真田 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 17
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1. 徳川家康 17

あれば主君に暇を出し、黒田家をさっさと退去して来ると いう無類の意地をもった又兵衛基次なのだ。 それが、秀頼以上に、自分の実力を買ってくれているの は、実は家康であり、秀忠であったと感じとっている。そ うなれば、両者に義理を立てて、その第一陣で戦死を希う ことになる。 その気持ちがわかるだけに、幸村はわざと急がなかった 真田幸村は兵三千をひきいて天王寺から道明寺への道をのだ : すすんだ。 急いで後藤勢と合体したのでは、真田勢もまたその勢い に捲き込まれて、一緒に討死せねばならぬ破目になる。 この方面の第一陣は後藤又兵衛基次。 これを支援するため第二陣の毛利勝永は、これも三千の ( まだまだ、死ねぬそ ! ) それは決して生死の迷いではなくて、これもまた一歩も 兵をひきいて夜明け前に天王寺を出発している。 したがって、先鋒の後藤勢から連絡があれば、当然真田譲れない真田左衛門佐幸村の人生の意地であった。 この世に戦がなくなるものか : : : ) 勢ももっと進軍を急いでよい筈であった。 そう信じて踏みきったこんどの大坂人城なのだ。相手の だが幸村ははやる部下をおさえて、敢えてこれを急がせ なかった。 家康が、その反対に「泰平の世が作れる ! 」そう信じてい むろん若江に出て行った木村重成勢を案する気持ちもなる以上、意味もなく討死しては、この好敵手に対しても不 くはなかったが、それだけではない。 誠実になってゆく ( , ーー後藤基次はすでに死ぬ気になっている : : : ) 「ーー、泰平の世が作れる : ・・ : 」などというのは思いあがっ や、仮にそれが作れるもので 無理はないと、幸村は思った。 た人間の慢心に過ぎない。い あったら、尚更その汕断を戒めるためにも、一泡も二泡も 「ーーー士はおのれを知る者のために死す」 戦国人のその性根を生き甲斐として、気に入らぬことが 吹かしておいてやるのが武人の情誼であろう。 つあった : 真田軍記 ねが

2. 徳川家康 17

してみせる計画だったのに違いない。 人小栗又一が馬に乗って残っていただけだった。 そこで幅二十丁の台地に横いつばいの布陣をさせて、大 そこで彦左衛門は、あわてて家康の旗を立てたと書き残 坂城まで粛然と押し切ろうとして進んたところに僅かな無しているのだから、七十四歳の家康が、この時、又もや、 死に直面させられたことはいうまでもあるまい 理が感じられる。 人には人それそれの気性があり、闘志や功名心や、各自家康が連れて来ている影武者はこの騒ぎの間に消えてし の立ち場の差異がある。 まい、その遺族は、戦後それそれ手当てをされている。ど そして孫の越前忠直を励まそうとして叱ったのがききすこで討死したのか誰に討ち取られたのか、肝腎の真田勢 ぎた。 が、殆んどすべて : : : といってよいほど斬死してしまって そういえば、関東勢の中で、この日猪突して、却って戦いるので、知りようはない。 列をみだす結果になったものは、越前の忠直をはじめと或いは斬死した真田の郎党の中に、家康を討ち取ったー し、小笠原父子にせよ、本多忠朝にせよ、みな前日の戦いそう思い込んで死んでいった者があったかも知れない。 2 では、あまり手柄を立てる機会のなかった人々である このギリギリの危機は、あわてて秀忠の左前方から駈けノ 一時にせよ家康の本陣が潰乱したことについて「薩藩旧つけた井伊、藤堂の両勢によって立ち直り、いよいよ五月 言」におさめられている書状には次のように書かれてい 七日は運命の八ッ半 ( 午後三時 ) どきを迎えることになっ る。 「ーー五月七日に、御所さまのご陣へ、真田左衛門佐、し かかり候て、ご陣衆追いちらし討ち取り申し候。ご陣衆三 里ほどずつ逃げ候衆は皆々生きのこられ候。三度目に真田 大坂方の真田幸村にとっても、この日の開戦が会心のも も討死にて候。真田日本一の兵し 、、、こしえよりの物語にもので無かったことはすでに記した。 これ無きよし、惣別これのみ申すことに候」 彼は、もっと近々と家康を茶磨山の近くに引きつけてお この潰乱状態の時、いったん流れの渦に巻き込まれた大 いて戦闘開始の軍配をあげるつもりだったのだ。 のろし 久保彦左衛門が戻ってみると、家康のそばには、たった そうすれば、船場に待っていた明石勢と狼火で打ち合わ

