速水 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 17
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1. 徳川家康 17

「大御所は何百年か、何千年かに一人、出て来るか来られ 「いや、その前に輿か馬かのことを、上様におたずね申し ぬかという稀有のお人じゃ。そのお人の眼から見れば、秀 て参りたい」 。しかし、大御所のお亡く 頼の謀叛など問題ではあるまい 「今更・ : : ・」 と、また井伊直孝がいいかけるのを、阿部正次はおだやなりなされたのち、度々こうした謀叛があっては、凡人の 御治世は危いものじゃ」 、に押さえた。 「速水どのひとりの判断では決めかねる : : : と、あれば少「ということは、どうしろといわれるのじゃ」 「何うしろ : : : と、わたしにいう資格はない。が、ちょっ 少待ちましよう。なるべく早くお決め願いたし」 とこれは、考えてみなければならぬ大きな間題ではなかろ 「心得た」 、つかの」 その場に居耐えぬものを覚えて速水甲斐は立ちあがっ 三人は、もう一度互いの心をさぐるように顔を見合って 実はこれが、最後の使者としての彼の第二の失敗であっ沈黙した。 八 彼が、必要以上に胸をそらして出てゆくと、三人は顔を 速水甲斐が、級蔵に引っ返した時、女性たちは淀の方に 見合って舌打ちした。 「全然、わるいことをしたという悔いのあとは見られぬ声を合わせて念仏しだしていた。 ここに残った者の名はすべて書き出し、それ等はことご の」 とく自害しようと申し出ている。秀頼や淀の方は助かって と、正次がいった。 も、あとの者は死なねばならぬ : : : そうした無常感が期せ 「引っちぎってやりたいような気がしたわ」 井伊直孝は気が立っているらしく、平素の彼の無口さずして声になったのに違いない。 「やあやあ、泣きごと念仏はお止めなされ ! 」 と、全く違った昻ぶりかたであった。 帰って来ると切支丹信者の速水甲斐は、憎悪をこめてみ 「ど、フだ。このままでよいのか」 んなにいった。 安藤重信は謎めいたことをいってニャニヤと笑った。 146

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「ならぬ ! 」 とした言葉の行違いから、輿が無ければ切腹するのか ? 速水甲斐は眼を血走らせて一喝した。 と、間い返されてみると、そうした乗り物のことなど、彼 「仮にも豊太閤の御後とり、前の右大臣の御顔を諸人のさ は秀頼母子とも、大野治長とも、何の打ち合わせもしてな らしものにして、諸国大名の陣中を通行さすことなど、断かった事に気付いたのオ じて許せることではない ! 」 ( 少なからず激昻して、自分でわざわざ相手に大きな罠を 与えてしまった と、又井伊直孝が呆れたようにため息した。 「如何でござるな ? 」 「すると、輿がなければ、右大臣は切腹なさるといわっ と、こんどは取りなすように阿部正次が口を開いた。 しつかい しやるか。しかと、左様に仰せられたのでござるな ? 」 「ご城内の輿などは、ご覧のとおり悉皆焼けてしまって見 この間いかけは皮肉以上のものであった。 当たらぬ。と、すれば乗り物を探したところで、せいぜい 速水甲斐はぐっと言句に詰まって、 負傷者を運んだ垂れもない山駕籠か、粗末な町人の辻駕籠 ( これはやり過ぎたぞ : : : ) より他にあるまい。そうした乗り物を探すがよいか、それ そう感じた時には、しかし、輿か馬かの間答に、ケリをとも武将でもおわすことゆえ、誰ぞの乗馬でご承知下さる つけなければならないぎりぎりの時になってしまって 速水甲斐はわなわなと震えだした。 阿部正次の言葉は情理をつくした感じであったが、しか し、甲斐に迫る返事の苦痛は同じであった。 : と、いわれるのじゃな」 どう考えても、秀頼母子の顔を諸大名の軍中や人夫、人「では、輿はない : 「ご覧のとおりの焼けあとでござるゆえ」 足どもの間にさらさせることは出来ない・ 「さらば、入マしばらくお待ち願いたし」 ( そのくらいのことは当然、寄手も考えていてくれると思 っていたのに ) 「お待ち : : : と申すと、正午を過ぎるということでござる かな」 速水甲斐は、歯を喰いしばって善後策を考えた。ちょっ 145

