は、決して感情の波に押し流されたからではなかった。 に大きく遙かに強靱だったのだ : ( わしの死後、仮に天下を乱すものがあるとすれば : : : ) ( とにかく、忠輝と政宗は引き離さなければならぬ ) それはやはり第一に伊達政宗という答えが出る。 すべては、向後の泰平維持のために。 かんば 伊達政宗という人物に、忠輝という悍馬を近づけたのはの政宗に、兄の将軍秀忠を、律義すぎて話にならぬと、内 返すがえすも誤りであった。いや、忠輝だけではなくて、 心では軽んじている忠輝をわざわざ掌中に握らせてしまっ たのだ。 曾って宣教師のソテロを政宗に預けたことすら誤りだっ 政宗にとっては、将軍秀忠に忠輝を噛みつかせ、「徳川 ソテロを領国に連れてゆき、洋船建造を思い立っと、政家の御家騒動よ」と、横手を打って見物する位のことは、 宗の夢はもはや止めどなくふくらんでゆく : : : 政宗とはそまことに楽しい茶飯事に違いない。 うした型の人物だったのだ。 ( 忠輝がしつかりして居れば、それも間題にするには足り ないのだが : その根底にはむろん抜きがたい戦国人の「天下盗り病」 が病根を張っている。 しかしその忠輝は、まだ口先で王道だの覇道だのといい ( , ー・ー秀吉も盗み、家康も盗んだ天下を、政宗が盗んでわながら、父の理想や苦心などまるきり理解出来ないらし 、」 0 242

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と申し入れたが、政宗は忠輝が進むことを許さなかっ 体の大きな謎を解く鍵の一つが秘められている。 家康の六男松平上総介忠輝は、冬の陣のおりには江戸の 皆川広照 ( 忠輝の傅役 ) も忠輝に謁して、午前中戦った敵 留守居役を命ぜられ、若さを持てあましてジリジリしてい は疲れている。これから敵を討てば一刻あまりで敗走さ せることが出来よう。その敗走する敵を天王寺まで追っ それが今度は一万二千に近い軍勢を預けられ、功名心に て大坂へ入れば当然われ等は武功第一、私にその先頭を 燃え立って戦場にのそんでいる。 。ししカオく、これが補佐仰せつけ下されたいと申し出た。しかし、伊達政宗に止 むろんまだ戦に馴れているとよ、 : 、こ は舅である伊達政宗に命じられていたのだが、その忠輝められている忠輝はこれを許さなかった : が、道明寺ロの戦場に近い国分の先までやって来て、他の 何れの部隊も眼の前で死闘をくり返しているというのに、 忠輝が進出を許さなかった理由はこれで明瞭になってい 何故動こうとしなかったのか ? る。彼が花井主水を使者として、政宗の許へ遣わしたにも かかわらず、政宗がこれを厳禁しているからだ。 この事について当時の戦記には、当日の模様が次のよう では、何故政宗はわざわざ忠輝をここにとどめて、大切 し = き残されている。 な戦場の勝機を逸させたのであろうか : この時政宗が、表面では熱心な切支丹旧教の信者を装っ 「ーー東軍五番手の松平忠輝は、朝遅く奈良を出て、途 中で開戦の報告をきき急ぎはしたものの、国分を経て片ていたことはすでに書いた。 山に着いたのは午後になり、ついに戦機に遅れてしまっ そして、大坂城内にはたくさんの神父や信者が入城して いることも聿曰いた。 いや、それ以上にもう一つ、大切なことは、忠輝が、大 それを残念に思った部将の花井主水 ( 忠輝の異父姉の婿 ) は、これから直ちに西軍を攻撃したいといったが、玉虫坂城を自分に呉れと父にせがんだことがある : : : それを政 対島、林平之丞は反対した。忠輝は主水を使者として伊宗は警戒したのだろうか : 達政宗の許につかわし、政宗に代わって進んで戦いたい っ ) 0