3. 徳川家康 17

すと、旋風を捲き立てる伊達勢の殆んどが血を流している 汝螺員は先ず片倉勢の方から吹き鳴らされた。 と、同時に騎馬の一隊が喊声をあげて真田勢のまっただのがわかった。 ( 今、ひと息だ ! ) 中におどり込んだ。 と、大助は眼を血走らせて小十郎の姿を求めた。 真田勢は伏せて迎えて、槍をそろえて突いて出る。 地上に倒れているのは敵か味方か ? 次第に落伍するも と、すでに真田勢のその戦法を予期している騎馬隊は、 のが殖え、あと二巻もするうちに、精根尽きたこの戦場の 畑から河原へ旋風を捲き立ててもう一隊と入れ代わる。 人り交りながら狙い撃ちする鉄砲の正確さは身の毛のよ最後が来る : : : と、思ったときに、敵の真先の一隊が、赤 隊の味方二人を右と左に斬っておとして、 たつものがあった。 「退けーえツ」 真田どの父子があぶない」 と、高く怒号しながら駈け去った。 横から渡辺内蔵助の一隊が割って入ったときには、敵味 実はそれが大助のめざす片倉小十郎の引きあげ命令だっ 方ともどれが大将やら指揮者やら見わけのつかぬ大混戦に たのだが、 大助はまだ気がっかなかった。 なっていた。 「追えツ。今だ ! 敵はひるんだぞ」 「片倉小十郎は何れにありや」 真田大助は絣おどしの具足にまっ赤な旗差物をつけて人敵の退く方向に誉田の村落を認めた時に大助は勝ったと れ代わり、立ち交る騎馬武者の流れの中へ五度び六度びと思った。 「お父上 ! お父上は : 割って人った。 「おお、大助どのか。お父上はあれにおわすぞ」 しかし、誰も彼の前に立ちどまって名乗ろうとする者は 駈け寄って後方の堤を指さす渡辺内蔵助も、左の頬はべ ない。何れも立ちどまっては飛び道具の餌食になる : : : と っとりと血のりであった。 知っている旋風の中の突撃であった。 追おう」 「内蔵助どの、今じゃー 気がついてみると大助はすでに右の股に負傷している。 こっちもまた むろん自分だけがやられたのではない。 しかし、その時幸村の軍配は伏せられた。 : と、思って見直 三、四人にはひと槍すっ付けてやった :

4. 徳川家康 17

それを見きわめておくことは明日の決戦に重大な意味をの者と入れ替られよ。あとはわれ等が引き受け申すぞ」 いったん追い立てられて、敵に背を向けだした軍勢を立 持ってくる。しかもその戦ふりを見きわめるには、自分の ち直らせるには、これよりほかに手段はないものだ。 敵としない方が好都合でもあると思った。 つまり : : : 真田勢の後方まで北月勢をいっきに退かせ 月原へ出ようとしたところで、パラ・ハラと左前方から算 て、真田勢は追いかけて来る騎馬銃隊を、折り嗷いて槍ぶ をみだして退却して来るひと群れの雑兵にあった。 すまで待ちうける。いうまでもなく両者激突の寸前に一斉 「誰じゃ。何れの手の者そ」 すいか 馬上で幸村が誰何すると、相手は味方の北川宣勝の手勢射撃を浴びせておいてそれをきっかけに肉弾戦を展開す る。 であった。 そうなれば、いったん真田勢と人れ替った北川勢もま 味方とあれば捨ておけぬ。幸村は舌打ちして馬首をめぐ た、背後からの追撃をさえぎられ、安心して敵に向き直れ らした。 るのだ。 四 向き直れば、これはもう浮足立った敗兵ではない。自分 たちの苦境を救ってくれた真田勢と意気を竸う第二陣に甦 ( 幸村の生死を賭ける戦場はここではない ! ) そうは思っているものの、明日の戦場の士気は今日の戦生する。 ′一うち 幸村の軍配は、つねにこうした力学と人情の巧緻な組合 と無縁ではない。今日の士気が、そのまま明日に尾を曳く わせであったが、この時もあざやかにそれは功を奏した。 からだ。 } よ、幸村の指揮でいっせいに退きだし 浮足立った北川ー 幸村は北川宣勝勢の苦戦を見てとると、突嗟に同行して いた伜の大助幸綱に命じて味方をその場に展開させ、自身た。 と、敵ははげしくそれを追ってくる。幸村の騎乗姿が大 は単騎で先行している北川宣勝の許へ駈けつけた。 その時、まだ幸村は北川勢を圧迫して来ている敵が何者助幸綱と渡辺内蔵助の展開している味方の戦線におどり込 であるかを知らなかった。 むと同時に待機していた真田銃隊は敵の先頭めざして斉射 」月との、二、三丁がほどは退き候え。そして、わが手を浴びせた。