3. 徳川家康 17

叩きつけるようにいい捨てて、背中の小旗を立て直し、 大股に井伊の馬印めざして歩いてゆく。 ( これも、だいぶん人物は出来ては来たが : 信十郎は、速水甲斐が、自分に向かって太刀をつけて来 五 た場合を想像して苦笑した。 ( 固すぎる : : : ) 人間は、わが身の生命を捨てきった時にふしぎな勇気を 柔軟自在の剣ではなくて、わが意志に固縛されて、身動 持てるものだ。 といって、その勇気と、平素の自分とは無縁のものと考 き出来ない硬さを残している。 えるのは間違いだった。平素の鍛練があらければ、その勇 といって、相手が助けるつもりのところへ出てゆく助命 気も又あらくなり、平素の練磨が緻密であれば、その勇気 の使者なのだ。これで充分使命は果たせよう : 奥原信十郎は、あわてて四、五歩あとを追って、思い直の質もまた緻密になる。 して立ちどまった。 速水甲斐は、その意味ではいささか自分に廿かった。 もうこうした人の出人りで、ここが秀頼母子のかくれ家 ( 死を決したのた。何の恐るるところがあろうぞ ) とは、はっきり知れてしまったのだ。知れた以上は、ここ 事実、主君秀頼母子の助命はしても、みすから助かろう とする気はみじんもない。それだけに彼は高飛車だった。 に馬印を立つべきたったが、それはすでに本丸で、郡良列 この事は立ち場を変えて考えると逆になる。死を決して や渡辺内蔵助が自害のおりに焼失してしまっている。 いながらも、なお相手を怖れているゆえ虚勢は捨て切れな ( 負け戦の生命乞い : : : それほどこだわることもあるま : という答えにもなるからだった。 しかし戦国時代の人々はみな死を怖れまいとして、実は 信十郎は思い直して、また土蔵の中へ引っ返したのだ が、その頃、彼の案じたとおり、井伊直孝の馬印を立てた虚勢に生死していたのだから、この混乱は当然ある筈だっ 幕舎のうちへ、速水甲斐は必要以上に昻然と胸をそらしてたのだが : とにかく、速水甲斐守久は敗軍の将として、先ず相手の 入っていったところであった。 「軍使、ご苦労に存ずる」 そこにはもはや、本多上野介の姿はなく、甲斐を迎えた のは、井伊直孝、安藤重信、阿部正次の三人であった。 742

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女たちがいっせいに泣きだした。 の御意志をお伝えせねばならぬ。輿か馬かじゃ ! 」 まだ秀頼の返事はない。おそらく彼は、次第に身近にな 速水甲斐は奥の秀頼に問いかける口調になって、 って来る自分の生死を手さぐりながら味わい直しているの 「上様は、馬で、誰れ彼れのご陣中を引き廻されながらの ご連行に、耐えさせられまするや否や ? お伺い申しとう 速水甲斐が、小姓たちの竹筒に、わずかに残っている水 存じまする」 をあつめてまわった。 「待ちゃ甲斐」 また淀の方はさえぎった。 「これは、どうやら大事になった : : : 天下さまの御あと取 集めた水を腰のひさごに入れ直しながら速水甲斐は次第 りが、捕われ人として敵の陣中を引き廻される : に冷静さを取り戻した。 引き廻されてよいものか何うか : : : すぐにご返事もなるま ( 馬で行くことを承知するか ? それともここで生害せね いゆえ、上様のご思案の定まるまでは静かに待とうそ」 ばならなくなるか ? ) そう言われると、甲斐はギョッとしてわれに返った。 これはわずかな面目にこだわったり、言葉尻を取りあっ これは、やはり、馬か自害かの間題だっ ( そうだー たりしていてよいことではなかった。生きるか死ぬか ? すでに動かしようのない二者択一の時が迫っている。 いや、それだけではない、水盃の用意を命じた淀の方 「誰ぞの竹筒に水が残っているであろう。別れの盃の用意は、自分はここで果てるそ、と言い出してしまっているの をしゃれ」 そうなれば、秀頼の返事ももう七分以上は、聞かずとも 「別れの水盃・ : ・ : 」 「そうじゃ。上様だけはお助け申したい。が、わらわはこ想像できる。 こに残るとしよう。いや、残るも行くも、これが今生の別 ( ーー母を失い、みなを見殺しにして、わし一人、何でお めおめと生き残れようそ ) れと決まった : 149