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自 5 した。 たとし、フ・・ そうした政宗ゆえ、秀忠などは腹の中では間題にしてい ( 父は、忠輝と伊達家の縁組みを悔いているのだ : 伊達政宗が、どのような人物かは秀忠もよく知ってい まい。忠輝はその政宗の婿になってしまった。 もともと勝気な気性に、政宗の不遜さを吹き込まれて、 とにかく豊太閤も大御所も屁とも思わぬ不敵な人物だ。 忠輝もまた、兄を兄とも思わぬ放言をしてのけたのに違い 太閤の時代にこんな話があった。 あまり、政宗が人を人とも思わぬ横着さを持っているの ( それでなければ父が、将軍の世のさわりになろう : で、当時伏見城の御学問所に、太閤は、家康と前田利家とどという筈はない ) 政宗の四人で枕を並べて寝ながら、伏見中の大名を四人で秀忠はそう解すと、この場は、もはや、これ以上父に問 茶会に招待しようじゃないかと言い出した。 いを発すべきではないと思った。 四人が亭主になり、伏見城の数寄屋に、それそれ手分け 父の口から若しも「切腹ーー・」を言い出されたのでは忠 して大名たちを招待し、大いに勢威を見せてやろうという輝を救う道は閉ざされる。 のであった。 「ご意見、よくわかってござりまする。上総介儀は、老臣 そして、太閤は、政宗の受け持っ客を、客同志も仲がわどもと相談のうえ、秀忠自身が決しまする」 るく、又政宗嫌いで有名な、佐竹義宣、浅野長政、加藤清家康は、あっさりと頷いて、すぐに話題を次へ移した。 正、上杉景勝などを割り当てた。 いまに見よ。数寄屋で大喧嘩ぞ」 ところが、太閤の期待は見事にはずれて、何のことも起家康にとっても、これ以上この場で忠輝処罰の話をすす ) よ、つこ。 めるのは耐えられない苦痛であった。 そこですぐさま戦後の賞罰に話題を変えていったもの というのは、政宗が最初に出した「つまみ菜の汁ーー・・」 を煮え沸らせておいて、客たちはみな口をやけどし、箸での、その心はやはり忠輝の身を離れ得なかった。 唇やら舌やらを支える騒ぎで、口論しようにも出来なかっ ( わしは、太閤への義理にとらわれて、あれに酷くあたっ る。 24 ノ

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「そこでな、いよいよありようのない噂が噂を産んでく 方、この父や兄の苦労がわからぬのか」 る。もともと上総介は秀頼公と密約があったのだ。兄を除 いて、自分か秀頼かがこれに取って代わろうという : : : そ 「もはや尾張や遠江のとは年齢が違う。越前の忠直をご覧 なされ。わしに叱られたを忘れずに、翌日の戦では遮二無れを将軍家の方でも気付いた。そこで大御所 : : : つまりわ 二茶磨山へ一番乗りをしてのけたわ : : : いや、あれほど乱しの意志如何にかかわらず、将軍家は秀頼を許すまいと心 に決めていたなどと : 暴に戦えと申すのではない。が、同じ台地の上を進みでて いながら、中央の父や右翼の兄が、九死に一生の危機にあ「お話の途中ながら : : : 」 たまりかねて政宗は到頭口を出さずにいられなくなって る時、お許はいったいどれだけの危険をおかしたのじゃ。 お許は戦場で、雑兵どもが、何というて噂しているか存じ来た。 て居るのかツ」 いいえ、一向に存じませぬが : 「そうであろう。それゆえ、手のつけられぬたわけだと申仮にも忠輝は、舅である伊達政宗に預けられて、共々戦 したのだ。よいか、上総介は将軍家に協力する気は始めか場にのそんでいるのだ。 らないらしい。あわよくば、将軍家を戦死させ、みずから 忠輝の家老たちもふくめて、その戦略戦術では、一々政 宗の意見に従って動いて来た。 その地位に取って代わろうとしているのに違いない」 その忠輝を、政宗の前でこのように手きびしく叱りつけ 「そ、そんな、たわけたことが」 「ある筈はあるまい。が、出陣の途中で将軍家の家臣を斬られたのでは、政宗の立っ瀬はなかった。 りすて、戦場で、出ずべきところへ出て来なければ、そ「おそれながら、そのお叱りは、政宗の受くべきものかと おひれ の、ある筈のない噂に尾鰭がつくものと、平素から考えて存じまする」 「だまられよ ! 」 は居らなんだのか」 途方もない大声を浴びせられて、政宗はまたビグリとし こんどは政宗の方がまっ赤になった。 ( これは狂ってなど、居らぬのかも知れぬそ ) 199