5. 徳川家康 17

一のこともあらば、将軍家のご孝道が立ちませぬ。大御所 : と、秘かに思った。さすがに 直次はこれでよいのだ : さまは何と仰せられました。これからの世は人倫第一、将 忠直の老臣だけのことはある。 「したが本多どの、先駆しても相手によっては考課のほど軍家は聖人になられよと : 「たわけめ ! それは常時のことじゃ。ここは戦場だぞ」 は一いき从しよ、つ、」 「仰せまでもないこと。越前忠直卿のお相手は、真田左衛「しかし、何と仰せられても、その儀はご勘考願わねばな りませぬ。敵がなに人かわからぬうちならばとにかく、茶 門佐のほかにはござらぬ」 磨山には真田、岡山には大野治房 : : : と、相わかって居り 「よかろ、つ」 まする。いったい真田勢と大野勢と何れが強敵とおばし召 「では、あとの事は呉々も。ご免」 すや。齢を重ねた父君を強敵の前にさらしたのでは向後、 直次は富正の蹄の音が消えてゆくまで闇の中に立ってい っ ) 0 将軍家のご威信が保てませぬ。それゆえ、大御所さまには まげて岡山に向わせられまするよう : : : 利勝、この通りお ( これではんとうの戦らしくなって来た : : : ) 願い申し上げまする」 それは、切なく張りつめた実感以上の実感であった。 「ならぬ」 ( たしかに、戦は片手間で出来ることではなかった : そして、再び幔幕の中へ引っ返して来ると、ここでも土「これほどまでに、お願い申し上げても」 「ならぬ」 井利勝が、声高に叱りつけられているところであった。 家康はにべもなく息を継いで、 「その方、将軍家のお側にありながら、それで補佐の役が 「さてさて大炊はもう少しましな者かと思うていたが、 っとまると田、ってかツ」 ったものよのう直次」 床几をきしませて家康が言うのに、 語尾と視線をそのまま直次に移して来た。 「他のこととは違いまする」 土井利勝もそのまま負けてはいなかった。 「齢七十をお越しなされた父君を、真田の前に立たせて、 ご自身は岡山に赴かれる : : : それで大御所さまのお身に万 安藤直次には、もう事態はのみこめていた。 8

6. 徳川家康 17

彼等は、真田勢の来襲を知ると、秀忠の存在を忘れてし 十四 まった。いや、秀忠の先手には前田勢があり、本多康紀、 家康の旗下は不意を衝かれて崩れ立った。あらゆる混乱片桐且元なども居るので、この方 ( 大野治房の猛攻があろ は、この時に起ったのだが、崩れることは家康を討死させうなどとは思っても見す、そのまま真田勢の中へ突進して 、つ、」 0 ることになる。 この両勢の到着が八半刻 ( 十五分 ) も遅れていたら勝敗 そこで、各人臨機の才覚で、八方へ向けて走りだした。 はとにかく、家康は戦場で落命することになったに違いな 薩藩旧記に載せられた手紙の、 「ーーーご陣衆、三里がほどずつ逃げ候衆は皆生きのこられい。 「ーーー大坂衆、手柄なかなか申すに及ばず候。さりながら は、この時の狼狽ぶりを述べたもので、みながみな逃げ今度の御勝にまかり成り候は、大御所さま御運つよきに て、御勝にまかり成り候」 たのでないことは一一一口うまでもない 同じ薩藩旧記の一節にあるこの「御運つよき みなが逃げたのであれば、真田幸村は楽々と家康の首級 語はまさにその通りであったと言ってよい。そして、この を挙げ得た筈だからである。 」を裏返すと、それはそのまま幸 家康の弁当箱まで投げだして、身辺には御使番の小栗又家康の「御運つよき しかし、村の不運につながることになる。 一ただ一人・・ : : というような危機にはなっこ。、、 幸村はまさに家康の咽喉笛へ刀の切ッ尖をあてようとす 幸村ほどの者も、家康に躍りかかってゆく余裕はなかっ るところで、井伊勢と藤堂勢にしりそけられなければなら 逃げた者もあったが、大方は、狂ったように真田勢へ向なかった。 彼はいったん兵を茶磨山に引いた。 って来ているのだ。 そして、その時、伜の大助に、秀頼の出馬を乞わせたと その大混戦の中へ駈けつけたのが、秀忠の左翼にあった いう異説もあるが、この時にはもう大助は城内へ入ってい 井伊勢と藤堂勢であった。 たのだから側にはいない。 「ーー・大御所の一大事 ! 」 107