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しかし、信十郎はその治長を憎みきれない。 、本丸の火も移るまい。と、申してあれへ御台所をお連 彼はいま、わが身自身の生死は忘れて、秀頼と、そして れしてはならぬのじゃ」 奇怪な愛情で結ばれた淀の方の無事を案じつづけている。 奥原信十郎はそれには答えず、 そして、その最期の希いは、奇しくも奥原信十郎豊政 「もはや、ご本丸は火の海にござりまする」 が、男の意地を賭けた目的と同じなのだ。 「信十郎どの ! 頼む」 眼の前に芦田曲輪への桝形が見えて来た。このあたりは や、御台所を城外に : : : そして、わ風上のうえに石垣でさえぎられているので、黒煙の間から 「わが君母子を : : : い : 」わずかに空が見えている。 が君母子のご助命を、大御所に嘆願してくれるよう : ・ 誰かがはげしく咳き込んだ。空気がきれいになったの それは人々への聞こえをはばかる早ロで、足はすでに動 で、却って吸い込んだ煙と煤を吐き出すことになったのか こ、フとしなかった。 奥原信十郎はそれを軽々と担いだままでみんなの後につも知れない。 「かにせよ」 いて歩いた と、速水甲斐の声であった。 ( この人も城とともに最期の時を迎えている : : : ) 「この中に入るのだ。入って誰も声は発てるな。やがて船 たぶん今日はタ焼けの美しい日であろう。それが、空い が迎えに来るそ」 つばいの煙に捲き立てられて、まだ昏れ落ちる前なのに、 速水甲斐のこの言葉の意味も信十郎にはよくわかった。 天守をかえりみることも出来ない。 風下はおそらく焦熱地獄。そしてそこでは銃声と喊声と彼は、ここから秀頼を船に移して薩摩へ逃がれさせる気 冫 : しなし・ が、火のはぜる音にまじってまだ絶えない。 速水や明石は熱心な切支丹信者なので、治長とは又別 時々持ってゆき場のない澱んだ怒りが胸に噴きだす。そ ィップ三世からの援軍を に、秀頼を薩摩へ落として、フリ のたびに担いでいる治長を抛り出したい衝動にかられた。 このように大きな悲劇を待っ気らしい。 ( この人の優柔不断が、ついに、 盛り上げてしまったのだ : 117

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「なに、大御所が 本多正純が、井伊直孝の指揮所へ着いた時には、あちこ と安藤重信は、おどろいたように言ってニャリと笑っ ちの井伊勢の中から高笑いが聞こえていた。 どこにも敵の姿はなく、前方七、八十歩の級蔵との中間た。 「そうか。出て来られたのか」 は、蒸しつくされたような芝草の空間をなして静まり返っ 「おちよばどのに会われての、千姫さまが、秀頼公は自害 ている。 なさる : : : と、お案じのよし聞こしめされ、じっとしてお ( 何という不手際な : : : ) れなくなったらしい。それにしても、さっきの銃声は何で と、正純は舌打ちしながら幕舎の中へ駈けこんだ。 ( これで秀頼母子は、ほんとうに助かってしまったわ : : : ) あったそ」 「約東の時刻が参ったゆえ、催促致したまでのこと」 それは本多正純にとっては、かなり腹立たしい成行きだ 井伊直孝がぶつきら棒に答えるあとから、安藤重信がま 家康が、桜御門まで出迎えに来ている : : : そうなってた笑った。 「前の右大臣さまはの、輿でなければ籾蔵を出られないと は、将軍秀忠の意志がどうあろうと、もはや誰も手出しは 申すのだ。諸人の前に玉顔をさらすことなど思いも寄ら 出来ない。 ぬ。そこでご母公さまの分と二挺用意せよと : : : 天子にで 「何としたのだ。今の銃声は ? 」 幕舎の中でも、緊張などとは凡そ縁遠い表情で、井伊直もなった気でいくさるわ」 孝、安藤重イ 言、阿部正次の三人が笑いながら冷水で汗を拭「乗物ならば : と言いかけて、本多正純もハッとしたように顔から緊張 き合っている。 「大御所が、待ちきれずに、わざわざ桜御門へお出でなさを解いていった。 「そうか : : : 牛車の用意、とまでは言わなんだか」 れたぞ。何とか : と言いかけて、正純は舌打ちした。 「とにかく、馬の用意はある。ご母公は、やむなければ山 それ以前に、事を処理出来なかったのかという言外の詰駕籠 : : : それでよいかどうか訊ねて参れと、掛合いに参っ た速水甲斐に申しわたしたのだ」 っ一 ) 0 ノ 57