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あったかをよく知っている いていなかった。 全盛時代の太閤の威圧を、静かにはねのけるほどの根性 家康自身の眼がねに依ってつけてやった大久保長安は、 もりやく 〔よを持った者は、彼の観察するところでは、自分と伊達政宗 あのような脱線をしてのけて今は無く、傅役の皆川広昭 ~ ぐらいのものだと田 5 った。 剛直ではあったが、すでに気性で忠輝に負けてしまってい てんびん ( これは天稟の器量人 : : : ) る。 時代の推移も敏感に感じとったし、その行動で時勢に逆 忠輝の異父の姉婿にあたる花井吉成は家老にはしてある ものの、器量において遙かに劣り、今、忠輝に師傅として行することもなか 0 た。それゆえ、人並はすれた闘志も野 心も、やがては年輪の淘汰を加えて、こよない円熟を示す の影響を持ち得るものは舅の伊達政宗をおいて他にはな ものと期待し、わざわざ忠輝の舅に選んでいったのだ。 ところが、それはそう簡単な間題ではなかった。円熟は ( そうだ。政宗に対する怒りが、忠輝を叱らせてしまった して来たものの、それと並行して野心の輪もまた底無しに 7 のだ : ふびん 2 大きくなった。 そう思うと一層忠輝が不愍になった。 彼はいま、家康がまとめあげた日本国の総力を傾けて、 忠輝は気性も面貌も、亡くなった嫡男信康によく似てい た。育て方によ 0 ては、自分と信長を一緒にしたような進世界の海〈乗り出す夢を見出している。むろん用心深い野 心家だけに軽率なことはすまいが、そうなると、豊太閤と 取と創造力にあふれた名将の素質を持っているかも知れな : ところが、どうやらこれも信康同様傅役に人を得五十歩、百歩、どこへ歩いてゆくかわからない危険をはら す、すぐれた素質が却って逸脱のもとになりそうな危惧をむことになる。 その政宗が、自分の夢を自分のものとして、あれこれと 絶えす感じさせていた。 しかし、それ いや、それよりも最近になって家康が気になりだしたの将軍秀忠に進言しているうちはよか 0 たが、 を政宗は何時のころからか婿の忠輝に見続けさせようとし は、舅政宗の影響であった。 だしている ( 政宗だけは見損うた : 政宗がこんどの戦で、必要以上に忠輝をかばい、危険な 家康は、政宗の闘志と野心が、どのように強烈なもので

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先進させなかったことも又事実であった。 政宗の大軍が秀頼方に寝返って、戦の局面は一転するとい うのであった。 「ーー大将というものは、決してまっ先に出て戦うもので こうした噂に何の根拠があったのか ? それはついに解はありませぬ。若しも味方に意趣討ちをかけられたら何と 信者と共に身を寄せ致すや : : : 口外しにくい事ながら、将軍家の旗本には、婿 明されないままに終わったが、城内こ言 どのの器量をそねみ、隙あらばと生命を狙う者がたんとご ていった宣教師や神父たちは、みなそれを信じていたらし ギ、るぞ」 この一言は、やがて家康の耳に入り、忠輝自身の運命を 或いは神保出羽守相茂の一隊が、伊達勢との同志討ちの ために全滅して果てたという事実の中にも、この噂が何か大きく狂わす原因になったのだが、とにかく伊達の信仰は かくれた原因になっていたのかも知れない。 ただの弱肉強食以上に異端であった。 とにかく神保勢の中には、他にまだ二、三生き残った者 ポルロ神父は、隣の蜂須賀至鎮の陣営に逃げ込んで危く があり、 難をまぬがれたが、その他の信者で、政宗をたよった者は 6 「ーー・・・・神保出羽守主従を討ったのは伊達政宗の三万の人数殆んどそのまま消えてしまった。 にまぎ、れ・もない」 何故であろうか ? と、訴え出たが、 政宗は一笑し去ったと伝えられてい 改めて考えるまでもなく、この頃の政宗はまだ天下掌握 る。 の野望を捨てきれない、精悍な猛虎であったからだ。 「ーー・政宗の軍法に敵味方の差別はない。たとえ味方たり そしてこの猛虎もまた婿のあとを追うようにして翌々日 ようしゃ とも先手に崩れかかる者は容赦なく討ち取る。さもなくば京都へ入った。 わが大軍も共倒れとなって忠節は尽くしがたい。若し将軍 せんさく 九 家からご詮索もあらば、わし自身が申し開きをしよう」 家康も、秀忠も、むろんそのことで政宗を責めはしなか 伊達政宗が、二条城に家康を訪れたとき、家康は、もは った。、、こが、 オその政宗が、当日の戦で、しきりに前へ出よや一人で起居もあぶなさそうな疲れきった老爺に見えた。 むねのり うとあせる婿の松平忠輝に、全く正反対のことを言って、 その老爺が、柳生又右衛門宗矩を呼びつけて、ブップッ