7. 徳川家康 17

それぞれの守備幅が決められて、可成り入りくんだ戦場 と、思ったときに、尖兵たちの動きは更に意表を衝い ではあったが、 しかし真昼間同士討ちをしなければならな いほどまだ混戦にはなっていない。 ふり返って応戦する越前勢と、ほんの四、五度び槍を合 いったい何のために、こうした間違いが起こったのか ? わせたかと思うと、くるりともう一度反転してもと来た道 その事については、後日に至っても誰もハッキリとした を引き返しだしたのだ。 風聞では、この時両者の間に真田勢の置 越前勢は手ごわいと見て、やはり本多正純勢を攻める気言明は避けたが、 になったのだろうか ? いて逃げた一つの櫃があり、両勢はそれを奪りあったのだ その時には本多勢と松平定綱勢は、双方から寄りあってといわれている。 ところで、真田の尖兵は何れも騎乗で、櫃など誰も持っ 帰りの道をふさいでいた。 その中へ再び駈け込んだのだから、こんどは前ほど楽々て来ている筈はなかった。 実はそれは彼等が落として行った文箱の奪り合いだった 6 と通れるわけはない。 というのが真相らしい。 双方の槍と馬とがはげしい渦をまき立てて雄叫びの声が むろんそれは、如何にも各自が内応しあっているかのご 一気に闘魂を盛り上げる : : : かに見えた。 とく錯覚させる偽書が人れられてあったのに違いない : と、又しても真田の尖兵は、馬首をめぐらし、こんどは 越前勢の手薄な場所を、風のように紀州街道の方向へ消えと思うがそれも想像の域を出ない。 とにかく、両勢は、他勢の守備区域に立ち入るなとおめ ていってしまったのだ : それは前後せいぜい四、五分間のまことに奇怪な動きでき叫んで、はげしい同士討ちをはじめてしまった : と、その時茶磨山の幸村の軍配は挙げられた。すでに、 あったが、実は、奇屋な動きはこうして尖兵の消えてしま 左翼で越前勢とのこぜりあいが始まってはいたものの、幸 っこ・後に起こった。 この二十騎に足りない真田の尖兵を討ち取村自身の率いる旗本勢が疾風のように、味方同士で争って 他でもない。 ろうとして、双方から寄り合った本多正純勢と松平定綱勢いる本多、松平両勢の脇を駆けぬけ、家康の本営へ襲いか の間に、はげしい同士討ちが始まってしまったのだ。 かっていったのはこの時だった : ひっ

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その意味では忠直の若い無謀の怒りが、老巧な真田幸村 っこ。しかし、それにしてもこの薬は少し利きすぎたよう である。 の作戦を、根底からゆさぶり立てる結果になった。 この時の越前勢の猛進ぶりが、如何にはげしいものであ ( こんな無謀な戦があるものか : と言ってみても何うなることでもなかった。腹はふくれ ったかは、当時の民謡に残っているので想像される。 ているゆえ、餓鬼道におちることはない。さあ、真っすぐ 冫閻の庁へ行けというのだから、手がつけられない。 かかれ、かかれの越前勢 「掛れッ ! 掛れッ ! 」 たんだ掛れの越前勢 忠直の怒号の下で、本多忠朝勢は・ハタ・ハタと倒れてゆ 命知らずのつま黒の旗 : ・ いや、その本多勢と越前勢が一つになって次々に毛利勢 若い忠直がまっ先に立って声をからしているさまが眼に の銃前に立ちふさがり屍を越えて突撃を続けるのだ。 見えるようだ。 そうなると、伏勢は四千。越前勢と本多勢を合わせると と、言うのは、越前勢と真田勢の距離は約十丁ほどだっ たが、その間には小さな池や窪地などがあり、その小丘と二万を超える数になる。 むろん、忠朝指揮下の真田信吉兄弟も動きだしたし、浅 小丘の間には、実は、毛利勝永の四千の兵が伏されてあっ たのだ。 野長重、秋田実季、松下重綱、植村泰勝などの人数も竸い 立って動きだした。 この毛利の伏勢に、まっ先にぶつかったのは、越前勢に このおりの毛利勝永の銃隊の働きぶりは古今に絶するほ おくれまいとして、動きだした本多忠朝の銃隊で、両者の しかし、それでも数から来る制 ど巧妙なものであったが、 激突に越前勢がからんでいった。 まだ早いー われ等の狙っているのは越前勢ではな約はまぬがれがたい 「掛れッ ! 掛れッ ! 」 くて、そのあとから進んで来る家康の本隊なのだ」 生命知らずのつま黒の旗は、退く気などみじんもない。 この思いがけない開戦を顔いろ変えて止めようとしたの 全滅させない限り、この敵の出足はさえぎり得ない。 は真田幸村だった。