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「そうじゃ。お供はの、半三郎と十三郎、他に一両人の稚 知れない。 児姓だけでよい」 秀頼はまだ射すような眼でじっと母を見つめている。 秀頼は黙って十三郎の手から盃を受け取った。 「母上、頂きまする」 「おお、ようこそお聞きわけ下された」 速水甲斐は、淀の方が呑みほした水盃を、高橋十三郎 顔をあおのけて、ぐっとそれを呑み乾すまで、淀の方だ 秀頼の前にささげてゆくまで、声をかける隙が無かっ けではなく、速水甲斐も大野治長も、秀頼が母の言葉を聞 き入れる気になった、と思うほど、それは自然な動作であ それほど淀の方の悠揚さが、逆に彼の心を緊縛してしま つ」 0 っていたのだ。 そのいうことの内容はとにかくとして、呪われた母と離呑みほすと秀頼はかすかに笑った。笑いながら、 れて生きてくれるよう : : : そうした才覚は母でなければ考「荻野道喜、これへ出よ。その方に頼みおかねばならぬこ とがある」 えられない無限の慈愛をかくしている。 と、さりげなく盃を差し出した。 ( 果たして、これで上様は、生きる気になってくれるかど 「ははツ」と、道喜は入道頭の鉢巻きをとってすすみ出 。酌は依然十三郎である。 「さ、これで悪縁は断ち切れました。母から子への別離のた 「道喜、ご苦労ながらそなたには母上と女中どもの介錯を そこまでいって淀の方は、きびしい表情になって甲斐を頼みたい」 瞬間一座はギョッとなった。 かえりみた ふびん 「お盃が済んだらの、上様をすぐにお伴い申すのじゃ。上「胸を刺してから長く苦しむるは不愍ゆえ、手ぎわよく頼 様はご武将なれば、馬上のご通行もさして恥辱にはなるまみ人るそ」 . よよッ しとに」 「次に毛利勝永」 151

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その場に奥原信十郎は居合わさず、半死半生の治長が甲「あの大御所の古狸め、始めから上様を助ける気など無か ったのじゃ」 斐の声をききつけて眼を開いた。 「なに、大御所に助ける気は : 「おお速水どのか。して首尾は ? 」 「さよう、修理どのは人がよい。助けようと田 5 うておわす 「されば : のならば、井伊にせよ、安藤、阿部にせよ、あのような無 投げ出すように治長の前に坐って、 礼な態度がとれるものではない。そうだ。これは安藤めで 「井伊直孝め、無礼至極の者でござる」 あった。上様にお繩をかけて、山駕籠に乗せようかなどと 「というと : : : 不首尾でござったか」 「あやつめ、上様ご母子を馬に乗せ、諸国諸大名の軍勢の吐かしくさった」 吐き出すようにいったとき、 中を引きまわす所存に違いござらぬ」 「甲斐、これへ参られよ」 「なに、上様のお顔を : : : 」 「さらしものにする所存 : : : その証拠に、乗り物一挺の用屏風の奥から、淀の方の鋭い呼び声であった。 「は、お耳を汚して恐れ入り奉る」 この儀、何と致しましようぞ」 宀思もない 「修理も来よ。今の一言、聞き捨てには相成らぬ。上様も 問いかけられても、治長にそうした答えの用意のあろう お聞きであろう。参って、もう一度掛けあいの模様仔細に 筈はなかった。 念仏の声はやんで、扨蔵の内部は異様な静けさにしめらわらわの前で述べて見よ」 速水甲斐が、自身で怒りを発していなかったら、狼狽し れた。おそらくみんな全神経を耳にあつめて聞いているの て前言をひるがえしたに違いない。 に違いない ところが彼は逆に淀の方の疑惑に油をそそいでいった。 「修理どの」 「はい。申し上げませいでか。それがし参って、上様軍使 と、また甲斐は大きく舌打ちした。 「われ等は巧々と計られ申したぞ。いや、今の談判から察と申し立てましたにもかかわらす、彼等はそれがしを愚弄 し机け・ : : ・」 して、それに相違ない ! 」 「先す、こなた、何といわれたのじゃ」 「相違ないとは : 147