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体、将軍家ご采配の許では関東勢すべてがこれ一心同体ぬ。はやまったことを成されて、噂好きの世人ばかりを喜 ここのところはじ ・一心同体の戦ゆえ、つねに全戦場を睨んでおわせと申ばされては、この政宗の立っ瀬がない つくりとお父上の言葉の裏の、ご慈悲を味わい下さるよう」 し上げたは、この政宗にござりまする」 家康は、聞いているのかいないのか、いよいよ以前の疲政宗は、一語々々に力をこめてそう一言うと、そのままく るりと家康に向き直った。 れた顔にかえって黙っている。 「また、落城前日の五月七日の戦では、政宗に気になるこ「先程からのお叱り、みなこの政宗が、よかれと思うてお とが三つあった : : : その一つはわれ等の背後より進んで来指図申し上げたことなれば、今日のところはこのままお許 : いや、何れ将軍家へも、それがしより篤と る浅野勢。もう一つは、真田勢が必ず船場附近に遊撃隊をし賜りとう : 伏せ、うかつに進むと横から来るであろうということ。更ご挨拶申し上げとう存じまするが」 家康は、不思議な疲労を見せて、頷く代わりに視線を忠 にもう一つは、城内にある切支丹の信者どもが、同のよ 2 ここに雪崩れ込んで輝のうえにおとした。 しみを以って、松平勢に助けを乞い、 忠輝は、うなだれたまま膝の拳を扱いかねて立てたり開 2 来るおそれのあったこと : : : それゆえ、この日もわれ等が いたりしてみていた。 先頭に立ち、松平勢はいささか後におきましたが、これ等 「よかろ、つ : 何れも政宗の思案。叱られるは政宗でなければならぬ」 と、別人のように、弱々しい声で家康は言った。 そういってから政宗は何を思ってか声をたてて笑いだし 「今日はお許に上総介を預けよう。よくよく申し聞かせて やって欲しい。い ま、世上でいちばん好む噂はの、太閤の あや 十三 遺児を殺めた徳川家にも、兄弟不和の騒動があること : それに何そや早まってご自害とは。万一ご自害じゃ」 「心得てござりまする。いや上総介どのとてその辺のこと なされたら、それこそ風聞は風聞を呼び、事によると、忠 輝、秀頼両公のご謀叛を、裏からひそかに煽動していたものわからぬお方ではありませぬ」 : などという噂も立ちかねませ「と、申すが、わしの眼から見ると、歯痒ゆいものじゃ」 のは伊達政宗であろう :

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政宗の仮陣屋は中立売にあって、千本屋敷の忠輝の陣屋 すかさず政宗は膝をめぐらして、 よりは遠かった。 「では上総介どの、ご退出を」 忠輝は、一語も発さず、まだ半ば拗ねてでもいるかのよ「何でご返事をなさらぬのじゃ。廻り道はおいやか」 馬を寄せていって政宗はフフンと笑った。 うに父に一礼して起ちあがった。 「何じゃ、あれだけの事で涙ぐんでござるのか。 / ハ : 家康は、何故かその後姿を見ようとしない。まだ何か、 他愛のないお方じゃ。世界の海へ打って出ようというほど 深く心にかかることのあるらしい様子であった。 のお方が」 「あのようにお叱りなされては : 忠輝ははじめてキッと顔をあげると、 藤堂高虎が何か言わずにいられなくなって口をはさん 「参ろ、つ。参って話すことがある」 思い詰めた気負いで政宗の方へ馬首をめぐらした。 「上総介さまがお可哀そうでござりまする。こんどの戦の 駆け引きは、陸奥どのの言うとおり、上総介さまは預り知彼もまた心の底に、何か割り切れないしこりを父に残し ているようだった。 らぬことに違いありませぬ」 家康は、それにも答えなかった。 十四 ホーツと大きくため自 5 して、一十さぐるよ、つに脇息を引き 伊達家の主力は、嫡子の秀宗と片倉小十郎に率いられて 寄せた。もうその時には政宗たちの足音は廊下の先に消え まだ大坂にあった。 ていた 将軍秀忠の命によって百日の期限をつけられ、戦後の処 政宗と忠輝とは大玄関では一言も口を交わさず、大手門 外で馬の手綱を渡されるまで、怒っているように視線も合理にあたっている。 したがって京都の仮屋は、わずかな人数にまもられた休 わそうとしなかった。 「散々な不首尾であった。そうじゃ。ひと先すそれがしの息の場といってよい。 政宗はそれでも仰々しいほどの殿舎を構え、築地をめぐ 陣屋へお立ち寄りを」 らし、門前には華美な装いの番卒を立てていたが、その仮 くつわを並べてから、政宗は声をかけた。 203