9. 徳川家康 17

よ」 0 いや、その斉射があたりの山河をふるわしてとどろき渡は : しかも、この緒戦は、味方の士気の鼓舞をめざしてわざ ったときには、戦場の空気は完全に一変していた。 」川勢の浮足は喰い止められ、彼等の敗勢が、そのままわざ買って出た一戦なのだ。退くことなど思いもよらない。 おとり 同じことが、この時、片倉勢の中でも当然大きなおどろ 見事な誘いの囮に変わった結果になっている。 真田勢が自信満々に槍をそろえて突撃してゆくと、敵もきになっていた : さるもの、十数分の激闘でサッと兵を引いてしまった。両 五 者の距離は五、六丁もあろうか。 「仲々あざやかな用兵ぞ。敵を見きわめよ。何れの手勢おそらく伊達勢の方でも真田勢との決戦は避けたかった のに違いない。 幸村は、立ち直って、これも向きを変えている北川勢を 道明寺ロの正面にあたるいちばん北には水野勝成と大和 点検しながら声をかけた。 勢の諸将をおき、その次には本多忠政の伊勢勢、松平忠明 「はい。敵は音に聞こえた伊達勢の、片倉小十郎が手勢にの美濃勢とおいて、いちばん南の誉田村めざして進んで来 、一」ざりまする」 たのが伊達勢だった。 」川宣勝に答えられて、 ところが、真田幸村もまた、道明寺ロの正面を避けて同 「なに、片倉か : ・・ : 」 じく誉田村へ出て来てしまった。そして、両者ははしなく さすがの幸村もこの時ばかりは凍り付いたような顔にな もここで激突しなければならない破目におかれた。 つ、 ) 0 それでも片倉小十郎は独断を避けて部下の将に相談のか 「そうか、片倉勢であったのか : たちを取った。 さあ敵は前面にわれ等の選ぶに任せている。どの軍 戦国の戦場にはつねに予期しない無情な伏勢があるもの 勢に立ち向かうぞ」 」川宣勝の軍勢はすでに真田勢と重なり合ったが、その ( 幸村がみずから避けたいと希っていた婿の手勢 : : : ) それがいきなり彼の煎面に立ちふさがって来ようと右手には山川賢信、その左には福島正守、大谷吉久、伊木

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援護の筒音がはじめて茶磨山にとどろいて、これが真田 と絶叫している越前忠直の本陣のうしろに続いている。 勢開戦の最初の動きになった。 昌栄、昌栄坊はおらぬか」 幸村の声に応じて、これも緋おどしの具足をつけた兜武進撃開始と見てとって、先ず本多勢が鬨の声をあげ、続 者が現われた。 いて松平勢も邀撃の姿勢に変わった。 そのまっただ中へ、真田の尖兵はわき目もふらずに進ん 以前に僧衣姿で駿府の様子を探りにいっていた忍者の一 人が、今日はひとかどの大将といった身なりで出て来たのでゆく : 「ーーあれを見よ。あれが家康の本陣じゃ」 しかと見まいた」 真田の尖兵の発進は、どこまでも正攻法のように見え 「ーー・・・すぐ前方を固めているのは本多正純」 「ーー・・・その右は松平定綱の旗のようで」 本多正純勢と松平定綱勢をとり除けば、家康攻撃の二枚 5 いかにもそうじゃ。本多と松平、あの邪石二つをのウロコはとり側がれて、それだけ家康の本陣へ庖丁は立 てやすくなる道理であった。 とり , 除け」 したがってこの尖兵こそ決死の挺身隊 : : : と、敵も味方 「、い得まいた ! 」 昌栄と呼ばれた武者は、身ぶるいしてわが馬に駆けよるも思い込んだ。 ところが、この一隊は両勢の間をさして大きな抵抗も受 けずに駈けぬけると、そのまま馬首を越前勢の横腹めざし 「ーー・行くぞオ」 て向け変えた。 野太い声で槍をあげた。と、彼の手勢であろう、 すると、幸村が邪魔石二つとり除けといったのは何の意 ラと十六、七騎の騎馬武者が、槍をそろえて彼をとり巻い 味であったろう : とり巻いた時には、これが矢のように本多正純と松平定越前勢の攻撃を牽制するだけの目的ならば、もっと別の 攻め方がある筈なのに : 綱の両隊のわずかな隙間へ向けて突進を始めている。