9. 徳川家康 17

、片桐且元の退去から冬の陣を経て、見違えるように人 「大儀であったの」 あわてて労をねぎらうロ調になり、高く小さな窓から射物が出来て来た : : : と、思った時は、しかし、大坂城の運 きわ しこむ光線に向き直って、もう一度自分の顔を改め直し命も、彼の運命も窮まった時であろうとは : ( わしならば、這っても井伊をたずねていくが : そして、今の彼の赤心を、まともに直孝にぶつけていっ 奥原信十郎豊政が、あわてて外へ出たのはその時だっ たら、相手も動かずに居れない反応を示すであろうし、彼 もまた一段と高い境地で死に就けよう。 言いようもない感情のかたまりが、いちどに号泣になり ( いや、それほどの勇気を示していったらあの大御所だ そうで、その場に同座しかねたのた : 或いは治長も許せといい出すかも知れない : 四 しかし、信十郎が軒先へ出たあとの治長は、やはり疲労 大野治長はすでに起ち居の自由を欠いている。自由に起に負けていった。 「わが身で交渉したいところながら、このありさまじゃ。 てたら、彼は、必す自分で、寄手の大将に会いに行ったに 速水氏、よしなに頼むぞ」 違いない。 「、い得ました」 ( おかしなものだ : 「すべてはこの修理の心得違いであった : と、涙をおさえながら、信十郎は空を見上げた。 今日も照りしぶっている梅雨そらで、陽のありかから察もご存知あらせられず : : : 」 速水甲斐は舌打ちして、 すると、かれこれ四ッ ( 十時 ) ちかいと思われる。蒸し暑さ 「さらば参一ろ、つ。、こ免 , ・」 はいくぶんおさまり、月筋から吹きあげる風がかすかに柳 気負った様子で信十郎の前へ出て来た。 の枝をなぶっている。 「ご警護を」 ( あの人も、ようやく大坂城の城代のっとまる人物に近づ 信十郎が立ち寄ると、 いたとい、つのに・ 吟までの治長では、どうにも器量が足りなかった。それ「無用 ! 」 : 上様には、何 147

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「仙石宗也どの、負け戦と見て、何れかへ逐電致してござ りまする」 「なに、逐電したと」 秀頼がきき返すのと、 「そうではない ! 」 治長が叩き返すようにさえぎるのとが一緒であった。 「仙石は、上様生き残られるを知って、後日のために備え 秀頼を急き立てながら、 ているのだ」 「ーー・・・・・勝敗は兵家の常にござりまする」 「ご注進 ! 」 速水甲斐は、何度もそれを繰り返した。狼狽している秀 どうやらもう考える間もない時が来ているらしい。ゴ よりも、むしろ自分にいい聞かせているのかも知れな ッと焔の渦巻く音の中から次々に、絶望を知らせる注進の 到着だった。 ここでは、先す、修理どののお言 「大野治房さま、同じく道犬さま、何れかへ逐電なされて「死は易く生は難い 葉をお用い下さりまするよう」 ご」りまする」 奥原信十郎は、つと治長に近づいて肩を貸した。舎弟の 「逐電ではない ! 」 治房に傷つけられた傷の治りきらぬうちに、今度の戦 : 治長は又叫んだ。 「みなが討死してのけて、生き残られた上様に誰がお仕え治長としてはよく戦った。小手にも頬にも、右足にも生々 しく血が付いて、すでに気力だけで生きている感じであっ 申すのじゃ。よい、退れツ」 「ご注進 ! 」 しかし、その時にはもう速水甲斐は、秀頼の手をとって「おお、信十郎か、かたじけない」 「何の : : : 芦田曲輪の御蔵でござりまするなあ」 無理にその場から歩き出していた。 「火に追われてはご相談もなりませぬ。芦田曲輪のモミ倉「そうじゃ。頼む ! あそこならば、誰も気付く者はな に難をお避けなさるよう」 続いて治長の母の大蔵局が淀の方の手を引いて歩きだ し、淀の方は、あわてて千姫の袖をつかんだ。 奥原信十郎は冷やかにそれ等を確かめてから立ち上がっ 7 76