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意もなくば、すでに上総どのはこの世にない。この世から政宗は、これも一眼で、まともに婿を見据えたまま笑っ 消されたのでは事は終わりでござろうが。それゆえ、敵意ていった。 の有無など問題ではない。つねに千変万化、臨機応変の用「世の中は、上総どのが考えているように甘いものではご 心がなければ話にならぬ」 ざらぬ。真田伊豆の用心深さをご覧なさるがよい。兄は本 多忠勝が婿にして徳川家にとどめ、舎弟の幸村には大谷刑 「すると、舅御は、将軍家に めと 「まだそれを仰せられる。罠や敵意は、当方に隙があれ 部が娘を娶って、ああして豊家に人りこませる。いや、真 ば、その時にはなくとも、五月の蠅のように湧くものでご田だけではない。細川忠興もちゃんとわが子長岡正近を大 ざるそ」 坂城に送り込み、福島正則も正守と正鎮父子を送りこんで 二股かけている。これは、眼に見える両者の優劣だけでな 十五 運不運の万一にまで、きびしい用心を怠らぬ証拠でご 上総介忠輝は、びつくりしたように、まじまじと舅の政ざろう。この伊達政宗とても同様でござるそ」 政宗はこの時はじめて眼にもわずかな笑みを見せた。そ 宗を見つめていった。 言葉の意味はわからぬことはない。どんな場合にも汕断れまでは、声で笑い、頬に笑皺はきざんでも、一眼だけは 別の生きもののように光っていたのだ。 は破滅のもとになろう。 「舅御とて、同様とは : 神保出羽の引例は、引例としても穏当を欠くもの : お気付きなさらぬかな。それがしは嫡男秀宗 だった。血肉をわけた兄の秀忠が、乱戦のうちに舎弟の自 に、奥州の所領を譲る気などはっゅほどもござらぬ。秀宗 ・ : と、政宗 分を失おうとする : : : いや、その心があった : には秀宗自身の戦功がござる」 は信じているよ、つに一堂け取れる。 「と、いわれると、戦功のあるものゆえ、わざわざ家督 ( 果たして、そのようなことがあったのだろうか ? 政宗は、あったとして、父家康に先手を打つべきだったを : : : 」 といっている。 「如何にも。秀宗は自立出来る一個の男子。自立出来るも のには父の遺領などは要らぬものじゃ。さっさと、もう一 : まだ、迷うておわすようじゃの」 205

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「黙れと申すのだツ」 「フーム」 「もう黙りまする。ただそうしたご決意の姫君ゆえ、待ち政宗は眼を閉じて腕を組んだ。 かねておわす婿君 : : : 上総介さまが、実は大殿の計らいで 「その方も、御台も、姫を助けよ。姫の言うことをよく聞 高田へ廻され : : : もはや江戸の土は踏めぬ : : : と、知った けよと言うのだな。わかっているわ。案ずるな」 おりには何となさるか : : ? ご自害か : : : それとも単 身、領国へ脱出なさるか : : : それだけが : : : それたけが、 ご不愍に思われてなりませぬ」 遠藤弥兵衛はもう何もいわなかった。 言うだけ言うと、弥兵衛は形を改めて、 政宗が、又「案ずるな」といいながら、苦渋にみちた表 「重々のご無礼、覚悟のほどは : 情で考え込んだからであった。 自分の首を自分で叩いて、それから肩を震わして泣きだ ( こんどは少しこたえたらしい ) と、弥兵衛は思う。五郎八姫は柳生宗矩の手引きで、天 政宗は、はじめて森沈とした顔になった。 海に面会するに違いない。そうなれば、忠輝処罰の背後に 3 「たわけめ泣くな」 舅政宗への警戒が大きく伏在している事情は姫にわかって 「何もその方を叱っているのではないわ。ただ案ずるな、 ( わかった後で、姫は何をしてのけるか ? ) と申すのだ」 政宗が、到底自分の意見など容れまいと判断したら、或 弥兵衛はそう言われると一層悲しさがこみあげた。何を いは直接大御所や将軍家にぶつかる覚悟をするかも知れな 言っても案するな : : : その怖れを知らぬ心が、実はいちば ん怖ろしい。 しかしそれはロに出来ることではなかった。 ( そうなっては、それこそ伊達家の大騒動 : : : ) 「泣くなと申すのだ。姫のことならわしは親だ」 そこで流石の政宗も考え込まざるを得なくなった : 「はい。そして : : : そして、上総介さまの親御は大御所さ と、弥兵衛は受け取った。 、よに、こトり士从す・る」 「フーム」